ここで再び,翻身後のパウロに戻りましょう。翻身後の行動について,パウロは次のように言っています。

 「ところが,母の胎内にある時からわたしを聖別し,み恵みをもってわたしをお召しになったかたが,異邦人の間に宣べ伝えさせるため

に,御子をわたしの内に啓示して下さった時,わたしは直ちに,血肉に相談もせず,また先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上

らず,アラビヤに出て行った。それから再びダマスコに帰った。その後三年たってから,わたしはケパをたずねてエルサレムに上り,彼

のもとに十五日間,滞在した。しかし,主の兄弟ヤコブ以外には,ほかのどの使徒にも会わなかった。」(「ガラテヤ人への手紙」

1:15-19)

 ダマスコ途上で,イエスとの遭遇という原体験をもったパウロは,それ以前のパリサイ派ユダヤ教徒としてのアイデンティティが崩壊し

てしまい,「
イエスこそキリストである」というクレドーを形成したものの,彼の精神は混乱状態にあったに違いありません。アラビヤに出

て行ったのは,一人になり,ダマスコ途上での体験の意味を,「イエスこそキリストである」というクレドーに基づいて深く考え,彼の世界

観・彼の新しいアイデンティティ再構築のためのオリエンテーションを打ち立てるためだったのでしょう。

 「イエスをキリストと信じる者」という新しいアイデンティティを獲得したパウロは,ダマスコ(ダマスクス)に行きました。「使徒行伝」では,

アナニヤというキリスト教徒がパウロを出迎えたと記述しています。そして,パウロはアナニヤと会うと,目からうろこのようなものが落ち

て,元どおり見えるようになった,と書いてあります。これは,多分,次のようなことを意味しているのでしょう。

 前述したように,人間の知覚は,他の動物も含めて,全て意味現象の知覚です。そしてその意味現象は記憶され,無自覚的なものに

なり,ものを見るときは,記憶された意味現象を経由してものを見るということになります。したがって,パリサイ派ユダヤ教徒としてのア

イデンティティ及び世界観が崩壊してしまったパウロにとって,それまでの記憶された意味現象は役に立たないものになってしまい,知覚

が混乱し,見てはいるが見えない状態になっていたのでしょう。

 しかし,キリスト教徒としてのアイデンティティを形成していたアナニヤに会うことにより,相互にアイデンティフィケーション(現認)が行

われ,全くの孤独の内に再象徴化を進めていたパウロが,社会性を獲得したのです。ここにおいて,パウロが形成した主観的意味が,

アナニヤとの関係において社会的事実となり,客観的事実性を獲得したのです。そして,諸現象を新しい意味現象として切り取り,分節

化して秩序づけることが出来るようになり,目からうろこが落ちたように,ものが見えるようになったのでしょう。

              

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