『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「建武政権崩壊後、尊氏は持明院統(じみょういんとう)の光明(こうみょう)天皇を擁立し、後醍醐

天皇を京都に幽閉した。ところが彼は京都を脱出し吉野に入り、こちらこそ正統な天皇であると主張

した。この時点では、吉野の勢力は幕府を脅かすようなものではなかった。そうしたところ、幕府に内

紛が生じ、南朝が勢力を持ち出した。これが、南北朝の動乱が長引いた主な原因なんだ。」

 「どうして、内紛が生じたの?」

 「尊氏は、征夷大将軍にはなったけれども、政務は実務派の弟・直義(ただよし)にまかせたんだ。

直義は実直な人だったようで、鎌倉時代の執権政治を理想とし、その頃の秩序を取り戻そうとした。

一方、足利氏の執事だった高師直(こうのもろなお)は武闘派で、婆娑羅(ばさら)大名の代表的人物

なんだ。」

 「婆娑羅って何なの?」

 「バサラとは、サンスクリット語でダイタモンドという意味なんだ。ダイヤモンドのような硬さで常識を

打ち破るイメージで、朝廷や公家たちの権威を否定し、当時の秩序を軽んじた大名たちが婆娑羅大

名と呼ばれた。彼らは、公家たちに乱暴狼藉を働いたり、女性関係においても秩序を破壊するような

行動を取っていた。

 直義はそれが許せなかったんだね。秩序を取り戻すために師直を排除しようとしたところ、逆に師

直に軍事的に追い詰められてしまった。そこで、直義は南朝と手を結ぶことにした。それによって南

朝は息を吹き返し、直義は師直排除に成功する。」

 「その時、尊氏はどういう行動を取ったの?」

 
     

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