香奈引退?

ジブトラストは大きく変わってきた。

アメリカの再生

加代子たちのアメリカの会社は、マーケットでは、典型的な肉食獣と見られていた。ハゲタカと言うよりライオンやオオカミみたいと言われた。食いちぎり、逆らうものを引き裂き、みんなをなぎ倒して、進んでいた。デッカク稼ぎ、市場を荒らしまわっていた。そんなジブトラストの最強の取引集団とも言えた加代子のアメリカは、多くの株式を保有する持株会社のようになり、時期を選んで、細かい調整売買はするものの、運用は減り、今までの取引量とはガクッと減った単位で、若い取引の小天才たちが、先物を中心としたデリバティブや債権などを扱っている運用会社になった。加代子は、それでも先物を取引していたが、お休みも多くなった。取引してもさっさと早く帰るようになっていた。

加代子たちが買い占めたり、多く保有している会社には、はじめは加代子たちの会社からは、誰も出さなかった。配当を多くよこせと言うだけだった。肉食獣が骨の髄までしゃぶりたいだけだと非難する人もいた。それでも神太朗の証券会社名義の株が多いので、神太朗は、それぞれの専門家を経営陣に入れ、見張り役みたいな人を非常勤の役員に出していた。神太朗は、企業分析研究所の分析に従って、会社を運営するように、その専門家たちに言っていた。企業分析研究所は、色々と細かく分析していたが、ジブ総合研究所の他の研究所での研究成果を紹介して、新しい技術を導入する事も勧めていた。その専門家たちはそれに注目した。それに元々優れた部門も持っていた。ジブトラストは、そうした技術を導入するための金は増資として出した。その金を出すのは、ジブアメリカだったり、北米の金融センターだったり、カヨコファイナンシャルだったり、ジブ本体からの増資だったりした。全てとは言えないものの、ほとんどは成功して、加代子たちの会社が多く保有している会社はドーンと大きくなっていた。非上場にしてしまった会社もあったが、それらの会社はやたらと大きくなった。増資に応じたジブトラストやジブアメリカ、金融センターだけでなく、元々株式を多く保有していた加代子のアメリカの会社は、配当だけでも巨額になり、株価も上がり、加代子たちの会社の資産は膨れ上がっていた。加代子たちの会社も、幹部たちがそれぞれ勉強のためとか言って、役員にもなりだした。経営首脳陣は、資本つまり加代子たちの会社や証券会社そしてジブトラストとは関係のない人が、運営しており、お目付けみたいなジブアメリカと加代子たちの会社の幹部が役員となって、経営を監視していた。お目付けみたいな役員が、ジブの企業分析研究所からの企業分析に基づき、経営状態について、会社の経営陣に、その運営方法を質問する会議に役員会は変化していた。その会議の結果に基づき、首脳陣が経営を執行する会社となっていた。これは珍しいようだが、本当の株式会社はそういうものかもしれなかった。経営を執行する人たちだけが、株主の金、会社の金を使って会社を運営する場が役員会ではなく、株主の意向を元に、会社の運営を定期的に、客観的に監視していく場が役員会となっていた。結構これがうまくいった。一時、中国に天下を取られたみたいに意気消沈していたアメリカも、次第に元気を取り戻していた。その流れにも乗った。加代子たちの会社の幹部は、はじめは、配当をもっとよこせとしか言わなかったが、段々と雰囲気が変わっていった。幹部たちも、会社経営を勉強しだした。企業分析研究所のアメリカ研究所までつくりだした。金はあったので、見栄をはって、有名な大学の先生を集めた。ただ所詮、株屋なので、経営なんぞはそれ程分からないので、家庭教師というかそんな事に詳しい奴らを使う事を考えた、会社経営の手法に詳しい若い優秀な若手を、その偉い先生から紹介して貰って、そんな奴らを使う事を考えた。アメリカでは、ナンタラと云う有名なビジネススクールが幾つもあり、実践的な経営学を勉強している。モチはモチ屋なのだ。それに実際に経営するのは、神太朗が選んだ経験のある経営の専門家が執行するので、加代子の会社の幹部たちは、それがどんなものかを理解すればよかった。そのため、ビジネススクールを出たような若い奴らでも良かったのだ。家庭教師と云うより、案内人みたいなものだった。大きな会社には、加代子のアメリカの会社の幹部とその優秀な若手が役員として入り、小さい会社には、優秀な若手だけ送り込んで、報告を受けるようになった。実際の経営は、神太朗が選んだ、経験もある経営の専門家が経営しているので、その経営方法を勉強するにした。そうした経営の専門家は、神太朗に報告して、経営を進めた。神太朗は、大きな方針を企業分析研究所の分析を参考にして決め、そんな人たちに示すだけで、具体的な経営執行は、そうした経営の専門家たちに任せていた。そうした運営方法で経営していた、加代子たちが多く、株式を保有していた会社は、アメリカの会社なのに、雇用を大事にして、工場のある地域と共に発展する方法を取るようになった。エンジェルホープ病院が新しく病院を作った中小都市では、エンジェルホープ病院が、その地域の医療体制の中核を担う事になった。神太朗は決して、リストラして、利益を上げて、配当に回せとは言わなかった。逆に、リストラを提案して、自分がリストラされた経営者もいた。

実は、神太朗からの指示は、企業分析研究所の報告書だけに基づくものでもなく、神太朗自身の考え方も当然反映されていた。ジブトラストは、基本的には、企業分析研究所の企業分析に基づいて、神太朗の管理の元に、企業の経営を監視していた。過半数を保有しておらず、ジブ傘下とは言えない企業でも、ジブトラストが多く保有している会社でも、保有率に応じて、同様の対応を取った。ジブからの分析や助言に従わず、勝手に経営しだすと、株式の処分権は、神太朗から離れて、個々の運用会社、つまりカヨコファナンシャルだったり、切人系の会社だったりするが、それらの会社に戻り、勝手に売買してもいい事になった。これは経営首脳陣に大きなプレッシャーになった。金も組織もない人たちが、株主総会で、綺麗事を言っても、それは単なるガス抜きで終わるが、金も組織も株式も保有しているジブが言うと、綺麗事や戯言ではすまなくなった。神太朗もそんなに甘い人でもないと段々知られていた。それに神太朗が手を引くと、カヨコファイナンシャルや切人系の会社が自由に売買出来る事になった。カヨコファイナンシャルとトラストが取った手法は、まだみんなの脳裏に残っていた。加代子は、ボーとしているようでも怒ると怖く、本当に企業をバラバラにして、叩き売る人と言われていた。加代子は、ある会社の魅力的な部門に注目している人なので、それ以外の部門には、あまり関心を示さない人でもあった。切人は、損得に関しては、厳しく判断する人と知られていた。株式の保有は、極めて安定性を欠く事になり、どんな企業に叩き売られたり、逆に会社が丸ごと買収されたりするかもしれないと云う緊張関係が再び生じる事につながった。結局、企業分析に逆らう事はまず出来なかった。神太朗は、理想主義者ではあったが、実務家でもあった。洋太郎がくどくど言っていた。「企業は雇用を維持して、社会に役立つ製品を作るための組織である。利益は組織を維持するための必要なものに過ぎない。」と云う純子の言葉は、神太朗は、ずっと、会社として利益第一主義に走るなと、単に純子が洋次郎に教えたものと思っていた。

神太朗が考えた雇用が会社の基本と云う意味

洋太郎は、若い時は野心に溢れた青年だった。洋之助にお仕置きとして紡績の製造で、修業させられた。洋太郎は、紡績の製造に巣くう純粋な紡績を慕う人たちに可愛がられ、純子の言葉とか洋次郎の言葉に触れるうちに、次第に変わって来た。洋太郎自身にも葛藤があった。それでもいつしか洋太郎は、「会社は、人を雇用するための組織である。」と純子が洋次郎に言った言葉を言うようになっていた。神太朗は証券会社も辞め、ジブトラストに再び勤めるようになり、食堂で洋太郎によく話をするようになった。洋太郎は、超高齢ではあったが、ボケ老人でもなく、馬鹿でもなかった。社外人脈が豊富で、若い頃に面倒をみた人が、子供をつれてきて、一緒にきたり、孫までつれてくる事もあった。紡績の製造現場は、一時、紡績学校とも揶揄されていた、その事の面目躍如であった。昔の恩師への訪問みたいな雰囲気もあった。それにみんな敷地内ほどではないが、高齢者は元気になっていった。「いつまでの元気で」とか話題のレアメタルの浄水が普及していた。洋太郎は、ウロウロしないのに、驚く程世間の事情も知っていた。神太朗は、洋太郎のクドクド言った言葉は、若い頃は年寄りの愚痴と思っていたが、言外の意味があるのかもしれないと思い出した。言葉は便利でもすべてを伝えられるものでもない。純子の思いを凝縮したものであっても、全てを伝えているものでもない。従来思っていた単純な利益第一主義に走るなと云う意味だけでもないと思い出した。若い頃は洋太郎に批判的だった父の太朗まで、「企業は雇用を維持して、社会に役立つ製品を作るための組織である。利益は組織を維持するための必要なものに過ぎない。」と言い出していた。太朗は、雇用を重視すると共に、それ以上に、良質な製品を社会に安定的に安価で供給する事を重視していた。それが企業の社会的な責任と云うものだと言っていた。アフリカ快適ホールディングは、アフリカが発展していく素材を安定的に、効率的に製造していくための企業であると強調していた。太朗は欧米風に、雇用そのものについては、多様な人事交流が必要でもあると言って、純子や洋太郎ほど、雇用が最優先とは思っていなかった。しかし効率的な生産体制そして会社としての優秀な人材を確保し、教育していく事の必要性は知っていた。神太朗は自分なりに、この意味を考える事にした。洋之助が洋太郎に言った「企業は人を育てる場所でもある」との言葉も、「企業も人に育てられる」に繋がる事にも気付いた。神太朗も歳になり、純子や洋之助の言葉の深い意味が判り始めていた。

