『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「梅岩の思想は、弟子の手島堵庵によって普及することになる。梅岩は自分の思想を『性学』と呼

んでいたんだが、堵庵は『心学』という呼び方に替え、梅岩の『本性』という言葉も『本心』という言葉

に替えて、『本心』は本来善なるものであるとした。そして、石田梅岩から学んだ思想を『石門心学

(せきもんしんがく)』と呼んで、普及に尽力したんだ。」

 「『石門心学』は堵庵の時に全国的に普及したの?」

 「手島堵庵の弟子の中沢道二(なかざわどうに)という人が、江戸に出て塾を開き『石門心学』の普

及に努めた。道二の『石門心学』は、庶民だけではなく、老中・松平定信(まつだいらさだのぶ)を始

め、大名などにも広がって、全国の寺子屋などでも教えられるようになっていったんだ。」

 「ところで、石田梅岩が生まれた1685年(貞享2年)って、最初の『生類憐(しょうるいあわ)れみの

令』が制定された年だよね。徳川綱吉(つなよし)はどうして人間よりも犬の方を大切にせよみたい

な、庶民を苦しませるような法令を出したの?」

 
     

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