『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「義満のお父さん・二代将軍足利義詮(よしあきら)が亡くなって、義満が将軍位に着いたとき、まだ

11歳だった。そこで、しばらくは管領の細川頼之(ほそかわよりゆき)の補佐を受けることになる。多

分その頃は、頼之のやることを観察しながら、自分だったらこうやるということを考えていたんだと思

う。

 義満23歳の時に頼之が失脚し管領を罷免されると、義満は将軍独裁を開始する。まず、奉公衆と

呼ばれる将軍直属軍を創設し、有力な守護大名の勢力削減に取りかかる。

 11カ国の守護を務めており、六分の一衆と呼ばれた山名家(やまなけ)の家督争いに介入して山名

氏清(やまなうじきよ)を討ち、山名家の勢力削減に成功する。そして、力を付けた義満は、南朝方が

三種の神器を北朝の後小松(ごこまつ)天皇に譲り渡せば、また両統迭立(りょうとうてつりつ)を始め

ると約束することにより、南北朝合体に成功したんだ。」

 「義満はその約束を守ったの?」

 「約束は反故にされ、その後は北朝の天皇が続くことになる。」

 「義満って、中国との朝貢貿易を行った人だよね。朝貢するってことは、中国の冊封体制に組み込

まれるってことで、中国の属国になることなんでしょ。義満はなぜそんなことをしたの?」

 
     

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