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さて、前回で私は「看護実習生が来る」と書きましたね。
この病院の近くにある県立T高校の衛生看護科から、
毎年大勢の看護実習生が、このM総合病院に実習に来るのです。
M市のみならず下北地方の高度医療を担う(といううたい文句の)大規模なこの病院で実習し、
卒業するとそのまま、あるいはさらなる勉強をした後、このM総合病院に就職する看護婦は決して少なくありません。
その実習生達が担当の看護婦さんに連れられて、患者に挨拶をするために病室に入ってきました。
おぉ、まだみんな17、8歳で、めんこいめんこい。
白衣といってもブルー系のワンピースの上に、白いエプロンをかけたような制服です。
おや?10人ほどの女子に混じって男子もいますね。
何年か前から「看護士」という職業も知られるようになってきたところです。
この衛生看護科でも男子を受け入れるようになったのでしょうか。
白い短かめの上着に白いズボン。りんごのほっぺがこれまためんこい。
後で聞いたところによると、T高校衛生看護科初の男子生徒とのことでした。
みんなで声をそろえて「よろしくお願いします!」っていうあたりが、まためんこいですね。
産科部長のO先生の回診です。看護婦さんと実習生が数人ついてきました。
この先生はムスコをお産した時に、出来た血腫を鬼のように絞り出してくれた先生です。
今回はお産までの数回の妊婦検診でお世話になっていて、眉間にいつもしわがあって仏頂面だけど笑うと可愛いくて、
そのギャップについこちらも笑ってしまうという、なんとも不思議な先生だという印象がありました。
O先生は「次は宝塚さんですね。それでは診てみましょうね。」
とベッドに寝たままの私に話しかけながら、病衣の前を開きました。
ついおとといまで大きな赤ちゃんが入っていたそこは、今は主人を失って急激に収縮する子宮のスピードについてゆけず、まるでふにゃふにゃのビール腹のようにたるんたるんと波打っていました。
それに反してまるで臨戦体制でもとっているかのように、ぷりぷり、つん、とした二つの乳房。
O先生は私のお腹に手を置きながら、
「ほらなぁ、妊婦さんというのはお産が済むとすぐにこんなふうに“お母さん”としての準備を体が始めるわけだなぁ。
すごいもんだなぁ。」と話しています。
ところがこれを私の顔を見ながら言ったので私に話しているのだと思い、「はぁ。」と返事をしてしまいました。
「ん!?」と言葉に詰まるO先生。
そこで初めて実習生に話しているのだと解り、「あ、私じゃありませんね。失礼しました。」などと言って、
実習生の緊張をほぐす手伝いをしたりなんかもしてしまいました。いや〜、まったく私ってヤツは。
実習生が「失礼します。」と言って、乳房の張り具合、子宮の戻り具合を触診します。
男子の実習生もいるのかなと思いましたが姿が見えません。どこにいるんでしょうね。
男子君は新生児室にいました。新生児室は授乳室の隣なので、授乳に行くと彼の姿も見えます。
白い短かめの上着に白いズボン、それに白い帽子をかぶって、
おむつを交換したりあやしたり、新生児の世話を一生懸命しています。
授乳室で一緒のお母さんが言いました。
「なんか看護士さんっていうより、あの格好はパン屋さんかなんかみたい。一生懸命でめんこいね。」
みんな肩をひくひくさせて笑いました。
バカにして笑ったんじゃありませんよ。
一生懸命な姿がかわいくて、つい強い調子で微笑んでしまったのです。
さて、授乳室で母親達がすることをご説明しましょう。
部屋に入ったら、まず石鹸で手をていねいに洗います。
これから大事な赤ちゃんを抱っこしておっぱいを飲ませるわけですからね。
不衛生にならないように気を付けなければいけません。
それが済むと部屋の中央を向いて置かれた長椅子にそれぞれ座って、乳房マッサージや乳頭マッサージを始めます。
これらのマッサージは妊娠中、安定期に入った頃から特に流早産などの心配がなければ、皆さんしてきていますよね。
あれと基本的には同じです。
一つ違うのは、赤ちゃんを産んだ今ではホルモンの関係で、母乳がどんどんできることです。
