『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「それは後で詳しく話すことにするね。その前に『島原の乱』について見てみよう。」

 「島原の乱って、あの天草四郎(あまくさしろう)が大将となったキリシタンの反乱のことなの?」

 「そうだね。天草四郎は島原の乱勃発前から、キリシタンの農民たちの間でカリスマ的存在だった。

でも、実際に乱を指導したのは、島原の元領主・キリシタン大名有馬晴信(ありまはるのぶ)の家臣で

浪人になっていた者たちや、天草の元領主・キリシタン大名小西行長(こにしゆきなが)の家臣で浪

人になっていた者たちなんだ。彼らが四郎を担ぎ上げて、農民たちを指導していた。」

 「どうして島原や天草のキリシタンが反乱を起こしたの?」

 「当時は世界的な規模で天候が不順で、西欧でも日本でも農作物は不作だった。それにもかかわ

らず、新しく島原・天草に封じられた領主たちが親子二代にわたってキリシタンを弾圧し、重税を課し

た。税を払えない農民には拷問まで加えたりした。そこで、耐えきれなくなった有馬村のキリシタンを

中心とした農民たちが代官所を襲い、代官を殺害したことがきっかけとなって反乱が勃発したんだ。

そして、反乱軍約3万7千人が原城に籠城した。」

 「幕府はすぐに鎮圧軍を出したんでしょ。」

 「そうなんだけれども、鎮圧軍は反乱軍に敗北し、鎮圧軍の総大将は戦死してしまった。」

 「どうして幕府の鎮圧軍が負けてしまったの?」

 
     

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