『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「秀吉は晩年、唐入(からい)りを目指して朝鮮出兵を行ったけれども、それは、信長の構想を聞い

ていて、信長の後継者として実行に移したのに違いないと、私は考えている。だから、信長の最終的

な目的は、中国を含む東アジアの支配者になり、東アジアに平和と繁栄をもたらすことだったのでは

ないかと、私は推測しているんだ。そこに至るための中期的な目標が、天下布武(てんかふぶ)の印

で表明された、武力による天下統一だったのだと思う。」

 「そうか。その目的を達成するためには、戦いに勝つにはどうすれば良いかを合理的に考える必要

があったというわけだね。」

 「そう。少年の頃の信長は、馬・弓・水練・鉄砲・槍などの鍛錬に明け暮れ、兵法を習い、鷹狩りを好

み、槍の試合見学を行うなど、戦いに勝つにはどうすれば良いかを常に考えていたのだと思う。」

 「信長については、そのような日常の鍛錬のこととか、《うつけ》と見なされていたとか、本能寺の変

の時の最期の言葉が『是非に及ばず』であったとか、言われているけど、よくそんなことが分かってい

るね。それらは、ほんとのことなの?」

 
     

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