かつて、ある友人が「皮膚のきれいな奴は信用できない。」と言っていたのを思い出した。人間は、特定の文化を持つ社会に生れ落ち
、その社会で生きていくしかない。本能を失った人間は、その社会の文化を学習することにより人間としての生き方を身に着けて生きて
いくわけである。その文化に疑問を持つことなく、その社会の「いい子」として生きていく生き方は、最もストレスのかからない生き方かも
しれない。肝臓などへの負担も少ないだろう。血液がドロドロになることもなく、皮膚も子供のようにきれいなままだろう。しかし、そのよう
な生き方をしている人は、周りに流されるだけで、自分の信念に従って、自分の判断で行動するということが少ないだろう。私の友人は、
「そんな奴は信用できない。」と言いたかったのだろうと思う。
思想を単なるファッションとして身に着けているだけの人は別として、自分なりの思想を身に付け、何らかの創造的な生き方をしようと
すれば、ストレスも多く、健康にも悪い。肝臓やその他の内臓に負担もかかるし、神経もすり減らすことになる。しかし、私はあえて、その
不健康な生き方をしたい。不健康を引き受けても、歴史に創造的な一頁を付け加えたいと思うからである。それが微々たるもので、社会
から評価されなくてもよい。そういう生き方が私の好みだからである。
私はキリスト教の信者ではないし、その他の神や仏を信じている者でもないが、パウロの次の言葉には、共感する。
「あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走
りなさい。しかし、すべて競技をする者は、何事にも節制する。」(コリント人への第一の手紙 9.24-25)
不健康な生き方であるので、なおさら、節制して健康に気をつけなくてはならないのだ。私はレシチンは、もう20年来飲み続けてきた。
心筋梗塞の手術の後、他の冠動脈が調子がよいのはそのお蔭かもしれない。最近はカスピ海ヨーグルトと青汁と黒酢も始めた。肝機能
もよくなり、尿酸値や血糖値もよくなってきた。ところが、昨日、急性の五十肩になってしまった。五十肩がこんなに痛いものだとは知らな
かった。じっとしててもかなり痛い。動かすと激痛が走る。今日、整形外科医院に行き、肩の関節のところに注射をしてもらった。少しは
よくなって、こうして右手だけでキーボードをたたいているわけだが、健康を保つためには適度の運動が大切であることを改めて思い知
った。最近は寒いせいもあって、ウオーキングや体操をサボっていたのだ。やはり、自分に厳しく節制していかなければならないと思った
。
(2007/1/12)
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