『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「織田氏の発祥の地までさかのぼると、織田氏は元々藤原姓を名乗っており、越前織田の剣神社
の神官だった。室町時代、越前の守護は斯波氏(しばし)だったので、斯波氏の家臣となり、斯波氏
が尾張の守護にもなった時、尾張の守護代として尾張に移ってきて、その時から発祥の地の織田姓
を名乗るようになった。ただ、信長の家は守護代でもなく、守護代である本家の分家で守護代の家老
の地位にすぎなかった。」
「武田氏や今川氏などが守護大名だったのに、信長は守護代の家老の立場から天下を取ったんだ
ね。」
「信長に影響を与えた人物の一人に、信長の祖父を挙げることができる。信長の祖父・信定(のぶ
さだ)は勝幡城(しょばたじょう)を居城としていたんだけれども、近くに津島という港町があり、商工
業者を厚く保護して町民の心をつかんでいた。彼は、経済感覚に鋭く、商人的合理主義を身に付けて
いたと思われる。また、津島には津島神社があり、神官たちが各地に布教の旅に出ていた。信定は
彼らから各地の情報を収集していたらしい。
信長は、そのような祖父から知らず知らずのうちに、近代合理主義のはしりのようなものを学んでい
たものと思われる。したがって、少年・信長にとって、ウェーバーの言う伝統主義的行動様式をかたく
なに手放そうとしない、周りの大人たちが馬鹿に見えたに違いない。だからこそ、周りから《うつけ》と
呼ばれようとも気にせず、目的合理的な生き方を身に付けていったんだと思う。」
「信長の目的合理的な生き方の目的って何だったの?」
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