『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「その頃、将軍権力が弱体化し、守護たちの抗争を抑えることができなくなっていた。守護同士の争

いや守護の家督争いなどが激しくなり、室町幕府の秩序が崩壊したんだ。」

 「応仁の乱のきっかけは何だったの?」

 「義政は成人してからも、政治の世界は疎ましかったらしい。早く引退して、趣味の世界に逃げ出し

たかったんだと思う。そこで、出家していた弟の義視(よしみ)を還俗させ、後継指名した。ところが翌

年、義政・富子の間に義尚(よしひさ)が誕生する。富子は義尚を次の将軍にしたいと策動する。一

方で、義視は自分の後継人になっていた管領の細川勝元(ほそかわかつもと)を頼る。富子は勝元と

対立していた有力守護の山名宗全(やまなそうぜん)を頼る。こうして、細川勝元と山名宗全の争い

に守護たちの家督争いが絡み合い、京都を戦場に長い戦乱が始まった。この戦乱は、勝元と宗全の

死によって終息していく。しかし、この戦乱の結果、京都の町の大半は焼失し、時代は戦国時代へと

移っていくんだ。」

 「戦国時代ってどういう時代なの?」

 
     

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