『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


  「正三にとって宇宙の本質は『一仏(いちぶつ)』という人格神的対象であり、それを象徴したもの

が『月なる仏』なんだ。そして、『月なる仏』は人間の心にも宿っていると言う。それが『心なる仏』

だ。」

 「人間みんなに『心なる仏』が宿っているのに、どうして争いが絶えないの?」

 「それについては、正三は、心が貪欲(どんよく)・瞋恚(しんい)・愚痴(ぐち)といった病毒に冒され

ているからだと考える。」

 「瞋恚って何なの?」

 「瞋恚というのは、怒り・憎しみ・怨みなどの憎悪の感情のことだよ。正三は、それらの病を癒やして

くれるのが『医王なる仏』であるから、仏を信じてひたすら仏行(ぶつぎょう)に励めと言っている。」

 「武士は、戦のないときは時間があるから、座禅するなど修行もできるけど、農民などはそんな暇な

どなかったんじゃないの?」

 「正三は『農業即仏行(のうぎょうそくぶつぎょう)なり』と言っている。仏を信じてひたすらに鋤鍬(す

きくわ)を振るえば、それが即修行であると言っているんだ。職人が一心不乱に鑿(のみ)を振るうの

も修行、商人が需要と供給の間をつなぐのも修行、一筋に正直にその道を行え。そうすれば各人の

内心の秩序と社会の秩序と宇宙の秩序が一致すると言っている。そして、結果としての利潤は肯定

している。」

 「まるで、ピューリタンの倫理みたいだね。日本の職人さんの職人魂はここに始まるんだね。」

 「正三が執筆や布教活動をした時代は、戦乱が終わり平和な世の中になった良い時代と言えるけ

れども、反面、身分が固定され、秀吉に象徴されるような出世の道が閉ざされた閉塞的な社会状況

にあった。正三の思想は、そのような社会にあって、どのように生きたら良いかという問いに対する一

つの答えだったんだ。」

 「正三の思想はすぐに普及したの?」

 
     

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