香奈スペシャルwithコシロプラス No.5

ジブトラストは、実業と運用との混合組織になった。

猫たちも香奈依存からの脱却を目指す事になった。

子猫たち、独立?

リトルホワイトは、チャの命令で株・株先物グループに研修を行い、保養施設での奉仕をさせる事になった。しかしリトルホワイトは、結構厳しい研修をした。何しろ、1日で人の心を読めるようにする特訓とその人への対応をする研修だった。香奈の家の猫は、長い間、分岐状の水とリング状の水を飲んでいた、元々、スペシャルな猫と云えたが、それでもハードな特訓だった。株・先物グループのリーダー猫だったチャタロウは、自分が温厚な性格な猫で、命令口調での言い方は避ける猫だっただけに、ぼやいた。あいつは甥のくせに命令調で話す。チャタロウたちのグループは、保養施設奉仕に狩り出された。生まれてから、相場三昧の生活をしてきた子猫たちの株・株先物グループは、人生いや猫の経験が、決定的になかった。保養施設にいた人の心の中をみた。これは、リトルホワイトの研修で得た力だった。人生への疲れ、そして諦めなどが見えた。後悔・反省なども渦巻いていた。香奈や香奈の家の連中には、そんな事は欠片もなかった。香奈は、奇跡的とも云える成功をした世界の大富豪だったし、その子供たちはハゲタカとか化かし合い、はぐらしに長けたり、一癖ある人間もいたが、そんな心なんぞは微塵もなかった。孫たちそしてひ孫たちは、頭は良くて、世の中を、資本の力も上手く使いながら、泳いでおり、生活は、すべて香奈に見てもらい、結局、香奈の庇護の下にあったような人たちだった。金や生活の苦労など微塵もなかった。よく遊びに来る恵も、財団の仕事を通して、世の中に詳しいものの、財団は、今や大きな基金を持つ裕福な財団と知られていて、なんやかんやと金欲しさに、たかり、いや協力を申し込まれて、その協力の決定権を握るドンと云われ、財団の最高権力者だった。世界一の資産を誇るジブトラストで、神格化されていた香奈に、直言できるただ一人の人とも言われていた。恵自身もバイタリティに溢れ、それに香奈程ではないが、純子の長男である洋一の流れを維持し、実質的に差配している実力者でもあり、資産もあり、大きなビルを複数持ち、内部保留も豊かなビル管理会社のオーナー会長とも云える人でもあった。子猫たちの配偶猫は辛い野良猫、地域猫時代の苦労はそんなに話さないし、子猫たちは、人間たちは、みんなゆったり暮らしているものだと思っていた。保養施設に来ていた人の心の中を見て、チャタロウたちの子猫のグループは、衝撃を受けた。

株で大きく儲け、栄耀栄華を極め、世界の五つ星のホテルを泊まり歩き、高級レストランでも飯を食うなどの贅沢をしたが、最後の最後で大きな損を出し、大きな屋敷を失い、ジブシティーの工場で働く子供に引き取られ、小さくなって暮らしている老人に会った。その老人とチャタロウたちとは仲良くなった。その老人には猫チャンネルも出来た。老人の失敗に至る経験や老人の今までの蓄積した知識も子猫たちは吸収した。成功体験に酔い、状況分析に甘くなっていた。子猫たちにとっては他人事でなかった。老人も子猫たちの最新の相場テクニックを吸収して、元気になってきた。老人は腐ったような株を多量に持っていたが、二束三文になり、借金に比較すれば、焼け石に水なので、売らなかった。チャタロウたちは家に帰り、国内株担当に聞いた。その会社は劇的に立ち直り、今は高いわよ。と言った。チャタロウたちは、老人に猫チャンネルで、その事を告げた。老人もやる気が出てきた。ただそれだけでは元手が少ない。リスク管理も出来ない。チャタロウは、少ない金での運用はした事がないので、猫チャンネルで、チャやココに内緒で、少し出資してあげてと正人と奈津美に言った。

リトルキャット運用会社の誕生

正人は奈津美と相談したが、香奈ファイナンシャルとスイスカナコインに想定外のお金が貯まりそうなので、10億出資する約束をして、ジブシティーのオフィスを借りて、ごきげんソフトに、パソコンや相場窓口まで準備させ、リトルキャット運用会社をつくる事にした。その老人とも話し、その株をリトルキャット運用会社に出資してもらう事にして、それなりの報酬を約束して、社長になってもらった。正人は、株・先物グループのリーダー猫だったチャタロウとは友達だった。チャタロウは、チャに似て温厚な性格で涙もろい猫だった。正人は、はぐらかしや詭弁の技も使うが、本質的に、温厚な性格だった。職場環境で、はぐらかしや詭弁の術を磨く事になったが、温和な人と話すとのんびりできた。チャタロウは、リトルチャのような緊張感が張り詰めたような雰囲気を持つ猫の兄弟であったが、チャタロウは、性格も違い、穏やかな性格で、尚更、気が合った。ただ、正人は金融屋でもあった。そんな感情だけで動く人でもなかった。正人には、別の考えもあった。香奈特別基金にも、別財布のような財産管理会社を保有しておくのも悪くない考えだと思っていた。色々な経理操作もし易くなるとの考え方もあった。株・先物グループのリーダー猫だったチャタロウにも堅く投資してねと頼んでいた。ゆくゆくは、香奈特別基金としてこの会社にも出資した形で、長期保有株を持たして、国内香奈の一つの財産管理会社にして、この会社に国内香奈の利益を分散させて、経費も負担さして、税金を安くする方法などを考えていた。そんな老人の取引する会社が、どんどん儲かるなどと夢みたいな物語なんぞは、微塵も考えていなかった。正人は、もうひとつの大きな銀行の退職者の一人も役員にして、経理や税務などを見てもらう事にした。前々から再就職の斡旋も頼まれていたので、普段は勤務などはしないが、報酬は、そこそこ出した。あの老人の報酬といい、この役員の報酬もそんなに安くはしなかった。リトルキャット運用会社は、赤字前提の香奈国内の子会社の積もりであった。ただそれなりにポストも提供できたので、そういう使い方も別会社の魅力だった。正人は、香奈程ではないものの、そこそこ顔が効いて、ごきげんソフトは猫用のタッチパネルキーボードのパソコンを出した。

正人は、日銀の理事まで上がり、もう一つの大きな銀行の元頭取にして、大株主の代表で、現在取締役相談役、香奈ファイナンシャルの事務局長みたいな立場でもあった。大きなノンバンクでもあった、香奈オーバーシーズのナンバー2にして、通常の融資の実質的な決定者でもあった。ジブトラストの中国に対する折衝窓口の責任者でもあった。あっちやこっちに色々なルートを持ち、一般的には、財界でも大物と見なされている人間でもあった。それに正人は、香奈側近、直轄の人間でもあった。ごきげんソフトは、IT系の企業とは云え、そんな人に逆らう程、世の中の事が判らない会社ではなかった。会社の名前からみても、猫が絡んでいる会社だったし、猫の事に触れず、逆らないのが、ジブのルールだった。猫のご機嫌取りをして、出世した人がいるのが、ジブトラストだった。香奈専用ラインに意味のない猫ボタンをつけた人は、ジブシティー株式会社で直ぐに部長になった。元々優秀だったので、それだけではないものの、猫ボタン部長とか暫く言われていた。猫の悪口をいっても、流石に首にはならないとはみんな思っていたが、怖くてもだれもしなかった。シブシティー株式会社は、一等場所でもあった財団ビルやジブシティー株式会社の近くのビルの中に、事務所を確保した。財団ビルは、うるさ型の恵がいたし、総理経験者の陽太もいた。ジブシティー株式会社も、その程度の計算は出来た会社だった。リトルキャット運用会社はあっと云う間に、ジブシティーのビルの中に出来、事務所の設備も直ぐに出来、ごきげんソフトも直ぐに回線を確保した。ジブシティーは、まだ、工場が突然出来たような、工場主体の町だった。住宅用のマンションも思い切って高層にした事もあり、余裕もあったが、オフィスビルそのものはまだまだ空室が一杯あった。それも直ぐに用意できた原因でもあった。正人の指示通り、猫仕様のパソコンも複数準備した。香奈ファイナンシャルの出資比率が圧倒的なので、香奈ファイナンシャル傘下の運用会社として登録した。

ジブ傘下の運用会社は、ジブが大儲けを最初にした年から少しずつ増えていた、カミカミの神子や神之助のグループからも、独立して、ジブとカミカミから出資してもらった外部の運用会社が出来ていた。それに切人の海外香奈傘下、つまり香奈ファイナンシャル傘下の運用会社や実業関係の会社も相当できていた。ジブやカミカミそして香奈ファイナンシャル傘下の会社は、たとえ実業関係の会社、財産管理会社のような会社でも、経緯からして取引口座を持つ事がほとんどだった。株式の保有名義の分散化とか利益の分散化も図れた。ごきげんソフトは、そんな事には一々干渉せず、知ろうともしないのが、大原則だった。知らない事は、あくまで知らない事だった。会社設立はさっさと進んだ。あまりさっさと進むので、チャもココもそんな事は知らなかった。

正人は香奈ファイナンシャルとして、ドーンと証券会社に出資していた。ココのチームは稼いでいた。その稼いでいたお金を貯めていたお金も使った。神太朗の証券会社は、ジブトラストとカミカミファイナンシャルが出資している会社だった。香奈ファイナンシャルとしても、それなりに出資していた方がいいと思っていた。しかし、ココは、結構慎重に株式を運用して、そんなに長く株式を保有しなかった。ある程度上がれば、ほとんど売った。やっぱり香奈の影響もあり、よほど気に入った会社しか長期保有もしなかった。香奈も、香奈ファイナンシャルとして、もうそんなに株式投資はしなかった。株式の長期的な保有も、香奈ハイテク、一族の会社、香奈オフィス、香奈関係会社などの経緯のある会社を除いては、頼まれて増資や出資に応じる程度だった。そんな株は、ジブの新ルールでは、長期保有株として、証券会社名義で保有する事になっていたが、今までの出資の経緯もあり、やっぱり香奈ファイナンシャル単独名義でする事が多かった。香奈オーバーシーズからの融資も、優先株とか増資や出資に切り替える事もあった。それも証券会社名義に切り替えるのは差し障りもあった。つまり一杯枠があまっていた。おまけにココのチームも稼いでいた。正人はたしかに10億を香奈特別基金から、この会社に出資した。リトルキャット運用会社としても、証券会社への出資もしていた。香奈ファイナンシャル本体が貸した事にして20億を建て替えをしていた。万一、リトルキャット運用会社が利益が出た時に、借金返済のための支払いをして、計上利益を調整できたし、証券会社にも多少は無理も言えるかもとの正人一流の考え方をしていた。元々の運用元本としての10億の他に、リトルキャット運用会社は10億使えた。それに、リトルキャット運用会社に対して、運営費や人件費などの経費も香奈ファイナンシャル本体として立て替えていた。ここでの赤字は、国内香奈の利益と相殺できる方法を考えてもいた。それに、正人は、ポスト提供のためのダミー会社とも考えていた。正人は、そんなにこの会社がドンドン利益を上げる事なんかは期待していなかった。チャタロウは、まだ、はぐらかし、化かしあいでは、正人の敵ではなかった。子猫たちは、そんな事は知らなかった。

チャの子猫たちは夜勤族ではあったが、何人かは、いや何匹はこっそりと、このリトルキャット運用会社に遊びに行った。猫たちは少ししずつ増え、猫たちの勤務も一部交代性,3勤1休制で土日祝日休の、つまり週四日制の勤務体制を採用していた。ウィークディには、誰かはお休みになっていた。そして猫たちは、実践で運用を手伝った。香奈ファイナンシャルのココのチームもこっそり応援に行った。ココの支配は強烈で、ココは、時には、猫パンチも出して、強烈に子猫たちを押さえ込んだ。恐怖のココと云うのが、子猫たちの内輪での陰口だった。子猫たちは開放感の中、自由に取引した。少しは勝負したが、リスク管理は骨身に染み付いていた。やっぱり、あの老人に、もうつらい思いはさせられないと云う意識が強かった。このリトルキャット運用会社での運用手数料は高かった、あの老人への配慮から正人は、結構高い給料を払い、運用手数料は運用利益の10%とした。それにシステム使用料とか云って、ごきげんソフトは、運用利益の7.5%も取った。外部とか言って、取引の制約はあるのに、情報ボックスまでつけなかった。しかし、パソコンや回線なんかの設備は、ごきげんソフト負担だった。セキリティーも当然煩かった。追跡プログラムやウィルス対策なんかもしてあった。あの老人も制約の多さには驚いたが、のんびり取引した。無くなったと思った金だったので、子供たちに知られず、腐ったような会社が立ち直った株を、全額出資していた。

リトルキャット運用会社は、劇的とはいえないものの、着実に儲けていった。リスクの高い先物もしたが、現物株中心にリスク管理も心がけた。ココは、株を短中期的に保有し、下がりそうな時には、さっさと売ってしまう猫だったが、ココの支配下の子猫たちは、もう少し長く保有した方が回りまわって儲かるのではないかとも考え、一時的に信用でリスクを取ったり、先物でリスクを取ったりしながら、成長しそうな会社の株を儲けた金で中長期的に保有した。あの一旦腐ったような会社も、生意気にも業界大手とか云われるようになっていた。それでも価格は一日の間でも大きく変動して、子猫たちは、調整売買を繰り返して、この保有株数も増えた。その他にも研究担当の猫たちとも相談して、独特のポートフォリオを模索した。子猫たちは、リスク管理の元に、成長株と安定株をミックスさせながら、保有株を増やしていき、調整売買もした。一方、切った張ったの猫たちも、運用金額は少なかったが、先物だ、オプションだ、ディリバティブだと取引した。情報なんかは、子猫たちの頭にあった。それにこのリトルキャット運用会社のオフィスは、おの大きな大きな池の近くの不動マンションの近くにあった。あの老人は、子猫たちのために、猫トイレを設置したり。お不動さんの池に注がれる湧き水から水を汲んできた。このお不動さんの湧き水は、元気が出る、奇跡の水として評判だった。子猫たちも飲んだ。老人も飲んだ。子猫たちも元気になり、何故か頭も冴え、老人も元気になり、頭も冴えてきた。子猫たちは香奈専用のチューブで移動できた。香奈専用といいながら、徹や勝も使ったし、香奈ハイテクに勤めていた人もズルして使っていた。このリトルキャット運用会社は、香奈が会長だったジブシティ株式会社の近くにもあり、香奈専用のプライベートラインのジブシティー終点から近かった。ジブシティはベニスのように市内に車の乗り入れは出来なかった。香奈は、両親である恭助や和子の交通事故死を忘れてはいなかった。それに猫には、誰も口出ししないのが、ジブのルールでもあった。

あの老人は友達もつれてきた。あの老人はゆったりと取引した。株好きな老人たちも、やはりジブシティーにもいた。しかし子猫たちは真剣に取引して、老人たちは雑談も多く、子猫たちの取引の邪魔をしないように、社長室名目で別室も借りた。ごきげんソフトはかすりを取る代わりに、設備は拡充した。正人は、ジブトラスト関係でも、香奈ファイナンシャルの実質的な事務局長とも云える立場であったので、ジブシティー株式会社には、影響力もあった。正人の要望で、ジブシティー株式会社は、直ぐに広い別室を用意した。

この運用会社の社長室は休憩室になり、休憩室は寿クラブのようになり、子猫たちと老人たちの憩いの場になった。老人たちの取引頻度は高くはなかったが、子猫たちは自由な雰囲気の中、のびのびと取引したので取引頻度は高かった。時間を区切って、交代制で取引して、老人たちとのんびり会話する猫たちもいた。老人たちは、猫トイレを設置したり、高級カリカリのキャットフードを用意したり、水を用意したり、猫トイレの掃除をしたりと、結構忙しかった。猫は可愛くても、世話も大変なのだ。子猫たちは世話される事に慣れていたが、それでも少しは気を使い、香奈の家と同様に、ニコニコサービスのお掃除サービスに猫特約をつけて頼むように正人に言った。

猫特約とは、ニコニコサービスのハウスクリーニングのペット特約の一つで、犬特約と猫特約と小動物特約、大動物特約とがあり、ペットの臭いの除去と徹底したハウスクリーニングの一つだった。俊子が香奈の家に遊びに来た時に猫のおしっこの臭いに気が付いた。今まで自由に暮らしていた配偶猫もいて、賢くなったとはいえ、香奈の家に来た全ての猫が、猫トイレを直ぐには使えなかった。それに、お掃除しても、猫トイレには、少しは、臭いが残った。お手伝いさんは頑張っていたが、猫好きのお手伝いさんなので、そんなに気にしなかった。勿論、香奈は全然気にしなかった。徹は自分の部屋では、森の香りとか高原の香りとか言った芳香剤を置いて、知らん顔をしていた。瑠璃や奈津美そして正人も知らん振りしていた。俊子は、こっそり悦子に言って、特別なハウスクリーニングを考えさせた。それはともかく、猫特約は、香奈の家のハウスクリーニングから始まったものだが、今や人気の特約の一つだった。ニコニコサービスは、ジブサービスの仕事も請け負い、敷地内のハウスクリーニングも担当していた。

香奈の家の隣のレストラン

香奈は、ハウスクリーニングの価格なんぞは、まったく気にしなかった。香奈は、筆頭株主で膨大な配当から、香奈の家のレストランや会議室の維持費などを引いていた。会議室はジブトラストや他の組織も使用していた。会計的にみて、香奈が全て持つのは、寄付行為になると、ジブトラストの税理士が言い出し、ジブトラストとして少しは負担した。ジブトラストの税金は膨大だったので、税務署も厳しく調べたし、税理士や公認会計士もチームを組んで、法人そして香奈たち個人の税務処理をしていた。少しの落ち度でもあれば、新聞沙汰になるので、少しの落ち度も許されなかった。それでも、まだ、ほとんどは香奈が膨大な費用も払っていた。それも香奈は知らなかった。ただ、恵は、タダ飯を朝から食べるのはドーダコーダと言い出した。元々神之助や加代子などの世界的な大金持ちはそんな小さい金には拘らなかったが、みんながドーダコーダと言うと大変になると恐れた神一は、だれからも文句が出ないと云うより、複雑怪奇で、天才的な会計処理、誰も判らないような会計処理をして、それなりに各家に負担するように変更させた。

