『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「尊氏は後醍醐天皇に反旗を翻したけれども、個人的には後醍醐大好き人間だったようなんだ。尊

氏はもともと、高氏という名前だったが、後醍醐天皇の名前・尊治(たかはる)の一字をもらい尊氏と

名乗るようになった。後醍醐天皇に背くようになっても、尊氏という名前は変えなかった。そして、その

頃尊氏は、後醍醐天皇に背いたことを悔やんで仏教にはまり込み、ほぼ隠居状態にあった。

 そのようなとき、直義派が南朝方と結び、その勢力が容易ならざるものとなったので、尊氏は自ら

出陣した。しかし、勢いのある直義勢に敗北し、直義と和議を結んだ。その結果、高師直が排除され

てしまう。

 ところが、直義の政治は執権政治を理想とするもので、朝廷や公家たちの権益を保護する一面を持

っていた。それは、この時代になると武士たちには受け入れられなかった。逆に、武士たちの支持を

受けた尊氏は、直義と南朝の分断を図るために南朝と和議を結んで直義を打倒し、室町幕府の一本

化に成功した。

 こういったことで、南朝は、1339年(延元4年)に後醍醐天皇が亡くなってからも、その正統性を主張

しながら、1392年(元中9年)に三代将軍・義満(よしみつ)が南北朝の合体に成功するまで存続する

ことになる。」

 「義満はどうやって南北朝の合体に成功したの?」

 
     

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