香奈とジブトラストの今後

香奈ファイナンシャルは、ヨーロッパでは有名!

切人は、自分達の財産管理会社でもあったマリアホープでは株式投資比率を高くしていたが、資金力を持った香奈海外でも、株式は相当保有していた。切人は資金力をつけてからは、効率的な運用をするために、大きな会社ではそれなりの株式を取得する一方、自分たちが既に取得していた企業の関係も考えて、成長すると考えた中規模程度の企業では、経営に関与できる程度にと使い分けて投資していた。企業を買収しようとするものではなく、切人が成長する可能性が高いと考えて、儲かりやすいと思って、株式を保有していたのが基本だった。ところが切人はドンドンと儲け、そして、少しずつ保有株が増え、影響力の強い会社は中規模の企業が多くなっていた。しかし聡美はそんな事はまったく考慮せずに、一気に買い上げる方法で、窮地に陥った大会社に、集中的に投資していた。神元まで、何社かは、市場を通さず、買収するなんぞの事をした。しかし、神元や聡美は、本来、相場師なので、経営なんぞには関与するつもりはサラサラなく、売買差益を取るつもりが売れなくなったり、保有しても元々配当と云うかすりを貰う積もりだった。会社としてちゃんと利益を上げていくかを見守るために、ジブの海外子会社、毛利貴金属、香奈オフィスそして、食品事業に造詣の深い切人達にお目付け役や経営を依頼した。切人や神元、聡美などが登場するまでにも、ジブトラストは、ヨーロッパでは、元々長期保有目的で、香奈は自分の関心が深い、資源、エネルギーそして重工業などの分野に投資していた。製薬、冶部ホテル、機械などの一族の会社と経緯があり、大幅な増資に応じたり、買収したりしていた企業もあった。ヨーロッパでは、海外ジブ子会社の人が役員になって監視する事から始まったが、自然と貴金属関係は毛利貴金属、資源は香奈オフィス、食品事業は切人達のグループ、そしてホテルは冶部ホテルなどが、取締役を派遣して、単に見張り役とか連絡役などの立場から経営に深く関与する会社まで様々だった。切人は合理的な人間だったので、自分の立場も有効に利用した。単に利益比例の報酬目的でもなかった。自分達の影響力の強い会社も育てて、切人は、ついに、自分達が多く出資している会社の実権も握り、ヨーロッパの食品産業そのものに深く影響を与える立場になった。切人は、合理的な人だったので、いい会社が安値になり、そこそこ上がると売り飛ばし、保有リスクを下げるのがほとんどだった。ただアフリカへの援助が食品をベースに行っていた事もあって、食品産業では株式を保有し続ける事が多かった。もっとも株式保有率は、関係の濃淡や業績により、絶えず変化していた。ただ、この事は無言のプレッシャーを与えていた。そうして切人は株式保有率に比較すると、ヨーロッパの食品産業では、多大な影響を持つようになっていた。ヨーロッパの食品産業の影の帝王とも噂されていた。香奈海外やマリアホープを含めたジブトラスト傘下の企業群はヨーロッパでは増えていた。

そこにスイスカナコインが登場した。スイスカナコインは、始めはスイス国内の小規模の自分達の会社を数社運営していただけだったが、コッソリートの証券会社を買収してからは、かなりの株式保有を保有する事を契機にして、各方面で、協力関係を築いていた。そしてスイス総合企画で、広い分野で会社を再生したり、起業を手伝ったりするようになり、これらの協力関係も使い、会社を成長させていった。スイスカナコインは、香奈直轄の企業群なので、香奈ファイナンシャル、つまり香奈海外には近親感があり、協力関係を築いていた。ジブトラストの各グループにもそれなりの協力関係もできた。香奈ロボットや未来エネルギーのヨーロッパ販社の筈だった未来テクノも、再生ファンドとなったカミヨエンジニアリングが出資して、ハイテク分野を中心として、幾つかの先進的な企業群を傘下にして、大きくなっていた。ヨーロッパではジブ系列そして香奈直系系列と分かれながら、ジブトラストグループは、大きな会社から小さな会社まで、多数の企業群を有する有力なグループだった。ただ取引でも並立と云うより、乱立に近い程、幾つにも分かれていたし、実業ではもっとそれぞれの会社は、協力はしながらも、やっぱり独自の方針で運営している状態だった。ジブトラストは当然アメリカでも取引は盛んに行っており、一族の会社もアメリカに協力企業も持っていったが、ジブ最大の取引子会社と言えたカヨコトラストとファイナンシャルは、実業への深入りを避けて、取引に純化していた事もあり、ジブ傘下の企業はアメリカでは少なかった。アメリカでは、神帥は、商品相場関係から、実需関係にシフトして、関係会社を増やしていたが、神帥は仲買や取引窓口のように地味な分野で、独自に会社を展開していた事もあり、アメリカでは、一般にはそれほどジブトラストの名前も香奈ファイナンシャルの名前も知られていなかった。

神太朗はジブの実業ネットワークと保有する株式の企業分析をして、ジブそして関連グループとの調整に努め、ヨーロッパ内のジブネットワークの構築を進めて、協力しながら、事業展開をして行こうと努力していた。ヨーロッパ内のジブ連絡会議も開き、お互いに刺激しながら、協力できる所は協力して行くようにとの指示を出し、スイスカナコイングループとの協力関係も進みつつあった。

ヨーロッパでは、ジブと香奈海外とは、香奈傘下の同格の組織としての意識しかなかった。スイスカナコインなどは香奈直轄の企業と見なされていた。香奈は90歳以降は全く海外には行かなかったが、しかしジブの海外と云っても、香奈オフィスの相場部門を前身としている事もあり、所詮香奈グループと云う意識が、ヨーロッパの人には強かった。ヨーロッパでは、ジブトラストの名前も有名だったが、香奈オフィスそして香奈ファイナンシャルはもっと有名だった。香奈オフィスはアメリカが大きいと云っても、ヨーロッパでは、香奈オフィスが香奈筋と云われ、一世を風靡した仕手筋と知られていた。その後、瑠璃がハゲタカと陰口を叩かれながらも、金を貯め、資源利権を買い、香奈オフィスを大きくした。その後、奈津美は協調開発路線を打ち出し、買うよりも採掘権の交渉をして、資源探索を進めながら、多くの鉱山を掘り当て、飛躍的に伸びて、資源メジャーの一角にのし上がっていた。瑠璃も奈津美も結婚して、姓は替わったが、会社の名前は香奈オフィスで替わらなかった。資源ではヨーロッパを仕切っていたような会社だった。切人が香奈のひ孫だと云う事は決定的だった。香奈も大岩だったし、切人も大岩だった。神太朗は、証券会社を再建させたように、理想主義者でありながら、実務家としても優れ、指導力のあるリーダーだったが、切人も、香奈直系としての影響力が強く、自分の子供たちや弟子とも云えた人たちが、切人達のマリアホープそして海外香奈が多く保有する企業のみならず、聡美や神元達が過半数近く持っている大きな企業の経営に関与していた。切人達は、食品事業を中心とするヨーロッパの企業グループを、神元達のグループが保有する商品相場から派生した食品の原料会社、快適農園グループ、神帥の食品会社などと協力しながら、運営していた。ヨーロッパの食品産業を幅広く握っていた。切人自身と云うか、香奈海外とマリアホープそのものは、中クラスの食品会社群、特に裏方に近い食品会社群の株式を多く保有していたに過ぎないが、大手の食品会社を神元や聡美が、過半数に近い程保有していた事もあって、切人グループに、その経営を任されていたので、それらの大きな会社を含めると、ヨーロッパの食品産業そのものを切人が握っていると言ってもいい状態になっていた。そうすると、利益配分を、切人自身の保有する会社群に、少し多めに配分する事程度は出来た。もはや、食品産業を中核とした、一つの大きなグループを、ヨーロッパに作り上げていたと言っても過言ではなかった。切人は、景気動向に大きく左右されない食品産業をベースにして、大きな企業グループをまとめていた。切人自身は、そんなに多くの会社の役員になった訳でもなかった。ジブトラストの役員と、香奈海外とマリアホープの社長、そして全ヨーロッパを管轄する食品会社本体の役員になっている程度であったが、その影響力は強かった。切人自身は、実業だけと云うよりも、相場と実業とをミックスさせたような運営を行っており、ヨーロッパの隠れた大物と言われていた。正人は、金融を中心とする香奈国内のネットワークを作り上げながら、香奈ハイテクを中心としながら、リトルキャット系列の実質的な責任者とも見られていた。実際は、香奈ハイテクの事業そのものは、正人を子供扱いするような、実際にも親や祖父たちの超高齢者たちが、運営していたし、リトルキャット運用会社系列は、猫たちが直接運営していたし、株式会社リトルキャットは、不動や快適が運営していた。経理ベースの管理を、正人がもう一つの大きな銀行の退職者を派遣して、行っているにすぎないので、正人自身は、お世話係と言っていたが、それをそのまま信じる人は少なかった。世間は、切人が香奈海外を担当し、正人が香奈国内を担当する、香奈の後継者と考えていた。そして奈津美が香奈オフィスを担当している後継者と考えていた。

神太朗もジブトラスト本体として、食品事業群との協力関係を進めていたが、それでもやはり、食品企業群は、香奈グループの本当の本家だとする意識もあり、一種の独立空間に近い雰囲気はやはり存在していた。切人は表だって神太朗に反論しないものの、香奈の一声がある時とない時では対応が違うような雰囲気があった。

忽然として現れたリトルキャット運用会社

リトルキャット運用会社は、相場師的な感覚で、成長会社と安定会社を混合した投資としての独自のポートフォリオを持った運用をしていた。しかし、猫独自の能力を活かせる事業展開をリトルチャやリトルホワイトたちが考えるようになり、スイス組の株式グループもそれに影響され、国内組の株式グループも、それらも事業展開に役立つ事も念頭に置いた投資を心がけるようになっていった。猫たちも単なる売買差益だけの取引から変化の兆しが見えていた。近くにあったジブ総合研究所やジブ大学院大学で、勉強した事を活かせる事業展開を考えていた。それに猫だけでなく、多くの人間との協力を求めやすい、事業展開を考えていた。神太朗はリトルチャたちの事業展開の方針を聞いて、猫達が事業展開しようとする分野が、今までのジブトラストとしては経営を任せていた企業群である事に気付いた。資源、エネルギー、ハイテクそして食品、医薬と云った、香奈オフィス、毛利貴金属そして切人達のグループそして広い意味では快適グループや製薬、香奈ハイテクといった、ジブトラストにとっては、近くて遠い分野である事にも気付いていた。一族の会社が主導する立場にあるので、ジブトラストとしては、積極的な関与をむしろ控えていた分野でもあった。

これらの分野では、ジブトラストは身近に関係する企業群が存在するだけに、ジブトラストとして事業に主体的に取り組むよりも、香奈オフィスに頼むとか製薬に任せるとか独自の事業展開を認めるなど、必ずしも協力関係を密接に取ってこなかった分野であった。神太朗は、リトルチャやリトルホワイト達とも、猫語翻訳機を通して話をした。次第に神太朗にも猫チャンネルも出来た。新しい技術開発をして、新規な形で事業展開をしていきたいと猫たちは考えていた。そして、リトルキャット運用会社の株式保有を、チャタロウが猫たちと相談しながら、猫たちの計画している新規事業のための協力を求める企業群を中心に株式を保有する事に変更しつつあるとリトルチャは言った。チャタロウとリトルチャは、兄弟だが、性格も違い、そんなに仲が良くはなかった。しかし、香奈亡き後の猫軍団の将来を考え、二匹は協力する事になった。猫たちに慕われていたチャタロウが、猫たちのまとめ役になり、事業計画は、リトルホワイトが研究担当や技術担当と相談して起案するシステムになった。リトルチャは、後方で資金供給に頑張る事にした。猫たちは、勉強してきた事を中心にして、存在するであろうスイスの異才たちの能力も借り、地域猫、所謂野良猫たちの眠っている才能も喚起して、猫たちのアイディアと人間たちの行動力やアイディアを結びつける事業展開をしたいと言った。香奈と云う巨木の陰で、永遠にのんびりとは出来ない。金だけを基金として貯めても、自分たちの能力を活かす事もなく、のんびりするのも生まれてきた意味がない。猫たちも自分の役割があると思う。それを無理のない範囲で少しずつ追求していきたいと語った。

神太朗は、話をしてみて、激しく感じる点があった。香奈が築き、色々な人の力や能力を活用して、大きくなったジブトラストではあったが、自分達の能力や役割を果たしていく事を、ジブトラストのみんなは、意識しているだろうかとも思った。新規事業は大変な事だけど、今までの関係する事業を調整しながら、新しい技術や開発を行いながら、事業展開していく事に、ジブトラストの実業分野として、全面的に協力していくと話した。猫たちが事務を取ったり、販売する事は出来ないが、新しい技術や開発に協力する事は出来るとリトルホワイトは言った。株屋が勢いに任せて、既存の会社を丸毎、買収する事ではなく、新しい技術、発明そして新しい知見を製品として形に表し、それを社会に役立てていきたい、人間の協力を得ながら、猫と人間の協力関係の新しいページを作っていけるかもしれないとまで、リトルホワイトは言っていた。

神太朗は、切人とも話をした。切人は、理想主義的な神太朗とは違い、極めて現実的な人間だった。効率的な運営と、堅実な会社経営を推進してきた人間でもあった。マリアのアフリカへの熱い想いを理解して、マリア財団の財政規模を安定させてはきたが、決して、理想主義者ではなかった。人間は伝統的な食生活から離れらない。食は一種の文化なのだ。そして、文化は一朝一夕で出来るものとはないと考えていた切人は、食品事業での新しい技術なんぞは、経営評論家の造語や商売用の宣伝文句に過ぎないとも思っていた。神太朗や猫たちが言っている事は、単なる理想論とも考えていたが、そこは、香奈が好きな猫が絡む問題なので、切人も用心深く、出来るだけの協力はすると言った。日本での牧場、農園、養殖場そして食品加工施設は着々と進んでいた。スイスでも、スイスカナコインが、猫牧場の猫たちとも話し合って、独特の展開をスイスカナコインの食品総合会社に取り入れて、成果を上げていた。猫たちが発想して進めていた事は、一見すると、今までの食品に大きな差はないように思えた、やたらと遺伝子組替えをした原料を使うものでもなかったし、従来の食品と劇的に違うものでもなかった。

しかし、原料の収穫量は多く、そして食品原料である農作物の味も向上し、当然製品の味も向上していた。農作物は歴史的にも、一定面積当たりの収穫量は増えているのだ。農業は、地道で昨日と同じ事だけをしている伝統産業ではなく、本来、技術革新の多い産業なのだ、植物も無限の可能性を持っている。単に土と水と肥料だけから、太陽の力を借りて、米や野菜、麦そして果実まで作り出す偉大な産業でもあるのだ。遺伝子組替えは、自然に起こる突然変異を限られた条件下で促進するだけに過ぎない、長い目でみれば、米も麦も、けっして昔の米や麦ではない。長い間に品種交配もされ、植物自身の都合でなく、人間の都合により、変えられてきた歴史があった。猫たちは、遺伝子研究センターでの研究を通して、植物自身の本来の遺伝子が持ちながら、眠っている偉大な力をより発揮できるように、遺伝子を調査しながら、新しい技術の開発を進める事にしていた。

ジブトラストのその後

時々大儲けをしている三つのグループ

ジブトラスト全体は、もはや信じられないような大儲けを相場でする事は少なくなってきた。実業が占める比重は高く、株式投資の制約は多く、それに運用する金額も多く、市場でも細かい取引をする必要が増え、大儲けをする事も出来なくなっていたのだ。それでも神之助のグループ、加代子のアメリカそしてリトルチャのリトルキャット運用会社は、株式そして先物を始めとするデリバティブ、商品相場そして為替、債権などの、各分野でそれぞれの守備範囲の中で、相互に連絡を取り合い、機会があれば、仕掛けをして、大儲けする事が時にはあった。そんな機会は、いつも転がっているわけではなかったが、この三つのグループは、爪を研いで、狙っている動物のように、色々と研究して、お互いに意見交換もして、チャンスがくるのをじっと待っていた。普通の意味では、驚異的な水準で、取引をしてお金を儲けてはいたが、大儲けの機会を狙っていた。加代子のアメリカも複雑な子会社組織になり、加代子以外の取引の小天才たちもそれぞれ秘術を尽くし、金を儲けて、競っていた。神がかりの加代子も神がかりの状態になる事は少なくなったので、加代子だけに頼っている時代は過ぎ、ライバルとも言えた神帥の会社が実業に比重をおいていたので、神帥の会社を窓口として商品相場も含めて、あらゆる取引に出没し、神之助の複雑なグループやリトルチャのグループとも意見の交換をしていた。この三つのグループは何故か波長が合い、以心伝心のような状態になっていた。日本、アメリカ、そしてヨーロッパとで、秘術を尽くした仕掛けを考えていた。ただそれぞれ地域別に問題意識や危機意識は異なるので、そこは自ずと各グループの判断が加わった。取引は、相手があって初めて成立するものだけに、一種の神経戦、心理戦でもあった。

それ以外のグループは、大きくなった実業分野を抱え、この三つのグループの動きを遠くから眺めていた程度だった。リトルチャの仕掛けは巧妙だった。その仕掛けが直ぐに判るのは、神之助程度であるが、加代子のアメリカの責任者そして幾人かの小天才たちが協議すると、なんとか判った。神之助のグループでも神之助から詳しく説明されても数人しか判らないほど複雑怪奇な仕掛けを、リトルチャは考えていた。そんな仕掛けをリトルチャや神之助そして加代子のアメリカの会社はそれぞれ秘術を尽くし、各チームの工夫を加え、機会を待っていた。その仕掛けは、少人数では出来ず、幾つものパートに分かれ、それぞれパート毎に、役割分担があった。

ジブトラストの大勢は実業主体の連合組織に変わりつつあった。

それ以外のグループも仕掛けに、少しは参加したが、限定的だった。例えば、神帥のアメリカなどは、とっくに実業主体になり、取引量は多いものの、大きな仲買会社や為替専門会社のようになって、そんな仕掛けに参加する事はなかった。手数料目当ての商売は、失敗と云うか損がない事に気付き、それに徹する事が多くなった。その代わり、加代子のグループはナンダカンダと色々な分野に進出し、神帥の会社は、手堅く、加代子からのグループの注文を受け継ぐ手数料目的でしか参加しなかった。相場師の神元は、なんとか仕掛けのアウトライン程度は判るものの、手勢が少なく、仕掛けの一部分しか参加できないのが、実態だった。儲かる事は儲かるが、三つのグループの大儲けとは遠く及ばなかった。それよりも、神元自身の会社の大勢は、商品相場や為替の大きな変動を嫌っていた。それぞれの会社毎に、具体的な実業や実需の計画を立てていた。仕掛けの後の混乱をどのように収束させていくのかを先に考えていた。従って、神元のグループには、仕掛けに参加する手勢は少なく、儲けそのものは、この三つのグループと比べると、限定的であった。今や取引は一種の戦争であり、神元は多大な投資枠を持っていたが、単に投資金額だけでなく、参加する手勢により、儲けは変動し、現実的に手勢が少ない神元の儲けはそれなりに限定された。リトルチャはジブの非公式役員懇談会で、自分の手口を一部明らかにした。複雑怪奇な手口は、全てが終わった後に聞かさせると多少理解できたとしても、その場ではなかなか実行できないものであり、ジブの運用グループには、現実的にお金を賭けて、いや投資しているので、評論家や解説屋とは違い、体質が合い、熟知している自分の手法でしか取引しなかった。つまり以心伝心のように手口を熟知している三つのグループと神元以外には、鵜の真似をする烏はいなかった。他のグループは、そうした動きを遠くから眺める程度になった。聡美のグループは、結局、自らのグループに、食品事業を始めとする実業の大きな会社群を抱えていた。そして会社の運営は、基本的には香奈オフィス、海外のジブ子会社そして切人のグループに任せていた。それでも、少しづつ経営陣の中に、自らのグループから人も出し、実業を勉強し、資本の代表として経営にも多少は関与するようになってきた。聡美は、そんな事とは関係なく、先物専門で依然と同じようにリズミカルに取引していたが、聡美グループの相場関係のディラーたちは、結局、複雑、怪奇なリトルチャの仕掛けに加わらず、もう少し聡美達のグループにも理解できるように取引していたスイスカナコインの年寄り運用グループと証券研究所との協力関係を強めて、先物を中心とするデリバティブを中心とした取引を中心とするようになった。スイスカナコインと聡美たちのグループは、妙に気があった。大きな実業、企業部門を抱えていると云う共通点もあった。この二つのグループは、リトルチャたちの仕掛けの成否を見守り、その後収束に向かう流れの中で、その収束を見極めながら、スイスカナコインと協調的に動き、合理的な判りやすい取引をするようになっていた。確かに、これは合理的だけど、大きな儲けは期待できない取引手法だった。切人は自分風にアレンジして、自分の判断を入れて、一番安全で成果を得られる所だけを少し摘んだ。切人も実業ベースで考えた取引を重んじ、取引は損失リスクをいかに少なくして、儲けるかを考えるようになっていた。
もっと儲けが薄かった神代たちのグループは、積極的に動くと云うよりは、そうした流れを短期的に予測しながら、短期的に細かく儲けを積み重ねる取引手法に徹していた。気が付けば、神代のグループは、ハイテク中心のカミヨエンジニアリング傘下の企業群の大株主でもあった。元々、カミヨファナンシャルは、香奈ハイテクの代表のロボット工学と未来エネルギーシステムの海外販社であった未来テクノの大株主でもあった。そしてそのカミヨエンジニアリング傘下の会社は、それぞれ成長し、各分野の企業と接触し、事業に参加したり、事業活動を展開していた。益々株式投資では、制約を受ける立場になっていた。以前のように、株式投資では、自分勝手に動く事は出来なくなっていた。そのため、神代の超短期予測により、一日の取引頻度は少ないものの、先物を中心とするデリバティブで超短期的な取引に徹するグループ会社となった。

神子は、ジブトラストグループの社長でもあり、制約なんぞは、本になる程あった。おまけに、業界としての申し合わせ事項、内々の相談事、政府からのそれなりの暗示なんぞ絡み合っていた。神子のグループはそれでも各分野にわたり、情報を精査して、神子の長期予測に伴い、調整売買に徹していた。そんな神子のグループでさえ、実業への関与が増え、カミカミ傘下の企業群もあり、取引と云うよりは、成長を期待したり、頼まれての増資などが多くなった。それでも、今まで経緯のない企業群で、渾然と大きく下落した企業では、神子の長期予測に従って、投資する事もあったが、神子の予測は、そんなに明確ではないものの、成長するとか再び回復できると云う事は判った。売買差益が目的なので、株価が回復すると保有株式は少しづつ売却して、儲けていたが、業績が回復するにつれて、ジブトラスト傘下の企業との協力関係も出来、神太朗の管理下に入り、そのまま保有する事も増えていた。あの私鉄もジブシティーへの交通を目的として設立したジブ交通との協調関係が出来て、ついには路線整備のために大規模な投資をし、最後には経営統合みたいな事をして、その私鉄が保有していた私鉄沿線の土地をジブの不動産グループが再開発するようになり、ついには、ジブ傘下の企業となった。神子自身は、元々経営に参画しようとして投資する事は考えてもいなかったが、単に売買差益が得られやすい会社に投資し、調整売買を繰り返し、それなりの利益を取っていても、最後の段階で、大きな利益を取るために、売却して大儲けしようとしても、ジブトラストの傘下企業になり、株式の処分権も、最後には神太朗の権限下に入っていた。ジブ全体としては利益が上がるものの、神子のグループとしては大きな利益がとれなくなった。神子を含む神子のグループの報酬は、ジブトラストとしての全体の利益に比例する固定給は高くなっているものの、従来のように信じられないような付加給を貰う事は少なくなっていた。

神子の予測は、霊媒師的な要素もあったが、経済的な合理性に基づく部分が強く、みんなは結局、最大利益を求める行動をする事が前提となっていた。突然、大発明をしたり、技術革新したりと云う偶然性まで、ビタリビタリと当たるなんぞの事までは、流石にそんなには判らないが、漠然とやがては成長するとか利益が伸びるとかは判った。投資資本がそれほど多くない時は、神子、お得意の調整売買はピタリと当たり、結局同じ株式を保有するにしても、売ったり、買ったりして、利益を出した。ガクッと下がった株も買って、次のピークで売り飛ばして、利益を得て、又下がったピーク時に買い戻すなんぞの神業みたいな売買もした。それに先物を絡めて大儲けしてきた。それが、段々売買単位が増え、思わず買いすぎる事もあった。保有株が増えれば、その売買には、多少の時間がかかった。過半数近くの株式なんぞは決して保有する積もりはまったくなかったし、買収なんぞは考えた事もなかった。第一、ジブ傘下に入れば、神子の権限から離れてしまう。儲けがある内に売り飛ばす事を考えていた。効率的な株式売買が神子のお得意だった。それが株式保有が大きくなれば、ナンダカンダと、株主としての制限もあり、企業への大幅増資を突然頼まれたりして、神子の予測は少しずれて、売れなくなったりする事もあった。株式処分の権限が神太朗のグループに移行すると、神太朗は、ジブ傘下の企業と協力して、企業の価値向上に努めていたので、企業との信頼関係もあり、少し上がったら売り、下がったら買い戻すなどの細かい調整売買などはしなかった。ジブトラスト傘下に入る企業もじんわり増えていた。

ジブの経済センターも盛んに儲けが取れる所を研究して、取引での儲けを維持しようと進めていた。それでも取引の利益はそんなには大きく上がらなかった。昔のように、世界中の利益を独占するとか言われていた状態とは異なっていた。ジブトラストは大きくなりすぎた。それでも実業を中心として配当による利益が増えて、ジブトラストとしての利益を維持している状態だった。
香奈は超高齢だったので、一時的な取引の儲けがドーダコーダよりも、ジブトラストとしての今後の体制づくりに努めてきた。神太朗を中心とする実業としてのジブトラストグループの協力体制は、色々と問題もあるが、それでも少しずつ整いはじめていたのだった。

三匹の子猫

三匹の子猫

ただ香奈に取っても、意外だったのは、香奈を筆頭に、超高齢の年寄りたちは、ドンドンと若くなり、元気になり、頭も冴えていった。チビ助は、いつも香奈の側で、香奈の様子を見ていた。香奈がドンドンと若く、元気になるので、チビ助ものんびりしていた。香奈が寝ている時に夜遊びをするようになった。チビ助は、真っ白な大きなお腹をした雑種の猫をつれてきて、その猫は三匹の真っ白な子猫を産んだ。子猫たちは、母乳も水も牛乳も一杯飲んで、すくすく育った。子猫の成長は早く、この子猫たちはよく水を飲み、よく牛乳を飲んだ。そして、チビ助によく似て、人懐こい猫だった。香奈が家に帰ると香奈の周りには、チビ助の他にもこの子猫たちも、のんびりと寛いでいた。チャもココも元気で、香奈がチビ助やチビ助の子供いや子猫たちと遊ぶのを眺めていた。子猫たちは、のんびりとしているようでも、香奈が恵と話する時も、リトルチャやリトルホワイト、チャタロウと話するのも良く聞いていた。又香奈がいない時に、リトルチャ、チャタロウそしてリトルホワイトなどが、神太朗、神之助そして正人たちと話する時もじっと聞いていた。

チャタロウは、子猫たちを取りまとめていた。

リトルチャは大儲けしていたが、猫たちをまとめる積もりはなく、猫軍団の未来のためには、兄弟のチャタロウに猫たちの取りまとめを頼んでいた。気の良いチャタロウはそれを引き受けていた。チャタロウは、従来の先物や株式の売買差益を狙う取引は子猫の子猫たちに任せ、猫軍団の将来のために役立つ企業の株に投資するようになった。実はチャタロウの子猫たちは、取引ではずっとチャタロウよりも上手だった。チャタロウもそれを認めていた。チャタロウは、正人にも猫軍団に役立つ会社に投資するだけでなく、調査したり、協力してもらうように交渉できる人を探して欲しいとと頼んでいた。

リトルキャット運用会社は、香奈ファイナンシャル国内の事務局の香奈特別基金の子会社であった。ジブトラストのルールに沿っているようで、ジブトラストのルール外のような会社であった。香奈ファイナンシャル自身そんな性格の運用会社であった。香奈の海外は、はっきりジブトラスト内に組み込まれていたが、香奈国内は香奈の直属の運用会社なので、微妙な立場だった。大体ジブトラストとは別の資本なので、ジブトラストが定める運用枠はなかった。単に情報システム管理料を支払うだけだった。取引証券会社は、神太朗のいた証券会社だったが、経緯もあって、長期保有株はほとんど香奈ファイナンシャル名義が多かった。多少の株だけが、証券会社名義にしていた。そのために、チャタロウも猫のための長期保有株も、リトルキャット運用会社名義にする事も多かった。

チャタロウの企画調査チームが出来た!

正人は、もう一つの大きな銀行の退職者たちをリトルキャット運用会社やその子会社群に配置していたが、不思議な事に銀行出身者のくせに、経理操作が不得意で、企業の経営陣と話したり、企業を分析したり、業界としての背景などを考慮して、経営陣の経営姿勢も配慮して、企業を判断する変わり者たちもいた。そうした変わり者たちは、大体、銀行では出世しなかった。銀行は不思議な組織で、優秀でも、そんな変わり者は早く辞めざるを得なかった。いや、むしろ優秀な人ほど早く辞めざるを得ない組織でもあった。キープヤング路線とか云う決まりがあった。正人は、そうした変わり者たちの再就職も支援した。正人はタヌキのくせに、そうした変わり者たちにも、肩入れしたくなる変なタヌキでもあった。優秀な人を香奈ファイナンシャルとして確保しておきたいとの思いもあった。そうした変わり者達は、一流の大きな企業には、銀行での経歴も立派ではなく、直ぐに再就職できず、リトルキャット運用会社やリトルキャットそして香奈ファイナンシャルの国内、香奈ハイテクなどで長く面倒をみている事も多かった。勿論銀行マンらしく、経理操作の得意な子タヌキたちも競争に負けて、正人の世話になり、リトルキャット運用会社などで働く者もいた。銀行は地位が上がると競争も激しくなり、当然競争に負ける奴も出てきた。そんな人も正人は世話をしていた。変わり者たちは、経理操作ではなく、そうした企業に働きかける仕事に関与したいと正人に申し出て、チャタロウとも猫語翻訳機を使い、アーダコーダと議論していた。チャタロウは、データだけの判断だったので、知らない事も多く、その変わり者たちに色々と質問した。変わり者たちが推薦するような、会社には、株価が安く、規模の小さい会社もあった。チャタロウが研究担当の猫たちと議論すると、将来性のある企業も何故かいくつかあった。チャタロウは、素直な性格でもあり、こうして意見も反映して、投資スタイルを少しずつ変え、そうした変わり者たちの意見を、リトルホワイトが研究担当や技術担当の猫たちに検討させながら、推薦した企業との交渉を頼んでいた。チャタロウのチームは、市場を通した株式売買以外に、市場外での非上場株式を出資したり、小さい企業にも目的を持って出資するなどの方法も取り出した。国内組の親分のココは、香奈に似て、株式の長期保有はそんなにしない主義だったが、リトルキャット運用会社としては、ココの子猫たちは、チャタロウたちに協力して、企業の保有株も増えていた。そうした人たちを集めて、リトルキャット運用会社にも、経営コンサルのような、調査部門のような、企画調査部門も出来ていた。正人は再就職もスムーズに進まない人たちの働き場所が出来て喜んだ。チャタロウが実質的な責任者ではあったが、実際にはもう一つの大きな銀行の退職者を中心とする人たちが、そうした部門を作り、色々な交渉にあたっていた。リトルキャット運用会社の保有株も、聞いた事のない会社も少しずつ増えてきた。リトルキャット運用会社自身、あの老人にお金を渡す目的で子猫たちが自由に相場をしたりする会社だった筈なのに、運用子会社も増えて、市場外での出資や調査、そして渉外担当までを進める企画調査部門まで出来ていた。こうした議論も当然、香奈の家でした。三匹の子猫は、じっと議論を聞いていた。研究担当の猫たちや技術担当の猫たちの議論もじっと聞いていた。この三匹の子猫はどんな議論も、じっと聞いていた。この三匹の子猫が、コシロを上回る天才猫に育っていく事は、この時点では、誰も判らなかった。

恵教

恵教は、恵は消極的だったが、恵よりも恵的な幹部たちの強い要望に押し切られ、結局、宗教法人となっていた。幹部達は、恵亡き後の恵教の今後を意識していた。恵を不死と信じ、神格化していた信者もいたが、冷静な幹部はさすがにいつか死ぬだろうと考えて、恵亡き後の恵教についてあれこれと考えていた。恵は信者たちから金を取る事は拒んでいたが、宗教法人となってしまうといつまでも冶部ビルの子会社のように、冶部ビルの一角に無料で事務所を借りておくような立場はとれず、やっぱり少しは、みんなからお金も貰う事になった。恵自身が、恵教の運営費の補助として、率先して、個人として多大な金額を、恵教に寄付していた、各地の冶部ビルも、各地の事情に応じて、それぞれ小さいビルや事務所を恵教に貸し出したり、安く売ったりするようになった。恵教は、ナニナニ経典と云う基本経典はなかった。恵のいままでのお告げ集は、経典となった。恵は時代によって、そのお告げは微妙に変化させていて、その変化の解釈をめぐる対立もあった。教祖の恵が健在なので、その対立は顕在化しないものの、従来の恵教のお告げを重視する保守派と、恵が広範囲に社会福祉を進めだしていた頃のお告げを重視する革新派との対立もくすぶりつづけていた。教団革新派は、冶部ビルといっても企業なので、恵教として、冶部ビルとの一線を区別して、独立した建物を確保し、活動の自主性を持つべきだと言っていた。保守派は、有力者が冶部ビルの幹部になっていた事もあり、従来通り、信者からの寄付は少なくするために、冶部ビルで家賃を安くしてもらう方法を取っていた。それでも、都心のジブタウンの恵教の事務所は、本部だったので、付近の小さいビルをジブタウンから安く買った。保守派の代表者がシブタウン東京の責任者だったので、そんな事は簡単だった。それが恵教の大本山となり、保守派の砦といわれた。シブシティーに設立した教団事務所は、多くの若い良家の子女風の信者を集めて、寄付も集まり、恵のコネで、ジブシティー株式会社から大きなビルも借りて、多様な会合を行っていた。このビルはやがて大聖堂と呼ばれるようになった。ジブシティー内は、基本的にすべてジブシティー株式会社が所有し、賃貸で貸すだけだった。しかも、この当時は、恵のコネがあれば、ジブシティー株式会社はナンダカンダと理屈をつけて安く貸してくれたので、大きなピルも借りれた。このビルには、今までの恵教の信者、不良っぽい女の子たちとは違い、良家の子女風の女の子たちが信者となり、集まってきて、革新派の砦と言われた。ジブシティー内のジブタウンの責任者は、古くからの恵教の信者だったが、ジブシティーに集まる多くの若い信者と接する内に、革新派の主張に同調して、やがて革新派の代表となっていった。恵は、恵教の幹部を、香奈の家の近くの会議室に集め、信者の傍聴希望者も呼んで、公開で幹部会を開いて融和に努めていた。不良少女崩れと云うか不良少女上がりと云うか別にして、そんな人たちが中心となっていた従来の恵教を支えていた保守派と、社会貢献活動に積極的な良家の子女風の信者が多い革新派の対立は根深かった。従来の直接的な相談や女の子の悩み事相談室を中心にした従来型の恵教のホームページとjavaやフラッシュを多用して、社会貢献活動への参加を呼びかけ、その社会貢献活動を通して、自分自身の内面的な向上を呼びかけるモダンな恵教大聖堂のホームページが並立していた。革新派は、社会貢献の必要性を訴え、全国各地で同調者を増やしていた。保守派は、人と人との信頼関係を機軸とする、古い形の人間関係の集団で、結束は固いものの、同調するシンパの獲得は少なかったが、革新派は受け入れやすいスローガンに同調する信者を受け入れ、良家の子女などにも同調者を作っていったが、結束との点では緩いものだった。どちらも恵がしてきた事なので、恵は両派のどちらにも肩入れする事も出来なかった。それに恵の前では、両派とも表面的には特に対立する事もなく、恵教幹部会では、恵はみんなと一緒に仲良く話をして、傍聴希望者とも一緒に仲良く飯を食っていた。教祖との親睦食事会と言う名前になった。これは、恵が飯代を負担して、美味いデザートやケーキも食え、みんなには好評であった。このためだけに、田舎から出てくる信者もいた。デザートシェフは、恵教幹部会があると大忙しだった。敷地内では超高齢者が元気だったので、ケーキやデザートの嗜好対象が高齢層に偏ると危惧を抱いていたデザートシェフにとってはいい機会でもあった。若いとは言いかねる人も本当に若い信者の食後アンケートなどを取り、自分のデザートやケーキの改善を考えていった。単に高給だけ貰っていて満足する人でもなく、自分の調理技術のより一層の向上を考えていた。教祖との信者懇談会は、美味しいケーキやデザートを食べ、美味しいコーヒーや紅茶も飲み、和気藹々の雰囲気に包まれていた。恵も信者たちから、色々な意見や情報も聞ける機会でもあった。保守派も革新派もみんな仲良かった。恵亡き後の主導権争いが両派の思惑であったので、恵の前では、一致団結した恵教であった。

冶部ビル

恵の冶部ビルは、ジブシティーの第二ジブタウンは好調で、業績は好調だった。ビル群は増え、業務は増え、小夜でさえ、それぞれのビル群の責任者にかなり大きな権限をわたして子会社として、冶部ビル本社として、総合的な判断をしたり、方針を決めたりしていた。小夜は恵が苦手なので、菊子金属や冶部金属などで忙しい菊子を冶部ビルの役員から離さず、恵への連絡役にして、恵にはそれこそ、総括的な報告をしていた。小夜は、活発に新しい不動産価値を作って、ビル展開をしていきたいタイプだったが、恵のビル管理の大方針は、無理をせずにのんびりと経営していくものだった。恵は、テナントの業績とか景気の動向には波がある。多少の波でも影響されない程度に堅実に経営していくのが、ビル管理の鉄則だと言っていた。恵は、義母の真智子から預かった冶部ビルを守り通す事が、一番の目標だった。冶部ビルは、財産管理会社の一面もあった。小夜が、頑張って大きなビル群にした事は評価していた。しかし一時的に大きくしても、大きくなればなるほど、問題も内在すると思っていた。小夜は、恵の問題意識も判るので、恵になんやかやと言われるのを避けるために、新規の大きなプロジェクトを展開するのは避けていた。 内部保留で出来る事は、恵は、大体小夜に任せていた。小夜は、立替時期の検討とか、ビル周辺を含めて、不動産価値を高める再開発、ビルとしての価値を高めるテナントの再配置などを各子会社と話をしていた。それでも積極的な福岡や大阪では、超高齢の恵が来れない事を理由に、古いビルを建て直すといいながら、貯まっていた内部保留金を使い、小さい修理をしても周辺部を巻き込んで、大きなビル群に再開発し、不動産価値を高めるような事をした。各冶部ビルの子会社の利益は増えていた。

細かく言うと、冶部ビルは各ビル群毎に、それぞれ子会社となっていた。小夜は現地で考える事が必要と思い、とっくに、各ビル群を子会社としていた。大きな計画を冶部ビル本社と相談して、進める方式に変更していた。小夜は、各冶部ビルの子会社の運営を自分の側近とか古くからの冶部ビルで働いていた人などに任せていた。子会社の責任者たちは優秀で、不動産の価値を高める事の重要性は認識していた。それぞれの子会社でも内部保留が貯まってくるので、それなりに開発計画や改善方法を練っていた。冶部ビルは商業ビルが多く、ビルの管理人ではなく、ビルとしての有効利用を考える人たちだった。小夜が、恵を誤魔化して、建設をした福岡の子会社と大阪の子会社は、小夜が大阪や福岡にビルを作り出した時に一緒に考えて、行動した人たちが責任者となっており、いわば側近中の側近が運営していた。冶部ビルの子会社は各地の子会社の内部保留でそれぞれのビル群の再開発をするのが基本だったが、本体の承認があれば、本体や各地の子会社の内部保留も出資の形で応援していた。各地の冶部ビル子会社も他の冶部ビル子会社に出資する事もあった。福岡と大阪の二つの子会社は高収益だったので、都心のジブタウン東京にも出資の形で応援した。勿論、冶部ビル本体の出資よりは、大分少なかった。恵たちの複数の管理会社から出資を貰い、マチコジブ記念不動産にも土地を買ってもらい、そんな金を集めて、ジブトラストからも出資を貰い、ジブタウン東京が出来ていた。ジブタウン東京は規模も大きく、好調だった。このジブタウン東京は、ジブトラストからの出資も入っていたので、利益の三分の一程度は配当として出した。小夜たちは、各地の冶部ビル子会社やジブタウン東京からの配当を貯めて、一家の管理会社もジブトラストの配当を貰っていた人から出資を集めて、それも利用して、ジブトラストからの出資も返していった。小夜たちは、更に福岡や大阪でのジブトラストからの出資も返していった。そんなに簡単ではなかった。時間もかかった。その間は各地のジブタウンは、利益の三分の一程度は配当として出していた。その後も、冶部ビルは、成長よりは内部財務の充実に向けて、保留金を貯めていく時代が長く続いた。各地の冶部ビル子会社は、その間は、三分の一の配当を出し続けていた。こうして冶部ビル本体は、内部保留を蓄積していった。

冶部ビル本体は、ビルを持たず、各地の冶部ビル子会社を集中的に管理していく会社だった、冶部ビル本体は、各地の冶部ビル子会社のホールディグ会社、つまり持株会社でもあった。実際には、健太郎と由香、健次郎と恵、真美、宏美と言った真智子の子供たちと、一家の管理会社たちが共同で保有している会社だった。恵は若い頃から、ほとんど一人でビル全体を管理していて、恵の報酬の多くは、このビルへの出資に変わっていたので、出資比率はみんなより高くなっていた。恵は、大きくなった冶部ビルでも自分の子供たちそして由香、真美そして宏美とも話し合い、その子供たちにもジブトラストからの配当を全て、冶部ビルや一家の管理会社に出資させてきた。小夜も、ジブトラストの配当や冶部ビルでの多大な利益比例の報酬は、冶部ビルや一家の管理会社に出資させられていた。恵たちは、みんなそうしてきた。小夜たち、つまり恵たちの子供たちの出資も順調に増えてきていた。小夜たちも歳になり、小夜たちは出資をせずに、孫やひ孫が出資していく番になった。初めはジブトラストからの配当だけで、一族の管理会社はそんなに配当しなかった。一族の資産も増え、色々な事情もあり、資産継承も進めるためにも、一族の多くの管理会社は、それぞれの事情にあわせて、配当を増やし、子供たちからの出資も多く増やそうとした。冶部ビルを初めとして、恵たち一家の管理会社もかなり配当した。一家の管理会社や冶部ビル本体の配当には、これから出資していく子供たちへの補助の一面もあった。こうして一家の資産継承、あっさり言えば相続対策に対応していこうと、恵たちは考えていた。恵たちもそうしてきたし、恵の子供たちにもさせてきた対応であった。恵も小夜も初めは形だけのビル管理の手伝いをして、利益比例の報酬も貰い、そうして資産継承をする積もりで働かされていた。ただ、資産継承の名義人の筈の積もりが、単なる名義人ではなく、ビルの業績を上げて、今の大きな冶部ビルの基礎を作ったのは恵だったし、小夜は、福岡や大阪にも広げ、冶部ビルを大きくしてしまった。しかし孫やひ孫たちそして配偶者たちは、本当に単なる名義人が多かった。役員会に出ても黙って、会議が終わるとさっさと帰った。大した活動もしないし、部門も任せられないので、利益比例の報酬もそんなに与えられず、配当と云う形で、金を渡す事にもしていた。ジブトラストからの配当も加えて、更に一家の管理会社や冶部ビルらに出資させる事にしていた。

ところが、恵は、突然小夜に命令して、すべての子会社の株式を多く保有する冶部ビルの配当は、下げていった。ジブトラストの出資が多く、配当も一杯貰っていた恵たちは、生活のほとんどの面倒をみているのだから、ジブトラストからの配当や一家の管理会社からの配当のほとんどは、従来通り、冶部ビルや一家の管理会社に出資しろと言うのに、恵たちの孫やひ孫たちの皆は、ジャブジャブ余っている管理会社に出資する必要があるのかと言って、恵たちの手前、仕方なしに貰ったジブトラストの配当や一家の管理会社らからの配当の半分は出資したが、半分は自分たちの収入として、のんびり暮らし始めた。なにしろ純子の長男の洋一の家系だった。洋一は、鉄鋼を中心とした一族の会社の株式を純子から相続し、妻の京子も今や大商社となった商会の株式を純子から相続した。株式は、一家の管理会社名義に切り替えていった。これらの企業は大きくなって、多くは上場していた。そうした上場企業の株を保有している、一家の管理会社の株式を保有したとしても、直ぐにどうなるものでもなかった。経営陣に入れるものでもなかった。精々多少の配当が貰えるだけだった。それに孫やひ孫たちは、頭も良く、それなりの企業に就職していた。配偶者は、冶部ビル系列で名前だけの役員になっていた。ジブトラストの出資も恵たちが、それぞれに持たせるようにしていたので、高額の配当が入ってきた。敷地内で暮らせば、恵たちが、基本的な生活の面倒をみてくれた。相続と言っても、恵たち超高齢者はやたらと元気だった。こんな環境下では、管理会社や冶部ビルにどんどん出資しようとする人は限られていた。菊子金属で頑張っている菊太郎や冶部金属で働いていた菊次郎やジブトレーディグで頑張っている信治の子供たち程度になった。恵は、連中に金をこれ以上持たせる必要はないと考えたのも原因だった。ジブトラストのからの配当は依然として高配当だった。こうして冶部ビルの配当は下がっていった。小夜は冶部ビル本体に金が貯まってくると、各地の子会社から本体の冶部ビルへの配当も抑えだしていた。なぜなら配当を出せば、本体の冶部ビルは、受け取った配当からも税金は取られた。配当課税は、一種の二重課税なので、各地の冶部ビルが税金を払い、受け取った本体も更に税金を払う必要があった。各地の冶部ビルに保留しておいた方が、ビルの建て替えなどにも直ぐでも使えた。そんなこんなで冶部ビルの子会社は、よりジャブジャブになっていった。冶部ビルも各地の冶部ビル子会社の内部保留も貯まりに貯まっている時に、第二ジブタウン計画が起きていた。小夜は、この内部保留の額を考慮して、大きな計画を練っていた。この大きな投資は、結局ジブシティー内の第二ジブタウンとなった。第二ジブタウンは、本体と各地の子会社がそれなりの比率で出資した形となった。しかし第二ジブタウンと言っても、ジブシティー株式会社への出資であった。ジブシティーの第二ジブタウンは大きなビル群であって、恵たちの会社に総括的な使用権を与えるための対価のような出資でもあった。契約した当時は、第二ジブタウンのジブシティーのビルの使用権料は、予想配当額と同額程度になる前提で計算されていた。しかしジブシティー株式会社はやたら好調で、多大な投資をしたジブトラストには、投資の回収のために、計画より高額の配当を出した。つまり冶部ビルや子会社にもそれなりに配当も入ってきていた。つまりジャブジャブが、よりジャブジャブになった。小夜は、恵の意向を反映して、内部保留で出来る、現存のビルの再開発程度は認めるが、大きなプロジェクトは止めてねと言っていた。大阪と福岡はそれを拡大解釈して、内部保留から、周辺のビルを増やして、それぞれ不動産価値を相互に高めて、いつのまにか、大阪でもジブタウン、福岡でもジブタウンのようになっていた。内部保留から建てたので、それが一層大阪と福岡の子会社の利益を高めていた。