辺朗は、独自の路線を堅持しつつ、進化していた。

清太郎は、紡績を変革して、普通の会社に替えていっている時に、突然この深い意味に気付いた。清太郎は、紡績を普通の会社にするために、多大の精力を使った。社内に根強く残る愛の会社を懐古する声には手を焼いていた。紡績の製造が激賞する懐古主義のアジア快適、インド快適とは距離を置いていた。しかし辺郎のアジア快適が、最高級品のグランドリトルキャットを作りだして、その高品質が有名になり、紡績よりも丁寧で、遥かに高品質だといわれ出して、渋々清太郎も視察に行った。清太郎はアジア快適を視察していると、変革する前の紡績、いやもっと古い、純粋な紡績がそこにあった。ピカピカの社内、礼儀正しい社員そして静寂で、寺や修道院のような雰囲気に包まれた会社であった。最新式の機材はあるものの、手作業も重視していた。清太郎は、紡績の製造からの報告で、ある程度予測していた。しかし清太郎は当然、製造の現場以外に色々な部門も視察した。消費者満足度向上のための取組み、クレームを受けた消費者をロイヤルカスタマーにするための方法、デザインルーム、最新のファション解析と各国の動向なんぞを調べ、マーケティングセクション、カスタマーリレーション、海外の協力関係を統括するオーバーシーズリレーションなどもあり、最新の経営手法も取り入れていた。 リトルキャットの製品を作った時から少しつづ、取り入れていた手法がほぼ確立していた。グランドリトルキャット製品は、ほぼ完璧なカスタマー対策を取っていた。購入お礼の手紙から、季節の挨拶、製品を使用した時に感じた事とか、お手入れのやり方、無料点検や修理など、至れり尽せりの対策を取って、世界最高のブランドと言われていた。グランドリトルキャット製品は、単に高価な製品を売っているだけではなかった。一度使い出した人は、ボロボロになってもまだ使い、何点も持っている人もいた。アジアの快適の顧客リストは、膨大なものであった。これがアジア快適の財産だと辺郎は強調して、大事に保管していた。清太郎もこれには感心した。単に古臭い建前にしがみつくのではなく、辺朗たちは、会社の総力を結集して、消費者に満足してもらう製品を作る事に心がけていた。

たまたまアジア全体の快適の役員会議が開かれ、清太郎もゲストとして参加した。清太郎は、辺郎は若い頃からアジア快適を率いて、カリスマ的な経営をし、寺の法話みたいな役員会だろうと思っていた。しかしそこでは活発な議論がされていた。辺郎の発言にも色々と質問が出ていた。役員会として、アジア快適を支えていく自負が皆の意見に感じられた。製品を輸出している国の動向やアジア各国の動向まで討議させていた。清太郎にも日本の動向についての意見を求められた。辺郎は、リトルキャットの製品を製造して、消費者の動向についてもっと勉強していく事が必要と感じていた。一人よがりで、最高品質と勝手に思っていてはいけないとも気付いていた。消費者が最高品質かどうかは判断するのだ、製造者は誇りを持って製品を作るが、製品の品質を判断するのは消費者なのだとも思った。ナターシャたちのリトルキャットのデザインを有難く受け取るだけでなく、自分たちでも消費者に受け入れられるデザインをつくる重要性を痛感していた。チャラチャラした製品を売れるからと云って作る事はしないものの、消費者の要望はなにか、世界各国の消費者の要望の違いなんぞとのデータも蓄積していた。トータルな意味での製品品質とは何かとの研究会も開催していた。呪文のように、雇用を大切にすると唱えていれば道が開け、なんとかなる訳ではない。そのために努力する方法を必死になって考えるのが、経営陣の役目だと辺郎は、思っていた。そんな事まで、紡績の製造は報告していなかった。そしてアジア快適と共に、元気になっていった町も見た。どの橋、あそこの学校、ここの道路は、アジア快適が作ったとみんなが言っていた。清太郎も判った。利益がなくてもいいと云う事でも、単純な利益第一主義に走るなと云う事でもなかった。むしろ経営者にとって、一層の覚悟と努力を求める言葉なのだと思った。清太郎は、やっぱりこのスローガンを大切にする事にした。

清太郎は、神太朗にそっと話した。神太朗も、神太朗なりにこの意味の重要性について確信を持った。それは遠回りでも、結局会社を大きくするために必要なのだと思った。会社は、社会と無関係ではありえない。日本が駄目なら、アメリカへ、そしてそれも駄目になったら、ヨーロッパ、中国やアジアへと行っているだけでは駄目なのだ。その会社がいる地域、そして国に貢献していく事が大事なのだ。会社も社会や地域の大きな構成員なのだと思った。純子はそれを言いたかったのかもしれないと思った。あっちこっちと稼げる場所を探しても、所詮その場しのぎですらない。結局、儲ける時を爪で研いで、待っている投機家とそんなに差はない。社会に貢献して、社会や従業員とともに大きくならないといけないと思い出した。表面的には、やっぱり神太朗も同じような事を言い出した。ジブ傘下の企業では、人員整理などはさせないとも言った。利益を出すために人員整理すれば、何のための会社なのか、何のための経営陣なのだとも言った。しかし、神太朗がそれを言い出すと、単に綺麗事ではすまなくなった。関係する企業は、もはや、めった、やたらとあった。洋太郎のように年寄りの愚痴みたいな訳にはいかなかった。神太朗は、単に理想主義者で甘いだけの人間でもなかった。結構凄みもあった。忠告にあくまで従わない傘下の企業では、経営陣をあっさり交代させる事もあった。

ある小さい家具製造メーカーの話

これは、ある小さい家具製造メーカーの話であった。手作りに近い高級家具を作っている会社がアメリカにあった。そこそこ有名だった。本当は創業者一族が頑固にコツコツと経営していた会社だった。材木を切り出すための大きな広い山も幾つか持っていた。ただ、家庭的な企業でもあったので、働いていた従業員にも、少しづつ株式を分け与えていた。ただ時間が経つと、創業者一族も多くは都会に出て分散してしまっていた。経営者もいつもいつも創業者一族に適切な人がいるとも限らず、いつしか創業者一族でもなくなった。そんな小さい会社は本来上場できる筈もないのに、その高級家具が有名になり、何故か上場までしてしまった。上場したので、創業者一族も相当売らされ、株式は分散化してしまった。その家具はその当時は結構有名だったし、高級家具以外にも現代的なシステムデスクなんぞも売り出し、業績もよく、案外高値で取引され、創業者一族で、もはや会社とは何の関係もない人たちが更に株を売って、株式は更に分散してしまった。ただ、高級家具がバンバン売れる時代はやがて少しづつ過ぎていき、成績も低迷し、現代的な家具がそこそこ売れていたので、ようやく黒字になっているような会社であった。もはや創業者一族の保有株は非常に少なくなっていたし、経営者はいつしか伝統に胡坐を組む、ボンクラになり、更に成績は低迷していた。当然株価も低迷していた。そんな会社を何故か、加代子が選び、過半数の株まで持ってしまっていた。流石にこんな小さい会社は、神太朗は、ほとんど気にしなかった。たまたま、香奈と同じビジネススクールを出たばかりの秀才が、完全にジブトラスト傘下になったこの家具製造会社の経営をしたいと香奈に手紙を出した。香奈は、そのナンタラと言うビジネススクールの卒業生としては、伝説的な成功者と言えた。香奈は、その手紙をたまたま見て、そのガッツと会社を大きくすると云う、その秀才の構想力に感心して、神太朗に推薦した。神太朗も、そんな小さい会社には関心もなく、その秀才にこの会社の経営を任せた。当然神太朗の基本方針は伝えた。人員整理を含むリストラと云う選択肢はないよと伝えた。この秀才にとっては、初めは小さい家具製造会社でも 業績を伸ばし、利益が出れば、ジブ系列の大きな会社の経営者にステップアップできると考えた。その秀才は、会社の業績や業界の動向を更に綿密に解析して、利益が低迷し、ほとんど赤字の手作りの高級家具部門を廃止して、利益率が高く、回転率も高い、現代的な家具製造に特化し、更にオフィス用品にまで展開していく事が、会社の業績を伸ばす早道だと思った。ただ、手作りの家具を作っていた古い小さい工場を閉鎖しても、人員整理をすると、神太朗に言われた事に逆らうので、現代的な家具を作っていた大きな工場を拡張して、そこで働いてもらう事にした。それでもその古い小さい工場には、正社員だけでなく、パートとかアルバイトみたいな人も雇っていた。そんな人の雇用なんぞ気にしていては、経営なんぞは出来ないので、それは解雇する事にした。材木などを運んだりする人たちの雇用なんぞも気にしなかった。高級家具の工場を閉鎖すれば、もうそんな高価な材木は要らないのだ。何しろその古い小さい工場は、交通の便利の悪い、アメリカの田舎みたいな小さい町にあった。そんな田舎なので、運送費も高く、高級な材木を使っていては、コストが高くついた。それでもそんな事は神太朗は知らなかった。何しろ小さい会社だった。ただこの小さい町は、その古い小さい高級家具を作る工場とともに、長い間、支えあってきた。町の人も、この会社の株をほんの少しではあるが保有していた人たちもいた。何代にも渡って、その古い小さい工場に勤めている一家もいた。ダンスパーティーやバーベキューパーティー、そして感謝祭とかクリスマスなどの祝日も会社と地域の人がともに、小さいパーティなんぞを開いて盛り上がってきた。そんな工場の閉鎖なので、町の人は吃驚して、工場を閉鎖しないでくれと、デモをした。その小さい古い工場が町を支えてきた、町が潰れるとも言っていた。たまたま、そのデモをアメリカのテレビが放送していて、神太朗がそれを見て、吃驚した。その計画を詳しく説明しろとその秀才とジブアメリカの人をジブ本体に呼んだ。その秀才の考えた計画は、現代的な家具だけでなく、やがてはオフィス用品まで広げて、今までの家具製造会社から脱皮していく、ビジネススクールの講義みたいな計画書を出した。雇用を大事にして、古い小さい工場で働いていた人にも、現代的な工場で手伝ってもらうともいった。ただ遠く離れた、現代的な工場で勤められない人は、その人の勝手だし、パートとかアルバイトは、契約が切れたらいつでも首に出来るから、パートとかアルバイトなのだとも言った。神太朗は、カチンときた、現代的な家具から手を広げてオフィス用品まで製造し、新しい工場を拡張していく構想は評価し、その計画は認めよう。必要なら金も出そう。しかし、小さい古い工場の作る高級家具についても、それを大事にして、赤字が出ているなら、それをどのように改善していくかを考えるのが、本当の経営者の役目なのだ、計画を考え直せと強く言った。ジブアメリカの人は、神太朗が強く言った事に驚いた。神太朗は、温和な人で、今までそんなに強い口調で発言する事は、ほとんどなかった。しかし、その秀才は平気だった。神太朗は経営の実態を知らない、単に理想的な事を言っているだけだ、ビジネスは厳しいものだ、その秀才は自分の考えが、経済的には当たり前の事を言っていると思っていた。赤字の出ている古い小さい工場の今後など考えるのは、時間と人そして金の浪費だと思った。結局、ジブトラストは資本なので、利益が出て、配当を上げれば、そんな事はすぐ忘れると思った。それが資本と云うものなのだ。自分の作った計画が、経済合理性からみれば、常識なのだ。普通なら閉鎖する工場の社員なんぞ解雇するのが当然なのに、神太朗がうるさいので、他の工場で雇用する。これで文句はあるまいと思った。神太朗の言った事を一緒に聞いていた、ジブアメリカからの役員は、計画そのものは確かに合理的なものとは思ったが、神太朗の忠告に逆らうと怖いよと言って、その計画に反対した。しかし、現代的な経営感覚では、こんなリストラは当然なのだと言って、この計画を押し進め、頭の切れた役員たちも賛同した。神太朗にジブアメリカから連絡が入った。神太朗は、珍しく激怒した。神太朗は、もうこんな奴を相手にする事すら、時間の無駄だと思い、ジブアメリカに臨時株主総会を開催させた。

