縄文時代は、現在よりもかなり気温が高かったらしい。関東地方では、内陸の方に貝塚がたくさん見
つかっている。それだけ海水面が高く、内陸まで海水が入り込んでいた。三内丸山遺跡は、現在、海岸
よりずっと離れているが、多分、当時は海岸の近くにあったに違いない。現在見つかっている縄文遺跡
のほとんどは、現在は丘の上にある。
そのように気温が高く、したがって、木の実がよく生育し、それを食べる中小の動物も多かったと思
う。魚や貝も豊富で、縄文人は自然環境に恵まれていた。しかも、島国であったので、異民族に侵略さ
れる恐れもなかった。そのような恵まれた環境で、狩猟採集をしながら、定住生活を営むことが出来た。
竪穴住居などの遺跡から、集落においては平等な生活を営んでいたらしいことが窺われる。また、広範
囲な交易が行われていたということが確認されている。そこから、各集落が争うことなく生活していたと
思われる。
発見された縄文人の人骨から、かなりの人が60代まで生存していたことが分かっている。しかし、当
時は、乳幼児の死亡率が高かったらしく、人口が増え続けるということはなかった。縄文中期において
も、列島全域で人口は20万人ぐらいであったらしい。そのくらいの人口であれば、争うことなく、豊富な
食糧を入手することが出来たであろう。
だが、現在のような人口では、江戸時代に戻ることすら不可能である。しかし、縄文人の自然と共に
生きる心優しい精神は、環境破壊が著しい現代において、我々現代人が学ぶべき精神であると思う。
(2021/10/21)-15-