元々、このレストランは、香奈のプライベートレストランのようなものだったが、所属とか所有とか運営は明確ではなかった。香奈の家のコックのような感覚で作ったレストランだった。香奈の家と云っても、孫の正人でさえ、高齢者だったので、孫まで孫のいるような一家だった。その上、恵や由香そして真理まで来てしまった。そしてこれらの超高齢者たちは、一家の基本的な生活の面倒は、すべてみていた。神之助一家、加代子、切人とマリアらはやたらと金を持っていたし、神一は、銀行の頭取としての報酬はそんなに大した事もなかったが、ジブとかカミカミに、もうそれなりに出資していて、配当は多かった。この人たちは、うるさい連中だった。レストランは拡充していった。一方、ジブホームレストランは、ジブの組織の中のジブサービス部門に所属して、ジブホームホテルの食事も担当していたし、この敷地内に住む人に、食事を提供して、請求する建前だった。実際にはジブトラストの株主からは、個々の配当から差し引くような便宜を図ったり、大株主だった香奈、俊子、恵の食堂には、ビッフェなんぞの維持をしていたが、あくまでもレストランとしての営業の一環でもあった。外部の人もジブホームレストランを使っていたし、弁当の配達もしたし、デリバリーサービス、要するに料理を配達していた。しかし、ここのレストランは、そんな建前すら明確でなかった。香奈ファイナンシャル不動産そのものも、香奈オフィスの土地を香奈ファイナンシャル不動産に出資して、神之助が高層マンションや神香の家の積もりで家を建てたり、音楽ホールを建てたりした。その後もそれぞれの人が家を建てたり、聖子が牧場を作ったりしていた。神一はそれを整理して、香奈ファイナンシャル不動産の組織を、建前ではあったが整理した。従来、土地のお金とか元々建てた家の建築費用を、それぞれ香奈ファイナンシャル不動産への出資と云う形にまではしていた。香奈オフィスは、香奈ファイナンシャル不動産の大株主ではあったが、香奈個人は、株主でさえなかった。快適農作物研究所は、香奈ファイナンシャル不動産から、土地を借りていた形になっていた。香奈は香奈オフィスそのものではあったが、法律的には、香奈は香奈だし、香奈オフィスは香奈オフィスだった。みんなそんな事には気がつかず、レストランの運営経費をすべて香奈が出している事にも、不自然にも思っていなかった。それを神一は、清香の事務所の弁護士、税理士たちとも相談して整理した。結局、この辺りの家は、マンションも含めて、全て香奈ファイナンシャル不動産の所有になり、レストランも香奈ファイナンシャル不動産に属するサービス部門になった。レストランへの改造や電気や水道なんかのインフラ設備には、ジブトラストのジブサービスも負担していたので、ジブトラストも出資した形とした。高層マンションやこの辺りの大きな家を含めて大きなマンションとして、それぞれの住人に賃貸として貸している形にした。家賃は取るが、住居権みたいなものを付与して、法律的にもそれなりの権利を与えるような形にした。元々貸している形にした香奈ファイナンシャル不動産は、住人が株主の会社なので、実質的には何も変わらないものであった。それに住人はほとんど、ジブトラストの出資者であり、運営はジブトラストのジブサービスが担当し、家賃はジブトラストの配当から引かれるようにした。家や高層マンションの維持管理も担当する事になった。個人としては、神之助は、高層マンションや家も2軒分、音楽ホールも建てたので、神之助の出資が多い形になった。香奈オフィスに匹敵する出資になった。神之助は、個人としての神之助の負担だけでなく、神之助の個人会社や神帥、神元、神香たちの個人会社まで複雑に使っていた。突出して多い出資比率だった。神之助ファミリーの出資分を減らし、それを住民みんなで分散すれば、神一の考えでは、都合が良かった。しかし、神之助に、その多い分を売れと言うと怒る事は、火を見るよりも明らかだったので、神一は、香奈ファイナンシャル、カミカミファイナンシャルそしてジブトラストが等分に出資していきたいと正人と正子にも話をして、ジブトラストが出資した事にしていたお金を、新しくカミカミファイナンシャルと香奈ファイナンシャルが、香奈ファイナンシャル不動産に出資する事を計画していた。しかし、正子は、そんな小さい金には、拘らなかったが、カミカミは正子だけの血筋の組織でもあった。高層マンションには、有希の血筋などのカミカミ系以外の人も住んでいた。後でナンダカンダと言われるのは、いやだった。一応、俊子に、相談した。俊子は、カミカミとしての出資では困る。カミカミは、資金力は大きいかもしれないが、所詮、太朗と正子系統の財産管理会社にすぎない。みんなのために建てた高層マンションなので、カミカミとして出資するのであれば、聖子ファイナンシャルやユキエンタープライズ、そしてみんなの管理会社もあるとか言い出して、もっと大きな財産管理会社である、洋之助と美佳の会として出資するとか言い出した。神一はそれを聞いて、一応恵にも話をしてみた。恵も、恵や由香そして真美の血筋も高層マンションに住んでいるので、みんなが株を持っている、大きな財産管理会社でもあった冶部ビルとして出資するといい出した。神之助が多く出した分を振り替えてくれれば、それはそれで収まったのに、一度出した金は、受け取らないと、神之助は頑固だった。神之助は、出資が多いので、香奈ファイナンシャル不動産の副社長にもなっていた。神一が、こっそり処理しようと思った話は、結局、香奈の耳に届いた。香奈は俊子や恵たちにも話をして、ジブトラストは、敷地内のみんなに出資してもらっているから、ジブトラストが出資したと云う形になっている以上、みんなのものだと言った。それでも一度聞いた話は、聞かなかった事にもできないので、ジブトラストがもう少し大きくだして、そこそこの出資を、洋之助と美佳の会、そして冶部ビル、香奈ファイナンシャル国内も出す事にした。香奈ファイナンシャル国内は、もはや香奈だけの家系の組織ではなかった。ナンダカンダとみんなの事業に応援していた積もりが、みんなの事業継承の意味もあり、香奈の家系以外の一族の人にも少しではあるが出資してもらっていた。そんな事をしていると、香奈ファイナンシャル不動産には、金が貯まってしまった。そうして金が出来た香奈ファイナンシャル不動産は、聖子の作った牧場も香奈ファイナンシャル不動産の所有にして、快適農作物研究所に運営を委託し、運営料も払う形にする事にした。聖子は神之助と違い、貰える金はあっさり貰う女だったので、あっさり申し入れを受けた。聖子はその代わりに、ここのレストランの食材は、すべて、聖子の実験農場から提供し、その食材について、このレストランのコックが感じた事を教えてもらえる形にしたいと言った。牧場で取れた牛乳は、とてもこの香奈周辺の家だけで処理できる量ではないので、以前通り、ジブホームレストランにも提供する事にもした。それは快適農作物研究所の運営の一環とか言う事になった。敷地内の自給のための小さい牧場だったので、牧場代なんぞはしれていたので、香奈ファイナンシャル不動産には、大分、金が余った。建物の維持管理とかインフラ設備の維持管理とか、万一の準備金とかの名目で保管する事にした。ここのレストランは敷地内の人には、すべて開放していると香奈は言った。ここの住人はだれでも来てもらっていいとも言った。香奈は神一みたいな、ゴチャゴチャした計算もそれなりに尊重はしていたが、誰のものとか言い出すと困ると思った。こうして、香奈の隣のレストランは、公的にも敷地内みんなのレストランともなった。俊子とか有希たちは、ジブホームレストランでほとんど今まで通り、食事していた。ここのレストランは、ジブホームレストランの系列だったが、同じ料理ではなかった。料理人も違っていたし、金の計算せずに、実験農場から入荷する高品質の食材をみてつくる料理でもあった。牛肉も肉牛牧場から入るし、必要なら、岡崎交易やイチコプロダクツから食材も入った。ここは、外部の人には提供しないので、値段などは気にしなかった。コックにもそれなりの工夫もあった。ナンタラ風ビーフステーキは絶品といわれた。ケーキも美味しかった。俊子や有希たちも、偶には、ここのレストランでも食べたり、配達もしてもらった。三時のおやつと言う訳ではないが、このレストランの午後は、美味しい色々なケーキやデザートを食べて、美味しいコーヒーや紅茶を飲む、敷地内の人にとっては喫茶店みたいなものになった。ここのレストランは、配達なんぞはしなかった。配達はジブホームレストランの人がわざわざ、このレストランに料理を取りにきて、各家に配達した。高層マンションには、レストランから食事を、エレベーターみたいなもので、各部屋に送れたし、香奈の家をはじめ、この周辺の家の食堂にも、そんなエレベーターみたいなものがつけられていた。ただメニューが食材に応じて、日替わりで替わるし、このレストランは、前もって話をしておかないし、早く閉まってしまうレストランだった。内容も聞かず、日替わりディナーなんぞを注文する人もいた。ここのコックには、デザート専門のコック、正しくはデザートシェフがいた。香奈は甘党ではないが、偶にはケーキを食べた。偶々、ジブホームレストランに働く友人のコックを訪ねて、遊びにきたこのデザートシェフが、戯れに作ったケーキを食べて、香奈が絶賛した。丁度、ここのレストランが開店準備中の時でもあり、早速働いてもらう事になった。何を作っても、コストがいくらかかろうともいい。みんなが美味しいと思うケーキやデザートを作って欲しいと言われた。報酬も高かった。豪華な社宅まで準備された。この人は、ナンタラと云う賞も取った人だった。有名なホテルのレストランで働いていたが、普通のレストランではデザートシェフは所詮、はずれみたいな存在だった。喫茶店みたいなロビーでも大したデザートは出さなかった。冶部ホテルはデザートも重視したので、冶部ホテルで働きたいと考えて、ジブホームホテルで働いている友人に就職の斡旋を頼みに来ていた。渡りに船みたいな誘いだった。こうして、このレストランのデザートシェフになった。偉い人のお抱えのシェフでは作る料理も限られていたが、このレストランでは、対象となる人も多かったので、色々なケーキやデザートも作れた、香奈は、自分の好きなケーキやデザートを作って貰えれば、他の事には寛容だった。それに香奈は好奇心も強く、色々なケーキやデザートについても関心を示した。デザートシェフは色々なケーキやデザートを自由に作れた。加代子や聡美はケーキやデザートは好きだった。神香や姫子は海外の有名なケーキやデザートを食べていて、ナンダカンダとこのシェフに言った。このデザートシェフも刺激を受けて、自由に自分の感性で、ケーキやデザートを作っていった。値段も気にせずに、自分の思ったケーキやデザートを作れるので、このデザートシェフは大変、この職場が気に入った。報酬も高かった。この人はそこそこ有名人だったので、他のコックたちにも、ここのレストランの噂が広がり、魚料理の得意な料理人、肉料理の得意な料理人、中華、和風、和風などなどの料理人が、やがて集まってきた。ジブの最高会議は、ここのレストラン全部を使って、行った。最高会議の後は、お疲れさん食事会も恒例だった。世界各地から来ていた人たちは、ここの食事に驚いた。やがて、ここのレストランは、幻の世界の最高峰のレストランに言われるようになった。ここのレストランの朝は特に上手かった。デザートシェフは、パンも焼いた。色々な卵料理や肉料理なども並んでいた。ホテルのランクは朝の飯で決まると言った人もいるが、ここのレストランの朝の飯は、それこそスペシャルだった。このレストランの牛乳は、牧場直結のスペシャルだったので、クリームもスペシャルだった。ケーキの生地も、快適農作物研究所のブラジルの作った極上の小麦粉を使い、このコックが自分で焼いた。パンやケーキはやたらと美味しく、朝の焼きたてのパンは、絶品だったし、ディナーやランチには、ケーキもついた。ケーキも幾つかのタイプのケーキを作っていた。デザートシェフは、紅茶やコーヒーにもうるさかった。恐ろしく美味いコーヒーや紅茶もポット入りで出た。香奈が晩御飯を食べるとそれで終わりと云うレストランでもあった。精々夜九時程度までしか営業しないレストランだった。香奈は、大体九時には寝た。香奈が小腹が空いたり、ブランディーなどを飲んでいて、おつまみを欲しがったりする事もあるので、大体九時になったと言う程度で、閉店時間の根拠も曖昧だった。ただ飯は美味しかった。食材は最高品質の上に、コックも一流だった。みんな早めにこのレストランに来て、今日のオススメなどを食べた。加代子や聡美のような夜勤族には、スペシャル弁当を作ってくれた。ケーキやデザートまでついている弁当だった。加代子と聡美は、飯にはうるさかったし、ケーキやデザートも好きだった。 加代子と聡美がアーダコーダとコックさんに言って、作ってもらった。ジブの夜勤族の人は、二人の豪華弁当をみて驚いた。ジブホームレストランの弁当を食っていた切人は、二人の弁当をみて、むっとした。切人が食べていた弁当とあまりに差があった。切人も、この弁当を頼んだ。限られた人だけが、豪華な弁当を食うと反発をかうし、飯の恨みは根深いので、ジブの夜勤族の弁当は、すべて、このレストランが担当する事になった。ジブホームレストランの弁当は、結構、豪華弁当として知られ、外部にも配達していた。それでもここのレストランの弁当は、もっと豪華だったし、ケーキやデザートまでついていた。ホテルのディナーのような弁当だった。一流のコックが金の計算をせずに、高品質の原料を使い、腕を振るうレストランで、弁当もその延長だった。しかも何時頃食うとわかっていて、つくる弁当だった。豪華になるのは、当然だった。夜勤族の弁当と昼間の弁当との差があるとか言われる前に、やがてジブトラストの弁当は、すべてこのレストランが担当する事になった。ジブホームレストランも刺激を受けた。レストランなのに、宅配業者のように配達だけして、配達代行料とか言って、細かい金を貰うのは、面白い事ではなかった。このレストランは、一応営業免許とかは取っていたが、あくまでサービス部門にして、しかもその運営を、ジブトラストのジブサービスに任せ、ジブサービスが提供する色々なサービスも含めて、各家に請求する事にした。この辺りの住人の食事代は、食事サービス料といった形で、それぞれの家とかに請求する事にした。元々このレストランでは、それぞれの料理に価格と云うものがなかった。値段をつけないレストランが、ジブホームレストランと違っていた。ただ、それなりの家には、それなりの負担を少しは持つようにしただけだったし、ジブトラストも会議代や弁当代なんかを香奈ファイナンシャル不動産に払うだけの事だった。真理や恵たちも自分たちの管理会社を複雑に使っていたので、香奈ファイナンシャル不動産の株主構成は、法人も多く、やたらと複雑だった。株主サービスではなく、利用者負担として、高層マンションも一応住民に家賃を請求したし、各家にも家賃を請求して、敷地内の各家にも、利用頻度に応じて、それなりのサービス料を請求する建前になった。ジブサービスが運営をする事になり、最終的にジブトラストからの配当で調整していた。建前としては、神一が考えた事もあり、流石に見事な建前になった。しかし、このレストランは、食材もほとんど、聖子の実験農場から必要な量を貰い、普通のように購入する食材は限られていて、岡崎交易やイチコプダクツもそれなりに珍しいものが入ったり、市販するのには量が少ない時には、香奈に食べてくれとか神太朗たちに食べてくれとか言って、このレストランとジブホームレストランに持ってきた。タダで貰う訳にはいかず、金は払うが、元々原価のそのまた原価みたいな金に少し利益をのせただけなので、大した金でもなかった。その上、誰が食ったか、つまり誰がサービスを受けたかなんかは一々記録する事はしなかった。大体何人分程度の料理を準備するとかは、レストラン側では経験上予測していたが、そんな経理的な仕事をする奴なんていなかった。香奈周辺の家やマンションの住人を除いて、ほとんどは、香奈は、自分のゲスト扱いにしろと言った。ジブトラストみたいに寄付行為とか言われる時は、会議の時間換算して、配達した家には、食事の人数を年間の全利用者と比較して、単にその割合で、請求するだけだった。元々サービス料で、コックなどの人件費などの経費がほとんどだったので、ステーキもふぐ鍋も焼きそばも同じだった。香奈ファイナンシャル不動産としては、単年度決算で、少し黒字になる程度で維持する事にした。香奈は、高層マンションの空いている部屋は、すべて香奈が借りた形にして、家賃を払った。香奈は元々相当数の部屋をキープしていたので、借りている部屋は多くなった。子供達が大きくなって、このマンションに住めるまで、財政的な援助の積もりだった。それもジブサービスが経理処理していた。黒字、つまり維持費を補うために、必要な金は、香奈が出した。配達は、ジブホームレストランがやはり担当していた。運営を担当する、ジブトラストのジブサービス部門は香奈直轄に近い部門であった。そして、香奈ファイナンシャル不動産は香奈が社長で、神之助が副社長であった。つまり、二人とも、細々とした採算なんかは、気にしなかった。要するに、最高品質の食事を出して貰い、その金なんぞは、自分て出すと云う二人でもあった。香奈と神之助は阿吽の呼吸で、香奈が元気な内は香奈がすべて面倒をみて、その後は神之助が面倒をみる事になっていた。今は、香奈がまだまだ元気なので、香奈のレストランであり、香奈の会議室であった。香奈と神之助はこうした、阿吽の呼吸で、この香奈ファイナンシャル不動産を運営していたのだった。