この会社の役員会には、カヨコファイナンシャルからの役員もいた。その役員は頭の切れた、もっと有名なビジネススクールを出た秀才だった。当然このリストラ計画に賛同していた。もっと金を儲けて、配当を一杯もらう事が出来ると思った。加代子の会社も、株を多く保有していた会社に派遣するために、優秀な人を雇って、派遣していた。加代子の会社は株屋しかいない会社だった。経営手法などはそんなに分からなかった。今までの株屋以外にも、経営手法に詳しい優秀な人材を抱える必要があると思って、こんな秀才たちを、アメリカの加代子の会社が作ったアメリカ経済研究所の偉い先生の紹介で、その偉い先生のビジネススクールの卒業生を雇っていた。大きな会社では、株屋の幹部とそうした経営手法に詳しい秀才を派遣して、幹部はその秀才たちに色々と聞きながら、会社の状況を把握していた。しかし、幹部の数も限定されていたので、小さい会社には、そんな経営手法に詳しい秀才だけを派遣していた。

あのテレビの放送はたまたま、神三郎もみていた。その時は、加代子はお仕事だった。翌朝、加代子が神三郎から、その話を聞いた。加代子は、その日は大きく儲ける筈が儲けられず、機嫌が悪かった。何しろ加代子にしては珍しく、小さい利益を確定させた直後に大きく先物の価格が跳ね上がり、悔しい思いをした。直ぐに跳ね上がった先物価格は、結局、加代子の売った価格より下がったので、加代子の選択は間違っていなかったが、大きく儲けられる所が儲け損ねた、加代子としては面白い事ではなかった。そして取引もスクエア、つまり売り買い同数の状態で相当利益が出ていた。こんな時にはスクエアを崩し、利益をもっと大きくするのには、直感と運が必要なのだ。こんな日は早めに取引を止めるのが正解と思い、早めに取引を止めて、アメリカの会社の責任者と一緒に家に帰ってきた。アメリカの会社の責任者は、株式取引では天才と言われていたが、あまりにも一杯の株を保有してしまい、特にする事もなかったので、加代子と打ち合わせとか言って、その時は日本に来ていた。加代子のジブトラストの部屋で、株式相場を眺めていただけだった。その時は上がったと思ったら、直ぐに下がり、ウダウダしていた相場だった。突然ガセネタみたいな噂で、一斉に株価が動き、アメリカの会社の責任者もおやと思っていたら、直ぐに下がった。そんな時では調整売買すら出来ないので、加代子と一緒に加代子の家に帰った。そしてレストランから朝の飯を運んでもらっていた。みんなで食堂のようなレストランに行く事も多いが、たまには加代子の家の食堂でみんなで一緒に食べた。焼きたてのパンと色々な料理、良い香りのポット入りのコーヒー、神三郎用の特製和風朝定食などが、大量にレストランから運ばれていた。加代子の家は大家族なのだ。みんなで色々な話をした。そんな時に神三郎から、そんな話を聞いた。加代子は、実はその会社の高級家具を気に入っていた。わざわざアメリカから運んでもらって、家に置いていた。そんな計画なんぞ叩き潰すように、アメリカの会社の責任者に言った。そんな経営者こそリストラしなさいと、真剣な表情で言った、あの古い小さい工場があの会社の宝なのよ。あの工場が欲しくて買収したのよ。あの工場だけを別会社にして、カヨコファイナンシャルが買い取ってもいいと思う程なのよとも言った。アメリカの会社の責任者は、アメリカの会社の幹部にそのまま連絡した。そして、まさか、ウチからの役員でこんな計画に賛同した事はないだろうねとも言った。幹部もこんな小さい会社なんぞは気に留めなかったが、派遣していた役員に聞いた。加代子の会社から派遣されていたその秀才は、経済的な合理性からみたら、当然の計画ですよと言った。幹部は言った。お前も首になるだろうね。加代子さんは、あの計画に怒っているらしいよ。加代子さんに逆らったら、ここの会社ともオサラバだね。加代子の会社は高給を出している会社だった。その秀才は頭の切れた人で、変わり身も早かった。いや、あの計画には問題もあって、その問題を過小評価していました。早速見直します、あの人の計画に、よく考えもせず、賛同していた事は私の誤りです。臨時株主総会では、私の再生計画も出して、あの古い小さい工場の再生計画を独自に提案しますとほざいた。その秀才は、結構頭が切れて、変わり身の早い人なので、その町に行って、この工場閉鎖反対計画の主導者みたいな人にもあって、この古い小さい工場で、今まで通り高級家具を作り、木の暖かさを強調した色々な生活雑貨も作り、材木を取っていた大きな山々も整理して、材木を取る以外にも、ハイキングコースとか自然公園なんぞも作る計画を作りあげた。何しろ広い大きな山だった。不便な田舎でも、ジブ関係の交通会社にも無理を言って、バスも出してもらう事にもした。この裏切り者は、臨時株主総会で加代子の会社からの代理人みたいな奴に、その計画を発表させて、その計画を推進できる人間として、自分の名前を言わせた。そしてあの工場は、工場閉鎖反対運動の主導者みたいな人をあの工場に迎えて、あの町と一緒に繁栄できる方法を検討してもらうとも言った。そして、ジブアメリカ、神太朗傘下の証券会社、カヨコファイナンシャルそしてほんの少し株を持っていた町の人たちの賛成を得て、圧倒的な差で、この裏切り者を除いた、この秀才とそれに賛同していた役員たちの解任の決議とあの裏切り者の計画が承認された。役員は基本的には契約社員みたいなものだった。株主総会の決議で解任されれば、それで終わりだった。これらの役員たちは、一掃された。裏切り者も頭の切れた秀才だったので、色々と工作して、あの古い小さい工場は別会社にする構想を考えた。その古い小さい工場が、自由に、伸び伸びと高級家具を作っていける環境にする事をうたい文句にした、その会社が、ほんの少し出資して、カヨコファイナンシャルが圧倒的に多く出資し、ジブアメリカも神太朗のご機嫌を取ろうと少し出資した。そうして新しい子会社が出来ていた。

カヨコファイナンシャルの幹部たちは、その時日本に行っていたアメリカの会社の責任者から、加代子の意向を聞いていた。そんな古い小さい工場や田舎の山々なんぞは二束三文だと思いながらも、結構な額の出資を、直ぐに承認した。何しろ加代子は怖いのだ。そんなセコイ金がドーダコーダと意見を言う人は、加代子のアメリカの会社の幹部の中にはいなかったし、第一そんな人は幹部にはなれなかった。ボーとしている時の加代子は、加代子のアメリカの会社の幹部たちの意見を、そっくり認めてくれた。ほとんど加代子はボーとしていた。しかし、たまには、真剣な表情になる。取引する時以外でも真剣な表情になる時もあった。真剣な表情で、加代子が言うと、カヨコファイナンシャルは、それにみんな従う会社だった。何しろ今度の加代子は、真剣な表情だったとアメリカの会社の責任者は言っていた。アメリカの会社の責任者も、この世界では有名な株屋で、大抵の事には驚かないが、加代子が真剣な表情になると、何にも言わず従った。加代子の神がかり的な取引で、10億の個人的な運用から、カヨコファイナンシャルをアメリカ最大の運用会社にまで押し上げた。加代子は、神様みたいに神格化された伝説的な存在だった。確かに加代子が神がかりになると、それこそ神をも恐れない儲けをする人だった。加代子の怖さ、凄さは、みんな身に染みて知っていた。加代子と反対方向の取引を行い、多くの金を失う人たちも見てきた、加代子は、加代子に逆らう人たちを容赦なく、食いちぎってきた人だった。アメリカの加代子の会社の幹部たちも、それぞれ取引では、天才と言われていた人たちで、加代子の取引の凄さを知り、加代子の会社に集まってきたような人たちでもあった。普段はボーとしているような加代子が取引となるとシャキと真剣な表情になり、大胆な取引を次々と行い、巨万の富を築いてきたのを、間近に見てきた。真剣な表情の加代子に逆らう怖さは、十分すぎる位、知っていた。

