『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「確かに、行き過ぎの面はあったとは思うけど、そこまでしないと変わらないということもあったのか
もしれない。」
「綱吉は何を変えようとしたの?」
「綱吉の前の将軍・家綱(いえつな)の時に、由井正雪(ゆいしょうせつ)の乱を契機に、幕府は武
断主義から文治主義へと舵を切ったんだけれども、人々の意識というものは、なかなか変わらないん
だ。その頃、戦国の意識はまだ色濃く残っていて、あの水戸黄門(みとこうもん)として有名な徳川光
圀(みつくに)でさえ、若い頃、臆病者と言われるのが嫌で辻斬りをしたことがあると告白しているぐら
い、人の命が軽く扱われていた。綱吉はそういった意識を変えたかったんだと思うよ。
実は、『生類憐れみの令』という法令は、一つの法令ではなく、25年かけて出された130あまりの法
令の総称なんだ。その中には、捨て子の禁止や妊娠した女性と子供の登録、病気の旅人の世話の
義務化など、近代的な社会福祉律法の先駆け的な面もあった。また、当時は犬を食べる習慣があ
り、野犬が捨て子を食い殺すという事件が多発していたらしい。そこで、犬を登録制にし、野犬の収
容場まで作っていた。中野にあった御囲(おかこ)いと呼ばれた犬屋敷は30万坪・東京ドーム21個分
の広さがあり、多いときには10万頭の野犬が収容されていた。犬屋敷は大久保や四谷などにもあっ
たんだ。」
「ふ~ん。だったら綱吉は名君と言われてもいいんじゃないの?なぜ悪く言われてきたの?」
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