これには少し訳があった。香奈ファイナンシャル不動産には、秘密があった。レストランと高層マンションには、忍者屋敷程ではないが、少し仕掛けがあった。高層マンションも、香奈が相当程度の部屋を押さえていた。それはみんなも知っていた。しかし、このマンションは30階だと思っていた。エレベーターの表示もそうなっていた。実は31階もあった。最上階は、神之助が元々秘密会議を行えるように、応接室を含む会議室を何室かをそれぞれの棟に作っていた。そんなに大人数は無理でも少人数なら会議もできるようになっていたし、泊まれるようにもなっていた。香奈はそれを知り、神之助とこっそり話をして、その会議室を神之助とそれぞれに分け合っていた。大きな一棟は、香奈専用だったし、少し小さい棟は神之助専用だった。元々神之助グループは、秘密の会議が多く、高層マンションを建設する時に、こんな隠し階みたいなものを作っていた。この表示されない31階には、直通のエレベーターがあり、地下駐車場の奥に専用駐車場を持ち、その辺りに専用のエレベーター出入り口があった。このエレベーターに乗るためには、決められたパスワードを入力するようにしていた。更に、このレストランの二階の会議室の一つには、この高層マンションの大きな棟、つまり香奈専用の会議室のある最上階に行けるエレベーターもあった。これは、香奈が追加工事して作った。レストランで作った料理を、高層マンションの各部屋の食堂に届けるための設備工事とみんな思っていた。香奈の家の周辺の家でもそんな工事をした。各家の食堂にも、レストランからの料理が届くようになっていた。そんな工事をしている時に、レストランの二階の会議室のある会議室からも、高層マンションの最上階に届くエレベーターも設置されていた。最上階に上がる階段はなかった。30階から階段を上ると、そのまま屋上になった。目の錯覚を利用した、階段でもあった。31階への階段は壁の中に隠れていた。それにそんな高層で、階段なんぞ使う奴はいなかった。高層マンションは2棟あったが、それぞれにそんな構造になっていたのを知るのは、香奈と作った神之助だけであった。レストラン側の会議室の一つから高層マンションに行くエレベーターの設置は香奈が指図した。この高層マンションの各部屋には、レストランからの食事が、エレベーターボックスのような形で運ばれるように、色々な付属工事を行った時に、こんな装置も作った、二階の会議室は、ついたてを立てると一階のレストランから見えなかったし、エレベーターの前にもついたてはあった。初めは単に香奈が行きやすいようにしたつもりだったが、香奈との秘密会談を望む、中国のおっさんの希望で、秘密の部屋みたいになった。香奈が秘密会談で、この部屋を使い出して、同席するジブトラストの最高幹部たちはその後知るようになった。こうして高層マンションは、実はジブトラストの隠れた会議室にもなっていた。香奈の秘密会談は、大きな棟の最上階で、神之助グループの秘密会談は、少し小さい棟の最上階で行われていた。香奈は、そんなに極秘とも思っていなかったので、幾つかあったこの会議室を、神太朗や神子たちにも必要なら、この会議室を貸していた。ただこの会議室も掃除やハウスクリーニングはした。ニコニコサービスの限られた人たちは、実は掃除していたので知っていた。レストランの人も高層マンションの部屋が、言われている数よりも多いらしい事は薄々知っていた。ただ、みんな言いふらす人ではなかった。高層マンションの住民も、少し変だなと思う人もいた。それもなんとなく秘密みたいな感じになっていた。香奈ファイナンシャル不動産が保有している会議室は、レストランの二階だけでもなかった。神之助は、香奈ファイナンシャル不動産の副社長の座には、拘っていたし、株式を多く保有する事にも拘っていたのだった。

リトルキャット運用会社は好調だった。

話を戻して、リトルキャット運用会社での猫特約付きのハウスクリーニングと云っても徹底的な掃除は週一回程度なので、老人たちの取引頻度は、子猫たちの面倒もあり、段々少なくなっていったが、子猫たちの取引頻度はより高くなった。このリトルキャット運用会社も、香奈グループの国内の子会社なので、神太朗のいた証券会社を使用していた。つまりジブシステムの総合口座にお金が入っていれば、神太朗の証券会社系列のどの取引会社とでも取引できた。神太朗のいた証券会社系列は、みんなが使いやすいように、グローバルネットワークも充実していたので、スイスカナコイン組は、次第に、勝手知った海外相場をする事になった。成績は、段々と伸び、一般的に見れば好調だったと云うより、驚異的なレベルといえた。しかし、半年決算で、利益が元手の倍なんかにはならなかった。

あの老人にも、給料や運用手数料を渡し、香奈特別基金にも、多額の配当をして、順調な立ち上がりをしていたリトルキャット運用会社は、みんなに慕われていたチャタロウが、主導していた。しかし、不満に思う猫もいた。チャタロウの兄弟だったリトルチャだった。リトルチャは、ディリバティブの達人だった、いや達猫だった。チャの配下のディリバティブチームのリーダー猫だった。リトルチャは、チャタロウが作ったリトルキャット運用会社には、チャタロウの会社だと云ってそんなに協力的ではなかった。配下の猫たちも、気を使い、リトルキャット運用会社に応援に行かなかった。リトルチャは、倍以下の利益では儲けた気がしない猫だったので、チャタロウにもっと儲けられると言った。チャタロウはむっとして、それなら、運用枠を分けてあげるから、実際に運用してみればと思わず言ってしまった。チャタロウは、国内組とも相談して、運用枠をそれぞれ分割して、リトルチャのグループにも運用枠をつけた。そして、リトルチャもリトルキャット運用会社に、応援に行く事になった。この子猫は、もう若くはないが、一応チャの子猫であった。リトルチャは、猫の中では神之助のような存在だった。利益は元金の数倍上がらないと納得しない投機猫だった。ただ老獪だったので、複雑な買い、売りを繰り返す熟練のディラーのような猫だった。チャは、リトルチャの取引だけは、よく判らない程、複雑な取引をしていた。儲ける時はデッカク、損する時は小さくする猫だった。この猫が、応援に来て、リトルキャット運用会社は、グングンと利益が上がった。リトルチャは運用枠が大きい事を知って、それを十分使っていた。投機的な取引には少し我慢する事も必要であった。そうしている時にリトルキャット運用会社の運用枠が大きい事に気付いていた。それを使って大いに儲けた。あの老人もこの猫の取引テクニックには敬服して、口を出さなかった。ドアも猫ドアーを設置していた。リトルキャット運用会社は、老人が名目的な運用名義人だったが、実際には取引は、ほとんど子猫たちがするようになった。あの老人は、運用手数料も入り、子猫たちと会話したり、気が向けば少し取引するなどの毎日だった。スイスカナコイン組は元々、リスク性の高い、そして利益率も高い取引が多かった。リトルチャは、利益が出てくると、その利益の中で更に大胆に取引した。リスク管理は、スイスカナコインよりも少し低めに設定して、子猫たちは自由に取引した。チャの訓示も頭のどこかにあったのかもしれないが、利益とリスク管理とのバランスも取った。やはり老人に、もうつらい目にはあわせたくないと云う思いからか、自然とそれなりに、リスク管理もするようにした。元々、取引の天才猫みたいな連中なので、利益は高かった。それに国内組は、元々リスクがそんなに高いとはいえない現物中心の取引だった。現物と先物の比率もバランスを取っていた。先物は現物投資のリスクカバーとの意識が強かった。先物グループはそれでも独自に少し運用したが、運用枠も少なく、そんなに大きくは運用しなかった。リトルキャット運用会社は遅くまで、自由な取引をしたい猫たちの運用会社になっていた。香奈プライベートラインは、研究所に通っていた人たちが、夜遅くまで働く事もあり、結構遅くまで動いていた。それでも寝泊りして、朝帰りする猫たちもいたが、チャやココは、庭には猫はなれもあり、どの猫がどこにいるかなどは気にしなくなっていた。

香奈特別基金が出資したリトルキャット運用会社は、ジブなどと同様に半年決算として、当初は最終利益の90%を配当していたが、ニ年で、投資した出資金以上を、配当として香奈特別基金に返した。実は香奈ファイナンシャルが立て替えたものも密かに返してもらっていた。正人は、リトルキャツト運用会社の業績や税務も見て、配当率を下げた。香奈ファイナンシャル自体、配当率は低かったので、それにあわせた。香奈特別基金のお金が損でなければ、それでよかった。あの老人も固定給も高く、運用手数料依存の報酬も入り、出資額も少なく、それにもう出資した株の時価を超える配当も手に入れていた。こうしてリトルキャット運用会社は、配当率を下げ、内部保留を高めていった。内部保留で保有株も増やし、子猫たちが自由な取引をする別室になった。

正人「子猫たちのリトルキャット運用会社は、信じられない事だったけど、利益が出てね。香奈特別基金からの出資は、もう配当で出資した以上に返して貰い、オフィスも増えて、猫クラブのような寿クラブのような休憩室もできたよ。」
奈津美「じゃ、もうそんなに配当を出さなくてもいいわよ。配当率を下げればいいのよ。税金を払うだけだよ。」、
正人「それもそうだね、あの人にも出資してもらっている形になっているから、出さないわけにはいかないけどね。報酬を利益比例で上げるようにして、納得してもらうよ。配当は、香奈ファイナンシャルと同じように、最終利益の5%にして、運用利益の中から、運用しない資本準備金や配当準備金も置く事にするよ。」

正人は香奈ファイナンシャルと同様に、半年決算として、税引き後利益の半分は準備金として貯めていき、半分は運用枠に加えていった。リトルチャのグループを除いて、子猫たちにしてみれば、堅い取引をしていた。リトルチャの成績は驚異的だった。チャがうるさいので、相当なリスクをスイスカナコインでは取っていたが、リトルキャット運用会社では、自分達の利益の範囲内では、大胆に取引した。成績も急上昇した。ただこいつは、チャの取引チームのスターでもあったので、そんなに多くはリトルキャット運用会社には来れず、腹心が来る事が多かった。このリトルチャは取引は天才的だが、色々とうるさく、ゴネル、へ理屈をコネル、性格の悪い猫でもあったし、いるだけで、緊張感が周囲に張り詰める猫でもあった。そのため配下の子猫たちも、ここではリラックスできた。成績は、準備金にもカスメられても、利益は利益を呼んで膨れ上がりつつあった。

この寿クラブのような年寄りの部屋は、株好きの年寄りだけでなく、猫好きの年寄りも集まってきた。あの保養施設は人気になり、結構予約を取るのが、大変だった。やたらと年寄りが集まり、広く取った社長室だったが、老人たちでごった返した。隣に大きな空室もあった。パソコンなんか運ばれていた。話を聞くと、お元気レストランのゲームセンターでネットゲームを中心にするネットカフェを作ると云っていた。優花のお元気レストランもなんだかんだとジブシティではコネが効いた。優花は暇だから、不動マンションに慰問と云うか、きっと願いは叶うなどの歌を歌って、いい気分だった。あのおっさんが、ジブシティーでもアミューズメント施設も作るとか言っていた事を思い出した。見学でも言ってみようとふと思った。年寄りたちが集まっている部屋があった。優花も官房長官だった事もあり、訪問してみた。猫もいたが、窮屈そうだった。優花をお元気レストランのオーナー経営者だと知っていた年寄りが、あの部屋を貸してもらえれば、もっと広く使えると訴えた。優花も考えてみますと思わず言った。でも私のお元気レストランも寿クラブを作っているでしょう。そこも利用してくださいとか言った。年寄りの一人が言った。お元気レストランの寿クラブなどはとっくになくなり、ネットゲームをするネットカフェになっていると言った。あのおっさんは、赤字体質の寿クラブなどは廃止して、ネットゲームを安い料金で出来る若者用のネットカフェに替えて、老人割引などは、廃止して、ビル再開発の目玉としていた。優花も経営者の端くれだから、その施設も見た。あのおっさんは、格闘型のネットゲームだけでなく、アダルト系のゲームまで作って、女を引っ掛ける手口とか、セックスのやり方、どこを触ると喜んで悶えるかなど、若い女の声で応えると云うアダルトゲームまで作っていた。

これには優花は驚いた。早速、あのおっさんに聞いた。いや要望が強くて、初めの試みですが、陽太さんも優花さんも、もう議員さんでもないでしょう、きっとヒットしますよと嘯いた。そして寿クラブの廃止についても聞いた。赤字ですし、続けていれば、いつかやっていけなくなりますよとかほざいた。優花は、激怒して、寿クラブは私の直轄事業にします、あのネットカフェも私が責任を持ちますから寿クラブに変えます、アダルトケームなんぞ、とんでもない、そんな事は、気まぐれの警察が見落としているだけなのよ、リスクが大きいのよ、手入れでもされたり、三流週刊誌にのったり、新聞沙汰でもなれば、レストランやレジャー産業にも響くわよ。そんなに儲かると思うなら、貴方が個人でやったら、新聞沙汰になれば辞表出してねと言った。優花も政治家だった、脅しもうまかった。おっさんもビビった。

こうして、寿クラブが再開した。ネットゲームのパソコンも仕方ないので、アダルトゲームだけを取り除いて、空いている部分を広いスペースにして寿クラブの猫カフェバージョンとか云うものにした。コネも効かし、すぐになんだかんだと免許も取った。年寄り割引き料金も設定して、お元気レストランから、軽食やコーヒーサーバーやジュースサーバーなどの飲み物なんぞも運ばした。でも赤字は丸見えだったので、こっそり赤字を補填する複雑なシステムまで、考えた。優花も10年以上官房長官をしていた政治家だった。優花は料理長に言って、原価なんぞ誤魔化して、いい食べ物を入れてねと言った。干からびたサンドイッチやボソボソのスパゲッティなんぞは置かなかった。普通の昼飯代程度の料金で、年寄り割引き料金もあって、年寄りたちも集まった。リトルキャット運用会社は、法人契約までして、猫ビッフェの設立と維持を頼んだ。年寄りたちや猫たちはそこで休む事にした。高級カリカリや水とか猫トイレも用意して、やっぱりニコニコサービスの猫特約もつけた。

儲けた株屋の猫たちも太っ腹だった。リトルチャは、ケチケチするのが、嫌いだった。カニの足を一本食べるのに、カニを一匹注文するような猫だった。その位の儲けはしていると強気だった。値段なんか気にせず、新鮮な鯛や好物だったカニやイカなんぞも用意させた。リトルチャ自身は、少食だったし、そんなにはリトルキャット運用会社にはいけなかった。本職はやっばり、スイスカナコインだった。保養施設はリトルホワイトが、角はとれたと言っても偉そうだった。猫たちの一部は、リトルチャも滅多にいないしと、この猫カフェに通った。だんだん人気になった。猫たちのおこぼれのように、カニ雑炊とか鯛の炊き込みご飯、あら煮なんぞも考えた。香奈の家の猫は贅沢だったので、鯛も、新鮮な鯛の切り身しか食べないし、カニも太い足の身しか食べなかった。その残りを使って、人間用のシーフードランチなんぞを考えたのだった。原料代は猫ブッフェのお金から出ていたが、お元気レストランの調理の人は、猫ビッフェに出した後、そのまま捨てるのも勿体ないと言って、シーフード料理をあれやこれやと試してみた。そして、ついに新鮮シーフード猫カフェとか云うものになった。猫ビッフェの残りが中心で原料費も安く、それに美味かった。「いつまでも元気で」の水もやっぱり使った。安くて美味く、年寄りだけでなく、年寄り以外の人たちも一杯きた。

香奈の家の猫は、人に媚びるなんぞの芸当は出来なかったが、香奈の家は、人よりも猫は多かった。それに日中は、人はもっと少なかった。香奈は猫の事になるとムキになる性格だったので、瑠璃でさえ、猫の事にはノータッチを通していた。猫たちは自由だったが、自由な人との触れ合いは少なかった。猫カフェに猫嫌いはまず来ない。それに香奈の家の猫は、人の心が読めた。猫たちは食い物や水もあるし、猫好きの人もいるしと取引猫だけでなく、通うようになった。香奈の家の猫たちは今や猫の展覧会みたいに色々なタイプの猫が増えていた。人と同じように金のある猫には、美人や二枚目が、いや可愛い猫が寄ってきていた。猫カフェは次第に人気が出た。

「財団ビルの近くに、猫カフェができたのよ。値段は安いし、飯はいいし、飯くってから、ネットケームもできるのよ。ちょっとした人気なのよ。猫は自由にウロウロしています。猫嫌いの人はお断りとも書いているらしいわ。財団の奴らも昼飯食いにいくらしいのよ。自分たちはサービスランチセットなのに、猫たちが、偉そうに鯛の切り身とかカニの身なんぞ食っているのが、ムカツクとか言う奴もいるけど、でも可愛いとか言う人もいるのよ。媚びない所もいいとか言っているわ。凄く可愛いペルシャ猫も時々いるらしい。その猫はお客に挨拶するみたいにお辞儀するとか言って、人気なのよ。あの猫は、香奈さんの家のリトルホワイトの嫁さんじゃないの。この間、私にもお辞儀していたわよ。猫もパートに出るのね。」
香奈 「パートなんぞ認めてないよ。飯ぐらい、十分に食わしているのに、リトルホワイトに言ってみるわ。」
リトルホワイト「僕も手を焼いているんですよ。ナターシャも時々いっているんですよ。僕が厳しくマナーを言うもので、保養施設チームからも遊びに言っているらしいです。でも金もらっている訳ではありまぜんよ。親父たちがリトルホワイト運用会社なんぞ作り、その経費で食っているだけですよ。自分で稼いで食っているのが、なぜいけないんですか。人間たちとも交流していますよ。あれはお元気レストランの経営ですよ。でも気になっている事もあるんです。お元気レストランの飯も美味しくらしく、猫好き以外も来ているんですよ。猫見て、いやな顔する爺さんもいるようです。くだらない理由で下痢でもしたら、問題になりそうです。お元気レストランと猫カフェは別にして、自販機でも置いたらどうでしょうか。」

リトルキャット運用会社は大幅増資、子会社まで出来た。

香奈はリトルキャット運用会社も知らなかったので、正人を呼んで、事情を聞いた。そこそこの運用成績だった。もう、配当や運用手数料、システム利用料、子猫たちの飲み食い、事務所の経費そして税金など取られていたが、資産総額は、50億にもなっていた。ただ香奈には小さすぎる単位だった。正人にもう少し増資しなよ。ケチくさい金額じゃなしに、500億増資しなよ、海外香奈の配当からも香奈特別基金に積むするようにしなよ、合計1000億程度にして、残りの500億を神之助君に言って、香奈特別基金として運用委託してもらうように相談しなよ、やり方はお前の得意分野だろうと言った。奈津美にも言った。細々と日本で積み立ているだけでなく、スイスカナコインと連絡して1000億程度の金を変動準備金から香奈特別基金に振り替えなよ、スイスカナコインの為替の奴らに連絡して、スイスフラン資産以外にも円資産を考慮したスイスの香奈特別基金をスイスカナコインの中におきなよと言った。