突然起きた九州事業

福岡のビルの責任者「小夜さん、九州で一大リゾートタウンを作りましょうよ。冶部西日本から出物の物件を紹介されました。お買い得ですよ。何でもゴルフ場もあるリゾートホテルを作るのに大きな土地を買ってレジャーランドまで作って失敗した会社が、ホテルとレジャーランド込みで大きな土地を手放すらしいですよ。従業員の雇用を保証してくれたら、ただのような値段で売ると言ってます、自治体の金も入れたので、雇用の維持が優先とか言って、雇用の維持を約束すれば、格安の値段ですよ、我々は、もっと上手くやりますよ。ホテルの運営については、ニコニコホテルとも話しているんです。ジブトラストから借り入れできる目途も立っています。今の駅ビルを中心した商業ビル群だけでは面白くないですよ。」
小夜「そんな事は無理に決まっているよ。ケチのついたリゾートホテルを借金して買ってどうするのよ。福岡は、勝手に福岡ジブタウンを作ったでしょう。お義母さんに聞かれて、説明に困ったのよ。お義母さんは、精々ジブシティーにしか行かないけど、恵教の信者ルートで、情報が入るのよ。既存のビルを修理する時に、たまたま売りに出ていた周辺のビルも内部保留金で買っただけですと菊子さんに上手く説明してもらって、誤魔化したけど、あれは立派なジブタウンよ。内部保留ももうそんなに残っていないでしょう。」
福岡の責任者「ジブタウン福岡は、凄く利益が出ていますよ。相互に不動産価値を高めるビル群にして、利益は急に増えました。直営店も好調ですよ。たしかに内部保留はほとんど使ったけど、数年で元の内部保留に戻りますよ。それより、こんなチャンスはそんなにないですよ。」
小夜「そんな無理な話は、私でも納得しないわよ。ケチのついた物件は、駄目に決まっているでしょう。それでなくても借金して、ビルを建てるとかリゾートを開発する事を承知するお義母さんと思うの。お義母さんは決定権のある会長なのよ。」
福岡の責任者「大した金額でもないですよ、話しやすい、マチコジブ記念不動産や大阪には、相当、内部保留があるでしょう。それを使ったら簡単ですよ。」
小夜「大阪も、同じように、ジブタウン大阪を作ってしまったのよ。しかもあいつらは、勝手にマチコジブ不動産の保留金の額まで調べて、福岡よりも大きなジブタウンを作ったのよ。マチコジブ記念不動産にも一部の土地を買ってもらうなどの経理操作も大変だったし、お義母さんへの説明も大変だったのよ。東京のジブタウンは、保留金もかなり貯まっているけどね。責任者は私の部下だった人だけど、お義母さんにもよく報告に来て、よく会いにくる恵教の保守派の有力者なのよ。ジブシティーの第二ジブタウンは好調だけど、お義母さんもよく見に行くし、責任者は恵教の革新派の代表者みたいな人なのよ。名古屋は恵教の教団支部事務所もあるし、名古屋の責任者は、昔からの恵教の信者で保守派の長老だし、ここの三つの子会社は再開発は最低限度にするし、テナントの再配置などのビルの効率的な運営に主眼をおいているから、保留金は貯まる一方だけど、お義母さんに筒抜けだよ。本体の冶部ビルにもお金はあるけどね。それでも、大体失敗したリゾートホテルをもう一度立て直すなんて無理だよ。いくら安くても、私でもそんな事は納得できないね。本来、冶部ビルは、都市近郊の商業ビルしか経験がないんだよ。」
福岡の責任者「こんなに安く、広い物件はなかなか出ないですよ。広いゴルフ場も温泉もあるんですよ。惜しいと思いますよ。エンジェルホープジャパン病院も温泉治療に興味があると聞きましたよ。今度は単にリゾートではなく、病院も誘致して、心と体を休める滞在型のリゾートタウン構想は面白いと思うんですが。」
小夜「心と体を休めるリゾートタウンか、それは面白いかもしれないね。構想計画の概要と資料を私に送ってね。私が俊子さんやエンジェルホープ病院とも話してみるわ。エンジェルホープ病院は、この頃いつも満員で、第二病院を作りたいと言っているらしい。ホテルなら俊子さんにも話をしておかないといけないわよ。皆と一緒に作るなら、見通しや計画も立てやすいし、お義母さんにもなんとか説明できるかもしれない。もう勝手に契約なんかしないで少し待っていてね。」

ジブシティーは、本来は、小夜たちの第二ジブタウン計画がベースだった。神三郎と加代子たちの病院建設計画に便乗して、壮大な構想を建てていた。それがいつのまにか、ジブシティーに変わり、小夜たちの冶部ビルは、莫大な投資をするどころか、ジブシティー株式会社に一定の出資するだけに切り替わっていた。金は安くつき、第二ジブタウンも好調だったが、小夜たちは拍子抜けしていた。大阪や福岡も張り切っていただけに、気が抜けたような気がした。小夜は送られてきた資料を見直し、俊子や神三郎たちと相談して、綿密な構想を練る事にした。しかし福岡の責任者は強気だった。怖い恵は、超高齢で九州なんかには来た事もない。それに福岡ジブタウンは、多大な投資も効いて、好調だった。ただ内部保留の金は、運転資金を除いて、少なくなっていただけに、今回の計画は、本体の冶部ビルからの資金援助が必要だった、一応小夜からの返事を待つ気になっていた。ただリゾートホテルのクローズの日も近づいていた。何か打開策はないだろうかと福岡のニコニコホテルに行って、責任者と今後の展開方法などについて話している時に、偶然にも毛利ビルの人が来た。毛利ビルは、香奈や勝の両親の恭助と和子が遺産として残した土地を集めた会社である毛利不動産の土地を有効利用するためにビルを建設し、管理するための会社だった。香奈は、毛利不動産の土地を有効利用するために、本体の香奈ファイナンシャルからお金を出して、毛利不動産と合弁して毛利ビルと云う会社を作っていた。毛利ビルの幾つかには、ニコニコホテルが入っており、ニコニコホテルとはそれなりにつながりもあった。和子や恭助の残した土地は諏訪や長府近在の土地が多かったが、東京にも土地もあり、全国にかなりの地所を持っていた。建ててしまったビルの維持や管理は、ジブトラストの不動産チームに頼んでいたが、全国に点在していた土地の有効利用を計画するために、毛利不動産との兼任が多かったが、少人数だが社員もいて、幽霊のような会社でもなく、ニコニコホテルのビルを毛利ビルとして建て、そこにニコニコホテルが家賃を支払って開業する事もしていた。土地開発の専門家たちが集まった会社でもあった。年々香奈や勝たちの子供、孫、そして最後にはひ孫達以降が、相続対策のような出資や増資を、毛利不動産にもしていた。香奈の考えでは、一代限りの株式として、子供や孫たちが出資や増資をしていけば、それでスムーズに資産継承が出来、資本金もそこそこの水準を維持すると考えていた。しかし超高齢者は元気だったので、毛利不動産は年々資本金が増えていた。毛利不動産は土地代に加え、毎年増資しているような会社なので、年々金が余っていた。余り金を持つと色々と面倒なので、毛利ビルがその金を借りたり、香奈ファイナンシャルからも借りたりして、毛利ビルはビルを建て、今度は家賃を貰いながら、香奈ファイナンシャルや毛利不動産に返すと云ったような会社間の融通をしていた。社員は兼任しており、実質的に同じ会社と言えた。建てたビルの利益も出て、おまけに配当は雀の涙のような配当にしていたので、内部保留金は貯まっていた。ジブシティーのニコニコホテルも毛利ビルが建てて、ニコニコホテルが借りる約束だったが、ジブトラストが都市全部をジブトラストとして一体的に建設する事になって、親会社と云えた香奈ファイナンシャル国内が一定の出資をジブシティー株式会社に出資する事で、お役御免となり、ジブシティー株式会社には、出資できなかった。

その毛利ビルの人は、九州にも毛利不動産の土地があったので、有効利用を考えるために、実際の土地を見学にきたと言った。山間部なので、なかなか計画が難しいとこぼしていた、折角近くにリゾートホテルとレシャーランドが建ったので、協力してなにか建てようとも思ったのに、リゾートホテルはもう潰れてしまったと嘆いていた。話を聞いてみると、例のリゾートホテルの近くに広がる大きな土地のようだった。そのリゾートホテルの再建に、冶部ビルとして名乗りを上げて、心と体を休めるリゾートタウンを計画したいと小夜と話していると、福岡の責任者は言った。病院もエンジェルホープ病院を引っ張ってくる積もりだと言った。ナンダカンダと話は盛り上がっていた。でも交通が不便でしょう。車でしか行けないリゾートホテルは今は難しいですよと、ジブ交通のようなモノレールでも作れば違うけど、もの凄い投資になりそうです。自走式の電車にすれば、送電施設もいらないし、コストも安くつきそうですが、一度周囲も見てきますとも言った。福岡の責任者も同行する事になり、例のリゾートホテルにも連絡を取った。リゾートホテルは刻一刻とクローズの日が迫り、再建主体も現れず、焦っていた。都市開発で有名な冶部ビルの福岡が興味を示していたと聞き、期待をもっていたが、本社で今相談中と聞き、そういいながら、結局駄目かもと思っていた。そこに、毛利ビルの人と一緒にもう一度見学に来ると聞き、最後の期待を持っていた。地元の自治体も雇用の維持も出来ず、なけなしの金を注いでつくった道路やリゾートホテルやレジャーランドへの出資も泡と消えるかと思い、ガックリしていたが、毛利不動産は山や山間部から盆地付近まで保有する大地主でもあった。国立公園の指定も受けていないのに、長らくほったらかしにしていたので、せめて資源開発でもしてくれるように要望も出していた。

この辺りは、山間に温泉も出て、大昔は毛利の分家が、山荘を持って、それなりに賑わっていた事もあった。秘湯プームが盛り上がっていた時に、ブームに乗って、秘湯のお湯を引き入れてリゾートホテルも大規模なレジャーランドも作ったのに、不便な秘湯は、やはり秘湯で、多くの人が来るには不便だった。やがてブームも去り、どんどんと訪問する人は減り、リゾートホテルも客よりも従業員が目立ち、レジャーランドも閑散としてきた。年々増える赤字は膨らみ続けていた。ただこの辺りにはなぜか猫が多かった。海岸辺りで、小魚が取れ、山間部と海岸線も近い場所が何箇所かあったのが原因かもしれなかった。毛利ビルの人と福岡の子会社の人が車で、このリゾートホテルにやってきた。それを十匹を超える猫たちが、出迎えていた。毛利ビルの人がそれを見た。毛利ビルの人は、リゾートホテルや自治体の人との会議で、初めに聞いた。この辺りには猫が多いのですか、自治体の人は言った。この辺りの人は、あまったご飯やおかずを野良猫にあげる人が多いのです。昔からの風習みたいなもので、都市のように野良猫に餌をやるなとは言えないのです。それもリゾートホテルやレジャーランドの仕事がなくなると厳しいかもしれませんと言った。毛利ビルの人は言った。それなら話は違います。リゾートホテルと云う形式でなくても、雇用を維持できれば、いいのでしょう。観光でもなく、農畜産業や製造業でもいいですよねと聞いた。自治体の人は言った。半農の人も多いですから、それでもいいですが、耕地可能の面積や平地はそんなには多くありませんよ。山から山林になり、すぐに海岸になる土地ですから、観光に向いていると思ったのですが。毛利ビルの人は言った。それはこちらで調べます。関係する企業で、牧場と畜産業そして食品加工施設を大規模に展開する計画を持っている企業があります。冶部ビルの計画は、まだ検討中との事ですが、それは別にして、当方の計画を至急詰めてみます。鉄道は近くにないのですかと言った。地方自治体の人は答えた。ここら辺には鉄道はありません。だからホテルのために道路まで設備したのです、近くの駅は、60キロも離れています。しかも途中には大きな山があります。それが毛利不動産が持っている山です。山を抜ければ、駅は目の前ですと言った。毛利ビルの人は言った。線路用地の買収は特にしないでもいいのですか?地方自治体の人は言った。毛利不動産がその気になれば簡単です、でも山を切り開くのは大変なお金がかかりますよ。毛利ビルの人は言った。そうなんですか? 帰ってから至急に話を詰めます。私にはそんな権限もないので、この場でのお約束はできませんが、帰ってしかるべき人と相談します。福岡の責任者も調子に乗って、自分の計画を言った。病院を誘致して、都市の町とは別に、心と体を休め、寛げる町にして、従来型の都市開発ではない再開発を目指して行きたいと本社と話し合っていると言った。みんな盛り上がって、理想の町作りの構想について述べ合った。

世の中は当然、そんな甘いものではなかった。毛利ビルの人は、正人に、熱心にこの町の様子について報告した。正人は九州の片田舎の事なので、いい加減に聞いていた。金融屋の正人としてみれば、しばしば聞いた話だった。ケチのついた片田舎のリゾートホテルのような案件が再建する可能性なんて、宝くじを買って当たる程の確率しかないし、猫の事業もリトルキャットプロダクツとして、もう既に進めていると思い、よく考えて検討しますとつれなく言った。毛利不動産は、毛利家の土地を中心とする財産管理会社で、毛利ビルは毛利不動産の土地を有効利用するために作られた、毛利不動産と国内香奈とが合弁して作った会社で、毛利不動産が不必要な現金を多量に保有する事を避けるために、財産分散や節税対策の目的で作ったような別会社だと正人は思っていた。いずれにしても正人が実質的には管理している立場だった。正人はやたらと忙しかった。中国のタヌキとの化かし会いも多くなっていた。

そんな時に、リトルチャから会いたいとリトルチャの子分から連絡があった。リトルチャはやたらと儲け続き、リトルキャット基金も膨大になっていた。猫たちの新規事業の進展が遅い、正人が預かる、リトルキャット運用会社の準備金で作った会社のリトルキャットプロダクツの動きが鈍い、猫たちのアイディアを十分取り入れてくれない、我々の猫の基金でも事業を始めたいと文句を言った。温厚なチャタロウまでが、もう一つの大きな銀行の退職者の変わり者たちの信望を集め、リトルキャット運用会社は、聞いた事もない小さい会社にコツコツと出資し、買収に近く程取得して、事業方針とか計画とかまで関与し、猫たちの新規事業計画をバックアップする体制を作り上げつつあったが、肝心のリトルキャットプロダクツは、従来通りにイチコプロダクツの組織を使い、我々の関連企業にはつれないと文句をいった。イチコプロダクツとの合弁によるリトルキャットプロダクツは、牧場や養殖場、農園そして食品加工施設などが稼動していた。イチコプロダクツからの生産・研究中心の中堅や年寄りたちが運営し、生産や研究では猫たちの意向や注文には、それなりに応じて、生産や研究体制では順調だったし、猫牧場や不動マンションとの協力体制も順調だった。しかし販売は、出資比率は少ないものの、経験や組織を持っていたイチコプロダクツが担当した。正人は慎重だったので、そういう組織体系にした。そしてイチコプロダクツはもう大きな企業だったし、あらゆる販売ルートを持ち、リトルキャットプロダクツの食品や製品も順調に販売していた。チャタロウが苦心して作りあげつつあったリトルキャット関連企業は、この販売ネットワークには入れてくれなかった。なんとか形だけでもと言っても、ナンダカンダと調整にも時間がかかっていた。正人も慎重と云うより忙しく、猫事業の次の展開を考える時間はなかった。これから先も、リトルチャたちの文句を聞くのは憂鬱だった。毎日、会う度にも、猫たちがグチグチ文句を言い出すと、それはそれは憂鬱な事だった。リトルチャは文句を言い出すと、屁理屈はコネルし、やたらと何でも詳しい猫だった。参考法令を考えながら毎日交渉するように秘術を使うのは、大変な精力のいる仕事だった。言った言わない論争は大変だった。リトルチャは、録音機を密かに持っているかもしれない程、油断の出来ない猫だった。正人は、金よりもこの状況を改善したかった。本体香奈も、香奈オーバーシーズそしてリトルキャット運用会社もやたらと金はあった。正人は、時々都心のもう一つの大きな銀行の役員会に出る程度しか外出しなかった。こんな片田舎の再開発にそんなに興味もなかったが、正人も行けないし、猫たちもこんな田舎には行けないと思った、ジブトラストや香奈ハイテクの超高齢者たちも当然行けない。文句もいいようがないと考えた。

片田舎での再開発事業に、香奈ファイナンシャルとリトルキャット運用会社が、毛利ビルを窓口として事業を推進する事を、突然として決め、香奈にも、詭弁の技を駆使して、九州での猫ハウスの建設計画に力点をおいて報告して、了承を求めた。香奈は、普通の計画は正人に任せ、一々細かい報告される事は嫌っていた。しかし正人は、冷静に成功する確率は低いが、九州の猫たちを救うための事業だと言いつくろった。香奈は大タヌキだったが、九州での猫たちを救うための計画と言う正人の詭弁に心を惑わされ、その再開発事業を了承した。香奈は、元々毛利不動産の遊休地を中心として、再開発事業を進め、最悪、リゾートホテルやレジャーランドで働く人を猫ハウスや猫たちが進めようとする牧場や養豚場、農園などの新規事業に協力してもらう事だけになってもそれはそれでいいかとも思った。赤字がでれば香奈ファイナンシャルで補填しようと思っていた。それでも大きな赤字がでないように、ホテルやレジャーランドは、経験のある俊子たちに運営を依頼すればいいと思い、了承した。正人は、毛利ビルの人に突然と、提案を受け入れると告げた。リトルキャット運用会社でも、元々涙もろいチャタロウは九州の猫たちを救うと云う正人の詭弁にコロっと引っかかり、リトルチャやリトルホワイトまでも、正人の詭弁に誑かされた。正人はその後の九州での事業の展開は、今後は全て猫たちに任せると言った。

今まで運用しない金として貯めていたリトルキャット基金ではあるが、猫たちは運用枠の割り当ても含めて、全部貯めていた。おまけに、レアメタルの採掘のお金まで貯めていた。ドンドンと基金は拡大し、膨張していた。チャタロウのチームも、自分たちの運用枠以外にもリトルキャット基金から少し借りて、長期保有株の扱いとして、猫たちの事業展開に役立てようと長期的なスタンスで保有したり、会社の経営にまで関与するように、チャンスがあれば割り当て増資にも応じている事があった。貴金属を担当する商品相場の猫たちは、保有している貴金属のヘッジするために先物をしたり、現物を買ったりする貴金属勘定を持っていたが、その貴金属勘定は、保有する貴金属がドンドンと上がり、先物も好調で、大きな意味では、リトルチャのチームでもあり、銀や金の高騰を仕掛けたりして、大儲けしていた。商品相場チームの儲けは、ドンドンと膨れ上がり、貴金属の販売差損なんぞ滅多に出ず、貴金属の含み益も上がり、下がるとドーンと現物を仕込み、やたらと儲けていた。毛利貴金属に頼んだ海外の貴金属子会社も手堅い運営をし、そこそこ儲けていた。本職の商品相場は、やたらと儲けて、どこまでが、貴金属勘定か本職の商品相場か判らなくなっていた。ただ決算対策もあり、リトルチャは、掠りを取られない貴金属勘定に利益を多くしろと云って、そして猫基金の最後の財布との自負を持って、慎重な対応を、商品相場チームに求めていた。商品相場チームは、実際に貴金属を保有しているので、リトルチャの仕掛けにも独自のスタンスを認めていた。いわば商品相場チームの部分的な独立を認めていた。チャタロウも知らない事だった。結局、貴金属勘定の原資の二千億は、大きく増えていた。

今後は、猫たち独自の事業展開をするので、収入を明確にしようと話し合い、リトルキャット資金の二分の一だけを本当に運用しない金として、それ以外のお金で今回の九州事業で展開する資金にしようとした。今後はリトルキャット運用会社での運用枠は一定として、リトルキャット運用会社での運用利益の20%を猫たちの運用手数料にもらい、猫資金で保有した土地を使用しているリトルキャットプロダクツからの配当の20%に加えて、本体の貴金属会社からの配当、レアメタルの採掘からの収入などを、リトルキャット運用会社の準備金とは分離して、リトルキャット基金の収入にして、今後出資していく九州での事業を展開する資金を明確にしようと計画した。新規事業は直ぐに利益が出るものとは思わなかった。そして正人と交渉した。正人と交渉すると、正人は、運用額一定と言っても運用子会社も多いし、決算の数字もなんか誤魔化しが多い、運用枠の定義はどうする、保有株の含み損の時の処理はどうする、貴金属会社の収入は不安定だし、レアメタルも期間が限定されている可能性があるので、リトルキャット運用会社としても貯めておきたい。運用手数料としても運用利益の20%は高い、スイスカナコインでも精々15%、子会社のリトルキャットからのデザイン料や海外ライセンス料や配当収入はどうする、リトルキャットプロダクツは、リトルキャット運用会社の準備金で創立したので、猫資金にそんな高率で配当を組み込むのはどうかと思う、チャタロウチームの経費、運用子会社の経費はどうするとか細かく異議を申し出て、細かい交渉が続いた。正人は、従来猫資金に組み込んでいたレアメタルの採掘による利益も、段々増えていたので、本来のリトルキャット運用会社の準備金にも貯めようと思っていた。そして、リトルチャと正人が秘術を尽くした駆け引きが行われた。漸く話し合いがついた。リトルキャット運用会社として、決算ルールを決め、そのルールで計算して、運用利益の15%を猫たちに渡す。猫には、法的には人格権が認められていないので、リトルキャット基金名目として渡す。長期保有株もあるので、運用枠の定義は難しいので、もう運用枠には拘らない、リトルキャット運用会社としては、運用や配当とに拘らず、税引き後利益の半分を現金で保管し、準備金としたい。約束なので、リトルキャット財団には、同じく税引き後利益の10%に相当する金をリトルキャット運用会社として寄付する。デザイン料は元々経費なので、別途経費として、リトルキャット基金名目で渡す、配当10%、資本準備金、配当準備金、予備費等を引いた残りのお金がでれば、リトルキャット基金に回す。レアメタルの採掘による収入は、本来猫資金の土地ではある事は理解するが、税金や経費も掛かるので、今後は、採掘による利益の30%だけをリトルキャット基金に入れ、同額をリトルキャット運用会社の準備金にもいれる。リトルキャットプロダクツは、正人の預かる準備金で作った会社なので、株式会社リトルキャットと同様に、リトルキャット運用会社の全体の収益に組み込むが、貴金属やその他の不動産については、保有するための経費やリスクをリトルキャット基金で引き受けるを前提に、本体の貴金属会社からの配当、貴金属相場が上昇した時の含み益や家賃収入などもリトルキャット基金のものになる。リトルキャット運用会社でのチャタロウの企画調査チームの経費はリトルキャット基金で負担する。別途リトルキャット基金で、チームを増やしてもそれはリトルキャット基金での負担とする。運用子会社は国内、海外を問わず、リトルキャット運用会社とは独立した会社として、リトルキャット基金支配の会社になる。経費や運営費は、当然子会社が負担する。運用手数料の計算対象には入れず、リトルキャット運用会社としては、最終税引き後利益の50%を配当としてもらう。現地法人は、現地法令に従って、税金等の公的負担を海外子会社で処理する。リトルキャット基金は、前面的に、猫たちに任せる。今回の九州事業は、リトルキャット基金で展開するので、猫たちに前面的に任せる。等々の細かい合意がなされた。

正人は、運用子会社が大きくなっていた事も知っていた。しかしリトルチャがうまく処理していて全貌が判らなかった。一々それを明確にするよりも、一応独立させて、運用リスクは本体と完全に切り離した状態で、決算ルールを作り、利益が出た時には、最終利益の半分を、リトルキャット運用会社に配当として貰うシステムを確立した事を評価していた。いつまでもそんなに取引で儲け続ける事は出来ない。莫大な損失を抱える事だってある。儲けた時の利益を確実に貰う方が賢明と思っていた。業績が好調な株式会社リトルキャットとリトルキャットプロダクツは、本体の収益に組み込み、それに莫大なレアメタルの採掘の利益も一部入ってくる事になった。リトルキャット運用会社は、もう十分にお金も貯まり、準備金は山のように余っていた。金や貴金属は案外値動きが大きく、云われるほど、安定資産とは、正人は思っていなかった。保有リスクもあり、先物ヘッジも、そんなに簡単ではない。貴金属のように、相場で振り回されるリスクを大きいものは、リトルキャット基金に回した。貴金属価格が低下していけば、市価よりも安く提供する事を約束しているので、販売差益どころ損がでるかもしれない。本体の貴金属会社や海外の子会社での損益とも相殺される部分がある。そんなに大きい利益も出そうにない。それに失敗確実のような九州事業は、リトルキャット基金に押し付けた。リトルキャット基金は、今はお金が多くあっても、事業展開をした事がない猫たちだけで、事業がうまくいく訳がない。リトルキャット基金での九州事業がうまくいかなくなった時には、リトルキャット運用会社で恩を着せて、最終の後始末をしようと思っていた。経理的にみれば、安定的な収益は、すべて手に入れた。正人は、今度の交渉は、完勝したと思っていた。一方、リトルチャは、運用子会社の独立性とその配当率に拘っていた。そのため多くの点で譲歩した。これで運用子会社は、独立したようになった。実は、運用子会社、特に海外運用子会社はやたらと資産を持っていた。リトルチャは運用枠が増えなくなった時に、計上利益を下げるために、複雑な経理処理をして、運用子会社の子会社を色々と作り、運用委託も色々と絡ませて、その子会社への利益移転もしていた。正人は経理のプロなどで、厳しく追及される事を危惧していた。それにもう一つの事情があった。小さい銀行を手に入れる計画が持ち上がっていた。

関東のある小さい地方銀行が危なくなっていた。裕福な地方自治体が、金をやたらと入れて、それを関係者が食い物にして、やたらと不良債権が増えていた。その不良債権を厳しく追及すると、やたらと裏の事情が明るみになる恐れがあった。知事とか有力な県議とか地方のボスとかおまけに財務省や金融庁につながる政界の有力者も関与していた。その不良債権は、なあなあにして、格安でもそっくり買収してくれる相手先を探していた。不良債権分は大幅な割引をしていたが、そんな変な不良債権を持つ銀行を買い取ろうとする銀行はなかった。一族の銀行の神一は、鼻で笑った。もう一つの大きな銀行も相手にしなかった。再建を請け負うためには、不良債権を明確にする必要があるのに、それを拒否して、なあなあで処理しては、到底無理と誰も手を上げなかった。いつまで経っても再建などは出来なかった。リトルキャット運用会社の管理チームのもう一つの大きな銀行の退職者は、銀行の頭取と言われる事を望んでいた。彼は優秀だった、若くして国際関係業務のホープとなり、少しは大きな支店の支店長にもなり、将来の頭取とも噂された。それが派閥抗争の犠牲にされた。閑職を甘んじて受ければ、銀行の中には残れた。しかし何故かそれは出来なかった。転職先は銀行の人事部に頼めばなんとかなった。人事部は彼を犠牲にした人たちが、牛耳っていた。今更頭を下げて、頼む事も出来なかった。そんな人には、再就職は簡単ではなかった。正人は、彼の国際業務の手腕も評価していたので、引き取って、とりあえず、リトルキャット運用会社に入れて、役員にした。そしてリトルチャの要望に応えて、運用子会社を設立する時に、対応してもらった。海外の運用子会社群も彼のチームが作っていた。幾つかの運用子会社の名目的な社長でもあった。報酬も、今は凄かった。彼は、正人には感謝していた。正人は、自分で望まずに、香奈の命令で、もう一つの大きな銀行の頭取になった人だった。大した報酬でもないのに、責任がやたら重い頭取には何の魅力も感じなかった。正人にはジブトラストからの配当の方がずっと多かった。正人は、ジブと云うよりも香奈の存在を上手く活用して、組織内の人脈を、次期頭取の座を目の前にぶら下げ、器用に使いこなし、もう一つの大きな銀行をそつなく運営していたが、大きな銀行の頭取と云う地位には、何の魅力を感じなかった。そこが正人と彼の違いだった。リトルチャは猫でなく、人間ならば、どんなに金を儲け、出世していたか判らない猫だったので、人間ならばもっと儲けられたと時々思っていた。彼は、運用子会社を次々と設立する時に香奈の家に来て、リトルチャと猫語翻訳機を使い、話をするうちに、不思議と気が合った。猫チャンネルも出来ていた。彼は、いつしかリトルチャの子分のようになっていた。彼は、リトルチャに、どんな小さい銀行でもいいから、銀行の頭取になりたいと直訴していた。リトルチャは彼を高く評価して、運用子会社の決算対策もあり、彼と彼のチームには、利益比例の高給を出していた。そんな小さい銀行の頭取なんぞの報酬とは比較にならない。わざわざ報酬が下がる銀行の頭取なんぞになる事はない。傀儡みたいな奴を頭取にして、今のままで、影の黒幕として、運用子会社の社長として、実質的に支配している方がいいではないかと言った、今の報酬は、もう一つの大きな銀行の頭取よりもずっと多い筈なのにとリトルチャは言った。彼は、頭取になるのは、銀行に入った時からの男の夢と答えた。銀行を立て直して、それに応じて、報酬も増やしていきたいと答えた。リトルチャは珍しく、ぐっと心に感じるものがあった。リトルチャは複雑な金融チームを作り上げていたが、投資ファンドとか為替専門会社程度しか作っていなかった。リトルチャは、決算対策で資金を分散させている間に、その金を使って色々と金を儲けていた。債権、商品相場、為替、デリバティブはそれぞれのチームに運用枠を与えて、それぞれのチームも頑張っていた。余っていた運用資金を使うのに、債権も通常では低収益だった。為替も専門のチームがそれぞれ秘術をつくしていたが、、多額の資金を各通貨に割り振って、レバレッジが高い取引なんぞはそんなにしないので、大きく儲けられる時は限られていた。そこでリトルチャは国際間の資金の決済システムを考えていた。彼の意見を大幅に取り入れて、システムのようなものに作り上げていた。銀行の送金はトロク、時間がかかる上に、為替もやたら高く設定していた。マネーロンダリング防止とか云って各国の諸法が様々な対策を取っていた。その裏をくぐりぬけて、一つの国際的なリトルチャ決済システムを完成させていた。あっちこっちと金を動かす人たちもいた。そうして人たちから、手数料をもらって、すぐにリトルチャの運用子会社に置いてある資金を融通していた。複雑な手続きをうまくシステム化していた。世界各国でリトルチャは、それぞれの子会社、投資ファンド、為替専門会社に資金を置いていた。それを利用していた。リトルチャ独自の決済システムではあったが、完全な金融システムとはいえなかった。場所も限定されていた。投資ファンドへの入金と解約、投資ファンド同士の資金融通、そして為替専門会社での両替を複雑に組み合わせていた。銀行がキーになれば、金融システムとして、完成できると考えていた。その変な銀行は小さい地銀のくせに、貿易会社を得意先に持っていたせいか、小さい国際業務や為替部門もあった。生意気にも小さい海外支店も持っていた。ここをキーにして、金融網を作り上げたいと思った。この変な銀行は、小さい銀行だった。それに不良債権は大きかった。それでも一応銀行だった。その変な不良債権は全部損切する事を前提にして、考えていた。結構大きな投資になるので、正人にバレナイか気にしていたが、運用子会社は独立した。大きな投資だったが、リトルチャは決断した。

訳の判らない外資系のあるファンドをバックにした、明らかにダミー会社と思われる会社が、再建に名乗りを上げて、買収した。リトルキャット運用会社の正人の管理下の数人が、銀行経営のプロとして評価され、この変な銀行の首脳部にスカウトされる事になり、正人ももう一つの大きな銀行の新たな退職者の世話も頼まれていた事もあって、彼らの再就職を喜んだ。この訳ありの変な不良債権はむしろすっきりと損を切って、身軽になる事が大事だと思った新しい首脳陣は、密かに交渉して、二束三文の大きな山を手に入れて、それ以外は、全額債権放棄した。過去の経緯を問わないが、今後有形無形の協力を受ける事を密かに頼んでいた。一応世間体もあるので、二束三文の山を入れてもらっていた。彼は、権力の怖さも知っていた。逆らうよりは利用したいと思っていた。大きな赤字が一挙に出たが、元々ある程度はそれを含んだ買収価格だった事もあり、リトルチャは決断して、損を切った。そのまま抱いていると結局大損になると思った。銀行は一挙に身軽になった。餌を与えた有力者たちもそれなりに動いてくれた。そのお陰で、年中無休のネット銀行も、この銀行の子会社として作った。看板だけが欲しかったリトルチャは、リトルチャ決済システムがより精密になった事を喜んだ。この二束三文の大きな山は、リトルキャット運用会社の山と隣接しており、又あの話題のレアメタルが出るかもと期待し、香奈オフィスにも密かに資源探索を頼み、資源探索契約も結んだが、何もなさそうだった。おまけに大きな中空の洞穴みたいな場所がやたらとあり、資源探索ロボットは高価なロボット君なので、墜落して破損する危険があった。早々に引き上げ、資源探査は中断した。ともあれ、リトルチャは、小さいけれども、キーとなる日本の銀行を密かに手に入れていた。猫基金は、リトルキャット基金の名前で完全に独立した事を、リトルチャは、評価していた。

ここで、リトルキャット基金は、完全に独立した運用子会社群と、リトルキャット運用会社本体のリトルキャット基金に分かれる事になった。正確には、貴金属勘定を入れれば、三つになるが、この貴金属勘定は、商品相場チームに一任され、毎年少しづつお金を入れていた。真理が言っていたように、貴金属はじっくり寝かせて、先物でバランスを取りながら、保有リスクを考えていく、時間軸の長い資産だった。猫たちは、いざと云う時の最後のお金にするつもりだった。ジブトラストを猫真似して、金や貴金属を長期的に保有する事にしていたので、別勘定と見ていた。猫たちは、本体のリトルキャット基金を二つに分け、大切に保管するリトルキャット基金と区別するために、事業展開する基金は基金とは呼べず、単に猫資金と呼び、貴金属の保管や先物でのリスクの取り方や現物の購入などは、猫たちの決定に従い、今後入ってくるリトルキャット基金への収入の5%を商品相場グループの貴金属勘定に一任する事にした。それ以外のお金は、リトルキャット基金と猫資金に等分に分けた。運用小会社群はリトルチャの支配下になった。運用子会社群は、チャタロウの管理する猫資金と合弁のような形で、九州事業に参加する事にしていた。本格的な建設を開始するまでには、資金を準備するとリトルチャは言った。銀行買収劇で、リトルチャは、思わぬ金を使ってしまっていた。しかし、チャタロウは、大きくなっていた猫資金だけでなんとか九州事業は出来ると自信があった。今後入ってくるリトルキャット基金の収入の約半分で九州事業を運営し、推進する事にしていた。そんなに利益がすぐに出る事はないので運営費が必要と思っていた。九州事業は、猫たちの猫資金で、猫たちだけの計画を進める事になった。チャタロウはリトルキャット運用会社のもう一つの大きな銀行の退職者を中心としたチャタロウの企画調査チームに、猫たち独自の事業計画を作成し、関係企業を含めて事業計画を立てるように依頼した。今回は猫たちの独自の事業展開となり、製造、流通そして販売まで一貫した計画が必要だと言った。リトルキャットプロダクツでは、我々の関連企業は、参加できていない。リトルキャットプロダクツの二の舞を避けるためには、全体的な調整が必要だとハッパをかけた。

話は綿密に計画を練っていた小夜からではなく、香奈から恵に伝わった。猫たちの新規事業計画があるらしいの、恵の福岡の子会社がリゾートホテルとレジャーランドの再建の計画を立てているらしいの、ホテルの運営は、俊子さんの所に私から頼んでおいたわ、毛利不動産も近くに土地を持っていたらしいの。香奈ファイナンシャルとして計画するから、ホテルやレジャーランドの運営を手助けして欲しいと言ったわ。俊子さんの所は、興味を示した綾子ちゃんのチームが、運営に協力すると言っていたわ。レジャーランドは神子ちゃんを通して、優花ちゃんの会社に協力するように話すと言っていたわ。瑠璃や奈津美にも、香奈オフィスとして、山間部の資源調査をするように言ったの。今しておかないと後から何か見つかっても、何も掘らさないわよと言ったわ。毛利ビルを窓口として使うけれども、香奈ファイナンシャルが最後に面倒を見るから、猫たちの新規事業も手伝ってやってねと恵に頼んだ。恵はまったく知らなかったので、小夜を呼んで詳しく話を聞いた。契約金額は大した事はなかった。そこで、冶部ピル全体の内部保留金で、協力するように申し渡した。マチコジブ記念病院にも、病院計画には善処するように伝えた。神三郎は、療養型の病院には関心があり、小夜からの呼びかけには熱心に検討した、切った張ったの外科であった神三郎であったが、温泉につかりながら、療養していく病院にも関心があった。加代子にも相談したら、加代子は当然判らないものの、温泉には興味があった。病院以外にもリゾートホテルがあると言う事だったので、神三郎と一緒に温泉に入る事を想像して、興奮して、それはいいと言って、カヨコファイナンシャルジャパンとしても協力すると言った。

香奈と恵と云うドンが動いて、話は、突然拡大した。冶部ビルの福岡は、早速、全従業員の雇用の維持を約束して、リゾートホテルとレジャーランドの再建を引き受ける事になった。エレガントホテルのチームもリゾートホテルに来て、再建方法について検討した。神子は俊子から頼まれ、優花とあのおっさんを呼び、レジャーランドの再建に協力するようにと言った。今回は、香奈ファイナンシャルが最後に面倒を見ると言っているので、利益が出れば、その利益の一定割合をもらう、運営委託方式にしてはどうかとも言った。あのおっさんは、自分の得意分野なので、任せてくださいと、神子と優花の前で大見得を切った。神子も優花も任せる事にした。場所は遠い九州だった。忙しい神子は勿論、この頃何かと煩い優花も、お元気復活レストランと寿クラブを直轄事業にして忙しく、現地調査なんかにこれない、自分一人の考えで、レジャーランドを運営できると考えた。あのおっさんは、自分の精鋭部隊をレジャーランドの運営検討チームとして現地調査をするために編成した。神三郎のエンジェルホープジャパン病院も、マチコジブ記念病院と一緒に現地見学にきた。恵は、マチコジブ記念病院の創立者でもあり、ドンでもあった。そんな人に逆らうリスクを犯す人はそういなかった。それに長期入院の患者は、病院経営では昔から問題だった。無料診察制度は、医療費が政府から金がでるが、長期入院は、医療か療養かとの問題もあって、一定の期間を超える長期入院は療養とみなされ、医療行為よりは、出る金が少なかった。恵は、そんな人たちを利益が低いからと言って、転院させる事を嫌っていた。そんな話が出た時に、ボロクソに怒った。医療を行う病院が利益率とか言い出して、転院させるとは何事なの。病院も高利貸しも一緒なの?とまで言った。結果として、マチコジブ記念病院には長期入院患者も多かった。マチコジブ記念病院は、内科では、そこそこ有名な病院だったが、財団から検診、診察、医療相談などを頼まれて、多少の寄付も貰うが、経営は楽でもなかった。冶部産婦人科小児科病院は、無料診察制度が始まる前から実質的に無料診察をしていて、有希を含めて寄付が多く、元々、多大な基金を持っていた。冶部病院はもはや巨大な病院で、資金も豊富だった。製薬関連の病院は、製薬のバックアップで有形無形の援助を受けていた。冶部関連の病院の中では、どちらと言えば、資金力は強くない病院だった。建設費用はエンジェルホープジャパン財団が負担する事になり、マチコジブ記念病院は、単に運営を補助するだけで、赤字がでてもエンジェルホープジャパン財団が負担すると言われた。こんな条件が揃えば、手伝うのに躊躇う人はそんなにはいなかった。ジブトラストの不動産チームも、香奈の意向を聞き、ジブシティーでの開発経験を伝えるアドバイザーとして現地に行った。リトルキャット運用会社のチャタロウチームからの調査団、チャタロウチームが出資していた関連企業も合同調査チームを組織して現地へ行った。猫ハウスの建設と世話をするための不動マンションの建設を担当する麻田エンジリアリングのチームも当然現地入りをする事になった。正人は、香奈に猫ハウスを建設する事を強調した手前、今度の不動マンションはリトルキャット運用会社が一体として建設費を負担すると言った。この建設には、正人管理下のリトルキャット運用会社の準備金を使う事にして、運営費はリトルキャット財団が負担する事になっていた。猫ハウスの建設が優先して、単に猫の世話をするためだけに、不動マンションの建設がそれに引きずられる形だった。不動マンションの建設や運営は、今では不動財団本部がほとんど主導していた。陽太は、陽太親衛隊の連中の選挙区を中心に建設していた。政治的な思惑もなかったとは言えないが、やっぱりその方が運営はやり易かった。陽太親衛隊の連中は、それぞれ自分の後援会組織と不動財団の活動をそれなりに使い分け、活動をしていたのだった。陽太親衛隊の連中の選挙区以外でも、不動マンションは建設したが、いつか国会議員になろうと思う人たちが、運営する事も多かった。陽太が、そうした連中を利用したか、そうした連中が不動財団本部の活動を利用しているかは、判然とはしないようになっていた。陽太は一人でも多くの人を再生するために、利用できるものは何でも利用したが、陽太親衛隊の連中も政治家だったので、自分の選挙に有利な事は、なんでも利用した。陽太の応援演説も利用した。陽太は単純なようで、人の心が読める神子でも判らない程、複雑な事を考えているのを、朗らかな表情で隠し、融通無碍の手法を取った。陽太は政治家以外の職業についた事がない人間だった。若くして国会議員になり、朗らかな表情で、政界の波を泳ぎ、総理の座までたどり着いた人間だった。不動財団本部の活動が急拡大し、陽太の政治的な影響力が落ちない理由の一つでもあった。しかし、今度は突然の計画だったので、財団本部も対応が遅れ、当座は神二郎の財団第二本部に任せる事になった。不動財団は、別に政党ではなかったが、やはり陽太親衛隊の連中の組織も利用して、活動を続けていた。ここは片田舎ではあったが、野党連合の有力者が強い、大きな選挙区に属していた。その人は、大きな派閥のボスだった。財団本部は本格的な運営について、運営する人選の検討とかを始めていたが、そんな大物に対抗しようとする人はなかなかおらず、陽太親衛隊の連中とその予備軍を利用して、不動マンションの建設計画を進めていた財団本部の計画はここで狂い、人選は難航していた。竹花の爺さんは、不動財団の基金と寄付とそして活動実態なんかを冷静に判断して、不動財団本部の計画も進めていた。竹花の爺さんは、最も税金控除を受けやすくするように、不動財団の活動を拡大していくように考えていた。陽太や竹花の爺さんは、やっばり政治家だった。陽太は、ごきげん党主流派、与党連合の他の政党そして野党連合の有力者とも、こっそり会い、不動財団の計画や不動マンションの計画について協力を求めていた。それはそんな大した事がないように見えて、会った人には脅しとも受け取った人もいた。不動マンションは、陽太親衛隊の活動の拠点とも言えた。無料診察制度の維持に協力しなかったり、不動財団の活動に協力しないと、陽太親衛隊の予備軍の連中が、立候補するかも知れませんよと言っているように、受け取る人もいた。あの九州の選挙区から出ていた野党連合の有力者もそう受け取り、無料診察制度みたいなバラマキは廃止させるぞ、来るなら来い、比例復活なんぞ出来ない程、大差が勝つ、自分は比例復活みたいなものはしない。と豪語していた。陽太はそれを聞き、無料診察制度の積極的な廃止論者を政治的に葬ろうと思った。陽太は選挙には強かった。細かく分析して勝てる可能性もあると思った。陽太は、福祉命だけの甘い人間でもなかった。アイツは言われる程、選挙に強い奴でもない。支持基盤も緩い、勝てる方法もあると言って、色々と選挙対策も考え、陽太の選挙秘書軍団、いや正しくは財団本部の職員とも協議を進め、人選を進めていた。田舎なので、タレントの兄ちゃんや姉ちゃんを持ってきても、うまくいかない、従来型の利益還元を強調する奴でも新鮮味がない、アッと驚く人間を出せば勝てると考えていた。アイツを落とせば、当分無料診察制度の廃止論議に、釘を指す事が出来ると思っていた。単に片田舎の不動マンションの建設でもなかった、ナンダカンダと複雑な思惑も絡んだ不動マンションの建設計画でもあった。神二郎は、そんな事は知らなかった。不動財団第二本部として、当座の対応は受け持つ事にした。今度は本当に猫の世話担当だったので、神二郎は、さすがにそれは情けないと思い、実際の再生を受け持つ不動総合でも、何か出来るかを検討するために、不動総合のチームを出した。香奈オフィスの資源探索チームも現地入りし、毛利不動産が保有している山を調べる事にした。ナンダカンダと人が絶え間なく、現地に入り、再建どころか、リゾートホテルは、人が一杯になり、大忙しになった。暇を持て余していたレジャーランドで働いていた人も、ナンダカンダとみんなの調査の手伝いに駆り出され、大忙しになった。神二郎は、自分の配下が揃っているジブ交通にも、鉄道関係の事業が可能かどうか調べるようにいっていた。あの私鉄と経営統合みたいな事をしても、ジブ交通は、独立した会社であり、むしろあの私鉄の親会社とのブトラスト直轄の会社と言えた。あの私鉄の設備増強を担当して以来、鉄道の建設事業も請け負う事業もある会社でもあった。

場所は、遠く不便な九州の片田舎だった。偉いさんが調べに来る訳でもない、派遣された連中は、みんな温泉に入り、のんびりした。夜には宴会をした。みんな裸の付き合いで、酒を飲んで本音で語り合った。それでも少しは仕事もした。チンタラとロボットに資源探索させていた香奈オフィスのチームは、意外な事に今話題のレアメタルを見つけた。簡易測定つまり資源探索ロボットの測定では、今度は純度が高くなかった。精錬費用がかかると思いながら、各地層のサンプルを取り、精密な検査を依頼するために、資源研究所に送る事にしていた。ジブ交通のチームはこんな山の中では、ロープウェイ程度しか出来ないと思いながら、山の中に入った。山の中は薄暗く迷子になりそうだった。山の中にかなり大きな泉があった。喉が渇いていたので、水を飲んだ。美味しい水だった。疲れているので休んでいたら、猫たちも水を飲んでいた。猫だけでなく、タヌキもキツネも森の動物もみんなに飲みにきていた。ジブ交通の人は、泉の中に変わった石ころをみつけ、なんとなく持って帰った。そして宴会でその話をした。香奈オフィスの人が興味を持ち、その石ころもついでに資源研究所に送る事にした。

サンプルを受け取った夢野たちのチームは、綿密な測定を行った。地層の深い所では話題のレアメタルの純度が高かった。ただ全体としてみれば、ロボット君の簡易測定の通り、純度は高くなかった。ただ夢野が興味の持っていたあのレアメタルはかなり大量に含有していた。ついでにおくってきた石ころも調べた。これは話題のレアメタルの純度が高かった。夢野は、この石ころが見つかった泉の水と更に泉の付近の地層を再度調べるように連絡した。いままでは、そんなに在庫が十分とは云えなかったあのレアメタルがかなり入手出来る目途がついた。夢野はあのレアメタルについて、プーチンと議論した。プーチンはある特定の波長の光源を与えるとエネルギーが取り出せると言った。プーチンはエネルギー測定の機械を作る時に、非常に狭い波長の光源を選択できるようにしていた。エネルギー測定とは少し異なった波長を集中的に鉱物に与えるとエネルギーを取り出せると言っていた。今の発電システムを大幅に越えるエネルギーが得られる可能性があると言った。ただ非常に狭い波長なので、集中的に照射していくのは、工業的には無理ではないかと夢野は言った。プーチンは道之助も知っていた。道之助は優秀な技術者である。彼に頼めば、出来るのではないかと反論した。夢野はこっそりと道之助に交渉してみた。道之助は、そんな狭い波長の光源を連続的に放出できる装置には難色を示しめていたが、とりあえず試験装置を作ってみると言った。計算上は最低の厚みやレンズ径なとのデータはあったがとても狭い範囲だった。しかし思いがけなく直ぐに出来た。猫の中にレンズに興味を持つ子猫の配偶猫のラッセルがいて、天才的な研磨技術を持ち、一万分の一ミリの研磨が出来た。どんな測定器ですら、測れない程の精度だった。猫の手ロボを駆使して、器用にレンズを研磨した。ラッセルの研磨技術が役に立った。そして九州で取れた鉱物を微量、発電装置に入れ、ラッセルの研磨したレンズを使い、光をあてて、テストした。今の発電機の100倍を越えるエネルギーを記録した。あのレアメタルの純品をテストしてみた。これは今の発電機の10倍程度だった。意外な結果だった、プーチンと夢野は議論した。あのレアメタルのエネルギーを取り出すのには、非常に狭い波長を集中的に与えないと難しい。その波長幅を広くするには、今話題のレアメタルがいると推定した。混合してテストしてみようと云う結論に達し、比率を変えてテストした。何回もアーダコーダとテストしてみた。あのレアメタルが8割、今話題のレアメタル2割の比率が一番発電効率が高いと云う結論に達した。今の発電システムの150倍を超えるエネルギー効率で、しかもあのレアメタルは長期間、エネルギーを出しつづけていた。高性能の蓄電装置も設置しておけば、今までのエネルギーの概念を変えるものが出来る可能性があった。こっそり徹も呼んで説明した、徹は道之助とも協議した。あのレンズの研磨が出来るのは、今はラッセルしかいない。しかしラッセルは気が向けば、一生懸命に研磨するが、気が向かないと昼寝してしまう職人肌の猫だった。第一、精度の測定すら出来ないので、ラッセルを煽てて、レンズを研磨して貰い、拡大敷地内の発電機を中心として、あのレアメタルと今話題のレアメタルとの混合物での発電をテストしていくしかないと言う結論になった。他に何か波長幅を広がる方法や別の方法もあるかもしれない。むらっけのあるラッセルにいつまでも頼る事は出来ず、量産もできないので、ラッセルの研磨したレンズを諏訪に送り、どこまで、機械的な研磨で近づけるかを挑戦させる事にした。そして量産が可能なレンズを作る研究を続け、エネルギーを取り出せる波長域の選択などの基礎的な研究も続けていこうと云う事になった。徹は、瑠璃と奈津美を呼び、事情を説明して、九州での採掘を進め、あのレアメタルを大事に保管するように言った。今後、もう少し安定的にエネルギーを取り出す事ができれば、ひょっとすると新しいエネルギー革命が起きるかもしれないと言った。奈津美と瑠璃は検討して、今話題のレアメタルを見つけた、今度は純度がかなり低いが、多額の費用をかけて採掘し、精錬すると発表しよう。香奈オフィスは、今話題のレアメタルの採掘に努力している、費用は掛かるが、今後の供給体制も円滑に出来る姿勢を皆にみせよう、今の価格を維持して、場合によっては上げる事もできる。あのレアメタルはこっそりと備蓄していこうとの結論に達し、大掛かりなボーリング調査をする事にした。

