パウロは,今はもう「終末の時」に突入し,キリストの再臨が近いという緊迫した歴史意識を持っていました。しかも,その歴史意識は
ユダヤ人だけのものではなく,「罪の下にある」者として全人類を一括することにより,全人類の歴史意識となっていました。そのような歴史意識を持ち,パウロは,古代社会の準拠枠を突破(break through)していきます。それでは,古代社会の準拠枠を突
破するとは,どのようなことだったのでしょうか。それは,マックス=ウェーバーの言葉を借りれば,「呪術の園」からの突破です。つまり,伝統主義的行動様式からの突破です。前述し
たように,人間は基本的には「代理本能」によって行動しています。「私はマルクス主義者である」「私はキリスト教徒である」「私はポスト
構造主義者である」などと,本人が思っていても,ほんとうのところ,その人の行動を決めているものは,「代理本能」であることが多いの
です。現代人が自分の思想であると思っているものが,その多くが,実は着せ替え可能な単なるファッションに過ぎない,ということです。
ましてや,古代人にとっては,昨日あったことは今日もあり明日もあることは自明のことであり,そのような円環的時間意識のもとに,王
や貴族でさえ,伝統的な生活様式に縛られた生活を送っていました。その社会の世界観や伝統的な生活様式というものは,あくまで人
間が作ったものなのですが,人間の手から離れ,物象化された動かし得ないものとして立ち現れていたのです。それを,マックス=ウェー
バーは「呪術の園」と呼びました。「呪術の園」での生活は,古代だけではなく,近代以前の社会全てにおける生活です。つまり,「呪術の
園」を突破することなく「近代」はないのです。そして,その「呪術の園」を突破し,近代人の先駆けとなった人物がパウロだったのです。
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