『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「鷹山はまず、藩士の意識改革と人材育成が重要だと考えた。そこで、藩の学問所である興譲館

(こうじょうかん)を再興し、教育に力を入れる。教育は藩士だけではなく、農民などの教育にも力を注

いだ。後に、農村の老婆が鷹山に対して書いた感謝の手紙が残っている。」

 「農村の老婆が字が書けたというのはすごいよね。」

 「それから、代官の世襲制を廃止し、能力のある者を抜擢する制度にしている。ところが、浅間山の

大噴火と天明の大飢饉にみまわれ、米沢藩も大損害を出し、多くの餓死者を出してしまった。」

 「鷹山はどのような対策を採ったの?」

 「米沢藩ではもう米の余裕はなかったのだけれども、鷹山は、『備荒(びこう)二十カ年計画』を立

て、20年間で15万俵の米を備蓄していくんだ。」

 「15万俵ってどれくらいの量なの?」

 「米沢藩の民が1年間食べられるくらいの量なんだ。それから、非常食マニュアルである『かてもの』

を発行して民に配った。そのような努力があって、天保の飢饉の時はほとんど餓死者を出さなかっ

た。

 それから、竹俣当綱の発案により、漆(うるし)・桑(くわ)・楮(こうぞ)の各百万本植樹計画を実行

する。殖産興業を目指したんだね。漆の実を原料としたロウソクを生産販売しようとした。また、桑の

葉を食べる蚕を飼って生糸の生産を、楮からは和紙の生産を計画した。その資金は鷹山が商人に長

い手紙を書いて、無利子で貸してくれるように頭を下げて頼んだ。しかし、この植樹計画は失敗に終

わってしまう。」

 「えっ、どうして失敗したの?」

 
     

       -153-

 MENUに戻る