『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「直接、倒幕という考えには至っていない。そして、明の滅亡後、明の朱子学者・朱舜水(しゅしゅん
すい)が日本に亡命し、徳川光圀(みつくに)に招聘される。この朱舜水も尊王思想に大きな影響を
与えている。」
「徳川光圀って水戸黄門だよね。光圀と朱舜水はどんな関係だったの?」
「家康は、徳川家の支配を正当化するイデオロギーとして朱子学を官学とした。そして、光圀は、そ
の朱子学の観点から日本の歴史を編纂することを目指した。そのような時、朱舜水が日本に亡命し
てきた。そこで光圀は朱舜水を招聘し、日本の歴史上の人物の朱子学による再評価を行わせた。」
「朱舜水が朱子学の観点から再評価した人物って誰なの?」
「それは楠木正成(くすのきまさしげ)なんだ。正成はそれまで、武士社会の中では武家政権の裏
切り者とされてきた。しかし、朱舜水と光圀は彼を天皇家に対する忠臣として高く評価した。そして、
光圀は立派な楠木正成の墓標を建立し、『嗚呼忠臣楠子之墓(ああちゅうしんなんしのはか)』という
墓碑銘は朱舜水が書いたものなんだ。
その後、光圀は朱子学の観点から日本史の編纂に努める。それが『大日本史』として完成したの
は明治になってからだけれども、水戸藩は尊王思想の総本山のような存在になっていく。
それから、尊王思想の形成には、崎門学(きもんがく)の影響が大きい。」
「崎門学って何なの?」
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