『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「三成に関するエピソードとして、『三献(さんこん)の茶』という有名な話が伝わっている。」

 「秀吉が鷹狩りの帰りに、三成のいた寺に立ち寄り、茶を所望したという話だよね。」

 「その時まだ14歳だった三成が点てた茶に、秀吉がかつての自分を見るようだと感動し、小姓に取

り立てた。三成は、14歳の頃から、相手の立場に立った冷静で合理的な状況判断ができる人物だっ

た。

 後に、近江の佐和山城周辺の領地を与えられたとき、三成は各地の村に掟書(おきてがき)を出し

ている。それが20通以上現在まで大事に保存されていた。それによると、各村の世帯数や人口が記

されており、年貢の納め方や村の運営方法などが詳細に記されている。また、農民の義務だけでは

なく、不作の時は収穫高を見て農民と役人が話し合うことができるとか、困ったことがあれば直訴(じ

きそ)も認めるなど、農民の権利も認めていた。その掟書は領民が読めるように仮名書きにし簡潔な

箇条書きにしてある。その掟書が20通以上保存されているというのは、三成が善政を敷き、領民たち

に慕われていた証拠だと思うね。

 それから、まだ領地を持っていなかった頃、秀吉から2千石を与えると言われたとき、それを辞退し

大谷吉継(おおたによしつぐ)を近習(きんじゅう)に取り立ててくれるように秀吉に頼んだ。自分の金

や地位より、優秀な人物を推薦することによって、豊臣家をさらに強固なものにすることを選択したん

だ。」

 「でも、三成は戦いには弱かったんでしょ。」

 
     

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