これで本当に香奈特別基金は、安定化の準備資金として堂々に貯めるようになった。香奈の意向で香奈特別基金を別勘定とし、財政基盤の安定化とする事ならば、誰も何も言えない基金となった。スイスカナコインで、元々香奈の猫たちが稼いだ金、つまり外部的には香奈が受け取るべき筈だった15%も、いつしか半分の7.5%を運用部門以外の部門が投資に回し、半分を変動準備金として別勘定においていた。香奈の報酬もそこに追加していた。スイスカナコインは好調だったので、役員報酬は結構高かった、最高責任者の香奈が無報酬で、その下の役員がごっそり報酬を貰うのも不自然だったので、一番高い役員報酬よりも高い金額を香奈の報酬分として、追加して変動準備金としていた。変更してから、結構時間も経っていた。猫たちも稼いでいた。この膨大になっていた変動準備金を、5%を香奈特別基金におき、残りを自由にしろと言ったとスイスカナコインの連中は受け取った。スイスカナコインの連中にとっては、莫大な変動準備金の三分の一が、自由に各部門に割り当てられたと考えて喜んだ。奈津美が言った香奈の意向でそうすると云った瞬間に、今までの変動準備金を香奈特別基金に振り替え、スイスフランベースではあったが、香奈特別基金が1000億相当ではなく、もっと大きな別勘定として設置された。今後の香奈直轄の運用手数料の5%と香奈の報酬は、スイスカナコインの為替の連中により、日本連絡事務所の指導料とか維持管理料とか香奈の報酬とか名目を考えて、日本へ送金された。スイスにも、そんな事を考える職業の人がいた。奈津美が香奈にも了解を取っていると云う言葉より、香奈の指示と云うのが決定的だった。香奈のご威光はスイスカナコインでは、誰かさんの印籠以上の強さがあった。あっと云う間に、スイスカナコインはシステムを組んだ。香奈ファイナンシャルでもよく似たものだった。正人はそこそこ影響力もあったが、切人に取っても、香奈の指示となれば、入り組んでいた香奈オーバーシーズからの配当とか香奈海外の配当とかがすっきりした。香奈オーバーシーズから海外香奈が貰う配当を、海外香奈が香奈ファイナンシャルに払う配当に置き換える事にすればいいだけだった。香奈オーバーシーズも、正人が融資をしたり、神之助が現金を為替運用したりしており、運用しない筈が利益がかなり出ていた。神之助は、香奈オーバーシーズを含む三つのオーバーシーズのお金は、経費を除いて、利益も、ほとんど運用元本に組み込んでいたが、少しはこれらのオーバーシーズに渡した。オーバーシーズ自体も利益の5%を配当するようになり、オーバーシーズにも金が必要だと思った。その上、香奈オーバーシーズは、正人が金も貸していたので、金が入っていた。資金総額も膨大だった。配当率なんぞは低かったが、それでも配当そのものは結構出ていた。その配当を、切人は、わざわざ海外に送金なんぞせずに、香奈オーバーシーズに保管してもらい、海外香奈からの香奈ファイナンシャル国内が受け取る配当と清算しようと思っていた。ところが、香奈ファイナンシャル自身も国内の運用や傘下の企業からの配当も入り、香奈海外からの配当なんぞは受け取らなくても、利益の5%程度の配当なんぞは払えた。それに香奈オフィスが海外での事業展開が増え、増資などの時に、海外香奈に増資を受けるより、国内香奈として増資を受けたいとの瑠璃の意向もあった。

この原因には、切人と瑠璃の間で香奈オフィスの配当を巡るバトルもあったのだ。香奈オフィスは、昔は、基本的に配当なんぞは出さなかった。香奈も働いている人には、成績に応じて報酬を上げていた。相場取引でも儲けた金額の一定比率で、相場以外のコミッション商売でも同様に報酬を上げてきた。香奈も長い間、利益比例の高額の報酬を受け取ってきた。香奈は、基本的に働いている人にも、利益比例で報酬を出した。相場で儲けていた時も、実業でも同じだった。会社として利益が上がれば、社員には利益比例で高給を出していた。香奈オフィスの成長の根源にはそれがあった。相場好きの人もそこに魅力を感じていた。元手は香奈オフィスが出して、稼ぎに応じて、報酬が貰えた。しかし、配当を出さず、内部留保にはつとめた。資源ビジネスは、それ自体多額の投資が必要であり、配当を出すよりは、内部保留に回し、何かあった時に使えるようにしておかないと商売にはならない。香奈オフィスは、香奈の個人会社のようなものだったので、配当は出さないで、それを内部に保留して、成長の源としてきた。もっとも香奈オフィスが出資した合弁会社では、高額の配当率を要求した。それは別だった。しかし瑠璃や徹彦そして孫たちにも出資させるようになって、冶部一族の管理会社などと同様に、配当を少しは出すようになり、最終利益の5%程度は出すようになった。報酬としては、金だけではなく、ナンタラオプションとして、希望に応じて、香奈オフィスの現地子会社の幹部たちにも少しは株も持たした。香奈オフィスは、過少資本の会社だった。持ってる金に比べて、資本金は遥かに少なかったので、幹部たちもそれを望んだ。香奈オフィスは、やっぱり資源利権を取得する時には、多額の資金を必要とした。そんなに、資源利権は安く、いつもいつも転がっているではなかったが、偶には入手できる機会もあった。香奈は、昔は相場で儲けた自分の個人会社から融通した。香奈ファイナンシャルが出来た後は香奈ファイナンシャルが、その資金を融通した。しかし、香奈海外が大きくなって、香奈は、切人の香奈海外ファイナンシャルから出資してもらうようにした。融通ではなく、出資の形にしたのも、香奈はみんなで助け合っていこうとする方がよいとの考えもあった。しかし、切人は、当然儲かった金額に見合った配当を要求した。瑠璃は、驚く程の巨額の利益比例の報酬を取り、その上、海外での瑠璃の個人会社なんぞも作り、その会社に利益を落とすなどの小細工もしていた。切人は、会社の経理関係の書類を見るのはプロだったので、そんな事は直ぐに判った。切人達のグループの保有していた会社は、そんなにポロ儲けもしないが、利益比例である程度の配当を出す食品関係の事業が多かった。経営者たちが何十億も報酬を取り、従業員にも億に近い報酬を出す程儲けているのに、株主配当は、雀の涙程はオカシイと言って、食ってかかった。株式会社は、株主のお金を預かり、それをベースに社員が努力して、株主と社員に利益を回し、社会にも経済的な寄与をする組織であると、原則的な事を言った。香奈オフィスのような上場企業は、存在しないと言った。切人にとっては、儲けた分の一定比率は配当に回すのが、当然と考えていた。上場企業ではない筈の海外香奈の配当も、今は少しずつ上げていた。切人たちが保有している自分たちの財産管理会社であるマリアホープへの配当を増やす目的でもあった。マリアホープは、配当なんぞは低かった。切人にとってはやっぱり、それはそれだった。香奈オフィスは、みんな高給取りなのに、その割には、配当は少ないと文句を言った。瑠璃は当たっているだけにムキになって、反論した。香奈オフィスは、チンタラとデスクワークをして、漫然と一日をおくっている企業ではない、生馬の目を抜く事をしたり、儲け方を必死に考えているハードな仕事をしている企業である。儲けた時には、働いた人には報酬を出し、残ったお金は内部保留に回し、更に投資していかないと、ビジネスにならない、そしてその必要な投資額は、年々上がっていると言った。瑠璃は、香奈に国内香奈としての増資に切り替えて欲しいと言った。香奈は、資源ビジネスで金の要る事も判っていたし、香奈オフィスを大きくした瑠璃の経営手腕も認めていたので、本体香奈、つまり香奈国内が、海外香奈から出資分を引き取った。

そして海外香奈から本体香奈への配当は貯めておき、それを香奈オフィスへの増資分に充当する事にしていた。実務的には、正人は、切人に海外香奈で預かってくれるように頼んでいた。ところが、ボッタクリの瑠璃も儲けて、瑠璃は自分の個人会社も作り、やがて協調開発路線の奈津美が、香奈オフィスの実務を預かると投資金額も減り、その上、香奈オフィスも更に儲けて、香奈オフィスは、そんなに増資などは必要なくなっていた。そのため、香奈海外でも、本体香奈の受け取るべき配当は貯まっていった。危なそうだが、金はやたらと儲かる仕事は、瑠璃の個人会社が引き受ける事にした。山師は、一山当てれば、大金を得るが、瑠璃は、一山どころか山脈になるほど当てて、やたらと儲けた。香奈オフィスは、瑠璃の個人会社からも資金融通が可能となった。しかし、むしろボッタクリ案件は、香奈オフィスではなく、瑠璃の個人会社として行う事にして、瑠璃は大きく儲けた香奈オフィスの金を、瑠璃の個人会社に融通してもらい、それを元手に更に儲けるなんぞの事も時にはした。瑠璃の個人会社は、あくまで、鉱山や油田の名義だけを獲得するためのものだった。実務は香奈オフィスに任せたので、香奈オフィスも大きく利益を取るが、ズル賢く、叩いて買う、瑠璃の個人会社も、ごっそり、利益を掠め取った。意外な事に奈津美もそれは薄々知っていた。瑠璃のせいで、ボッタクリの香奈オフィスに云われた異名を拭い去るためには、それは仕方ないと考えていた。ボッタクリは、所詮一時的なボッタクリにしかすぎない。コンスタントに儲けるためには、ボッタクリの香奈オフィスなどの異名を拭い去る事が、結局回りまわって儲かると考えていた。ともかく、香奈オフィスも瑠璃の個人会社もやたらと儲けていた。本体香奈からの資金融通すら必要がない会社になっていた。それでも資源利権の金額も年々高くなり、万一、掘り出し物の大きな資源利権が出た時のために、瑠璃は正人に、本体香奈からの融資を受ける準備を頼んでいた。それが海外香奈における本体香奈の預かり金が蓄積していた原因だった。
切人は、貯まっていた香奈オーバーシーズから海外香奈への配当を、海外香奈から本体香奈への配当に一部清算してくれるように、正人に頼んでいた。しかし、正人はそれを認めると結局、切人がなし崩しに預かり制度を無くし、万一の時にオタオタすると恐れていた。海外に大量の資金を送金するのは、ナンダカンダと時間がかかった。神之助の管理するジブネットワークを使えばすんだとは言え、香奈ファイナンシャルとして処理したかった。表面的には、正人は、香奈オフィスもある程度の金を海外に保管する事が必要なので、海外香奈に預けている配当はそのままにして、香奈オーバーシーズの海外香奈分の配当は、それとは別に受け取れと切人に言った。香奈オーバーシーズは海外香奈の出資が多かった。今は切人は、香奈の顔もあり、香奈オーバーシーズの運営は正人が自由に出来た。あんまり海外香奈の預かり金を持っていると、切人が運営に口出しするかもしれないと考えていた、一方、切人は、香奈亡き後の事態を想定して、海外香奈での本体香奈の出資比率をこれ以上、上げるつもりはなかった。香奈は海外香奈の運営を、今は切人に全面的に任せてくれているが、その後を考えるとむしろ減らしていきたいとすら考えていた。正人と切人は、色々な思惑もあって、睨めっこみたいな状態が続いていた。切人は、キャッシャポジョンよりも効率的な運用をしたいタイプだったので、使えない、こんな預かり金なんぞは少なくしたかった。切人は、今や運用よりも実業的な感覚になっていた。金はそのまま抱いていても利益を呼ばない、回転させてこそ、利益を呼ぶと考えていた。

香奈特別基金の本格的な設立の話を聞き、切人はとりあえず香奈オーバーシーズ内に、蓄積されていた海外香奈のお金を、香奈特別基金に回し、整理する事にした。海外香奈が持っていた本体香奈に対する預かり金が、その分減って、切人が使える金が増えた。更に切人は、正人に提案した。依然として残る、本体香奈が海外香奈に預けている配当の残金を、海外香奈から香奈オーバーシーズに出資している海外香奈としての出資金を、本体香奈からの出資金に変更して、相殺する事を提案した。海外香奈も多額の準備金を持っているので、香奈オフィスが至急に必要な場合は一時的に、海外香奈が立て替える事を約束した。正人も香奈オーバーシーズの出資割合を調整したかったので、香奈に相談した。香奈は切人も呼んで、説明させた。香奈は実業分野に比重をおいたとしても、世の中何があるか判らない、準備金は大切だよと切人に言い、効率的な運用もその点を考慮するようとも言った。それでも香奈オーバーシーズの出資割合を本体香奈と海外香奈が同様の比率になるまで、基本的に、切人の提案を認める事にした。ただ海外香奈から本体香奈への配当の半分は、ブールして、半分は、香奈オーバーシーズからの受け取る配当を整理して、香奈オーバーシーズへの出資を本体香奈からとしての出資に切り替える事を認めた。そして切人の子供たちの中から、だれかを香奈オーバーシーズか本体香奈の事務局に入れ、本体香奈と海外香奈との間の調整をするように命じた。具体的には、リトルキャット運用会社が、香奈国内から相当のお金を借りて出資し、国内香奈からも海外香奈への出資金の半分を移行させた国内香奈とリトルキャット運用会社の財産管理会社のようなヨーロッパ子会社を、ヨーロッパの税金が安い国に作り、そこに、海外香奈からの配当のお金をプールするようにした。そしてヨーロッパ法人の設立や管理は、切人に任せた。切人は、形式的にも、海外香奈を自由に運営できるようになった。それと同時に、香奈オーバーシーズでは正人が自由に運営する事を、切人に認めさせた。香奈オフィスが資金が必要な時には、スイスカナコインの中にも香奈特別基金を積んでいるので、奈津美とも相談して、対処する事に決めた。奈津美は、自分が管理しているスイスカナコインの香奈特別基金だったので、奈津美には、都合が良かった。香奈は、正人と切人の言い分をそれぞれ認め、お互いにやりやすいように配慮した。つまり、切人には、海外香奈の運営自主権を持たせ、正人の香奈オーバーシーズの運営自主権を切人に認めさせた。香奈は、香奈ファイナンシャル内でも協議を十分に行う事の必要性を、正人と切人に言いきかせた。リトルキャット運用会社としての出資分は、そんなに多くなかった。10パーセント以下だった。それでも、香奈ファイナンシャルに対して相当な借金をした。香奈海外は、切人が株式なども保有していたし、配当は高かった。香奈は、ある程度経てば、海外香奈からの配当で、リトルキャット運用会社の借金はなくなり、リトルキャット運用会社が、海外香奈からの配当も少し手にする事ができるとも考えていた。香奈は、二重三重に考えていた。

こうして、スイスカナコインも香奈ファイナンシャルでも、香奈特別基金は、1000億相当に限定されない、財産管理会社まで持つ、巨大な基金となった。正人は、香奈に言われたように、神之助にも、500億を運用委託した。神之助にとっては、小さすぎる金額だった。神之助は、何兆の金を扱う人だったので、ジブの正式組織であるオーバーシーズ以外は決算毎に清算して、運用利益を一反返すようにしていたが、こんな小さい金額をチマチマ計算する事はせず、オーバーシーズでも利益の一部は税金や諸経費のために、それぞれのオーバーシーズに返していたが、それすらもせずに、運用利益を神之助グループの運用手数料、ジブの経費等を引いて、元本に加えていく方法を正人に提案した。正人も了承した。この時期の香奈特別基金に取っては、大金だったが、神之助にとっては、端金だったので、神之助は、預かった事すら忘れてしまった。単に帳簿上に記載されている金額にすぎなかった。神之助の運用利回りは、年に1割程度は低い方で、年に数割はざらにあり、時には五割を超える時もあった。神之助は普段は大人しく、保有する通貨の保有割合などを見て、為替とか債券で運用するだけだった。しかし、神之助は大人しくなったとは言え、やはり世界一の投機家でもあり、チャンスとみれば、大きな仕掛けをした。ほとんどの場合、神之助の個人会社を入れた神之助グループの金を使い、神帥や神元に比べたら、稼ぎの少ない神香や善作の個人会社の運用も代行して、投機をしていた。それでも神之助が見て、より確実だと思ったり、大きな金で仕掛けたい時には、ジブの金やオーバーシーズの金も使った。大きな為替や商品相場の大変動の影に神之助がいると疑われるのにも訳があった。こうして、雪だるま式に、香奈特別基金が神之助に預けた金は増えていった。

切人やスイスカナコインにとっては、猫基金ではなく、あくまで香奈特別基金だった。この基金は、名目的には、財政安定化のために、香奈が自由に使える基金であった。流石、香奈は、正人とは比較にならない大タヌキであった。香奈は、正人が意図した猫基金の構想を超える巨大な基金を作り上げた。その上、香奈ファイナンシャル内部そしてスイスカナコイン間での連絡や協議ができるようにした。こうして結局、香奈は、猫の面倒を見る猫基金を作ると云うレベルを超えて、香奈ファイナンシャル内の連絡を取り合う事を含めて、巨大な基金を作った。それに香奈には、運用手数料なんかでは、直ぐにそんなに貯まらないのではないかとの思いもあった。チマチマした金なら、どこにどれだけ使ったとか問題になるが、逆に大きな金額の方が返って判りにくいと思ったのだ。木は森に隠した方が判りにくいと香奈は思っていた。

しかし香奈は、甘かった。猫たちは稼いでいた。そんな借金を簡単に払いきるとか、スイスカナコインや香奈ファイナンシャルの運用手数料の5%が巨大な金額になると云う事はまったく予想していなかった。ただ香奈は用心深く、リトルキャット運用会社に出資させた金額の中で、運用する金額は口座残の半分以下になるように、ごきげんソフトにシステムを変更させた。つまり、新しく増資するお金の半分の250億はリトルキャット運用会社の運用しない金とするようにして、資産の分散化も図っていたのだった。それは香奈国内でも同様だった。香奈は、最近特にキャッシュポジョンを重視するようになった。株は急落する事もあるし、運用もいつ大損するかもしれない。キャッシュポジョンを50%以上取っていれば、対応しやすいと考えるようになっていた。ただ例外もあった。スイスカナコインは、香奈の隠し口座から由来する会社であった。香奈の隠し口座と金の保管のために出来た会社でもあった、香奈は、スイスカナコインがいくら稼いでいても、スイスカナコインには、キャッシュポジョンを十分取れとは言わなかった。新規事業のための借金なんぞは認めなかったが、スイスカナコインは各部門の内部保留の中で自由に運用、投資、新規事業への展開などをさせていた。スイスカナコインは、コッソリートの証券会社を買収して、コッソリート一族への配慮から、証券会社は儲けた金の三分の一程度は配当に回していた。スイスカナコイン自身は、配当は雀の涙程度しか出さず、スイスカナコイン傘下の会社も、内部保留に努めていた。株式を保有していた上場企業には、当然利益の三分の一程度の配当を出すようには言った。やっぱり、それはそれだった。スイスカナコインは儲けた利益の一定比率は、金を買うための準備金とはしていたが、それ以外では、ジブスイス財団や学校などを維持する金も要ると云って、キャッシュポジョンなどは特に求めてはいなかった。