あの泉の水も、泉に近い地層のサンプルも届いていた。香奈の家の周りよりは低いが、リング状の水の濃度は高かった。しかし分岐状の水の濃度は低かった。泉の近くの地層には、今話題のレアメタルの純度は、他の山の地層よりも高かったが、それでもそんなに高いものでもなかった。敷地周辺の山脈に比べれれば、遥かに低かった。結果は、なんとなく予想できたので、夢野は、部下に調査させ、報告もさらっと聞いていた。プーチンにも報告書をみせた。プーチンもさらっと読んだ。しかしプーチンは何故か引っかかる事があった。エンジェルスターとパワースターを泉の周りに栽培して、その違いを見るようにしてはと言った。今話題のレアメタルの純度に比べると、リング状の水の濃度が高すぎると言った。別のメカニズムが作用している可能性がある。エンジェルスターとパワースターを栽培する事で何か違うメカニズムを刺激させ、そのメカニズムが解明できるかもしれないと言った。夢野もそう言われれば、なんとなく気がかりで、奈津美にその事を告げた。奈津美は、製薬と交渉して、薬草を泉の周辺に栽培させた。そして折角の水なので、この泉の水を飲用可能にする浄水設備を作り、リゾートホテルに供給できるようにした。

猫ハウスと世話を担当する不動マンションは山の麓の山林を整備して、最初に建設する事が決まった。猫たちの新規事業の検討チームも、近くの山林を整備して、牧場と養豚場、そして周辺の農家も巻き込んで、農園を整備する事にした。今回は海にも近い場所もあるので、近くの漁協とも協力して、海面養殖場も作る事にもした。食品加工施設だけでなく、リトルキャット関連企業で今まで出資していた輸送業者、そして販売や流通業者たちの合同流通センターを作り、更に今回はチャタロウが出資していたハイテク関係の会社も山間部に最新の工場群を作る事になった。つられて不動総合も隣に不動九州工業団地を作る事にした。工業用水が不足していたので、付近から水を引く必要もあった。海水を真水にする設備も作ったり、井戸を掘ったり、山に流れる川から工業用水も供給する設備を作る事も計画した。

神三郎は、医療だけを考えて、元々金の事なんかは考えない人だった。加代子はそのために、莫大な金を持つエンジェルホープジャパン財団を、病院の赤字を補填する準備をするために作っていた。加代子が意気込んで、ドーンと用意した。それでも不安なので、もっとドーンと金を持たせたカヨコファイナンシャルジャパンまで作った。日本株を保有して、その配当をエンジェルホープジャパン財団に寄付するシステムを加代子は考えていた。旦那の神三郎のために、アメリカよりは、手厚い体制を取っていた。ところが、廃止されるかもと危惧していた無料診察制度が続き、建設費用もジブシティー株式会社が負担した。医療器械や病院の設備代などで終わった。頼みもしないのに、製薬が、共同研究をしたいといって、診療協力をした。当然なにがしかの寄付を出した。他の製薬関係の会社も、対抗上、少しは寄付した。ジブ関連企業も、国の規定を超える社員検診を頼み、当然寄付をした。患者はさっさと治った。患者がさっさと治るとやっぱり病院は少しは儲かった。家賃も支払うので、赤字どころがバンバン儲けたとは言わないものの、少しは利益が出た。出費が少なかったエンジェルホープジャパン財団は、心理学センターまで作った。心理ケアは、実は無料診察制度では微妙な存在だった。神三郎は、そんな事は気にしなかった。医療としての最高品質を目指した。入院患者とか通院患者の相談に乗ってもらう事にした。それが治療に好影響を与えた。結局、ナンダカンダの討議があり、これも無料診察制度で少し認められ、おまけに感謝する人も偶にはいて、小額の寄付も少しだが増えた。エンジェルポープジャパン病院は、黒字は少しづつ、増えていった。神三郎は他の病院よりも医師や看護士などの報酬もあげたが、やっぱり赤字にはならなかった。病院を経営するエンジェルジャパン財団の基金は、医療機械、設備代、内装費、心理学センターなどの出費がドーンと出て、少しは減ったが、それはカヨコファイナンシャルジャパンが寄付して補填した。その後維持費などで赤字が出ると思われてたが、減らず、エンジェルジャパン病院の利益は少しだが増え続けた。カヨコファナンシャルジャパンは、加代子は、日本株式の運用を神子のグループに頼み、現金の運用と云うか資産のヘッジとして、保有通貨の選択を神之助のグループに任せると云う愚かな事をした。そのためドンドンと金が増えた。それは、アメリカとの資金の賃借関係と云う帳簿上のマジックみたい処理をする事になったが、その処理も終わり、今度は、本当にドンドンと増えた。神子と神之助はやはり、取引では天才だった。その上、配当までナンダカンダと入った。カヨコファイナンシャルジャパンは、高所得の法人となった。一方、エンジェルホープジャパン財団の基金は減らず、一体組織のようなカヨコファイナンシャルジャパンからの寄付は制限された。いわば節税行為みたいに思われた。他からの寄付が減って、基金が減少した時に、調整してドーンと寄付する事はかまわなかった。これは、恵の財団がやたらと金がたまり、基金が膨大になり、無税扱いの冶部一族の隠し財産財団なんぞと云う陰口も出た。恵たちの財団は、それでもなんやかやと広範囲に活動をしていて、今や一つの公的社会福祉制度に組み込まれていた、活動資金も膨大だった。役人も人材交流なんぞいいながら、絡んで地方自治体の公的福祉サービスの中にも組み込まれていた。

これには、少し訳があった。恵たちの財団は、自前の乳幼児の為の施設、保育園とか託児所を全国に展開して、低料金で運営していた。ところが、低料金でも払えない人たちもいた。そんな人にも、保育料とか託児施設の預かり料金などを補助、つまりタダにする事もあった。そうした低料金や無料の施設には、当然人が集まった。公的な保育園とかもやっぱり、あった。公的な施設よりも安く、充実した施設を、恵たちが運営していたのだった。役所は人材交流なんぞといいながら、、恵たちの乳幼児施設を半ば公的な施設のように、斡旋するようになった。恵たちの財団はお母さん支援の色々な運動もしていた。それもナンダカンダといいながら、公的なサービスと一体となって展開するようになってしまっていた。

恵たちの財団は、膨大な基金を持って運営していたが、いくら膨大な基金でも、莫大な年間経費が必要な活動を続けていては、ジブトラストや関係する運用会社からの膨大な寄付がなくなれば、いつかは活動できなくなる。みんなはもうそこにあるのが当然のような財団だったので、活動停止は、もう社会にとっての危惧になっていた。恵の財団は、活動経費が巨額な事を理由に、政府の寄付窓口団体と並んで、基金の上限のない例外的な財団としてみなされ、財団の保有する基金の上限枠も撤廃されていた。いつかは減ると思われた、ジブやカミカミそして香奈ファイナンシャルは波はあるもののも巨額の寄付をそれなりに維持して、逆に基金は、ドンドンと増えていた。おまけに冶部一族だけでなく、税金の控除も簡単なので、ジブの顔色を窺う企業そして一般からも少しは寄付が集まっていた。ただ寄付の主体が、所詮株屋なので、恵は無駄な支出のないように厳しく監督していた。それ以外の財団、活動経費が低い財団では、活動実態と活動経費と比べて、実質的に単一の団体が、巨大な基金を持つ事は、脱税まがいの行為とか言われるようになった。これは、ある冶部一族以外の金持ちファミリーが、活動実態のほとんどない社会福祉財団を作り、税金の控除を受けて、無税扱いの財産管理財団を作って問題になり、厳しくなっていたのであった。日本人だけではないものの、決まった規則の裏読みに優れた人はどこでもいた。加代子が、一つの病院を作るのに、ドーンと大きなエンジェルホープ財団を作った事もあり、これ以上、同じ団体とも云えたカヨコファイナンシャルジャパンからの寄付を受けて、基金をドンドン増やす事は、税法的に出来なくなった。今まで寄付してくれている組織や人に迷惑もかかった。税法上の控除対象の財団ではなくなってしまう恐れがあった。それに、元々病院は、社会福祉団体ではなく、医療法人だった。日本では、無料診察制度で維持されているものだった。そんな膨大な基金を持たなくても、運営している病院は一杯あった。恵の財団のように、支出だけする財団でもなかった。国から医療費が出た。それでなくてもカヨコファイナンシャルジャパンは、高額所得法人だった。人は少なく、収入は高かった。つまり、税金を一杯払っていた。節税とか脱法行為とか云われる危険性もあった。冶部一族は陽太の関係もあり、色々と話題になりやすい一族だった。加代子は特に狙われていた。エンジェルホープと言いながら、アメリカ一の投機家だの、社会福祉の免罪符を持って、死肉を食うハゲタカだのとまで言われていた。エンジェルホープジャパン財団やカヨコファイナンシャルジャパンは、常勝弁護事務所の清香の事務所を顧問としながらも、頭か切れて、裏を知り尽くした、弁護士、公認会計士、税理士などが運営しているような法人でもあった。アメリカのカヨコファイナンシャル自身もそんな人たちを顧問団に持っている会社だったし、加代子のアメリカの会社の責任者は、そんな会社にしていた。

加代子の会社の責任者と今まで、簡単に言っていたが、加代子の会社は信じられない程、儲けている会社だった。時に神がかりになる加代子によっては、驚異的な利益が出ていた会社でもあった。取引担当のチーフでも何十億、何百億相当の報酬を取った。加代子の会社の責任者は、取引では加代子程ではないが、天才的と言えた。加代子から少ないとは云え、加代子の会社の責任者でもあるので、カヨコファイナンシャルの株式を少し与えられていた。運用による付加給そして、カヨコファイナンシャルの配当が加わり、驚異的を超える報酬を貰っていた人だった。カヨコファイナンシャルの配当率は利益に比較すると、ずっと低いものだったが、カヨコファイナンシャルの利益は、半端なものではなかった。利益比例の付加給に加えて、配当も入るアメリカの会社の責任者は、取引のチーフよりもずっと多い報酬だった。その人でさえ、アメリカを代表する富豪の一人と言われていた。加代子の会社の責任者も、自分の財産管理会社、自分の財団なんぞを持ち、自分の資産をうまく分散させていた。当然、アメリカを代表するような弁護士、会計士、税理士なんぞを顧問にしていた。カヨコジャパンは、形の上では、アメリカのカヨコファイナンシャルの子会社であった。加代子の意思を尊重するが、アメリカナイズと云うよりアメリカの会社のように色々計算している会社でもあった。エンジェルホープジャパン財団が、他からの寄付が減って、設定当時の基金が減ってきた時にだけに補填する事になっていた。それ以外は税法的に、可能な額を恵の財団に寄付して、税額を調整するだけだった。本来のエンジェルホープジャパン財団に寄付するための作った法人でもあったのに、そんな時は、なかなか来なかった。財団でも色々あった。不動財団は税法的にも、認められた財団だった。不動ファイナンシャルなどの寄付も増えたし、香奈国内、カミカミも寄付していたが、それ以上に陽太がドンドンと活動して、支出も増えていた。竹花の爺さんはそれなりに計算している爺さんで、しかもジブシティーに引っ越して、一層、頭も冴えていた。長い間、財務大臣を勤めた爺さんでもあった。ほとんどの税法は爺さんが絡んで修正したり、作っていた。しかも現在の財務大臣にも影響があった。国税庁や税務署のどんな偉いさんも爺さんの前では、所詮、若造の洟垂れ小僧で、相手なんかにはならなかった。リトルキャット財団は、地域猫の保護を目的とした財団なので、元々税金の控除対象の財団にもしてくれなかった。子猫たちは、猫の事をどう思っているのかと憤慨しながらも、税金も払い、寄付をしていた。リトルキャット財団は一応財団にはしてもらっていたが、寄付しても税金の控除もしてくれなかった。

ドンドンお金が貯まるカヨコファイナンシャルジャパンは、香奈オーバーシーズやジブトラストオーバーシーズ、カミカミオーバーシーズ、リトルキャット運用会社と並ぶ巨大な資金を持つ組織となっていた。神之助は、リトルキャット運用会社やカヨコジャパンからの運用委託は、ジブトラストの正式な組織とも言えないので、三つのオーバーシーズとは異なり、香奈と相談して、運用上限を決めていた。利益に相当する部分は、手数料を取り、それぞれに渡していた。オーバーシーズでは、元々、現金の半分だけを受け入れて、利益に相当する部分もほとんどを元金に加え、それをまた運用委託する事もしていたが、それはしなかった。これは当初、オーバーシーズと同様に、利益分も含めて、運用していたが、預かっているお金の額も増え、あまりに多大なお金をジブや香奈系列とは言え、一応外部の組織なので、組織として好ましくないと、考えた事もあった。それにリトルキャット運用会社も単に貯めておくだけでもなく、リトルキャットプロダクツのような事業展開をしていたし、カヨコジャパンは、元々財産管理法人ではなく、エンジェルホープ財団に資金援助するための組織だった事も考慮した。リトルキャット運用会社も、カヨコジャパンも、利益に相当する部分は、それぞれの組織の利益となり、それこそ、現金として、貯めておくだけだった。カヨコジャパンは、当初神之助グループからの運用委託による利益は、帳簿上のマジックみたいな借金返済に回っていた。神子のグループからの運用委託の利益は入っていた。それでも神子のグループから入ってくる利益は大きく、益々、神三郎は、お金の事は考えず、医療だけを考える人になった。今回の九州の病院もそんな姿勢のまま作ろうとしていた。カヨコファイナンシャルジャパンは今度こそ、その役目が果たせると加代子は思い、エンジェルホープジャパン財団には、九州の病院建設には、ドンドン必要な金を使うように言った。減った基金は、カヨコファイナンシャルジャパンで、寄付して基金は維持するからねと言った。そして、神三郎は、エンジェルホープジャパン財団の資金で、あえて儲けの少ない療養型医療を進めるために、内科のマチコジブ記念病院にも協力を貰い、エンジェルホープジャパン九州病院を建設する事になった。神三郎はリハビリや慢性疾患を対象とした病院を作ると言った。静かに治療を受けられる病院にするつもりだった。病院は源泉から温泉も引き込み、泉の水の供給も受ける事にした。

ジブ交通も香奈オフィスのボーリング調査の結果を待って、ケーブル又はモノレールスタイルの専用交通を作る事も計画していた。香奈オフィスの採掘事業が山の造成を伴う事が多いので、それを便乗して進めれば、費用が安くなると考えた。

そして遠い九州の事なので、毛利不動産と毛利ビルが新しい会社を作り、冶部ビル福岡が、リゾートホテルとレジャーランドの会社を買収して、そしてこれらの会社が最後に合弁会社を作る事にした。その合弁会社に、毛利ビルと冶部ビル福岡が新しく出資金も少しずつ出し合い、九州新開発株式会社を作った。リゾートホテルとレジャーランドの会社には、自治体の金も入っていたので、この自治体もほんの少しだが、九州新開発に出資している事になった。この九州新開発は、基盤整備をして、その会社が主体となって建設計画を進め、それを各社に分譲するが、九州新開発が、一括して幾つかの基盤整備を行うので、すべての建設は九州新開発株式会社が一括して請負、つまりピンハネし、姫子の麻田エンジニアリングに丸ごと建設工事の管理を任せ、つまりピンハネさせるが、そのくせ建設にかかる費用は、基盤整備費用も含めて、進出する各社にそれぞれ割り振って分譲するので、土地代も含めて総建設費用の半分程度を建設費前払い金としてもらう建設費前払い制度を導入すると勝手な理屈を振り回して、九州事業がスタートした。


「リトルキャット運用会社などから高額の建設前払い金を貰ったし、今度は分譲スタイルにするから、そんなに金は必要ないといいながら、合弁会社での毛利ビルや毛利不動産との比率をそんなに落としたくないと云って、冶部ビル本社や各地の冶部ビルの内部保留を、結局かなりの金額を冶部ビル福岡に増資させられたよ。初めに説明を受けていた契約金額なんて遥かに超えているよ。」
香奈「リトルキャット運用会社、不動そしてカヨコジャパンが、元々九州新開発そのものに出資したいと言ったのに、毛利ビルが今回は分譲スタイルにするからと言って、出資ではなく、建設費用の前払いとして貰ったらしい。毛利ビルの出資分は、毛利不動産に貯まっているお金も借りた事にして、毛利ビルが持っていた金を加えたみたいだよ。奈津美は、山をそのまま買うといったのに、資源開発委託契約にさせられたらしい。ジブシティーの時には、香奈ファイナンシャルの出資にして、毛利ビルには出資させなかった事を根に持っているらしい。加代子ちゃんなんかは、カヨコジャパンとしてもドーンと出資をしたいと言ったのに、病院などの必要な用地は分譲するからと言って、断って、建設前払い金として大分貰ったらしい。加代子ちゃんなんかに出資を受けるとそれこそ片隅に追いやられる事は見えているからね。加代子ちゃんは、お金の感覚が一桁も二桁も違う人だからね。今度は毛利不動産、毛利ピルそして冶部ビル福岡だけの合弁会社で、とりあえず計画を進める。自治体の出資比率も減ったとは云え、少しは入っているし、基盤整備とリゾートホテルやレジャーランドの運営が中心の会社とすると報告があったよ。みんなに出資を受ければ、主導権を取られ、又隅っこに追いやられると恐れているらしいよ。まあいいじゃないの。どっちにしても建設費用は、皆で出すのだから、いざとなったら、香奈ファイナンシャルから毛利ビルに増資するように正人にも言ったわよ。みんなには迷惑を掛けないわよ。」

九州新開発は、ナンダカンダと一杯の建設前払い金を貰い、着々と基盤整備を行っていた。実際の金の支払いは、麻田エンジアリングが、姫子流に厳しくコントロールし、建設業者と相談して、全体の建築計画を立てていた。実際の金の支払いはそれほど多くはなかった。猫ハウスと不動マンションは大慌てで、大きなビルを作った。香奈に報告する必要があったので、正人は急がせた。不動マンションと言いながら、不動財団もそんなに急には対応できないので、猫の世話担当を決め、当面は、リゾートホテルと並ぶ工事関係者の宿舎のようになった。猫たちがのんびりしたり、ご飯を食べている写真を香奈に見せた。香奈はそれで納得した。リトルキャット九州の事業は、食品事業だけでなく、猫たちが得意なハイテク工場をつくり、研究室も作り、リトルホワイトも研究担当や技術担当とも協議して、幾つかの案をまとめ、チャタロウは、それを踏まえ、慎重に検討していた。リトルチャは猫たちの真価が問われると思い、着々と資金の準備を進めていた。猫たちは盛んにアーダコーダと議論して、猫資金による運営方法を検討していた、もう一つの大きな銀行の退職者を中心とした自前のチームと話し合って、猫資金で子会社としてリトルキャット九州を創立して、前線本部とした。猫資金で、猫たちの関連企業にも新しい出資をして販売体制や流通も考えたバックアップ体制を整える事にした。

香奈オフィスの採掘が大掛かりなものになり、自動レアメタル選別ラインを持つ毛利レアメタルの工場を山の麓に作った。今回の毛利レアメタルは、新しい新会社として九州毛利レアメタルを作り、香奈オフィスがほとんど出資をして、毛利レアメタルが最新設備を導入して、分別精錬そして一時保管をする事になった。資源探索契約も一部手直しをして、この山で採掘するすべての鉱物を、香奈オフィスが全部買取って、二十年間は、かなりの高額の大きなお金を、毎年一定額、九州新開発に渡すと云う破格の好条件を奈津美が提案した。その後の契約更新も状況によって更新する。今話題のレアメタルなので、採掘結果はオープンにしたくないので、香奈オフィスが自由に、マーケットの事情で採掘し、分別保管したいと云うものだった。更に香奈オフィスは、今回の採掘は、この山脈の広い部分を独占的に使用するので、採掘の邪魔にならないルートを選び、鉄道用の造成も基礎までは負担する。香奈オフィスが広範囲な場所を、鉱区として独占的に使用する事の代償だと言った。九州新開発は、流石に公明正大と評判の高い奈津美だと評価して、棚ボタみたいな大金が毎年入ってくるこの契約をすぐに承諾した。リトルキャット九州は、働く人の都合や物資の運搬用に鉄道が必要と思っていたので、ジブ交通と話をして、猫資金がほとんどの費用を負担して、九州ジブ交通を作り、香奈オフィスの造成を利用する事で、造成費用もそんなにかからず、山の端っこを走るモノレールスタイルの鉄道を作り、最寄の駅に接続する事にした。製品の輸送ルートのターミナル基地も確保した。周辺や市内のバス路線や空港へのシャトルバスも用意した。周辺と市内のバス路線は先行した。片田舎なので、雇用の維持どころか、人手不足になり、周辺から働く人を集め、その人たちのための交通手段は必要だった。車通勤だけの人だけでは効率も悪かった。正人はそれなりに報告も受けていたが、正人は忙しく、リトルチャの文句も減り、チャタロウも独立したチャタロウチームの編成で忙しかった。猫資金での九州事業への取組み方を自前のチームと相談していた。正人は、金の計算には強いが、結局金融屋の世界で生きてきて、実際の実業では、組織の運営をした事がない人間なので、全体のリトルキャット運用会社の財務が問題なければ、それで文句はなかった。猫たちが自由に使えるお金の使い方に口を挟むとリトルチャが山のような文句を言う事が判っていたので、そんな馬鹿な事をする正人ではなかった。チャタロウは時々、猫たちの協力組織作りについて、色々と香奈に相談した。香奈も相談には応じた。香奈は大きな損がでないようにそれとなく注意した。バックアップ体制は大事だよ。最新の設備でいいものを作れば、それだけで売れるわけでもないのよ。二流品が売れて、高品質の製品も売れない事もあるのよ。販売や流通網の整備は必要だよとも言った。恵はその後、冶部ビル福岡の利益は、福岡の責任者の言ったように、九州事業の建設期間中に、ジプタウン福岡の利益が急拡大していって、内部保留金を出資させられた各地の冶部ビルの要求に従い、配当を高くした。各地の冶部ビル子会社も好調だったので、冶部ビル本体や各地の冶部ビル子会社の内部保留も元に戻ったので、恵の関心も失せていった。

変わっていくジブトラストと財団

ジブトラストも実業主体へ変わりつつあったが、財団も又総合的な社会福祉の財団へ変化していた。従来の乳幼児の保育や託児所の充実と云ったお母さん支援、若い女の子支援から始まって、各年代層の総合的なサポートをする総合社会福祉財団に変化しつつあった。長年のジブトラストなどの高額な寄付により、財団の基金は、膨大に膨れ上がり、多様な立場の人に対応していくようになった。働いている人の数も増え、民間財団と云うよりは、公的な社会福祉と思われるようになった。全体的な社会福祉を勉強した人も増え、公的な福祉制度にも影響力が出来、国や地方自治体の福祉の役人たちとの人材交流までしていた。恵教の信者を中心に活動していた時代はとっくに過去のものとなっていた。自前の保育士、看護士の学校まで備え、千恵の娘の千恵美の始めた財団の付属の学校は、初めは私立の小さい学校であったが、スイスカナコインの学校が大きくなっていくのに、恵は刺激を受け、やたらと資金を出し、今や幼稚園から大学まで広がる大きな私立の学校法人になっていた。大学には社会福祉学部もあったが、自由な気風の学校なので、社会福祉学部といいながら、野球やスポーツにも強い学校になり、駅伝に出たり、サッカーや野球などのプロスポーツに進む人もいたが、やっぱり社会福祉に進む人もいた。そうした人も財団にも入っていた。財団は、設立当初から冶部産婦人科小児科病院と協力して活動を進めていたが、対象が子供や母親から広がっていくにつれ、内科のマチコジブ記念病院、外科を中心としたエンジェルホープジャパン病院とも協力関係を進め、全国各地には地域病院を持ち、多くの協力病院を抱えていた。財団の研究所のように建設したジブ総合研究所の社会福祉研究所は、運営費はジブトラストが出しているのに、完全に財団の研究所のようになった。財団付属の私立大学の社会福祉学部とも連携を取って、研究していた。財団は今や、巨大な組織となっていた。

財団は、一体となって活動していた。

財団は、奇跡のような膨張をしていったジブトラスト、カミカミファイナンシャルそして香奈ファイナンシャルから膨大な寄付を貰いつづけていた。恵は、いつまでもこんな事が続くとは考えず、放漫な支出を監視して、基金にして貯めていた。それでもジブトラストなどからの寄付は多少の波はあるものの、増えつづけ、貯まってくる基金は巨額になっていた。世の中は、諂いの人もいて、ジブトラストの顔色を窺って、税金の控除対象にもなるので、財団にも寄付もして、益々膨れ上がっていた。基金が膨れ上がっていくので、それに応じて、財団の活動は少しずつ拡大していた。恵の前ではみんな一体となって協力していたが、内面では今までの財団活動を中心とする保守派と広範囲な社会福祉活動を目指す革新派、それに役人や公的福祉とも協調して社会福祉政策にも関与する公正重視派、目の前の人を助けるのが先決と云う民間福祉重視派とか入り混じっていた。更に保守派の中でも、難病の子供たち支援とか託児所グループとか、妊娠している女の人の相談とか、若い女の子の相談を受ける人たちなどに、それぞれの専門的なグループに分かれ、革新派の中でも、高齢者の介護サービスとか、生活相談をして、公的福祉とも相談して、対応策を探し、不動財団とも相談したりするグループとか、全体的な福祉政策を地方自治体と協議して、財団のサービスの方向性を検討するとか、それぞれ重視する点が違っていた。財団の中では、色々と多様な意見が存在していた。恵は、半世紀どころかそれ以上、財団のドンとして、膨大に膨れ上がった資金の配分を厳しく監視し、決定権を依然として持ち続けていた。恵の了承があれば、大金が出た。それだけに恵の権力は絶大だった。ただ化け物のように長生きではあったが、いくら何でもいつかは死ぬだろうと思う幹部たちの恵亡き後の膨大な基金を持つ財団の運営を巡る主導権争いも、裏側では続いていた。香奈の家の隣のレストランで、財団の最高幹部会を開催し、財団の方針や全体の活動について報告を受けていた。しかし広範囲な通常業務を見る事はもう当然出来ずに、ジブシティーの財団事務所に時折、出かけ、相談を受けたり、話を聞いたり、支出の承認印を押すだけになっていた。財団は規模も拡大して、活動も広範囲になり、財団が育児、保育、そしてこの世に生まれてきたいと願う子供たちの支援のために作られた財団である事すら、詳しく知らない人も、財団の幹部の中にもいるようになっていた。

「子猫は、やっぱり可愛いね。神太朗君は、リトルホワイトやリトルチャたちと話をして感心していたけど、こんな猫たちもいるのね。」
香奈「そうだね。こんな猫もいなくてはね。リトルチャやリトルホワイトは難しい事を言い過ぎるよ。この頃リトルホワイトも時々話をしてくるよ。やたらと難しい話をするんだよ。リトルチャは複雑な取引をしているのよ。チャもよく判らないとこぼしていたよ。チャタロウたちのチームの取引はわかり易いけど、リトルチャたちのチームの取引は、リスク管理しているのか、往復で儲けようとしているのかよく判らないらしい。神之助君には、よく狙いが判るらしいよ。加代子ちゃんのアメリカでも大体判るようだよ。神之助君たちのグループと加代子ちゃんの取引グループとそれなりに話をしていると大体、狙いがわかるらしいよ。波長が合んだろうね。聡美ちゃんのグループは、よく判らないし、やり方が複雑すぎるから、むしろコッソリートたちと色々と意見交換しているらしい。スイスカナコインのグループの取引方法が性に合うらしいのよ。リトルチャも少しは話をするようになったけど、あんな複雑な方法をよく考えるよ、正人が説明しないのも判るよ。正人なんかでは、なぜ利益が出ているかも判らないと思うよ。私も神之助君に説明して貰ってやっと判ったけど、あんな取引は、私には、気に入らないね。どっちに大きく動いても、それで儲けようとする取引手法だよ。いわば一種のトリックだよ。あるキッカケを契機に相場の動きを一瞬加速させ、みんなの上前をはねるやり方だよ。昔のような吊り上げが可愛いとさえ思う取引だよ。取引も大変な時代になったね。」
「安い時に買って、高くなったら売ると言う事ではないの。」
香奈「基本はそうだけどね。リトルチャなんかのやり方は、自分たちで一瞬の隙に、ナンダカンダと理由をつけて、高値に上げて、一挙に売って、大きく値を下げて、また買い戻すなんかの複雑な事をしているのよ。失敗しても自分達でも売り買いをするから、大きな損はしないけど、成功すると大きく儲けるのよ、まさに経済戦争みたいな取引だよ。値段は大きく変動させ、怯んで狼狽して売買する人たちを食い物にするみたいな方法だよ。あんな仕掛けを聞くと、相場は怖いと思うよ。」
「大変な猫だね。でも子供が出来た後はのんびりしていたのでしょう。」
香奈「ちょっとの間だけはね。でも又、昔のように戻ってきたよ。リトルキャット運用会社の新しい事業資金を出す必要があると思ったらしいよ。チャタロウが猫たちに慕われているから、猫たちの取りまとめはチャタロウに頼み、事業計画はリトルホワイトが、研究担当と技術担当の猫たちと調整しているよ。神帥君なんかは、実業なんだか運用なんだか訳が分からないようにて取引しているから、そんな仕掛けには加わらないよ。神元君はまだ少しは神之助君達と協力して運用しているらしいけどね、神元君たちのグループでも実業比率が高くなってね。相場関係は、少人数で取引しているらしいよ。昔のように少人数で取引するのは、もう限界があるのよ。今は取引も一種の団体プレーなのよ。リトルチャや神之助君たちそして加代子ちゃんの所は、複雑な子会社システムの組織になってね。組織として取引しているから大きく儲けられるのよ。難しくなったのよ。」
「大変な時代だね。でも正子さん、マリアさんや沙織ちゃんは一人で取引しているのでしょう。」
香奈「あの三人はそうだね。正子さんやマリアさんは何回も止めるといいながらも、ペースは落ちたけど、自分のリズムで先物を細かく取引しているよ。儲けてはいるけど、みんなの儲け方が大きくなったから、目立たなくなったのも知れないね。昔のジブでは年間で一千億以上も儲ければ、大変な事だったからね。沙織ちゃんは、不動ファイナンシャルとしても会長室としても株式保有が増えたから、その保有リスクも考えての先物取引がほとんどだからね。取引する時間も減ってきているよ。株式投資は、やっぱり大きな会社よりは、将来性のある小さい会社を新宿から連絡を受けて細かく、少しずつ安い時に買うのがほとんどだからね。まあ昔のジブの新宿がそうしたやり方をしていたのよ。昔のジブも少しはまだ残っているのよ。今は、組織的に取引主体で荒っぽく儲けているのは、子猫たちと神之助君たち、加代子ちゃんのグループ位になったね。スイスカナコインもコッソリートたちの年寄りグループと聡美ちゃんのグループと連携を取りながら、取引をしているけど、それぞれ実業も大きくなってね。聡美ちゃんのグループもスイスカナコインも実業分野に、若い人を中心に、それなりに人も取られるし、制約もあるらしいよ。昔のようには行かないらしい。神元君でもぼやいていたよ。相場師なのに、実需がドーダコーダと言って、調整しているのは、相場師じゃなしに、単なる購買部みたいになっていると。まあ仕方がないよ。」
「神子ちゃんは、どうしているの。」
香奈「神子ちゃんは、社長になって以来、雑務も多いのよ。神子ちゃんのグループは、組織的に売買しているけど、シブ交通と統合した私鉄みたいに売れなくなって、抱え込む事も増えてね。昔みたいに情け容赦なく売り込む事もできないのよ。それにあんまり派手に動くと、ナンダカンダと言われる事も多くなってね。神子ちゃんのグループ自身も実業の会社が増えているのよ。ジブとしても少し出資しているけどね。あの大きなコンビニチェーンまで運営しているのよ。なんとかいうネットサイトとかテレビで有名な通信販売の大きな会社も神子ちゃんのグループなのよ。」
「あれは、みんな有名な人が作った会社なんでしょう。通販なんて、うっとしい喋り方するおっさんの個人会社じゃないの。コンビニもアメリカの子会社なんでしょう。ネットションピングも売名行為みたい事をするおっさんの会社じゃないの。みんな、そう思っているわよ。神子ちゃんの名前なんて出てないわよ。」
香奈「恵は、冷たい言い方をするのね。寄付するのは、いい事じゃない。」
「寄付するのは、いい事だよ。でもあのおっさんは、色々な社会福祉施設を見学して、寄付する、寄付すると言うんだよ。マスコミにも喋りまくるんだよ、みんな、当然、その社会福祉施設に寄付すると思い、活動を増やしているその社会福祉施設も期待するだろう。今の寄付は色々と税金も絡んでくるのよ。そんな事を言いながら、税金の控除を考えて、個人名義と会社名義とに分けて、政府の寄付窓口団体みたいな組織に寄付するのよ。そうすれば、税金の控除も簡単だからね。社会福祉施設も色々とあってね。突然、活動範囲が増えた施設は、前年度の活動実態で判断されて、税金の控除対象にならない施設も結構あるんだよ。どっかが、財産管理法人などを作って、節税対策をしたからね。しかし、規制を強めるとこんな事も増えるのよ。竹花さんが、そんな規制を作ったのよ。社会的な必要性が急に増えた活動を税金控除の対象にならないのはおかしいと、私は言ったよ。でも竹花さんは、ドウタラコウタラと言い逃れをするんだよ。そんな事も、ちゃんと考慮してますよ。そんな事をきっちり説明すれば、認める事になってますよと言うんだよ。でもそんな事を言える人は、普通の社会福祉法人にはそんなにいないよ。竹花さんは、プロだよ。財団は、人材交流とかいって役人もくるようになってね、そんな奴もゴロゴロいる組織になったけどね。普通の社会福祉法人には、そんな奴は、いないよ、基金のお金とか活動実態なんぞ細かく見るようになってね。今は、色々と難しいのよ。しかも、政府の窓口みたいな組織は、金を貯めて、経費も一杯使い、配分検討委員会なんぞもグチャグチャ開き、公平性とかナントカ言って、なかなか実際には直ぐに寄付しない組織なんだよ。今年貰った寄付は、恐らく来年位に、配分枠を決めて、申請を受け付けるだろう。色々と計画していた社会福祉施設が、財団に相談に来て、財団から、資金援助する事にしたよ。税金の控除対象の社会福祉法人に復帰するように、竹花さんとも相談して、財団の事務局の法律ゴロみたいな奴らが、手続きを代行したんだよ。そうすると直ぐに手続きしてくれたよ。来年度は、政府の窓口団体に申請もできて、税金の控除対象になる寄付も貰えるみたいだよ、ドウタラコウタラと言う奴がいるといないとで変わるなんて変な制度だよ。普通の社会福祉法人に法律ゴロみたい奴に給料を出す余裕はないんだよ。それは兎も角、寄付するなら、黙って寄付すれば、いいんだよ。財団は、配分したり、実際にどのように運営していくかが、大変なんだよ。」
香奈「恵の所に寄付しなかったから、怒っているのね。」
「そんな事はないわ。あのあっさんは、ウチに寄付すると、その他大勢扱いになるから、目立つ事をしたいだけだよ。いつも貰っている香奈さん個人の寄付とは、比べようもない程少ないのよ。正子さんから、いつも貰っている寄付より、ずーと少ないのよ。冶部一族の寄付と比べると少ない方になるのよ。寄付とは縁遠い聖子ちゃんでも、沙織ちゃんと仲がいいから、不動とウチの財団に等分に分けて、個人名義と安いよの会社名義で寄付してくれているのよ。聖子ちゃんは、はっきりと税金対策として寄付しているからね。税金が安くなるラインの寄付の額をきっちり計算させているよ。だから、聖子ちゃんは、寄付したとかどうたらとはあまり言わないのよ。聖子ちゃんは、転んで金を掴むとか言われているし、直ぐにドウタラコウタラと言われる人だからね。あのおっさんも、前には、ウチの財団でも少し貰っていたみたいだよ。いつも小さく寄付して、何かあった時に、ドーンと売名行為みたいに寄付しているだけなのよ。ウチの財団も、政府の寄付窓口財団と並んで、税金の控除が簡単な財団でもあるのよ。神子ちゃんの会社ならもっと、もう少し、しっかりとして欲しいわ。」
香奈「まあ、神子ちゃんは、運営は全て任せているからね。みんな、神子ちゃんの個人会社が、相当もっているのよ。カミコファイナンシャル以外にも一杯、個人会社を持っているのよ。陽太君の事もあったから、色々と準備して、保有株を複数の会社に分けているのよ。それにあの人たちにも、株式を多く渡しているだけなのよ。コンビニも、今は、むしろ日本が親会社みたいなものだよ。」
「神子ちゃんは、取引だけの人じゃないのね。」
香奈「優花ちゃんのお元気レストランでも、まだ神子ちゃんの個人会社の保有株が多いのよ。お元気レストランの例のおっさんも、一般的に、あのおっさんの会社みたいに思われて、あのおっさんも、自分の会社みたいな顔をしているけど、保有している株式はそんなに多くないのよ。神子ちゃんは、取引だけじゃないのよ。ジブの幹部たちは、みんな知っているわよ。少しつづ実業への転進を図る人を応援している内にそうなったのよ。神子ちゃんは、勝手にみんな大きくしただけと言っているけどね。神代ちゃんなんて、どれだけの会社の株を持っているか判らないほど、多くの会社の株式を保有しているのよ。間接的な形ではあるけどね。」
「そうなんだ。香奈さんは別格として、聡美ちゃんたちが、一番多く、株式を保有していると思ったよ。」
香奈「聡美ちゃんたちは、大きな会社をドーンと保有しているから目立つだけだよ。みんなそこそこ株式を保有しているのよ。もうジブ以外でも家族単位の運用会社や個人会社でも、相当株式を保有しているんだよ。運用だけじゃないんだよ。切人も、香奈海外やマリアホープなんかに分けて、ナンダカンダと多くの会社の株式を保有しているわよ。アイツは案外ドライだから、関係の濃淡によって、株式保有率は、変化させているけどね。高くなると、さりげなく売る奴なんだよ。それでもマリアホープ系の食品会社もあるんだよ。」
「時代は変わったわね。財団でもこの頃、なぜこの財団は、乳幼児関係の施設や病院をこんなに持っているのと聞く奴まで出てくるのよ。高齢者介護とか色々な立場の人のための手助けなんかもするようになっているからだろうとは思うけど、説明するのも呆れて、財団の名前を見ろといったら、財団の名前も変えた方がいいと言う奴までいるよ。みんな元気でも時代は変わっているのね。」
香奈「本当だね。私もジブトラストでも、もう運用の相談よりも、各グループの運営とか、色々な会社の経営や事業報告の話を聞く事が多くなったよ。香奈オフィスも奈津美が色々と多方面と調整して運営しているよ。瑠璃は、副会長にしても、やっぱりハゲタカを引きずっているけど、香奈オフィスではなしに、自分の会社として動くみたいだよ。瑠璃の財産管理会社の筈だった瑠璃鉱業も、そんなに小さい会社でもないみたいだよ。瑠璃も一杯個人会社を持っているのよ。歳のくせに整理もしないのよ。瑠璃鉱業には、奈津美は出資せずに、奈津美の子供たちに出資させているらしい。奈津美は、香奈オフィスだけを考え、危なそうな事には手を出さない代わりに、危なそうだけど、儲けがありそうな事には瑠璃鉱業を使うらしい。瑠璃や奈津美から報告も受けるけど、色々と複雑な話をするんだよ。香奈オフィス自体も、やたらと子会社や合弁会社があるのよ。奈津美が色々と出資したりしているのよ。ここで猫と遊んでいる時が一番のんびりするよ。」

九州新事業は、みんなの知らない所で、大規模に拡大していった。

香奈は猫ハウスも建ったが、内心、九州事業の成功確率は低いと思っていたが、香奈オフィスからの多額の採掘料も入る事になった。みんなに迷惑をかける事はなくなったが、猫事業が大きな損が出ないように、チャタロウからの相談にはそれとなく応じていた。香奈はもう儲けがドーダコーダはほとんど気にしなかった。大きな損が出ないようにチャタロウにバックアップ体制、特に販売や流通の協力会社作りに注意するように言った。香奈はチャタロウに、イチコプロダクツもその体制づくりに成功したから、今があるのよ、単に美味しいだけで売れるものでもないのよ。殿様体質、役人体質と陰口を言われるけど、販売体制は、しっかりしているのよと言っていた。恵は、福岡に追加出資した金も配当で少しずつ戻っていたし、本職ではないホテルもレジャーランドも本職に任せていたし、香奈が最後の面倒はみるといったので、もう関心がなくなっていた。正人も最後の後始末だけを考えていたが、香奈オフィスからの多額の採掘料が入るのを知り、毛利ビルの心配はなくなっていた。猫たちの九州事業が赤字が出て、リトルキャット基金が少なくなれぱ、煩いリトルチャやチャタロウが頭を下げて頼んでくるだろう。その時に恩を着せて、猫たちが稼いだ巨額の準備金で後始末してやろうと、人の金や税金の金で処理しながら尊大な態度で接する、日銀や銀行屋の体質がにじみ出た考え方を持っていた。リトルキャット運用会社の準備金は、貯まりに、貯まっていた。恵は、九州事業の事をそんなには、小夜に聞かず、小夜まで福岡に聞かなかった。

小夜が九州事業に関心が無くなっていたのには、訳があった。冶部ビルでは、ジブタウン東京はなんと云っても大きな存在だった。そのジブタウン東京の再開発の計画が持ち上がっていた。初めは単に小さいビルの補修の積もりだったが、やがてビルそのものも立て替えするか、付近のビルまで買収して大きくするかを巡って、ジブタウン東京と協議していた。内部保留は福岡に出資して少し減ったが、福岡も配当を増やし、各地の冶部ビルも好調で内部保留も戻っていた。ジブタウン東京は、自分達の内部保留だけで出来る範囲で止め、本体や各地の冶部ビルから出資を受けたくないと言った。過大な投資は後々響くし、ナンダカンダと出資を受けると他の冶部ビル子会社からの要求も受ける。自分たちで出来る範囲の出資をしていく事が、ビル管理の鉄則と思っていた。小夜はこの際、新しくして隣のビルは本体から追加出資するので、折角売りに出ているビルを購入して、一緒に再開発しようと呼びかけていた、そんな時に、ジブトラストの不動産チームがジブシティーの成功で強気になり、あの私鉄の都心のターミナルの近くにあった商業ビルの再開発を行い、いままで手付かずだった商業ビルの周辺も整備して、ジブタウン東京に続く町並みを整備しようと小夜に申し入れして、その調整が大変になっていた。小夜は大層乗り気だったが、独立路線のジブタウン東京とジブトラストとジョイント開発して大きな町にしたいと思う小夜の思惑が複雑に絡み合っていた。今度は単に金だけの問題ではなかった。ジョイント開発のゾーンとその出資割合とお互いの再開発との進行との調整も必要だった。ジブタウン東京の責任者は、恵にもよく会いにくる人なので、恵にジブタウン東京の責任者に声をかけてもらおうと思い、恵に相談したが、ジブとの共同開発なので、恵は今度はあっさりと小夜に任せると言った。菊子は菊子金属からも出資するから、商業ビルとの接続ゾーンも大きく開発して、大きな街にした方が、効率が良いと言った。ただジブトラストの不動産チームは、ジブシティーの成功もあり、元々資金力は豊富だった。冶部ビル本体からの出資も最低限でいいと言った。冶部ビルの商業ビル運営のノウハウを活用して、資産価値を高めるのが目的なので、本当は出資を求めるものではないが、小夜が納得しないと思うから、出資の形にしていると言っていた。共同ゾーンの取り扱いを巡って交渉の最中だった。遠い九州の事なんかは小夜の頭から消えていた。

九州では、現地で判断して勝手に進めていた。分譲方式と建設前払い制度を取ったのも原因だった。お金は、リトルキャット運用会社が積極的に、豊富な猫資金を使い、工場群そして住居ゾーン、リゾートゾーンへとドンドンと金を出し、手を広げていって、巨額な建設前払い金を次々と渡していた。チャタロウたちの関連企業群も新しい工場を建てる計画で皆熱心に頑張っていた。リトルキャット運用会社は、今やリトルキャット九州の経営陣と変わった現地チームが常駐し、その運営や新事業についてまとめ、チャタロウに連絡していた。猫たちは、子猫達の五匹で、猫資金の最高決定会議を開催して、猫資金の使用方法について決定していた。極めて民主的な方法だった。しかし実質的には、チャタロウが提案し、リトルチャが支持すれば、他の猫たちは特に異論は言えない雰囲気の最高決定会議だった。多く稼いでいたのは、リトルチャが圧倒的で、チャタロウのチームも普通の意味では驚異的で、リトルキャット基金のお金は、これらのチームの貢献が大きかった。ココハナコやココジュンは、息子や娘の会社であるコネコソフトに対して大きな投資をしてくれたリトルチャに恩義も感じていた。チャタロウは、現地チームからの報告を元に、ジブシティーに残る、もう一つの大きな銀行の退職者たちを中心とする、リトルキャット運用会社の企画調査チームの討議結果と研究担当や技術担当の猫たちの議論を元に、チャタロウ提案をしていた。要所、要所で、文句を言いそうなリトルチャにも意見を聞いて、国内組の子猫たちにも、事前の折衝を欠かさなかった。チャタロウは、実務能力も優れている猫でもあった。こんな連絡体制を、今回の九州事業で確立していたのは、リトルキャット運用会社だけだった。猫語翻訳機を通しての会話よりも、メールや幾つかの資料に基づく連絡は、チャタロウと人間だったチャタロウチームの間では、より効率的でもあった。短期間で許可が下りた。一方、リトルチャの海外子会社の資金は豊富だった。海外運用子会社は独自に為替専門の子会社まで持っていた。本来海外為替取引をするためのものだったが、やたらと資金をあっちこっちと動かして、とこでも大きな儲け口があれば参加して儲けるために、巨大な資金ネットワークを作り、膨大な資金を貯めていた。リトルチャはそのために、海外子会社の独立採算を強く主張して、それ以外では正人の言い分をほぼ認めて、運用小会社の完全独立を勝ち取っていた。海外の運用子会社の子会社には、外資系ファンドもあり、この外資系ファンドが国内のダミー会社を通して、国内の変な銀行も買っていた。国内の変な銀行は、不良債権も整理して、変な銀行と云うより、海外業務の専門銀行のようになっていた。頭取になった彼は、国際業務では優秀な人だった。海外の為替専門会社の幾つかのとも何故か密接な関係があり、アメリカやヨーロッパへの送金や受け取りなどが、スムーズだった。小さい海外支店も次々に作りだした。この銀行はリトルチャの子分たちが最高首脳部だった。この銀行の名目的な親会社と云えた、国内のダミー会社にも、リトルチャーの子分がいた。このダミー会社は、リトルチャ支配下の各運用子会社の経理操作のための会社のようなものだった。もう一つの大きな銀行の退職者以外にも、顧問として弁護士、公認会計士、税理士なども雇い、複雑な金融チームとを作り上げていた。たださらに驚く事に、正人のリトルキャット運用会社の管理チームにもまだ、リトルチャのシンパが残っていた。リトルチャの実行部隊は海外にあったが、海外の金融チームは、国内のダミー会社に指令塔があった。リトルチャと云う猫がボスである事は、国内の限られた人しか知らなかった。リトルチャの複雑な手口と複雑怪奇なシステム作りに畏敬の念を持っていた人たちをブレーンとして、リトルチャの金融チームが完成していた。あの変な銀行とその子会社のネットバンクの口座に金を預金していれば、世界各国の大きな空港のATMでは、色々な通貨で金が出た。クレジットカードのレートよりも現実のレートに近かった。サラ金みたいな利息も取らなかった。当然為替換算も、大手の銀行、一族の銀行、もう一つの大きな銀行よりもずっと現実の為替レートと近かった。リトルチャの為替チームは、細かく各種の通貨を保有していた。そして、絶えずレスポンスタイムの短い集中管理システムを、コンピューターシステムの達人、いや達猫たちが、一貫したシステムを作っていた。モジュールが複雑に絡み合った銀行システムなんぞは足元にも及ばなかった。猫たちはシステムの完成度を高める事に夢中になるが、銀行のSEのように出世なんぞはしたくても出来なかった。そのシステムを完成させて、細かく為替取引も同時に行う自動為替取引システムも作り、それをリスクヘッジに使い、為替担当が又為替取引をするなどの為替取引システムを考えていた。絶えず、あっちこっちと金を動かしていた。本当は、銀行買収劇の後、九州事業のために、又、かなりの資金を円に替えていた。リトルチャも少し関与したが、思い切り円高になり、それが勢いがつき過ぎて、歴史的な円高になった、リトルチャは、思わず持っていた円を売った。神之助たちも、懸命に戻した。日銀も本格的に介入した。逆にそれはかなり、円安になり、又リトルチャは円を買い戻した。そしてこの騒動で痛んだ海外の為替専門会社や銀行にも少し出資して、更に金融システムを増強させたり、狙っていた商品相場で新しい投機などもして、ナンダカンダと時間がかかった。時間は遅れたが、リチルチャが予定していた金が、海外の為替専門会社や銀行にも出資したのに、思わず増えた円となっていた。その金で投資ファンドとか幾つかの子会社を作った。この豊富な資金を背景に、リトルチャは、チマチマ投資する時には、思い切った投資をするように、チャタロウにも言って、約束だからと言って、ドーンと大きなお金を出した。チャタロウが考えていた九州事業の予算規模よりも多かった。チャタロウはチャタロウのチームで十分な検討をしていたし、九州事業はその中で検討していた。リトルチャがガタガタ横槍を入れるのは、チャタロウとしては迷惑でもあった。しかしリトルチャが、猫資金だけで初めて展開する今回の九州事業を案じて、資金を集めたとチャタロウは思っていた。金は余っていても邪魔にはならない。チャタロウとしては、リトルチャとの間を円滑に進める事を優先して、リトルチャの国内の子会社からの資金提供を受けて、リトルキャット九州への出資として処理する事にした。リトルチャも金の使い方はチャタロウに任せると言った。リトルチャはこんな金もちゃっかり、税金対策や決算対策に使っていた。一挙に、リトルキャット九州は莫大な資金を持つ会社になって、広範囲な計画を進めていたのだった。

