『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「日本が中国と正式な国交を結び、中国の属国として華夷秩序の冊封体制に組み込まれたのは、
義満の前は、前方後円墳の時代の倭の五王の時代までさかのぼるんだ。そして、皇室や公家たち
は、屈辱的な国交である朝貢貿易には反対だった。」
「皇室や公家たちの反対にもかかわらず、どうして義満は明との貿易にこだわったの?」
「義満は将軍の権力を絶対的なものにしようと考えていた。ところが、初代将軍の尊氏はあまり権
力欲・所有欲のない人で、戦いに功績のあった武士たちに惜しげもなく領土を与えたので、足利家自
体はあまり広大な領土を所有するということはなかった。
そこで、室町幕府は、金融業者にかけた税金や関所からの通行税、港に入る船に賦課した入港税
などを重視した、いわば金権政府だった。でも、権力を絶対的なものにしようとすると、それだけでは
足りなかった。
明との朝貢貿易は莫大な利益をもたらすことになるので、義満はどうしても明との貿易を実現した
かったんだ。」
「明との朝貢貿易は、どうしてそんなに莫大な利益をもたらすことになるの?」
「明は海禁政策を採っていて、鎖国状態だった。そして朝貢してくる周辺諸国に対しては、臣下の礼
をとらせる代わりに、貢ぎ物の3~5倍のお返しをしていた。日本からは銅や硫黄などの貢ぎ物が中
国に、そしてそのお返しは主に銅銭だったので、義満は莫大な金額の銅銭を手に入れることができ
たんだ。」
「権力と経済力を手に入れた義満は、天皇になろうとしたって、ほんとなの?」
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