赤ちゃんはまだおっぱいを吸うのも上手くないですし、飲む量も大したことはありません。
そうすると乳汁がどんどんたまって、まだきちんと開いていない乳管が詰まってしまうことがあります。
出口がないのに乳汁がどんどんたまるせいで、乳腺が炎症を起こすこともあります。
そのせいで発熱するお母さんもいます。
こうならないようにマッサージはしっかりとやるようにしましょうね。
ただひとつ問題があります。
乳房が張ってしっかりしたマッサージが必要な人ほど、乳房が痛むんですよね。
痛むからきちんとマッサージできない、できないからたまった母乳が出にくいし赤ちゃんも飲みにくい、
飲み残した母乳のせいで、さらに張って痛むという、悪循環になってしまうのです。
この悪循環を断ち切るためのコツをお話しましょう。
まず自分の両手をじっとみつめます。そしてこう思いましょう。
「これは今から私の手じゃない。他人の手だ。」
十分にそう思ったら、所定の位置に両手を置いて深呼吸。ではマッサージ、いきますよ。はい!!!!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
‥‥‥どうですか?しっかりマッサージできましたか?痛かったですね。よくがんばりました。
「乳房マッサージは赤の他人じゃないとしっかりしたマッサージはできない。」と言われるゆえんは、
身内だとマッサージで痛がる姿に耐えられなくて、つい手加減してしまうからだと聞きます。
なるほど、そうしたものなのでしょうね。
私はこの時期は乳房はあまり張らなかったので、ほとんど痛むこともなく助かりました。
ところで乳房マッサージを「揉む」のだと勘違いしている人がいますね。違うんですよ。
「揉む」のではなく、どちらかというと「乳房を胸からはがすように持ち上げる」のです。
ですからもしあなたのダンナ様が優しい口調で「オレが揉んでやる。」と言っても、
たぶんそれは乳房マッサージにはなりません。
あるいは始めから他の目的があるのだと思われます。
ちなみに乳頭マッサージというのは、乳頭を柔らかくするためのものなんですが、私はこちらの方で苦労しました。
そこそこ柔らかくなってはいたんですが、まだ少し「芯」が残っているような感じでした。
乳頭が固いと赤ちゃんの口の中でコロコロ動いて、赤ちゃんがおっぱいを飲みにくくなってしまうのです。
赤ちゃんが飲みやすいようにするにはまるでマシュマロのように乳頭を柔らかくしなければいけません。
ですからさっきの暗示を自分にかけたら、
あとはひたすら両方の乳頭をぎゅうぎゅう押しつぶすようにしてマッサージしましょう。
涙が出そうな程痛くても、我慢我慢。
それが済んだら清浄綿で乳房と乳頭をよく拭いて、赤ちゃんにおっぱいをふくませます。
新生児室から助産婦さんが赤ちゃんを抱いてきてくれますから、心静かに授乳しましょう。
赤ちゃんが飲み切れなかった母乳は、ほ乳瓶に絞っておきましょう。
そうすれば次までに乳汁があまりたまっていなくても、今絞った母乳を足してあげることが出来ますからね。
そのあとはまた乳房と乳頭のマッサージをして終わり。
ここまででざっと1時間はかかります。
ところでお母さん達は、これらの作業を病衣の前を全開にして行います。
なぜかというと、両方の乳房の様子を助産婦さんが一度にチェックできるからとか、
垂れた母乳で病衣が濡れるのを避けるためとか(この時期は片方だけ飲ませようと思っても、両方からいっぺんに出てきます)、
清浄綿で拭く手間が一度で済むからとか、赤ちゃんに飲ませるのにその方が都合がいいからとか、実に様々な理由がありますが、
うら若きお母さんからそうでもないお母さんまで、ときには12〜15人ものお母さん達が1日8回、
いっせいに上半身をほぼ全部はだけて行うわけです。
いくら看護士になるための勉強をしてきたとはいえ、あの男子君にはこの世のモノとも思えぬ、
本当に恐ろしい光景だったことでしょう。
あれから2年半以上経ちましたが、あの男子君は今どうしているのでしょうね。
おお、久しぶりなのでなにやら長くなってしまいました。続きはまた今度にしましょうね。
(2000/1/22)


