『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「当時の大寺社は、宗教組織というだけではなく、荘園を所有し、さらに各種の座の特権を保護する
ことにより、彼らの利益の一部を上納させていた。また、関所を設け通行税まで取っていた。そして、
それらの利益を守るために、僧兵という軍事力を持った一大勢力だったんだよ。経済力も軍事力も持
った、いわば大名のような存在だった。しかも、宗教的権威も持っていたので、将軍の権力に服さな
い、将軍にとっては困った存在だった。だから、将軍権力を確立するためには、それらをつぶす必要
があった。
後に、信長がそれを実行し、秀吉が刀狩りによって、それを完成させたというわけだよ。義教の場
合は不徹底だったんだ。」
「義教が一時的に成功したっていうのは、どういうことなの?」
「守護大名たちは義教の支配に服しているかのように見えたけれども、それは恐怖ゆえだった。日
本の和を貴ぶ文化的伝統においては独裁者は嫌われる。義教は日本の独裁者の中でも、最も嫌わ
れた独裁者かもしれない。
彼は守護大名の赤松満祐(あかまつみつすけ)の屋敷に招待され、他の有力守護大名たちとの宴
会の最中に赤松によって暗殺されてしまう。義教の息子の義勝(よしかつ)が次の将軍になるけれど
も、まだ幼くて、将軍権力は一気に衰えてしまう。義勝が間もなく亡くなってしまい、弟の義政(よしま
さ)が将軍位に就くけれども、彼もまだ幼くて将軍の権力はさらに衰えてしまうんだ。」
「義政の妻が日野富子(ひのとみこ)だよね。応仁の乱って、義政・富子の時代に起こったんでし
ょ。どうして、大規模で長期間に及ぶ戦乱が起こったの?」
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