『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「綱吉には男子が生まれはしたんだけれども、幼くして亡くなってしまって、その後、跡継ぎはできな

かった。そこで、綱吉の次兄の子を養子にした。それが6代将軍家宣(いえのぶ)なんだ。彼は、綱吉

生存中は、綱吉に誠実な姿勢を貫いた。そうせざるを得なかったんだろうね。しかし、綱吉が亡くなる

とすぐに『生類憐れみの令』を廃止するなど、綱吉の政治を否定するような政治を始める。ただし、側

用人制度は継承する。家宣の側用人になったのが間部詮房で、間部のブレーンだったのが新井白

石だ。家宣の政策の事実上の立案者は新井白石だった。彼は偉い学者だったんだろうけど、朱子学

の教条主義的な学者で、生きた経済のことはまったく分かっていなかった。綱吉や萩原重秀の経済

政策を全否定し、貨幣も元の貨幣に改鋳し直してしまう。そこで、貨幣の供給量が減少し、長崎貿易

の制限などもあり、経済は不況に陥ってしまった。家宣の代・4年間、7代将軍家継(いえつぐ)の代・

3年間で幕府財政は逼迫してしまう。」

 「そこで登場したのが8代将軍吉宗(よしむね)なんだよね。吉宗ってどんなことをした人なの?」

 
     

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