さて,話題を少し変えて,人間の意識について考えてみましょう。
人間が意識を働かせているとき,その意識は,常に何らかの対象に向けての意識です。つまり,意識は常に志向的なものです。そして
,人間はすべての事象に意識を向けることはとうていできません。選択的に意識を働かせています。人間は赤ちゃんの頃から,そのよう
な選択的な意識の働かせ方を習慣化していき,それが内面に沈殿し,無自覚的なものになっています。現象学者のアルフレッド=シュッツは,内面化されたそのような意識のあり方を,有意性構造(レリヴァンス・ストラクチュア)と呼んでい
ます。有意性構造は,文化を異にするそれぞれの民族によって,かなり異なっています。例えば,日本文化においては,降雨という自然現象
に対して,非常に繊細な有意性構造を持っていますし,モンゴル高原の遊牧民族の文化では,馬に関して,多彩な有意性構造を持って
います。
そのような各民族の文化が持つ有意性構造の基本的な部分が,感情移入の絆を通した母子の相互作用によって,赤ちゃ
んのときから伝達されていきます。つまり,何をどのように見るか,何をどのように聞くか,何をどのように感じるか,というようなことが
定型化されていくのです。定型化されることにより,脳の情報処理作業がショートカット化されます。そして,人間は,言葉を学習していく
ことにより,それまでの有意性構造に加えて,周囲の環境を言葉によって対象化し,秩序づけていきます。したがって,人間は,自然現
象・社会現象を言葉によって,選択的・定型的に把握し,そのようにして自分の脳によって構成した世界を客観的な現実と信じ,その自
分の世界に自分自身を位置づけて生活していると言えましょう。このような意味では,人間の世界観は幻想であるといっても間違いでは
ないと思います。ただし,私的幻想は社会の共同幻想を通して形成されていくので,その社会の構成員達が,それを自明の現実と信じ
合うことはあっても,幻想であるという自覚は生じにくいことでしょう。さて,「言葉によって構成された世界」ということに関して,ダニの環境世界と比較しながら,もう少し考えてみましょう。枝先にぶら下が
ったダニは,酪酸の匂いを捕らえるべく,嗅覚だけを働かせています。視覚的な世界も聴覚的な世界もありません。そのような,ダニが
把握している世界を,人間は何とみすぼらしい世界であることかと感じるでしょう。しかし,人間が自然現象をすべて把握し,ダニはその
内のほんの一部しか把握していないというわけではありません。ダニも人間も,それぞれの生への関与性にしたがって,つまり自分が生
きるために,自分の周りの現象をそれぞれの方法で分節し,浮かび上がらせて識別している,ということに変わりはないのです。ダニの
世界も人間の世界も,生きるために森羅万象をそれぞれの感覚器官を通して分節し,浮かび上がらせた環境世界であるという点では,
そう大した違いはないということです。(ソシュール研究者の丸山圭三郎氏はその世界を「身(み)分け構造」と呼んでいます。)ただ,人
間は言語を持った故に,「身分け」によって分節するだけではなく,「言語」によって諸現象を分節するようになり,その「言語」によって
分節され,秩序づけられた世界が,「身分け構造」そのものを覆い尽くし侵食してしまったのです。例えば,動物は本能によって,食べる
ものとそうでないものを「身分け」ていますが,人間は,「言語」によって食べられるものと食べられないものに分節しており,人間は動物
のようには「身分け」ることができなくなってしまったということです。しかも,言語によって,生への関与性の範囲が「いま・ここ」を超えて
しまったのです。(丸山氏は,その世界を「言(こと)分け構造」と呼び,人間は「身分け構造」と「言分け構造」の二重分節の世界に生き
ていると説明しています。) 人間の世界は言語によって秩序づけられ,そして言語によって,未来へも過去へも遠い彼方へも飛翔しま
す。また,言語によってイメージをふくらませ,存在しないものを創作することも可能になったのです。そのような意味では,ダニの世界と
人間の世界は全く違うと言ってもよいでしょう。ダニの世界は,人間の目から見るとみすぼらしい世界です。しかし,そのことが逆に,動物めがけて落下し,その血を吸い,自分の遺
伝子を残すという,そのダニの種としての生存の確実性を増しているわけです。ダニは自然の中で,本能によって自然と密着して生きて
います。人間は本能を失った代わりに,飛躍的に脳を発達させましたが,すべてに感覚を働かせ,周囲のあらゆる情報を取り入れ,す
べての行動をいちいち決断的に選択していたのでは,たちまち脳は故障してしまいます。自分が所属する社会の有意性構造を内面化し
,その社会の世界観(共同幻想)を通して自分の世界観を形成し,同時に,その社会の生活の仕方を内面化しつつ,自分の行動の仕方
を習慣化していきます。こうして人間の性格が形成されていきます。したがって,性格による行動とは,無自覚的な世界観の中で,無自
覚的に選択しつつ行う行動ということになります。動物行動学者の日高敏隆氏は,そのような行動の仕方を代理本能による行動と呼ん
でいます。したがって,より豊かに生きていくためには,まず,無自覚的に内面化しているものを,できるだけ自覚しておくことから始めるべきでし
ょう。それは,ある意味で,本能を失った人間という動物の,不安定さの自覚でもあります。私たちは,目くるめくような生の多様性・無根
拠性・偶然性に直面して,不安な気持ちに囚われるでしょう。しかし,私たちは,その不安ゆえに自分の世界を閉じてしまうのではなく,
その不安を人間であることの宿命として引き受け,自分の世界をオープンにしておく覚悟が必要です。それが,自分の人生をより豊かに
,より楽しく生きていくための出発点であるからです。また,現今,少年による凶悪事件等が多発していますが,その出発点は,それらの
社会問題を解決していく糸口にもなるだろうと思われます。
-5-