香奈は、リトルホワイトの親父猫であるリトルチャには話して、リトルキャット運用会社へ増資はしたけど、キャッシュポジョンは、50%となるように設定したよ、と言った。それでもリトルチャは、「助かりました。金がなくてチマチマした勝負ばっかりしていたりので、やっと自由に出来ます。リスキーな勝負には利益の中でしますよ。なーに、直ぐに金は増やしますよ。私の実力を見ておいてください。スイスカナコインでは、親父の指示通りにリスク管理ばっかりしているから、イマイチ利益が上がらないのですよ。」と生意気にも香奈に言った。

一方、リトルホワイトの指摘ももっともだと思い、優花にも注意した。優花も猫カフェに行っていた竹花から同じような指摘も受け、お元気レストランのランチ専門レストランとネットカフェとを融合させたものを新たに作る事にするといった。竹花の爺さんは、そんなに猫が好きではなかったが、陽太がいる不動財団本部に通うようになり、あのおっさんが運営していた「お元気レストラン」の気障たらしい高級感が気に入らず、優花が直接運営する猫カフェ風の店に行っていた。猫好きでない人にとっては、猫たちと飯を一緒に食うのが気に入らず、注意の上にも注意と、優花に言っていた。現在の寿クラブは、食事を提供しない猫カフェとして、猫用のビッフェは以前の休憩室に移す。既にリトルキャット運用会社から法人契約で、ビッフェ維持の年間契約を結んでおり、猫たちの中には、契約不履行だといいそうな、法律にうるそうな猫もいた。リトルホワイトの親父猫だったリトルチャもそういう事にはうるさい猫だった。正人からも、やんわりとそう云われたので、猫ビッフェへの食事提供は維持する事になった。

そんな時、単にネットカフェのような喫茶店の筈だったが、実はノーパン喫茶とアダルトゲームを融合させた店が、警察の立入り調査を受けた。ウェイトレスの姉ちゃんが、トイレでなにかをしゃぶって、金を貰っていた。姉ちゃんがしゃぶる前に、あまりに小さいので、思わず含み笑いをした。された兄ちゃんが怒った。ボッタクリだと警察へ訴え、自分も恥をかいたが、警察も一応調べた。店の関与があるかないかとか言われた。警察も、アホから云われた事に真剣に捜査する程ヒマでもなく、形だけの捜査だったので、直ぐに立ち消えになり、経営者はさっと店を閉じ、姿をくらました。実は、お元気レストランのあのおっさんが、他人名義でやらせていた。優花はあのおっさんに、チクリと一言はいった。「危なかったわね、あの人は、多分ダミーだろうね、実質的な経営者とか言われる前に騒ぎが収まってよかったね。、それにレジャーランドの安全対策もしっかりしないと大変だよ、ケチくさい事をしていると返って大変になるわよとも言った。あのおっさんは、手抜きしていた安全対策を厳重にした。優花も見る所はみていた。あのおっさんも優花に頭が上がらなくなった。元々優秀で、商売上手なおっさんではあったので、優花も脅しながら、使う事にした。このおっさんの作ったレジャーランドは、結構有名になっていた事も関係しているのかもしれなかった。日本のみならず、世界から客を集めるレジャーランドになっていた。怪しげな店は、偶々同じビルで、結構広いスペースだったので、優花の直轄ランチ専門お元気レストランに改装された。

お元気レストランと猫カフェは分離した。猫ビッフェも以前の休憩室に移動した。猫カフェと社長室の間には猫用出入り口をつけた。そしてネット用のパソコンも、お元気レストランに多く移動して、本当の猫カフェになった。取引猫の休憩室とそれ以外の猫の遊び場にもなった。変な奴が来ないように、この猫カフェはリトルキャット運用会社の株主専用室とした。出資は一万円として、猫カフェでの自販機は無料だった。子猫たちにしてみれば、人カフェのようなものだった。人好きの猫たちが、人と触れ合う事で、猫たちの安らぎを得る場所に作ろうとしたようなものだった。やっぱり、切った張ったの生活では、安らぎが欲しかった。保養施設では、リトルホワイトが何かとうるさく、アーダコーダとうるさく指示していたので、保養施設組も、時々、家で休息したし、好きな時だけ人に交わり、後は猫ビッフェもある休憩室でも休めるリトルキャット運用会社に遊びにきた。

「財団の奴らは、飯食うためだったので、優花ちゃんのランチ専門お元気レストランに行ってるよ。あいつらはそんなに猫好きじゃなかったみたいだね。それでも食後にネットゲームなんぞより、猫カフェに行って、猫たちとのんびりしようとする奴らもいるよ。リトルキャット運用会社の株主になれば、ただでドリンクも飲めるらしい。」
香奈 「猫たちにとっても、変な客がこないように考えたよ。正人に言って、猫カフェにも見張り番を置く事にしたのよ。子猫たちも時には、自由に伸び伸び、人と触れ合う場所が欲しいとか言っているらしい。保養施設も、リトルホワイトがうるさく指示しているらしいのよ。あれも仕事と言っているらしい。私の家でのんびりしていればいいのにね。飯もちゃんと食わせているのに、ここの鯛の活け作りは絶品なのにね。外にいるとなにかと心配なのよ。」
「それでも家にじっとしてろと云うのも大変だよ。私もここの会議室を使う事が多いけど、時々、ジブシティーの財団ビルには行くよ、香奈さんの専用ラインは便利だよ。猫もそう思うのも判るよ。」
香奈 「あんな余計なものは、無駄だと言ったのよ。使うのは、雨の日ぐらいだよ。でも研究所に通う子供たちも結構使っているよ。」

本当の寿クラブは、優花が新しく作ったお元気レストランの中に出来た。ここの寿クラブは、老人では時間当たり100円の有料だったが、飲み物も飲めたし、新聞も読めた。ネットも出来た、長時間割引や一ヶ月コース割引まであった。
お元気レストランの優花直轄レストランとしてリニューアルしていた。料理は猫のおこぼれのシーフードだけでなく、肉や野菜料理なんぞも考えた。レストランの客も、寿クラブを利用できた。サービスランチセットは作った。つまり、優花が以前運営していたレストランと良く似てきた。優花は陽太が新しく不動マンションを作る場所の近くには、展開していくつもりだった。あのおっさんが取った経営手法はもっともな点もあった。安いよとも協力して、冶部食品や岡崎交易とも連絡していけば、もっと安く、豊富な原料を入手できるのだと気づいていた。あのおっさんは、お元気レストランを気障たらしい高級レストランチェーンにした。確かに利益率は高かった。猫カフェのようだった新鮮シーフードレストランは、それには負けるものの、赤字ではなく、むしろそこそこの利益だった。優花は初心に返り、ちょいと安くした新しいレストランチェーンを、寿クラブとともに「お元気復活レストラン」としてもう一度作り直すつもりに、優花はなっていた。ランチ専門なんぞはすぐに、お客の要望とでも言って看板を変えればいいだけだった。優花も会長室で、書類に判子を押して、時間をつぶしたり、ウロウロして、店やレジャー施設に行って、時間をつぶす生活から、復活していた。

ジブシティーは中心部は車乗り入れを禁止していたし、製薬の工場も中心部へは車も出せず、市外へ出る出入り口だけが車が入れた。エンジェルホープジャパン病院もわざわざ専用の車の引込み線まで持っていた。それでも香奈は事故を心配して、香奈専用ブライベートラインから猫専用のキャットラインをリトルキャット運用会社のビルの中まで延長した。更に子猫たちの事故を防止するために、午後7時でリトルキャット運用会社も猫カフェも閉じるようにいった。香奈の家の猫の部屋にリトルキャット運用会社用のパソコンを置いて、後はここでやりなさいと言った。なんだかんだと騒いでいたので、チャもココも当然、リトルキャット運用会社の事を知った。逆上するココにチャは言った。

チャ「子猫たちも自由が欲しいのだよ。香奈さんは増資しろと言ってくれ、500億増資してくれるらしいよ。猫軍団の将来はやっぱり、新しい猫たちが作るんだよ。」
ココ「でもあの子らは、まだリスク管理がちゃんと出来ていないよ。心配だよ。」
チャ「僕たちは、以前のように取引するしかないけど、いつまでも生きていけるわけでもない。子猫たちは子猫たちで考えていくんだよ。僕も元気なうちは、ちゃんと頑張るよ、しかし、子猫たちは子猫たちの生き方があると思うよ。」
ココ 「それはそうかもしれないわね。私も自分のやり方で教えていくわ。」

猫カフェは、猫たちだけでは当然出来なかった。香奈は、正人にちゃんと、組織を作れとも言った。正人はもうひとつの大きな銀行の隠れた大物だったので、人も斡旋して、組織は作った。しかし老人たちもそれなりに組織が出来て、リトルキャット運用会社は株主も増えてしまった。そうなると、人も増員して、カフェも維持しなくてはいけなかった。猫カフェとリトルキャット運用会社だけで、ビルの一階部分を独占した。変な奴らが来ないようにした。維持費や人件費もいった。子猫たちは稼いでいたので、金はなんとかなったが、多くの人が少ない出資金ではあったが、株主になってしまったし、配当率も5%とは言えなかった。利益の10%程度は、配当した。雇った人の給料も少しあげた。一方、流石にあの老人への運用手数料は、高額の役員報酬に変わっていった。高額の固定給に計上利益比例で多少の付加給をつけた。猫のお世話料としては巨額とは言えた。それに配当もあった。猫カフェの運営のために雇われた人もいた。雇われた人たちも、来ていた老人たちと相談した。

リトルキャット運用会社は、自由に取引ができても、子猫たちは、身に染み付いたリスク管理も忘れなかった。香奈は増資させたが、子猫たちは、キャッシュポジションを大事にして、先物、デリバティブも当然取引したが、国内株はココの安定株と成長株中心の堅い取引が多かった。キャットコイン運用会社では、子猫たちはみんなで検討して、資金を半分つづ、国内組とスイス組に分けた。リトルキャット運用会社は、二つのグループに分かれて、運用するように決定した。ただ、リトルキャット運用会社専用のパソコンが香奈の家にあれば、物の通りとして、午後7時以降にしか使われない筈はなかった。スイス組は、実質的に、二つの財布で取引する事になった、そんなに運用会社に行けなかったリトルチャは、自分のやりたいように、リトルキャット運用会社では取引し、スイスカナコインでは、リスク取りを十分とりながら取引した。初期のカミカミとジブトラストのようになった。猫たちは、運用枠を国内組と海外組の中でもそれぞれに資金を公正に分け合ったが、スイス組の中で、リトルチャは、為替もデリバティブも商品相場も担当するからと言って、自分たちのグループにも半分以上の専用枠も取り、自分たちのグループの稼いだ金をリスキーな勝負、投機のような取引に使った。利益は驚異的に伸びた。猫たちは儲けていったので、元々、作るつもりもなかったヨーロッパの財産管理会社への出資の時に、香奈ファイナンシャルから借りた借金も少しづつ返していった。人件費と言っても、あの老人とか役員報酬たったが、それも払った。事務所の家賃も払った、情報システム料も払った。そして税金も払った。利益の10%を借金返済に使った。借金返済といっても財産管理会社のための借金だったので、準備金に貯めるのは、利益の半分ではなく、40%は準備金に貯めた。ヨーロッパの財産管理会社は、単に貯めておくための会社でもあったので、配当もくれず、リトルキャット運用会社は一般株主もいて、利益の10%は配当した。利益の40%だけが運用枠拡大に使われる事になった。そんなに運用する金は増える筈もなかった。香奈も正人もそう思っていた。それが狂った。何しろリトルチャは、年間では運用枠の10倍を遥かに超える利益を上げた、運用する金は、急速に増えていった。

運用する金が増えてくると、リトルチャは、正人と話をした。リトルキャット運用会社に、運用子会社を幾つか作って欲しい。取引窓口の分散化を図りたい、そして手口を判りにくくして欲しいと言った。正人も、もう一つの銀行の退職者向けのポストが出来るので、その提案に乗った。そしてリトルチャのグループで複数の子会社を作る事になった。会社の所在地は、初めは、ジブシティーの同じビルの一室だった。代表者は、当然猫たちではなく、もう一つの大きな銀行の退職者の名前が並んでいた。彼らは単なる経理係にして、次の再就職先が決まるまでの止まり木のつもりで引き受けていった。リトルチャの運用資産が、膨らんでいくにつれて、当然運用会社は増え、もう一つの大きな銀行関係の外国人までにも、止まり木が増えていった。リヒテンシュタイン、ロンドン、チューリッヒ、シンガポール、ニューヨークそして挙句にはケイマンまで作った。もう一つの大きな銀行の退職者たちもなんやかんやと仕組みを考えた。そんな事でもしないと暇だった。幾つかの運用会社は、別の運用会社に運用を委託させるなどの複雑怪奇な仕組みも作った。ごきげんソフトとも、ネットワーク網や資金の出し入れなどについて、細かく協議した、実際の運用は、香奈の家で、たまにはジブシティーのリトルキャット運用会社で、リトルチャが総合指示を出して、統括していた。正人は、色々なルートの人に、職と云うか止まり木を提供して、影響力を高めるともには、経理操作も複雑になった。リトルチャは、仕掛けがしやすくなった。

実業にも進出! 不動マンションの住人が頑張りだした。

猫カフェで働いていた人は暇だった。猫好きな人たちと色々と話をした。猫の写真を取ったり、猫のイラストなんかをする人もいた。ナターシャはやはり、人気があった。負けずに、その他の女の、いや雌の猫も来て、競争になった。配偶猫は色々と系統が変わり、猫のファションショーにもなった。益々猫好きの人が来て、リトルキャット運用会社の株主は増えた。株主になる最低出資金は、安かったので、猫カフェの終身会費みたいなものだった。元気な年寄りたちは、猫たちと触れ合うだけでなく、少し猫グッズなどを作ろうと言い出す人もいた。最初は、細々とした内職みたいなものだったが、作ったら、売ってみたくなり、小さい直営店をつくり、売り出した。少しずつ人気が出てきた。正人は、リトルキャット運用会社の純資産が500億以上あれば、そんな経費は気にせずに出した。正人にとっては、リトルキャット運用会社は、500億円の別財布のつもりだった。陽太は、不動マンションで暇を持て余していた人を応援に出した。バイト代目当てと暇つぶしの積もりだったが、なぜか、元気になった人たちが、頑張りだし、自分たちの経験のある範囲で多様な製品を作りだした。不動グループの企業で、シャツも作ったし、カバンも作った、ネットでも売ったし、直営店でも頑張りだした。それを見ていた神二郎が、不動総合も出資して、リトルキャット運用会社と不動総合企画との対等の出資で、資本金100億程度の株式会社リトルキャットを作ろうと言い出し、リトルキャット運用会社で運用しないお金が一杯あったので、正人は大して深く考えずに出資して、本格的な業務を行う事になった。

実際の運営は、リトルキャット運用会社の人も手伝ったが、ほとんど不動総合企画の人が運営し、不動マンションの住人が働いた。神二郎は、この株式会社リトルキャットで、不動マンションの人の雇用を維持し、再生に役立てようとした。ナターシャは、写真やイラストになり、評判だったし、ラブリーキャッツと云う写真集も作った。優花も調子にのって、善作に詩を書かせて、「ナターシャは諦めない」とか云う歌も作った。当然、神香も善作に少し詩を変えさせた「明日も太陽は輝く」と云う歌を作った。それを両面A面扱いでCDをリリースした。正人は、得意の絡め手を使い、リトルキャットプレゼンツといいながら、色々なルートを使い、工作した。こんな事は正人は得意だった。これがヒットとした。正人に媚びようとして、「ナターシャ」と云う、資産家の綺麗な女の子が、両親が破産した後、苦労してデザイナーとして活躍するドラマまで作る奴まで現れた。主題歌から出来たドラマだった。それがアイドルなんぞを起用したりして、ヒットした。陽太まで、再チャレンジ社会の必要性をあっちやこっちで講演して、この二つの歌を、再チャレンジ社会のテーマソングにもした。調子に乗って、洋服などは快適に頼めばいいと、事もあろうに、聖子に相談した。さすがに聖子は直感的に金になると判断した。株式会社リトルキャットは、ワンポンイトの刺繍やデザインなどを商標登録までした。不動マンションの人が初めはバイトで、次には社員でと、株式会社リトルキャットは、単なる老人クラブ会社でもなくなった。聖子も、あっさりと委託製造を受けて、製造単位の少なかった辺郎の小さい工場で作らせた。聖子は、ブームに乗って、儲けようと考えた。辺郎を甘くみすぎた。辺郎は刺繍も丁寧にして、洋服などもさり気なく刺繍を入れたりした。生地も色々と凝った、縫製もしっかりしていた。布製や革のバッグまで作った。辺郎のアジア快適の製品は仕事は丁寧だが、デザインと云う考えが弱く、面白味がなかった。リトルキャットの老人たちや猫好きの人たちのデザインは、結構しっかりしていた。販売は株式会社リトルキャット、製造はアジア快適のこの製品は、一過性のブームではなく、やがてどんどん伸びていった。

リトルキャットは、辺郎のアジア快適や神帥の食品会社まで巻き込んで、巨大なブランドへ!

