『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「『魏志倭人伝』には、邪馬台国の人たちは、顔にも身体にも入れ墨をしていたと書かれている。多

分、彼らは長江下流域から日本の南九州あたりに渡来して水稲耕作を伝えたんだと思う。

 林羅山は、太伯が日本にやって来て邪馬台国の王になり、彼が天皇の祖先であると考えたんだ。

そして、そこに天皇の支配の正当性を置こうとした。実はこの考え方は、後醍醐天皇の頃からあった

考えなんだ。ところが、17世紀後半になると、日本こそ中国であるという考えが広まっていく。」

 「それはどうして?」

 「1644年、明が滅亡すると、女真族が清を建国する。そこで、山鹿素行(やまがそこう)が『中朝事

実(ちゅうちょうじじつ)』を著し、異民族には中国を支配する正当性はなく、日本こそ中国であると唱

えた。彼は、林羅山の門下で朱子学を学び、また、軍学、神学も学んだ人で、赤穂(あこう)藩士の教

育も行い、大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしお)も門弟の一人なんだ。」

 「山鹿素行はなぜ、日本こそ中国であると考えたの?」

 「彼は神学も学んだ人で、天皇は万世一系の支配者であり、徳があったから続いたのであり、天か

ら認められた、地上で唯一の正当な支配者であると考えた。」

 「その考えは、直接、倒幕に結びついていったの?」

 
     

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