優花のお元気レストランのあのおっさんも単に運営も任されただけなのに、異常な入れ込みをした。わざわざ九州まで来て、リトルキャット九州からの出資も受け、大きなアミューズメント施設や派手なアトラクションもする会社を勝手に作って、運営する事にした。高さ何メートルのジェットコースターとか図体だけ馬鹿でかい施設を、そこらに置いておくだけのレジャーランドではなく、色々なアトラクションが必要だと云うのが、あのおっさんの持論だった。それに室内アミューズメント施設もそれ自体収益性も高いと思っていた。あのおっさんは、客寄せに必要とリトルキャット九州を口説いて、リトルキャット九州も同意して、運営をあのおっさんに任せ、一定の利益を渡す運営委託方式を、チャタロウに申請して、それが採用された結果だった。元来こんな事業は猫資金では予定外だったが、有り余る金を持ったリトルキャット九州が提案したものだった。チャタロウも仕方なしに認めた。室内アミューズメント施設と云えば、聞こえはいいが、カジノのような設備もあった。優花や陽太の手前もあり、特区でもないので、勝っても金を出せないので、アミューズメント施設内で使えるコインのようなものを作った。それを使うために、リトルキャットの直営店を引っ張りだした。冶部ビルの福岡も、好調だったジブタウン福岡の利益や分譲方式で手にした金などで、リトルキャット直営店を中心とする豪華なショッピングアーケードをアミューズメント施設に隣接した。ショッピング街も、福岡の冶部ビルの責任者は、直営店も出し、アジアの金持ちが買いそうな金ピカの商品を店頭に並べていた。貴金属会社の猫野が作った、金や銀を一杯使ったアクセサリーも並べた。福岡の責任者は、「心と体が寛げるリゾート施設」なんぞにより、元々そんな事には優れて、福岡を高収益にした人だった。あのおっさんは、アジアの富裕層を呼び込もうとして、キャンペーンを行った。ブランド品となった高級品のグランドリトルキャットの製品も、アミューズメント施設で遊んで、勝てば、安く買えるかもしれないと触れ回った。ファミリーで遊べて、温泉に入って寛げると云うものだった。金を吸い取ろうとするこんなミエミエのキャンペーンがなぜか、ヒットした。綾子の現地チームもリゾートホテルの運営を任されただけなのに、勝手に、九州エレガントホテルを、リトルキャット九州からの依頼だと言って、リゾートホテルの隣に建てて運営した。金ピカだらけのホテルだったが、設備も欧米仕様とした。大きな温泉設備でみんな裸の付き合いと云うような設備も少しはあったが、個々の客室に温泉を引き込んで、プライベートな風呂も立派にした温泉ホテルにした。そんな事もアジアの富裕層の客には何故か受けた。小さいけれど、ゴルフ場もあった。高い宿泊料だったので、あのリゾートホテルが割安に見えた。豪華なエレガントスパという設備まで作って、リゾートホテルの姉妹ホテルとして共同使用した。リゾートホテルも結構立派だったが、特徴が薄かったので、それを補うためのエレガントスパでもあった。こんなミエミエの工作も当たった。あのおっさんは、東京や京阪神から客を呼び込もうとは考えず、アジア各国へのPRを優先した。こうして本来意図しない事業展開も猫資金はするようになっていた。リトルキャット直営店は、本当は子会社のリトルキャットの担当だった。今回は、猫資金で、名義上はリトルキャット九州の経営となり、運営は不動ではなく、冶部ビル福岡に任せた。これは、従来のしっとりとした、上品で京都の老舗のようなリトルキャット直営店のイメージを変えた。金ピカのゴージャスな店になり、本店よりも豪華な大きな店になっていった。こうした予期しないリゾート関係事業への支出は、リトルチャがドーンと金を出していたから、可能になっていた。しかしこの事業は、利益を短期間に、リトルキャット九州にもたらしていった。チャタロウは、もっとじっくりと投資を重ね、製造設備を作り、あるいは食品事業や牧場、養豚場、養殖事業のように、少しづつ回収できる事業を検討して、国内や海外でも体制を整えて、九州事業を進める事を計画していた。こんなに早く大きな利益がリトルキャット九州に入ってくるのは予想外だった。それでなくてもリトルチャが出したお金は膨大だった。九州での様々な関連事業は十分に展開できていた。そこに比較的早く収入も入ってきた。チャタロウは従来九州事業での運営費の補助を考えていたが、それは必要なくなって、バックアップ体制の更なる充実に、金を使う事に方針を変更した。香奈も度々バックアップ体制の充実を助言していた。

この町は、カジノ街のような温泉町でも、単なる観光都市になったのでもなかった。リトルキャット九州は、牧場や養豚場そして農園、海面養殖場を作り、そこで良質な農畜産物を作り、食品加工施設で、加工食品を作っていた。ハイテク工場もリトルキャット系列そして不動系列と競い合っていた。神三郎は、エンジェルホープ九州病院をマチコジブ記念病院の協力を貰って作ったが、神三郎自身は忙しくて、いけなかった。長期療法型の医療施設だったので、協力といいながら、恵の意向をプレッシャーと感じたマチコジブ記念病院が分院のようにしてスタートした。金は必要なだけ、エンジェルホープ財団が出していた。長期療養の患者で同意のあった人を入院させた。長期療法の筈だったのに、慢性疾患も直ぐに治り、末期患者も快方に向かっていた。風呂は病院の風呂と云うより、温泉だった。神三郎直系の外科も数人医師を派遣して一応作ったが、緊急患者も直ぐに治り出した。エンジェルホープジャパン病院と並んで、日本の病院の中でも奇跡の病院とか言われるようになっていった。みんな噂を聞いて、わざわざ九州まで病院に行く人もいた。病院はまた満員になっていった。一方、加代子は、綾子よりは仲が良かった悦子に頼んで、病院の近くに、源泉から直接お湯を引き、温泉でゆったり寛げるリゾート施設を複数作って貰っていた。温泉でのんびりしながら、検診するための宿泊設備と和風のゆったりとしたホテルだった。検診のための滞在型のリゾートはリーズナブルな低価格にして、和風のゆったりしたホテルは加代子たちの専用の別荘のつもりだった。悦子はもう高齢者だったし、元々ハードよりもニコニコサービスのようなソフトの提供に関心が向かっていたので、遠い九州のしかもリゾートホテルの再開発には、最初そんなに積極的ではなかった。俊子に声をかけられた時は、リゾートホテルには詳しい、まだ若い綾子が名乗り出ていた。その後、ニコニコホテルの福岡から、我々がずっと検討していたのにとか言われて、しまったと思っていた。そんな時に加代子からの依頼であった。悦子は引き受け、建設や運営をニコニコホテルの福岡が担当する事になった。加代子は、ホテル営業なんぞより、自分たちがのんびり温泉で寛げる設備を作る積もりで作ってもらっていた、立派な温泉設備を持ち、ゆったりした最上階にも温泉の浴室を持つようにして貰った。そこは加代子たち専用の最上階にする積もりだった。子供も多く、広い部屋にして、もう大きな子供もいて、何室かの部屋も作ってもらった。加代子は高い所からの眺望が好きだったので、高い建物にしてもらった。それ以外の事には関心もなく、すべてニコニコホテルの悦子に任せた。元々加代子は家事なんぞ出来ず、高杉夫妻の世話にもなっていたが、ニコニコサービスのお世話にもなっていた。運営委託契約にして損が出ても、カヨコファイナンシャルジャパンが負担するし、一定の運営料も出す。儲かったら、一定の割合で利益も渡すと言う条件で、悦子のニコニコホテルに運営を頼んでいた。検査入院ではなく、ゆったりとした状態で診察したいと云う神三郎の意見と自分の別荘みたいなホテルを併せて頼んだつもりだった。加代子は家事がまったく出来なかったので、ニコニコサービスを信頼していた。いつも清潔にして家事の面倒もない別荘の積もりだった。話の発端はニコニコホテルで始まったのに、九州事業にお呼びが掛からなかったと腐っていたニコニコホテル福岡は、頑張って、リーズズナブルな価格で寛げる設備の設計に取り組んだ。加代子専用の別荘のようなホテルは凝った和風のホテルにして、温泉設備やレストラン、広いフロント前のオープン待合室やゆったりとした空間を作り、公園のような庭も作り、検診用の宿泊施設も豪華とは云えないものの、ゆったりとして、設備は隣の加代子専用のホテルを自由に使えるようにした、専用の通路も作った。つまり金のかかりそうな設備は、すべて加代子の別荘のようなホテルが負担した。加代子は、このためにドーンと大きなお金をニコニコホテルに預けていた。運営で赤字で出れば、補填してねとも言っていた。加代子の別荘のようなホテルは、赤字になるとみんな思っていた、こうして二つのホテルを運営した。直ぐにでも行く積もりだった加代子はウィークディは、やっぱり取引で忙しく、神三郎もエンジェルジャパン病院が満員で、要望に応えて、ジブシティー株式会社に頼んで、遠い九州ではなく、結局ジブシティーに第二病院をジブシティー内に増設した。九州にも一部の医師たちを派遣してしまっていたので、人員の確保とかナンダカンダと忙しかった。その上、加代子がまた妊娠してしまった。当分加代子がこれないと知ったニコニコホテルは、加代子の承諾も得て、最上階も加代子専用ではなく、特別室も公開して、営業に使った。加代子は神三郎の好みも考えて、落ち着いた和風にして、広々とした部屋にして欲しいと言っていた。ニコニコホテルは、今まで特別室なんかは作ってこなかったが、今回は加代子の依頼を受けてしっとりと落ち着いた和風の上品な部屋の特別室を何室か作っていた。ホテル全体も、今までのニコニコホテルとは違い、和風の凝った作りで落ち着いたホテルになり、立派な温泉設備もあった。加代子は値段なんかまったく気にせず、和風のいいホテルをしてねと言っていた事も原因だった。

ニコニコホテルは、結構、建設費用も高いのに、加代子のカヨコファイナンシャルジャパンがそっくり建設費用も負担していたので、そんな事は気にしなかった。隣の検診用と云われたいた宿泊設備よりもさすがに高くしたが、そこそこの値段で運営した。金ピカのエレガントホテルよりずっと安く、やや高級感の強い洋風のリゾートホテルよりも少し安かった、あの最上階の特別室でさえ、ニコニコホテルでは異例の高額ではあったが、金ピカのエレガントホテルの客室とそんなに大きな差はなかった。病院に入院していた患者の家族とか遠くから病院に診察にきた人たちが、この検診用と云われた宿泊施設に泊まり、寛いだ、退院した人ものんびりするために、寛いだ、検診や診察なんか関係なしに泊まりだした。みんななぜか元気になり、評判になり、凝った和風のホテルにも少しづつ、客が来た。高かった建設費用に比べると、宿泊料金が安いホテルだった。カヨコファイナンシャルジャパンがニコニコホテルの福岡に預けていた金は、ドーンと多かった。しかし、次第に利益が入ってきた。やはり海外の富裕層目当てと言っても、日本の九州にあるので、日本の客も多かったのだ。それに海外の客でも和風を好む客もいた。そんなに泊まり客なんぞいないと思っていた加代子専用の筈だった特別室は、神三郎が日本の江戸時代の肉筆の浮世絵が好きと言ったので、加代子が、自分たちの部屋の積もりで、香奈出入りの美術商に、カヨコファイナンシャルジャパンとして、ドーンとお金を預けた。一桁どころか二桁違うお金を預けた、これには、少し訳もあった。

加代子は、いくら出すとか云うのではなく、カヨコジャパンの残高を気にした。これだけ残して、後全部とか云うお金の使い方をした。

加代子は、神三郎の病院の維持用に、2兆でエンジェルホープジャパン財団を作り、それを援助するための組織として、カヨコファイナンシャルジャパンを8兆で作った。加代子は単に、アメリカから、10兆円相当のドルをカヨコファイナンシャルジャパン創設のために、引き出した積もりだった。それを神之助は、カヨコファイナンシャルがアメリカの金融センターに、10兆相当のドルを、運用委託した形にして、神之助の管理するオーバーシーズが、カヨコジャパンに10兆円を、無利子で貸し、6兆円を神之助のグループに、運用委託したような形にした。神之助は運用利益の中で、カヨコファイナンシャルジャパンの借りた金を返してもらうといった。帳簿上のマジックみたいな事は加代子には、よく判らなかったが、神之助にとりあえず、任せた。カヨコジャパンは、更に日本株運用のために神子に2兆円預けた。つまり運用委託した。神子と神之助も、運用委託された金の運用利益の10%は、自分たちのグループの利益となった。システム手数料なんぞの手数料は、当然別に取られた。二人のグループは、当然、儲けがあれば、自分たちの利益も増えた。そして二人は取引の天才だった。加代子も取引では、神子のような株式や先物取引では、天才だったが、為替は判らなかった。神子が金を増やす事は、加代子も予想して、いや期待して金を預けた。その金をエンジェルホープジャパン財団の赤字補填に使うつもりだった。その後、加代子は、神之助から、帳簿上のマジックみたいな事も終わり、カヨコジャパンの借金もなくなったといわれた。加代子はよく判らなかったが、まあ6兆、神之助に預けている事になっていると思った。神之助グループが、カヨコジャパンから運用委託する金は、6兆円を上限としているので、利益相当分は、カヨコジャパンに渡していた。神子のグループも2兆円を上限として、運用委託を受けていて、利益相当分は、同様にした。

病院を設立した当時に減っていたエンジェルホープジャパン財団の基金は、その神子のグループが稼いだ金で、補填する事が出来た。それは加代子も自分の取引経験から理解できた。その後も神子のグループは、利益相当分をカヨコジャパンに渡してくれた。それがカヨコジャパンの利益となっていた。それが、神之助グループからも、利益相当分と言ってお金をくれるようになった。

カヨコジャパンが、運用委託していた以外の現金は、神子のグループからくれるお金が残ればいいと、ついつい考えてしまっていた。それが、加代子がドーンとお金を預けてしまう原因の一つでもあった。加代子は、自分自身で金を使った事もないので、元々金銭感覚はずれていた事も事実だが、こんな事も原因の一つではあった。加代子は信じられない程稼ぐが、家事はまったくせずに、ジブサービスに掃除から食事の世話、細々とした日常品まで、全部揃えてもらい、祖父の高杉夫妻や自分の子供たちの世話になっていた。加代子は、結婚して以来、自分で金を使った事もない人だった。加代子が、給料として、巨額の報酬をジブトラストから貰っていたが、それは神三郎が管理していた。加代子の稼ぎは大きく、香奈はその実績を評価して、神太朗、神子そして神之助には次ぐ、特別の無償割当出資を加代子にも割り振った。香奈は、稼いだ人には、香奈オフィス当時から、株式を割り振る人だった、それがもっと儲けるためには必要な事と思っていた。ジブトラストの配当からは、ジブサービスの色々なサービス料を引かれていたが、それでも相当と云う程度ではすまない巨額な額が、入っていた。カミカミも少しは配当するようになり、その金も入った。カヨコファイナンシャルは、加代子のアメリカの会社の幹部たちに、少しつづ、株を分けていたので、少しは配当も出した。加代子と神三郎は、大きな比率と言う程度ではなく、ほとんどの株式を持っていたので、ドーンと金は入った。もっとも加代子名義の株式は圧倒的に多かったが、加代子のアメリカの会社の責任者は、加代子のアメリカでの財産管理会社を作り、その会社の名義に相当変えた。加代子名義のままだと、加代子の収入になり、税金がかかるが、アメリカの会社名義だとアメリカの税金を払うだけで済み、しかも安かった。その財産管理会社に金をためておく方がいいと加代子に話して、加代子もその世話をアメリカの会社の責任者に頼んでいた。それでも加代子個人名義の株式もやはりある程度は残っていた。加代子個人名義と神三郎名義の株式への配当は、アメリカから送金されていた。そんな金も神三郎が、管理していた。元々加代子が稼いだお金なので、神三郎は、加代子にお小遣いとか云って、ドーンとお金はくれた。加代子は敷地外には、ほとんど出なかった。敷地内では、何でもジブサービスが揃えてくれた。そんな金は加代子の部屋に、貯めておくだけだった。それも神三郎が管理していた。加代子は、経済学については、知加子と話をするようになり、段々詳しくなったが、実際の物の値段がいくらとかは、まったく知らない人でもあった。そして、お仕事として、桁の違う取引をする人でもあった。そんな人に金銭感覚と云う言葉程、不適切な言葉はなかった。神三郎は、元々病院としての運営による金勘定、つまり、赤字とか黒字とかに拘らず、医療だけを考える人でもあったが、加代子がやたらと稼ぎ、その金を自分が管理した。加代子は稼ぐ人だったが、金を実際に使う事は出来なかったし、敷地内にいれば、金を使う事もなかった。加代子の金銭感覚は益々なくなり、神三郎は、病院運営で、金を稼ごうと云う気持ちは、益々なくなっていった。香奈も歳になり、金を貯めておこうと云う感覚はまったくなくなっていった。ジブトラストの運営には、責任があった。自分亡き後も大きな赤字が出ず、維持していけるように色々と考えた。香奈海外では切人に注意し、香奈国内では正人を指導した、そして猫たちの基金を充実させようともした。しかし香奈個人としては、そんなに金を貯めても、仕方なかった。香奈は、やたらと金は、入って来るが、日本の相続税はやたらと高い。自分の財産はほとんど、管理会社として、例の株式は譲渡できずに、死亡したり、脱退した時に、額面金額だけ返すといった、例の条項を入れて、香奈の持っていた株式や不動産は、多くは、香奈の財産管理会社のものにした。ジブトラストはそんな条項を入れた会社だった。香奈個人が保有していた株は、香奈が死んだら、ほとんどは現金になり、その金で相続税を払うようにしていた。無利子国債もやたらと持っていた。しかし、香奈には、年々莫大な金が入ってきた。香奈は香奈の家系の基本的な生活費をほとんど、支払った。敷地内のみんなのためにも、金は使った。一族の若い人が起業したいと云う時にも、応援してきた。それでも金は貯まっていた。香奈は自分のコレクションは、冶部美術館にほとんどすべて寄付する積もりだった。やたらと、お不動さんの美術品にも、金を使った。財団への寄付も桁が違っていた。

香奈がお不動さんの美術品にドーンとお金を出している事を、加代子も知っていた。美術商のおっさんもそれとなく言った。香奈は、この時に新聞記事に掲載されるほどの国宝級の美術品の入手を、このおっさんに頼んでいた。それも影響があった。加代子は神三郎に好みを聞いて、それをそのまま、美術商に伝えた。神三郎はそんなに大袈裟な好みでもなく、なんとなく浮世絵とか江戸時代の美術品が好きと云う程度だったが、加代子が預けた金額も多く、香奈出入りの美術商も金に糸目をつけない香奈流のやり方に慣れていた。

たまたまオークションで名品が出て、その美術商が思い切った高値で競り落とし、その特別室の茶室に置いていた。聞いていた江戸時代の美術品も、居間やダイニング用にもナンダカンダと買い揃え、リッチな空間にもなっていた。子供たち用の部屋にも数点置いていた。加代子たちの敷地内の家にも数点飾ったが、神三郎はいいねと言ったが、それ以上は何にも言わなかった。神三郎はエンジェルホープ病院の事で頭が一杯だったし、そんなに高いものとも思わなかった。神三郎の好みはその程度だった。加代子もそれはそれで忘れてしまった。加代子も色々と忙しかった。加代子は金銭感覚は、大体ずれていた。ニコニコホテルでは、こんな部屋もあるよと飾りのつもりの部屋だった。アジアのさる金持ち一族が遊びに来て、多くは金ピカのエレガントホテルに泊まったが、あぶれた人たちは、リゾートホテルにも泊まり、それでも外れた人が、この加代子専用の特別室に泊まった。この金持ちの一族の親分は、日本美術に造詣があり、日本美術の専門家みたいな人も雇っていて、その人は日本の案内役として一行に加わっていた。役に立たないそんな人は、このはずれの部屋に泊まり、吃驚した。親分に早速連絡して、親分は早速見に来て、親分も絶賛した。それがきっかけとなって、金持ち一族の偉いさんだけが、泊まれる部屋になり、この特別室自体に泊まる事が、一種のステイタスシンポルのようになった。元々部屋数も少なく、予約が殺到してしまった。ニコニコホテルとしては、異例の高額の宿泊料のつもりだったが、こんな美術品の値段なんかは知らなかった。客の中にオークションでせり負けた金持ちがいて、こんなホテルなんかすぐにも建つ位の値段の浮世絵だよ。それ以外にも高価な絵や備品があっちこっちと置いてある。保険に入らないといけないと言った。保険金が思わず高額だったので、仕方なしに宿泊料金も上げようとしたら、金持ちグループが話をして、思い切った値段をつけるように言った。金の問題だけでもない。もし破損したら、大変な事だよ。金の問題ではない、文化が失われるのだよ。変な奴らが予約できない価格にしてくれに言った。元々加代子専用の特別室でもあったので、思い切った高額の宿泊料金で、最上階すべて貸切のような部屋になった。当然、世の中には、金持ちだけではないので、泊まれる奴は少ない筈だったが、部屋も一つだった。自分の金で泊まらない立場の人もいた。わさわざこの町までくる海外の偉いさんまでいた。偉いさんは大名行列のように多くの人を引き連れてくるので、和風の凝ったホテルからあぶれ、一部は金ビカのエレガントホテル、リゾートホテルまで泊まった。毎日毎日偉いさんもこないし、アジアの金持ちもそんなに多くないとタカをくくっていたニコニコホテルだったが、金持ちは、アジアだけと限定したものでもなかった。中東の連中は凄かった。オイルマネーも昔ほどではないけど、ドーンと一週間ホテル全体を借り切った。それに加代子専用の建前もあり、出産が終わったら、加代子の都合も聞かないといけなかった。加代子は結局、長期間いけなかった。海外の偉いさんは、数ヶ月前から予約してくる。ジブホテルと相談して、三ヶ月前から予約を受け付ける事にして、先着順に予約を受け付けた。それが悪かった。加代子専用の部屋は、加代子が泊まる事なく、ほとんど予約で一杯になった。余りに早く予約するので、当然泊まれなくなる場合もあって、高いキャンセル料も払ってくれた。この部屋が予約できずに、金ピカのエレガントホテルに泊まっていた金持ちが、未練たらしく聞くとキャンセルが出ていて、お付きの人たちを引き連れて、さっそくここに泊まった。名品の浮世絵の前で、高価な茶碗で、抹茶を飲み、専用の広い温泉に入った。レストランから料理も運ばせて、江戸時代の美術品を見ながら、飯を食って、眼下に広がる眺望に感激した。こんな話が密かに広がり、毎日のようにキャンセルが出たかを確認する問い合わせが続いた。単なるホテルの積もりだったのに、この特別室に泊まるだけのために、大勢の人を引き連れてくる金持ちの一行が来るようになった。

ニコニコホテルには、こんな経験がなかったので、冶部ホテルの福岡から応援を貰った。冶部ホテルの連中にしてみれば、最上階は兎も角、それ以外の客室には、冶部ホテルの水準からみれば、不満があった。俊子に申請も出来ない。ニコニコホテルの連中も仕方なしに、冶部ホテルの連中の言うように改装した。部屋は広かったが、内装も備品もサービスも冶部ホテルの水準に合わせた。冶部ホテルの連中は、折角名品を置いてある特別室もあるので、浮世絵の肉筆とか版画とか美術品とか陶器とかを、江戸時代の名品とは云えないまでもそこそこの美術品も少しは置こうと思って、最上階の名品の購入の斡旋をした美術商に、冶部ホテルとして頼んだ。しかしそこで間違いが起こった。香奈出入りの美術商は、世界でも有名な美術商のおっさんだったし、香奈は金に糸目をつけずにお不動さんの美術品を集める人だった。加代子がそのおっさんに預けていた金も膨大だったので、てっきり加代子の指図だと思った。たまたま香奈が、そのおっさんに紹介されていたお不動さんの美術品は、国宝クラスの美術品だった。香奈はぜひ手に入れてねとそのおっさんに言っていた。そのおっさんは、海外のオークションにその美術品を確認して、落札するための準備で忙しかった。そのおっさんは、江戸時代の美術品に詳しい専門家に頼んだ。ウチが斡旋してあんなものと言われて恥をかくような事はないようにしてくれと言った。あの一族にとっては、金は問題ではないのだよ、銘がドウタラとは言わないけどね、本当にいいものでないと、私が恥をかく、貴方たちが見て、江戸時代の名品と判断するものを買って欲しい。ドウタラと云う銘があるから買ったけど、良いものでなかったと云う言い訳なんて通じないよ、貴方たちの美術センスが問われるのだよ、香奈さんも銘なんて気にしていないよ。金もドーンと貰っていると言っていた。冶部ホテルが考えているクラスではなく、江戸時代の美術館が出来る程度の美術品が集まった。お金も半端なものではなかったが、加代子が預けていた金は膨大だったので、その範囲以内では収まった。加代子は、青白い翼のようようなものが出来かかっていた時で、取引に全身全霊を込めていた時で、そんな事にかまっている時でなかった。その美術商から連絡もあって、こんなものを買ったよと報告も当然あったが、お金が足りないのと聞いてたら、いやなんとか収まりましたと言われたので、それなら、あのホテルに送ってねと言っただけだった。冶部ホテルも、美術品以外の備品を運営責任のあるニコニコホテルではなく、カヨコジャパンに請求していた。カヨコジャパンは高いと思ったが、加代子に報告して、金を支払っていた。

冶部ホテルの連中は、当然知らなかった。自分たちが頼んだ備品の請求が来ない事なんて、真剣に考える連中でもなく、乱暴には扱う事はないものの、美術館クラスの美術品が、最上階の特別室以外の客室にも、居間やベッドルームにも、さりげなく置かれた。その中に、愛染明王の仏像があった。この仏像は、美術品とは呼べないものの、象の形をしていた。さる高名な仏師が彫ったものではないかとの噂もあったが、確証もなく、安くオークションに出ていた。なんとなく気に入った、その江戸時代の美術品に詳しい奴は、その仏像を含めて、何故か、あっちこっちのオークションに出ていた数点の愛染明王像や掛け軸なども買って、この美術品の中に加えていた。冶部ホテルの連中も仏像や仏画なので、広く取っていたホテルのロビーに置き、お茶やお菓子をお供えした。

値段も冶部ホテル並の値段に変わった。結局、凝った和風のホテルは、冶部ホテル福岡の別館になった。それなりの客室稼働率だった和風の凝ったホテルだったのに、そんな高い値段では客はこないと思ったニコニコホテルの福岡だったが、冶部ホテルとなると、不思議な事に客が増え、稼働率も上がった。冶部ホテルの客は、美術品に目の肥えている人が多かった。何故かドンドンと客がきた。そんな高級ホテルの不思議は理解できないニコニコホテルの福岡は、従来の検診用のリーズナブルなホテルの運営に専念する事にした。要らなくなった調度品を有効利用したいと考えて、リーズナブルなニコニコホテルを増設しようと考えていた。ただあまりの美術品がさりげなく置かれ、しかも、それで、みんなで抹茶なんぞを飲んでいた。目の効く奴もいて、初めは喜んでいたが、段々心配になった、破損したり、欠けたりして、自分の責任にされたら一大事だし、金持ちでも、ホテルの備品を持ってかえるような奴もいるかもしれない。そんな奴と一緒にされたらたまらない。スーパーで売っているような茶碗は論外としても、それなりの茶碗もある。そんな人たちは、冶部ホテルに言って、それなりの茶碗で飲むようにして、美術品はちゃんと飾って見る程度にした方が良い、破損したり、傷つけると大変だ。チェックアウトする時には、ちゃんと備品をホテルで確認して欲しい。かえって緊張するとか言い出すまで、それほど時間がかからなかった。

冶部ホテルの連中も、備品の請求がこない事にやっと気付き、問い合わせると、あの美術商は、もうとっくに、カヨコファイナンシャルから、金は貰っていると言った。銘がないものが多いが、いずれも名品だと思う。香奈さんも銘とか仏師に拘らず、いいものを集める人などで、今回は何も言われないから、銘に拘らないと思い、無銘も多いが、かなりの名品が集まったと自慢した。愛染明王像や掛け軸は、滅多に出ないのに、何故かあの時に出たのが、不思議だが、いずれも名品ですよ。普段は探してもあんな良いものはでませんよ。陶芸品も名品揃いと専門家は自慢していましたよ、無銘だから、あんなに安い値段で沢山集まったけど、本当はナンタラと云う人の作品ではないかと専門家は言ってました。みんな、美術館でも立派に通じる名品ですよ、大切に保存してくださいとか言った。次部ホテルの連中は、そんな事は知らなかったので、慌てて、現代の有名な九州に住む陶芸家たちに頼み、普通に飲む茶碗や陶器を頼む事にした。折角九州にあるホテルなので、九州の有名な陶芸の産地のそれぞれに茶碗や陶器を頼む事にした積もりだった。この部屋は、ナンタラと云う所のドウタラと云う人が作った茶碗を置いているとか云うような形にしたいと思った。単にホテルの茶室に置く茶碗と言えばいいのに、詳しい事情まで説明した。陶芸家たちも、名品に替わるものと知って、それぞれの茶碗を見に来た。江戸時代の名品を見ながら、使用する茶碗だと云う事も知った。冶部ホテルも、運営費に追加すればいいだけだったので、相当の金は出すと言ったが、そんな問題でもなかった。それぞれの部屋に置かれた、江戸時代の名品と比較されながら、飲む茶碗だった。適当に作り、金さえ貰えれれば、いいと思う人は少なかった。唐津とかナントカと云う産地の名誉の問題もあったし、それぞれの陶芸家の名誉もあった。冶部ホテルの客も、それなりに価値の判る客層だった。冶部ホテルの客には、成金系や金も暴力にも強い人たちも多くいたが、長い時間次第に淘汰され、リアルエリートみたい客が多い客層になっていた。こんなホテルに置く備品に、全身全霊を込めた作品をつくる陶芸家が何故かいた。このホテルの陶器や茶碗は、各陶芸家の名誉を賭けた作品になった。冶部ホテル福岡の別館は、こうして特殊な美術館のようなホテルになった。ホテルの客の中には、愛染明王さんにお参りする人もいた。お願いした事が叶う、霊験を得る人もいた。外部の人もお参りにきた、知らない内に、お賽銭まで置いてあった。お寺のようなホテルにもなった。ただ冶部ホテル福岡の別館ではあったが、カヨコファイナンシャルジャパンが保有し、ニコニコホテルの福岡が運営責任を持ち、実際にホテルの運営をするのが、冶部ホテルと云う特殊なホテルでもあった。

大変な騒ぎになった加代子の妊娠

加代子は、妊娠する度に、神がかりのようになり、それがカヨコトラストやファイナンシャルがアメリカ一の運用会社と呼ばれるようになった原因でもあった。加代子もさすがにいい歳になり、妊娠も長い間しなかった。加代子の神がかりの状態も初期の頃と比べるとそんなに頻繁ではなく、取引も落ち着いてきた。加代子以外の取引の小天才たちも落ち着いて取引して、リトルチャの仕掛けに便乗したり、自分達も参考にして独自の仕掛けを考えたりして、カヨコトラストやファイナンシャルも利益水準の高い所で安定していた。加代子のアメリカの会社の山師、いや取引の小天才は、毎日、こせこせと働かなくても済んだ。そんなにいつもいつも儲け話が転がっているものでもなかった。カヨコファイナンシャルは利益が貯まっていたが、加代子が、またごっそり日本に送金してくれと言い出すと金がなくなると思い、転売しやすい不動産が安値で購入できれば、ファイナンシャルとして購入するのが習性のようになっていた。つまりはっきり言えば、不動産転がしもやっていた。カヨコファイナンシャルとしては、家賃などは端金ではあったが、転売利益も狙える高級物件が安値になる時を探していた。専門の不動産に詳しい人たちも雇っていた。当然そうした物件は、都市部に多く、売ったり、買ったりしながら、不動産もかなり所有していた。加代子にごそっと日本に送金されても、直ぐに金の補充ができる対策をファイナンシャルとしては確立していた。しかし、加代子は、カヨコファイナンシャルジャパンを創立してからは、新たな資金の送金を依頼せずに、逆に神之助が、カヨコファイナンシャルの使用しない資金を運用委託なんぞと云う帳簿上のマジックを考え出し、カヨコファイナンシャルは、日本にもアメリカにも運用しない金と云うか、保有する通貨の選択を神之助のグループに運用委託している状態になっていた。カヨコファイナンシャルもお金も貯まり、不動産も増え、運用しない金も持ち、しかもトラストと同額の金額を運用して、ジブの新ルールにより、神太朗の証券子会社にも相当出資して、保有株式は運用枠からほとんど外し、取引も余裕を持って安定的に儲けていた。アメリカの最大の運用会社として、それなりに余裕も持っていた。それがまた加代子の取引が活発になってきた。今度の加代子の青白い翼のようなものは次第に段々と大きく、鮮明になり、光も増してきていた。夜のジブトラストの中は、青白い光で眩い位だった。同じ時間で働く神帥は、アメリカによく行き、今回も姫子と一緒に一ヶ月程アメリカに行っていた。神帥と姫子は、一年の半分を少し超える程度はアメリカにいた。神帥たちの活動の拠点はアメリカでもあったし、税金の税率がアメリカでは安く、それも計算していた。子供たちの教育でもアメリカの学校と日本の学校のどちらかを選択させるようにしていた。加代子はそんな事は考えなかった。しかし、加代子のアメリカの会社の責任者は当然考えた。カヨコファイナンシャルの株式の多くは加代子が持っていたので、その株式の幾つかを分散させて、加代子の財産管理会社をアメリカでちゃんと作っていた。加代子は、そんな邪魔くさい事は、アメリカの会社の責任者に任せていた。そんな事は兎も角、神帥は、帰ってきて驚いた。神がかり状態になると、加代子に、青白い翼のようなものが、できる事は知っていた神帥だったが、今回は以前とは異なり、大きくしかも眩しい程光っていた。次第に夜のジブトラストの建物自体が、青白い翼で包まれ、青白く光っていた。加代子のいた部屋は眩しいほどだった。神帥は怖くなって近寄らなかった。

聡美も神元も切人も見た。話はジブトラスト中に駆け巡った。取引は、以前よりも格段にパワーアップしていた。一人の人間が出来る範囲を遥かに超えた、機関銃のような取引も部隊が同時に撃つように激しく復活していた。しかも取引単位量も増えていた。それが、取引頻度も段々と上がり、取引単位も増えてきた。アメリカの先物相場は、加代子たちの注文で上や下に揺れ動いた。先物につれて現物の株式もそれに釣られ、上や下へ振り回された。加代子は驚く事に株式でも機関銃のように他方面で注文を出していた。揺れ動くアメリカマーケットではあるが、それを通り越して、ジェットコースターのような相場になった。2倍にも上がったと思ったら、半値に下がる事まであった。加代子のアメリカの会社も加代子の霊力は感応していき、しかも複雑な子会社システムになっていたので、手口も複雑で、アメリカの相場は加代子たちに乗っとられたようになっていた。加代子たちが売れば、どんどんと売りは続いて、大きく下がり、買えば色々と買いが集中的に続いて、大きく跳ね上がった。加代子の神がかりの話を聞いていたリトルチャは、流石に投機猫だったので、この動きを解析した、リトルチャには、手口がそれなりに判り、独自の判断を加えて、配下を使い、その流れを加速していった。切人も同様に解析して、少し安全な局面になった時に参加して、便乗して少し儲けた。毎日何かを仕掛けているような相場になった。アメリカの金は、恐ろしい速さで、信じられない金額が、毎日のように加代子たちに流れ込み、リトルチャたちのグループも少し流れに乗って吸い取った。切人も少し便乗した。株を買ったら、突然に倍になったり、あれよあれよと云う間に、半値になったりした。半年以上、こんな状態が続いた、加代子のグループは、大量の一気の売買を先物では一日の内に繰り返し、現物でも業種や業態を変えて、一気の売買を繰り返していた。相場は引っかきまわされた。その内に加代子のお腹が大きくなり、妊娠休暇に入った。加代子の産み月は判っていたリトルチャと切人は、加代子の妊娠休暇に入りそうな前に、一斉に手じまっていった。売れる株はすべて処分した。もう投機の時期は去ったと判断した。今回の加代子のパワーは特別だった。リトルチャも切人も、加代子のパワーには驚いていた。小天才たちではとても太刀打ちできない。人間と神とを比較するようなものだと知っていた二人、いや一人と一匹だった。ぱったりと加代子の大量の売買が消えた。今まで加代子が突然儲け出した後は、ガクッと減る利益をカバーしようと取引の小天才たちが頑張るのが、通常だった。その取引の小天才たちも人間だった。今回は格段にパワーアップした加代子に振り回され、疲れて果ててしまっていた。何しろ少しの油断も大きな損失を招くのだ、価格は、絶えず恐ろしく動いていた。みんなピリピリした状態で半年を過ごしていた。緊張感が解けず、ほとんど寝付けない状態になった人もいた。今までは気楽に取引して、怖さも感じなかったが、相場の怖さも初めて実感した小天才もいた。今度は、みんなで暫く取引を休んだ。リトルチャたちもアメリカマーケットから離れた。切人もアメリカマーケットでは暫く様子を見るように言って、アメリカでの取引も休んでいた。ジブトラスト以外の人は、そんな事は知らなかった。みんな、おどおどと細かく取引して、今度は値動きがほとんどないマーケットになった。突然起こるかもしれない大変動にビクついた。突然と売買量がガタッと落ち、取引している人は退屈して居眠りして、起きたら、まだ同じ値段だったと云うような事になった。加代子の会社のディラーはみんな疲れて果てて、休暇を取ったり、体調を崩して、入院する人もいた。アメリカの相場は火の消えたようになった。加代子のアメリカの会社の花形ディラーの小天才たちも取引を止めて、休息を取り、のんびりしていた。ナンダカンダと加代子の会社は、保有不動産が増えていて、もう不動産会社のようでもあった。加代子の会社は、今回の大儲けを最後に、取引をすべて止めて、不動産会社としてのんびりする事に決めたと云うニュースも出た。加代子の会社の保有株は、極端に減っていた。加代子たちは、保有していた株も売買を繰り返しながらも、最後には保有株を極端に減らしていた。アメリカの株式相場には、もう魅力もないと云う、加代子の会社のディラーが語っているシーンと人がいないガラーンとしたカヨコトラストとファイナンシャルのディリーグルームのシーンとが、アメリカの経済ネットワークの番組で放映された。そんな時に、中国が台頭して、ついにアメリカを超える経済大国になったとの報道も出た、落ちるアメリカそして上昇する中国と云う解説も出た。株価はどんどんと下がっていった。それに神代の孫会社はやたらと先物を売っていた。それも弱気に火をつけた。買い手のいないマーケットになっていた。株価はまだまだ下がるとみんなが思い、好材料にも反応がにぶく、更にズルズル下がっていった。いくらなんでも安すぎると云う意見が充満していた。しかし買えばズルズル下がる相場なので、買う度胸のある奴も少なく、まだズルズルと下がっていった。あまり下がったので、休んでいた筈の切人まで安すぎると思ったが、上がる見込みもないと思い、前から株式よりも会社として魅力があった会社の株だけを、自分達の財産管理会社であるマリアホープで、少しずつ買っていた。そんな人が国内や海外でも、少しだが出てきた。チャタロウもそうだった。魅力ある企業が安値で並んでおり、チャタロウチームの調査に従い、リトルキャット運用会社として、猫事業に必要な協力を得られそうな会社の株を少しずつ買っていた。チャタロウたちは、今回の九州事業でのハイテク製品は、今までのジブの弱い、アジアとアメリカにターゲットをおいていた。ジブトラストの関係会社や一族の会社との競合を避けていた。勿論国内組にも、少しは日本での販路開拓のための会社に投資したり、国内でもチャタロウのチームにも接触してもらっていたが、やっぱりアジアとアメリカがメインと思い、アジアとアメリカへの輸送ルートを持つ貿易関係の会社に投資してもらっていた。ジブトレーディングや快適交易そして商会は、ハイテク素材関係にはそんなに関与していなかった。九州事業でのハイテク製品は、ロボット工学や未来エネルギーとは違い、素材関係の製品が多かった。専門の輸送システムも必要だった。円高とか円安とかも、システムとして売り込むし、そんな程度で売れなくなる製品でもないと云う自信もあった。チャタロウチームからは、アジアとアメリカにも調査と交渉のために調査派遣団も出していた。チャタロウチームもそれらの会社に、九州事業で出来る製品の販売や流通などについて協力を呼びかけていた。出資してくれたら、協力すると言ってきた会社もあった。リトルチャは、自分たちのアメリカの運用子会社名義で買うように勧めた。自分達の運用子会社の利益を減らせる効果があると思った。リトルチャは、結局含み損になるから、節税対策や決算対策になると考えていた。プーチンは取引なんかは無関心だったが、チャタロウのチームから、今は直接九州事業とは関係ないけれども、規模は小さいし、株価は格安だし、これから伸びる会社ですよと報告があった、ある研究ベンチャー企業の説明文に、ふと気付いた。プーチンが何気なく読むと、資源開発で面白い研究をしている企業だった。あのレアメタルの解析に没頭していたラッセルは、この会社の技術が役立つと思った。そしてチャタロウに言った。この会社は面白いよ。明日の猫軍団に何か貢献が期待できる企業かもしれないよと言った。チャタロウは安かった事もあり、この企業を含めて買う事にした。リトルチャは、今回の加代子の爆発に便乗してやたらと儲けていた。このままではやたらと税金も高いし、どんなに経理操作しても、正人と決めたルールでの決算で、大きな利益が出ると考えていた。税金対策は勿論、ジブの決算ルールでは、含み損は利益から差し引かれる事になっていた。つまり儲けた利益の半分が、配当として親会社のリトルキャット運用会社に掠め取られた。今買うのは、明らかな含み損になるので、どんどん買えとチャタロウに言った。チャタロウはドーンと買うよりは、少しずつ買うつもりだったが、リトルチャはそんな株数では効果がない、もっと買えと言われ、別に売買益を出すための投資じゃないからとも言われた。チャタロウは、仕方なしに、かなりの株数をリトルチャに言った。決算期末も近づいていた。税金対策も決算対策もあった。リトルチャは、今は含み損が出た方が色々と都合が良かった。リトルチャは、チャタロウの依頼よりどーんと株数を増やして、どーんと一気に成買で買った。流石に買かれた株は、一時的に跳ね上がって、数少ない値上がり株として有名になった。それは続かず、やがて急落した。しかし、チャタロウたちのチームはそれを利用して、対象となった会社に更に協力を呼びかけた。九州事業で作る予定の製品を紹介した。何社かはその気になった。あの研究ベンチャーは、今回は九州事業の製品とは関係なかったが、逆に向こうから、我々もリトルキャット関連企業の一角になり、資源開発研究に協力したいと言ってきた。会社の運営や研究には金が要った。チャタロウチームは、チャタロウに報告した。チャタロウはプーチンに聞き、割り当て増資も受ける事にした。リトルチャはそれも自分の子会社で行い、セコセコするなと励まして、決まった額以上にドーンと増資した。それも決算対策に生かせた。このベンチャー企業は、猫たちがあっと云う間に、過半数を大きく超える株式を保有して、完全にリトルキャット運用子会社の一員となって、研究してもらう事にした。それでもリトルチャの儲けからすると、大した投資でもなかった。まだまだ小さいべンチャーだった、チャタロウは、一種の先物買いの積もりだったし、リトルチャは単なる決算対策だった。プーチンに頼んで、資源研究所の夢野にも話をしてもらい、資源開発の手助けをしてもらう事にした。夢野は徹にも話をして、徹も関心を持ったようだった。来日してもらい、資源研究所と会議をする事になった。そんな事もあったが、大勢では、依然として、毎日のようにズルズル下がる相場だった。マーケットは、至る所まで、弱気が支配し、安い価格でも売りが出てきて、切人も、安い値段で、買い続けた。ジブアメリカまで、先物でリスクを取っていたのに、保有株の含み資産損が拡大してきて、長期保有の株を一度処理したいと神太朗に話して、神太朗が香奈に相談する程、弱気の虫が大勢だった。香奈はこんな安い時に売ってどうするのよ。むしろ今はごっそり仕込む時でしょう。何の為に企業分析をしているのよと言った程だった。怒られたジブアメリカは、又先物を少し売って、株式は売らなかったが、買う度胸もなかった。そしてズルズル下がった。香奈はしきりに買えと言ったのに、独立採算のジブアメリカが買うのにビクつくので、仕方なしに香奈自身が会長室として買うよとジブアメリカに言った。香奈は沙織に言って、安すぎると思ったエネルギーや重工業株を会長室枠で沙織に買わせた。香奈はドーンと一気に買うが、沙織は、小さくチマチマ安値で買った。沙織は、毎日下値でさりげなく買いを入れた。それでも売り込んでくる人もいて、毎日買値が下がる状態だった。香奈はチマチマ買ってと沙織に言ったら、毎日下がるので、平均購入価格は下がっていた。神子は、自分達から独立したアメリカの運用子会社の数社が遊んでいたので、神子の個人会社名義で、神子がいずれ上がると思っていた神子のグループの実業に関係する会社の株を少しずつ買わせて、売買利益と云うより、運用金額にも応じてそれなりの手数料を支払うようにした。香奈は奈津美にも言って、香奈オフィスの仕事に関係する会社の株を、香奈オフィスとして買うように言った。奈津美は公明正大な女だったので、香奈オフィスにとって重要と思われる資源関係の会社数社に声をかけ、今後香奈オフィスの業務、特にアメリカでの流通ネットワーク体制に協力してくれるなら、出資したいと申し出た。香奈オフィスのアメリカでの流通網は、大きな拠点だけがあって、流通網には欠けていたので、補強したいと思った。奈津美は、その株を市場で購入したいと言った。声をかけられた会社は喜んで、その出資を歓迎すると言った声明を出して、いくらか期待感で上がった株を、神太朗の証券会社経由でわさわざ一気に買った。購入後、香奈オフィスとして、この会社の価値を高く評価し、今後の協力関係を期待している、今後も出資を含めて協力したいと発表した。奈津美にとっては、香奈オフィスの評判を上げ、協力企業を増やす事が、せこい儲けや損などよりも大きいと計算していた。そうして香奈オフィスの株購入後は再びズルズル下がったが、一応オーバーアクションも効いて、下げ方も少し控えめになった。そうした少数の例を除いて、株を買う人は限られていたし、ズルズル下がる状態は続いていた。