このワンポイントアクセントは、辺郎のアジア快適の製品のメインマークにもなり、ナターシャブランドの洋服とバッグそしてグッズは人気になっていき、快適ルートでアメリカにも販売し、アメリカでは、やたらと人気がでた。辺郎は、一々商標料やデザイン料を払うのではなく、リトルキャットエイジアンコーポレーションをアジアの快適と株式会社リトルキャットとの間で対等出資した合弁会社を作って、この会社に、利益に応じたランセンス料を支払う事で、海外での商標権やデザイン権の管理をリトルキャットから譲り受けた。アメリカでは、衣料用品にとどまらず、神帥の食品会社がリトルキャットとの合弁企業の、リトルキャットフーズを作り、同じようにライセンス料を支払う事で、海外での食品分野での商標権やデザイン使用権を獲得した。神帥の食品会社は、品質はいいものの、デザインや訴求力に弱かった、神帥の食品会社のメインブランドになった。商才のあった羽郎は、神帥とのコネも活かし、リトルキャットフーズとブラジル食品研究所との協力関係も強めた。単なる商標やデザインを付けた食品ではなかった。新しい技術、そうして多様な原料を使った一大食品ブランドになった。そうして、リトルキャットが、衣料から食品まで広がる大きなブランドになっていこうとは、この時は誰も予想しなかった。ナターシャもモデルだけではなかった。デザイナーでもあった。猫のくせに器用にデザインを作った。こうして、リトルキャット運用会社は基本的には、現物株の保有もし、運用もしていたが、子会社というか合弁会社のリトルキャットは、不動総合企画が不動マンションの住民の再生を図りながら、運営して、辺郎のアジア快適、神帥の食品会社などと協力していき、大きな会社へと成長していくのであった。リトルキャット運用会社は、出資した資本に対する配当を、株式会社リトルキャットは、合弁企業からの配当、商標権とブランド使用料そして国内販売を安いよと分け合ったが、この海外ライセンス料として、信じられないような大金が入ってくるようになっていった。ジブシティーのリトルキャット直営店は、やがて大きなビルに本店を構え、金持ち連中が綺麗なモデルを連れて買いあさるようなブランドショップになるとは誰も思わなかった。安いよでも同様の製品も売っていたが、その他の格安品も、当然安いよにも置いていた。安いよスーパーの包装紙より、デザインに凝ったリトルキャット本店の包装紙や紙バッグの方が人気が出た。聖子は、危機感を覚え、製品を一般品と高級品とに分け、一般品は安いよと快適ルートの独占とし、反対に高級品は、グランドリトルキャット製品として、リトルキャットの独占とする案を出し、それが成功して、住み分けが出来て、リトルキャットも安いよも大いに儲かった。アメリカとヨーロッパでは、リトルキャットの直営店といいながら、快適の現地法人がこっそり運営委託までした。幸夫は、ファション関係の総合服飾を目指していた。羽郎はそれを知って、同様の運営委託を請負、南アメリカで、同様の直営店を作る事をリトルキャットに提案して、南アメリカの快適の資本までこっそり入れた。アジアとインドを預かる辺郎は、高級ブランド品の直営店を運営するのは、躊躇していたが、自分たちが作っていた商品が多いので、ジブ現地法人なども誘い、自分たちも出資して、直営店を作り、運営委託を請け負う事になった。リトルキャットは、リトルキャット運用会社も出資していたが、結局、不動と快適と言うまったく違う企業風土を持つ企業が運営している会社になり、一部ではジブ現地法人まで資本参加もした。そうして独自のブランド品になっていった。

リトルチャは、スイスの荒事師と云われる投機筋に!

リトルキャット運用会社はキャッシュポジションだけを重視していたので、運用枠制限はなく、運用額は段々大きくなっていった。リトルキャット運用会社も当然大きくなったが、リトルチャのグループは、子会社をどんどんと作り、子会社の数も総運用額も膨らんでいった。リトルチャのグループでは、ついに一人、いや一匹の猫に一つの会社が割り振られていた。リトルチャは、時には株式そして株先物グループとも組んで、リトルキャット運用会社でのスイス組の親分みたいになり、大いに儲け、やがては、スイスの投機筋と云われるようになっていった。実はこれは単にリトルキャット運用会社とその子会社群だけで出来た事ではなかった。この時に、後述するが、実はスイスカナコインの猫基金の体制も変わっていた。運用手数料も一時的に15%に上げ、スイスカナキャットと云う会社に儲けた金を貯めて、それの半分ではあるが、再運用する事も出来るようになった。スイスカナコインは、チャが全体的に運用の指揮を取り、リスク管理を厳しく取っていたが、実行部隊の指揮は、チャタロウとリトルチャの二人、いや二匹だった。スイスカナコインの猫たちの運用枠は、もう数千億にも達していた。その中でも、リトルチャチームの運用枠は大きかった。スイスカナコインでは、スイスカナキャットからのお金を一体となって、口座残高に比例して、運用されていたので、リトルチャは、二つの財布を使っていた。法人的には、スイスカナコインとスイスカナキャットそしてリトルキャット運用会社と云う三つの財布でもあった。リトルチャは、シブトラスト傘下の証券会社系列とスイスカナコインの傘下の証券会社系列を使い分け、多量の売買を一気に動かし、板情報がでる直前の一瞬の間に、大きく乱高下させるなどの荒業もするようになった。株式と先物そしてデリバィブを使い分ける事から始まって、商品相場でも、銀を安値で仕込み、一挙に吊り上げ、多量の利益確定売りを浴びせる事もし、為替にも出没するようになり、大いに儲けた。リトルキャット運用子会社は、リトルチャが複雑な経理操作をしていたので、キャッシュポジョンの50%の約束も怪しかった。ここでリトルチャは、謎のスイスの荒事師と云れるような投機筋に成長した。このスイスの荒事師が、リトルチャと呼ばれる猫だったとは誰も考えなかった。正人もリトルキャット運用会社の財務や税処理などは、もう一つの銀行の退職者たちに見させていたが、運用子会社の数も増えて、経理操作もして、あまりに複雑にしたので、正人自身にもよく判らなくなっていた。一つ一つの子会社の経理や税務を見ていた人には、全体像なんかは皆目判らなかった。正人は、香奈ファイナンシャルの事務局、香奈オーバーシーズの融資の窓口そしてもう一つの大きな銀行、ジブ上海銀行を介在させて中国との折衝と色々忙しかった。名目的な社長の老人も、猫の世話役みたいになって、子会社を含めた業績なんかには、判らなくなっていた。こうしてみんな知らないうちに、リトルチャのグループの運用利益は、膨れ上がっていくのであった。

日銀の幹部A「神之助さん達の仕業でしょう。スイスの投機筋が、突然2円も円高にし、円高の記録を塗り替えたのは。」
神之助「違いますよ。僕たちは何もしてませんよ。その後直ぐに元に戻したでしょう。彼らも逃げ足が速いみたいでしたよ。僕たちと同じように急いで戻したみたいですよ。自作自演ですよ。戻すのには、僕たちも少し絡んでましたが、僕が寝ていたので、我々のチームが懸命に戻したみたいですが、彼らの動きは速く、あんなに勢いよく戻るとは思いませんでした。僕が連絡を受けた時はもう戻ってました。スイスの荒事師の仕業ですよ。株式や商品相場やオプションなんかで、色々仕掛けてくる奴らですよ。」
日銀の幹部A「でも使っている窓口はジブやスイスコインの関係する会社ですよ。本当ですか? 結構資金規模はあるらしいですよ。手口は昔の神之助さんに似ているようですが、やっぱり謎の投機筋なんですかね。」
神之助「僕たちが使っている会社は、結構大きい会社なんですよ、当然他の客もいますよ。スイスの荒事師も我々の窓口を使うだけの事です。解析してみると、世界各地で運用しているようにも見えても、アメリカでは、そんなに大きくありません。ロンドンも絡んでいますが、大半はスイスから流れている資本ですよ。彼らは急に大きくなりました。我々もマークしているんですよ。読みも結構鋭く、研究もしっかりしているようです。さっさと稼いで逃げる手口なんで、巧妙なんですよ。銀を吊り上げて、暴落させたのも奴らの仕業なんです。為替には、あんまり出てこないんですが、時間帯も日本の深夜で仕掛けられました。彼らは円高の基準点を突破して、その反発力を試しているだけみたいです。今回は本気ではないみたいですよ。自分たちで直ぐに利益確定に動いたみたいです。スイスやヨーロッパの株式もたまに乱高下するでしょう。彼らの仕業ですよ。あれは、アルゴリズム運用なんかじゃありませんよ。相当の意思を持った多量売買ですよ。1秒以下の荒稼ぎとしても有名でしょう。為替も何か狙っているのかもしれません。」
日銀の幹部A「そうでしたか。今後も大変ですね。やっぱり円高基調は変わらないですかね。」
神之助「日本経済の基調が良いのは、いい事ですよ。今はかなり厳しくコントロールしているから、奴らも不自然に感じて、試しているんだと思いますよ。少しずつコントロール範囲を下にずらしていくしかないと思いますよ。激変を避けるためにも有効ですよ。」
日銀の幹部A「ゆっくり、少しずつ動くのはやむを得ないのかもしれませんね。上にも相談してみます。人民元もそうしているみたいですしね。あれは、神之助さんが絡んでいるのでしょう。」
神之助「それは否定も肯定も出来ません。相手もある事ですから。それはお判りでしょう。」
日銀の幹部A「それはそうです。そんな事をペラペラ喋っている人とは、誰も組まないですから。まあ激変はしないように、ご協力の程、お願いします。上とも早急に話を詰めます。」

そういう神之助自身も、基準点の設定を下げていたし、多量のオーダーはもっと下に置いていた事は言わなかった。リトルチャはその買いの本気度を見て、神之助たちと一緒に、一挙に戻して行った。1秒のドラマではなく、数時間のドラマで最高の円高記録を塗り替え、直ぐにいつもより、ほんの少し円高程度に落ちついた。リトルチャは神之助を知っていたし、その手口も熟知していた。銀の吊り上げには、神之助たちも絡んで、大儲けしていた。今回の為替は、神之助の寝ている間なら、そんなに一気に買いあがる度胸はあるまいと思い、神元や神之助チームと競うように先に戻していった。神之助はリトルチャの手口は知りつつあったが、スイスの荒事師がリトルチャであるとか、スイスカナコインもそれに荷担しているとまでは知らなかった。ただ昔の自分の手口に似ているなとは感じていた。世界は広い、ライバルも多いとファイトを燃やしていた。

リトルチャの主戦場はデリバティブであったが、時には為替にも、商品相場にも、株式相場にも出没した。リチルチャはスイスの証券研究所の報告は熟知していた。ココのチームからジブトラストの研究センターからの報告も得ていた。猫たちにも研究担当はいた。それらの報告を検討し、狙いやすい所はすべて狙っていた。神太朗の証券会社系列もスイスカナコイン系列にしても、取引所との、コンマ何秒のレスポンス単位を競う直通ラインを用意していたので、それを利用して、1秒以下のドラマを演出しても、儲けを得たいリトルチャであった。ともかく為替では、日本時間の夜中から早朝にかけての為替ショーが繰り広げられた。何も知らない新聞は、大手投資資本の投機的な動きを説明した。経済新聞などは、スイスの投機筋の横行とか勝手な推測でお茶を濁していた。

株式会社リトルキャットは、大きくなった。

リトルキャット運用会社も資金力を急速につけ、思い切りデカクなっていったが、それ以上に株式会社リトルキャットは大きくなっていた。やがて、不動総合企画グループを代表する会社群の1つになり、デザインや商標権などのソフト力と不動総合の息のかかった企業とも協力して、新しい素材や多様な製品も販売する会社になっていった。神二郎が目指していた、再生を援助して自立の手助けを図る目的なんぞと云うレベルは、とっくに超え、世界的な企業群になっていくとは、誰が予測出来ただろうか。リトルキャットの名の基に、本来は企業風土の違う羽郎の南アメリカそして神帥のアメリカとアジアの辺郎との間で、協力したネットワークが結ばれ、やがてアフリカやヨーロッパまで巻き込んでいった。リトルキャットそのものは単なるデザインや商標関係だけでも、それぞれ自立していたような快適グループもリトルキャットのデザインや商標権を使用する事で、快適グループの間での協力関係も生まれていた。これは所謂資本関係を伴わない、緩やかな結合と云うか協力関係のようなものだった。リトルキャットで働いている人は、一時は不動マンションに住んだ事がある人も一杯いたが、それ以外の人も増えてきた。新しい不動マンションの住人の再生もリトルキャットの発展と共に進んでいった。リトルキャット運用会社の運用利益は巨額だったが、所詮株屋で、誰も知らなかったが、子会社とも云えた、リトルキャットの名前は世界中に知れ渡っていくのであった。

寿クラブのような猫カフェは、老人以外にも猫好きを集め、リトルキャット後援会のようになり、リトルキャットのデザイン室にもなり、リトルキャットブランドの発生の地と言われるようになっていったのは大分先の事である。あの老人は、国際的な謎の実業家と呼ばれるようにもなっていった。

リトルホワイトは、天野との友情が復活した。

天野はリトルホワイトの手助けを得て、心理学の世界的な権威になっていった。リトルホワイトは保養施設担当のチーフ猫として地位を確立していった。猫たちの研修とか猫たちの手配とか忙しかった。この保養施設に天野も見に来て、リトルホワイトと再会していた。天野は謝り、リトルホワイトも気にしなかった、もう傲慢不遜な天才猫ではなかった。天野はここで心理ケアなるものも始めた。エンジェルホープジャパン病院では心理ケアも既に行っていた。元々病気の人は心細くなっているので、必要だと云うのが、神三郎の意見だった。天野はそこのチーフでもあった。天野とリトルホワイトの友情は復活した。色々な事を、リトルホワイトと天野は、猫チャンネルで語り明かし、相互に影響して、心理学的ケアは精緻を極め、心理学一般についても高いレペルになり、天野は、世界的な権威の地位を確固たるものとした。その天野が所属するジブ総合研究所の社会福祉研究所は、基本的には、財団のための社会福祉全般の研究所ではあったが、天野の心理学研究室は、心理学研究所とも呼ばれる程大きくなり、心理学や心理ケアの一大拠点にもなっていった。保養施設も単に、猫たちと人間の触れ合いの場なんぞと云うレベルは超え、心理学的なケアを行う場所として有名になった。恵は保養施設を増設したものの、予約なんぞはなかなか取れず、エンジェルホープ病院の心理学センターと並び、心理学的ケアの拠点施設になった。

ジブトラストは緩やかな統合をしながら、発展

一方、ジブトラストの体制は固まり、役員会や非公式役員懇談会が開催された。役員会は特に議題がなければあっさりしたものだったが、不定期の非公式役員会が大変だった。これは実質的には、各グループの成績発表と取引内容説明会のようなものになった。ジブは半年決算だから、半年に一回、決算時と、投資案件の大きい時などに開催される事になった。ジブホームホテルの大会議室とか香奈の隣の食堂と云うかレストランを使い、もっと大きな大会議室にして開催された。カフェテリアもあるし、飯も食えた。

ジブトラストでの各グループの成績は、神之助グループが大体トップだった。加代子の神がかりの程度と為替が動かない時などに加代子のグループが追い抜く時もあった。加代子のグループは為替以外は、儲かる事はなんでもやった。神之助のグループには、資金力の大きな金融センターまであり、別格扱いもされていた。大分離れて、神子、神元、神帥、切人、聡美のグループが入り乱れていた。聡美のグループは、保有する会社からの配当に加えて、先物で儲けて、その上に追加される株式の売買利益からなるグループであり、ヨーロッパでは有力なグループではあったが、聡美の先物取引には波もあったし、株式売買による利益も変動が大きかった。一番運用成績が、大きく変動するグループだった。驚いた事に神元のグループは、すっかり組織的な対応をするグループに変身していた。実業分野でも結構大きくなり、資源関係でも儲けていた。神元自身がリスキーな勝負をする機会は、それほど多くなかった。神帥のグループは、もっと組織的になり、実業なんだか運用なんだか訳が分からないグループになっていた。ブラジルの羽郎と組んだ事業も恐ろしく伸びていた。

そして相当離れて神代のグループがあった。神代の予知は正確ではあったが利ざやは細く、チマチマ儲けた。儲けは取引頻度に比例した。神代も暇でもなく、確実に儲けられる時に、取引した。オーバーナイトしても、微妙に上下するような時はやっばりそんなにオーバーナイト取引はしなかった。儲けと予知確率とを比較して取引をしたので、ドカッと儲ける事はできなかった。短期間に倍になったり、半分になったりする事はなく、ある程度上下すると神代が思った時にオーバーナイトした。普通はその日の高値、安値はある程度判るので、それと比べて取引する事が多かった。所謂ディトレードに近い取引をした。ただカミヨエンジニアリングからの利益が伸びてきて、聡美のグループが低調な時には競った。

神二郎の新宿は、Aチーム以外取引をしないので、常に最下位だった。それが不動産チームへの多大な投資が効いて、不動産チームの利益も急上昇して、その上Bチームの成績も伸び、これ又利益は、上昇していた。利益の変動の激しい聡美のグループは、いつも緊張感を持っていた。

会長室や副会長室、そして神太朗のチームもあったが、会長室は、香奈は取引と云うより出資が多いし、会長室の沙織も取引するし、副会長の正子も取引していたが、人数も少ないし、この2つの部門は、最初から比較対象外となり、神太郎のチームは、ジブの実業部門を率いているようなものだった。取引なんかよりも割り当て増資に応じたり、保有している株式を担当する運用グループとの話し合いをして上での調整売買がほとんどだった。各グループを問わず、ジブ全体として多く投資している会社の成長を助け、その価値を高めるのが、役割だったので、同じく比較対象外となっていた。

香奈は特に競争させるつもりで非公式役員懇談会を設定したのではなかった。みんなで取引内容や業務内容を検討して、協力できる所は協力していこうとした積もりだったが、成績が順序になって出てくるとやはり競走するのは避けられなかった。セールスマンの利益競争のような側面も出てきた。

ただジブスイスの人は、参考までにスイスカナコインの成績を言った。その利益がどんどん増えてきた。香奈のプライベート会社とは云え、会長の会社なので、非公式役員懇談会で説明してもらえないかと香奈に言った。香奈は簡単にいいよ、連絡しておくわ。次には出てもらうわと言った。この当時は、リトルキャット運用会社は、設立当時だったし、利益も何十億相当程度であった。この程度では、もはやこの当時のジブシラストにとっては、ゴミとは云わないまでも、まだ小さい規模だった。

スイスカナコインは香奈から言われ、業績発表と取引内容説明を行う事になった。コッソリートの証券会社を買収してからの報告は、メールでは報告しているものの、香奈には詳細に説明していなかった。香奈は、私もみんなと一緒に、ゆっくり聞くわと言ったので、香奈に説明するつもりで、各部門毎に綿密に報告した。各部門は独立していたので、それぞれチーフが説明し、当然細かい説明になった。噂のスイスカナコインの報告なので、非公式役員懇談会は出席希望が多かった。広い会議室も大分埋まった。そして報告が始まった。

