『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「実は、秀吉が家康攻略の準備を進めていた1586年(天正14年)の1月に天正大地震が発生した
んだ。この地震は近畿地方の被害が甚大で東海地方はそれほどでもなかった。この地震で、秀吉が
備蓄していた米などが焼失してしまい、方針を転換せざるを得なくなってしまったというわけだよ。天
災が歴史の流れに大きな影響を与えたんだ。
そこで、秀吉は妹を家康の正室に送ったり、母親を人質に送ったりして、なりふり構わずの融和策
に転じ、家康を臣従させることに成功する。」
「そうなると、次は北条氏だよね。北条氏の小田原城は難攻不落の城と言われたんでしょ。どれだ
け立派な石垣の城だったの?」
「いや、小田原城は石垣も天守もない城だった。」
「えっ、じゃどうして難攻不落の城と言われたの?」
「小田原城は周囲が全長9キロメートルの土塁で囲まれ、その土塁の高さは12メートルもあった。そ
の高さは4階建てのビルの高さに匹敵する。しかも、その内側は、幅30メートルくらいの堀で何重にも
囲まれ、まさに難攻不落の城だった。」
「そんな城に力攻めをしたら、勝利したとしても相当な損害を被るよね。」
「そうだね。だから秀吉は大軍で城を取り囲み、まずは北条氏の支城を落としていくんだ。」
「その時、秀吉が築城した一夜城は有名だよね。ほんとに一晩で完成させたの?」
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