『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「本能寺の変から11日後には、光秀は山崎の合戦で秀吉に敗れてしまうのだけれども、それは、光
秀が信長を倒した後の周到な準備をしていなかったため、光秀にとって想定外の事態が次々と起こ
ってしまったためだと思う。」
「用意周到な準備をしていたら、信長に気づかれてしまうものね。想定外の事態ってどんなことな
の?」
「一番の想定外は、秀吉軍が駆けつけるのがあまりに速かったことだよ。秀吉は毛利軍と戦ってお
り、すぐには動けないと思っていたんだね。また、頼みにしていた、光秀寄騎(よりき)で姻戚関係も
ある細川幽斎(ほそかわゆうさい)・忠興(ただおき)親子が光秀の誘いを拒絶したことだ。さらに、同
じく光秀寄騎の筒井順慶(つついじゅんけい)が秀吉に味方したことや高山右近(たかやまうこん)が
秀吉に抑えられたことが大きい。」
「秀吉は、どうしてそんなに速く駆けつけることができたの?」
「本能寺の変の頃、秀吉は毛利方の清水宗治(しみずむねはる)が守る備中高松城の水攻めをし
ていたんだ。本能寺の変を毛利方に知らせる光秀の密書を持った使者が、秀吉側に捕らえられ、い
ち早く事態を知った秀吉は、宗治の切腹を条件に毛利輝元(もうりてるもと)と講和し、京都に軍を返
したというわけなんだ。」
「秀吉という人は、いったいどんな人だったの?」
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