「加代子ちゃんも、久しぶりの妊娠だったね。もう歳なのに、まだ妊娠するんだね。優花ちゃんに比べたら、子供は少ないけど、8人目とは凄いね。」
香奈「それ所ではないよ。加代子ちゃんが、天文学的に儲けて、みんなをこき使ったのよ。加代子ちゃんが妊娠休暇に入ったら、カヨコトラストもファイナンシャルの人も付加給を繰り延べ支払いをする事を決めて、みんな一斉に休暇を取ったり、体調回復のために入院する奴まで出てきたよ。みんなこき使われて、疲れ果ててしまったらしい。もう不動産会社になって、のんびり暮らそうと言う奴まで出てきたよ。カヨコファイナンシャルも相当不動産を持っているし、金も持っているし、こんな稼ぎ方は命と体を削っているようなものだと言っているよ。切人もリトルチャも加代子ちゃんの動きを予想して大分儲けたらしいけど、もう切人は様子見を決め込むし、リトルチャは他のマーケットを探していたのよ。今回のアメリカの儲けは天文学的だよ。ジェットコースターみたいな相場が続いんたんだよ。神代ちゃんは先物オンリーでうまく波にのって、儲けたらしいけど、多くの取引参加者たちは、相当傷ついたらしい。ジブアメリカは当局からジブトラスト勢が、相場をかき回していると大分文句を言われたらしい。それが加代子ちゃんが妊娠休暇に入るとみんな、ぱったりと取引を止めて、相場は火が消えたようになって、だらだらと下がるだけの相場になって、みんな怖がって、どんどんと株を売って、それが一層下げを呼んで、誰も買う度胸がないみたいで、ズルズル下がっていく相場になってしまったよ。あまりに下がったので、神子ちゃんや切人、チャタロウたちが結構いい会社を安値で買っているけど、それでもみんな売っていくみたいだよ。私も、沙織ちゃんに会長枠で買うように頼んだら、沙織ちゃんは、毎日少しずつ買っているのよ。チマチマ買うよりドーンと買ったらと言ったら、買い値が買う毎に下がっていっているのよ。奈津美にも香奈オフィスにとって協力を求める会社の株を買ったらと言ったら、大袈裟な声明なんぞ出して買うのよ。株価不況とか言われだしたよ。今度は当局から、ジブアメリカに実態経済は悪くない、又投資を再会して欲しいとの要請があったのよ。取引部門のディラーたちが一斉に休んでいるので、暫く待って欲しいと返事したらしいよ。」
「加代子ちゃんの会社は、影響力がそんなに大きいの」
香奈「大きいのよ。アメリカの取引を支配するとまで言われているのよ。そこが、保有株もほとんど売って、取引もしなくなったのよ。アメリカでは悲観論一色だよ。ジブアメリカまでも保有している株を売りたいなんて言うから、企業分析はなんのためにしているのよ。と怒った位なのよ。そんなに実態経済は悪くないと思うし、いい会社も一杯あるのよ。」

加代子の相場復帰と本格的な買収劇の始まり

そんな時に出産した加代子が、歳のくせに、復帰の意欲を示した。加代子も、もう歳だったので出産後半年程度休む予定だったのに、予定より早い復帰宣言だった。加代子たちの会社のアメリカの責任者を含めて、幹部たちは、不動産管理のチームも連れて緊急来日した。カヨコトラストとファイナンシャルの運営について加代子に説明したいと言った。神太朗も同席して、加代子と秘密会合をした。加代子たちの利益は天文学的に膨大だった。しかもジブトラストの定めた決算期は、爆発的で天文学的な儲けになった時期とは、微妙に、二つの決算期を跨ぎ、一つの決算期の締めは、まだすこし先だった。トラストの利益の取り扱い、ファイナンシャルの利益の中で、神太朗のいた証券会社のアメリカの子会社への出資をどうするかなども問題だった。加代子の会社の責任者は、大きな不動産がやたらと安値で売りに出ている現状を説明して、今期は不動産投資を主眼に運営して、通常の取引は暫く休んで様子をみたいと加代子を口説いた。加代子は、今度は自分の考えをはっきり説明した。みんな驚いた。ナンダカンダと話し合いが続いた。ジブトラストの不動産チームや企業分析研究所まで呼ばれた。加代子たちの会社としてのスタンスや作戦が漸く決まった。加代子と神三郎の家は広く、加代子はナンタラと同様に眺望が好きだったので、高い所から部屋が埋まっていく家だった。1階はそれでもナンダカンダと応接室とか色々な部屋があるものの、2階や3階は、来客用の部屋が一杯あった。加代子の会社の人たちが日本に来ると、加代子の家に泊まっていた。三日越しの秘密会談だった。

アメリカのシンボルのような高級不動産が、聞いた事もない会社にどんどん安値で売られていった。ダミー会社ではある事は確実だが、アメリカの相場の士気は更に下がった。加代子たちのディラーたちも、決まった方針を聞かされ、説得されて復帰して、今度は儲けていた金も使い、初めはさりげなく、暫く買いつづけて、安値でドンドンと仕込み、やがては、その買いは量も頻度も増やし、更にドンドン買いを増やして、そしてついには買い捲った。先物は買い、買いの連続で、時々先物は、売りで決済しながら、機関銃のような買いを続け、株式も買い買いと、あらゆる業種の株を買い捲っていた。弱気支配のマーケットだったので、加代子たちの買いに、初めは売りで応じる人もいたが、資金力のある加代子たちが更に儲けていたお金で、買い捲っていたので、敵ではなかった。不思議な事に、それなりに上がると、どんどん便乗買いも続いていた。株価は更に上がった。神代はきっちり、今度は先物でも買いスタンスだった。あっと云う間に、株価は元に戻っていた。V字回復したアメリカマーケットであったが、加代子たちのチームの保有株は膨大になっていた。加代子は、先物は、回転して決済しても、現物の株は決済しなかった。どんどんマーケットにある浮動株はなくなっていった、信用で売る奴の株も買い捲った、典型的な吊り上げに似た状態だった。リトルチャも、流れを見ていて、一転して、どんどんと広範囲に株を買ったが、途中であまり上がるので、利益確定で売り、手じまって様子をみる事にした。チャタロウは、九州事業で製品の販売を頼んだり、ハイテク工場での製品の利用などを呼びかけていた企業が主な対象なので、安値では買ったが、値が上がっても売らず、保有し続けていた。チャタロウのチームの呼びかけに応じて、次第に九州事業に協力してくれる会社も増えていた。リトルチャもこんな小さい事には拘らなかった。それに決算対策はもう終わった。チャタロウの要望で、長期保有する事も認めた。チャタロウはジブ関係がそれほど強くないアメリカで、販売網や協力企業を確保しようとしていた。チャタロウたちのチームは、九州事業の販路開拓に努力して、協力事業網を構築していこうと努力していた。売買差益が、チャタロウの目的ではなかった。切人はドライだったので、二倍にもなると半分は売って、損がないようにして様子を見た。神子はまだ上がると思ったが、運用子会社にも、運用手数料として利益配分をするために三分の一は売った。香奈はまだ上がると思い、当然売らなかった。奈津美も今売ると前の評判を落とすし、現実的に話題のレアメタルの流通や販売などに役に立ち、投資した以上に儲けていたので、売らなかった。神代は自分の予測に従って、先物売買を繰り返していた。神代得意の超短期予測が、何時間か経つと異なる予測になり、当日では又変わると云うように変化していたので、流石に投資も抑え目になった。ジブトラスト勢でも加代子たちの意向が読み取れず、取引手法がばらついて来た。それは、マーケットにも微妙に漏れた。市場ではもっと混乱した。流れがまったく読めなくなった。いつ加代子たちが売るのか判らなくなった。加代子たちの会社が、大規模な不動産投資をしている事は勘付いていた。突然上がった不動産価格で転売しはじめた事も風の噂で流れていた。金を更に補充したとか云う噂も流れた。加代子たちの会社のスタンスがまったく判らなくなった。それでも加代子たちは、まだ一人でひたすら買っていた。加代子たちのチームのお金を頼りに買い捲っていた。加代子たちのカヨコトラストとファイナンシャルは、元来取引中心のチームで、株式を買い占める程多く買うなんてことはせずに、適当な時に売りをするのが、今までのスタイルだった。それを知っていたプロたちは、ドンドン上がれば、もうそろそろと次々と売りで応戦して、傷を深め、逆に清算して株価を吊り上げる事を助けた。半年間は神をも恐れぬ程儲け、暫く休んで、その金も使い、今度は、いきなり買い一辺倒になって、株価を吊り上げた。どんどんカヨコファイナンシャルやトラストが保有する株式が増えていった。ジブトラストの新ルールに従い、名目的には、神太朗のいた証券会社のアメリカ子会社名義のものも多数あった。神太朗の証券会社系列を使えば、運用枠も撤廃されるルールだった。ジェットコースター相場で、加代子たちが儲けた金は膨大で天文学的と言えた。半分使うとしても巨額だったが、それを超える買い方のようにも思えた。カヨコファイナンシャルが証券会社に出資した金額は膨大だったが、何か特例も許可されているようだった。カヨコファイナンシャルとトラストとして買う量も膨大だった。神太朗は、しばしば香奈と話をしていた。加代子の会社では、先物も買いが多く、それは時々決済していったので、トラストやファイナンシャルも結構儲けていた。マーケットは先物もドンドンと上がっていた。加代子たちの買いも高く決済され、又それも買いの原資とした。低い所から買い上げていったので、平均購入コストは低かった。いきなりの出来事なので、TOB対策なんぞする時間もなかった。こうしてアメリカの株価はバブルのように膨らんで上昇が続き、便乗買いも続いていた。幾つかの有名な企業の株価は、加代子たちが信じられない価格まで吊り上げていた。こうして吊り上った株価だったが、上がる一方の株価が、少しずつ落ちて、やがてストンと落ちた。加代子たちの会社のディラーの小天才たちにとっては、買い一辺倒の投資方針は案外楽だった。小天才たちは、はじめさり気なく少しずつ売り、そして一気に先物も現物も売ってきた。みんな慌てて売りに出した。ドンドン下がった。そこで再び加代子たちは儲けた金を使い、再び買い上げていった。そうした小細工が続いた。利益を確定させたり、先物も売りも交えて、相場をコントロールして、少し落として又買い上げるなんぞの小憎らしい手法も取っていた。そうして一直線に駆け上がる事はなくなった。ストンと大きな売りが出て下がると思ったら、又急に戻ったり、逆にドンドン下がる株もあった。神経質な展開が続いていた。それでも、株価はバブルだとの声は強くなっていた。売りで応戦しようとする人たちが株価を落とすと、加代子たちが多量に買い捲り、更に株価を吊り上げていった。焦点は加代子たちのグループが保有をふやした会社の株をどうする積もりなのかと云う事になった。本当に経営していく積もりなのか、あるいは幾つかの会社のように吊り上げてから、売りを出して利益を確定するつもりなのか、又はどこかに売り飛ばすつもりかとマーケットは疑心暗鬼になった。加代子たちの会社の小天才たちは、大量の株を一気に売ったり、また少しずつ買い上げたりする小細工を続け、疑心暗鬼に拍車をかけ、加代子たちは、その疑心暗鬼の状態に付け込み、更に儲け、幾つかの企業の保有株も増えていった。保有株報告書は、盛んに大量の売買を繰り返しているので、現状と合致しない事は明白だった。そんな時の週末に、加代子たちのアメリカの会社の責任者を含む数名の幹部が、ジブトラスト本社に呼ばれた。神太朗が呼んだ。加代子たちが株を買っていた会社についての企業分析が完成して、今後の検討をするためだった。加代子も参加して、秘密の会合が開かれた。その秘密会合での検討結果を受けて、対象となっていた会社で幾つかの会社の社長などには、ジブトラスト本社に順次、おいで願えないかと慇懃無礼とも云える程の丁寧な言葉で書かれた手紙が届いていた。手紙が届いた会社は、ナンダカンダと会議を開催していた。ほとんどの会社は黙っていたが、少しは漏れた。ジブトラストが、アメリカを買い占めるつもりだとの噂も流れた。

ジブトラストとしても、複数のアメリカの会社への大幅な出資が計画されていた。

ジブトラストの本社にきた首脳たちに、神太朗は企業分析研究所からの企業分析と基礎経済研究所の基礎的な経済分析を渡して、今後の経営方針について説明を求め、ジブトラストの実業部門としてまとめた企業運営方針についての意見を述べ、回答を求めた。その説明を聞いていた神太朗は、ジブトラストの方針に従うと言った会社の社長たちを、そのまま香奈に紹介した。香奈は冗談を言っているだけだったが、いわばジブトラスト入りの儀式のようなものだった。最初からあっさり神太朗に内諾の旨を連絡していた。ジブアメリカは、香奈からこっそり指示され、加代子たちが買っていた会社だけでなく、ジブトラスト全体の事を考えて、多くの会社に秘密交渉をしていた。何も市場での買収劇だけではなかった。密かに、交渉は進んでいた。ジェットコースター相場では、加代子の会社も莫大に儲かったが、カヨコトラストの株主であったジブアメリカにも相当金が入っていたし、アメリカの金融センターにも金はあった。とりあえず、アメリカの何社は、直ぐにジブトラスト傘下の企業となった。ジブ傘下に入った企業の保有株式では、証券会社名義の株式は、神太朗の管理下に置かれる事になっていた。何社かは元々ジブトラスト本社にも来なかったし、多くの会社は来ても、神太朗と話だけして、また後日、詳細に検討してからと言って帰る会社がほとんどだった。香奈に会った会社は、直ぐに、香奈にも会って、ジブトラストの傘下に入る事になったと発表した。そうした会社の株はもう売り圧力も買い圧力もなくなったと見なされ、これ以上の上昇はしないと考えられ、便乗買いの人たちも利益確定の売りをだした。ジブ傘下の企業で、上場企業は比較的珍しいので、保有しようと思う人たちも偶にはいて、株価は一進一退が多かった。たまには、ズルズル下がった。そんな株式は、加代子たちが買いを出して、保有率は更に上がった。それでもそんな会社は、まだ数は少なく、途中の交渉結果などは発表した会社もあるが、ノーコメントを徹した会社もあった。ジブ取引システムでは、この頃からアメリカの株式では、本になる程の複雑な取引制限が増えてきた。アメリカの株式の売買での運用については、各グループ間での相談は厳しく制限された。特定の会社では、加代子の会社が更に買い進む事が、神太朗との調整の結果決まっていた。又数社の会社は、詳細な検討結果の上、買い進むのではなく、売りの対象に決まっていた。加代子は、市場での注意をそらすためには、広範囲の株式を買っていた。そんな株式もドーンと保有していたが、安値から買い上げて、盛んに売買を繰り返して、先物を入れて儲けていた。加代子は、それを売り抜ける積もりでいた。実際に売り抜けるのは、大量に保有していた事もあり、ドーンと売ると値が下がるし、大変な作業であった。香奈は、折角買い集めた株式なので、その株式を精査して、ジブトラストグループとして保有する株式、そして関係する会社で保有した方がいい株式などに区別して、市場外取引で株式を、カヨコトラストとカヨコファイナンシャルから、ジブアメリカ、アメリカのジブ金融センターなどのジブトラストグループ、一族の会社、リトルキャット系列、快適、岡崎交易、ジブトレーディング、香奈オフィス、香奈ファイナンシャルそしてカミカミファイナンシャルなどの広範囲な会社が買う事にした。加代子の会社もそれなりの利益を取り、手間も省けた。その他にも、市場を通さずに、株式の割り当て増資を受ける会社もあった。ジブアメリカは秘密裏に、各会社と交渉を続けていた。ジブが見て有望な会社、そしてジブに協力的な会社等の調整を、神太朗は企業分析研究所の分析を参考に調整していた。

ごきげんソフトは誤解を招く事を恐れていたので、市場取引では、広範囲に取引制限をかけた。ジブ取引システム上での取引制限なので、外部には漏れない筈が、少しは、なぜか不正確に伝わり、こうした動きは疑心暗鬼に更に拍車をかけた。ジブトラストグループは、加代子の会社以外では、アメリカでの株式売買は控えていた、ただ加代子グループは、まだ表面的には、盛んに売買を続けていた。単に売り抜ける会社なのか、保有したい会社なのかは、外部の人にはほとんど判らなかった。株式保有についての報告書は出ていたものの、売買の頻度は激しくなっており、どの会社がジブトラスト傘下の企業になろうとしているのか、ジブトラストはどんな会社を選択しようとしているのかとの観測記事や解説記事が、アメリカの新聞に出た。ジブトラストと徹底抗戦を貫く会社もあった。TOB対策はもう手遅れ気味だったが、対策をしようとした企業もあった。対策は、あっさり株主総会で否決されたりした。ジブトラストからの支配をどのように防いでいくかの協議を続ける会社もあった。加代子の会社はそんな事とかは無関係に多量の売買を繰り返していた。さすがにジブ傘下に入る事を表明した会社の株の売却は当座は控えたものの、インサイダー要件がない時には、やっぱり調整売買を続けていた。カヨコファイナンシャルやトラスト名義の株式もまだ一杯あった。そしてその売買は、加代子たちが自由に売買できた。そんなに多量の株を保有する必要もないし、上場条件を維持するためにも圧倒的な保有率を持つ事もなかったが、安くなると一気に非上場への選択も視野に入れた。事実いくつかの企業では、マーケットに残る株式を公開買い付けもした。そんな騒ぎを続けながら、カヨコファイナンシャルとトラストは、かなりの企業を、実質的にカヨコファイナンシャルとトラストの資本の支配下に置いた。加代子たち以外にも、ジブアメリカの秘密交渉も、何社では、実を結び、割り当て増資を含む買収が発表されていた。

今までは、ジブ傘下になると、神太朗支配下の各地のジブ子会社が、役員を出し、経営に関与して、ジブトラストの経済センターやジブ総合研究所からの情報を受けて、ジブトラスト傘下としての各企業との協力関係も進めていっていたが、今回は会社が多く、ジブトラストとは関係のない専門家たちが、役員になって経営に関与する事が多かった。ジブアメリカの人たちは、多くの会社で見張り役として兼任として入るだけだった。加代子たちの買収した会社にも、カヨコファイナンシャルとトラストからは、自由な売買がしたいと言って、人も出さなかった。

カヨコファイナンシャルとトラストも保有株式が増えて、取引だけの運用会社から転機が来ていた。ジブトラスト傘下に入る事を拒み、神太朗の呼びかけにもだんまりを決めた会社の株はいずれ、カヨコファイナンシャルとトラストが売りに転じると噂が飛び交い、株価は下がったが、カヨコファイナンシャルとトラストは、株価が下がった所で尚も買っていった。益々加代子たちの株保有率が上がり、会社の解散が現実味を帯び、今の株価と解散価値との比較がされていった。それでも表面的には、カヨコファイナンシャルとトラスト名義の株の保有率はそんなに高くなかった、証券会社名義が多かった。証券会社のドンと云えた神太朗は理想主義者と知られ、荒っぽい手口は取らない人と思われていた。それが会社側の拠り所でもあった。加代子たちのグループの代理人は、緊張下の株主総会に出て、内部保留と利益の大半を配当に回す議案を提出した、予想外の大差で採択して、加代子たちの代理人みたいな弁護士と会計士を役員に過半数送り込んでいた。会社の解散のカウントダウンが始まったと噂された。そうした役員は、冷静に会社の全資産の査定をしていった。タカをくくっていた首脳陣は、慌てて、株式の名義としては最大だった証券会社のドンと云えた神太朗に会いにきた。神太朗は冷たく言った。「ジブ傘下に入りたくなく、我々の方針にも従いたくない会社なのだから、我々の取るべき手段は、株式を売却して利益を得るか、解散価値と比較して、会社を解散させるかのいずれかしかない。カヨコファイナンシャルとトラストが、どっちを選択しても、それは、私の権限外なのです。ジブトラスト傘下の企業ならば、私が保有株式を管理して、会社を発展させ、利益を出して、企業価値を高め、そして我々にも高い配当をもらう方法を検討していきます。それが私の役目なのです。でも今回は私の権限外の事なのです。名義上は証券会社名義のものもあるが、我々のルールでは、ジブ傘下の企業でない株式の処分権は、カヨコファイシャルとトラストに委任されています。ジブ傘下の企業になると、証券会社名義の株式の処分権は私に委任される事になっているのです。いくつかの部門は、価値が高いようですね。ジブ傘下の他の企業でも吸収したい部門があると言っているようです。解散して分配を受ける方法が利益を得やすいかもしれませんね。その決定はカヨコファイナンシャルとトラストがする事なんです。」神太朗は、理想主義者で荒っぽい手法を取らないとタカをくくっていた会社の首脳陣は、この言葉に慌てた。至急ジブトラストからの企業分析や要望を元に、会社としての方針を決めるので、それまでは、表立った荒事を避けて欲しいと頼んで、帰っていった。それが態度を保留していた会社にも伝わり、結局対象となったすべての企業はジブトラストからの条件を飲み、ジブトラスト傘下の企業となった。役員もジブトラストとは関係のない専門家が送り込まれ、見張り役みたいなジブアメリカの人が非常勤の役員になるだけだった。企業分析研究所からの分析はしっかりしていたし、いずれそうしなければと思っていたが、ナンダカンダとの社内事情で出来なかった事が多かった。案外うまくいっていた。

TOB対策のセミナーも開かれ、カヨコファイナンシャルやトラストの怖さも知れ渡っていた。カヨコファイナンシャルやトラストが、過半数の株式を保有している会社はむしろ非常に少なく、ある程度、保有している企業が圧倒的だった。そうした企業は、むしろTOB対策よりも加代子たちの会社との対話を心がけた。加代子たちの会社は、単に配当を上げてくれとしか言わなかった。会社の人事とか、運営方針などについても注文も出さなかった。加代子たちは、変な形で社内に入り込むよりは、自由な売買を確保する事を重要視した。加代子たちの会社の配当収入はやたらと増えたが、一方では知らないうちに、売り抜けて、株式の保有率が下がっていった会社もあったし、逆に株式保有率をじりじり上げていく会社もあった。加代子たちの会社の動きとは別に、ジブ内のアメリカネットワークを利用しようとして、ジブトラスト傘下に入ろうとして、神太朗と秘密交渉をする会社まで出た。交渉で合意した会社は、ジブアメリカや加代子たちの会社などに割り当て増資をした。こうして加代子の会社やジブアメリカなどのジブ勢には、関与する会社がやたらと出来た。ジブトラストグループやジブが関係する会社間での市場外取引も発表されていった。ナンダカンダと騒いでいる内に、加代子たちの会社の株式保有は一挙に整理された。一業態に数社とか全く関係する会社のない業種もあった。神子や切人やチャタロウたちが独自に安値で買って、まだ保有している会社群とはほとんど違っていたが、重複していた会社も少しはあった。香奈が会長室として株式を保有していた会社や香奈オフィスが株式を保有している会社は、まったく重複していなかった。香奈は基本的には、株屋的に言うと、景気敏感銘柄そして香奈オフィス関係の資源エモルギー関連に興味があったが、加代子は、売買はそうした株が多かったのにも拘らず、結局多く保有したのは、医薬品、その流通問屋や生活用品、化学用品、食品、肥料や種苗関係や小売チェーンを含む消費財関連などのように生活に直接結びつく企業群、株屋的に言うと、デフェンシブ(景気循環の影響を受けにくい)銘柄を中心とした株式だった。 ドーンと儲けるよりも、チマチマ稼いでいる会社が多かったし、株価も低迷している会社が多かった。値嵩株も比較的少なかった。含み資産が大きい会社が多かったが、それほどでもない会社もあった。営業成績は比較的パッとしない会社が多かったが、いい会社も偶にあった。ただ神太朗が企業分析研究所からの報告をよく読むと、何故か業界一と言われる部門を持っている会社が多かった。それを伸ばすとノビシロが大きいと記載されていた。そういう点では大きく伸びる可能性があった会社が多かった。神太朗はそうした分野に強い専門家を送り込んでいた。香奈や正子とは違う視点を加代子は持っていた。神太朗はそれには感心していた。これは今回の騒動で傘下に収めた会社が多いのに、株式の購入費用は案外安く済んだ原因の一つでもあった。

神太朗は、今回は色々と調整した。ジブアメリカも、密かに度々ジブ本社に呼ばれて、ジブトラストとしての対応を検討していた。加代子の選んだ会社以外にも、やはりジブトラスト全体として保有しておきたい会社もあったし、どの程度保有すべきか、相手の会社の対応はどうだとの観点もあった。香奈や神太朗は色々と調整していた。ジブトラストは、本来市場での買占めなんかはしない会社だった。友好的な買収は度々したが、今回の加代子の動きは派手だった。しかし加代子の会社以外にも、ジブトラスト関係の会社はあったし、ジブアメリカも金はあった。ジブの金融センターにも金はあった。ジブの孫会社はあったし、神子系列の運用会社もあったし、切人系列の会社もあった。折角加代子たちの会社が買った株式の総合的な調整を、神太朗は密かにしていた。派手な市場の動きとは別に、色々と交渉していた。ジブトラスト系列は、一族の会社や今までのジブ傘下の会社とも調整していた。ジブトラストのそれぞれの運用会社は独立していたが、香奈だけが、すべてを知りえる立場だったし、香奈の意向があれば、統一した行動が取れた。そして今回は統一的な行動を取った。何故か今回の騒動の後、ジブトラスト勢は、アメリカでの保有株がグーンと膨れ上がっていた。

香奈は、普通は余程気に入った会社でなければ、価格が上がれば、みんな売ってしまう人だったが、今回は売らなかった。香奈は、もう古くからの知り合いでもなければ、面会なんぞにも、管理セクションに話を聞いてもらうのが、ほとんどだったが、今回は、挨拶に飛んで来た数社の会社の首脳には会った。その人たちは軽い冗談でこう言った。ジブはアメリカを買い占める積もりだと噂されて、ウチも買い占められると思っていましたと言った。香奈は、冗談を言いながらも、この時は真剣にいった。ジブトラストは、本来は経営には関与しない運用会社なのよ。あれは、カヨコファイナンシャル独自の考え方で、独自のリスクを取ったのよ。ジブトラストとカヨコファイナンシャルは、資本が違う別の会社なのよ。株式を保有するのにはリスクがいるのよ。そんな何でも買っても仕方ないわよ。カヨコファイナンシャルは、経営陣を活性化させたら、大きく飛躍できると思ったから、会社の株を多く保有したと思うわよ。貴方の会社の今の経営陣は、しっかりしているわよ。資本と経営とは別なのよ、私が高くなっても売らなかったのは、本当は、もっと価値のある会社だと思っていたからなのよ、神太朗君が渡す企業分析書をよく読んで参考にしてね。こんな株価の会社ではないと思ったからなのよ、今後期待しているわよ。と言った。その後また冗談が続いたが、来日した首脳は、冗談には軽く笑っていたが、笑顔はなぜか強張っていた。その後、神太朗から企業分析研究所の企業分析報告書を貰って、いくつか話をして帰っていった。そういう会話が、今回は繰り返されていた。会長室としてもアメリカ株の株式保有額は増えていた。

ジブトラストのシステムとしては、アメリカは、取引は、切人や加代子たちの担当だったし、企業支援や出資はジブアメリカの担当だった。神子は、社長としては全体のジブトラストの株式、先物などの取引の責任があったが、今回は極めて微妙だった。今回はアメリカでのジブトラスト全体としての株式保有と実業分野の拡大と位置付けられていた、神子系列のジブトラストの孫運用会社、神子グループの運用会社も途中から役割が与えられた。神子の個人会社が保有していた会社でもジブトラストシステム上の運用会社ではないものの、取引はジブシステムの中で行われ、香奈は把握していた。それなりに香奈との話し合いも持たれた。神代の会社は、経験のある先物オンリーの取引に今回は徹していたが、カミヨエンジニアリングは、再生ファンドの筈なのに、いくつかの会社の株をカヨコファイナンシャルから市場外取引で取得していた。

神子の個人会社としては、アメリカ株の株式保有をして、神子の得意技の調整売買もしなかった。いや出来なかったと云うのが正しかった。本当は局面がある程度進んだ段階では、ジブ取引システムでの取引制限は解除されていた。しかし、神子の個人会社も、神子が優秀と思った人への支援をして、その人が経営陣に入ったり、起業したりしていた。神子は、経済的合理性を重視していたし、神子グループにいた人も元々そんな人だったので、神子も、自分の個人会社として、その人たちの会社に出資していた。神子は、そうした会社に利益になると思われるアメリカの会社を選んでいた。神子グループにいた人は、みんな経済合理性を重視していたので、当然そうした会社とは、相互に利益になると思われる話し合いをした。ナンダカンダと個々の企業レベルで協力関係も出来ていた。ジブアメリカは密かに交渉して、ジブアメリカや切人の会社と一緒に、ジブトラスト全体として、少し割り当て増資まで、引き受けたりしていた。今回は香奈の大きな意向の中で動いていたので、調整売買なんぞは流石に神子も出来なかった。

チャタロウが株式を買った企業にも、実はジブアメリカが香奈の意向も受け、それなりに交渉して、ジブアメリカとしても出資していた。香奈は神太朗と企業分析研究所のスタッフを呼び、ジブトラスト全体として、いや一族の会社まで抱きこんで、全体としてのアメリカの企業に対するジブトラストとしての実業へのスタンスを決めていた。ジブトラスト全体の中ではごく一部の人が香奈のマスタープランを聞いていた。ジブトラストでは臨時の役員会議も召集されていた。チャタロウはジブトラストとは関係ないものの、チャタロウの企画調査チームは、アメリカの協力会社からジブから出資の提案がされた事が報告され、事業拡大案も検討して、チャタロウに報告した。チャタロウたちは、研究担当の猫たちと協議した。チャタロウは何かを感じていたが、あくまで猫事業への影響を考えて、事業拡大の方針を了承し、ジブからの出資も受け入れる事を伝えた。リトルチャも金融チームから、それなりの報告を受けていた。当然神子は、その後の展開を考えていた。神之助も為替や商品相場の展開を考えていた。事実、アメリカで株式が乱高下すると、日本への影響は、相当あったので、神子の本職ともいえる、日本株の調整に忙しかった。神代とも話をして、先物とデリバティブそして保有株の調整も大変だった。切人やマリア、そして聡美や神元たちもヨーロッパでの影響を考えていた。ただ、ジブトラストグループとしては、それぞれ自分達の関心の強い業態のアメリカ株式を、今度は長期的に持つ事になった。ジブアメリカは大活躍して、ジブ全体に、業態毎に、割り振っていた。

アジアではチャタロウチームは、その影響力を広げていた。

ジブラストの神太朗の秘密の特命チームが、ダミー会社を作って、重工業やエネルギー関係の会社を、アジアの各国で、密かに接触して出資をしようとしている事は、チャタロウは、チャタロウのアジア調査チームからの報告で知り、チャタロウも、アジアでは、中国ではなく、地域とも国とも云えない国とか、都市なのか国家なのか分からない国とか、中国とは違うが共産主義なのか資本主義なのか分からない国で、ダミー会社を作り、ハイテク関係の会社とか食品会社とか、ハイテク用の資源関係の会社を幾つか、こっそり買収したり、合弁会社を作ったりして、コツコツと協力会社を作っていた。ハイテク関係は、結構、レアメタルなどの資源を使った。奈津美とも相談して、協力して合弁会社も作っていた。香奈に云われたように、ぼーと、自分勝手にいい製品だと過信して、買ってくれと云うだけでは駄目だと、チャタロウは考えていた。アジアでもリトルキャットの協力企業はそろりそろりと増えていた。チャタロウは、中国はジブトラストの影響が強く、競合を避けようと考え、アジアの他の国と云うか地域と云うか微妙な国の会社に、ダミー会社を通して、資本を入れ、その会社を経由して、中国との付き合いを考えていた。アメリカでも、リトルキャットに割り当て増資して、完全にリトルキャット傘下の企業になる会社もあり、協力企業も増えていた。不動総合は別の国内販売ルートをそもそも持っていたが、ここではリトルキャットとお互いに補完する製品も多く、不動ルートでも販売したが、リトルキャットルートでも一緒に販売してもらった。ともかく、この九州事業での農作物や食品は九州では有名になっていた。

一方、敷地内はジブシティーで作られた農産物や食品を消費しており、農産物や食品は敷地の近郊から関東から東日本で消費され、一部はプレミアムの商品として海外に販売されていたので、そんなに影響はなく、実感もなかった。ジブトラスト傘下ではイチコプロダクツ程度は、この実態を知るべきであったが、北日本のリトルキャットプロダクツの農作物や商品を一手に販売して、好調だったし、さすが影の農水省に呼ばれるほどの企業であり、社内の一部の人は気付いていたが、情報は、上から下には流れるが、下から上には流れにくい体質になっていた。ジブトラストの実業部門を束ねる神太朗は、世界に分散する各企業からの報告だけでも、本になる程あった。アメリカではジブトラスト傘下の企業が急増して、忙しかった。それでも猫たちの九州事業が好調である事は色々ルートで知っていたが、それがどの程度なのかは、まだ知らなかった。イチコプダクツやリトルキャットプロダクツの社長たちに聞いたら、九州事業はそこそこ好調らしいですと言う程度だったので、その時点では、詳しく聞かなかった。話題のレアメタルを使用した薬も安部製薬フランスとスイスカナコインの医学研究所がナンダカンダと数多くの医薬品を開発し、加代子たちが買収したアメリカの企業には研究体制が完備していた大きな製薬会社もあって、新しいアイディアも持って、これに参画しており、一族の会社である製薬との調整もナンダカンダと一杯あった。しかしその後調査してみると、チャタロウチームのアジアへの浸透はかなり進んでいて、それと競うように、神太朗もジブトラストとして、中国を刺激しないように工作を、ダミー会社を使って、加速していた。

ジブ臨時役員会の後の雑談

香奈「私が調整したり、基本的な構想を考える事なんて、もうないと思っていたのに、加代子ちゃんがかき回すから、大変だったね。加代子ちゃんは、ただ闇雲に買っているみたいに見えたけど、結構いい会社の株を買っていると感心したよ。みんなの所にも、ほとんど保有して貰えたね、売り抜けするような会社は、そんなに多くなかったね。少しは残った会社も、加代子ちゃんたちも上手く売り抜けたもんだよ。あんな会社などは、やがてドーンと下がるよ。でもこれからは、こんな事は、神太朗君たちが調整するのよ。」
正子「こんな事は、香奈おばさん以外では出来ませんよ。でも長期保有株も増えたし、実業の分野は大きくなったから、神太朗さんの責任は重くなったわね。」
神太朗「ジブアメリカの責任者も、香奈おばさんに直接指示をもらったといってましたよ。一族の会社どころか神帥君の会社や快適や香奈オフィス絡みまで調整していたみたいですね。リトルキャット系列までも色々交渉していたみたいです。こんな事は香奈おばさんでないと出来ませんよ。どこまでが、ジブなのか判らない程ですよ。やたらと責任は重くなりました。本当に企業分析研究所があってよかったですよ。でも経営には、ジブ関係者ではなく、それぞれの専門家に任せました。」
香奈「それでいいのよ。資本と経営は別ものよ。有能な人をうまく使うのよ。神之助君の所の金融センターにも、大分、株を持って貰ったわね。」
神之助「彼らも喜んでましたよ。銀行や金融関係の株式を持つ事はこれから役に立ちますよ、それは別として、ドル資産もそろそろ増やしていった方がいいかもしれませんね。リトルチャもドル比重を増やしているみたいですよ。」
神子「まだ少し早いような気もするけど、研究センターとももう一度見直してみますわ。今回の加代子ちゃんのパワーは凄すぎて、予測も予知もできないので、大変ですよ。神代は驚いていますわ。超短期でも、時間が経過する毎に、変わると言ってぼやいていました。」
香奈「まあ、今回は特別みたいだね。青不動さんも吃驚していたわ。アメリカの再生の時期が早まって、これで本格的に始まるかもしれないと言っていたわよ。でもこれからが、大変だよ。取引と違って、これからが始まりなのよ。」
陽一「加代子ちゃんの会社の研究センターから、企業分析研究所のアメリカ研究所ができそうです。加代子ちゃんの会社の幹部たちが、勉強したいと言っているようです。企業分析書の中で聞きたい事とか、判らない時がある時に教えてもらう人を探しているみたいです。こちらでも紹介していますが、凄い先生を揃えるみたいですよ。」
香奈「アメリカの責任者もショックだったみたいなの。取引では、加代子ちゃんは特別な人とは知っていたけど、なんであんなに企業の分析に詳しいのだろうと言っていたわ。」
神之助「実は、聡美さんもなかなか詳しいのですよ。神元は相変わらず、大きな儲けを狙っているれど、パッパラパーの聡美とか陰口を聞かれていたけど、この頃は聡美ちゃんの所の幹部も勉強してますよ。スイスカナコインの学校を出た人も聡美ちゃんの所に入っているみたいです。」
香奈「まあ、いい事だよ。二人とも知加子ちゃんと仲がいいものね。」
正子「中国はどうでしょうか? まだ大丈夫ですかね。」
香奈「それは判らないね。結局は、伸びる国ではあるけど、問題点もあるからね。ボキっと折れるかもしれないし、奴らも賢いし、うまく引き伸ばして、改善しながら進んでいくかもしれないね。でも万一ポキっと折れると、交渉する人が足りなくなるから、正人に、正一と正智に中国相手に交渉できるようにしろと言っているのよ。奴らも薄々、問題点は知っているみたいだから、直ぐではないだろうね。中国の時は、神子ちゃんがうまく処理してね。」
神太朗「僕は忙しいし、中国は、担当外ですしね。」
神子「それも、やっぱり香奈おばさんが処理する事になりますよ。」
神之助「僕もそう思います。香奈おばさんのルートは特別ですからね。正人さんも色々と考えているみたいですよ。」
香奈「いくらなんでも、私はそんなに生きないよ。」
神子「でも、神太朗兄さんは、こっそり、アジアで組織造りをしているみたいですね。」
神太朗「あれは、中国を刺激しないように、アジアのジブ子会社の充実をしているだけだよ。はじめは、こっそり調査していたら、チャタロウチームが盛んに動いて、アジアでは、チャタロウのチームに負ける恐れがあるから、重工業と資源エネルギー関係はジブトラストが抑えないといけないと思っているだけだよ。ハイテクや食品関係は、もうチャタロウチームの牙城みたいになったよ。資源関係は、競争なんだよ。香奈オフィスも動いているしね。チャタロウは奈津美さんにも色々と相談して、協力しているんだよ。ジブと香奈オフィス、チャタロウたちと結構複雑なんだよ。食品は、ジブトラスト系列が圧倒的と未だに過信しているイチコプロダクツ、リトルキャットプロダクツや岡崎交易にも、チャタロウチームとの協力関係を築きなさいと注意したよ。もう逆転しているよ。何回聞いてもそこそこ順調だとしか言わないから、僕がちゃんと調べると、もう食品では牙城みたいものになっているんだよ。快適は、もうチャタロウチームの影響が強いよ。リトルキャットの事もあって、辺郎君ともちゃんと話が出来ているよ。チャタロウチームは、トータルで考えているからね。日本への輸出入はほんの一部なんだよ。現地での需要と供給のバランスを重視しているんだよ。辺郎君は、そんな姿勢に共感したみたいだね。イチコプロダクツや岡崎交易は、日本ベースでしか考えないからね。チャタロウはジブとの共生も考えているから、ジブにも食品原料を回す事には寛容なんだよ。連中は、だから気が付くのが遅れたんだよ。ハイテク関係は、アジアでは、チャタロウチームに完全に抑えられた。もう手遅れだね。世界標準になりそうだよ。」
神子「そんなに凄い組織なの。非上場だし、判らないでしょう。」
神太朗「それ位は、ちゃんと調べたら判るよ。香奈おばさんは、アメリカのチャタロウチームの協力会社にも、交渉させて、出資したんだよ。それで判った事もあるんだよ。そうでしょう、香奈おばさん。」
香奈「チャタロウもよく頑張って、あそこまで、組織を作ったもんだね。アメリカでも加代子ちゃん騒動の時に、少し調べようと思って、ジブトラストとしてもいくらか出資するようにしたのよ。」
正子「猫の会社も、資本的には香奈ファイナンシャルの子会社なんだから、香奈おぱさんとしては、どっちでも同じでしょう。」
香奈「猫たちは独立しているようなもんだけどね。相談には乗っていたけど、ちょっと心配だったし、企業分析研究所でも調べさせようと思ったのよ。でもジブアメリカとしてはよかったみたいだね。大きくなりそうだよ。チャタロウの選択と指導は大したものだよ。実はチャタロウが、ジブからの出資には異論を言わなかったらしいよ。ジブアメリカから話があった時に、チャタロウの所に相談があって、受けてもいいと言ったらしい。ジブアメリカが、後でこっそり聞いたらしい。日本のボスからオッケーが出たから出資を受けたと言ったらしい。チャタロウチームには、企業分析研究所の分析が役に立つと考えたみたいだね。実際、企業分析書をよくみているみたいだね。」
神太朗「まったく、大した猫ですよ、チャタロウは。でもあんな猫が、そうそう続きますかね。」
神之助「リトルチャも大した猫ですよ。投機では、恐らく今は世界一かもしれません。それに各地の投資ファンド、運用子会社そして為替専門会社を金融センターのようにして、その上銀行まで保有して、金融ネットワークまで作ってしまいました。投機しないでも、金が動くたびに、リトルチャの金融ネックワークに金が、落ちていくようになっているのですよ。今や毎日世界で動く金額は膨大ですよ。その金のある程度の比率が、リトルチャの金融ネットワークを通って、金を落としていんですよ、僕はジブネットワークだけしか、思いつかなかったけど、リトルチャは、それを金儲けに繋げているんですよ。僕も、神一君やもう一つの大きな銀行から、時々至急扱いで、各地への資金融通を偶に頼まれたけど、その後の手続きが色々と面倒なんですよ。あれをシステムとして仕事にするのは大変なんですよ。」
神太朗「それは、なんとか云う銀行の頭取が考えたと聞いたよ。神一は、あの人にそんな事ができるとは思わなかったと不思議がって調べると言っていたけどね。子会社のネットバンクも大きくなったよ。証券会社への入金も増えたきたと証券会社が話していたよ。海外旅行の時の両替もみんな使っているみたいだね。」
神之助「あれは、リトルチャが作ったんですよ。初めは、その人のアイディアでもあったけど、ちゃんとしたシステムにしたのはリトルチャだよ。少し調べたら直ぐに判るよ。もう一つの大きな銀行も正人さんも、ちゃんと知っている筈だよ。もう一つの大きな銀行の役員会では、あのシステムの利用まで検討をしているらしいよ。問題点はないか、どのように利用するかと話もしたらしい。正人さんは、頭取には、後で、あれはリトルチャのシステムだよと釘をさしたらしいよ。もう一つの大きな銀行のものではない、利用しようと思うなら、ちゃんと正式ルートで、例の銀行に提案してくれと言ったらしいよ。ジブ上海はもう既に、あのシステムを使っているよ。この間の送金は、あのシステムを使いましたと言っていたよ。送金手数料が安く、早いんだよ。為替レートも現実のレートに近いしね。一族の銀行も、幹部連中は、それなりに知っている筈だよ。神一君が調べたら、直ぐに判ると思うよ。神一君の所は、まだ神一君には、ちゃんと情報がうまく上がらないんだね。神一君が偉すぎて、みんな怖がって、完全に判明するまで、情報を上にあげないんだよ。あれも困ったもんだね。その人はリトルチャの腹心の部下らしいよ。肝心な所で怯むとリトルチャは、よくこぼしていたけど、辛抱強く教えたらしいよ。リトルチャは短気な猫と思っていたけど、人を育てるとは、なかなか大したものですよ。あれは感心しましたよ。僕も人を育てる事の大切さを知りました。そんな事をするから、投機の回数は減ったけど、長い目でみたら、結局儲かると言っていたよ。神帥は、実業を把握しているけど、神元の奴は、人を育てるどころか、あいつは、まだ自分の会社の実業の事もよく判っていないんだよ、相場しか頭にないんだよ、実業は、完全に任せているからね。あれはあれで強いけどね。でも少しは会社として、みんなの役割を考えていくようにと話したよ。大元帥明王さんにも怒られたみたいだよ、知らない事を知った振りはするよりは、はるかにましだけど、周囲の人がちゃんと役割を果たせるようにしなさいと。聡美さんは、ちゃんと考えてだしているのに。」
正子「そうなのよ。みんなもしっかりしないといけないわ。」
神太朗「神一には、人を育てないといけないよとちゃんといってあるのに、まだ駄目かね。」
神之助「多少は変わってきたけど、神一君に言うと、一発で銀行は、変わるけど、役員クラスに言っても、神一君には上がらないみたいだよ。あれでは神一君以外には、だれも本音を言わなくなるよ。役員クラスはみんな優秀なのに、宝の持ち腐れだよ。もう一つの大きな銀行の方が、その点はしっかりしているよ。やっぱり正人さんはうまく聞き出すし、役員会は常に討議の場としていたからね。一族の銀行は、役員会は神一君の判断を聞く場になっているよ。神一君は優秀だから、神一君の判断した所だけがすば抜けている形だね。為替が大きく動きそうなんで、挨拶に来た役員に、為替に注意した方がいいと言ったのに、よく調査しますと言って、神一君には上げないんだよ。神一君は自分で考えて、為替は動きそうですかねと言って、直接聞かれたよ。」
神太朗「困ったもんだね。折に触れて又言ってみるよ。何もかも神一ができるわけでもないのに。」
香奈「その点、神子ちゃんは偉いわね、神子ちゃんのグループは実業も運用会社もみんな大きくなったわね。人に教えるタイプでもないと思ったのに。」
神太朗「ちゃんと、将来性のある会社にもきっちり話もしてあるし、ジブアメリカも驚いていたよ、取引だけの人じゃないんだと。」
神子「みんなが頑張っているだけだわ。私は何にも言ってないわ。みんなにも出資してもらっているからね。」
香奈「それも重要な事だよ、実業では、働いている人にもちゃんと分配しないといけないわよ。」
神子「もう終わりにしましょう、チビ助がヤキモキしているわよ、香奈おぱさんの秘書みたいな猫だからね。」
神太朗「まったく、大した秘書ですよ。もう時間も時間ですから、話は簡潔にとか言うんだよ。あんな秘書がいれば、僕も楽なんだよ。香奈おばさんに渡している資料も凄いんだよ。」
香奈「リトルチャの孫で、リトルホワイトの息子だからね。チビ助も結構、仕事の事も判るみたいだよ。資料も簡潔にまとめているよ。」
神之助「リトルチャも言っていたよ。チビ助の感覚は結構鋭い。取引担当にすればよかったとぼやいていたよ。」

神太朗は忙しく、仕事の重要性も高くなっていった。

ジブトラストは歳を取る毎に、重要な仕事をするようになる不思議な組織だった。香奈は百歳を超えて、ジブトラストは重要な局面が度々と起こり、香奈の判断が、ジブトラストを大きくしていた。それは神太朗も同様だった。ジブトラストとカヨコファイナンシャルとは、資本は違うと香奈は言ったが、ジブトラスト系列が、証券会社名義として保有している長期保有する企業の企業分析をして、ジブ傘下の企業の価値を高めるのは神太朗の役目だった。神太朗の役割は増えていった。

カヨコファイナンシャルは変わっていった。

加代子中心の取引集団だったカヨコファイナンシャルは、持株会社のようにもなり、不動産チームは、価格が下がった時は、ダミー会社を使って、派手な買収劇も多く演じたが、急にバブルになり、都市部の不動産が急激に上がった時には、逆に買った不動産の中で、いくつかの不動産や以前から保有していた不動産までも、幾つかこっそり売っていた。その金で、なぜか安い、幾つかの地方都市の広大な土地を買っていた。結局、今回は不動産チームにはお金の配分もたっぷり貰ったのに、逆に不動産も整理した形になり、お金は、ジャブジャブになっていた。しかし、まだ何もしなかった。今回の地方都市の土地の購入は、単なる転売目的ではなさそうだった。ジブトラストの不動産管理チームから、転売してせこい儲けを取るよりも、不動産も価値を高める必要があると言われ、カヨコファイナンシャルの不動産チームも色々検討していた。加代子たちのグループ、特にそんなにかすりを取られないカヨコファイナンシャルは、一気に天文学的な金額を儲けたが、その儲けも、運用チームの付加給、エンジェルホープ財団への寄付、証券会社への増資そして、カヨコファナンシャルとしての株式保有、不動産チームへの多大な配分、税金などがかかり、売買差益だけを求めるよりも、株を大量に保有する事は、その場ではそんなに大きく儲けられる事でもなかった。カヨコファイナンシャルは売り抜けもそこそこ上手かったが、ジェットコースターのような相場でどんどんと儲けていたよりは少なかった。騒ぎが収まってしまうと、結局カヨコファイナンシャルとしての内部保留は例年より少し増えた程度になった。

エンジェルホープ財団

エンジェルホープ財団は、三病院の赤字補填をするために、基金のお金を使っていたが、一般からの寄付や保有株式の配当も入り、カヨコファイナンシャルからの寄付も高水準で、基金は少しずつ大きくなっていた。今度はカヨコファイナンシャルからの寄付は一気に増えた。基金も一気に貯った。資金がやたら豊富な財団になっていた。財団名義の大量の保有株の資産価値が大幅に下がって、一時青くなっていたが、吃驚してオドオドしていただけで、なにもせずに、じっとそのまま保有していたお陰で、資産価値はかえって上がった。しかし株の怖さは実感して、基金がたっぷり残っていた事もあり、債権や株式で運用しようと云う意見もチラホラあったが、基金は大事に現金で保有する事にした。カヨコファイナンシャルとしても株式保有も増えたから、寄付は、配当も出るし、株式比重を多くして寄贈してもいいよとの申し出も、ほとんどを現金にしてもらい、五分の一だけ株式の寄贈にしてもらっていた。もうこんな爆発的な寄付はないとは、誰もが思っていた。それでも要望の強い地方都市への進出を検討していた。基金の中で株式は手をつけずに現金だけで、どの程度維持できるかを慎重に検討していた。エンジェルホープ病院は展開すればするほど、赤字がでる病院だった。今は一般からの寄付も集まり、大きな赤字が出ていないものの、拡大には慎重だった。病院は、実質的に無料診察を続け、寄付と保有株式の配当以外に、収入がなかったので、当然と云えば当然だった。寄付や配当は、常に増減し、変動する性質の収入だった。現に不況になった時はガクッと減っていた。寄付や配当が少なくなった時も考えなければならない。それが三病院に留まっていた原因でもあった。しかしアメリカの地方自治体からも、日本での無料診察制度と無料検診制度を参考に、エンジェルホープ病院を中核にした医療体制をまとめて、それほどエンジェルホープ病院に大きな赤字がでないようにしたシステムを作り、熱心な誘致がされていたので、エンジェルホープ財団は、今回の多額の寄付を受けて、今までの大都市以外にも数箇所での病院建設に踏み切る事にした。カヨコファイナンシャルの不動産チームが購入した広い土地に建てる予定であった。医師や医療スタッフも募集して、地方自治体とも協力して、検診にも力を入れた体制を作り上げようとしていた。不動産チームは、エンジェルホープ病院を核として、都市再開発構想も練っていた。傘下に入れた企業もなぜかその地方都市に近かった。ジブトラストの不動産チームにも助言を求め、協力企業とも話し合い、試算や構想を色々と練り直していた。この都市再開発構想が、アメリカによくある企業城下町的な考え方を超え、企業と地域とが相互に好影響を与え、共に大きくなり、新修正資本主義の起点となっていく事はこの時には誰も判らなかった。初代次平の理念が、新しいアメリカの再生の先兵として大きくなっていく加代子たちの買収した企業群とこれらの地域病院によって、推進され、アメリカの医療制度そのものを変えていくキッカケになる事は誰も考えられなかった。そしてそれが、資本主義の象徴とも云える相場で得た金で推進されたとは、誰にもこの時点では判らなかった。

