神との新しいかかわり合いのあり方をみていく前に,パウロが翻身以前にキリスト教徒から聞いていたメッセージとはどのようなもので
あったか,確認しておきましょう。「新約聖書」の一編である「コリント人への第一の手紙」第15章3節〜5節に,パウロはそのメッセージについて述べています。
「私が最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは,わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが,聖書に書いてあるとおり
,わたしたちの罪のために死んだこと,そして葬られたこと,聖書に書いてあるとおり,三日目によみがえったこと,ケパに現れ,次に,
十二人に現れたことである。」パウロは,彼の原体験によって,そのメッセージが真実であると確信したのです。
それでは,神との新しいかかわり合いのあり方とは,どのようなものであったのでしょうか。パウロが,切実に希求していたものは,「神
に対して平和を得ている」関係でした。言い換えれば,「神によって義とされる」関係です。「イエスこそキリストである」というクレドーを形
成したパウロは,律法主義的な努力によって,神からの承認を得ようとする方向性を全面的に放棄したのです。「すべての人は罪を犯したため,神の栄光を受けられなくなっており,キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。」(「
ローマ人への手紙」3:23−24)「人の義とされるのは律法の行いによるのではなく,ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて,わたしたちもキリスト・イエス
を信じたのである。それは,律法の行いによるのではなく,キリストを信じる信仰によって義とされるためである。」(「ガラテヤ人への手
紙」2:16)変わったのは,パウロのアイデンティティだけではありませんでした。パウロの神観念も変わったのです。彼がかかわり合いを持ってい
る神の性格も変わったということです。キリスト教徒パウロにとって,神は,律法違反を罰する恐ろしい怒りの神ではなく,罪人であるす
べての人間の贖いのために,自分の子を死に渡された愛の神に変わりました。「まだ罪人であった時,わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって,神は私たちに対する愛を示されたのである。」(「ロ
ーマ人への手紙」5:8)新しいクレドーを形成した,キリスト教徒パウロのアイデンティティは,イエス・キリストによって示された,罪人に対する神の一方的なる
恵みを,ただ幼な子のような信頼を持って受け入れ,それによって「義とされた」者,「神に対して平和を得ている」者として位置づけられ
ました。パウロは,この新しい立場に立ち,そこからいっさいの事象を意味づけ,彼自身の世界観を再構築していきます。そして,その世
界観に立ったパウロが,古代社会の準拠枠を突破(break through)し,近代人の先駆けとなるのです。また,そこに,近代を突破し,近
代社会を超克していくためのヒントが隠されています。これから,それらのことを,明らかにしていきましょう。
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