☆ 二度生まれの男・パウロ物語


  これまで,方法論的な話をしてきましたので,このへんで,個人と社会との間の,弁証法的な相互関係のダイナミクスについて,歴史

的な実例をあげ,検証してみましょう。

 その実例として,原始キリスト教時代の使徒の一人であるパウロという人物を取り上げ,見ていくことにします。パウロは,キリスト教徒

になる前,
熱心なユダヤ教徒でした。そして彼は,当時,ユダヤ教の異端として迫害されていたキリスト教徒たち(ユダヤ教キリスト派と

言った方が正確でしょう)を「見つけ次第,男女の別なく縛りあげて,エルサレムにひっぱって」こようと,「脅迫,殺害の息をはずませな

がら」迫害の途上にありました。ところが彼は,その途上で突然に
キリスト教徒翻身し,その後,キリスト教をローマ帝国内に伝道して

いく中心的人物になっていくのです。

 何故パウロ翻身したのでしょうか?彼の精神の内部に何が起こったのでしょうか?そして何故彼は,社会に対して大きな影響を与

えることができたのでしょうか?これらの疑問を解くために,
パウロの一生を誕生の時からローマにおいて没するまで,できるかぎりの推

測と追体験をしていきましょう。

 

 パウロが生まれたのは,ナザレのイエスが生まれてから何年かが過ぎた頃とされていますので,だいたい西暦紀元元年頃のことでしょ

う。パウロという名前はギリシア名です。パウロの家族はユダヤ人でしたが,パレスチナを離れて生活していた,いわゆる
ディアスポラ(

離散)のユダヤ人
であり,ローマの属州キリキアの首都であったタルソという都市に住んでいました。タルソに住むユダヤ人の多くは,ロ

ーマの市民権を有し,日常語としてギリシア語を話していました。パレスチナに住むユダヤ人たちも,聖書の言葉であるヘブル語は使わ

なくなっており,日常的にはアラム語を話していました。
ディアスポラのユダヤ人は,普通,ギリシア名とともにアラム語のユダヤ名を持っ

ており,パウロのユダヤ名は
サウロといいました。

 タルソという都市は,当時は陸と海との交通の要衝であり,経済も繁栄をきわめ,ヘレニズム文化の一つの中心地でもありました。ま

た,当時の学問的水準においても,他の優れた諸都市に決して劣らないものを持っていました。そのようなヘレニズム文化の社会の中

で,ユダヤ人たちは,一方では,ローマ市民権を与えられた市民としてヘレニズム文化に適応し,政治や経済の面でヘレニズム文化に

同化していました。他方では,ユダヤ教の伝統を失うことなく,都市社会に対して自らを
宗教的に遮断し,どの民族よりも頑なに,自己の

信仰と,ユダヤ教を中核とした民族的統一体を維持しようと努めていました。

 パウロは,そのような異郷の地に住むディアスポラのユダヤ人の家庭に生まれたのです。人間は,生まれる時代や場所,父母を選択

することはできません。それらは,人間にとって,宿命的なものです。人間は常に,偶然に,ある所与の社会,ある所与の文化の中に生

まれるのです。パウロは,紀元元年頃,彼の宿命として,
ディアスポラのユダヤ人の父母の間に生まれました。そのことが,パウロの

に大きな影響を与えたのではないかと思われます。

 パウロは,ユダヤ人の家庭に生まれることにより,生の多様性の中から,ユダヤ教徒としてのアイデンティティの形成という方向性を宿

命的に与えられたのです。生後八日目に,それを象徴する
割礼の儀式が行われたことと思います。ユダヤ人にとって,ヤハウェという神

の存在は,
自明の現実であり,割礼は,その神によって選ばれた,神との契約の民であるイスラエルへの加入を意味していました。また

,それは,ユダヤ人社会への加入を意味する契約の印でもありました。こうしてパウロは,ユダヤ人としての文化を内面化しており,しか

も,政治・経済の面ではヘレニズム文化に適応しながら生活している父母に育てられながら成長していくことになります。   

 

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