こうして出来たこの新しく作った会社に、あの裏切り者の秀才は、古い小さい工場と材木を取るための広い大きな山々を売却した。そうすれば、その古い小さい工場を処分した事とあまり変わらなかった。今までの工場長を社長にして、工場閉鎖反対運動の主導者も会社に入れ、そんな人たちにみんな任せて、自分は、この新しく作った会社の役員にすらならなかった。おまけに、あの町で、昔から家具製造会社の株を持っていた人たちに、この新しく作った会社の株と交換してもいいよと言った。ほんの少ししか持っていなかった、この古い小さい工場の会社の株は、ほとんど無くなってしまった。そうして、自分は一掃された秀才の考えていた計画に専念する事にした。一掃されたあの秀才の構想力は見事だった。裏切り者の秀才は、一人てつぶやいていた。一層されたあの秀才は、まだ世の中を知らなさすぎる、権力者の大きな方針に逆らう事なく、上手く自分の意見を通して、仕事をするのが、本当のエリートなのだと。その高級家具などを販売している部署もその会社の組織ともした。その古い小さい工場は独自の努力で成績を上げるように、小回りの効く会社にしたとの理由もつけた。こうして、あの家具製造会社は、実質的に古い小さい工場を切り離した。その古い小さい工場を売却したような金とジブアメリカから新しく増資してもらった金で、新しい工場を拡張する金とした。

しかし、その秀才は甘かった。古い小さい工場では、高級家具以外にもナンダカンダと木で作った生活雑貨みたいなものを製造しだしていたが、話題になった事が宣伝効果になり、その高級家具が急に売れ出して、赤字どころか黒字転換してしまった。おまけにハイキングコースや自然公園を整備しようとしたが、ひょっとして、あの山に話題のレアメタルでも出たらと、甘い期待を持って、香奈オフィスのアメリカの子会社に資源探索を頼んだ、どちらにしても山の整備も必要だった。それが、あの話題のレアメタルが出た。小さい水溜りのような泉まで見つかった。その水を調べてみると、あの分岐上の水もリング状の水もそこそこあった。実は、別のレアメタルまで見つかっていた。香奈オフィスのアメリカの子会社は、そんな事までは言わなかった。契約でもあの話題のレアメタルが見つかるかどうか探してくれという資源探索の依頼だった。契約以外の事は言う必要もなかった。勿論、奈津美には直ぐに全部、報告した。それはそれだった。奈津美は、長期的な全面的な採掘契約を直ぐに結べ、出来るなら、そんな山々はそっくり買い取れ、金はいくらでも準備すると指示した。あの話題のレアメタルが出たので、結構高い金を出して、全ての鉱物の採掘権を20年間、吃驚するような高い値段で買い取りたいと言った。本当は全ての山をそれこそ目の飛び出るような値段で、全ての山を丸ごと買いたいと香奈オフィスのアメリカの子会社は言ったが、やはり、その古い小さい工場には、高級家具を作るための材木を取るための山は必要だった。それに全面的な使用権とか採掘権とかには少し抵抗もあった。やはり、工場長いや社長も、田舎の人とは言え、ナカナカの交渉力があった。ナンダカンダの交渉の結果、契約の値段は上がった。そして20年間ではなく30年間にして、レアメタルの種類、採掘量に拘らず、思い切り吹っかけたような高額の採掘料を一定の価格で支払う、その代わりに、山の全面的な採掘権、すべての鉱物の権利を与え、そして、現在の木を伐採して、その材木はあの古い小さい工場に、香奈オフィスの費用で運び入れる事までを条件として、山の独占的な使用権も与える事で落ち着いた。香奈オフィスのアメリカの子会社の人は、なかなか交渉がお強いといいながら、奈津美からの指示の最低条件はクリアーした事にホッとした。香奈オフィスは、本格的な採掘の準備をするので、町の人たちに、結構高いバイト代を払い、木を切り倒した。そしてその材木は、全て、その古い小さい工場に渡した。あの古い小さい工場では、原料となる材木はそれこそ山のように補充できた。その古い小さい工場で使用する、何年分の材木は、そっくり、手に入れたようなものだった。香奈オフィスのアメリカの子会社は、水溜りのような泉の水の事は、そのまま話した。その水溜りのような泉は、香奈オフィスが採掘権を買い取った山ではなく、隣の山だったし、その山には、あの話題のレアメタルも、もう一つのレアメタルもそんなにはないとロボット君は言っていた。ただロボット君は泉の下なんぞは調べていなかった。ロボット君は、水が苦手なのだった。確かにその山には大した量のレアメタルはなかった。ただ泉の下には、それこそ純度の高いレアメタルが集中してごっそりあった事は分からなかった。香奈オフィスが採掘権を買った山は、山全体にそれこそ、純度の高いレアメタルがあるとロボット君は言っていた。香奈オフィスのアメリカの子会社は、採掘権を取り、邪魔な木もなくなったので、改めて詳しくボーリング調査をした。あの話題のレアメタルは、ロボット君の言う通り、やっぱり純度が高かった。しかも山全体にあの話題のレアメタルが見つかった。それも大量にあった。その上、もう一つのレアメタルも予想以上にあった。もう一つのレアメタルを探索し、確保しておく事は、香奈オフィス内部では、奈津美からの極秘指令でもあった。奈津美は、アメリカでの毛利レアメタルの子会社を作り、その山の盆地みたいな所に精錬や分別保管などをする施設を作る事にした。この山からのレアメタルで、アメリカでの需要を相当長期間供給する事もできそうだった。奈津美は、状況をみながら、精錬や保管のための設備を作ったので、ここを毛利レアメタルのアメリカの拠点としたいとか言って、もっと長い契約期間にしたり、買取交渉を進めるように指示していた。 工場長いや今は社長は、その水溜りのような泉の近くにパワースターとエンジェルスターを回りに植えてもらう事にした。植えようとしている内に、水溜りのような泉は水が噴出し、水溜りではなく、広い泉になった。そしてパワースターとエンジェルスターを植えた。そしてこの泉の水を、水処理して、町に引いて、工場とその小さい町で使用する事にした。みんなでその水を大事に使おうと思った。そうした設備に必要な金は、香奈オフィスのアメリカの子会社から貰った金の一部で十分賄えた。この工場長いや社長も、あの話題のレアメタルの事や水の事は、知っていた。大きな広い山々だったが、鉱山みたいなものに貸し出してしまったので、ハイキングコースと自然公園は断念したが、材木を取るための山の端っこで、公園みたいなものは作った。それを町の人に開放する事にもした。ただあの水の事は話題になり、客も来ると思い、その小さい町にも小さいホテルを計画した。水処理の金とか公園を作るために、金を使ってしまったので、小さいホテルにしようと思った。町の人の雇用も多少は出来ると思っていた。すると、エレガントホテルのアメリカの子会社が、どこから聞いたのか分からないが、その社長に言い寄ってきた。建築や運営は全て面倒を見るし、町の人も雇用する。エレガントホテルとしても、幾らか出資して、ホテルを建てると言っていた。カヨコファイナンシャルもエレガントホテルも、いわば同一系列の資本でもあるので、その工場長いや社長は、全て任せた。エレガントホテルのアメリカの子会社は、自分たちの資本も結構入れて、結構立派なホテルを建てた。あの水に含まれている、分岐状の水とか、リング状の水とかをうたい文句にして、客を集めた。アメリカではそんな所は少なかった。それだけで、客は来た。おまけに、バスの便を約束しながら、ぐずっていたバス会社も直ぐに定期バスも出した。さすがアメリカだった。あの古い小さい工場では、あの泉の水で高級家具の表面を拭いていた、あの高級家具の品質は何故か上がり、置いているだけで、気持ちが和らぐ家具とか云われだして、そこそこ売れた。採掘権の金も入り、値段が比較的安い、木を使った生活雑貨も売れ出していた。働く人も不足したので、町の人にも手伝って貰った。つまり、新しく社員を増やした。エレガントホテルも約束した事なので、ホテルでも町の人を雇用して、ホテルもそこそこ繁盛し、小さい町も活気が出てきた。そして、子会社だった筈の古い小さい工場は、高収益の会社になり、町の人にも株を持ってもらったので、配当も出そうと思った。カヨコファイナンシャルから、ジブの伝統は、利益を三分の一に分け、配当、工場を増設したり、修繕したりするための内部保留、働いている人への還元にそれぞれまわしていると聞かされていた。しかし、社長は慎重だった。採掘権からの収入は、30年間でいつまでも続くものでもないと思った。一挙に報酬を上げても、維持できないと困るので、一部は働いているへの給料を当分支払い続けるための準備金とした。30年間貯めれれば、今後もそこそこ安心だと思い、準備金とした。本業からの利益も多少は出ていたので、みんなの給料も少し上げた、配当も三分の一ではなく、五分の一にした。古い工場の修繕をしたり、新しく作っていた生活雑貨品の作業場を広げたり、営業部隊も少し増員して、販売場所を増そうと思っていた。それでも、結構高い配当にはなった。その公園には、色々な木で作った遊覧器具とか彫刻とかモニュメントなんぞを置いて、ウードパークとした。この町もそこそこ有名になった。そして、この古い小さい工場は、少しつづ設備を改善させながら、高級家具と木で作った生活雑貨を、ボツボツと製造していった。採掘権としての収入は、ゴッソリ入っていたが、本業としては、決してドーンとは儲からなかった。それでもなんとか多少の黒字は出ていた。採掘権からの収入やホテルからの収入は、配当にも使い、みんなへの雇用準備金として貯めていた。ただ製造設備の充実にも少しつづ使っていた。高級家具がドーンと売れる時代でもなかった。ボツボツしか売れなかった。ただ木で作った生活雑貨は、少しつづ販売量が増えていった。利益も少しつづ増えていった、配当は、利益の五分の一を守り続けた。こうして、この古い小さい工場は、少しつづ設備を増やしながら、その小さい町も少しつづ大きくなっていった。カヨコファイナンシャルとしては、配当としてそこそこ貰っても、大資本となったカヨコファイナンシャルとしては、端金だった。株式のほとんどを保有しながら、役員も派遣しなかった。ジブアメリカは、傘下の会社を監視する事が本職みたいなものだったので、非常勤の役員を派遣して、毎回ではないが、重要な役員会には出て、成績や財務状況を確認した。