カヨコファイナンシャルはこう変わった。

加代子のグループは、自由な取引をする運用会社ではなく、保有株の調整売買と保有リスクを考えた先物などに重点をおいたグループに劇的に変わっていった。カヨコファイナンシャルは、ジブシステム上、神太朗のいたアメリカの証券子会社への出資も巨額になり、神太朗のいたアメリカの証券子会社は、加代子たちの比重が高い証券会社になっていた。カヨコファイナンシャルは、証券会社名義での株式保有もしたが、カヨコファイナンシャルやトラスト自身も多量の株式を保有していた。つまり運用枠は、保有株を持つ事で実質的に相当減っていた。今まで通り、ガンガン取引して儲けるよりも、カヨコファイナンシャルは、調整売買や先物でヘッジしながら取引をする事になった。加代子のアメリカの会社は、こうして劇的に変化していった。加代子は、今までは難しい事はアメリカの会社の責任者に任せていたが、劇的に変化していく重要な時期なので、この間、頻繁に開催されていた神太朗やアメリカの責任者たちとの秘密会談に出て、盛んに意見を言った。出産した直後で、子供も小さく、そんなこんなで加代子が神三郎と子供たちをつれて、のんびり温泉旅行に行く機会はなかなかやってこなかった。

加代子が作り、ニコニコホテルが運営したホテル

加代子も、九州のホテルが黒字とか赤字なんかはまったく気にしなかった。加代子専用の特別室のあるホテルが冶部ホテルになり、稼働率も上がり、名前は冶部ホテルだが、加代子との約束もあり、運営責任はニコニコホテルだったので、冶部ホテルは運営料も貰い、一定の利益配分で金が入ってきたが、ニコニコホテルも、比例配分で利益を貰った。それより、もっと大きな比例率でカヨコジャパンにも利益が入った。冶部ホテルのような高級ホテルの採算ラインは、精々50%程度の客室稼動率を設定して、宿泊料を決めていた。検診用とした建てた普通のホテルは客室稼働率の設定はずっと高く、65%としていたが、満員が続いていた。病院も満員だったので、エンジェルホープ九州病院とも話し合い、温泉設備を備えた、診察室や健康相談室もある、本当の検診のためのようなホテルを既に作っていた。病院とホテルの融合のような、リゾートのような、最初の心と体を休めるリゾートタウンの構想を、ニコニコホテルの福岡はよく知っていたので、そんな施設を作っていった。冶部ホテルとなってしまったホテルから引き取った備品もあったし、ニコニコホテル系列のホテルの客は、温泉設備は冶部ホテルとなったホテルの設備を使える事にはなっていたが、やはり以前のように気安く使えなかった。冶部ホテルはやっばり高級ホテルだった。下駄やサンダル履きで、浴衣着て風呂にはいるために行くような雰囲気のホテルではなかった。時には目つきの鋭いSPなんかロビーにいた。みんなが使いやすい設備も必要だった。ニコニコホテルは、みんなが使いやすいホテルにする事が、会社の社是のようなものだった。みんなが気楽に訪問できる温泉設備も作って、泊まり客だけでなく、この町に住む人にも入れる設備を作った。エレガントスパとは考え方が違った。ニコニコホテルは、そうした一角を、エンジェルホープジャパン病院を中心に作っていた。何故か、ここに冶部ホテル福岡の別館があったのは、不思議と思う人もいたが、冶部ホテル福岡の別館のロビーの一角は、愛染明王さんのお寺のようにもなっていた。長い間拝んでいる人もいた。ただ、それはそれで、結構落ち着いた町並みの一角になっていた。加代子がドーンと預けた大きなお金は、流石にこうした複数の宿泊設備や町並みの整備なんかに使われていくと、あんまり残らなくなった。ただそれでも冶部ホテル別館は高収益だったし、ニコニコホテルの各設備は、少しづつではあるが儲けていった。そんな事は、加代子は良く知らなかった。加代子は、加代子専門のようなホテルが大赤字になると思い、建設費とは別に運営補助のつもりで、ドーンと大きなお金をニコニコホテルに預けていただけだった。ただ加代子は、程々と云う金銭感覚がない人だった。加代子はお仕事で大きな金を簡単に扱うので、金の感覚は、大体ずれていた。病院建てるのに、10兆も動かす人だった。カヨコファイナンシャルジャパンも、神之助に運用委託したり、神子に株式の運用を頼んだりして、思わず増えていた。それに無料診察制度の廃止を見越して、エンジェルホープジャパン財団に寄付するために、作ったカヨコファイナンシャルジャパンなのに、エンジェルホープジャパン病院は赤字が出なかった。第二病院もエンジェルホープ九州病院も結局、赤字ではなくなっていた。ドーンと大きく儲ける事はないものも、エンジェルホープ財団は、病院を作るとさすがにドーンと大きく基金は減るが、少しずつ戻っていった、元々、大きな基金があったので、エンジェルホープ財団とカヨコジャパンの事務をしている人も何も言わなかった。今回加代子は青白い翼のようなものか出て、全身全霊で取引に打ち込み、加代子騒動と言われる時期は、数年間続いていた。この時期に加代子は、エンジェルホープ財団に基金を補充する事をすっかり忘れてしまっていた。エンジェルホープ財団は、知らない人たちがナンダカンダと寄付もして、病院も少しつづ利益を出して、基金は、少しずつ戻っていた。加代子は、カヨコジャパンとしてドーンと美術品を購入したり、ナンダカンダと一杯ホテルも作ったのに、神子と神之助が儲けて、カヨコジャパンとしては、保有する現金はかえって増えていた。それにこれらのホテルも稼いでいた。加代子は確かに、色々と連絡を受けてた。加代子は、そんな小さい金額どころの話ではなかったので、みんな任せると言っただけだった。ニコニコホテルは、元々小さい利益をコツコツと積み重ねる会社だった。小さい利益も稼働率が高く、積み重なると馬鹿にしたものでもなかった。それに、冶部ホテル福岡の別館は、細かい利益と云うレベルを超えていた。高い宿泊料金だったが、もう、空室がある事すら、珍しいホテルになっていた。加代子はそんな感覚はなかった、単に自分の別荘のつもりのようなホテルと、病院の隣の宿泊施設のような積もりだった。加代子が、ドーンと預けたお金は、一旦は、ごそっと減っていたが、又少しづつ戻り、返って増えていたと気付くのは、もう少し後の事であった。


「九州のリゾートホテルは、結構順調みたいなようだよ。レジャーランドも優花ちゃんの所のあのおっさんは、流石に商売は上手いらしいね。アミューズメント施設も作って順調だと、福岡から報告があったと小夜さんは、言っていたよ。綾子ちゃんも上手に運営しているようだよ。エレガントホテルも作って、エレガントスパを作ったのが原因らしいと福岡はみているらしいよ。それでもニコニコホテルの積もりで作った加代子ちゃんの別荘みたいなホテルも、いつの間にか、冶部ホテルになったみたいらしいよ。ニコニコホテルも、それ以外にいくつか建っているらしい。俊子さんも、よく知らないけど、加代子ちゃん用の特別室に偉いさんが、泊まりにくるので、冶部ホテルが応援している内に、有名になったらしいよ。備品も江戸時代の名品があると言っていたよ。ナンタラと云う有名な浮世絵もあるらしいね。愛染明王さんの仏像もあるらしいね。今はみんなキャンセル待ちの状態らしいよ。俊子さんは、ホテルの運営本部からの報告を聞いたら、東京の冶部ホテルよりも、空室がないホテルだと言っていたよ。ニコニコホテルも数が増えたのに、成績がいいと言っていたよ。」
香奈「私が、お不動さんの絵や仏像の手配を頼んでいるおっさんが、専門家に任せて、江戸時代の名品を買ったらしい。掘り出しものとか自慢していたよ。加代子ちゃんは、金銭感覚のない人だからね。どうせ、カヨコジャパンとして、ドーンと金を預けていたんだろう。」
「香奈さんも、そうだと思うけどね。でも、愛染明王さんは、お不動さんなの。」
香奈「私は、金持って死ぬる訳でもないし、相続税に渡すよりは、ましだと思って集めているのよ。私のコレクションは、私が死んだら、ほとんどは冶部美術館のものになるだけなのよ。そういう約束をしているのよ。愛染明王さんは、お不動さんではないけどね。珍しい仏様なのよ。まあ加代子ちゃんに合っている仏様かもしれないね。でも加代子ちゃんが、頼んだものでもないらしいよ。偶々オークションで出ていて、面白いと思った、専門家が安くセリ落としたらしいよ、何故かあの時期にあっちこっちで、数体続けて、出品されていて、みんな買ったらしいの。掛け軸も普段は、そんなには、いいものが出ないらしい。あのおっさんも、なぜあの時にあんなに名品が出たんだろうかと、不思議がっていた。こんな事は珍しいと言っていたよ。加代子ちゃんは、全然気にしていないらしいけどね。まあ、オークションは、そんなものだよ。買いたい時には、なかなか買えないもんだよ。」
「香奈さんは、大量に無利子国債も持っていて、相続税の免除金額も大きいのでしょう。」
香奈「あれは、陽太君の関係もあって、ジブトラストや香奈ファイナンシャルもそこそこ持ったよ。でもそんな事に絶対の信用を置くのは、無理だよ。色々な対策を取らないと駄目だよ。国債はやっぱり国債だよ。無利子国債は、社債以上の扱いで、返済の優先順序では結構強いけどね。神之助君は、色々とオーバーシーズで保有している無利子国債の売買もしているみたいだよ。」
「それはそうかもしれないね。小夜さんも色々と対策を取っているよ。でも新聞でも話題になった、高額のお不動さんは、誰が買ったかは判らないとか言っていたけど、香奈さんが買ったのでしょう。」
香奈「まあ、あれは、ぜひ欲しいと思ったのよ。アメリカのナンタラと云う美術館が、ナンタラと云われる仏師の作品と思い、結構本気で釣り上げたから、高くなってしまったのよ。あのおっさんも頑張ったと言っていたわ。元々日本の仏像なんだから、ナンタラと云われる仏師が彫ろうと誰が彫ろうといいのよ。日本に戻すのが、いいのよ。冶部美術館が、預かってくれる事になったよ。調べたい事もあるとか言っていたよ。そのうち、みんなにも公開するよ。青不動さんも、友達らしく、日本に戻れて良かったと言ってくれたわ。」

加代子たちの会社は経済研究所を計画していた。

ジブトラストの有力な取引中心の加代子たちのグループは、幾つかの有力企業を傘下に入れ、その上、かなりの株式を保有する会社に劇的に変わっていった。加代子の青白い翼のようなものは段々と小さくなり、加代子もすっかりおとなしくなった。取引も、機関銃ではなく、時期を選んで、頻度も量も減っていた。あっさりと早く帰ったり、お休みしたりして、子供たちと一緒にいる時間を増やしていた。神三郎の第二病院もそろそろ落ち着きそうだし、産まれた子供も、大きくなっていた。みんなで温泉旅行に行こうと話をしていた。加代子のアメリカの会社は、取引中心の会社だった。取引に制約を受けたくないと言って、株式を多く保有する会社の運営に、人も出さなかった。加代子がのんびりと取引している事も判っていた。社内ものんびりした雰囲気になっていた。しかし、秘密会談で多くの会社の株式を最終的に過半数に近い程保有しようとした時に、加代子が示した考え方に、実はアメリカの会社の責任者と幹部たちは、衝撃を受けていた。加代子は取引の大天才とは、骨身に感じていた幹部たちだったが、会社の業績や分析などは知らない、単なる神がかりの人だと思っていた。自分たちも経済や会社の分析などについて勉強しようと言う気持ちになっていた。どんなポロ会社も上がる時には上がる。どんないい会社でも下がる時には下がる。上がる時に買い、下がる時に売りと思っていた取引中心の人たちだった。企業分析なんぞは、ゴタクのようなものだと思っていた人も多かった。経済基礎研究所や企業分析研究所の報告は斜め読みにしたり、そこらに積んでいたが、しっかり読むようになった。しかし突然、読んでも判らない事もあった。取引だけの研究センター以外に、経済の事も知ろうと思い、家庭教師のつもりで、カヨコファイナンシャルとしても経済学研究所をつくり、助言を受ける事にした。ただやたらと金はあったし、見栄も張りたいので、偉い先生にも声をかけていた。そんな事を知らない若い取引の小天才たちは、やたらと張り切っていたが、前回のハードワークも堪えて、取引もそれなりにセーブしていた。それに人を出していなくても、株式を多く保有していると自ずと制約もあった。少しは会社の運営も勉強していこうと言う幹部たちもいた。単に売買差益だけを求めるよりも企業そのものを伸ばしていった方がいいのかもしれないと考えて、やっぱり役員にも入り、経営も勉強していこうと言う意見も出ていた。ビジネススクールでは所詮ゲームのような経営理論であったが、今回は経済研究所は、本当の経営のための研究であった。加代子の会社は、運営スタイルで、今は少し揺れていた。

ジブは実業傾斜の度合が益々進んでいった。

神之助のグループも、巨大化した金融センターを管理して、元々ジブトラスト内で保有する現金をどの通貨で保有するのが望ましいかを検討しているグループでもあり、商品相場もジブトラスト内での実需の流れを見ながら運用しているグループでもあった。いつもいつも投機的な取引をする必要もなかった。加代子の会社が劇的に変わっていく内に、神之助も投機的な取引は滅多にしなくなった。 リトルチャも海外の運用子会社に置いてある金額が膨れ上がり、色々と子会社を作っている内に、銀行の頭取にした彼の意見で、海外の小さい銀行にもダミー会社に出資させて、海外の金融ネットワークをより充実させる事に目が向いていた。チャタロウの組織していた会社は海外に多かった。そうした会社にも役にたった。リトルチャは、あっちこっちと決算対策や節税対策だと言って、動かしてるうちに、主に資金の動かした方に興味が出てきて、金融を中心にして、脱投機に向けて、少しづつ舵を切っていた。

リトルチャの国際金融ネットワーク

あの小さな銀行の頭取になっていた彼は、そうして独自の存在として知られてきた国際金融ネットワークを手土産にして、もう一つの大きい銀行と合併して、もっと大きくなったもう一つの大きな銀行の頭取になる野望も持っていた。もう一つの大きな銀行からもそれとなく合併も呼びかけられた。猫の子分のような立場で小さい地方銀行の頭取ではなく、香奈ファイナンシャルを後ろ盾にした、巨大な銀行の頭取になれるかもしれないと思った。リトルチャも、そんな巨大な銀行を基盤として、大きく儲けられる機会が増えるこの合併案に賛成すると思って、相談した。リトルチャは、自由度が効かなくなる、そんな合併案には、何の興味を示さなかった。独自の国際金融ネットワークを作っていきたいと言った。それに、リトルチャは、彼に言った。正人は、資産家のボンのように見えても、なかなかしっかりしているし、元々銀行の頭取には何の魅力も感じていない。そんな正人だから、逆になんとかもう一つの大きな銀行の頭取は、そつなくこなせた。香奈ファイナンシャルを後ろ盾にしても、もう一つの大きな銀行には、色々な有力筋も絡んでいる。たとえ、もう一つの大きな銀行の頭取に、なれたとしても、又派閥抗争に巻き込まれ、短期間の頭取になるかもしれないよ。いまの銀行を核にして、自分たちの工夫で、多くの協力を得て、独自のネットワークを作っていった方が、君のためにもなるよと言った。神一からもそれとなくリトルチャに話はあって、リトルチャの国際ネットワークとは別にして、彼を一族の銀行の最高首脳に入れてもいいとまで、こっそり言われていた。一族の銀行のジブトラストグループの株式保有率は、もう一つの大きな銀行と大きな差はないものの、一族の銀行では、一族推薦では長続きがする可能性も高かった。しかし、神一は、元々人間ばなれした天才だよ。付き合うのも大変だよ。自分のペースで運営していった方が君のためにもなるよとも言った。リトルチャは、チャタロウのように人情、いや猫情あふれた猫ではなかったが、人材は得がたいものだと知っていた。猫たちの今後のために彼を失いたくはなかった。彼はリトルチャチームの中核と言えた。また人を育成するのは、大変だった。正人は、交渉相手ではあったが、決して軽視していなかった、正人に比べれば、彼は、国際業務ではなかなかだが、化かしあい、はぐらかし、詭弁の技は、正人には比べようもない、それが大きな銀行の頭取には必要だとも思っていた、神一は、比較するまでもなく天才で、一族の銀行では、神一の後継者どころか、やたらと頭の冴えている人たちがうじゃうじゃとしている中から、神一が判断して、ちゃんと話を出来る人を育成している段階だった。そんな所に彼を出すのは、忍びなかった。それに第一、猫たちの気持ちを判る人は貴重だった。リトルチャは才能をある人を大切にした。チャタロウも、チャタロウチームの意見を尊重していた。リトルチャは、チャタロウのそういう姿勢を評価していた。彼も、巻き込まれた派閥抗争を思い出した。リトルチャは、大きな方針を守れば、自由に運営を任してくれていた。彼も、巨大な銀行でなくても、今のように自分の采配で運営していける銀行の方がいいのかもしれないと思い出した。銀行本来の役割は、伸びる企業に援助していく事だと少し思い直していた。リトルチャがあっちこっちと隠している資金は膨大だったので、銀行などの金融機関にも、色々な通貨の金を貸す事もはじめていた。信用問題はあるものの、普通の状態では短期間で少ない口銭とは云え、あっちこっちと金を回すと、年間を通すと、結構口銭が取れたし、為替も使い、更に口銭を増やす事も出来た。リトルチャとも、そんな話をするようになっていた。もう一つの大きな銀行との合併話もいつしか消え、一族の銀行ともう一つの大きな銀行とも、部分的な協力関係を作る話が出来ていた。独自のリトルチャ国際決済システムは、一族の銀行やもう一つの大きな銀行と云った、巨大な銀行グループにつかず、離れず、独自の立場が、逆に評価されてもいた。多くの銀行が、こっそり使う国際決済システムのようになっていった。

リトルチャとチャタロウの違い

リトルチャは、彼以外にも、リトルチャの金融グループの幹部たちやダミー会社の幹部たちを香奈の家の近くの会議室に時々呼び、それとなく意見を聞き、皆の意思の統一を図り、リトルチャの金融グループの意思疎通を明確にするように努力した。その会議では、リトルチャグループの大きな方針を決定して、権限委譲をして、その人たちの能力を存分に使えるようにしていた。これはチャタロウの運営方針にも影響を受けていた。しかし異なっていた点もあった。チャタロウは、自分の子供たちを秘書のように、あれこれと仕事を分担させた。リトルチャは自分の身内を重用する事はなかった。リトルチャは実力主義だった。配下の猫たちは、優秀だったが、チャタロウたちと違って、やっぱり阿吽の呼吸とは言えなかった。配下の猫たちとの意思疎通も行い、人間たちとの意思疎通が必要だった。それは、投機の仕掛け以上に、時間と精力のいる仕事だった。そのため、従来の取引は、それぞれの子猫の子猫たちのグループに任せるので、天才的と呼べたリトルチャ独自の仕掛けを考える時間は、減っていった。

ジブでは投機は影を潜めた。

これらの三つのグループは、チャンスを狙っている姿勢は変わらないものの、ジブトラスト関係では、投機的な取引は次第に影を潜めて行った。相場師の神元は、社内のみんなに説得されて、そんなに自由には取引も出来なくなっていた。神元の実業の会社は大きくなっていた。そんな事をしていると実業に響き、結局儲からないと詳しく説明された。相場師の神元も、びっくりする位、実業で儲けていた。そうして神元は、自分たち少数のグループで実需の連中とも話し合いをさせて、その中で、コツコツ得意の商品相場だけで、神元独自の考え方で相場をする程度になっていた。

九州事業は発展していた。

九州では、泉の水はコンコンと湧き出て、工業用水のために掘った井戸は次々と見つかり、町全体に飲料水を供給して、下水を処理して、工業用水に変換できる最新浄水設備も猫たちのアイディアで作った。徹たちの未来エネルギーシステムの発電機も、九州の猫たちのためと煽てられたラッセルが研磨したレンズを入れた最新式の発電機を入れて、エネルギー効率も高かった。九州では、自治体も絡んでいたので、自家発電とはせずに、ある電力業者と組んで、発電所を作っていた。優花の会社のあのおっさんは、自分の支配下の高級のお元気レストランも計画して、冶部ビル福岡の責任者も調子にのって、お元気レストランを中核とするレストラン街も作った。ジブ交通九州の新交通システムも利用客が増え、便数も増え、便利になっていった。冶部ビルの福岡の責任者は最初の意気込みはすっかり忘れて、儲かる従来のショッピング街やレストラン街などの運営に熱中していた。元々その人は、そんな事に優れていた人でもあった。みんなが忘れてかけていた最初の構想の心と体を休める町構想は、ニコニコホテルが少しづつ作っていた。ハイテク素材の大きな工場をリトルキャット九州をつくり、食品関係の加工施設もあり、牧場や養豚場、農園も作り、一方では、カジノのようなアミューズメント施設、ネットゲームをする施設もあり、高さ何メートルのジェットコースターや馬鹿でかい図体のレジャー施設もあり、ナンダカンダとアトラクションも開催されて、ナンダカンダと大きな町になっていった。敷地の近くのジブシティーは、怪しい施設は最初はそこそこあったのに、ジブの年寄りたちがウロウロして、社会福祉研究所も活動が盛んになって、恵教革新派は、真面目な良家の子女風の人が多く、大聖堂によく集まっていたので、みんなのプレッシャーを受けて、経営がしずらくなり、撤退していった。坊さんや神父みたいな人たちには静かな町で、真面目な町でもあるが、面白みがなかった。それにジブトラストの不動産チームがナンダカンダと討議して、機能性も持ち、理想的な環境で統一感を持って作った町だった。一方、ここはうるさい奴はそんなにいなかったし、それにこれらのカジノや怪しげな店は、レジャーランドの一角に集まっていたので、町としては、活発な都市になっていた。工業団地などの工場ゾーン、牧場、養豚業などの畜産場、農園、海面養殖場、通常の漁業、水産加工施設を初めとする食品加工施設、従来の住民の家と山麓に建っていた高層マンションを中心とする住宅ゾーン、以前からのリゾートホテルそして金ピカのエレガントホテル、エンジェルホープ九州病院の近くにあった、検診用だったニコニコホテルなどのリーズらブルな宿泊施設、和風調の冶部ホテルなどを中心とした「心と体を休める」ための宿泊設備や小さい診察室、そして初めはレジャーランドに付属するようなできたショッピングゾーンもあっちこっちと拡大して、小さいショッピング街も出来ていた、歓楽街まで出来ていた。九州新開発は、この都市の全部の土地を保有していたわけでもなく、広い土地を保有していたが、全体でみれば、やはり一部だった。他にも色々な考えの人がそれぞれ建物を作り、それぞれ活動をしていた。混迷しているようでも、最後は多くの人の考えが自分たちの考えで寄り集まってきた都市に、つまり普通の都市であった。当然活気もあった。神一の息子の神幸は、九州は、冶部一族の発祥の地とか言って、大きくなったこの都市の不動マンションの運営にも係わり、ここを自分の地盤に簡単に変更した。陽太の考えていた隠し玉が神幸であった。神幸は、無料診察制度の維持には本来そんなに関心もなかったが、陽太親衛隊の勢いが強い事を知り、自分は陽太の甥に当たり、無料診察制度は、初代次平以来の冶部一族の悲願だと言って、初代次平の逸話もさり気なく紹介し、みんなの支持を集めていた。ほとんど住まないのに、わざわざ家も買っていた。みんな、軽く騙されて、ジブ関連の企業の従業員の支持も堅いと言われていた。流石に神一の息子だけあって、頭は良かったし、演説も上手かった。

牧場の隣の猫ハウスに集まって食事をしていた猫たちは、何故か、やたらと賢くなり、猫語翻訳機を使い、リトルキャット九州のチームとも議論するようになった。リトルキャット九州のチームは、チャタロウの指揮下にあるチームだけに、猫たちの能力を軽視する事はなかった。現地の猫たちも次々とアイディアを出し、ハイテク工場の研究室や食品加工施設でも活躍するようになっていった。直接研究所や大学院大学には行けなくても、今はネットもあった。猫の手ロボも助けになった。拡大していくこの町の事を猫たちを除いて、敷地内のだれもが知らなかった訳でもなかった。香奈はチャタロウから時々相談されていた。俊子も、冶部ホテルの福岡から、海外の偉いさんが泊まるのに、応援に行く事を了承して、他の客室のグレードも上げて、結局冶部ホテルの名称をつけるまで了承した。ジブホームホテルのような運営委託にする事も了承していた。聖子や有希は、流石に金になる事には逃さなかった。しっかりと把握して、聖子は安いよの大型店を出し、有希もブランドショップや和風までそろえた冶部洋服の店を出して、張り合っていた。ただ知っていた人は超高齢者や高齢者が多く、自分では行かなかった。聖子も行かなかった。だからみんなの実感はなかった。

新しいエネルギー革命はもう直ぐ完成しそうだった。

夢野は、エンジェルスターとパワースターを泉の近くに栽培するように助言した。その後調べるつもりだったが、あのレアメタルの解明に気が取られ、こんな九州の事は頭から消えてしまっていた。プーチンから紹介され、リトルキャット関連企業となった研究ベンチャーの人たちの発想は今までの夢野たちにない発想を持っていた。彼らはあのレアメタルの事はまだ知らなかったが、今の徹たちの作った自家発電機の能力を活気的に高める工夫をしていた。夢野たちは、まったく新しい発電システムを考えていたが、統合して考えると、今の自家発電機も利用できるし、新しい発電機の能力も高める事もできそうだった。少なくとも実用化には、より現実性が出てきた。ラッセルの特殊技術を機械で完全に再現する事は難しいものの、今の自家発電機にあのレアメタルを加える事で、発電能力が飛躍的に伸びる事が可能となりそうだった。新しい発電機も今までの発電機を取り入れて、機械的に研磨した特殊なレンズでそれなりに発電できる目途もついてきた。ラッセルの天才的な研磨技術を目の当たりにして、刺激を受けた、天才肌の研磨技術を持つ人間の職人も、やはり諏訪にいた。発電機の研究は、なんとなく、ゴールが見えてきた。

エネルギー革命と言っていた徹の話を、こっそりと大介は聞き、少しは参加しようと思い、カミヨエンジアリングが再生に関与していた未来テクノアメリカの関係会社に、新しい蓄電機の技術を研究している会社があった。発電機そのものに関与するのは手遅れでも、蓄電機はまだだろうと、人の成功をパクル癖が出て、その会社に大幅な増資をして、徹に、我々も研究に協力したいと提案した。今ごろナンダとも思った徹だったが、一応夢野に聞いた。発電機は飛躍的に能力が伸びるが、電力使用量は常に上下する。自家発電機としての性能としては、蓄電作用によるものが大きい、高性能の蓄電機を組み込んだ発電装置が有効で、我々と補完できる面白い発想だと言うので、夢野の下に混合研究チームを編成して、あのレアメタルを利用したエネルギー発生メカニズムの更なる解明と新しいエネルギーシステムを研究していく事になった。研究ベンチャーから派遣された人や未来テクノの関連会社の人も敷地内のマンションで暮らして、頭もやたら冴えてきた。プーチンやそれ以外にもいた資源関係を勉強していた若い猫たちとも交信できる猫チャンネルができつつあった。猫語翻訳機とは違い、頭の中での交信なので、日本語や英語も関係なかった。猫、猫と馬鹿にしていた最初とは違い、真剣に皆で討議していた。拡大敷地内と九州での発電機のデータも蓄積されていた。あのレアメタルもストックが増えていた。

話題のレアメタルを使った薬も実用化されそうだった。

製薬も忙しかった。話題のレアメタルを利用した薬は、本来子会社の筈だった、フランス安部製薬が、EU当局からの強い要請の元に、スイスカナコインの医学研究所と共同で薬をドンドン開発していき、競争していた。加代子たちが買収した製薬会社も研究スタッフが揃っていて、今話題のレアメタルに強い関心を持ち、開発を進めていた。製薬として、今まで研究してきたし、色々とデータは豊富だった。神太朗はみんなで協力して開発しようと言って、みんなそれで納得して、開発連絡会議も作り、無駄な重複を避け、開発を進める建前だったが、今まで研究していた製薬としては、この開発の主導権は製薬が取りたかった。製薬は大忙しだった。製薬はこんな田舎の九州の調査までしようとする気がなかった。

あのレアメタルは、本当は凄い可能性を持っていた。

一方、栽培されたエンジェルスターやパワースターは勝手にやたらと茂り、山の中のあっちやこっちに群生していた。井戸の水や川の水どころか温泉の水まで、分岐状の水やリング状の水は増えていった。あのレアメタルは、話題になったレアメタルと違い、水に溶解せず、リング状の水や分岐状の水を直接発生させる事はしなかったが、微量の粒子がリング状の水を包み、より安定化させる効果があった。あのレアメタルは、ここの山では地表近くには多く含まれていた。そして話題のレアメタルそのものを包むように保護していたので、ここらの水には、リング状の水が発生していなかった。泉はあのレアメタルの被いが偶々切れていた部分だった。森の動物たちはそれを知って、ここの水を飲んでいた。ここらの動物は賢いと昔から猟師は知っていた。そこにエンジェルスターやパワースターが栽培され、製薬もほったらかしにして、どんどんと茂り、香奈オフィスも話題のレアメタルとあのレアメタルをどんどんと採掘していったので、話題のレアメタルもどんどんと地表表面に顔を出し、あっちこっちと微粒子がばら撒かれ、あのレアメタルも微粒子としてばら撒かれ、リング状の水も分岐状の水の濃度もどんどんと増え、しかも長期間安定し、更に話題のレアメタルの作用は持続していた。エネルギー用途とは別にしても、大きな可能性があった。そんな所で栽培していた農産物はやたらと大きくなり、味も良くなっていた、養豚場の豚の肉は美味しくなり、牧場の牛乳も美味しくなった。そこに遺伝子研究センターで勉強していた猫たちの工夫が加わった。農作物は引っ張りダコとなり、食品加工施設の商品も飛ぶように売れていた。食品や農作物は、精々九州一帯から西日本に販売して、残りは、アジアとアメリカにも一部プレミアム製品として輸出していた。チャタロウがアメリカの企業に投資したのは、こうした目的もあった。アジアは富裕層が遊びに来て、農作物や食品の美味しさに魅力を覚えたり、数は少ないけれども、遊ぶ事よりも、リトルキャット関連企業や不動総合の工場の工場見学に行き、リトルキャット九州の人と話して商売にしようとした人もいた。

ジブタウン東京は拡大し、ジブトラストの再開発と協力していた。

敷地内の数少ない人は、この町が大きくなっている事は知っていたが、多くの人は何も知らなかった。正人も財産管理会社と思っていた毛利不動産や毛利ビルの財務なんかにそんなに興味もなかった。経理書類はチェックして、利益がやたら上がっている事は知っていたが、香奈オフィスのレアメタル採掘による利益が入っていた事を知っていたので、それだろうと簡単に思っていた。小夜も流石に、冶部ビル福岡の利益が五倍を超えて、急拡大している事は、当然知っていたが、レアメタルでの利益が冶部ビル福岡にも九州新開発を通して流れていたし、ジブタウン福岡が好調だった事やあの町のリゾートホテルが好調な事は知っていた。福岡は、あの町へ行くためには、一種のベースタウンになって、人の出入りも増え、より一層好調になっていた。ただ小夜も結構歳だったので、それ以上はそんなに詳しく聞かなかった。ジブタウン東京の拡大を検討している時だけに、東京を除いて、冶部ビル本体にお金を集めるために、各地の冶部ビルの配当率を少し上げていた。冶部ビル福岡や大阪の利益が急増している時期とも丁度重なっていた事も都合が良かった。東京でのジブトラストの不動産チームとのジョイント開発も7:3で出資比率は少ないものの冶部ビル本社が出資する事になり、福岡からの高配当やジブタウン大阪が好調な大阪からの配当が大きな支えとなった。ジブタウン東京も、本来のジブタウン東京エリアの再開発分は、元々仲が良かった名古屋からの出資と本体からの出資を受け入れて、ジョイント開発と同時にジブタウン東京の再開発を進める事に、漸く決まった。ジブトラストの不動産チームも運営は、ジョイント部分は、冶部ビルに運営委託方式で任せてくれ、商業ビルでは実績のあった冶部ビルのソフト力を評価してくれ、ジブトラストが運営する商業ビルについても、レイアウトやテナント選択などのかなりの関与を認めてくれた。大きなゾーンが冶部ビルの再開発の対象になった。冶部ビルは、ジブタウン東京に担当させたが、冶部ビル本体も当然ピックプロジェットなので、調整に忙しかった。これは大きな事業で拡大ジブタウン東京とも云える大きな開発だった。小夜は九州の事なんかにそんなに拘っている時ではなかった。小夜も忙しかった。

チャタロウとリトルチャの運営方法

九州の事業には、猫資金があっちこっちと多額の資金を出していた。この資金はリトルキャット基金と運用子会社群から出資を受けたリトルキャット九州が出していた。多額の投資が一瞬にして回収できた訳でもなかった。少しずつ収入が入り、利益が増えていっていた。リチルチャ、チャタロウそしてリトルチャたちは、敷地内からは、一歩も出なかった。現地見学などはしたくても出来なかった。九州事業には、リトルキャット九州からの報告と本体とも云えたリトルキャット運用会社のチャタロウの企画調査チームの議論や、販路として狙っていたアジア、アメリカでの調査を全体として考えて、判断していた。現場を直接見る事は、一見すると重要そうだが、大名行列をして、現場の責任者の業務を止めさせて、結局一部だけしかみていない事もある。最高責任者が全てを見る事は出来ない、現場からの意見を最大限尊重し、直ぐに意思決定して、現場に任せる事が一番重要だと、チャタロウは思っていた。これは神太朗も昔からそうだった。神太朗は、そんなに外に出なかった。人を信頼して、任せるのが、大事だ、現場からの意見を尊重し、多方面での情報を集め、現場ともよく話し合い、広範囲な手配り、素早い決断と権限委譲が大切なんだよとチャタロウに何気なく言っていた。チャタロウは素直な性格だったので、それに従っていた。それに、リトルホワイトは、今は人間の世界だ、猫には猫権もなく、人格権すらない。モノ扱いでしかない。我々が前面にでる事はかえってマイナスだとも言っていた。それも参考にしていた。

リトルチャの異常な儲けは、以前の神がかりの水準からは、確実に減っていっていた。それでも相当な儲けはまだ維持しているように、正人は経理の書類から感じていた。海外からの配当は相当な水準で推移していたが、もうそれほどの勢いは、もう感じなかった。運用額は云われている額よりはずっと多いとは思っていたので、利益率としては、さすがに減ってきたなと正人は密かに感じていた。リトルチャは投機よりもリチルチャの金融チームの統一性の保持が重要となり、投機を考える時間は減っていた。

ココは一発倍増路線に戻っていた。

チャもココも猫としては、超高齢だったが、まだまだ元気だった。ココは、細かい取引で、リスクを取って細かく稼いでいたが、金も貯まり、細かく稼ぐ事は子猫たちに任せ、ココとしては、従来の一発倍増路線に戻った。ココは、自分のチーフ猫としての運用枠の中で余裕をもって投資するつもりで、一発倍増路線に沿って、ボロ株を自分で研究し、選んで、その株を子猫たちに買わせる事にした。これは、ココの株式投資の原点とも言えた。株式投資の制約はやたらとあったが、それをかいくぐって、大きく下がった株を買っていた。ココもリトルキャット運用会社で子猫たちが長期保有をしていた事も知っていたので、その保有株の保有リスクも考えて、先物は、売り主体で考えていた。株価の大きく下がりそうな局面では、先物の売り残を増やすように指示していた。現物の株式では、ココとしては、ドーンと下がった株の中で、一発倍増しそうな株を購入していた、ところが、ココも超高齢猫だった。昔の感覚で、株を買っていた。今のココは、運用枠は、昔と違っていた。ココのチームの運用枠は制限もなく、細かく稼いだと言っても、増えつづけて、膨大になり、ココのチーフ猫としての運用枠も膨大になっていた。思わず買いすぎてしまった。ナンタラ報告書も必要となった。ジブトラストが、それは出してくれた。高いシステム料は、そんな手続き代も入っていた。

ココの一発倍増路線の失敗

買っていた会社は、そんなに大きな会社でもなかった。所謂ボロ株で、株価も安かった。香奈ファイナンシャル国内の香奈特別基金としての株式保有率は、馬鹿にした比率でもなかった。株価は長い間低迷していた。ココは、少しづつ買い増していたつもりだったが、かなりの株だった。このポロ株は生意気にも信用銘柄だった、このおっさんの会社の浮動株は少ない筈だった。このおっさんとおっさんの一族が分散して、30%程度の株式を保有していたのに、株価が下がる時の売買数量は、発行済み株式に近いづいていた。このおっさんとおっさんの一族は、さすがに株式を売る事もなく、当然信用でも売らなかった。証券会社に預けていた株があった事は事実だった。何連続ストップ安になり、株価は思い切って下がった、売買数量も増えた。一日の売買株数量が、発行済み株式に近づくのが、おかしいと思う人は少なかった。最初にココが買った価格より、何連続ストップ安にもなり、思い切った安値になった。ココの目算は外れた。普通なら損切する所だったが、何故か、ココは損切もせず、辛抱強く、更に下値で買い続けて、平均購入価格を下げた。ココの保有株式は、ドンドンと増えていた。実質的には、暫くの間、ココが下値を支えていたと言う程、買っていた。やたらと保有株式が増え、業界でも話題になった。何故、香奈国内は、こんな株を集めているのだろうとみんな不思議がった。それでも暫くすると、我慢していた甲斐があって、株価はやっと上がってきた。浮動株も少なくなり、上がる勢いも増えてきた。ココの買っていた株式の平均購入価格が、今の価格よりは低くなった。なんでも新製品が出来たようだった。ココは喜んだ。この会社は新製品を出すと、利益が急増して、株価もドーンと上がる会社だった。ただ少し経つと、大手に類似製品を出され、販売網や維持管理に欠けるこの会社の製品はジリ貧になり、利益が落ち、あせって、ドーンと開発費用をかけ、赤字になり、又次の新製品を出すまで低迷し、株価もそれにつれて低迷する会社だった。今度の新製品は、開発費用もやたらと使い、なかなか画期的なものらしい。これからドーンと上がり、暫くは高値を維持する筈だった。ドーンと上がれば、この間に少しづつ売って大儲けと喜んでいた。

ところが、ここからは、以前とは違った。その会社が、なんと正人に挨拶に来て、今後ともよろしくと言って、業績の説明を詳しく説明したり、やっと出来た新製品の説明をしたり、香奈ハイテクのお手伝いをしたいとか言い出した。ロボット工学研究所とぜひ協力していきたいと言い出した。正人も経理の事は判るが、技術の事をペラペラと喋るおっさんだったので、勝と勝彦に、そのおっさんに会ってもらった。その会社は、通信機器を作る会社だった。GPSとか云う、現在位置の確認ができる機械を改良して、車のナビターみたいなものに、パソコンみたいなものを組み合わせ、ATSみたいなものまで組み合わせた新製品が出来ていた。行き先をセットすれば、混雑個所を避けて、最適のルートを示してくれし、地図情報システムと道路情報システムと車間距離確認システムみたいなものを組み合わせていた。車間距離確認システムを改良して、物と物との間を確認するシステムを位置確認システムとを組み合わせて、ロボットの遠隔操作をより精密にできる通信機器みたいなものをロボット工学研究所に売り込みに来た。

勝は技術屋

そのおっさんは、純粋の技術屋で、経理なんぞは判らず、技術開発に金を使いすぎ、大赤字を出して、株価を下げても平気なおっさんだった。技術は強いので、新製品を出せば、ドーンと儲かる筈だった。今までもそうだった。自分の会社の技術を、香奈国内が評価してくれたと勘違いしていた。勝と勝彦は技術屋だったので、このおっさんとは気が合った。そのおっさんに、ロボット工学研究所の工場を見せたり、自社の研究所を見せたり、自分達の研究所のような感覚で、ジブ総合研究所の研究所もみせた。勝のロボット工学研究所やジブ総合研究所は秘密の塊みたいなものだった。普段はそんな事はしなかった。秘密保持契約をして、仕事の話をする時だけに見せていた。勝は、このおっさんの技術開発力を高く評価していた。ロボット工学研究所の技術革新にも役立つと思い、このおっさんに見せていた、このおっさんは、研究設備や研究スタッフに驚いた。ぜひ一緒に仕事をしたいと、勝に言った。このおっさんは、優秀な技術者だった。一代で、このおっさんの技術で、会社を大きくした。波乗りみたいに、業績はデコボコしていたが、このおっさんが、次々と出す新製品が、会社を支えていた。勝は、色々な話をする内に、このおっさんの技術開発力を高く評価していた。技術屋の勝は、技術屋としてのこのおっさんを評価していた。勝は、単なる技術屋だけでなく、技術屋を評価する事の出来る人でもあった。それが、機械の技術担当として、多くの会社の技術を評価していた勝の特技とも言えた。

経理屋の意見と営業の意見

一方、正人は、このおっさんの持ってきた経理書類を見た。酷いものだった。昔の商店で、売上をザルに入れて、要るだけ使っているような、会社だった。資金計画なんぞもないし、新製品を出しても、それを販売する経費も営業網も不足しているし、今後の開発の金も足りない、一発当てて、余韻で儲けて、金がなくなったきて、慌てて次の新製品の開発をして、大きな金を使い、赤字になるような、一発狙いの会社だった。ただこのおっさんの技術力は高く、このおっさんが熱心に開発した製品は、優秀な製品だったが、フォローする人もいないので、このおっさんが走り回って営業をして、新製品を売り込み、それでドーンと儲けるが、その間、開発はお留守になり、新製品の細かい改良は出来ず、大手にその点をつかれ、類似製品を出され、やがて、新製品の魅力が消えてきて、売上は低迷して、このおっさんが慌てて、次の新製品の開発に取り組み、ドーンと金を使う。その間、今度は営業はお留守になり、経理に人もいないので、無計画な資金繰りをして、次の新製品が出るまで、赤字で苦しむ。要するに、経理に人がいない。営業網が不足していて、それを構築するにも金も足りないと思った。政則と健次郎が偶々、正人の部屋に来て、これを見た。政則は、こんな経理書類を作って、平気な経理屋のいる会社は駄目だと素っ気無かった。健次郎まで出てきて、これは酷い、これで、よく会社が続いているね、新製品が出来ないと直ぐにつぶれるよとか言い出した。経理屋の超高齢者や高齢者たちがガヤガヤ言っていたので、健太郎、洋治や徹まで話に加わった。この三人の意見は少し違った。洋治は、色々な会社と共同開発してきた。何か不足している部門があれば、化学として、その部門の足りない所を補って、関係する企業を応援する事で、その企業も助け、化学も儲けてきた、共存共栄は洋治の経験から出た言葉だった。甘いと言われる事もあったが、洋治はそれで一応成功していた。健太郎は、鉄鋼の営業総括として、色々な会社の営業力も見てきた、リトルキャット系列の販売会社の力は大したものだった。健太郎は、もう超高齢者だったので、そんなにウロウロとはしなかった。それでも色々な人と会い、色々な話を聞いて、そう思っていた。徹は、あっさりと正人に言った。そんな会社には、経理や管理の人を出して、金を出してやればいいんだよ、技術はいいんだろ、勝さんは誉めていたよ。正人は、経理の出来る奴らを紹介できるだろ。リトルキャット系列の販売力はしっかりとしていると健太郎さんは言っているよ。そこに頼んでやれよ。そうすれば、金も大した金額は要らないだろ、必要なものを出して、育ててやれよ、それが投資じゃないのと言った。政則は、経理屋としては超一流だった。香奈ハイテクの経理体制は、政則が構築していた。それをくわせ者と言われた徹彦が管理体制を整えていた。未来テクノの経理や管理体制も、コバンザメのような大介が、政則や徹彦の真似をしていた。健次郎も老練の経理屋だった。健次郎は、菊子金属や冶部金属の経理体制を作り、冶部金属の経理もそれとなく見ていた。菊子金属や冶部金属に行った赤川は営業に強く、元々ジブトラストの管理に属していたので、管理への配慮も忘れなかった。政則は、勝の技術力や徹の全体的な見通しの中で、経理を考えていた。それはそれで大した事だったが、徹や勝みたいな人はそうそういないし、政則みたいな、コンピューターみたいな経理屋もそうそういないものだった。健次郎は、経験のある老練な経理屋だったし、菊子金属や冶部金属の技術力は、世界的なものだった。赤川の営業力も大したもので、今や赤川は、鉄鋼業界を代表する長老とも名経営者とも言われていた。二人の経理屋は、そんな人たちの中で、会社の経理を担当していた。技術や営業や管理には、それなりの人と云うより、優れた人がいる組織だった。経理屋としても、そんな人たちと協力して、経理としての意見を伝え、会社の資金計画を作成し、会社の長期的な方針を作る時に、キチンと意見を言うのが経理の仕事だった。家計簿みたいな書類をつくり、電卓を叩いているのが、経理の仕事ではないのだ、二人は、超一流の経理屋だったので、いい加減な経理屋の仕事には我慢できなかった。しかもそんな経理屋がいる会社には、信頼も出来なかった。会社を維持し、大きくするために経理として方針を提案するのが、本当の経理屋の仕事だと思っていた。

正人は、単なる経理屋ではなくなっていた。

正人は、天才的な経理屋の政則とは違い、経理屋としては少し劣っていた。経理書類は酷いとは思っていたが、今の正人は、単なる経理屋ではなく、全体を見る感覚も出来ていた。勝が誉め、営業に詳しい、健太郎や洋治は、育ててやれと言った。徹は、もっと積極的に応援してやれ、ちゃんとした人を送りこみ、体制を整えるための金を与えれば伸びる会社だと言った。勝は、技術力を高く評価していた。正人は、経理書類は酷いが、天才的な経理屋がいないと言うレペルの問題でもなく、老練な経理屋がいないと云う問題でもなく、単にキチンとした経理屋とかキチンとした管理能力のある人がいれば、伸びる会社かもしれないと思い出した。経理や管理に人を派遣して、金を出せば、本当に大きく伸びるかもしれないと思った。正人は、今までそんな事をした事がないので、香奈に相談した。香奈は簡単に言った。経理や管理に、キチンとした人がいれば、ポロ株と言われる会社である筈がない。営業にちゃんとした人がいれば、とっくに大きくなっているよ。そんな事は、言われるまでもなく、判りきった事だよ。何か問題があるから、ボロ株といわれているんだよ。政則君は、コンピューターみたいな経理屋だよ。徹さんみたいな人には、使いこなせて、徹彦みたいな管理のプロみたいな奴と一緒に仕事してこそ、生きる人なんだよ。徹彦は、地味なくわせ者だけど、管理には、優れている奴なんだよ。健次郎さんは、老練な経理屋だよ、営業、管理そしてサポート体制が整った、世界のナンタラと云われる鉄鋼みたいな会社では、その能力を生かせる人だよ。菊子金属や冶部金属では、経理や管理体制を作ってもらったよ、でも菊子金属や冶部金属には人もいたよ。赤川は、ジブトラストの管理にいた時に、有村と同じ雰囲気があったから、菊子さんを手伝うようにさせたんだよ、アイツは結構、営業に強かったね。経理や管理体制は、重要だよ。でも経理がしっかりしている会社だから、その会社の製品を、みんなが買う訳でもないんだよ、新しい技術、新製品に魅力があるから、製品を買うんだよ、菊子金属や冶部金属が、経理がしっかりしているから、みんなが買ってくれたと思うのかい。技術が優れていたから買ってくれたのじゃないか、会社を維持し、大きくなっていくのを支えてくれるのが、経理や管理体制なんだよ。あのおっさんの技術開発力は勝も誉めていたよ、そのおっさん次第だよ。経理や管理の人を受け入れて、増資に応じて、会社を伸ばしていこうとあのおっさんが思うなら、そうしなよ、企業分析研究所の奴らと相談して、プランを作って、そのおっさんと相談しなよ。チャタロウとも話してみろよ。チャタロウはそんな話はキチンと聞く猫だよ。チャタロウはしっかりした販売網を作ったよ、ココには、私が言ってやるよ。でもこんな事は、もう正人が考えないといけないよ。正人は経理屋としては、実業の経験もなく、スーパー経理屋の政則君に比べたら、劣っているよ。それは正人も判っているだろう。しかし、政則君にないものを、正人が持っている。それは、交渉力だよ。人を説得する力なんだよ、詭弁とかはぐらかし、化かしあいとも、言うけどね。それも、大切な事なんだよ、あのおっさんとキチンと話してみろよ、経理の書類みてるだけじゃいけないんだよ、何のために、高い銭を出して、企業分析研究所を作ったと思っているのかね。

