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分娩室にはそれまで履いていたスリッパを、分娩室用のスリッパに履き替えて入らなければいけません。
赤ちゃんが生まれる分娩室に、外から雑菌を極力持ち込まないようにするためです。
これが大きなお腹で、しかも陣痛がある時にやるものだから、ちょいと厳しかったですよ、はい。
分娩室の隣の予備室で破水後の細菌感染予防のための抗生剤の注射と「ノン・ストレスド・チェック」を受けて、
いよいよin分娩室。
といっても、まだ分娩台には登りません。まだ子宮口が全開大ではないからです。
看護婦さんに頼んで、分娩台の横に椅子を持ってきてもらいました。
これは背もたれのようなものが付いていて肘掛けのない椅子で、
妊婦さんは足を開いて背もたれの方を向いて座ります。
そして背もたれに上半身を預けて陣痛に耐える
のです。
妊婦さんによって横になっているのがいい人もいれば、四つん這いになってるのがいい人もいます。
私はこの背もたれに両腕と頭をのせて寄り掛かり、グーで腰をゴシゴシさするのが一番やりやすかったんです。

で、陣痛のない時は分娩室の様子を観察する余裕もあって、
いろいろな形の鉗子とかサイズの様々あるらしい注射器の並んでるのとか、
普段はなかなかお目にかかれないようなモノを見て
「ほほぅ、こういうモノがあるのか。」などとすっかり観光客のノリでいましたが、
ひとたび陣痛がくるとひたすら背もたれに寄り掛かり、
教わったラマーズ法や深呼吸で、必死で陣痛をやり過ごしていたのでした。

昔の人は「陣痛は障子の桟が見えなくなる(程痛い)。」と言いましたが、実際はどうでしょうか?
私の場合は、すぐ目の前の消毒薬を入れている洗面器とか、点滴棒とか、酸素ボンベなども見えなくなりました。
目はちゃんと開いているのにです。視界が霞んで真っ白になるのです。
手足のしびれ等は無かったので、過呼吸によるものではないようだというのは、すぐに判りました。
さらに、いかにも痛そうな表情をしてるとホントに痛みに耐えられなくなりそうな気がして、
できるだけ顔をしかめたり苦痛にゆがめたりしないようにがんばっていました。むしろなるべく笑おうとしてました。
頭から指の間から汗をだらだら流しながら拗ねたような格好で椅子に座り、
口元には笑みを浮かべ、見開いた目には何も映ってない、
これでもし「へへへ、おっちゃんよぉ‥‥‥。」とか言った日には、もうすっかり「あしたのジョー」だな、
などと頭のどこかで思いつつ、ただひたすら陣痛に耐えていたのでした。

陣痛と陣痛の合間というのはとても不思議なもので、痛くもなんとも無いんですよ。
この日は朝早くからバタバタしてしまったので、なんとなく椅子に座ったままウトウトしてみたり。
たった今あんなに痛かったのに、お腹を撫でながら
「もうすぐだね、ママも頑張るからおまえも頑張りなさい。」と言ってみたり。
ちょうどお昼時だったので助産婦さんが運んできてくれたお昼の給食を、少しは食べてみたり。

実はムスコを妊娠する前、稽留(けいりゅう)流産をしていました。
妊娠のほんの初期に、胎児がなんらかの理由でお腹の中で育てないで死んでしまうのが、稽留流産です。
「こういう妊娠初期の流産は、不摂生をしたからとか、激しい運動をしたからとか、
そういう理由でおきるものじゃないんです。どんなに大事に養生していても、ダメな時はダメなんです。
精子と卵子の相性が悪くて、受精卵自身が“一回パス”とでも言って、やりなおしをしてるんじゃないかと思うくらいです。
むしろ妊娠しているのに気付かないうちに流産してるケースも、少なくないと思いますよ。」
妊娠初期の流産についていろいろと本を読んで、載っているドクター達のコメントを総合すると、
大体こんな感じになりました。
そうなんですよね。でも、東京時代は子どもを育てられる環境じゃなかったので避妊していて、
宝塚市にきて子どもが欲しいなと思った矢先に妊娠がわかり、
特にダンナの方では初孫になるとあって皆で盛り上がったとたんの流産だったので、かなり厳しいものがありました。
さらに辛かったのは、母体の安全のために子宮内をきれいにする必要があるのですが(つまり人工妊娠中絶と同じ処置をします)、そこが診療所で麻酔医がいなかったため、ぜんそくの既往歴があった私は、
ほとんど無麻酔の状態で子宮内掻破をしなければいけなかったことでした(普通は全身麻酔です)。

その処置からちょうど一年経った時、ムスコを妊娠しました。なにかのめぐりあわせのように。
しかしそのムスコも初期の頃に切迫流産で2週間程安静入院をしなければならなかった上に、
子宮が通常の位置より後屈(こうくつ:後ろの方に傾いている事)していたため胎児の心音がなかなか確認できなくて、
「またダメかもしれない。」「いや、今度は大丈夫。」の繰り返しの妊娠初期でした。
あの失うばかりで何も生み出せない掻破の痛みに比べたら、
はるかにはるかに痛くてももうすぐ会える喜びをもたらしてくれる陣痛の方が、
よほど耐え甲斐のある、言ってみれば「うれしい痛み」だったのです。

そうとう長い時間一人で放っておかれましたが、私にはそれで良かったのかもしれません。
誰かにアピールするために、きゃあきゃあ言ったりしないで済みましたからね。
さっきの看護婦さんが来た、と思ったら、助産婦さんでした。
産婦人科の看護婦さんは、助産婦の資格も持ってる事が多いのです。
「どれ、そろそろ分娩台に上がってみるか。」との言葉にゆっくりと立ち上がったら、
それまで座っていた椅子と床が、羊水でびしょびしょになっていました。
「ごめんなさい、濡らしちゃった。」と言いながら分娩台に上がろうとした時、
着ていたお産用の病衣が肩のところから同じように汗でびしょびしょになっていたのに、このとき気付いたのでした。
冷たさを感じなかったので、こんなになっててもちっとも分からなかったのです。

さあ、いよいよ分娩台だ、あとはポンっと産むだけだ、と思った皆さん、はたしてそう上手くいくのでしょうか?
詳しくは次回で。

(99/12/10)

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