カヨコファイナンシャルが、ほとんどの株式を保有していながら、非常勤の役員も派遣しなかったのには、訳があった。この会社は、古い小さい工場を持つ、小さい会社なので、それこそ非上場だった。経緯もあって、神太朗系列の証券会社が保有する事もなかった。出資額も、カヨコファイナンシャルの資金力からみれば、端金程度の小額である事は事実ではあったが、それよりも、加代子が強い思い入れを持った工場だったとの事が原因だった。触らぬ神に祟りなしと云う思いが、加代子の会社の幹部たちにあった。

加代子のアメリカの会社の幹部 「どうしましょう、ほとんどの株式を保有しているし、若いビジネススクールを卒業した兄ちゃんでも、偉い先生に頼んで、一人でも派遣しておきましょうか?」
加代子のアメリカの会社の責任者「止めときな。そんな奴が利益を上げようと変に頑張ると困るよ。加代子さんに、なぜそんな奴を雇ったとこっちが怒られるよ。アイツは、うまく逃げたよ。」
加代子のアメリカの会社の幹部「アイツに、形だけの非常勤の役員でも兼任させましょうか?」
加代子のアメリカの会社の責任者「そんな役員、アイツは引き受けないよ。考えてもみなよ。加代子さんが、あんな思い入れをもっている工場だよ。加代子さんは、あそこで作った家具を大事にしていたよ。何かあったら、大変と思って逃げたんだよ。アイツは本当にズル賢い奴だね。本当にいい家具を作るために、経験のある工場長に全て任せるのがいいとかうまい事を言って、さっさと逃げた奴だよ。アイツが逃げたのに、我々がコミットする危険を犯す必要はないよ。我々も本当にいい家具だけを作り続けるように、経験のある人に、全て任せていると云う事にしておく方がいい。香奈オフィスの子会社からの採掘権の金も入り、少しは配当として貰うようにしたとか言ったね。」
加代子のアメリカの会社の幹部「採掘権やホテルからの利益を含めて、利益の五分の一程度は、配当に出すとか言ってました。採掘権からの収入は、期間も限定されるので、製造設備の充実とか、販売の強化とに少し使い、今後困らないように、準備金として貯めておくとか言ってました。配当は三分の一とかそれとなく、示唆したんですがね。もっと配当をよこせとかいいましょうか?」
加代子のアメリカの会社の責任者「余分な事は言わない方がいい。又本業で、赤字になったら、困るじゃないか。あんな会社にこれ以上金を出す羽目になるよ。神太朗さんに聞いたら、ジブアメリカは、定期的に会社の業績を確認するために、非常勤の役員を派遣したとか言っていたよ、それでいいよ。出資した金も大した金じゃないしね。多少は、配当をくれるんだからね、」

ただ、この古い小さい工場の工場長、いや社長は、年度の成績報告に、カヨコファイナンシャルに挨拶に行く程度の事はした。何と言ってもカヨコファイナンシャルは、この会社の株式を、ほとんど保有する大株主だった。そして、色々と話をするうちに、この工場を閉鎖しないで、救ってくれたのは、この工場で作った家具を気に入っていた加代子の強い意向があったと知った。加代子に、工場で作った快心の作と云える最高級の家具を送る事にした。加代子はそれを喜び、加代子のアメリカの会社から、お礼を言うように強く言った。加代子のアメリカの会社は、そんな加代子の言葉は初めての事なので、その社長に毎年加代子宛に、金や手間はどんなにかかってもいいから、満足のいく出来の家具を送るようにいった。その工場では、加代子用の家具は、念入りに手間をかけて、作るようになった。まさに高級家具の中でも最高級の家具が出来た。加代子のアメリカの会社では、そんな金は出すと言ったが、その社長は、加代子用の最高級の家具を作る事で、みんなの家具作りに目標が出来、技術も上がった。採掘権からの金も入っているので、我々で負担できる間は我々で持つと言った。その社長もいわば家具作りの職人気質の強い人だった。自分で納得のいく最高級品の家具を、値段や手間を惜しむ事なく、作る事は喜びでもあった。単に金儲けのために作ったと思われたくなかった。しかしカヨコファイナンシャルが、税理士に聞くとそれは利益供与とか言われる恐れがあるとか言った。カヨコファイナンシャルは、やたらと金を儲けていたので、狙われている会社でもあった。少しの落ち度も許されなかった。理想の家具研究をカヨコファイナンシャルとして、この家具製造会社に委託して、その成果を貰う事にしてはと言った。カヨコファイナンシャルとして、加代子にその家具の評価を依頼して、加代子に預ける形がいいとか言った。カヨコファイナンシャルは、その家具をカヨコジャパンに預ける形にした。そして、社長にも伝え、社長もそういう事ならとして、幾ばくかの研究費を貰う事にした、そんな税理士たちの言葉の遊びみたいな事は、加代子は知らなかった、それにカヨコジャパンは、加代子そのものでもあった。それは兎も角、こうして加代子には、理想の家具と云うか、最高級の家具が届けられる事になり、その小さい古い工場での理想の家具研究プロジェットチームが、公式な形で立ち上がった。

こんな格好のいい事を社長が言うには、少し背景があった。香奈オフィスの子会社から、精錬施設や保管施設も作ったので、ここをアメリカでの拠点にしたいので、この山を売ってくれないか、約束した契約金の残り期間のお金を加えて、この山を買取りたいとの申し入れがあった。お金は大変魅力的であった。二束三文の山が高値で売れる。しかし、この社長もなかなか、交渉のうまい人だった。契約金は、やっぱり毎年欲しかった。ナンダカンダと交渉が続いた。香奈オフィスの子会社とこの社長との話し合いの結果、前の契約は契約として、そのまま残す。あの高額の契約金は、そのまま、貰い続ける。ただ山の代金は分割払いみたいなものにして、別に契約金に上乗せする。それで、あの山は、そうした契約の終了後、完全に香奈オフィスの子会社の所有にするとの新しい契約を交わした。香奈オフィスは、全面的な使用権や採掘権を持っていたので、山は自由に使え、しかも自分たちの所有地にやがてなる。埋蔵していたレアメタルは、掘れば掘るほど、純度が高いものだった。奈津美は、掘ったレアメタルを高値だからと云って、すべて売ってしまう人ではなかった。値段を維持しながら、香奈オフィスの利益状況なども見ながら、販売していた。売り惜しみなどの非難を受けない程度に、販売はしていたが、採掘の状況とか、鉱山の維持なんぞと言い訳をしながら、コントロールをしていた。一挙に山を買ってしまうよりも、その経費は税金で処理できた。一方、あの会社も、分割払いといいながら、定期的に入ってくるお金はグンと増えた。この小さい会社でも税金も払い、配当も払っていた。お金も契約金のお金は相当貯めていたので、少しはお金も貯まってきていた。そんなに一度に貰っても仕方なかった、それよりは、お金の心配をせずに、納得のいく家具作りをしていこうと思っていたのだった。それが、税理士たちの言葉で、公式なプロジェットにまでなっていた。当然、社長や家具作りの職人たちは頑張った。

そうして、その古い小さい工場ではあったが、毎年、手間をかけて、最高級の家具を作るうちに、加代子に送る特別な家具以外の普通の家具の品質もなぜか上がった。色々な工夫を普通の家具にもしていった。貰った加代子は、自分の部屋に置いて眺めて、喜んでいたが、加代子も自分の部屋も、そんなには家具はおけないので、やがて、その家具は、あの都市の冶部ホテル福岡の別館の特別室に置いてもらう事にした。あの特別室ぱ、加代子の別荘と、加代子は依然として思っていた。あの特別室はやたらと偉い人たちが泊まる部屋だった。この家具はそんな偉い人たちに、注目されるようになった。特別室にもそんなには家具を置けないので、家具は、やがては一般用の部屋にも少しつづ置くようになった。一般用の部屋と言っても、リアルエリートみたいな人たちの泊まる部屋だった。そんな人たちにも注目された。この高級家具は、アメリカだけでなく、世界中から引き合いがくるようになった。加代子のために、手間をかけて家具を作るようになって、普通の製品も当然、手を抜くような事も出来ず、普通の製品でも、手間もかかり、とても高い高級家具になっていたが、かえってそれが評価され、バンバンとは言わないまでも少しづつ売れ出した。木で作った生活雑貨は、そんなに高くはないので、あちらこちらで売られていくようになった。やがて、この高級家具を作っていた会社は、世界的に有名な、高級家具製造会社になっていき、憧れの高級家具とか言われた。そんなにバンバン売れる事はないが、逆にそんなにドンドンと作る事も出来なかった。常に予約待ちみたいな状況だった。普通の製品と言っても、みんな特注品みたいなものになった。生活雑貨は、世界各地の有名百貨店で販売されるようになってしまった。当然、この会社の雇用準備金みたいな準備金は膨れ上がった。益々金の心配をせずに、いい家具やいい生活雑貨だけを作る会社になった。加代子のアメリカの会社の受け取る配当は、結構な金額になっていった。ジブアメリカからの役員は、慢心しないように、折角の評判を落とさないようと注意するだけだった。

一方、現代風の家具を作って、オフィス用品まで広げるとの、首になった秀才の計画は、それはそれで卓越した構想だった。リストラ以外の部分は、あの裏切りものの秀才が、手直して進められた。変わり身の早い、裏切り者ではあったが、流石に業務の執行能力は優れていたし、なかなかの経営手腕だった。神太朗に媚をうるように、拡張した大きな工場では、地域の人たちを招いて、時々パーティーなどもした。さも自分の考えのように、地域と共に発展する会社なんぞとぼざいていた。この裏切り者は、そんな演技はできる人だった。一掃されたあの秀才の卓越した構想力とこの裏切り者の秀才の経営執行能力とが何故か融合して、この小さい家具製造会社は、本当に脱皮して、オフィス用品を扱う、大きい会社に、やがてはなっていった。