ココの一発倍増路線の失敗例

ココは、突然上がるボロ株を見つけて、儲けてきた。ボロ株ながら、ビカリと光るものを持っており、可能性を評価されるが、やはりポロ会社なので、ナンダカンダと欠点が見えてくると、株価は急落するパターンだった。ココは、上がれば直ぐに叩き売った。香奈も若い頃は、それで儲けてきた。ココもそんな所があった。

しかし、今回はあのおっさんは、素直に喜んで、元々不得手の経理に人を紹介される事を受け入れて、増資もしたいと言った。企業分析研究所の分析に感心していた。ロボット工学研究所の設備や研究陣にも感心していた。あのおっさんは、ロボット工学研究所とも一緒に仕事をして、自分の得意な開発や研究に専念していきたいと言った。

ココのボロ儲けは、今回は出来なかった、でも香奈は、ココに言った。叩き売って儲けても一時の事だよ。あのボロ会社が大きく伸びて、ポロ会社でなくなれば、今回の儲け以上の金が、毎年入ってくるかもしれないよ。これから先は、正人に任せなよ。と言った。

正人の取った方法

正人は、香奈国内事務局とリトルキャットにいた、もう一つの大きな銀行の退職者たちと相談した。チャタロウチームに行った人たちは、盛んに事業計画なんぞを作り、新しい会社を作ろうと頑張っていた。高給を貰い、金勘定、つまり経理書類を見ていた人たちの中にも、このおっさんの会社に入り、会社を大きくしようと思う変わり者もいた。正人は、こんな変わり者たちを、このおっさんの会社に送り込み、経理と管理を担当させた。正人が出していた報酬は、香奈国内やリトルキャットの好成績を反映して、高いものだったので、出向とかの形にして、報酬も今まで通り、出した。その上、あのおっさんの会社の成績が上がれば、もっと出すと約束した。チャタロウにも相談して、チャタロウチームのリトルキャット系列の会社でも販売してもらうようにした。

チャタロウは、ココが、大きな株を持ち、猫基金と云えた香奈国内の香奈特別基金が更に出資をしようとしている会社なので、協力できる所は協力するようにとチャタロウチームの会社に言った。チャタロウチームの国内の会社は、チャタロウが幅広く、投資していた事もあって、ナンダカンダと増えていた。今回の九州事業は、ハイテク素材と食品を製造する事になったが、チャタロウチームは、それらの製品を販売する会社だけでもなかった。今回の事業計画を作る時に、自分たちの事業計画が採用されなかった人たちもいた、このおっさんの会社の通信機器は、それなりに製品評価は高かった、ただ製品の改良が遅かったり、サポートも不満足だったりしていた。このおっさんの会社の製品を販売して、製品の改良を速やかにさせ、サポート網もしっかりすれば、売れると思った会社もあった。チャタロウにも、その事を言った。チャタロウは、香奈国内としても出資して、会社の体制も充実させると聞いている。改良点があれば、ドンドン要望すれば、いいと言った。正人は、香奈国内の香奈特別基金とロボット工学研究所から、このおっさんの会社に増資する事にした。一応、一部ではないものの、上場会社でもあったので、過去一ヶ月間の平均株価で、割り当て増資に応じる事になった。その期間ではほとんどの間、株価は低迷していたし、連続ストップ安みたいな時も含まれていたし、上がり出した時も含まれていた。チャタロウチームの会社は、販売体制や製品改良などの連絡網について、このおっさんの会社と協議する事になった。あのおっさんもロボット工学研究所に指導を受け、ジブ総合研究所の研究所とも協力して、幾つかのパテントも使う事にもした。

香奈特別基金は、長期保有株を持ってしまった。

あの会社は、あのおっさんの個人会社みたいな会社でもあった。あのおっさんが一代で作った会社だった。あのおっさんは、おっさんの技術力が独創的で、一時期、通信業界の革命の旗手として、知られていた。香奈は、正人には、言っていた。あのおっさんは、あの会社を作った人だよ、あのおっさんの技術力が、あの会社を支えてきたんだよ、あのおっさんの顔の立つようにして、あのおっさんやその一族が筆頭株主になるようにしなよ、あのおっさんの技術開発力があの会社の財産なんだよ、それを生かすようにしなよ。増資だけでなく、香奈オーバーシーズからの特別融資も、必要なら考えなよと言った、香奈国内の香奈特別基金は、程ほどの株式保有にしたし、ロボット工学研究所も、お付き合い程度の出資比率だった。ココがやたらと買っていたので、あまり出資してしまうと、あのおっさんたちの保有比率より、結局香奈国内としての株式保有率が上回ってしまうので、出資額は押さえた。それに上場も維持したかった。金は、当然不足するので、その分は香奈オーバーシーズから、安い利息での特別融資の形を取った。国内香奈の香奈特別基金に、過半数の株式は保有しないものの、極めて影響力の強い会社が出来てしまった。このおっさんの会社は、一応上場企業で、香奈特別基金が増資しても、上場は維持した、上場企業でもあったので、知らせるべき事は知らせなければならない。これだけの事を発表しただけだったのに、株価は、期待感で一気に上がった。

ただ、あの会社が急成長するのには、時間が必要だったと普通は言いたい所だが、ロボット工学研究所のロボットの遠隔操作装置は、採掘用ロボットに直ぐに役立ち、機械の作っていた産業用ロボットにも有効だった。色々なコードを引きずりながら、動いたロボットがすっきりした。ロボット工学研究所や機械は、自分たちの販売網を持っていた。改良した製品は当然売ったし、あのおっさんの会社からも色々な製品を買ったり、技術のバテント代も払って、自分たちで、改良した製品を発売した。チャタロウチームの会社との販売体制の協議もまとまり、チャタロウチームの会社も販売した。あのおっさんの技術力は大したものだった。営業力やサポート網が不足していた時でも売れた。きっちりとして販売体制になれば、当然もっと売れた。あのおっさんも慣れない、セールスなんぞするより、製品の改良をした方が、仕事の効率もよかった。ロボット工学研究所との技術協力は、あのおっさんの会社にも、ロボット工学研究所にも役にたった。その上、リトルキャット九州も協力して、アジアとアメリカのリトルキャット系列の海外の販売網が動きだした。ヨーロッパやアメリカの販売会社の未来テクノも、儲け話には、すりよってきた。あのおっさんの会社は、新製品も見直して、改良もしたし、既存製品も改良した。あのおっさんは優秀な技術者だった。あのおっさんが、熱心に開発や技術をみれば、技術開発は、急速に進みだした。今までは、あのおっさんが開発や技術をお留守にして、慣れない営業をしていたが、今度は、あのおっさんが大手の製品の改良品を出していく事もできた。それにロボット工学研究所やジブ総合研究所の協力も得られた、リトルキャット九州のハイテク素材も、使い出した。あのおっさんの会社は、儲けだした。機械やロボット工学研究所も儲かった。あのおっさんの会社は、業績も伸び、配当もそこそこ出した。ただ、まだまだ組織は、整備している段階だったし、借金も香奈オーバーシーズ以外からも一杯残っていた。香奈の言ったような、買った価格に相当するような配当では、まだなかった。しかし、ポロ会社と言われたあのおっさんの会社は、一躍、通信関連会社の注目銘柄になってしまった。製品は海外でも注目されてきた。投資金額も高く、まだそんなに利益が、驚異的に伸びたとは云わないものの、少しづつ上がってきた。しかし、株価は、驚異的に、何倍にも上がった。株価は、先を見て上がるものだった。

ココのぼやき

ココは、配当なんぞチマチマ貰うよりも大儲けがしたかったので、不満げではあったが、チャは慰めていた。
チャ「ジブも少し変わってきたから、仕方ないんだよ。スイスカナキャットでも長期保有株を持っているよ。今後の猫軍団のためにもいいのかもしれないよ。」
ココ「あんなに上がった株を売れなくなるなんて。今売ったら、大儲けだよ。業績が伸びたといっても、もう直ぐ、やっぱり、下がるのよ。ドンドンと一直線に上がる事はないのよ。株とはそう云うものなのよ。今売って、下がった時に買えば儲かるのに、それが出来ないのよ。香奈さんは、あの会社では、もう、そんな事をしてはいけないと言うのよ。大きな出資をしている資本と経営とは、信頼関係が必要だと言うのよ。もっと長い目でみていく方がいいと言うのよ。」
チャ「でも結構、配当を貰っているじゃない。これからも業績は伸びそうだよ、チャタロウの協力会社も販売していくと言っていたよ。スイスカナキャットの保有株は、まだあんまり配当もくれないんだよ。香奈オフィスの配当は結構貰っているけどね。」
ココ「スイスカナキャットで、スイス総合企画と一緒に保有している会社は、将来伸びるよ。上場したりすると大変な価格になるよ。医学研究所も、薬の開発費用は高いけど、本当に薬を出せば、儲かるよ、水差しだけでもそれなりに儲けているらしいじゃないの、そうだね。そんな考え方もあるかもしれないね。でも、こんな事は、正人さんやみんなの助けがいるよ。」
チャ「チャタロウやリトルチャも、人間の協力を貰っているよ。」
ココ「あの子たちのやり方は、正しいのかもしれないね。貴金属勘定の子たちも人間たちの協力を貰っているみたいだね。この頃は、真理さんたちともよく話をしているみたいだね。」
チャ「僕達も少しつづ変わっていかないといけないのかもしれないね。」
ココ「そうかもしれないけど、私は今まで通りでやっていくわ。また突然上がりそうなボロ株を探す事にするよ。そんな事は子猫たちに任せるしかないわ。私たちはもう歳なのよ。もう変わった事をする歳じゃないのよ、」
チャ「まあ、僕もそんなには変われないけどね。チャタロウやリトルチャたちの意見もよく聞くようにしていくよ。」
ココ「チャは、子供に甘いからね。時にはしっかりと怒らないといけないのよ。それが親の役目なのよ。」
チャ「まあ、それはそうだけど、二人とも頑張っているよ。黙って応援してやるのも親なんだよ。」
ココ「あの二人は、特別な猫だとは私も思うよ。でも時には、チャもはっきりと意見を言うのが必要なんだよ。あの子たちを超える猫たちが出てくる事が、猫軍団に取っても必要なんだよ。あの二人もそれに気づく時がくると思うよ。その時に、チャの意見も思い出すよ。」

ココは、一発倍増路線を貫いた。

ココも元気とは云え、超高齢猫だったし、頑固だったので、自分のやり方で、投資を進めていた。あのおっさんの会社の株価はついに、ココが買っていた平均購入価格の5倍を超えた。あのおっさんが、業界の風雲児として、上場した時は鳴り物入りで、株価は駆け上がった。その時に、つけた瞬間最大高値さえも超えていた。ココは、絶対、これがピークだと思った。あのおっさんの会社の株価は、上がったり、下がったりする株だったので、今度もそうだと思っていた。香奈が売るなと言っていたので、売らなかったものの、正人には、盛んに、ぼやいた。絶対もう下がるよ。今売ったら、大儲けするのにと、ぼやいた。年寄りのぼやきは、人でも猫でも、聞いている人には、苦痛だった。正人は、超高齢猫のココが、盛んにぼやくので、ある考えが浮かんだ。

ココは香奈国内の猫口座で運用していた。名目的には、香奈国内の事務局名義だった。一方、国内香奈の香奈特別基金も香奈国内の事務局名義であった。要するに、対外的には、どちらも香奈国内の事務局名義で変わりなかった、香奈国内としては、ココの管理する猫口座も、正人が管理する香奈特別基金も結局は、同じだったのだ。おのおっさんの会社の株式も、ココが市場で買った株も、正人が割り当て増資で、取得した株も、同じ香奈国内の事務局名義で差はなかった。要するに、香奈国内の銀行口座から、猫資金の証券口座に、あの株の市場価格で、お金を移せば、ココは売った事になった。しかしその分、香奈特別基金の銀行の口座残高は減り、証券口座の口座残高は増えるが、香奈特別基金としては同じ事だった。香奈特別基金は、ココの運用により、運用利益の5%を、運用手数料名目で香奈国内の香奈特別基金の銀行口座に移し、ごきげんソフトと言うか、ジブトラストに運用利益の10%を、システム手数料名目で渡して、香奈国内の利益をすべて税処理して、ココの猫口座にも、比例配分して、運用枠拡大に使われていた、リトルキャット運用会社の利益も莫大で、香奈国内の利益も莫大だったので、実効法人税率は、50%を超えていた。香奈国内は、不動財団や恵の財団に多額の寄付をしていたが、法人税率はそれでも最高クラスの法人税率だった。

陽太と云うか竹花の爺さんは、法人税率は、所得が上がれば、ドンドン高くすると云う血も涙もない税制にしていた。ある程度従業員の総数や払う報酬によって差はあるものの、ごっそりと儲けれれば、ごっそりと税金を取った。しかも課税率はドンドンと上げていた。ごっそり儲けても、課税率の上がり方の方が急なので、かえって手取りは減ると云う事まで出た。陽太の考えでは、ごっそり儲けた法人は、一定の範囲で社会福祉法人などに寄付したり、雇用の機会を増やしたり、従業員たちに多く配分するのが、当たり前だと思っていた。それが金を儲けた法人の責任であり、福祉を進め、国民の購買力を高めている国に対する義務とまで考えていた。会社は利益を上げるための組織ではない、雇用の場を提供し、社会に役立つ商品やサービスを提供するための組織で、利益は組織を維持するために必要なものにすぎないのだとの、純子の考え方が、知らず知らずに陽太にも浸透していた。これが寄付文化を作った面はあった。寄付すれば、制限はあるものの基本的には、所得から引かれた。税金控除団体への寄付は、更に控除も増えた。所得の課税クラスを下げる寄付をすれば、結局、手取りは増えた。寄付は今や公認の節税対策なんぞになっていた。配当に対する税金は低くする分離課税なんぞと云う特例は、陽太によって、とっくに廃止されて、全ての所得には、同じ税率がかけられていた。さすがに日本の成長を阻害すると懸念が出て、陽太が総理を辞めたので、成長のためには必要とか云って、配当への税率を下げるとか所得が上がっても、税率を上げないフラット税率を一部採用しようとする論議は進んでいたが、まだ議論途中だった。

要するに、一度、株式を売って、利益として出してしまうと、ジブにも金を渡し、税金もごっそりと取られ、お金は、半分以下になってしまっていた。香奈国内事務局の銀行口座から、証券口座への移動には、特に負担もなかった。それに切人との協議の上、香奈オーバーシーズでの香奈国内の株式比重は、香奈海外の配当の半分を、相殺する事にしたので増えていた。香奈海外の配当は高かった。正人は、香奈オーバーシーズに対する香奈国内の出資比率が増えていくのに従い、少しは香奈特別基金を、香奈国内の利益を考慮しながら、増やしていた。香奈特別基金は、ココの運用利益の5%やリトルキャット運用会社からの配当が入るだけでなく、大きく増えていたので、そんな事は、なんでもなかった。

正人は、ココに提案した。ココが売った事にして、その分の運用枠拡大として、ココが買っていた平均購入価格に、運用利益と想定される分の半分を、加えた金をココの証券口座に増やすので、それで納得して欲しいと言った。実質的には、売った時に拡大する運用枠よりも、ココの証券口座の運用枠は拡大していたので、ココも納得した。株式の名義は何も変わらないので、あくまでも、ココと正人の間の取り決めにすぎなかったが、あのおっさんの会社の株式は、正人が管理する香奈特別基金に移った事になった。

ところが、ココの予測とは違い、あのおっさんの会社の株は、結局長い目でみれば、上がりつづけた。確かに、株なので、上がったり、下がったりしていた。ココの言う通り、ココの買った価格の5倍をつけた時から、暫くは下がり基調だった。経理や管理体制を確立したり、営業網を整備したりするのには、時間もかかった。借金を返すのにも時間がいった。技術開発費も要った。数年間は、上がったり、下がったりしてながら、少しづつ下がっていった。結局、ココの買った価格の3倍程度の価格が底になり、その時点から、上がりつづけた。ココは、もう底と判断して、正人にも相談した。

これには訳があった。ココの買う株は、ボロ株なので、大体配当なんぞはほとんどくれなかった。でもほんの少しはくれる会社もあった。ココは細かくボロ株を下値で買いつつけるので、多少は配当も入ってきた。配当は、香奈特別基金の銀行口座に振り込まれるので、正人は経費とか税金とかを調整して、ココの証券口座に移動していた。ココは通常そんな配当なんぞは気にしなかった。しかし、正人がこれだけの金額を証券口座に入れたよと言って、書類をココに見せてくれた。あのおっさんの会社からの配当は、結構多かった。調べてみると、結構な配当金額になっていた。香奈がいったココの平均購入金額の同じとはいえないものの、馬鹿にした金額でもなかった。それが毎年続く、釣り落とした魚は大きく見えるような気がした。売れない株ではあるが、ココは香奈の言った通り、本当に配当が増えてくるかもしれないとも思った。それに今の株価はやっぱり底のような気もしていた。それで正人に相談していたのだった。しかし香奈特別基金の保有していた株式は、あのおっさんやあのおっさんの一族などに分散していた株式とほとんど同量の株式保有数だった。

正人は、経営は今まで通りに、あのおっさんに任せるから、少しだけ保有株式を増やしてもいいかと聞いた。あのおっさんは、今では国内香奈グループに属する会社の積もりだったし、ロボット工学研究所との協力関係も出来、チャタロウチームの営業体制にも感心していたので、香奈特別基金として保有株式を増やす事を承諾した。それに業績は結構良好なのに、今までのあのおっさんの会社のように思う人がいて、単に調整売りとは言えない程、ズルズル株価が下がってきた事も少しは気にしていた。正人は市場で買うと言っていたので、株価も少しあがるとも思った。ココは、さりげなく、下値であのおっさんの会社の株を買った。下値ではココの買いが入った。そのため、あのおっさんが期待したようには、株価は上がらなかったが、株価の下げはとまった。ココは下値で買い支え続けた。大体あのおっさんとおっさん一族の持ち株よりそんなに多くはしなかったが、やっぱり国内香奈の保有率は上がった。ココが買ったので、ナンタラ報告書も出した。世間は、あのおっさんの会社が香奈国内の完全な傘下に入ったと大げさに受け取った。資金力の豊富な香奈国内が、全面的にこの会社をバックアップする事の決意だと大げさに受け取った。そしてあのおっさんの会社は見直された。それが契機になって、上がり続けた。株とか運用には、ちょっとした契機が、大きな変化を呼ぶ事も多いのだ。実際に高利益が続き、体制が完全に整った時点では、香奈が言ったように、ココが最初に買っていた平均購入価格以上の配当が毎年出るようになった。ただ、それは大分、先の事であった。

それは兎も角、香奈国内の猫口座の運用枠は、その時点ではココが大儲けした事になり、増えていた。 ココは、チマチマ買う時もドーンと買う時もあった。一瞬の勝負と思う時と少しは時間をかけてと思う時の差があった。ココは、恐怖のココとして、ココの子猫たちに恐れられていた。元気で頑固な年寄りは、もっと怖かった。ココがドーンと買えと言うと、それでは平均購入価格が上がるので、チマチマ買った方が、安く買えますよなどと言う子猫はいなかった。みんな、従ってドーンと買った。子猫たちは、リトルキャット運用会社の取引もみていて、忙しかった。ココに逆らうような馬鹿な真似はしなかった。ただ、売る時は大体ドーンと売る事が多かった。 ココは、チーフ猫だったので、自分たちのチームの運用全体をみていて、リスクのとり方などを厳しくいった。ココも流石に猫資金全体の事も考えていた。リトルキャット運用会社の長期保有株やチャの保有株、ココが買い、正人が管理する香奈特別基金に移動した保有株の保有リスクも考えて、ある程度の局面では、先物の売りを多くした。十分上がった時とか、ドーンと上がり続けた時とか。株式は好調と言われていても、突然ドーンと下がる事もあるのが、株式だった。ココは老練の株屋でもあったので、ココが懸念する時は、やっばり日経平均は下がる事が多く、先物ではそこそこ儲けた。これは、今のジブトラストの運用そのものに似ていた。ココは、自分の投資は、運用枠の余裕の範囲内で投資した。ココが考える、その余裕の範囲の運用枠はドンドンと増えた。そうして、ココの買う量は、半端な量でもなくなっていた。何しろ株価の安いボロ株なのだ。

正人は、少し変わってきた。

一方、正人は、あのおっさんの会社への割り当て増資以来、香奈国内の香奈特別基金の保有株について、ある程度の保有株については、企業分析研究所に、分析を依頼するようになった。

ココの一発倍増路線は成功する事もあった。

ココの見つけてきたボロ株は、相場マジックみたいに、株価が動く仕手株みたいな株も、当然あった。ドーンと下がって、特に売上が上がった訳でもなく、利益が増えた訳でもなく、単に下がりすぎたと言う理由で何割も上がる株もあった。優良株も大きな損を出すと、ボロ株みたいな動きをするのが、相場だった。ココは相場猫だったので、そんな株も当然ドーンと買い、ドーンと売った。買う時は売板の何枚分も一気に買い、売る時も買板の何枚分も売った。若い頃のココはチマチマ買い、チマチマ売ったが、やっぱり歳のせいか、気が短くなり、チャのドーンと買い、ドーンと売る手法にも影響された。一気の売買は、儲けは少なくなるが、一瞬で勝負がついたし、相場マジックみたいな株は、揺れ動く株だったので、有効だった。大儲けする事もあったし、そんなに儲けられない時もあったし、損する事もあった。しかし、こんな株は、一瞬の勝負なのだ。ココはもう老練な株屋だったので、多くは大きく儲けた。

株価が上がったのに、ココが売れなくなる時もあった。

普通のポロ株は長い間低迷していて、ココは下値で根気よく集めた。これがココの若い時からの手法であった。中には、企業分析研究所も感心するような将来性のある会社もあった。そして不思議な事だが、そんな会社は、正人にもキチンと挨拶に来た。ナンダカンダと経理書類も持ってきて、詳細な会社の事業報告をする会社もあった。もっと不思議な事にそんな会社は、チャタロウチームの会社と、なんとなく関係のある製品やサービスを扱う会社が多かった。ただ、ボロ株と言われるには、それなりに欠点があった。財務が不安定とか、販売体制が弱いとか、夢みたいな戯言を言うのに、実現のための方法がしっかりとしていないとか色々だった。勿論、キラっと光る一面もあって、その可能性が、突然ドーンと上がる原因だった。そんな可能性は、大概の場合、特殊な技術力だったのが、もっともっと、不思議な事だった。更にもっともっともっと、不思議な事に、正人が企業分析研究所の分析書を見せて、会社をキチンと大きくするプランを相談すると、みんな、香奈国内に技術を評価されたと喜んで、積極的に人を受け入れて、香奈特別基金に割り当て増資を割り振った。ココが買うのは、ボロ株が低迷していた時なので、割り当て増資の金額の割に、保有株式は多かった。

不思議な事と云うのにも、少し訳があった。ココは、チャタロウチームの会社を大きくしたいとか、香奈特別基金として、長期保有株を持ちたいなんぞの事は、けっして考えなかった。みんなと協力して、将来性のある良い会社を見つけて、大きく育てようなんて、殊勝な事を、決して考えてはいなかった。従来のように、一発倍増路線で株を探していただけだったが、その判断基準に、いい技術を持っているかどうかと云う項目も加わっていた。そして、ココやチャの子猫の子猫そして子猫の子猫の子猫、要するに、ココやチャファミリーの技術担当の猫たちに、色々と聞いた。当然そうした猫たちは、チャタロウチームの会社にどこか関係する技術に注目していた。そうした技術に強い会社の話が出るのは、むしろ当然だった。ココは老練な相場猫だったので、ヘッジファンドのような事もした。しかし、じっと安値で買い続け、上がるのを待つのは、そうした一面を持つボロ株が多かったのも、ある意味当然かもしれなかった。

香奈特別基金は、ジブトラストとは違った手法を取った。

香奈特別基金は、買収みたいな事をせずに、今までの経営陣の顔を立てた。正人は、神太朗みたいに、企業運営のプロみたいな連中を探す事は、出来なかっただけの事だった。正人には、まだそれほどの人脈も組織力もなかった。精々経理や管理に詳しい、もう一つの大きな銀行の退職者の連中を送りこんだり、チャタロウチームとの販売協力を斡旋する程度だった、それでも香奈特別基金の抱える人は増えていった。そんな小さい会社では、高い報酬も出せないので、香奈特別基金が報酬の差額を出し、香奈特別基金の所属として、各会社に出向のような形で人員を派遣した。出資する相手先の会社の意向も確認して、出資した、過半数取って支配しようとは思わなかった。単に融資を受けたいだけなのか、それとも何らかの部門を補充したいのか、出資比率に拘るのか等々の条件を聞いた。正人の送り込む人は限定的だったので、既存の会社の組織の協力が不可欠だった。そうした会社は、香奈ハイテクとの協力関係も考える事もあった、金が足りないと、香奈オーバーシーズからの融資も考えたし、正人が影響力があった、もう一つの大きな銀行にも話をして、もう一つの大きな銀行から融資させる事もあった。今までは、もう一つ大きな銀行の依頼で協調融資に応じるだけだったが、逆に香奈オーバーシーズから協調融資を求める事もあった。もう一つの大きな銀行も金を出すので、色々と調査して、香奈特別基金がそんな会社に、もっと援助をするように求めた。管理体制の確立、営業の充実、技術の更なる向上などを助けるように要望した。それに答えるように香奈特別基金は、援助できる人員の確保を急ぎ、ジブ総合研究所に色々な研究を依頼なんぞして、ナンタカンダと色々な人の協力を巻き込んでいった。それでも正人の送り込む人は限定的だったので、みんなの協力は必要だった。そんな事の調整は、正人の得意な技と言えた。それは協力を求める会社には、都合が良かった。不動総合企画は、全面的な面倒を見るが、経営権どころか、ほとんどの権限は不動が握り、完全支配のようにして、企業を再生させていた。そこまでの状況ではないが、協力を求めたい企業もあった。香奈国内に支援を求める会社が増えていったのは、そんな事が関係していたのかも知れなかった。

香奈特別基金での長期保有株は増えていった。

一発倍増の機会は、いつもいつも転がっている事はなかった。偶にあった、そうしたその偶にあった機会の幾つかの場合には、こんな事もあった。ココは、超高齢猫だったが、益々元気になって、ココの一発倍増路線は、結果としては、幾つかの会社を、香奈特別基金で、長期的に多量に保有する事に繋がった。そして、チャタロウチームの会社は、取り扱い製品を増やし、チャタロウチームの会社は大きくなり、そうした会社も大きく成長して、香奈特別基金の配当収入は、増えてきた。更に不思議な事に、ジブ総合研究所との協力関係も出来て、ジブ研究所の研究ベンチャーも儲かり、そうした会社も更に儲かった。

香奈特別基金の資産は増えていった。

そうした会社は、時間はかかったが、結局化けた。あのおっさんの通信機器の会社も、少し経つと世界でも有名な通信機器の会社となり、香奈特別基金への配当も莫大だった。香奈特別基金は、保有する株式の時価総額での資産価値と云う回りくどい資産価値の算定方法ではなく、保有する現金も増えていった。 香奈が初めに考えていた香奈特別基金の総額は、香奈国内として一千億相当だったが、リトルキャット運用会社は稼ぎ、香奈特別基金の金は増え、ココもココのチームの運用利益の5%づつ増やしていった。ココの買っていたポロ株も、優良株に変身していき、配当も馬鹿にしたものでもなかった。ココは自分の方針を頑固に守ったので、ココの証券口座の長期保有株のほとんどは、市場では売らずに、正人の管理する香奈特別基金に移動し、正人が管理する香奈特別基金が保有する株式に変わっていった。そしてココの運用枠は増えていった。ただ、ココも、あのおっさんの会社が高配当の会社になった事も知っていた。ココは頑固な猫だったので、多くは正人の管理する株式にして、時価と収得価格との差額の半分を貰い、ココの運用枠を増やしていったが、少しはココの管理する証券口座が保有する株式にも残すようにもなった。ココも少しは変わっていた。

香奈特別基金は、変質した。

香奈特別基金は、何時の間にか、優れた技術を持ちながら、大きくなれない会社の応援をするファンドみたいになっていた。ココが、市場でボロ株を買わずとも、香奈国内に頼みにくる会社が増えてきた。正人が、一つの大きな銀行の退職者を中心とする、経理や管理の経験者が、経理や管理の面倒をみて、営業網がしっかりしたチャタロウチームの国内の会社が、営業を担当した。それで大きくなった、つまり一言で化ける会社が増えていった。

でもこれは、本当は不動総合企画がしていた仕事だった。不動総合企画は、もう大きな会社になって、都心に大きな高層ビルを作り、不動総合が多く出資していた会社の事務所を集め、不動グループビルを作り、不動グループは、大きなグループと言われていた。不動総合企画は、会社を再生させる会社として有名になり、不動総合企画の社長は、今や時の人だった。神二郎は、そんな騒ぎを苦々しく思っていたが、いかな神二郎でも、みんなが浮かれていたのを、静める方法は思いつかなかった。現実に、不動グループの利益は、急拡大していた。そんな不動総合が、小さい会社の細々とした相談にのって、会社を大きくする方法を考える筈もなかった。大きな資金をバックに、大きな会社の再生に重心が移っていったのは、やむを得ない事だった。それに不動総合は、全ての権限をすべて不動総合に任せろと言った。それが、再生の成功方程式だと言った。今までの資本を大事にしてとは言わなくなっていた。それが駄目なら、企業再生などはしないとも言った。やはり、自分たちも今までの経験もあった。今までの資本も大事にして欲しかった。そうした小さい会社は、自分たちが築いた技術だけを頼りに、香奈国内の正人に、頼みにきた。正人は、ジブ総合研究所の企業分析研究所だけでなく、技術関係の研究所らにも頼み、その技術を伸ばす方法や、相談された企業が大きくなる方法を考えてもらった。そして、正人が経理や管理の経験者を集め、送りこみ、チャタロウチームの会社に、営業を任せ、香奈特別基金から増資して、香奈オーバーシーズから金を貸し、もう一つの大きな銀行にも話して、融資させる事もした。正人は忙しかったので、多くの人を巻き込み、みんなを説得して、みんなの力を合わせるようにした。正人は、もう一つの大きな銀行の退職者たちの世話をしていたが、もう一つの大きな銀行も、そんなにドンドン辞めるわけでもなく、定年退職した人も、巻き込んでいったり、もう一つの大きな銀行出身以外の人もやはり増えてきた。それでも、やはり限定的な人たちだった。それだけにみんなの力が必要だった。チャタロウチームの会社も大きくなり、資金需要も増えたが、それは、リトルチャが作って、リトルチャの腹心の部下たちが運営していた銀行が応援していた。

元々小さい会社が多かったので、香奈特別基金の負担も大きくなかった。香奈ハイテクも色々な材料や器具なんぞも作ってもらって、助かった事もあった。不動みたいに、全部資金を出し、株式も過半数以上、持つ事もなかった。あくまでも応援だった。しかし、そうした会社はやがて、自分たちで考えて、会社を大きくしていった。チャタロウチームの会社は、製品の改良点とか、サポートの充実とかは、要望した。しかし、自分達が、そんな会社の内部に入りこむ事は考えなかった。そんな人もいなかった。所謂、資本をバックに、買収して、会社を取り込んでいく手法ではなかった。チャタロウチームが、こんな製品を作ってくれと言って、新しいラインの工場を作る金を出資していく事も偶にはあったが、あくまで協力工場だった。そしてドンドン出資比率が増えて、チャタロウチームの傘下になる事もなかったとは言えないが、それはそれだった。ただあくまで相手先企業の同意を取って行う事だった。

香奈特別基金が、多く保有する会社は、こうして、少しづつ増えていった。香奈特別基金の出資している株式の比重は色々だった。元々技術を持っていた会社の意向も考えて、出資していった。香奈特別基金が大きくなり、利益も上げていった事は、神二郎も知っていた。神二郎は、利益がドーダコーダとは思わない人だったが、偶々、リトルキャットの運営について、正人に相談するために、香奈の家の二階の正人の部屋に来て、打ち合わせをした。香奈特別基金が出資して、大きくなった会社の経営者の人が、香奈国内の事務局の人と話しているのを聞いた。その人は、不動総合企画では、応援を断られて、どうしようと思ったが、香奈国内の正人さんが助けてくれました。我々の資本も大事にしてくれて、経理や管理だけでなく、技術も育ててくれました。ジブ研究所にもお世話になりました。最初のパテント代も香奈国内が援助してくれ、差額まで出してくれました、配当も、無理しない程度でいいよ、今は内部保留を多くしなさいと言ってくれました。正人さんに、お礼したいと言ったら、正人さんは、猫たちを大切にしてくれ、香奈特別基金は、本当は猫基金なんだよ。猫たちを大切にするのが、お礼だよと言われました。リトルキャット財団には、少しですが、寄付させていただきました。 本当にそれだけでいいのでしょうかと、香奈国内の事務局の人に言っていたのを聞いた。

神二郎は、ショックだった。不動総合企画の創立の理念はどこに行ったと思った。不動総合企画の連中は、ある大きな会社を再生させた。それで、大きな利益も入っていた。でも神二郎は悲しかった。儲けるために、不動総合企画を赤字でも頑張って維持してきた積もりではなかった。困っている人と一緒に努力していく組織を作った積もりだった。不動総合企画は、神二郎直属の部隊は、不動マンションの住人を再生させるために、努力していた、しかし、不動総合の主流は、ある程度大きな会社を再生させる事が多かった。それも再生だが、そんな事でいいのかと一人で、危機感を持っていた。しかし不動総合は、もう大きな会社だったので、神二郎一人では、もう大きな方針を変更する事も出来なかった。神二郎は、多くの仕事を持っていた。そしてみんなにそれぞれ権限委譲もしていた。精々、神二郎直属の部隊で、神二郎の方針で、不動マンションの人の再生に力を貸す事しか出来なかった。みんなの力を合わせて、再生させるのが、不動総合ではなかったか? 香奈国内は、もう、大きくなった香奈ハイテクや菊子金属などの企業の大株主で、資源メジャーとなった香奈オフィスの大株主で、運用でも儲ける持株会社である筈だった。その香奈国内が、小さい会社を育てている。不動総合が、大きな会社の再生をして、儲けたと自慢している、なんか違う。神二郎の危機感は深まっていった。

リトルキャット運用子会社は大きくなった。

小判が出た!

リトルキャット運用会社は、香奈オフィスから、以前貴金属会社が保有した山間部でのレアメタルの採掘により、猫たちが管理している猫資金にも、リトルキャット運用会社の準備金にも、多額の資金も流れ込んでいた。香奈オフィスは、医療用途でも使われていたので、要望があれば、この山脈から採掘した、話題のレアメタルはどんどん出荷した。価格さえ維持できれば、売り惜しみなどの非難を受ける事を避けた。しかし、元々の埋蔵しているものは死守した。敷地内の近くの鉱山もまだ採掘できるのに、採掘作業の集約化とか言って中断していた。日本やアジアの需要は、この山の採掘したものと九州の山で採掘したもので対応した。アメリカやヨーロッパでも、スイスカナコインとの合弁会社が新しく見つけた一部の鉱山を限定して採掘していた。あの原点と言える金山のレアメタルも死守していた。オーストリアの鉱山も細々と採掘していただけだった、その後の展開を奈津美は考えていた。今後医療用途で、本格的に需要が急拡大する可能性もあったし、フランス安部製薬やスイスカナコインの医薬品用途での使用もあった。世界で足りなくなった時は、日本から輸出していた。九州での採掘には、多大な投資を必要とした。採掘費用や精錬費用が掛かっている事を世間も認めてくれた。値段も少し上げた。コストの安いこの山脈からの採掘量の方がかなり多い事を特にみんなに言う事もなかった。九州での採掘費用は高く、あのレアメタルの採掘費用も基盤整備費用も含まれていた。一方この山脈での採掘費用は安かった。この山脈からの採掘量は、純度が高い上に多かった。当然、ドンドンと掘った。

勢いがつきすぎて、今は海外業務の銀行の所有していた山まで掘ってしまった。元々資源探査を頼まれた時に、念のために、資源探査契約はちゃんとしてあった。契約の期限はまだ残っていた。そこにも話題のレアメタルはあったので、連絡をして、契約を延長した。あの銀行も喜んで応じていた。ドンドンと掘っていった。思い切り広い洞窟にぶつかった。野球場でもできる広さだった。そこには、なんと江戸時代の小判が20万両積んであった。ロボット君は金があると知らせ、みんなが見に行った。そこは銀行の所有している山だった。ナンダカンダと大騒ぎになった。ナントカ埋蔵金とか言う話も出た、土地の所有者がそっくり手に入れられるか、発見者はどうだ、旧所有者はどうだとの問題もあった。結局銀行の所有物となった。猫に小判と云うが、リトルチャは小判に興味があった。早速、香奈の家に千両箱の一つを持ってきて貰った。猫たちも興味を持ってにゃーにゃーと騒いでいた。香奈も徹も正人も奈津美も他のみんなも見た。真理や小百合などの毛利貴金属の連中も見に来た。でもやっばり、猫たちは直ぐに飽きた。香奈が鯛の活け造りをお祝いに猫たちに振舞った。それには歓声が出て、みんなで美味しく食べた。香奈はリトルチャに言った。これはお目出度い事なのよ。今後の猫軍団のお守りかもしれない。大切に保管しておく方がいいわよと言った。リトルチャもそうだと思い、銀行の頭取になっていた彼に言って、大切に保管させる事にした。彼は、地味な海外業務の銀行を、お宝銀行と名前を替え、小判の写真を飾り、今まで馴染みの少なかった一般客相手のお宝定期なども作り、知名度を生かしだした。国内でも少し支店を増やしていった。あの話題のレアメタルは結局、銀行の山の空洞の下には相当見つかり、金としては、その方がお宝になった。銀行も預金だけ増えても儲けにはならないものの、国内や海外にも、チャタロウの組織した企業を核として企業の顧客が出来ていた。九州新開発は、もう一つの大きな銀行、一族の銀行とも取引をしたが、海外との付き合いも多いからと言って、この銀行をメーンバンクにしていた、それもこの銀行の特徴の一つだった。

猫たちの事業も新しい段階へ

猫たちの九州事業も、初めは出資するだけだったが、リゾート事業やリトルキャット九州直営店などのリターンは早かった。そして他の事業も少しずつ利益も入りつづけていた。リトルキャット運用会社の運用子会社群は、ガッチリとリトルチャが管理していた。チャタロウたちの実業チームもガードが固かった。正人は全体としてのリトルキャット運用会社の財務を見ていたが、子会社が増えていき、チャタロウ指揮下のリトルキャット運用会社の企画調査チームには、経理操作が得意な奴もいて、利益分散の方法も巧みだった。

リトルチャの国際金融ネットワーク

チャタロウとは別に、リトルチャは、運用子会社の下にその子会社、ダミー会社、訳の判らない海外の投資ファンド、銀行、為替専門会社などの複数の会社からなる組織を作り上げていた。その組織には、性格が悪く、頭が切れ、法律の裏読みに詳しい、もう一つの大きな銀行の退職者たちのグループと色々な人たちが、類は友を呼び、集まってきた。世界中の弁護士、税理士、公認会計士なんぞとも連絡を取っていた。リトルチャの運用子会社群は、巨大化しつつあった。資産は驚く程あった。投機そのものは減少していたが、細かく日銭が入ってきていた。あっちこっちと金を分散させているうちに、運用子会社の子会社の子会社そして、その又子会社が出来て、資産は、やたらと分散していた。リトルチャ自身も数がわからなくなった。リトルチャは、それぞれの配下に権限委譲する猫なので、それぞれの配下自身が色々と子会社を作るのに寛容だった。ただマネーロンダリング規制は段々厳しくなり、色々な国で、法律事務所、会計事務所との緊密な連絡が必要だった。それは各国の配下に任せていた。リトルチャグループには、いくつかの国では、隠れた法律事務所のオーナーのようなになっている会社もあった程だった。国際金融ネットワークを作り、グローバル決済システムを作り出していた。世界のほとんどの何処の国からでも世界中の国で、ネットで買い物ができるシステムも作り出した。リトルチャーペイメントサービスと名づけられた。買う人、売る人にもなんたらプロテクションサービスまでつけていた。当然口銭も取った。クレジットカードだけでなく、リトルチャの作ったネットバンクやあの銀行での預金でも対応していた。協力してもらっていた海外の銀行までにも出資していて、傘下に入りたいといって買収する計画もあった。一族の銀行ともう一つの銀行とも協力して、大きな決済サービスを、個人だけでなく、会社間の決済まで広げていっていた。決済手数料として幾ばくかの口銭をもらうサービスだった。リトルチャは今では、単なる投機猫ではなかった。大きな金融決済チームを組織していた。海外の運用子会社での保留金の積み方も複雑だった。

チャタロウの営業ネットワーク

チャタロウまで独立採算なのに、リトルチャの運用子会社でアメリカの企業の株式を保有していた。それに国内香奈の香奈特別基金が多く出資している会社の製品もチャタロウチームの国内の会社が、販売していた。チャタロウチームは、日本、アジアそしてアメリカで、製造、販売そして流通と幅が広がっていった。リトルキャット九州は、製造から流通そして販売を一環して行う会社だったが、チャタロウチームの会社は、香奈特別基金の強い影響下にある会社の製品の流通、販売を行う営業ネットワークを持つ会社群にもなっていた。リトルチャはある程度利益が貯まってくると、チャタロウのチームが株式を長期保有するのために必要な資金やチャタロウチームの会社が必要と思われる製品を作るためのお金の提供もして、自分達のチームの利益計上を抑えるなどの小細工をしていた。チャタロウチームは、金で会社を買収したり、新しい会社を造るような事は滅多にしなかった。それなりに技術を持っている会社を調査して、探し出し、交渉する。チャタロウチームが考えている新しい製品を作る工場を建ててもらう、それに必要な金は、チャタロウチームが出資する。運営は今までの会社に任せるが、出来た製品は、そっくりチャタロウチームが買い上げる。受けた方には、ほとんど損のないやり方だった。その出資する金は、チャタロウチームが出したり、リトルチャの関係企業がとりあえず引き受けたりもした。そして協力企業を増やしていった。協力企業で有望な企業では、その製品がドンドンと伸び、工場設備が足りなくなる。相手先の企業とも話し合い、又チャタロウチームが増資したりして、やがてチャタロウチーム傘下の企業になっていった。チャタロウチームから派遣する人は限定的で、相手先企業の面子とか経営権なんぞは、出来るだけ尊重した。こうして、チャタロウチーム傘下の会社が出来、チャタロウ傘下の会社はより大きくなっていった。チャタロウチーム傘下の会社の中には、チャタロウチームの運営方法に心酔するような人たちもいて、そうして単なる傘下ではなく、チャタロウチームの会社になった。チャタロウチームの会社そのものも増えてくる。そんな運営方法だった。そうしてチャタロウチームの会社になると、チャタロウチームの最高会議に出て貰い、いくつかの会社が集まったチームとしての運営にもそれなりに参画して貰った。次第にチャタロウチームでの地位が上がると、ボスが猫である事に少しづつ判る。そんな会社群がチャタロウチームだった。そんなやり方をしていたので、チャタロウチームといってもリトルキャットの名前が入った会社は、ほとんどなかった。

ココが買い、国内香奈の香奈特別基金が株式を保有する会社の製品は、チャタロウ傘下の会社を大きくする事に役立った。香奈特別基金が出資している会社でも、チャタロウチームの傘下に入りたいと思う会社には、チャタロウチームとして出資した。無理に経営権などを取ろうとは思わなかったが、協力できる所は協力したし、チャタロウチームにもその方が良かった。本音で言うと、自分達の意見が通りやすい会社はやはり必要だったし、中核みたいな製品の会社は、自分達の傘下にしたかったのだ。しかし、やはりそんな会社が増えてくると、従来のチャタロウの販売ネットワークで販売できる製品だけではなくなってきた。そのため、チャタロウは、リトルキャット物産を作り、そうした会社たちの営業網支援をしだした。今までのように、独占的な販売権を持って、販売するのではなく、そんな会社の営業網を作るのを支援しながら、チャタロウチームの会社も営業していく、商社みたいなものだった。これは、チャタロウチームの会社の幅を広くして、そんな会社の自立も助ける事になった。

リトルキャット貴金属は、独自に発展した。

貴金属勘定、つまりリトルキャット貴金属を預かる商品相場の猫のチームは、リトルチャのチームではあるが、貴金属勘定は、実業も抱え、投機で儲けて終わりではなかった。やたらと貴金属や金を持って、独自に運営していた。毛利貴金属は、真理がまだまだ元気で、先物売り、現物買いの基本姿勢は変わらなかった。猫たちも影響を受けた。保有している金などの現物をマーケットで売る事は、よほど高くならないと、あまりなかった、とりあえず先物売りで対応していた。貴金属会社には市価より安く売る約束もあった。猫たちは単に貴金属だけでなく、宝石にも興味を示した。みんなで協議して、ダイヤとかサファイヤとか猫目石なんかのコレクションも密かに始めていた。合議制としたのは、貴金属勘定の猫たちが特に仲が良いのではなかった。猫たちは賢くなったとは、自分勝手な猫たちが、多かった。チャタロウみたいに、人情や猫情に厚い猫は稀だったし、リトルチャみたいに配下の猫たちを押さえ込める猫も稀だった。合議で決めるのは、だれが偉い訳でもないよと云う事を示すためだった。商品相場の連中もいたし、保有する貴金属の量を考え、貴金属会社の運営を検討している猫たちもいた。二つのグループでは、意見が異なるので、そうした猫たちの緩衝地帯のようにして、宝石の好きな猫たちが、宝石を扱おうと言い出した。これはみんなの猫たちに取っても、バワーバランスとして良かった。二つのグループでの対立を避けた。それに猫目石と云う名前の宝石には、みんな興味もあった。資産価値も大粒の宝石では、それなりの価値が合った。まさかの時の資産を持つのが、貴金属勘定を作った趣旨とも言えた。こうして、海外の子会社は、宝石を売買する拠点の国みたいな所にあった。その会社を宝石事業の拠点にして、何十カラットと云う大粒の宝石を集めた。くずのような宝石はそんなに関心もなかったが、原石みたいな宝石を加工する事もやりだした。どうしても大粒の原石を研磨する時には、くずのような宝石も出来た。くずのような宝石は安かった。猫野は、貴金属勘定の猫たちとよく話をした。猫野がそれを使って、細かい細工をして、アクセサリーを作った。金や銀を使ったアクセサリーにそれを組み込んでいった。ちょっととしたアクセントに、くずのような宝石は役に立った。リトルキャットスタイルのペンダントとかネックレスのヤングアダルト用とか言って売った。リトルキャット直営店だけの商品とした。それは高いものの、結構売れた。金と銀と組み合わせると、純粋な資産としての価値は落ちるが、アクセサリーとしては綺麗なものになり、細工も映えた。そこにくずのような宝石が入ると、更に引き立った。あの貴金属会社は、宝飾の細かい細工が元々得意だった。貴金属よりは、細工物と言う感じの商品だった。ちょっと豪華で値が安い商品は、利益率が低いが、売れれば銭になった。冶部ビルの直営店は、元々そんな商品を売っていた。小夜はちゃんと、あの貴金属会社と話をして、全国の冶部ビル直営店で販売するようになった。リトルキャット直営店で売っていたものは、高かったので、少し細工も減らし、金の比重も減らし、くずのような宝石も減らした。値段もグーンと安くなった。猫野はリトルキャット直営店と差をつける事は必要と思い、仕方なく作った。聖子も興味を示したが、今度は時期が遅れ、宝飾関係の商品は安いよでは異色でもあったので、リトルキャット普及品の隣でこっそり置くだけにした。しかも銀の比率を高めて、くずのような宝石ももっと少なくして、もっとズーンと安くしてもらった。細工もズーンと少なくした。猫野は、細工が少なすぎ、さすがに、むっとしたが、聖子の押しに敵うわけもなく、あの貴金属会社もあっさりと作った。貴金属と云えるかどうかは判らなかったが、これは、爆発的に売れた。小ギャルでも買える値段にしたのが、成功した。猫たちは、くずのような小粒の宝石もドーンと買って、あの貴金属会社に仕入れする事になった。毛利貴金属に、あの貴金属会社から仕入れする事もできず、あの貴金属会社や海外子会社の株式を保有し、単なる名義として存在し、金とかの貴金属を保有している財産管理会社だった筈の、リトルキャット貴金属として仕入れした。毛利貴金属からの金の細工の特注品もリトルキャット貴金属として受ける事になった。猫野たちの細工チームはリトルキャット貴金属の所属でもあり、あの貴金属会社の所属でもあるような複雑な立場になり、結局リトルキャット貴金属としては、細工物の加工と宝石販売などをするように変わっていった。あの貴金属会社は、細工物のネックレスからファションネックレスまで作り、もっとも売れたファションネックレスの会社のようになって、毛利貴金属との差別性も出来た。毛利貴金属は、従来の18金とか24金とか云ったネックレスに大粒の宝石をつけて、正統派のチェーンにしていった。その宝石は、あの貴金属会社の海外子会社が供給した。毛利貴金属は、資産価値のある高級品を販売する会社に徹していた。


