『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「後小松天皇が北山に行幸してから数カ月後に、義満が急死することにより、足利家による皇室乗

っ取り計画は失敗に終わる。義満の死は公家の誰かによる暗殺ではないかという説がある。皇室や

公家たちは、天皇家の父系の血統が絶えてしまうことに絶対に反対であっただろうからね。私もその

説が事実ではなかったかと思っている。

 そして、義満の息子の四代将軍・義持(よしもち)は父の強引なやり方に反発していたので、義満の

死後は有力守護大名たちとの協調路線を進むことになる。朝廷から義満に与えられた『鹿苑院太上

法王』という尊号も辞退しているし、日明貿易もやめてしまい、それを再開したのは、六代将軍・義教

(よしのり)なんだ。」

 「義教って、籤引(くじびき)で将軍に選ばれた人なんでしょ。どうして籤引なんかで選ぶことになっ

たの?」

 「義持は息子の義量(よしかず)に将軍位を譲っていたんだけれども、義量がすぐに亡くなってしま

い、自分も危篤状態になってしまった。」

 「義持に他に息子はいなかったの?」

 「息子はいなかったけれども、弟が四人いたんだ。ただ、父の義満によって、後継者争いを避ける

ために四人とも出家させられていた。彼らの誰かを還俗させて将軍位に就けようとしたんだけれど

も、誰を指名しても、有力守護大名が他の者を擁立して後継者争いになることは目に見えていた。だ

から、義持は宿老会議に後継者選びを丸投げしたというわけだよ。」

 「宿老会議のメンバーたちにとっても、それは同じ事だよね。」

 「そうなんだ。だから、神に選んでもらおうということになった。籤には神の意思が宿るという考えな

んだ。こうして義教が籤で選ばれた。義教は神によって選ばれた将軍ということで強権を振るうように

なる。」

 「将軍になるまで僧だった人だよね。政治の経験もないのに、どうやって強権を振るおうとした

の?」

 
     

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