首になったその秀才は、ジブトラストのドンと言えた香奈に直訴した。香奈は実業グループの事は神太朗に任せているし、雇用を大切にするのは、冶部一族の伝統と言って、素っ気無かった。貴方はガッツがあるし、構想力もあると思ったけど、ビジネススクールの講義ではないのよ。実際に働いている人たちの事も考えて知恵を絞るのが必要なのよと言った。首になった秀才には、結婚する約束があった。ジブは滅多に人を首にしないのに、そのジブで首になると、他で経営幹部どころか普通の社員にもなれない、必死になって香奈に頼んだ。香奈は、職を失うのはそういう事なのよ。今の気持ちで、神太朗に詫びを入れて相談しなさい、私からも連絡しておくわと言った。香奈は、その秀才の経営構想力は認めていた。一皮むければ、化ける奴とも思っていた。その秀才は、神太朗に詫びを入れて、今度は雇用も大切にして、計画を立てるので、何とか会社を紹介してくれと必死になって頼んだ。神太朗は、香奈からコイツは問題もあるが、将来は見込みがありそうな奴だよ、脅してから使えば、本当に化けるかもとも言われていた、香奈の人を見る目は、卓越したものがあった。それがジブトラストを支えていたのかもしれなかった。神太朗自身も、この秀才のリストラ以外の構想力は認めていたし、磨けば光る奴かもしれないと思った。神太朗の技は、その人の天分を見つけ、それを最大限に生かす事であった。優秀な人材は大切だった。今度は最後のチャンスだよと脅して、色々な問題のあった、まったく業態の違う会社を任せた。その会社は、結構大きな会社だったが、ナンダカンダと複雑な問題を抱えていた。神太朗が、見つけてきた経験のある経営の専門家も逃げ出していた。その秀才は、一緒に首になった、頭の切れた奴らも呼んだ。そんな奴らも経営幹部みたいな働き口は見つからず、焦っていた。そうした奴らは、その会社の経営に懸命に取り組んだ。もう、後がないと思っていた。この秀才は、本当に経営の構想力を持つ秀才だったので、この会社は、色々な問題を乗り越え、ドンドンと大きくなり、その秀才は、やがてジブグループが抱える経営専門家たちの中でもホープとも言われ、アメリカでも名経営者の一人と言われるようになったのは、もう少し先の話であった。それは兎も角、その当時、この一件は小さい会社の話に留まらず、全米のビジネス誌で取り上げられ、神太朗の怖さも喧伝された。何しろ、当然のようなリストラ計画を立てた経営陣が、逆にリストラされたのだった。傘下とまではいかない企業も簡単に無視する事は出来なくなった。ナンダカンダとジブトラスト傘下の企業やジブが多く保有する会社には、多大なプレッシャーになった。それに簡単な事でもなかった。リストラすれば、経費が浮いた。不採算部門を整理すれば、当然利益が伸びた。それをせずに何か考えろと云うのは、難しかった。しかもそれで儲けて、配当も一杯出してねと云う難しい注文だった。新規事業とか既存の事業に新しい工夫をしろと言っていた。仕方なしに、新しい技術の研究とそれを使いこなせる人間の育成に努めるしかなかった。

アメリカ以外でも影響は出た

加代子たちの会社は、激変したが、海外のジブ子会社、ジブ本体も結局、多くの実業の会社を傘下に持つ持株会社のような運用会社のような会社になっていた。ジブトラストはすっかり、安定して、実業分野の比重が増えた。神太朗は、実業ネットワークを進めていた。取引は神子と神之助が、担当していたが、もうジブトラストの株式保有は多くなり、ナンダカンダと会社との友好関係も強くなり、時期を選んで、上がれば少し売って、下がれば少し買う程度の調整売買しかできないなっていた。ドーンと大きく売ったり、買ったりすると、ナンダカンダと問題になった。企業分析研究所の企業分析もお告げのように扱われ、ジブ総合研究所との技術供与なんぞと云う事が増え、企業との話し合いも増え、ジブが過半数を持っていた傘下の企業でなくても、経営に深く関与する事が増えていた。海外のジプ子会社や独立した神帥、神元を初めとするグループも同じだった。それにジブトラスト勢も関係する会社が増えて、冶部一族や香奈たちの孫やひ孫が役員などには、ならなかった。と云うよりなれなかった。香奈のファミリー企業や冶部一族のファミリーー企業も増えて、神一の子供を初めとする神太朗の孫たちも、香奈の孫やひ孫たちも、自分たちの関係する会社を始めに考えていた。その上、そんな事とは関係なしに、みんなそれぞれ自分の道を歩いている人もいた。ジブトラストの関係者ですら、関係する会社の数よりも少なかった。そのため、それぞれの分野に詳しい人を経営陣にした。加代子たちの会社もそうだった。単に見張り役が、資本の代表として、あっちこっちの役員を兼任していた。一族の人とかジブ関係者でなく、理念に賛同する、優秀な人たちに頼らなくてはいけなくなった。ヨーロッパでは、切人や聡美や神元たちの会社から、経営陣に入っていた会社もあったが、アメリカは、神太朗の直轄地と言ってもいい程だった。その経営手法は注目され、ジブスタイルマネージメントとか言われるようになった。

ジブトラストの本体や各運用会社は、保有リスクを回避するために、先物やデリバティブ中心になった。神太朗系列の証券会社は、グローバルネットワークとはなったが、ジブや関係する運用会社は、長期保有株を証券会社名義にして、出資していったので、証券会社も大きくなった。ジブ勢は、保有株のリスクヘッジのために、先物を中心とするデリバティブをした。神太朗は、証券会社の顧客たちの参考のために、ジブ勢の売残や買残なども表示するようになった。ジブ勢が保有している株式保有数も公表した。証券会社の顧客を食い物にする証券会社にはなりたくないと思ったからである。しかし、これが圧倒的にマーケットを左右しだした。つまりジブの思うようにマーケットは動き出した。勿論大きな金は儲からなかった。しかし損もほとんどしなくなった。

香奈引退を決意

ジブトラストは、もう以前のように爆発的な大儲けはできなくなっていた。ジブトラストグループはもう多くの企業を抱えていたが、これらの会社が大きく伸びてきた。それらの企業からの配当だけで、信じられないような儲け方ではないが、高水準なレベルの利益が続いていた。香奈が危惧していた中国は、まだ好調だった。やっぱり中国はしぶとかった。問題点は、大胆ではないものの、細かく修正していた。中国の偉いさんは、井戸端会議をするために、わざわざ日本に来るのでもなかった。香奈にも、謎かけのような質問をして、香奈も禅問答のような返答をした。タヌキ同士では、これは相談と云う事になった。中国は、ジブ傘下の企業とも協力関係を築いていた。中国も、アジアの周辺国で、神太朗が組織した会社群や香奈ファイナンシャルの子会社のリトルキャット系列の会社が増えているのは知っていたが、さり気なく協力して、一緒に儲けていた。リトルキャット系列の農作物もドーンとも云わないものの、輸入したりしていた。香奈にも新しい出資を要請し、香奈も気楽に応じ、表面的には、ジブと中国の関係は良好だった。新しく出資すると、香奈はさり気なく、好調と云われた中国の会社の株を神子に売らせていたと思っていたが、売買はジブの勝手だったし、話題にする事でもなかった。正人でさえ、古い友達の仲良い会話としか見えない程だった。タヌキもここまでくると芸術品だった。人民元は、少しは揺れ出していたが、神之助は、中国からの配当は、状況をみながら、日本に送金していた。それに配当も高水準が続いていた。ジブトラストとしては、もう十分元本どころか、元本の何倍も回収していた。ジブトラストは実業関係の持株会社のようにもなり、切った張ったの先物やデリバティブ運用は、流石に株屋なので、それなりに運用し、保有株ヘッジ程度に減ったとはとても思えないものの、大人しくなった。ジブ傘下の企業もジブが多く保有する会社も大きくなっていた。香奈は、元気だったが、世界の最高高齢者たちとか言われ出して、流石にいつポックリいくか分からない歳になっていた。香奈は、元々ジブトラストが取引や投機まがいな投資でバンバン儲け続ける事を目指していたのでもなかった。香奈は、若い時から香奈筋と言われた投機家と知られ、儲け出すと夢中にはなるが、やっぱり目標としては、配当だけをもらって運営できる運用会社が理想だった。ジブトラストのこんな状況をみて、後はみんなに任せ、猫たちと一緒にのんびり暮らす事にしたいと思った。チャもココも元気とは云え、猫としては超高齢だった。正子もいい機会と言って、一緒に引退する事を決意した。後は太朗と一緒に余生を暮らしたいと言った。マリアも、もうのんびりしたいと言って引退する事を決意した。

流石に、神太朗も、もう香奈の引退を認めざるを得なかった。神太朗自身、一般常識では引退してもいい歳だった。しかし、香奈の引退話は様々な波紋を呼んだ。ジブがついに分裂するとも言われてた。儀礼的な挨拶や付き合いや相談には応じる名誉会長には、香奈は、なる積もりだった。神太朗は、みんなと協力してジブを運営する積もりで、会長は空席とし、会長代理となろうとした。神太朗は、取引関係は神子や神之助に任せる予定だった。会長室はなくなり、会長室扱いの保有株は、沙織単独の特別取引部扱いとなり、神太朗は自分の部屋を会長代理の部屋として、正子の副会長室は、神子の社長室となり、陽一は研究所の所長も兼任していたので、神子の部屋にも席を作る予定だった。

会長室にかけてあった、青不動さんの掛け軸は、香奈の家の自室に戻す事になっていた。青不動さんは、香奈の守り本尊でもあった。神之助が産まれて、神之助対策で、香奈がジフトラストの香奈の部屋に掛けてから、ジブトラストの快進撃が始まっていた。もう半世紀をとっくに超えて、ジブトラストを見守ってきた。神之助が、大元帥明王さんから言われて気付いた。神之助は、ジブトラストの守り本尊がいなくなると騒ぎ出して、神太朗と話をした。神太朗も深刻に受け止めた。香奈もいなくなり、青不動さんもいなくなって、ジブトラストはどうなるかとやっぱり不安に思った。沙織も、長い間見守ってくれた、香奈や青不動さんがいなくなる不安を神太朗に訴えた。神太朗は、一度認めた香奈の引退を思いとどまってもらうために、恵に頼んだ。

