『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「自分が天皇になろうとしたわけではないけれども、天皇家を乗っ取ろうとしたらしい。
義満の母親と後円融(ごえんゆう)天皇の母親は実の姉妹だった。だから、義満は母系で後円融天
皇とはいとこの関係にあった。でも、天皇位は父系で継承されるので、義満は天皇になることはでき
なかった。
そして、後円融の息子の後小松(ごこまつ)が天皇になると、南北朝の合体を成功させ、さらに、後
小松の母親が亡くなると、権力と経済力に物を言わせて、義満の妻を後小松の准母とし、自分は天
皇の准父となる。
その後、義満は相国寺(しょうこくじ)の落慶法要に後小松天皇を招待し、天皇と並んで座るなど自
分がいかにも天皇の父でもあるかのような振る舞いをする。その相国寺の舎利殿が鹿苑寺(ろくおん
じ)、いわゆる、金閣寺なんだ。当時はその舎利殿と空中廊下で結ばれた迎賓館があり、近くには
110メートルほどもあった七重の塔もあって、義満はその地・北山を新都心にしようと考えていたらし
い。
そして、義満の息子の義嗣(よしつぐ)の元服を内裏にて立太子の礼で実施する。義嗣を後小松の
次の天皇にし、自分が天皇の父として上皇の立場に立ち、権力だけでなく権威も手中に収め、支配
を絶対的なものにしようと考えていたのだと思う。」
「それがどうして失敗したの?」
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