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いやはや、書いていて当時の痛みをモロに思い出してしまいました。
出産直前の方で、これを読んでいてお産が恐ろしくなっちゃった方がいたらごめんなさい。
でも、悪い事ばかりじゃなかったんですよ。例えば・・・・・・・。
夜があけると母乳指導が始まります。
赤ちゃんに「いいおっぱい」をあげるために、乳首の形の善し悪しや初乳の出具合なんかを、助産婦さんが丁寧に見てくれます。
折を見て授乳室へ。
授乳室は新生児室の隣にあります。
この授乳室でお母さん達は一日8回、午前と午後のそれぞれ2時、5時、8時、11時に、
赤ちゃんにおっぱいをふくませるのです。
授乳前後の乳房や乳首の手入れの時間も入れると、およそ1時間にもなる授乳時間。
それが終わって次の授乳時間までの2時間で、その他の事をしなければいけません。
食事、洗面、トイレ、退院前のシャワー、そして睡眠です。
この間に、特に新米のお母さんは、「育児は眠いもの」という現実を思い知る事になります。
今はまだおっぱいだけですが、退院すればおむつの交換からお風呂まで、
赤ちゃんに関する事は全部自分でする事になるんですからね。
この時程自分がアニメーターでよかったと思った事はありません。
なにしろ慢性的な睡眠不足には仕事柄慣れっこになっていましたから。
新生児室にはお母さんでも入れません。赤ちゃんの感染予防と事故や事件を防ぐためと思われます。
最初その事を知らなくて、赤ちゃんをわざわざ助産婦さんに運んでもらうのも申し訳ないと思った私は、
授乳後のたつひとを抱いて新生児室に数歩入ったところ、
飛んできた助産婦さんにムスコを抱いたままぐいぐい授乳室まで押し戻されてしまいました。
後ろ向きに転ばなくてよかったよかった。
さて、話を戻しましょうか。「リバシップ」という言葉が出てきましたね。何でしょう?
以前(今もあるのかな?)「リバガーゼ」という、ガーゼを黄色い消毒薬(たぶん)に浸したのがあったのをご存知ですか?
トイレで用を足す度にナースステーションでそれをもらって、患部にあてておくのです。
もちろん患部の消毒と感染予防のためでしょうが、これもかなりな手間でした。しかもちっとも良くならない。
7日になりました。看護婦さんに呼ばれて処置室へ行くと、産科部長のO先生がいました。たしかM総合病院の副院長です。
ムスメの時にお世話になって、普通にしゃべったり笑ったりして「なんだ、笑ったらかわいいじゃん。」と思ったものですが、
ムスコの時はまだ「なんか仏頂面で恐そうだぞ。」という印象しかありませんでした。
でも部長なんだからそれなりの腕はあるよね、などと考えながら言われるままに診察台に。
会陰切開の傷を丁寧に診てくれているようです。と、看護婦さんに向かってO先生の「イソジン。」の声。
「イソジン」というのは病院で使う茶色の消毒薬の事です。
普通の注射の消毒くらいでは使いませんが、手術時などはもっぱらこれを使います。
看護婦さんからイソジンを染み込ませた脱脂綿を受け取ったO先生は、入念に傷を消毒してくれています。
といきなり傷口をぎゅうぎゅうと力一杯絞り出したじゃありませんか。
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
あまりにいきなりだったので覚悟をする間もなく、ただただ悲鳴をあげないようにするだけで精一杯。
頭のどこかで必要な処置だと分っていたから動かないようにして・・・・・いや、動けませんでしたね、あれは。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。」
O先生は時々「イソジン」と看護婦さんに向かって言う以外は、ただ黙々と自分の仕事をしています。
これが陣痛より辛いんですよ。だっていつ終わるか分からないし、陣痛みたいに合間があるわけでもありませんからね。
会陰部と膣の奥にたまった血腫を、時々消毒しながらただひたすら力一杯絞りに絞る。
声も涙すらも出せず、あまりの苦痛に吐き気がしてきた頃、10分くらいも経った頃でしょうか? やっと終わりました。
ふらふらと診察台から降りる私に看護婦さんの「痛いよねえ、辛いよねえ。」の言葉と哀れむような視線。
「血腫は絞り出しておきましたから、たぶんこれ以上ひどくなる事はないと思います。」と言うO先生に、
「・・・・・・ありがとうございました・・・・・・・。」とやっと言いました。
翌8日、またも看護婦さんに呼ばれて今度は分娩室へ。なんだか嫌な予感がします。
G先生がいました。嫌な予感が当りそうな予感。
「宝塚さん、昨日O先生に絞ってもらったところ、もう一回縫い直しますね。」
ほら、当った。もう、どうにでもして。
縫い直しには麻酔は使いませんでした。
お産直後と違って会陰部の麻痺もとれていたので、むしろ今の方が麻酔をして欲しかったんですがね。
今さら何をかいわんやですよ。「せめてダンナ好みに縫ってね」なんて、悟りの境地です。
(ああそうだ、この傷を見たら彼はなんて思うだろう。)と考えたらホントに悲しくなってきて、
処置の最中にもう少しで不覚にも泣いてしまうところでした。
今こうして書いていても、あの時の悲しく情けない気持ちが思い出されて、涙で霞んでしまいます。
翌9日、朝から38.2度の発熱。おそらく一連の処置のせいだと思われます。他に原因が思い当たりませんからね。
授乳も2回分、休みました。退院も2日伸びるとのこと。あ〜あ〜あ‥‥‥。
回診時に切開の傷がどうしてこんな事になったのか、G先生に聞いてみました。すると、
「赤ちゃんの頭で圧迫されていた血管が、赤ちゃんが生まれた事で圧迫が無くなり、
すごい勢いで血がめぐり出したせいでしょう。
人によっては血腫が子どもの頭くらいの大きさになって、全身麻酔で処置をすることもあるんですよ。」という返事。
ええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?そうか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?!?
私には助産婦さんの「あら、切れないわ。」って言葉と何度もギチギチやってくれたのが引っ掛かって、
しょうがないんですけどねえ。
なんだかな〜〜〜〜〜。
この後坐薬を使って一日で熱を下げ、12日に2日遅れでやっと退院できました。やれやれですね。
さて、私はこの5年後、この病院で今度はムスメを出産するのですが、
同じ妊婦が同じ病院でお産をしてもこんなに違うものなんだというお話は、またこの次にいたしましょう。
(99/12/15)