「香奈さん、神太朗君たちに頼まれたのよ。香奈さんはまだ元気だから、やっばり、ジブトラストの会長に留まって欲しいと言っているよ。毎日少しでもいいから、会長を続けて欲しいと言っているよ。神太朗君が会長代理になって、普通の事は処理すると言っていたよ。正子さんやマリアさんにもそう言ったらしいよ、もう自由にのんびりでもいいから、今まで通り続けて欲しいらしいよ。」
香奈「私も歳なのよ、ジブも安定したわ、猫たちとのんびり暮らしたいわよ。恵も財団や冶部ビルからも引退すると言ってなかったの?」
「私もそう思ったけど、この頃皆と話してみると、財団も冶部ビルも色々と問題もあるのよ。財団も今までみたいにジブトラストやカミカミ、香奈ファイナンシャルだけからの寄付だけでもないのよ。多くの企業や人たちから寄付を貰っているし、皆の要望もみんな少しずつ変わっているし、活動自体も変わっているのよ。単に民間の福祉だけでもお母さん支援だけでもないのよ。必要な活動はどうあるべきか、何ができるかを良く話し合わないといけないのよ。皆は、私がいないとすんなり決まらないと言うのよ。やっぱり元気な間は頑張らないといけないと思うようになったの。冶部ビルも小夜さんが頑張って大きくしたけど、各地の冶部ビルも大きくなってね。この間幹部会で詳しく聞くと、小夜さんもよく知らない事もあるのよ。確かに儲けてはいるけど、儲けているから、いいとは言えないのよ。十分に検討していく体制にしたいのよ。何も検討せずに、いつもいつも上手くいく訳でもないでしょう。ちゃんと話し合いをできる体制にするために、皆で考えていこうと話をしているのよ。」
香奈「ジブトラストは、もう大丈夫だよ。今はみんなそれぞれ業態の違う株式も一杯保有しているし、運用の比重も少ないのよ。儲けは少し減ったけど、もう安定してきたわ。研究所や研究センターもちゃんと活動しているし、私が始めに運用会社を引き継いだ時にしたかったようになっているわよ。恵の所への寄付も減っているけど、安定してきたでしょう。」
「運用会社やカミカミなどからの寄付は確かに以前の信じられないような額ではないわ。でも代わりにジブやカミカミ傘下のなどの企業から少しつづ寄付が増えてきたのよ。みんなから寄付がもらえるようになって、計画も立てやすくなったわ。運用会社からドーンと貰っても、いつまでも続くとは思えないから、貯めておく必要があったけど、今は計画も立てやすいのよ。でも神太朗君は言っていたわよ。やっぱり運用会社は香奈さんがいないと柱がない家みたいなものになると恐れていたわ。散歩するつもりでもいいから、のんびりでもいいから来て欲しいらしいよ。私も財団や冶部ビルでもそうしているわ。元気な間はのんびりでもいいから、続けていく積もりなのよ。まだ頑張りなさいと言われているのよ。徹さんも最近元気で、研究所に通っているじゃない。」
香奈「今度は、もっと大きな新しいエネルギー革命が出来そうと頑張っているわよ。世界のエネルギー事情を一変させる革命だと意気込んでいるわよ。徹彦や政則君にも実際の生産管理体制を検討させているらしい。健太郎さんや洋治さんまで張り切って、販売体制を検討しているらしいね。」
「そうでしょう。元気な間は頑張らないといけないのよ。」
香奈「それはそうかもしれないね。のんびりでも続けていくか、実は青不動さんに報告したら、まだジブトラストをもう少し見守りたいと言われたのよ。そんなに楽観してはいけないよ。取引だけで儲けるよりも、実業の方が難しいよ。人や技術も育てていかないといけないよと言われたのよ。リトルチャやチャタロウは、実際に人間に動いてもらう必要があるから、ちゃんと人や技術を育てているけど、人間は自分で動くから、それが弱いと言われたよ。」
「そうだよ。財団も冶部ビルもそうなんだよ。今、儲けているとか、問題がないから、大丈夫ではないんだよ。私もこの頃痛感しているのよ。まさかの勝で儲けたり、うまくいっていても、人材を育てる事は難しいわよ。みんなの意見もまとめて、人を育てていかないと、なんかあった時には大変かもしれないよ。」
香奈「それはそうかもしれないね。それは神太朗君たちに任せた積もりだったけど、もう少しは頑張らないといけないのかもしれないね。ココやチャは、子猫たちをちゃんと育てているしね。」

香奈、引退撤回

香奈は、引退を撤回して、正子もマリアも引退を撤回した。ジプトラストの基礎を支えた人は、のんびりでもまだ自分のペースで取引していく事になった。正子もマリアも香奈の影のようにして、自分たちの手法で運用していく事を拒否しているものではなかった。正子には、大きくなったカミカミと云う自分の財産管理会社があり、マリアにも、それぞれ大きくなっていた香奈海外と本当に自分達の財産管理会社のようなマリアホープがあった。何も運用手数料だけをもらい、利益の大部分を取られるジブトラストでの仕事を積極的にする必要もなかった。香奈が、香奈国内と言う大きな組織を持っていながら、ジブトラストの仕事をしているので、それに従っていた。神子や神之助も密かにそんな事を考えていた。もうジブトラストを支えてきた多くのメンバーには、自分たちが自由に取引できる自分達だけの会社があり、それぞれ資金力も持っていた。潜在的な遠心力がいつも存在していたのが、ジブトラストであった。香奈という存在が、その遠心力を押さえていた。神太朗が、香奈に引退を撤回する事を願ったのも、そんな事も考えていたのもしれない。香奈はジブが統合している一種のシンボルだけでなく、大きな接着剤のような存在でもあったのも知れない。

正子は、よく知っていた日本の先物を、マリアはヨーロッパ先物を自分のペースで続けていった。売りの正子は日本の先物の売りの時期を模索して、マリアはヨーロッパ先物を変幻自在に売り買いをしていく事になった。香奈は、来客と面談して、ジブトラストとしての方針を神太朗たちと相談したと香奈は思っていたが、実際には香奈が判断して、神太朗たちに伝えていた。神太朗が会長代理になり、通常の業務などの対応をしていく事になったが、基本的なジブトラストの体制は維持されていた。香奈は半世紀を超え、世紀に近づく、ジブトラストの指導者であり、香奈の判断に異を唱える人は、ジブトラストにはいなかった。よくも悪くも香奈の了解が、大きくなったジブトラスト全体の判断である事には、変化はなかった。神太朗の判断も、香奈の了解があって初めて権威づけられる事になった。中国の偉いおっさんを含めて、色々な人が香奈に会いにきた。香奈は、のんびりと冗談をいいながら、面談していたが、面会希望は増えていた。香奈に会って、香奈の了解を得られれば、それはジブトラスト全体の決定となった。何も井戸端会議をするために、香奈に会いに来るのではなかった。古くからの知り合いでは、香奈の元気な姿を見て、安心していた。香奈の冗談で笑っているだけのような会談でも、香奈はナンダカンダと業界の状況を聞き、意見を求めたり、新しい分野への大きな出資話とか、合併話にまで発展する事もあった。チビ助は、スケジュール管理して、色々な資料をまとめ、時には、企業分析所の報告なども取りまとめて、香奈への参考資料としていた。チビ助は、ジブトラスト社内では、会長側近と見られていた。そして、無理しないようにも香奈に言っていた。

冶部一族の危機?

みんな、頭は良いものの、流石の冶部一族も、すっかり人間の器が小粒になっていた。有り余る金を貰い、ナンダカンダと一族の管理会社に出資しても、まだ余っていた。自分達の会社の仕事で走る回る人もいるにはいたが、有り余る金と暇を持て余して、蝶を探して、世界中を旅したり、世界中の滝を見るのが好きな人たちもいた。便利な敷地内で暮らし、生活の面倒もほとんど、高齢者の高額所得者が面倒をみていた。配偶者もみんないい所のお嬢さんやお坊ちゃんで、品行方正だったが、覇気がなかった。

神一の危機感

一族の銀行の頭取に、若くしてなった神一であったが、後継者と云う以前の問題に悩まされていた。行内を掌握するまでは、必死になって、みんなの意見をリードしていた。完全に掌握しすぎて、神か天皇かと言われるようになり、だれも神一の前では緊張して、自由に意見を言わなくなった。事務的な話や数字だけを説明するだけになった。神一は、そんな数字もしっかり見ていたので、少しでも間違っていると直ぐに訂正させた。みんな段々怖くなって、何も話もしなくなった。神一の言った言葉が、お告げのようになった。陽一は流石にこれはまずいと思い、役員会で、神一にわざと反対する意見を言って、みんなの議論を引き出していた。役員会は、少しは議論の場になった。陽一は、これで役員会は議論の場になると思い、一族の銀行を去った。しかし陽一が去った後は、陽一が議論の口火をきらないので、だれも発言せず、又直ぐに神一の独演会のようになった。神一は、陽一の返り咲きを要望したが、人は自分で育てるものと神太朗に言われ、断念した。 神一は、その後も人を育てる必要を感じて、みんなの意見を聞くように努めた。しかし神一は、人間ばなれした天才だったので、役員は大変だった。うっかり間違った事を言えば大変だった。みんな、言葉、特に数字については注意していた。 神一は、歩くコンピューターみたいな人だった。神一は、自由に議論して欲しいと言ってもなかなか議論は弾まなかった。銀行なので、決断する時は、決断しなくてはならない。神一は、データを出させて、自分で決断した。みんな、神様のお告げを聞くように従った。神一はそれでも優秀な若手をドンドン経営管理室なんぞに集め、新しい幹部候補生として、役員にもプレッシャーをかけた。しばしば権力者が使う手だった。それが反って、既存組織の萎縮に繋がり、逆効果になり、ますます行内がギスギスした。神一は、減点主義を止め、何かをしなかったのではなく、何をしたかを重んじた。役所みたいなキープヤング路線も止めた。経験のある人には、従来と違って、色々な職場で、経験を生かしてもらい、その情報も上げてもらった。少しはみんな意見を言うようになった。役員会でも神一は聞く姿勢を強調して、最初に役員たちが話すようにした。それでも情報は、なかなか上がらなかった。情報の精度を確認してから、神一に話さないといけないとみんな思った。


