『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「漆の実から作ったロウソクが、あまり売れなかったんだ。」
「どうしてなの?」
「漆の木の一種である櫨(はぜ)の実から作られた櫨蠟(はぜろう)の方が品質も良く安価だったの
で、漆蠟はあまり売れなかった。」
「鷹山は、なぜ、櫨の木を植樹しなかったの?」
「情報不足だったんだね。櫨蠟は吉宗の頃から製造されており、情報収集に力を入れていたらこう
いう失敗はなかったかもしれないね。櫨の木は温暖な気候の地域でしか生育しない木で、米沢藩で
は無理だった。鷹山は情報収集の大切さを学んだことと思うよ。
この後、竹俣当綱は家老を辞任してしまい、鷹山も35歳の時、藩主の座を治廣(はるひろ)に譲って
しまう。治廣は、鷹山の実子ではなくて、鷹山の養父・重定の子なんだ。」
「重定には男子がいなかったんじゃないの?」
「重定は鷹山を養子に迎えた後、3人の男の子をもうけている。治廣はそのうちの一人なんだ。
ただ、鷹山と側室の間に生まれた息子が治廣の養子となってその次の藩主になっている。」
「鷹山は、もう改革は諦めてしまったの?」
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