『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「『靖献遺言』の内容について説明する前に、幕末においてなぜ、尊王思想が普及することになっ
たのか、説明しておこうね。当時、勤王の志士たちだけでなく、佐幕の武士たちも尊王思想に染まっ
ていたんだ。」
「いつ頃からそうなったの?」
「話は家康の頃にさかのぼるのだけれども、家康が朱子学を官学として導入したことがきっかけに
なっている。それまでは、武士たちも庶民も尊王意識は薄かった。」
「家康はなぜ、朱子学を官学としたの?」
「家康は、自分が死んだ後も徳川家の支配を永続させるための装置を種々設定した。大名の妻子
を江戸で人質にしたり、外様(とざま)大名には幕府の政治には携わらせず、石高の多くない譜代(ふ
だい)大名を幕閣に置く体制を作ったりした。そして、世の人々は天下を丸めた家康を天下人と認め、
平和を望んでいた。」
「じゃ、徳川家の支配は安泰じゃないの?」
「ところが、家康はそれでも安心できなかった。力で天下を取った者が天下人となるという考え方
は、家康が死んだ後、誰か力のある者が天下を丸めれば、その者が天下人となってしまう。そこで、
徳川家の支配を正当化するイデオロギーが必要となった。人々が徳川家の支配に心から服従するよ
うな権威を必要としたんだ。」
「それで朱子学を官学として導入したんだね。それがなぜ、尊王思想の普及につながっていった
の?」
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