人間の「心」は,形である。人間関係を中心に形成されていった,その人なりの,周囲との関係の仕方の習慣化された形である。その

中の自覚されている部分を「自己」,自覚されていない部分を「非自己」と呼ぶことにしよう。人間は乳幼児期の頃,母親などの自分にと

っての重要人物との関係を通して,基本的な「心」の形を形成していく。「心」は,関係によって作られたものなので,大人になっても,関

係を通して「自己」を確認していく必要が生じる。人間が孤独では生きていけない理由の一つがここにある。人間とは,連帯を必要とする

動物なのである。

 基本的には,伝統的な文化によって秩序付けられていた日本の社会が,崩壊しつつある。個人主義的な生き方が求められるようにな

ってきているので,やむを得ないことなのであろう。しかし,人間は無規範・無連帯の状態には耐えられない。何らかの,解決方法が求

められることになるであろう。一部の若者は,宗教団体に救いを求め,そこに新しい連帯の可能性を見いだそうとするだろう。また,一部

の若者は,無謬性を主張する思想団体へ加入することにより,救いを求めようとするだろう。また,一部の若者は,新しい連帯を恐れ,

引きこもりによってしか,「自己」を守り得ない状態に追い込まれるかもしれない。

 最悪の方法は,国家権力が,国民に特定の伝統文化を強制することによって,その問題を解決しようとすることである。それは,反動

以外のなにものでもない。世界の歴史の大きな流れである,「自由化」・「民主化」の流れに反する方法である。国家がそのような全体主

義的な方法によって解決しようとするなら,我々国民は,断固,抵抗していくべきである。

 それでは,どのような解決方法が考えられるであろうか。それはまず,我々の基本的な「心」の形成は,人間関係を通して,「既存の文

化」を学習していくことによって成されたものであることを自覚することから出発すべきである。「非自己」もできるだけ意識に浮かびあが

らせ,そこから,どのような「自己」の形成が可能か,その可能性の中から,方向性を自分の責任においてそれぞれが選択し,種々の場

所に置いて,連帯の関係(自分の居場所)を形成していく努力が,必要とされるであろう。(2001/1/6)


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