「真理さんに会ったら、リトルキャット貴金属は大したもんだと言っていたよ。猫たちは貴金属会社も持っているの。」
香奈「元々は、金を保有するための会社だったのよ。あの貴金属会社を買収した時に、保有する金も買ったらしいのよ。海外の子会社も買ったらしいの。真理さんたちに運営を任せて、金なんかの貴金属を保有をしているだけだったのよ。それからも商品相場のあるプラチナだ、銀だと云ったものまで保有していったのよ。銀が高騰する前に大量に現物を買っていたから、先物では大分儲けたらしいけど、なんとか現物も処理したいと猫野さんに細工を頼んでいたみたいなの。それが宝石に興味を持ってね。ダイヤだ、サファイヤだ、猫目石だといって、大粒の宝石まで集めるようになったらしいわ。原石まで買って、加工してもらうようになったら、小粒のくずも出てね。小粒のくずみたいな宝石も、猫野さんが加工してね、金銀の回りにつけたらしいわ。初めはリトルキャット専門で売っていたけど、安くしたものを、恵の冶部ビルの直営店でも売っているわよ。」
「あの貴金属会社から仕入れているとは聞いていたけど、リトルキャット貴金属なんて関係ないでしょう。真理さんに了解を貰ったのと聞いたら、小夜さんは、あんなに安いものは、真理さんは気にしてませんよと言っていたわ。ヤングレディー用とか言っていたわ。」
香奈「あの貴金属会社は一応、リトルキャット貴金属の子会社なのよ。聖子ちゃんは、もっと銀を多くして、くずみたいな宝石まで少なくして、売ったらしいの。それが爆発的に売れたらしいわ。あの貴金属会社には、リトルキャット貴金属の海外の子会社が仕入れしているのよ。真理さんの所には大粒の宝石を入れているのよ。猫たちが、猫目石に興味を持ったのが、きっかけとか言っていたわ。」
「猫野さんは、あの貴金属会社で、金や銀を使って、リトルキャットのロゴを細工していたんでしょう。聖子ちゃんの所で売っているものは、ほとんど細工らしい細工はしていないわよ。ジブシティーで若い女の子がよくしているけどね。」
香奈「真理さんも呆れていたわ。あれは完全に貴金属ではなく、単にファションチェーンだと言っていたわ。でもそれがかえってよかったみたいね。細工も簡単だし、量産もできるらしい。あの貴金属会社もファションチェーンで有名になり、恵の所のチェーンも、金の比率や細工も特徴になって、高級感が出たみたいだね。リトルキャット直営店で売っているのは、綺麗だよ。あれは高いけど、細工物と言う感じはするわ。こっそりだけど、真理さんの所にも、リトルキャット貴金属を通して、猫野さんたちのチームが作った細工物で、金をドーンと多くしたものとか金だけの細工物を特注品として入れているらしいよ。猫野さんたちのチームの細工物は、芸術品だからね。真理さんの所は、基本的には資産価値を大切にするのよ、ちゃんとした鑑定書付きの大粒の宝石を入れてもらうようにしたらしいわ。 でもそれで、海外の他の貴金属会社にも宝石を入れる事になったらしいわよ。海外の子会社も貴金属と云うより宝石で有名になって、大きくなったらしいね。猫目石は、猫たちが拘り、色々と集めていていると言っていたわよ。猫目石では、もはや世界最高のコレクションが集まったらしいよ。」
「さすがだね。取引だけではないんだね。」
香奈「チャタロウやリトルチャたちが実業シフトになるから、貴金属担当の猫たちも何かしたいと思ったのじゃないの。宝石担当の猫もいるらしいよ。あれはあれで、結構値段が動くし、いいものは仕入れるのは難しいと言っていたわ。価格の高いものは、会議室まで持ってきてもらうらしいわ。帝政ロシアのナンタラと云うダイヤも持っているらしいよ。」
「でも貴金属担当の猫の話は、そんなに出ないね。」
香奈「貴金属担当は、ココの子猫の子猫たちが合議して決めているのよ。貴金属相場もするし、現物も買うし、宝石まで買うからね。だれが取りまとめているとは言えないグループなのよ。チャタロウやリトルチャみたいなスーバースターは、そうそうそんなに出ないわよ。猫たちも、そんな事は、肌感覚で勘付いているのよ。だから、みんなで合議して決めようとしているのよ。まあ、そんなものだろうね。スーパースターでないのに、何でも自分で出来るとは思うよりは、みんなで力を合わせた方がいいと思っているらしいわ。一応リトルチャのグループなんだけどね。独立性が高いのよ。真理さんや小百合たちにも、時々相談しているらしいわよ。真理さんや小百合たちの方がよく話をしているらしいわ。私は宝石なんかは判らないわ。金の価格の変動は、結構面白いけどね。」
「猫たちも、大したものだね。そんな事ができるんだね。」
香奈「この頃は、ごきげんソフトとも話をしているコネコソフトの連中もいるのよ。あの連中も独特なのよ。一応、リトルチャがドーンと出資しているし、運営や商売の事もリトルチャの配下の人間がしているけど、実際のシステムなんかはそんなに詳しくはないから、まったく独立しているようなグループみたいだよ。財団やジブ総合研究所とも協議しているでしょう。」
「コネコソフトの名前は時々聞くけど、あれは人間たちが運営しているのでしょう。財団のコンピューターシステムを見てもらっているらしいわ。」
香奈「コネコソフトの連中は特殊な猫たちなのよ。コンピューターやシステムの事以外喋らないのよ。ラッセルの息子のラッセルタロウは、いつもプログラムの事を考えているみたいな猫なのよ、プログラムの天才らしいけどね、オタク同士の人間や猫としか話さないのよ。私とも片言ぐらいしか話をしないのよ。簡単ににゃーと挨拶する程度なのよ。プーチンハナコは、まだ少しましなんだけどね。小難しい専門用語をナンダカンダと言われてもね。ビットとマクロなんて凄いわよ。私には何もわからないわ。大体今のパソコンで機械語なんかでプログラムを組むなんて、人間では考えられないのよ。ごきげんソフトの連中も呆れているわ。連中も自分たちが表に出るよりと思って、人間たちが表に出しているらしいわよ。不動でも、情報処理グループは、陽太君や神二郎君のグループともいえないらしいよ。元々、ジブ総合研究所の中にごきげんソフトの情報処理施設があったので、その中に、情報処理研究室を作り、そこがコネコソフトの研究室みたいになっていて、そこに集まっているらしいのよ。陽一さんも研究所なんだか、コネコソフトなんだが、よく判らないとか言っていたわ。社会福祉研究所のプログラムも考えたらしいわ。それで財団のシステムも改造していったのでしょうね。ごきげんソフトの連中は、もう結構世間ずれしているけどね。コネコソフトは、まったくの技術グループらしい。各地の不動マンションや猫ハウスでも、コネコソフトの仕事をする人たちや猫たちもいるらしいね。ごきげんソフトも、ジブ以外のシステムは、コネコソフトに頼んでいるらしいわ。ジブのシステムは出来上がっているから、もういじれないけど、コネコソフトの技術力は世界一とか言っていたわよ。リトルチャの金融システムの維持もしているらしいよ。」
「コネコソフトの人たちは、みんな無口らしいね。財団でもびっくりしていたわ。あの人たちよりも社交性がないなんて。猫たちも複雑だね。でも猫たちは、みんな、自分を知っているのね。感心するわ。」
香奈「でも、情報処理研究室では、みんな盛んにガヤガヤと話しているらしいわよ。陽一さんがそう言っていたよ。ただ何を言ってるのか、陽一さんにも判らないのよ、コンピューター言語とかプログラムのコーディングの事を話しているらしいわ。ごきげんソフトに聞くと、もう大きなソフト会社で、稼ぎも凄いらしいわよ。あのおっさんの通信機器の会社と話して、ネコロイド型の携帯電話を出すらしいよ。携帯なんだか、パソコンなんだか判らないものらしいわ。通信基地なんぞ気にせずに、最適の通信条件を常に確保して、どんな条件でも直ぐに、通信できるらしいよ。ごぎけんソフトもジブテレコムと一緒に少しは出資して新しい合弁会社、コネコ通信を作るらしいのよ。通信衛星も新しく打ち上げようと計画しているらしいわよ。私に、プーチンハナコが珍しく、興奮して、携帯電話の革命だと喋っていたけど、やたらと専門用語を使うから、よくは判らないのよ。ごきげんソフトは、通信の革命になると言っているわよ。」
「私も良く判らないけどね。財団でも各支部との間との連絡は、コネコソフトがシステム維持をするようになって、上手くいっていると言っていたよ。まあいい事なんだろうね。」

香奈国内の香奈特別基金は、猫基金?

香奈国内の香奈特別基金は、猫たちの将来のために、貯めておく基金の筈だった。実際に、香奈の家の猫たちの面倒は、この基金がほとんどの経費を出していた。ココが厳しく管理していた香奈国内の猫口座は、そんなに大儲けはしないものの、細かい儲けをつみかさねていた。ココもボロ株を買って、時々大儲けをした。そして、香奈特別基金にお金を入れた。その限りでは猫基金である事は間違いではなかった。正人は、あのおっさんの会社に香奈特別基金から増資した。そして、この香奈特別基金で会社を支援した。ココが買っていた株まで、ほとんどは、正人の管理する香奈特別基金の株式とした。正人は、少しづつ、香奈特別基金の金を増やしていた。ココのチームの運用利益だけではなかった。正人は、香奈にも了解を貰っていた。香奈も勿論、猫たちの今後を考えて了承していた。国内香奈の利益から、ある程度の比率で、香奈特別基金に金を増やしていっていた。正人は猫たちの今後も強く考えていたと云う事ではなく、別の考えを強く持っていた。香奈ハイテクからの配当も高く、香奈国内の利益も上がっていた。香奈オーバーシーズからの配当も入っていて、香奈国内への配当も増えていた。香奈海外からの配当の半分は香奈オーバーシーズへの出資に変わっていったが、形の上では、一応利益になった。リトルキャット運用会社も儲けていて、配当も利益の10%出ていた。運用子会社の利益計上に不審もあり、本体のリトルキャット運用会社に対する配当は本当に正しいとは、正人は思っていなかった。しかし、それを追求して、これ以上香奈国内の利益を上げては、税金は大変だった。何しろ国内の法人税は高かった。小さい会社に応援するための出資は、出資した時は、何の配当もでないし、一応経理的には、含み損と云う形で処理する事ができた。応援するために送り込んだ人たちの報酬の負担もする事もあったし、ジブ総合研究所の企業分析研究書への研究依頼費用も高かったし、技術系の研究所の技術指導料や相談料もそんなに安いものでもなかったが、香奈国内の経費となった。こうした経費を使えるのは、国内香奈の組織の中では、香奈特別基金だけだった。

正人は、単に親切心だけで、こうした応援のような出資をしたのではなかった。正人は色々と考えていた。あのおっさんの会社を支援し出した数年間は、経費が多く掛かった。そのため、香奈国内としては、あのおっさんの会社への投資では、大幅な赤字だった。香奈国内として払う、税金は、その間は少し下がった。これが正人に、小さい会社を支援していこうと言う動機の一つになった。それに経費と云っても、ドブに金を捨てる訳でもなく、もう一つの銀行の退職者たちの面倒をみて、ジブ総合研究所に依頼研究をする事だった。悪く言えば、一種の資金移動のような経費と多くのもう一つの大きな銀行の退職者たちの面倒もみれた。

正人の考えは甘く、あのおっさんの会社の配当は増え、出向の筈だったもう一つの大きな銀行の退職者たちは何故か頑張り、あのおっさんの会社の中核みたいな存在になり、地位も上がり、経費負担もなくなり、あのおっさんの会社でも儲け出していた。

正人は、こんなに早く上手くいく事はそんなにある訳はないと思っていた。そうして次々と出資と応援のための人の派遣をしていった。正人は、香奈国内の利益を減少させようとしていた。正人は、ドンドン儲けようとして、こうした会社に応援していったものでもなかったし、会社を買収しようと思ったものでもなかった。ドブに金を捨てるような経費でもなく、ジブ総合研究所にも資金提供できるし、多くの退職者たちに仕事も斡旋できた。香奈国内が出資していた会社である一族の会社、香奈ハイテク、菊子金属そして香奈系の財産管理会社だった筈の毛利ビル、毛利不動産なんぞも儲けていた。香奈オフィスは、あの話題のレアメタルで信じられない程儲けた。香奈は、香奈オフィスの多くの香奈名義の株を香奈国内名義とした。香奈国内として、増資もしていた。配当率は低かったが、儲けは莫大だった。香奈国内の財産会社では、それぞれに内部保留は積ませていたが、やっぱり幾らかは、配当した。利益が上がって行くのに、配当は減らせなかった。事務局名義のココの運用やリトルキャット運用会社は、みんな儲けすぎていた。税金は巨額になった。配当による収入では税率が下がった時代は良かった。子会社化のメリットは大きかった。何か先行投資みたいな事をして、利益を押さえるのには、香奈特別基金に金を回し、利益を減らすしかなかった。

あのおっさんの会社を初めとして、出資した直後の数年間は、香奈国内としては、経費もかかり、従って儲けが減り、税金も少し下がった。しかし、やがて次々とそれぞれに大きくなり、配当とか言って、かえって利益が増えた。出資している株式の保全のためと言って、企業分析研究所に企業分析を依頼して、技術系の研究所に、依頼研究して、経費を増やしたのに、それも次々と効果を上げていく結果となった。正人の意図は、やがて少しずつ齟齬をうみ、香奈国内の利益は増え、払う税金も増え、香奈特別基金も膨らんでいくようになったのは、皮肉な事だった。

でも香奈特別基金グループみたいなグループが出来た。このグループは独特だった。香奈ハイテクとも協力して、ジブ総合研究所とも付き合い、ジブ研究ベンチャーみたいな組織と協力して、一種の技術開発センターみたいなグループと、あのおっさんの会社のように、それ自体大きな会社になっていく会社とに分かれた。チャタロウチームの会社に独占的な販売権を与え、営業ネットワークを利用する会社と、独自の営業網を作っていく会社にも分かれた。要するに、一言ではいえないグループだった。よく言えばそれぞれの会社の特徴を生かしたグループだし、バラバラと分かれ、まとまっていないグループでもあった。


「香奈さんの香奈ファイナンシャルには、色々な会社があるんだね。香奈ハイテクとか香奈オフィスとはよく分かっていたけど、財団に寄付してくれた会社で、話をしていると、香奈特別基金に援助を貰ったと言っている会社が結構多いらしいのよ。リトルキャット財団に寄付していたけど、リトルキャット財団の方で、税金の控除も受けられるので、ウチの財団に分散した方が税金も安くなると言ってくれたらしいのよ。リトルキャット運用会社からも時々寄付をもらうわ。」
香奈「リトルキャット財団も結構、金が貯まっているらしいのよ。私も良く知らないけど、税金の控除を受けない財団でも基金の上限があるらしいのよ。」
「そうだよ。財産隠しみたいな財団を作った奴がいるのよ。それで税金の控除を受けない財団でも、活動実態にあまりかけ離れた基金を持つ事は出来ないのよ。税金の控除を受ける財団よりは、上限は、ずっと高いみたいだけどね。財団ではなく、単なる会社になって、税金を取られるのよ。寄付を受けると収入になるのよ。」
香奈「リトルキャット運用会社があまり儲けるので、リトルキャット財団もあっちこっちに猫ハウスや猫牧場を作って、お金を一杯使うけど、基金が貯まりすぎているらしいわ。リトルキャット運用会社の寄付も調整しているらしいわ。みんなから寄付を貰う事は嬉しいけど、今後も考えて少しつづ、寄付してくれる方がいいと言っているらしいわ。でも節税対策もあって、初めは、猫ハウスの世話をしてもらっている不動を紹介していたみたいなのよ。それが不動も、不動総合が稼ぎだして、基金が貯まってきてね。香奈国内まで、不動への寄付の調整をしているぐらいなのよ。それで、基金の上限がない恵の財団を紹介する事が増えてきたみたいなのよ。正人がなんでもかんでも出資するのよ。通信機器のあのおっさんの会社に出資した直後は、経費がドーンと掛かったので、少し税金が安くなってね。それで味をしめて、出資しているのよ。チャタロウの販売ネットワークも、初めは取り扱い製品が増えて喜んで対応していたけど、大体関連商品は揃ったので、なんでもかんでも売れないから、独自の販売網を指導する部署まで作って対応していたのよ。チャタロウもこぼしていたわ。ウチは商社でもないのに、なんでもかんでも売れないよとか言っていたよ。それでも、リトルキャット物産を作って、営業網を作るのを手伝っているのよ、そのノウハウも少しできてね。それでドンドン広がっているのよ。」
「でもそんな事は、不動の仕事なんでしょう。」
香奈「不動はもう大きくなりすぎたからね。小さい会社はそんなに相手にしないのよ。それに不動は、経営権どころか完全支配みたいな形で、再生させていく事が多いのよ。それが再生への近道と言っているのよ。昔みたいに色々と相手先の会社に合わせて、再生させる事は、無駄が多いと思うみたいなのね。小さい会社は、香奈特別基金に相談にくるらしいのよ。ジブホームホテルの香奈オーバーシーズ用の部屋は、専門の相談員もいてね、もう一つの大きな銀行の定年退職の人とか色々な人が相談に乗っているわ、いつまにか相談室みたいになったよ。都心には香奈特別基金の総括事務センターも出来たよ。香奈特別基金が出資している会社の経理や管理業務を請け負う会社らしいよ。不動とは違って、香奈特別基金は、必要な事だけを支援する事にしているらしいのよ。」
「まあ、いい事だよ。」
香奈「猫基金の筈だったのに、再生ファンドみたいな基金みたいにもなったよ。でもチャタロウのチームの幅も広がったみたいだよ。一時の不動みたいに、聞いた事のない会社の株を一杯持っているよ、技術を育てるためとか言って、香奈特別基金として、ジブ総合研究所に研究を依頼するので、ジブ総合研究所に払う金も大変な金額になっているよ。」
「でも、それが将来役に立つよ。小夜さんもジブタウン東京に、空きスペースが出来たので、新しいテナントを入れたら、香奈特別基金が出資していた会社だった事もあると言っていたよ。ジブタウン東京はいい場所なので、家賃は結構高いのよ。小夜さんは、将来性のある会社だと言っていたよ。」
香奈「まあ、正人も、経理屋ではなくなって、色々な企業の事も判るようになったわ。いい事かもしれないね。スイスカナキャットも一杯株式を持っているわよ。猫基金は、猫たちが運用で儲けるだけでなく、そんな支援みたいな出資をする事も増えてね、日本とスイスで同じようになってしまったよ。」

猫たちは、独立しながらも協力していた。

正人も経理のプロなので、猫資金の経理操作は芸術的に見事で世界各地の運用子会社そして保有株式が多い会社に、巧みに利益を分散させている事は流石に感ずいていたが、詳しく調査するほど、正人も暇ではなかった。もうリトルキャット運用会社には、複数以上の組織が出来ていたようなものだった。表向きのリトルキャット運用会社やリトルキャットは、正人が全般的に見ていた、もう一つの大きな銀行の退職者たちが中心となった管理部門と年寄りたちの株主たちも参加していたリトルキャット直営店やリトルキャットの製品部門が、表の部分だった。リトルキャットとの役割分担やリトルキャットプロダクツとの交渉もこの表の部門が行った。しかし、全体の猫資金は、運用子会社、リトルキャット九州を含めて、リトルチャが、ガッチリと資金の流れを管理していた。リトルキャット九州のメインバンクが、あのリトルチャ支配下の銀行だった。猫資金の表部門を代表するチャタロウの企画調査チームは関連会社を含めて、経営をしていた。リトルチャとチャタロウはそれなりに話し合っていた。

リトルキャット基金と云っても、三つのグループが、基本的にお互いに独立して存在しているようになっていた。しかし、人間たちより協力する部分は多かった。全体の猫資金のガードは固く、貴金属勘定をもつ商品相場のチームは、毛利貴金属との関係を深め、リトルチャの金融チームは、リトルチャにしか報告しないし、チャタロウの企画調査チームもチャタロウにしか報告しないようになり、猫たちのグループは、それぞれほぼ独立していた。正人は、全体のリトルキャット運用会社の経理だけを見ていたので、猫たち直属の運用子会社は、名義上、リトルキャット運用会社としては、完全出資をしていたが、全く別会社のようになっていた。それらの子会社には正人は触れなかった。しかもリトルチャ直属のチームは、密かに正人の表の部門にもシンパを増やし、隠れシンパなどもいて、リトルキャット運用会社の全貌を把握していた。正人も経理と管理のプロなので、薄々状況は知っていたが、リトルチャは表立って、事を荒立てる事もせずに、一応正人を立てて、正人管理下の準備金については、触れなかった。正人も、リトルキャット運用会社としてのキャッシュポジションが果たして本当に50%を維持しているのかは疑っていたが、猫資金の全体額や資金の出入りには、触れないようにしていた。リトルキャット運用子会社グループは、全く独立していた。今のリトルキャット運用会社はもう運用などせずとも、財務的にはまったく問題のない良好な持株会社でもあった。正人が管理しているリトルキャットもリトルキャットプロダクツも、もう十分大きくなっていたし、配当も結構入ってきていた。猫資金の実態がドーダコーダなんぞは、実は正人にはどうでもよかった。香奈国内の利益を大きくしても払う税金が増えるだけだった。香奈国内も莫大な寄付をしていたが、それでも法人税率は最高クラスだった。寄付による税金調整も限界を超えていた。リトルキャットの海外の運用子会社の内部保留をむしろ増やしたいとさえ思っていた。今更、リトルチャにそんな事は言えないが、それとなく、リトルチャに、国内は税金が高いし、海外の子会社に内部保留を積ませる方法も悪くないねとか言って匂わせていた、リトルチャは感ずいて、運用子会社の計上利益は少しづつ減った。チャタロウチームまで、海外の子会社に利益を貯め出した。経理的に問題なければそれでよかった。正人にはもっと気がかりな事があった。

ジブトラストと中国との付き合いは神経戦

ジブトラストと中国との付き合いは神経戦のようなやりとりが続いていた。香奈の大タヌキは、正人でさえ、本心が読めなかった。時々訪問してくる中国の偉いさんと仲良く冗談を言って、依頼された高額の投資案件を簡単に受けると思えば、神子に言って、それ以上に、ジブトラストが直接保有していた中国株式の中で、好調と云われ、高い株価をつけている銘柄を少しずつ売ったりしていた。香奈が、中国をどこまで信頼しているか判らなかった。正人は、ジブトラストが保有する株式と中国国内に保有する現金とを合わせた金額を注目していた。保有株式評価額は波があるものの、たしかに増加していた。その保有株式を評価額ベースで、経済新聞でも紹介され、中国でのジブトラストの資産が増加していると説明されていた。香奈は、早い段階から中国に投資して、付き合いも増え、日本では親中派と見なされ、中国経済についても楽観的な人とも云われていた。本当に中国は世界一の経済大国になった。人民元もレートが高くなった。しかし、正人は保有株式も単に評価額が増えているだけで、保有株式数そのものはそんなに変わらず、むしろ少し減っている事も知っていた。正人が注目するジブ上海の預金と合計すると、増える一方だった金額が、確実に増加傾向には歯止めがかかり、明らかに減少の傾向が見えていた。香奈は、もうそろそろかなと神之助と話していたりしていた、神之助も、一直線はそんなには続きませんねとか、禅問答のような話をしていた。ジブトラストは莫大な金額を依然として中国においていたが、神之助と話して、従来よりは利益の引き上げ比率を多くして、時々は更に不定期に日本に送金させていた。神之助は、為替運用における各国通貨の保有額の調整としか言わないものの、従来は、中国に人民元としておいてある資金は増加の一途だったのに比べると、明らかに変わっていた。ジブ中国の運用は、中国サイドに一任し、売買益とか配当を単に貰うだけだった。投資金額と比較するともう十二分に回収していた。ジブ中国の保有していた現金や株式については、いくら増えていても、香奈は、そんなに重要視していなかった。「あれは、単なる数字だけの金なのよ、いざとなったら、中国は決して出さないわよ。配当として貰った分でもう損はないし、これからも貰う配当も日本に送金するタイミングを考えていた方がいいわよ。人民元も、もう、どんどん価値が上がる魔法の通貨ではないわよ。中国も何かあるかもしれないけど、しかし結局は、伸びる国ではあるのよ。中国の人たちは、昔からの長い付き合いを大切にするのよ。うまく売り抜けても、信用は失うわ。いざとなってもジタバタしないで、保有しておく方が、結局いいのよ。そんな時に、逆にドーンと追加して出資して、どの程度の時間がかかるか判らないけど、結局は儲かるわよ。」と、香奈は、こっそり、神子や神之助たちと話していた。

正人はその事までは知らなかった。しかし、正人もジブ中国の保有する現金や株式は除外して考えていた。もうジブトラストの意向で動かせない資金や株式だと云う事は流石に正人も知っていた。香奈が、神太朗に中国ビジネスに関与させず、香奈自身が最終決定しているのも、正人には不審だった。香奈は、神太朗を高く評価していた。理想主義者ではあるが、実務能力も高く評価している筈だった。神太朗は、世界の証券会社の中で、トップテンに入るグレートリーダーとして財界雑誌に登場した事もあり、中国にも知人は多かった。それでも香奈は、神太朗には中国を除く世界の実業分野の取りまとめを委任し、中国は取引主体だからと言って神子に担当させ、中国への投資の最終決定を自分で行っていた。香奈は、企業を伸ばす事については、神太朗は、優れたリーダーだけど、まだ鉄火場には弱いかもと漏らしていた事も知っていた。ジブ上海とジブ中国を除く企業には、三分の一を超える大幅な出資はしなかった。表面的には、共産主義体制の中国が、国内企業の株式を他国が多く保有することを嫌っているからだと報道されていたが、正人は実は納得していなかった。香奈と中国要人とのラインはどこまで繋がっているか、正人にも判らない程深いものだった。香奈が単に深入りを避けているとしか、正人には思えなかった。正人には、中国経済が変調を示しているとは思っていなかった。いくつかの数字は問題だったが、それはどこの国でも同じだった。敷地内に訪ねてくるジブ上海の連中も楽観的だった。正人は、香奈が何か感じているような気もしていた。加代子たちによって、アメリカの有力企業のいくつかをジプトラスト傘下にし、かなりの有力企業の株を保有する事になったのは、香奈の意向を汲んだ神太朗が調整していた筈だと正人は考えていた。一族の会社にはそれぞれアメリカにも関係する会社を持っていたものの、ジブトラストとしての関連会社はアメリカには多くはなかった。ヨーロッパと比べると格段の差があった。従来は、一族の会社を除けば、香奈オフィスと関係の深い資源エネルギー関係の会社と神帥の作った会社そして金融関係の会社しか、ジブトラストとしては、アメリカには持っていなかったのに、今回の加代子の大爆発的な天文学的な利益を元に、各分野にジブトラスト傘下の会社も保有する株式も急速に増やしているのに比べると、正人には納得できないものを感じていた。ジブ上海のジブトラストの預金残高は、明らかに減少の傾向が続いていた。正人は、中国には、ジブトラストの他の海外ではもっと資金の移動をしている。資金の有効利用は大切です。中国はまだ少ないですよと云ってはぐらかしていた。中国もこれ以上、ジブトラストが人民元の保有を増やすのも、好まなかったし、ジブ中国の資産も考えていたので、そんなに問題視もしていなかった。ジブトラストとの合弁企業であるジブ中国は、利益のすべてを配当する訳でもなく、投資の規模も増え、保有する現金も増えていた。ジブ中国も入れたジフトラストの投資総額だけを中国は重要視しているようだった。それはさすがに増えていた。しかし正人は、なにかあると感じていた。正人は流石に、今後は中国ともっと付き合いが増えると実感した。香奈からも、正一や正智もいい歳なんだから、中国とも一人で交渉できるようにしなよとも言われていた。その後継と頼む正一や正智の化かし方やはぐらかし、詭弁の術は、それぞれの組織では見事だったが、芸術的とも言える正人の技と比較すると、タヌキが揃うジプトラストの幹部連中でさえ通じない程度だった。中国の大タヌキと張り合うには、野球で言えば、一軍と二軍の補欠程度の差があった。二人に対して術の指南も必要だった。

香奈も恵も二人の役割は変わっていった

香奈は元気だったが、仕事の時間はコントロールしていたし、香奈ファイナンシャルの事は、正人に任していた。スイスカナコインは現地に任せ、奈津美が調整していた。ジブトラスト全体の利益も莫大で、各地の金融センターにあった資金や本体内の資金はもっと莫大で、膨張していく各グループ間の調整に仕事の比重をおいた。香奈は、一介の一族の財産管理会社を世界を支配するジブトラストにまで大きくした伝説的な指導者であり、自身も世界的な大富豪であった。伝説的な先物トレーダーと云われた正子も配下においた人であった。株式取引では大物の神子や投機筋では帝王と呼ばれた神之助も動かす人物だった。神太朗も証券会社では世界に類のないリーダーだった。そうした人を指図する人物だった。誰もなんにも言えない影の帝王みたいな存在だった。財界の影の大物と言われた正人もアゴで動かす人だった。誰も何にも言えない帝王と云えた。そんな人には、誰も本音も言わなかった。金も腐る程持っていた。それでも実際の世間の事情にも詳しかったのは、恵との話にヒントを得ていた事もあったが、猫たちの話にもヒントも得ていた。猫たちは研究所や大学院大学で勉強していた。香奈にもこんな勉強しましたとか、私はこう思うとか言っていた事を、香奈は聞いていた。香奈は裸の王様ではなかった。神太朗は、比較的に自分の考えを香奈に言える人物だったが、それでも少しは遠慮もあった。神子も予測の神様みたいな存在だったが、香奈には流石に言えない事もあった。神之助も香奈には、頭が上がらなかった。しかし若い猫たちは、香奈には、遠慮なく本当に自分の思う事を言った。

香奈の旦那の徹は、資源関係では独自の考えや中東での色々なコネを駆使して、普通の鉱業会社を世界でも有数の資源会社にまで大きくした人物だった。会社ではそれこそ王様みたいな存在であったが、85歳で会長も辞め、まだまだ元気だったので、各大学の、世界の知性と云われる研究の大物を集め、やたら金を使い、長生きした事もあり、長い間研究させて、エネルギー開発を進めた人物でもあった。香奈の金も長い間一杯使ったが、やがて日本初のエネルギー革命と云える、発電機を完成させ、自動車にも影響を及ぼした人物でもあった。自分の世界や見識を高めるのに、努めていた。息子の徹彦は資源開発を上手に運営して、徹とは違い、大した知見や見識はないものの、経営には、多様な技を使い、経営を安定させた。くわせ者とも言われた技の人物でもあった、徹が作った未来エネルギーシステムでも同様だった。知見や見識ではなく、その技で経営を運営していた人物だった。娘の瑠璃は、世界の山師とも言われ、ハゲタカ瑠璃と異名を取り、香奈オフィスも大きくした人物だった。旦那の政則は、頭が切れて、前例主義の権化みたいにあらゆる前例がインプットされていた、香奈の周辺では、世界的な見識を持つ人物は旦那の徹位だったが、徹は、資源関係に打ち込んでいたし、読書の人でもあった。子供やその配偶者は、業師や癖の強い人とかハゲタカが揃っていた。孫も頭がよく、世の中を上手に泳ぐ人物が揃っていた。奈津美や正人は代表的な人物だった。奈津美は、計算は瑠璃以上なのに、何故か公明正大な人で知られていた。正人も経理や管理のプロとして知られ、はぐらかし、詭弁、化けし合いの技にも優れていた。そんな人たちが、香奈に本音を言い、世の中の流れを克明に話すような馬鹿な事をする筈がなかった。香奈は、ジプトラストでは神様みたいに何でも自由にできた。それでも香奈は、世の中にも詳しく、世の中の流れや技術にもそこそこ詳しかった。香奈はほとんど外出しなかった。ナンダカンダと面会する人の話とか、恵との話とか、若い猫たちの話とか経済基礎研究所や企業分析研究所を元に、自分の見識や見解を再構築していた。話をする人は、超高齢で外出もしない香奈の見識に驚いていた。やっぱり神のような存在なのだと思った。それが香奈の神格性を高めていた。若い猫たちは、自由になんでも言った。香奈ばあちゃんにあれこれ話もした。リトルチャは、取引の事や国際金融の事も時々話した。リトルホワイトも、心理学の事や保養施設の人の事も話した。チャタロウは、企業経営の事を色々と相談した。チャやココは、香奈には遠慮もあったが、子猫の子猫たちは、そんなには遠慮はなかった。香奈は、ジブトラストから早く帰り、家でのんびりする事も増えたが、猫と遊ぶといいながら、猫ルートで色々と話を聞いていた。香奈はそんなに意識しなかった。

恵にも猫チャンネルが出来た。

ある時、恵がいつものように、香奈さんと言って遊びにきた。ピンポンと鳴らして、香奈が恵と聞いて、入りなよと言って、30分以上もたって、香奈の部屋に来た。

香奈「遅いじゃないの。誰かと話でもしていたの?」
「社会福祉研究所で勉強している猫から話を聞いていたのよ。応接間を借りて、じっくり聞いていたのよ。私はそんな話は、今まで財団では聞いた事はなかったのよ。明日、ジブシティーの財団で早速聞いてみるわ。」
香奈「恵も猫チャンネルがあるのね。」
「猫チャンネルなんて作り事と思っていたけど、今日は、本当に猫の声は聞えたわ。香奈さんの話は本当だったのね。」
香奈「若い勉強中の猫と思うから、そんなに全面的に信用しないで、色々と調べてから判断してね。私もそうしているわ。」
「それでも、財団の連中は何にも言わないのよ。参考になったわ。猫も真剣に勉強しているのね。感心したわ。香奈さんは、猫から色々と話を聞くの?」
香奈「それは一緒に住んでいるからね。若い猫たちは、今日はこんな事を勉強したとか、こんな研究をしているとかは時々話にくるわよ。専門的な事はよく判らないけどね。プーチンなんて、小難しい事をよく言うから、もっと簡単に説明してよと言っているのよ。夢野先生の影響みたいね。突然結論を話すのよ。テレサも発明品を見せにきて、説明に来るのよ。ナターシャもデザインも見せにくるよ。経済分析担当の猫の話は、参考にしているよ。」
「それは良い事だよ。この頃、私には、財団の連中もそんなに詳しい事は説明もしないのよ。ただ承認印を押せとしか言わないのよ。今度はちゃんと説明させるわ。小夜さんも総括的な事しか説明しないし、冶部ビルの事も色々聞いてみるわ。今日は参考になったわ。私は裸の王様みたいに、何も知らないようになる所だったわ。」

恵は、財団ではドンと云われ、支出の決定権を握っていた。しかも半世紀を遥かに超える長さで、財団を取り仕切っていた。そんな人に本音を話したり、詳しく説明する人は少なかった。決死の覚悟で新しい福祉の予算を貰おうとする人が偶に挑戦する程度だった。恵は真剣に話をする人の話は聞いた。そしてドーンと支出を認めてきた。財団の活動はそうして広範囲になったが、段々とあらゆる活動もして、そんな人も少なくなっていった。冶部ビルは、小夜は、日本の都心の都市開発では伝説的な不動産王と知られた人物でもあり、冶部ビルは有名な会社となったが、恵の前では、簡単に説明し、ほとんどの説明は菊子に任せていた。恵は圧倒的な存在感を持っていたが、それだけに、情報は制限されつつあった。恵はバイタリティー溢れる行動力で、自分で道を広げていた人だけに、周囲の人は圧倒され、かえって情報は少なく、説明する人の都合で情報も限定的になっていた。恵の行動は早かった。財団でも、冶部ビルでも、恵教でも、みんなの考えている事を自由に討議して、意見を交換し、みんなで考える全体会議を、食堂兼会議室で開催する事を考えていた。恵の支配は強力だったが、それだけで、組織が統率されて、機能的に動くとは恵は考えなかった。恵亡き後を考えていた人たちにとって意外な展開ではあったが、内在的な対立点を今後の取組みにどう生かされるのかはまだ判らなかった。ただ恵は真剣だった。多方面で正確な情報は大切だったし、真剣な討議は、冶部ビルのような企業だけでなく、財団や恵教でも同一手法ではないものの、必要な事と恵は思っていた。冶部ビル福岡や、ジブタウン東京そして九州新開発の実態を恵が正確に知る日は近づいていた。

猫たちの夜明けは遠かった

研究所や大学院大学で勉強する猫たちの才能や見識を生かそうとして始めた九州事業であったが、チャタロウは色々と多方面に協力体制を作り、協力企業群を完備しすぎた。それ自体大きな販売流通網を持つ組織になり、九州事業での製造数量だけではとても足りず、世界各地でナンダカンダと関係製造設備を作る羽目になった。リトルチャも資金を出しすぎた。初めの予定していた製造関係事業以外にもやたらと九州事業は複雑な事業を持つ事になってしまった。リトルキャット九州も銀行上がりの人が中心のくせに、生産や営業、販売などについて勉強しすぎた。たしかに猫資金系列企業群は大きくなった。九州事業は成功した。しかも世界に伸びた。人間たちのネットワークが進みすぎ、うまく行き過ぎた。リトルキャット九州内部では、猫の技術や開発技術はたしかに尊敬され、リトルチャが取引の天才と知られ、チャタロウの経営能力は高く評価されていたが、外部では単に話題の企業集団と騒がれて、香奈の家の猫たちの技術や開発が優れているとか、猫のチャタロウが優れた経営能力を持つとか、猫のリトルチャが取引の天才猫で更に優れた金融ネットワークを作ったとは認識されなかった。すべては、正人は経理や管理だけでなく、経営や先見性にも優れた大物だったと認識され、日銀、銀行上がりではあるが経営手腕そして先見性を持つ名経営者と喧伝され、リトルキャット九州の社長も銀行上がりの人だったが、先見性のある経営者として、結構有名になった。名目的なリトルキャット運用会社の社長だったあの老人が、取引の天才と云われて、国際業務に強い彼も銀行再生の達人とか、噂のグローバル決済システムを作った人とか囁かれていた。それに猫たちの勉強していた事は、九州事業には留まらなかった。香奈の家の猫たちは、北日本の猫たちの発想、九州の猫たちの発想そしてその他の各地の猫たちの発想も生かして、ジブ総合研究所で研究していた。意外な事であったが、それを大きく生かしたのは、加代子たちが買収したり、多くを保有した会社群だった。新しい役員が、神太朗からの難しい注文にこなすために、ジブトラストからの企業分析研究所の参考技術情報として出されていた各研究所の成果情報までも真剣に受け止め、パテント代を払い、事業化した。各研究所も個々の研究室が新しい研究を行い、各分野の研究をして、個々の研究室が研究所のようになり、研究所と云いながら、冶部総合研究ベンチャーのような研究ベンチャーのような株式会社も、ジブトラストが作っていた。加代子たちがやたらと保有していた会社は、ほとんどがどんどんと大きくなり、あっさり言えば化けた。加代子たちが買収したり、多く保有した会社の資産価値は、何倍、何十倍になっていった。配当自体が最初の収得価格以上出た。アメリカの再生とか云われだした。加代子たちは多くの株式は、証券会社のアメリカ子会社名義で保有し、そして証券会社のアメリカ子会社での加代子たちの会社の保有比率はやたらと高くなっていた。しかし証券会社の元々の資本はジブトラストとカミカミだった。切人たちの海外香奈やマリアホープでもそれなりに証券会社に出資し、正人も莫大な出資を国内香奈として、証券会社本体に出資していた、つまりかなりの関係者が、程度の差はあるが、これらの会社が大きくなっていく事による利益を享受した。カヨコファイナンシャルは、独自に株式も保有していたので、巨大な利益を得た。ジブトラストも大きな利益を得た。しかし猫たちのお陰と思う人は、ジブトラスト内の詳しい事情が判っている人だけのように思えた。猫たちの夜明けはまだまだ遠いようであった。しかし、知っている人は、少しつづ増えていたのは、事実だった。夜明けの前は、暗いものだった。(チャ ファミリー

香奈も恵も、まだまだ元気だった。

香奈も恵も、まだまだ元気で、ドンドン若くなっていた、ココもチャも元気で頑張っていた。ココもチャも、リトルキャット運用会社としての運用は、子猫たちとしての運用なので、口を入れる事はしなかった。ただ香奈国内や、スイスカナキャットを含めてスイスカナコインとしての取引のチーフ猫は、やっぱりチャやココだった。 子猫たちは、香奈国内やスイスカナコインとしての取引は、ココやチャの指示の基に行い、リトルキャット運用会社としての取引は、自分たちの判断で行った。 実際の取引が、子猫たちでなく、子猫の子猫たちや子猫の子猫の子猫たちなどに移っても、香奈国内やスイスカナコインとしての取引の指示は、ココやチャが決めていたし、ココやチャが、チーフ猫としての独自の運用枠も依然として持っていた。

ココが、実際の取引を細かく管理して、厳しくリスク管理を直接指示し、チャは子猫たちに、全体的なリスク管理に配慮して、子猫たちの自主性に任せていた事も変わらなかった。 しかし、ココの管理は徹底して、香奈国内としての取引は、ココが取引の大きな方針を示せば、実質的には子猫たちは、それに従った。ココの子猫たちは、リトルキャット運用会社としての取引は自由に取引できたが、やっぱりココ流の取引のやり方が身についていた。

ココが、具体的な取引指示を出す事は、ほとんど出さなくてもすむようになくなってきた。ココは、自分のチーフ猫としての運用枠の中で、自分の原点とも言える一発倍増路線のボロ株を検討して、チャンスとみれば、買うように指示したり、ココは株式の保有リスクとして、株先物を考えていたので、株先物は、売りが基調だった。香奈国内の猫の運用枠の中でも、株先物は、独自にしていた、信用での売りとのコンビや先物売りのリスク取りもしたので、株先物も買う事はあったものの、あくまで売りが、先物の基調と言えた。ココのチームは基本的に、株式現物の買い、リスク取りとしての先物の売りが基本といえた。香奈国内として意図しない事だったが、ボロ株だった会社が、正人がお節介のように、会社を育てるなんぞといいながら、香奈特別基金としても、長期保有株なんぞを持つようになり、保有株が増えてくると、株価が一時的に落ちそうな時には、独自に先物を売るような事もした。ココは、香奈国内の猫運用枠として、今は先物の売りを強くしなとか、今は押さえにしなとか言って、指示した。

一方、チャは、取引そのものは、リトルチャやチャタロウの自主性を重んじていたが、最後には、自分でリスクを取っていた。リトルチャは複雑な取引をしてリスク管理をしていたし、チャタロウもリスク管理を強め出すとそんな事も必要なくなった。しかし、スイスカナコインとしての運用総額などの大きな指針は、やっぱりチャが指示を出した。スイスカナキャットのお金が貯まり、運用枠が増えていった時には、特に注意した。運用は、やっぱり損する事もある行為ではあるので、スイスカナキャットに金が貯まってくると、運用自体を控えめにしろとは、リトルチャやチャタロウには言っていた、スイスカナキャットとしての運用が、スイスカナコインの同額運用になると、もうそんなに言う必要もなくなってきた。それにチーフ猫の運用枠は多かった、ココの原点は、ボロ株を見つけ、一発倍増を目指す路線だったが、チャの原点は、オーバーナイトとしての先物運用と言えた。大きく儲けられる時に、先物で運用した。ただチャは、途中で為替を勉強して、為替も第二の原点とも言えた、スイスカナキャットは、口座残高の半分には、手をつけず、スイスフランとして現金で残していた。チャは通貨としては、スイスフランを気に入っていた。チャが、スイスフランがより安定な通貨だと思う事が、スイスカナキャットの誕生の一端にもなっていた。しかし時には、やっぱり一時的に、この現金を為替処理して、日本円とかアメリカドルとかユーロとかに替える事もあった。あまりにユーロが安くなったり、ドルが安くなった時には、為替処理して、ドルやユーロも持った。スイスフランと円のペアもあるので、円が安くなった時には、円にも替えた。スイスカナキャットとしての保有通貨の選択はチャの専権事項でもあった。

ところが、最近チャは、原点ともいえる先物取引はチャがある程度儲かると判断した時は、金額を限定して、たまには取引したが、それだけではなく、リトルチャの事業やチャタロウの事業に役立ちそうなヨーロッパ企業を研究担当の猫たちに、研究させていた。ヨーロッパでは香奈関係の企業はやたらとあった、スイスカナコイン関係の会社もあった。色々な角度からチャは、検討していた。スイスカナコインとも協力でき、ジブとはそんなに競合しない会社で良い会社を見つけ出すのは、大変だった。単に研究担当の猫たちだけに任せたものでもなかった。老練なチャの判断が加わった。そしていい企業と思う企業の株を、自分のチーフ猫としての運用枠の中で、保有するようになった。株式担当の猫たちに、ナンタラと云うヨーロッパの会社の株は安値となれば買えと指示し、買えば、自分のチーフ猫としての運用枠に移して、長期保有した。チャとして、株式を長期保有する事は、珍しい事だった。株式担当の猫たちは、チャタロウのチームなので、チャタロウにそんな事は言った。リトルチャの事業に関係する銀行の株とか、金融関係の会社の株も時には買った。リトルチャもそれをチャタロウから聞いた。二人、いや二匹には、なんとなく感じる事があった。チャタロウはアジアとアメリカをとりあえず集中的に、考えていた。ヨーロッパ関係は手薄だった。リトルチャもワールドワイドに拠点を持ったが、ヨーロッパは、やや拠点数も質も弱かった。二匹は、研究担当の猫からもこれらの会社の研究結果も聞いた。チャタロウは、チャタロウのチームにも相談して、ヨーロッパでの協力関係もこうした企業を中心にして、協議を始める事にした。リトルチャは、自分の金融グループに、これらの企業との協力関係を築けと命令した。チャは直接、リトルチャやチャタロウには、何にも言わなかったが、二匹にはなんとなく、チャが言いたい事が判った。チャはヨーロッパの可能性を信じていた。ヨーロッパにも目を向けろと、言っていたのだった。それにチャ自身、もうそんなにスイスカナコインやスイスカナキャットの金をドンドン増やそうとする気持ちは少なくなっていた。今ある金を大事にして、将来性の高い会社の株を持っていた方がいいとも、少し思うようになってもいた。株式を持っていても、税金はそんなに掛からない。海外では配当にかかる税金も低かった。二人の子供、いや子猫たちの将来に役立つかもしれないと思う気持ちもあった。

チャもココも、そんなに相場にしがみつく歳でもなかった。香奈が、家でのんびりしている時は一緒にのんびりする事が多かった。リトルチャとチャタロウを含め、五匹の子猫は、リトルキャット運用会社での仕事が増え、子猫の子猫、子猫の子猫の子猫たちが、管理チームを作り、スイスカナキャットを含めたスイスカナコイン、香奈国内、リトルキャット運用会社の取引管理をする体制が出来ていた。リトルチャのグループは、高度な取引テクニックを要求したが、それなりにメンバーが増えてきた。金融専門の猫たちまでいた。香奈の家の猫は、高学歴化、少子化が進んでいたが、誰も死なないので、少しづつ数が増え、膨れ上がっていた。リトルキャット運用会社チーム、国内香奈チーム、スイスカナコインチームなどの取引だけではなく、各研究チーム、各技術チーム、保養施設チーム、デザインチーム、コネコソフトチーム、社会福祉研究所の研究を参考にして、各地の猫ハウスの猫たちを教育していく教育チームなどと、どんどん担当チームも増えていた。猫離れも増設していた。香奈も色々な猫が、にゃーにゃーと議論しているのを知っていた。時々猫たちとも話していた。ただチビ助は大体、香奈の側にいて、香奈の様子を見ていた。三匹の子猫も大きくなって、大学院大学で勉強していた。家に帰ってくると、香奈ばあちゃんと言って、香奈の側に寄ってきた。色々と報告した。香奈も意見を言った。ココもチャも元気だったがそろそろ、五十歳に近づいてきた。長生きのコシロの記録も破るかもしれなかった。

時代は確実に進んでいっていた。香奈と恵は、超高齢者だったが、二人の重要性も決して小さくなってはいなかった。二人の組織の中の司令塔としての役割は一層大きなものとなっていった。


香奈 その後に続く。