『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「話は、秀吉の唐入り、つまり文禄・慶長の役にさかのぼるのだけれども、文禄の役の時、緒戦は
日本軍が勝ち続けたということは、前に話したよね。」
「うん。加藤清正が女真族の方まで攻め上がり、補給路が延びすぎてしまって、敵方に分断されて
しまったということだったよね。」
「しかも、朝鮮半島は厳寒の冬を迎えようとしていたんだ。戦いの途中から、石田三成が秀吉の代
理として総指揮を執っていたんだけれども、彼は、講和を結び休戦に持ち込むしかないと判断した。
しかし、清正などが講和に反対だった。そこで、三成が秀吉に報告したところ、清正は日本に呼び戻
され謹慎処分になった。三成の讒言(ざんげん)により謹慎処分になったと思った清正や、福島正則・
黒田長政(くろだながまさ)などの武断派と呼ばれた武将たちは、三成に反発していくようになる。家
康は、この対立を利用して、豊臣恩顧の武将たちを取り込んでいった。
また、時代の流れは家康側にあり、武将たちも家康の実力を認めていて、勝ち馬に乗ったという面
もあったと思う。」
「江戸時代は明治維新まで260年間も平和な世の中が続いたよね。どうしてそんなに長期間、平和
を維持することができたの?」
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