『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「家康は儒学者・藤原惺窩(ふじわらせいか)の推挙により、彼の弟子・林羅山(はやしらざん)を自
分のブレーンの一人にした。林羅山は、その時23歳と若かったけれども、朱子学によって徳川家の
支配の正当性を説いた。」
「どのように正当性を説いたの?」
「彼は、徳川家の支配の正当性は、日本の正当な支配者である天皇から、征夷大将軍に任じられ
ているからだと考えた。」
「じゃ、彼はなぜ、天皇が正当な支配者であると考えたの?」
「彼の師の藤原惺窩は、熱烈な中国文明崇拝者だった。羅山もその影響を受けていた。羅山は天
皇中国人説を唱えている。」
「えっ、どうして天皇が中国人だというの?」
「『史書』によると、周王朝の始祖・武王(ぶおう)の曾祖父・古公(ここう)に3人の息子がいて、その
長男の太伯(たいはく)と次男の虞仲(ぐちゅう)は、三男の季歴(きれき)に跡を継がせたいという父
の思いを知り、辺境の地である長江下流域に身を隠した。そして、太伯は、誰かが連れ戻しに来ても
それができないように入れ墨をしたと言うんだ。入れ墨は長江下流域で水稲耕作を行っていた南方
の異民族の風習で、華北の地では許されないことだった。」
「それがどうして天皇中国人説になるの?」
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