神之助は、加代子のチーム以外、適当に聞き流していた。加代子のグループは、もうアメリカ最大の運用会社だったので、それはマークしていた。他のチームはものの数ではなかった。取引内容も、神元や神帥のチームの事は良く知っているし、連絡も取っていた。神之助は報告を聞いて椅子から落ちそうになった。合計利益は、神之助のチームより利益が出ていた。ジブスイスの報告は表面的な理解だった。スイスカナコインはいくつものポケットがあった。証券会社グループとスイスカナコイン本体そして出資している各会社の利益であった。確かに証券会社や各会社は、配当も出していたが、計算しながら、配当を出していた。実質的な総合利益は、はるかに多かった。それにほとんど非公開だったので、ジブスイスも正確には把握できなかった。

神子のチームも吃驚した。調整売買も複雑だった。デリバティブも多用し、先物もオプションだ、なんだかんだと色々考え出していた。スイスカナコインは取引なら、何でもしていたが、短期、中期、長期そして超長期で投資していた。あれはここのチームと限定してはいなかった。精々運用部門とか企業部門とかに分かれていただけだった。それに証券研究所は、儲かる事はなんでも研究していた。
陽一も吃驚した。ジブの研究センターも実務的になったとは云え、スイスカナコインは、コッソリートが色々質問して、いわば、ディラー直結の研究所だった。あらゆるデリバティブも取引して、考え出していた。

神太朗も影響を受けた。スイスカナコインの企業部門は、なんだかんだと協力しながら進めていた。ジブトラストは、あれはこれと、連絡は取っているものの、並立して運営されているので、協力とまではいえなかった。例えば、ジブトレーディング、岡崎交易、快適交易そして商会と経緯も違い、目的も違うといいながら、並立して事業を進めていた。それは仕方ないと神太郎は考えていた。もっと効率的な運営そしてお互いに、協力しながら発展していけるのではないかと考えて始めていた。

神二郎も影響を受けた。神二郎は取引利益がどうだこうだにはあまり何も感じなかったが、スイス総合企画の説明には吃驚した。神二郎は信念の人だったし、不動総合も信念の人の同志的な結合の要素が強かった。それだけに陽太の融通無碍の路線には、距離を置いた。スイス総合は一人の人の信念で出来た会社ではなかった。ジブスイス財団での実態に合わせて、みんなで考えて作った会社だった。不動総合は、信念はいいけど独断的な側面があるのではないかと神二郎はスイスカナコインの報告をききながら考えていた。

聡美は単純に株先物以外のディリバテイブに興味をもった。
加代子のグループは、純然たる取引中心のグループだったが、スイスカナコインの取引手法や多様な取引に注目した。


みんなそれぞれ異なる点で興味があった。そのため、スイスカナコインへの質問は多かった。ナンダカンダと質問が続いた。一方聞かれたスイスカナコインの連中も、香奈に報告した手前もあり、その取引手法や企業の運営方針などの異論には、逆に色々実務的な逆質問もした事もあった。質疑応答は熱が入ってきた。ただスイスカナコインは、これで当分発表はないと考えていたが、やっぱり次回もお願いと言われてしまった。香奈はあっさり、みんなの報告の中には役に立つ事もあるかもしれない。みんなの報告も聞いて参考するために、参加してみたらと軽くいった。

次回の非公式役員懇談会は大入り満員となった。研究センターは幹部まで出たし、神之助もチームの幹部も出した。神太朗は証券会社の社長や各地のジブトラストの幹部まで出した。神二郎は不動総合の社長や新宿の各チームの幹部もつれてきた。正人も香奈の関係者とか言って出席したし、神一もカミカミ関係者とか言って出席した。加代子は、アメリカの責任者や研究担当、そして取引のチーフたちも出席させた。聡美なんかは、自分が考えるのが邪魔さく、各国のチーフを出席させて、検討してもらった。各グループの幹部が一杯集まった。スイスカナコインはこの間の質疑応答も細部に渡ったので、各部門毎に、何人のサブまで連れてきた。そうなると、各部門毎の発表になり、質問も細かく実務的になり、取引部門や企業部門などの分科会まで作ってアーダコーダと議論した。分科会などの時は香奈はゆっくり、猫と遊んだ。会議の時間は長くなり、途中で食事したり、一服したりと、非公式役員懇談会は、単なる成績発表会ではなく、みんなで検討する会議になった。遅くなったら、宿泊できる高層マンションもあった。

「ジブの会議に出る人は増えたね。冶部ホームホテルどころかジブシティーのニコニコホテルまで満員だよ。高層マンションもホテルみたいな使われ方をしているよ。朝知らないおっさんに会ったよ。財団でもジブスイス財団と協議する回数も増えて、社会福祉研究所が、関係する財団の連絡会議を計画しているよ。」
香奈「あれでも制限しているのよ。あの人も幹部、この人も幹部とか言って、一杯出てくるのよ。正人や神一君も立場上なんだかんだと言っていたくせに、カミカミや香奈の関係者とか言って出てきて、質問までするのよ。」
「まあいい事だよ。みんなで討議して進めていくのは。」
香奈 「そうだね。それはそう思うよ。単にセールスマンなんかの販売成績の比べごっこの場にする積もりじゃなかったのに、みんな競争するんだよ、でもちゃんと討議するようになって、良かったよ。」

益々元気になる香奈、そしてチャもココも元気だった。

香奈もチャもココも、自分がいなくなった後の事を考えて、体制も整えたが、新しい家にきてから、逆にどんどん若くなり、元気になるような気がしていた。チャとココは、香奈が家にいる時は寄ってきたが、それ以外はチビ助に任せた。なにしろ取引のチーフ猫だった。猫軍団の未来が懸かっていた取引の監督をする必要があった。チャとココは、チビ助が香奈と遊ぶのを見て喜んでいた。香奈の元気を喜んでいた。猫軍団の基盤を固めるまで元気でと祈っていた。

香奈は、折角香奈専用のプライベートラインもあるのに、雨でもふらない限り、のんびり歩いて、ジブトラストに通った。分岐状の水とリング状の水が霧のように、いつも辺りに漂う不思議な空間だった。一歩、歩く度に元気になり、頭も冴える魔法のような空間でもあった。いつの間にか、チビ助は香奈と一緒にジブトラストに通い、会長室にもいるようになった。会長室には猫のトイレも復活した。香奈がジブトラストに行く時には、昔と違い、連いて歩く人数が増えていた。研究所や大学院大学に通う子供たちや子猫の子猫たち、そして子猫の子猫の子猫たち、時には子猫の子猫の子猫の子猫たちも一緒についていっていた。切人は、自分の子供たちにジブトラスト本体前までは歩いて、香奈を見届けるように言っていた。チビ助は、コシロと違い、人がきても逃げる事もなく、香奈の近くにいた。沙織や青不動さんとも友達になった。ただ、チビ助は、コシロと違い香奈に取引や経済についての話は出来なかった。

チビ助 「僕は、コシロさんのように香奈さんのお仕事の手助けは出来ません。」
青不動さん 「そんな事はもう必要ないんだよ。チビ助は、香奈の横にいて、元気づけるだけで、十分なんだよ。みんな、自分の役割は違うんだよ。香奈は、まだまだ役割が続いているんだよ。」

沙織は、時には席をあける事もあった。香奈は書類を読んでいるとチビ助が覗きこんでくる事もあった。チビ助は、ガードしている積もりだったので、香奈の側に大体いた。それにチビ助は段々コシロに似てきた。香奈はそんな光景をみて、ふと思った。昔と一緒だ。

学術センターでも、猫たちの存在感は高まっていった!

大学院大学や研究所では、猫たちは特別待遇だった。猫チャンネルを持った人は格段に成果が上がった。新しいアイディアや理論が明確になった。

新入り研究員A 「ここは、誰の席なんです。」
研究員B 「ここは猫の席だよ、もうすぐ来るだろう。」
新入り研究員A 「猫なんかなんにも判りませんよ、毛も落ちるし、掃除も大変ですよ。」
研究員B 「君は、新入りだったね。ここの研究所や大学院大学では、自由になんでも出来るけどね、猫の悪口はタブーなんだよ。あの天野先生も一時、猫と揉めて、落ち込んでいたらしい。ようやく仲が戻って、今や世界的権威とか言われているのよ。猫またぎをされた研究室は閑散としているよ。猫嫌いも大変だよ。ほとんどの研究室は猫ドアーをつけているだろう。ここの部屋では猫トイレも用意しているよ。室長も猫チャンネルがようやく出来て、研究も飛躍的に進んだといって喜んでいるんだよ。なかなかできないんだよ、猫チャンネルは。才能を、猫が認めてくれないとね。僕もまだだよ。ここの猫は人の心も読めるし、能力も判断するんだよ。君も注意した方がいいよ。」
新入り研究員A 「気をつけます。」

ジブシティーは自立した都市ではなく、外部へ伸びていった。

遺伝子研究センターは、第二センターが出来たようなものだった。今までの研究センターに加え、近くには製薬の研究所もあり、アーダコーダと議論の輪も広がった。ロボット工学や未来エネルギーも海外の未来テクロジーの研究所も巻き込んで活発な研究を行った。聖子の快適農作物研究所もイチコプロダクトとの関係が深まり、ブラジルやアフリカのみならず、日本でも実際への応用が進んでいった。ジブシティーは自立した都市でもなかった。ジブシティーの自給自足なんぞと云うレベルを超えてきた。


チビ助はいつも香奈の側にいた。

チビ助は香奈のボティーガードでもあり、香奈が快適に過ごせるように心理ケアもしていた。香奈に、少しでも異常があったら、リトルホワイトが天野に伝えて、対処する体制を取っていた。チビ助とリトルホワイトとはテレパシーで連絡でき、リトルホワイトと天野もテレパシーが通じるように猫チャンネルは整備されていた。リトルホワイトはコシロとは違う意味での天才猫だった。

「この猫は、いつも香奈さんの横にいるね。」
香奈 「チビ助というのよ。時々遊んでくれとか、言うんだよ。こんな人懐こい猫もコシロの血を継いでいるんだね。この親のリトルホワイトは賢いけど、生意気なんだよ。リトルホワイトの親のリトルチャは、もっと生意気なんだよ。親子でも違うのよ。」
「猫もみんな個性があるんだね。あの山の中腹につくった保養施設は、結局人気施設になったよ。はじめは、産後のお母さんが体調が戻るまでの保養施設の積もりで、作ったんだよ。でもみんなは、病院で産後のケアも十分するから、そんなものは必要ないと言ったけど、強引につくったのよ。でも介護サービスも財団がするようになってね。年寄りの保養施設にも使い出すとみんな元気になってね。陽太君が、不動財団でも使わしてくれとか言うから、不動財団も使っているんだ。香奈さんの家の猫も一杯遊びに来てね。コシロみたいな猫、リトルホワイトが親分みたいだよ。やっぱり財団でケアしている若いお母さんや妊娠したりしている女の子たちも時々行ったりするようになったよ。心理学の偉い先生も来て心理ケアするようになってね。今は人気の施設になったよ。猫と一緒にいたり、猫を見ていると、心が落ち着くと言う人も多いんだよ。香奈さんは、猫は取引をするとか言っていたけど、色々な猫もいるんだね。財団が猫の世話代を負担してもいいくらいだよ。」
香奈 「この頃は、猫たちも自立しているようなもんだよ。香奈ファイナンシャルとスイスカナコインとで、猫基金を作ってね、そのお金で猫の世話をするようになったよ。私が元気なうちは私が出すと言っているのに、奈津美や正人が、体制として確立しておきたいと頑固なんだよ。離れの猫ハウスは、スイスカナコインの日本事務所が猫基金から作ったんだよ。お手伝いさん代や餌代なんかの維持費用は、香奈ファイナンシャルの猫基金が負担しているみたいだよ。私もそれもいいかなとも思っているんだよ。」

スイスカナコインの猫基金の体制も変わった。

スイスカナコインの猫たちの運用手数料である5%と香奈の報酬分は、初めは日本に送金されていた。スイスカナコインの日本事務所に金が貯まってくると、スイスカナコインの日本事務所名義で多大な金を貯めておく必要もなくなった。猫たちの面倒をみるための通常経費は、国内香奈の香奈特別基金で十分だった。猫はなれなんぞの経費はたいした額ではなかった。奈津美とチャは、話し合った。香奈の報酬分と運用手数料相当分の内、1%だけを送金して貰い、スイスカナコイン内での香奈特別基金に残りをプールする事にしようとした。チャは、為替もするので、結構スイスフランの資産価値を高くみていた、ココたちが国内香奈で貯めている日本円とスイスフランで資産の分散は必要と考えていた。ただスイスカナコインはもう大きな会社でもあり、用途が不明確な巨大な香奈特別基金は、経理的に別会社にプールしておく方がいいと言い出した。万一、香奈オフィスが使用する時にも手続きがややこしいと言った。猫即ち香奈の運用は、スイスカナキャットの運用指導によるものとして、スイスカナキャットを別会社としたいと言い出した。スイスカナキャットは、スイスカナコイン日本事務所を独立した会社にして、その子会社とした。今までスイスカナコインで香奈特別基金として貯めていたものも、みんなと同じ15%の運用手数料を払う事にして、少しずつスイスカナキャットに移行して、今の香奈特別基金は、スイスカナコイン全体の準備金に変更していく事にしたいと言ってきた。会社の維持や税務処理は、すべてスイスカナコインで面倒を見る事になった。奈津美は香奈と相談して、香奈オフィスに、香奈直属のカナキャット基金を作り、株式会社スイスカナコイン日本事務所は、香奈と奈津美と香奈オフィスのカナキャット基金とが出資して発足し、更にスイスにスイスカナキャット株式会社と云う子会社を作る事になった。香奈の報酬は当然香奈のものだし、香奈、つまり猫の運用手数料の1%程度は、社長室の維持をスイスカナコイン日本事務所に委託している経費とすると言った。香奈は、香奈オフィスの創業者にして、実力会長でもあった。利益比例率は下げたものの、利益比例の報酬を貰っていた。香奈の報酬の半年分をその基金に充てる事にした。カナキャット名義の基金は、猫のための基金である事を明確にしたものだった。香奈オフィスの役員は、全て利益比例の報酬体系だった。役員全体で、税引き後利益の5%と利益比例率を決めていた。役員だけでなく、ある程度の役職がついた社員も部門利益比例の報酬体系を取る実力主義の会社でもあった。瑠璃は副会長になったが、利益比例率は香奈より高かった。奈津美は社長になって、一番利益比例率は高かった。香奈は、奈津美を社長にする時に、一番高かった自分の利益比例率を減らし、奈津美に加えた。瑠璃は、なかなか減らそうとはしなかった。奈津美の旦那は、立場上、奈津美の下とも出来ないので、総務担当の副会長になっていたが、利益比例率もそんなに高くなかった。香奈オフィスは、税金の関係、資産分散の関係などから、世界各地に子会社を作っていた。その子会社でも会長、社長等のメンバーは替わらなかった。現地子会社の責任者みたいな人が、副社長とか専務になって、実務を仕切り、それぞれ利益比例の報酬を貰う報酬体系であった。利益比例率は微妙に各子会社毎に異なっていた。香奈は、配当を少しは出すようになった時に、現地子会社の責任者たちには、それなりに子会社の株も持たせ、利益比例率も高くした。現地子会社の責任者の子供たちも、いつしか香奈オフィスに入る事が多く、それぞれの子会社は、一種の世襲関係の強い会社になっていた。現地子会社の大半の株式は、日本の香奈オフィスが大半を占め、新しい鉱山や資源利権の獲得のお金なんんぞは、本体からの増資とか、資金融通で補う事が多かった。これは、香奈が運営したジブトラストでも同様であった。勿論、運用とか商売に強い人は世襲では、そんなに続く訳でもないので、それ以外の人も雇ったが、一種の連帯感みたいな雰囲気は強い会社でもあった。それは兎も角、それでも香奈の報酬は依然として高く、通常業務は、瑠璃や奈津美に任せていたものの、香奈の意向も絶対だった。スイスカナキャットの収入が、間接的とは云え、香奈オフィスの資産になるので、スイスカナキャットにも、それぞれの香奈オフィスの株式を2パーセント持たせる事にした。その程度の割り当て増資は簡単に出来た。香奈オフィスの株式をスイスカナキャットに割り当てた、スイスカナコイン日本事務所には、香奈と奈津美と香奈オフィスが等分に出資して、スイスカナキャットは、スイスカナコイン日本事務所と香奈とが出資する事になった。チャや猫軍団の名前では、会社も作れないので、こんなシステムとした。香奈は、割り当て増資程度の金は、ドーンとスイスカナキャットに出資したので、スイスカナキャットは、初めから相当の資金を持った。スイスカナキャットは、じっと金を貯めるだけでなく、その口座残高の半分は、スイスカナコインの猫軍団つまり、名義的には香奈に、運用委託する事にもした。スイスカナコインもスイスカナキャットが香奈の別会社になる事にも同意したし、運用委託にも、スイスカナコインでの経費として運用利益の15%をスイスカナコインが取る事で同意した。スイスカナコインもジブトラストのごぎげんソフトのシステムを使っていた、しかしジブではないので、ジブの研究ネットワークを見れないので、システム手数料は少しディスカウントして、10%から7.5%にしてもらっていた。スイスカナコインでは精一杯のサービスと言った。チャも同意した。ココの国内香奈での香奈特別基金は、リスクのある運用なんかはせず、じっと貯める基金だった。チャは、スイスカナコインでより一層頑張る事にした。まだまだ香奈もチャも元気だった。香奈は元気だったので、自分が元気な内に、色々な方法で、猫たちの財政的な基礎を固めようとしていた。例の譲渡は出来ず、一代限りの株式とする条項を入れれるように準備金が貯まるのを待つ事にした。

隠されていた真実

製薬は、香奈たちに、香奈の家近くの飲料水やジブシティーそして大学院大学の飲料水にも、分岐状の水やリング状の水が含まれていると説明してはいた。しかし内緒にしている事もあった。製薬はジブシティーに工場を作ったが、拡張して大きな工場にした。学術センターには製薬独自の研究所も作り、エンジェルホープジャパン病院でも製薬の薬剤研究室があった。薬の迅速な手配とか患者に併せた薬の研究とかの名目を付けたが、大変な事を発見していた。

