この,イエスとの遭遇という体験は,パウロの<自己組織(self system)>を破壊してしまいました。パウロの翻身についての「使徒行

伝」の記述は,回心についての当時の類型的な表象にしたがったものでしょう。しかし,パウロが,「ガラテヤ人への手紙」において,神

が直接「御子をわたしの内に啓示してくださった」と述べていることは,彼の体験としては,真実であったに違いありません。

 このイエスとの遭遇という体験により,パウロのユダヤ教徒としての<自己組織>は,彼の世界と共に崩壊してしまいました。「使徒行

伝」の「三日間,目が見えなかった」という記述は,ある程度の真実を表していると思います。人間は,言語によって,自然現象・社会現

象を選択的・定型的に分節しています。そして,そのようにして浮かび上がらせ,無自覚的に構成した
自分の世界が,自分の外に客観

的に存在すると信じて生活しています。したがって,自分の世界が崩壊してしまうと,しばらくの間,自分の視神経に飛び込んでくる刺激

を秩序づけることができずに,見てはいるが意味あるものとしては見えない,(動物の環境世界も人間の世界も,すべてが意味現象とし

て捉えられた世界です)という状態が現出するのではないかと思われます。

 いずれにせよ,イエスとの遭遇という体験は,パウロの<自己組織>を崩壊させると共に,原体験として,「イエスこそキリストである」

という
クレドー(思想の核となる信念)を形成させました。パウロは,このクレドーを核にして,<再象徴化>(諸現象の再分節化,世界

観・人生観・自然観・社会観・歴史観などの再構築)を図っていくのです。(原体験やクレドーの概念を含む文化社会学の方法論について

は,佐々木斐夫氏にその多くを負っています)

 しかし,パウロの<自己組織>の崩壊は,徹底したものではありませんでした。彼の<自己>にとって最も重要な存在であった,ヤハ

ウェ
そのものは否定されていません。(このことと,キリスト教徒の集団が既に存在していたということが,パウロが正気を保ち得た理由

であろうと思います) ヤハウェの存在如何が問題になったのではなく,ヤハウェとの
関係のあり方が更新されたのです。「イエスこそ

リスト
である」というクレドーを核にして,ヤハウェとの関係の在り方を更新し,イエスをキリストと信じる者」という新しい自己>を形

成していったのです。そして,その
クレドーを核にしたパウロの思想は,ローマ帝国内の人々に大きな影響を与えていきます。そしてまた

,ルターやカルヴァンらを通じて,近代社会の形成にも,大きな影響を与えていくことになったです。

   

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