『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「秀吉は貧しい農民の家に生まれ、継父と折り合いが悪く、家を出てから大変な苦労をしたらしい。

その体験から、人の心の機微を読み取ることのできる人間通の人物になっていったものと考えられ

る。そこが、信長にはないものだった。また、失うものは何もないという開き直りの精神もあった。そこ

で、単身、敵の館に乗り込んで寝返りを促すという大胆な行動も取れた。もちろん、彼には、その敵

の置かれた状況や心の動きを読み、勝算があって行ったことだろうとは思うけどね。秀吉は、そのよ

うな調略を得意としていたんだ。」

 「清洲(きよす)会議の時も、まだ幼い三法師(さんぽうし)に織田家の家督を継がせるようにして、

織田家の筆頭家老であった柴田勝家(しばたかついえ)に対して有利な立場に立ったんでしょ。」

 「いや、そうでもないんだ。清洲会議の結果、勝家側にとって、かなり有利な状況になって、かえっ

て秀吉は苦境に立たされたんだよ。」

 「それって、どういうことなの?」

 
     

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