『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「三成が戦(いくさ)に弱かったというイメージは、北条攻めの一環としての忍城(おしじょう)攻防戦

の失敗が大きな影響を与えている。三成は秀吉から、北条氏の支城の一つ・忍城を水攻めせよとの

命令を受けて、それに取りかかっていたが失敗し、そのうちに小田原城が陥落してしまった。しかし、

忍城の水攻めは、地形的に最初から無理な計画だったんだ。」

 「無理だと分かっていたのに、なぜ、そう、秀吉に進言しなかったの?」

 「秀吉の命令は絶対だったし、秀吉は忍城への水攻めを、諸将へ自分の絶大なる権力を見せつけ

る一大パフォーマンスだと考えていたに違いない。だから、三成は何とかして成功させようとしたん

だ。そして、失敗すると、その責任を一人でかぶったというわけだね。

 また、三成は、島左近(しまさこん)という戦上手の家臣を持っていたし、戦に強かった大谷吉継と

いう盟友もいた。だから、戦に弱いというイメージは、後に作られたものと考えた方が良いと思う。」

 「じゃ、どうして関ヶ原の戦いで、たった一日で大敗してしまったの?」

 
     

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