『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「信長の家臣に太田牛一(おおたぎゅういち)という人がいて、その人が書いた『信長公記(しんちょ

うこうき)』という本に詳しく載っている。彼は元僧侶で読み書きができた。そして、信長の家臣となり

戦いに出たとき、弓の働きを信長に認められ、信長の側近に取り立てられた。

 牛一はメモ魔で、その日のことを日記に書き留めておくことが趣味だった。信長の側近であったの

で、信長に関する出来事をこまめに書き留めていたんだ。例えば、ある池に大蛇が出るという噂を聞

きつけた信長が、それを確かめようと小刀を口にくわえて池に潜り、大蛇がいるかどうかを確かめたと

いう話も載っている。信長という人は、自分の目でしっかり確認せずに人の話を信じるということのな

い人だったのが、その記述で分かるよね。」

 「牛一は本能寺の変の時、そこにはいなかったんでしょ。どうして信長が『是非に及ばず』と言った

なんて分かったの?」

 「信長は、本能寺の変の時、側にいた女房たちを逃がしてあげたんだ。彼は非情な人のように思わ

れているけど、優しい一面も持っていたんだね。牛一は、後にその女房たちに直接取材して信長の

最期の言葉を知ることができたんだ。

 牛一は非常に実直な人だったようで、それゆえ、彼が自分の日記を元に書き上げた『信長公記』の

記述は、史料として信頼性が高いと考えられる。」

 「信長は、優しい一面があったにしても、比叡山の焼き討ちはひどすぎるんじゃないの?」

 
     

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