『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


  「反乱軍は決して烏合の衆ではなかったからだよ。有馬・小西の多数の浪人たちが農民を指導し

ており、組織的な軍になっていたんだ。キリシタンは天国を信じていたので、死を恐れないで戦ったこ

とも強さの理由かもしれない。

 また、原城は天然の要塞だった。城の後ろは海岸線で断崖絶壁になっていて、海から上陸すること

は不可能だった。前方には深い堀もあって攻撃は難しかったんだ。」

 「それで幕府はどうしたの?」

 「幕府は新たに、老中・松平信綱(まつだいらのぶつな)を総大将に任命して、12万の軍勢を差し向

けた。」

 「松平信綱ってどんな人物なの?」

 「彼は、知恵伊豆と呼ばれ、幕府きっての切れ者で合理主義者だったらしい。彼はすぐには総攻撃

を開始しなかった。」

 「どうしてなの?」

 「原城にはキリシタンではない農民も多数加わっていた。総攻撃で彼らを皆殺しにしてしまっては戦

後の島原・天草の復興が難しくなってしまう。彼は、できるだけ、投降を促そうと交渉の道を探った。し

かし、交渉は失敗に終わってしまう。信綱は反乱が勃発してから約4ヵ月後の1638年(寛永15年)

4月11日に総攻撃を開始する。」

 「どうして、もっと粘り強く交渉を続けなかったの?」

 
     

       -133-

 MENUに戻る