『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「当時、『主君押し込め』というのがあって、家老たち家臣が、この殿様では藩が立ち行かないと判
断して、主君を座敷牢などに閉じ込めてしまい、隠居させて新しい藩主を幕府に願い出るというもの
なんだ。それを幕府が認めたというケースが何件もあった。鷹山もその可能性が高かったんだ。」
「鷹山にとって危機的状況だったんだね。鷹山はどうやって乗り切ったの?」
「4時間が過ぎた頃、鷹山が立ち上がって部屋を去ろうとしたとき、七人のうちの一人が鷹山の袴の
裾をつかんだ。鷹山の側には小姓が一人だけ付いていたんだけれども、その小姓が『無礼者』と言っ
て、袴の裾をつかんだ手を扇子で打ち据えたんだ。主君の袴の裾をつかむなどは許されない無礼な
行為だったので、鷹山が部屋を出るのを七人は止めることができなくなってしまった。」
「鷹山はその後どうしたの?」
「三日後に、七人を一人ずつ呼び出して、首謀者二人は切腹、残り五人は隠居・閉門の処分を下し
た。そして、後に騒動の黒幕がいたことが分かって、その者は斬首という処分を下した。」
「『何をやるにしてもまず勇気が必要である』という細井平洲の教えがあったからできたんだね。」
「この果断な処置がなかったら、この後の改革はうまくいかなかっただろうね。」
「その後、鷹山は具体的にはどのような改革をしていくの?」
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