
9
さて、入院生活もいよいよ終わりに近付いて参りました。
このM病院は、2人目以降のお産で健康状態に特に問題の無いお母さんの場合、
希望すれば退院を一日早くしてもらえます。これを私達産婦は「5日目退院」と呼んでいました。
ムスコのことが気になっていたので、私も5日目退院をすることにしましたよ。
赤ちゃんの沐浴指導はムスコで受けていたのでパス(←だいたい母が楽しみにしていましたし)。
ミルク指導には出ましたね(←サンプルをもらえるから)。
そして退院前の診察です。
処置室に入り診察台に上がりながら、ムスコのときの悪夢を思い出していました。
(あの時のコトを思えば今回はラクだったなぁ。だってもう、ほとんど普通に座れるもんなぁ。
前は痛くて痛くて椅子に座るなんてできなかったもん。)
今回のお産でお世話になったE先生が診てくれています。と、
「宝塚さん、ここ、痛くない?」
ぎっくーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
そう、たしかに今先生がつついてるそこは、昨日あたりからトイレで触るたびに痛かったんです。
会陰のちょっと横の辺りです。
でも前みたいに腫れ上がっていないし、だまってれば痛くもなんともないので
「ちょっとこすっちゃったかな?」くらいしか思ってなかったんですが‥‥‥‥。
まさかまた前みたいに血腫になりかけてるのか?自覚症状が無かっただけなのか?
もう半分泣きたいくらいの気持ちで答えました。
「‥‥‥はい‥‥‥ちょっと‥‥痛い‥‥‥です‥‥‥。」
「そうでしょー、あのさー、毛嚢炎起こしてるもの。」
「毛嚢炎?」
「うん、毛穴に雑菌が入ってさー、化膿してるんだよ。にきびが化膿したみたいに。
どうする?このままでもじきに吸収されちゃうとは思うけど、開いておこうか?」
なんて答えようか迷っていると、一緒に見ていた看護婦さんが言いました。
「つぶしちゃった方がいいよ。その方が早いよ。」
「‥‥‥‥はぁ‥‥‥‥、それじゃ、お願いします‥‥‥。」
と私が答えているうちにピピッと消毒して、
「はい、じゃ、やっときます。」と(嬉しそうに)言いながら、処置を始めました。
処置と言っても要は化膿したにきびを潰すような感じなんですが、場所が場所だけにこれが結構痛いんですよ。
例えて言うなら前回の血腫の処置がナイフがお腹に刺さったようなものならば(ホントに刺さった事は無いんですが)、
今回のはお裁縫の針が指先にジカッと刺さったような、そんな痛み‥‥‥‥‥。
分かりにくかったですか?分かりにくかったですね?はい。
痛いのでつい身をよじったら、「ごめんなさいねー、やり方が荒っぽくて。」とE先生が言いました。
(なんだよー、分かってるんならもっと優しくやってくれよー。)と思いつつ、
「いえいえ‥‥‥‥大丈夫ですよ‥‥‥‥。」と心とは裏腹な事を言う私。
などと言っているうちに切開と排膿も終わって、化膿止めを塗って終わり。
あー、やっぱり前回よりはうんとマシですね。よかったよかった。
退院の準備をしながら、ムスコの退院前に助産婦さんが言っていた事を思い出していました。
同じ日に退院する産婦を集めて、退院後の注意や一ヶ月検診の受け方を話してくれたんですが、
「皆さんは入院中はおっぱいしかあげていませんが、退院すればおむつの交換や沐浴など、他にもたくさんする事があります。
特に最初おむつを交換する時は、びっくりする人も多いかもしれません。
男の赤ちゃんだと、オチンチンが黒い赤ちゃんもいます。
女の赤ちゃんだと、胎児の時のお母さんからのホルモンが体内に残っているせいで、
生理のような血性のおりものがある赤ちゃんもいます。
でも病気ではありませんからね。少し経てば落ち着いてきます。」
なるほどそういうものなのかと思いつつ退院前に初めて自分でムスコのおむつを換えた時に、
あー、助産婦さんはムスコの事を言っていたんだな、と思ったものでした。
そうして5月の終わりに親子揃って退院し、既にダンナも来ていた実家に帰る事ができたのでした。
これでムスメ編はおしまいです。ご愛読ありがとうござ‥‥‥‥、
え?‥‥‥‥なんですか?‥‥‥‥
「痛くない」!?
前のは読んでるだけでホントに痛かったのに、今度のはあんまり痛く無いじゃないか?
いや、だって2人目なんですから、そりゃーちょっとは慣れてるし、お産も早いし‥‥‥、‥‥は?‥‥‥‥
痛くなるのを楽しみにしてたのに、ひどいじゃないか、期待外れもいいトコだ!?
え〜〜〜〜〜〜〜〜、だあぁってええぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜、しょうがないじゃないですか〜〜〜〜〜。
う〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん、‥‥‥‥じゃぁ、こういう話はどうでしょう。
私は15歳(中学3年)の秋に、「椎間板ヘルニア」が発病しました(←ぎっくり腰じゃないですよ)。
当時は今程この病気の事を医者を含めて誰も分かっておらず、周りの無理解もあったせいで、初期の治療が大幅に遅れました。
しかも今では「御法度」な急盛期の体育の授業も、痛みをこらえて受けていました。
おかげで発病以来21年間、意識のある間は常に腰から両爪先にかけて痛みと痺れがあります。
痛みを感じなかった事は、ただの一瞬たりともありません。
これがムスメのお産の後、退院後1週間程してからかなり悪化しました。
実家にいたのに、いえ、だからこそでしょうか、心配をかけたくなかったので、安静に出来ませんでした。
とにかく立てないしまともに歩けないし、寝ている事すら出来なかったんです。
歩くとまっすぐ前に出したはずの足が斜め前に出るので、骨盤が歪んでるんだろうなというのはすぐに解りました。
でも赤ちゃんの世話はしなきゃいけない、産後1ヶ月で仕事にも復帰しなきゃいけない、
新生児がいるのにバカみたいに混んでるM病院の整形外科になんか、行ける訳もない‥‥‥‥。
そんなこんなで、かなり無理をしていたのは事実です。
結局宝塚に戻ってから、近くの整形外科に入院するハメになりました。
現在は当時よりマシになって足もまっすぐ前に出るようになりましたが、骨盤はまだ歪んでいます。
以前のような無理もききません。
公園なんかで子どもと遊ぶことはほとんど出来なくなったので、子どもに悪いなぁと思います。
家の中もとっちらかってしまって、ダンナに悪いなぁとも思います。
でもこれはしょうがない事だと思ってもいます。
2度目の流産で、もう赤ちゃんを産む事は出来ないかもしれないと思ったと、前に書きましたね。
その1年後にムスメを授かって、どれだけ嬉しかったか。
そしてムスメが元気に生まれてきてくれて、どれだけありがたかったか。
ムスメと腰を交換したんだと思えば、この痛みもちょっとは意味のある事のように思えてくるんですよ。
お産とは直接関係ありませんが、この「痛い話」でひとつ勘弁してやって下さい。
では。
(2000/3/9)