研究員A 「ジブの会長の家の周辺の水の分岐状やリング状の水の濃度は、ますます高くなってますよ。牧場付近にパワースターやエンジェルスターもいやと云うほど茂っていますのも関係あるのかもしれません。敷地内にも一部流れ込んでいるとは思いますが、敷地内の水でも高くなっています。今までの研究結果も狂ってきますね。敷地内で水を飲ませたマウスも、段々寿命が延び、今は40年以上生きているマウスもいます。人間ならどこまで生きるのでしょうね。」
主任研究員 「もう未知の領域だろうね。なにしろ発ガンマウスも、細胞活性が高まり、健康になって長生きするんだもの。常識が覆されるよ。やたら賢くなるし、今はマウスが新聞読んでる時代なんだよ。」
研究員A 「例のレアメタルとの因果関係はやっぱりあるんですね。」
主任研究員 「例のレアメタルが、分岐状の水とリング状の水を発生させる事は事実らしいね。レアメタルを水に落とすと、水の中に分岐状やリング状の水ができるのは間違いようだよ。ただ、なぜ発生するのか、接触の仕方などでどう変わるかなどはまだ判らないようだ。レアメタルが含まれていた土にも、少しは水分はあった筈だからね。少しは水蒸気で蒸散しているとの説もあるけど、よく分かっていないんだよ。今までのエンジェルスターやパワースターによる発生メカニズムとは違うようだ。まだ整理できていないし、これは企業秘密だよ。可視化分子顕微鏡の最新モデルももうすぐくるし、今度は動的な変化も観察できるらしい。もっと詳しく分かるだろう。ウチの会社も例のレアメタルの備蓄を進めているよ。でもまだ判らない事も沢山あるんだよ。ジブシティーの池には、分岐状の水とリング状の水の濃度が違う所があるんだよ。財団ビル付近が異常に高いんだよ。あのお不動さん前の池が高いと思うんだけど、レアメタルと直接接触しているとも思えないし、理由もよく分からないのだよ。」
研究員A 「ジブシティーの病院の患者は、ジブシティー内に住んでいる人は僅かですね。ほとんど他からの通院患者です。みんな本当に病気にならないようです。検診結果も良好です。それでもジブシティーの水が、濃度では一番低いんですよ。神三郎さんの外科は、なんでも治るとか云って有名ですけど、直ぐに元気になるから、入院期間も短いですね。これも関係あるんでしょうか?」
主任研究員 「判らないよ。神三郎さんは名医ではあるけど、ちよっと異常な数字だよ。試しにジブシティーの工場で制癌剤を作ったら、効能が非常に高くてね。理由もよく判らないから、場所を限定的して販売しているんだよ。」
研究員A 「例のレアメタルとの因果関係は、いつ発表するんですか?」
主任研究員 「まだ理由が明確ではないしね。ウチの会長預けなんだよ。極秘だよ。」
研究員A 「でも大変な騒ぎになりますよね。例のレアメタルの価格も高騰するでしょうね。香奈オフィスは知らないのでしょう。世界シェアは、すば抜けて高いらしいですね。」
主任研究員 「ウチの会長も、ファミリーだから精査が必要だと言って、研究チームに慎重に検討させているんだよ。ジブトラストの内部ネットワークも盛んになってね。ジブの資本が多い安部製薬フランスにも話していないらしい。間違ってましたでは済まないからね。君も外部で話をしないようにね。」
研究員A 「それは分かっています。ただ僕の両親も病気がちだったから、ジブシティーの僕の家に呼びましたよ。元気になりました。」

隠そうとした秘密は、やはり流れ出るものであった。

奈津美は、瑠璃のようにボッタクリはしないものの、そんなに甘い女ではなかった。例のレアメタルも出荷を制限して、価格を高止まりにした。香奈オフィスは、ロボットの資源探索だけでなく、この大きな山脈の何箇所にもボーリング調査も行い、地中深くにかなりの鉱脈を見つけていたが、鉱山すら掘らなかった。学術センターの近くの山にも見つけ、かなりの埋蔵量だった。オーストリアの聡美が株を半数近く保有している鉱山会社の鉱山でも見つけていたが、特に純度が高い、小さい鉱山で細々と採掘するだけだった。アメリカやブラジルの快適鉱山でも鉱脈が見つかっていた。ジブの里近くも多量にあったのに、鉱山の維持が難しいとか言って、少量ずつしか掘らなかった。それでも今でも残り数年間の需要に対応する事は可能だった。

山の中腹も、実は山頂付近の鉱山の鉱脈は山から広大になったジブの里に流れ込む一大鉱脈である事もその後判った。恵が中腹に保養施設などを既に建てており、この鉱山は、地盤調整をしながら、採掘していたので、鉱山の維持が難しい事は事実であった。しかし採掘する気になれば、香奈オフィスが採掘の権利を持つ鉱山には一杯あった。ジブシティーで、純度が低下したため、瑠璃が採掘を断念した近くの今は財団ビルが建っている地下には、純品に近い状態で埋蔵していた事はまだ誰も判っていなかった。沙織がお不動さんの石仏を置いた場所の下は、このレアメタルの層が地上に最も近づいていた場所でもあった。湧き水は、このレアメタル層に一瞬接触しながら、湧いて出てきている事はまだ誰も知らなかった。ここでの分岐状の水もリング状の水も香奈の家の近くよりは少し濃度は低いものの、極めて高いレベルでもあった。お不動さんの奇跡の水として有名にはなっていたが、製薬は何かを感じてはいたが、その濃度すらまだ誰も知らなかった。

香奈オフィス自身はやたらめったら、このレアメタルが埋蔵している土地を保有したり、運営に関与している鉱山で埋蔵している事は、判っていた。そのため、どこでもあるものだとすら思っていたが、ライバルたちが必死に探しているようだが、見つかっていないようだった。奈津美は、価格を維持するために出荷量の調整をしていたのだった。表面的には、資源を掘り尽くさないようにとか、新しい鉱脈を探すとか名目をつけた。スイスカナコインとの合弁の資源開発会社では、更にいくつかの鉱山を見つけた。なんとスイスカナコインの牧場の下付近にも大きな鉱脈があったし、例の金の廃坑の奥にも、金と共にある事がわかった。奈津美は、今の価格を維持しながら、利益をコンスタントに出す事が必要と瑠璃にも言っていた。前のように多量にマーケットに出すのは、結局損と言っていた。やたら埋蔵量があるので、奈津美は、今後の事を考えて、ジブ総合研究所の夢野らに、敷地の山で採掘したこのレアメタルを渡して、用途についての研究を夢野に依頼していた。夢野は、このレアメタル以外にも少量存在していた、別のレアメタルも気になったが、とりあえず、このレアメタルについて集中的に研究した。このレアメタルはそれ自体、高エネルギーを内蔵しており、自由水に触れると、エネルギーを水に与え、水分子がエネルギーを吸収して、水分子がエネルギーを保持するために構造変化を起こし、水の状態を変えているようだと報告し、このエネルギーの取り出し方を開発すれば、このレアメタル自体が貴重なエネルギー資源になる。その方法を今後研究していきたいと報告し、ジブ総合研究所として、とりあえず研究を取りまとめて、近く学会に発表するとも伝えてきた。夢野は、エネルギー研究所の所長ではあったが、ジブ総合研究所の所長でもあった。陽一はジブの副会長となって、ジブ総合研究所の副理事長と、ジブトラストの一部分となった経済研究所の所長と企業分析研究所の所長だけは兼任していた。企業分析研究所は、ジブ総合研究所の一部門ではあったか、もう一つの大きな銀行や一族の銀行も出資しているし、独立しているような研究所でもあり、夢野は、経済研究所などには、口を挟まなかった。二つの研究所はジブトラストやその関連団体からの依頼研究も多く、その上、もう一つの大きな銀行や一族の銀行からの依頼研究もあった。その上、企業分析研究所は、ジブトラストの研究センターと協力して、陽一が運営していたので、もはやジブの一部分のようになっていた。ジブ総合研究所の理事長は香奈だったが、研究所には行かなかったので、実質的には、陽一が理事長みたいなものだった。夢野は、正統派の学者でもあり、知りえた事は学会に発表して、色々と意見を聞く事が大切と考えていた。本音としては、夢野は、ジブ総合研究所を実質的に作ったような人だったので、この研究所として、センセーショナルな研究を発表して、研究所の名前を売る事も少しは考えていた。奈津美は、夢野からの報告も踏まえ、売り急ぐ必要はないと考えていた。先にレアメタルの利用方法を開発、研究する事を優先した。電子機器に使用されると言われていたが、電子機器への使用とは、言い難いルートでの購入がある事も気になっていた。

スイスカナコインと香奈オフィスとの合弁の資源開発会社では、ヨーロッパでも、この鉱脈をいくつか見つけていた。牧場の下はともかく、金の廃坑の奥は、金以外にこのレアメタルが大量に取れる事も判った。ただ金を食う、例の細菌の増殖も、ここの廃坑とは、他の廃坑とは違っていた。そして表面に出来る金の純度が違う事も気になった。スイスの例の金の廃坑では、金を食う細菌の増殖は盛んで、ほとんど純金に近く、層も厚いのに、他の廃坑では表面だけとか純度も低かったりしていた。精製方法を検討して、香奈オフィスからかなりの技術指導料も貰い、その後の金の採掘にも協力してきた実績もあった。金の採掘もあるだけ掘ってしまうものでもなかった。金の価格は結構変動していた。第一、スイスカナコイン自身が金も保有しているので、そこは慎重だったので、結局ほとんど金は採掘していなかった。この金の廃坑には、金とあのレアメタルとがあった。あの金を食べる細菌はもう勝手に繁殖していき、廃坑どころか金が高純度で厚い層になっていた。このレアメタルもその下の層に蓄積され、純度も高くなっていた。

何かこのレアメタルそのものと、微生物との関係があると思い、微生物研究所が独自に研究していた。微生物研究所は、このレアメタルは細胞の生育促進因子であると報告した。細胞は分裂していくが、ある段階から分裂した細胞は劣化していくが、このレアメタルがあれば、その分裂した細胞は劣化ではなく進化し、遺伝子の複製エラー頻度も極端に低下していた。それに病原性微生物の病原性部分は分裂する度に、病原性がなくなって行く事も判った。微生物以外にも医学的な研究が必要だ、ただしこのレアメタルの機能は、一定の自由水濃度以上になった時に加速すると報告してきた。一方、スイスカナコインは、以前からジブスイス財団から自前の病院も必要との要望に応えて、市内に病院を建設中だった。香奈には既に病院と付属する研究所の建設許可はとっくに貰っていた。香奈は日本の財団の事を考えていたので、無理せずに維持できる程度にしなさいよ。維持費もいるしねと言いながら、許可していた。もうすぐ建設は終わるので、医師とか研究員の人選を既に終わった。就任予定の薬理研究者は、微生物研究所の報告を見て、研究計画を練っていた。レアメタルの効果を分子的に検証したいとまだ高価だった可視化分子顕微鏡の最新モデルも購入していた。最新モデルは、今や静的な分子構造を見るだけでなく、反応時の動的分子構造の変化をモニタリングして、再生できる事が可能となっていたのが、魅力だった。薬理研究者は建物が建ったら、直ぐにでも研究したいと考えていた。

スイスカナコインの部門連絡会議もこの報告書を見て、研究所は、単に病院の付属組織ではなく、スイスカナコインの医学研究所を作り、微生物研究所とも協力して、ジブトラストと製薬の合弁の安部製薬フランスとも連絡を取って、新しい新薬の開発研究も進められるとの結論に達し、香奈への申請書類を作成中だった。安部製薬フランスは、資本的にはジブトラストの方が安部製薬よりずっと多い会社だった。それだけにスイスカナコインには、香奈の関係会社との意識があり、共同して研究しないかの事前の打診をしていた。その結果を踏まえて、香奈に提案したいと考えていたのだった。安部製薬フランスは、可視化分子顕微鏡の最新モデルは既に購入していた。スイスカナコインの提案を受けて、独自に簡単な所見を加えた。このレアメタルは、本質的には水に溶解なんぞはしないが、それでも極々微量は溶解して、このレアメタルが極々微量溶解するだけで、分岐状の水とリング状の水を発生させるが、リング状の水の動的な分子構造が今までのリング状の水と異なり、何故か安定な状況を維持しているようだとの所見を得ていた。分岐状の水も活性が違うような気がする。ひょっとしたら細胞活性化と云うレベルを超え、生体の若返りや脳細胞の維持、成長を促すかもしれない、まだまだ新しく測定機器なので、断言できないがと云う所見を得ていた。研究開発部門は、人類の歴史を変えるような、人の寿命を長くし、各種の細胞レベルでの機能維持ができる可能性もあると云って、共同研究を受諾する方向で意見をまとめ、多額の投資も提案し、役員会でも承認された。安部製薬からの派遣役員も日本に連絡しようとしていたし、ジブフランスからの派遣役員もジブトラストの神太朗に報告し、ジブトラストからの増資まで進言しようとしていた。神太朗は、ヨーロッパ域内連絡会議を開き、協力できる事は推進して、お互いの情報交換は密にするように指示していた。ジブドイツそしてその関連会社でもあるオーストラリアの鉱山会社、そしてそのオーストラリアの鉱山会社に役員を派遣して、鉱山の運営をしている香奈オフィスへと、情報が流れるのも時間の問題だった。

製薬が秘密にしていこうとしても、既にジブ関係ネットワークで、製薬の知らない事まで、流れ出す寸前であった。

そして未知の領域に

香奈は、自分亡き後のジブトラストの事を考えて、対策をとっていたが、120才になってもまだまだ元気だった。むしろ以前より若くなったような気がしていた。もうそんなに後の事を考えなくなった。みんな、自分の役割は違うのだ、新しい世代もそれぞれの役割がある。みんなが自分の役割を果たしていけば、いいと思っていた。香奈は、元気なうちは、頑張るのだと言いきかせていた。それに毎日充実していた。チャやココも、猫にしては超高齢だったが、益々元気だった。性格の悪いリトルチャも孫も出来て、少しずつ角がとれ、リトルホワイトはコシロと違い、遠くから香奈を見ているようだったが、目線は優しかった。ナターシャはジブシティーに良くいったが、香奈に会うと笑顔で微笑んだり、お辞儀するような猫になった。チビ助はいつも香奈の側にいた。香奈が根を詰めないように、疲れないように気配りしていた。

神太朗の計画

神太郎は香奈の体制変更案に賛同して、ジブ傘下の企業と連絡を取り、アドバイスして、それぞれ企業価値を高めるようにしていた。神太朗は実業部門での協力関係を強め、ジブの実業部門ネットワークを高めて、各会社は更に発展しつつあった。もはやジブトラストは、切った、張ったの運用会社を脱皮して、保有している企業を発展させる事によって、資産価値の向上を目指す集団にもなるべきだと神太朗は考えていた。そうなれば神一の一族の銀行やもう一つの大きな銀行とも新しい協力関係も築けるとも考えていた。なんやかやといいながら、ジブトラストグループには、関係する銀行が3行、証券会社ネットワークも神太朗の証券会社系列とスイスカナコイングループがあった。為替専門の神帥たちが主力の会社も、神之助チームから独立した会社も取り込み、神之助は勿論、加代子や切人たちからも出資を集め、大きな為替専門会社になっていった。ヨーロッパでも神之助チームから独立した人の会社を中心とした為替専門会社に神之助、神元そして切人たちが出資する為替専門会社がロンドンに出来、神太朗の証券会社系列になっていた。それ以外にも、スイスを拠点とするスイスカナコイン系列の為替専門会社もスイスカナコインのみならず、ジブスイス、ジブカミスイス、切人たちのスイスの会社、ジブトラストスイス金融センター等を関係する企業からの為替処理を行っていた。商品関係では、相場関係から、農園から現物の食品原料の動きなどの実需の流れの調整を行う会社までも、アメリカとヨーロッパそしてブラジルを中心とした南米に本拠をおき、貴金属や資源なども香奈オフィスそして毛利貴金属などとも協力関係を築いていた。もう関連する企業は滅多やたらに、多数存在していた。それに元々からの一族の会社もそれぞれ活発に活動していた。これらの企業が協調していくためにも、統合のシンボルとしての香奈の存在は大きかった。香奈の判断であれば、ジブトラスト全体が従っていた。スイスカナコイングループは、香奈直轄に近く、香奈の了解があれば、協力してくれていたし、香奈から直接の指示でもあれば、全面的に協力を惜しまなかった。実際、香奈がいなくなった時には、どうなるかまだ神太郎にはまとめていく自信はなかったが、香奈が健在である間にこの協力関係をより強力なものに進めていこうと考えていた。

一方、神子も香奈の存在がより一層大きく光り、その後が予測しにくい事に驚いていた。神子は20年位の先が読めたのに、まだ濃い靄がかかっていた。

神之助は円高の阻止を頼まれていたが、長期的にはやはり、円高だと思っていた。急激な円高は防いでいたが、やはり円資産を少しずつ増やしていた、神子にもそう言っていた。神子も、一時は子会社の配当率を下げて、海外子会社での保留を上げる事を考えていたが、以前のような配当率を維持して、日本に送金して貰うようにしていた。

香奈は、今日もチビ助をつれて、ジブトラストに通っていた。その後に、多くの子供たちと子猫の子猫や子猫の子猫の子猫たち、子猫の子猫の子猫の子猫たちが、研究所や大学院大学に通うために、ついている事も知っていた。もっと小さい子供たちも外で、元気に遊んでいた。香奈は、若い世代が多様な知識を身に付けて、新しい時代は新しい人たちが切り開く事を信じていた。

青不動さんも大元帥明王さんも今後の事は何も言わなかった。元々無口なお地蔵さんも黙っていた。でもお地蔵さんが地蔵堂で神香と一緒に歌っている「明日はきっといい日になる」や「明日も太陽は輝く」の歌声は、明るかった。

香奈を見守ってくれた猫のコシロは、60年以上生きた。コシロの子供のチャもココも元気で、チャやココにも子猫が出来、そしてこの子猫にも子猫が出来、その子猫にも子猫も出来、その又子猫にも子猫が出来ていた。

分岐状の水やリング状の水などに後押しされて、香奈は、これからもみんなの応援をして、力の限り、頑張ろうと思っていた。香奈は益々元気で忙しかった。

人は、勝手に生きてるのではない、この世でやるべき仕事をするために生まれてきたと言った神太朗の言葉を思いだしながら、今日ものんびり、頑張る香奈であった。

次平の挑戦は、子孫たちに引き継がれ、治部の挑戦は、まだまだ続いていた。

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