神一「例の国際金融ルートは、本当にあの人が作ったの?」
経営管理室長「実際に運営しているのは、あの人とあの人のチームですし、あの人は前からそんな事も言ってました。」
神一「それは誰でも判る、でも本当にあの人がシステムまで作ったのは、信じられない気がする。そんな決断が出来る人ではない。」
経営管理室長「それは私もそう思います。未確認の情報でもいいですか?」
神一「それが情報なんだよ。確定すれば、もはや情報じゃない。なんでもいいから言ってください。」
経営管理室長「元々は、あの人の考えではあるんです。それを取り入れて、整理して、システムにまで完成させたのは、あるボスだと言われています。」
神一「それを聞いているんだよ。」
経営管理室長「リトルチャと言われる人らしいです。例の国内の会社が総括して、かなりの海外の拠点を持っています。そして為替専門会社、投資ファンドなどを持ち、協力銀行も増やしています、例の銀行の本支店網やネット銀行が、そのルートをうまく使っていると推定されます。未確認ですけど、もう一つの大きな銀行では、かなり上のレペルでは、密かにそう言っているらしいです。もう一つの大きな銀行が、あのルートを利用していこうと云う計画もあるらしいです。最近ハイレペルの役員が、そのボスは、人じゃなしに猫だと漏らしていると云う情報もあります。猫見るとドキっとすると言っているらしいです。」
神一「そこまで知っていて、なぜ、僕に報告しないの?」
経営管理室長「そんな未確認情報を頭取に報告する事は出来ません。あそこは、実質的には、正人さんが最高責任者ですし、神之助さんが助けているかもしれません。もっと確認してからと思いまして。」
神一「リトルチャと言ってくれれば、判るんだよ。正人さんは、そんな事を考える人じゃないし、神之助さんは、僕の伯父さんだよ。元々ジブネットワークを持っているから、ジブ内では、大きなお金は動かしているんだよ、至急に大きな資金の送金が必要となり、迷惑そうにやって貰った事もあるんだよ。ジブなら簡単に動かせるよ。でも後で複雑な処理が必要になった。ジブ以外では、こんな事はしないよ。今回は特別だよと何度も言われたよ。しかしあのルートは、それをビジネスとしてやっている。だからこそ、注目しているんだよ。みんな理屈では判っているけど、なかなか出来ない。それが重要なんだよ。もっと情報は直ぐにあげてください。未確認といってもいいからね。」
経営管理室長「判りました。」

神一は、銀行内部でも情報の流れにくい事を嘆いて、役員会では、みんなになんでも話すように言って努力していた。神一は役員会で自由な討議が生まれる事を願った。新しい血も入れようとリトルチャにも、あの人を最高首脳にしたいと言った。国際金融ルートも欲しかったし、あの人がどんな人なのかを自分の目で確認したいと思った。リトルチャは軽く断った。正人にも話した。やっぱり断られた。人は自分で育てなさい。みんな、それで苦労している。楽してはいけないよとあっさりいわれた。神太朗のいた証券会社の役員には、神一が知っている人が何人かいる。神一がジブトラストにいた時に一緒に働いていた人たちで、みんな優秀だった。その人たちを銀行に入れようと思った。神太朗は、軽く言った。僕がジブに帰った時に、一緒にジブトラストに帰ってきた人もいるし、証券会社での仕事が軌道にのって、そのまま証券会社に残っている人もいる。みんな、地位も報酬も出して、それぞれに責任のある立場でもある。何も自由に出来ない銀行の役員程度の報酬ではみんな動かないよ、今のジブの新宿では、神二郎は、みんなに自由にやらせているよ。今更、窮屈な銀行の役員になる人がいるかね。証券会社の誰でも話していいよ。しかし人は育てるものだよ。出来上がった人がゴロゴロしていると思うのが間違っているよ。どこかの国では、今でもそうだそうだが、今の日本は、そんな時代ではないよ。元々、一族の銀行の役員は、優秀なんだよ。銀行内の優秀な人を使い切れず、新しい人を入れる。そんな事をしていると、本当に一族の銀行には、誰もいなくなるよ。神一、一人で銀行の全ての仕事をしていく積もりなのかい。と言われた。

神一は、役員会の意識改革を始めていた。後継者の段階でもなかった。神一には、子供が四人いた。男の子が三人もいた。みんな頭は良かった。一人は、知加子のような学者になりたいと言って、大学院に行っていた、一人は医者になりたいと言って、医学部に行っていた。

一番大きな子の神幸は頭はよく、幼い時から神童と言われ、神一も大いに期待して、東大法学部も優秀な成績で卒業して、財務省の役人になった。いずれは、ジブか一族の銀行にでも入れてと、淡い期待も持っていた。神幸は、日本は成長する社会でなければならない、成長しないと福祉も出来ないと言って、福祉を重視する知加子にも反論するなどの気迫も持っていた。神一は頼もしく思った。それがあっと云う間に、係長になったと思ったら、福祉の大切さを訴える論文を出して、事もあろうに、ちゃっかり、ごきげん党の弱いと思われた、人の手薄な地区の公募に応じた。そして合格すると、財団の乳幼児施設を見学したり、財団の介護施設を訪問したりして、福祉の神幸などと訴え、陽太とのツーショット写真をあちらこちらに張り、陽太の甥と云う立場も強調して、比例で上手く復活当選して、国会議員になった。ごきげん党は陽太以外には、定年退職者や若い兄ちゃんが多く、優秀な人は、あまりいなかったので、陽太親衛隊の新しい星と言われた。異例ではあるが、病気になった人の後任として、政務官にもなった。神一は、機転のきく奴と、それはそれなりに評価していた。ところが陽太が総理大臣を辞め、成長戦略の人が総理になると、コロっと、成長戦略路線に転じ、ばらまき福祉は日本を駄目にするなどと言って、ごきげん党主流派に近づいた。陽太の甥を取り込む事を重視した主流派は、神幸を副大臣にした。ところが、陽太親衛隊の勢力が衰えず、まだまだ強いと知ると、又も福祉はやっばり大事と言い出して、又、陽太親衛隊に近づいた。骨を埋めると言っていた選挙区も、九州は冶部一族の発祥の地とか言って、あの九州の片田舎の選挙区にあっさり鞍替えした。不思議な事に陽太もそれを認め、応援した。神幸は、不動マンションの面倒を見て、大きくなったあの都市を基盤にして、冶部関係の企業が、あっちこっちと大きくなっていく都市で、初代冶部次平の理念を訴え、まだ若い神幸は、浮動層にも強くアピールした。陽太の選挙秘書団もフル活動した。陽太の見込み通り、野党連合の有力者を相手に、接線に持ち込み、当選した。福祉以外に、あの都市では冶部一族の企業が大きくなり、神幸には有利だった。こうなると、さすがに、コウモリ神幸と言われ、総選挙後は、副大臣からは外れた。陽太親衛隊は数が多く、陽太親衛隊の中から、党内宥和のため、一定数が副大臣や政務官になる事になっており、神幸は当選回数にしては今までが異例の抜擢だった。それが陽太親衛隊に戻ると、もう副大臣にする必要もなかった。さすがに、副大臣や政務官クラスは結構動いた。それでも、一応主流派と陽太親衛隊の繋ぎ役と言われた。単なる国会議員は、結構暇だった。ブログを作り、活動もしている振りもしたが、暇になると、蝶を探して、海外に遊びに行っていた。神一は、神幸が若い時には神童でもあったので、一時は期待していたが、あまりに機転が利きすぎて、軽くコロコロと言う事を変えるので、あんな奴は信用ならないと思い、諦めていた。

神幸は結構二枚目であったので、付き合う女の子もコロコロと替えて、フラフラ遊んでいた、所謂女たらしと云うタイプだった。それでも愛がなければ、結婚しないとかほざいていた。それは冶部一族では普通の事だったので、みんなは結構、寛容だった。相手の女も女子アナだったり、女優だったり、玄人筋だったり、普通の女の子だったりした。ところが、三人の女と同時に付き合い、手玉に取っていた事が、神一の情報網に引っかかった。玄人筋と旦那がいる女優と旦那のいる女子アナだった。これは冶部一族では大問題となる筈だった。それを知っていた神一は慌てて、なんとか穏便に収めた。結構金も使った。金で解決のつく女だったので、神一が丸く修めた。神太朗やそれ以上の高齢者たちに知れると大変だった。洋太郎は、すっかり愛の人になっていた。勘当は古い表現だが、冶部一族からは放りだされてしまう。神子は忙しく、神代もしきりに海外に行っていたので、灯台もと暗しでバレなかった。神幸は懲りずに、まだフラフラとしていたが、突然、関西財界の大物と言われた、松本幸之助の一人娘の令嬢珠子と結婚すると言った。家電業界は、ジブではあまり関係の少ない業界だった。有村が、松本電産として南アメリカ、インド、アフリカなどに進出する時に相談にのり、それぞれの国の合弁会社に、ジブの資本が入っていた程度だった。そんな合弁会社は、快適の現地法人の力を借りて、大きな会社に育った。それも大分昔の話だった。松本幸之助は一代で、世界的に有名な、大きな家電会社を築いていた。神幸はそんな資産よりも、純愛だと、ほざいた。神一はそんな事は信じなかったが、松本幸之助の作った松本電産は、一族の銀行にとっても大きな取引先でもあった。珠子は、資産家の令嬢にしては、穏やかなで純情な女の子だった。神一は、神幸みたいな女たらしと一緒になって大丈夫かと聞きたかった位だったが、ぐっと抑えた神一は、松本幸之助夫妻にも挨拶した。神幸は、冶部一族の実質的な長男筋でもあり、松本家にも異論はなかった。松本幸之助は、財界の会合で神太朗と会い、神太朗の見識に心酔しており、神一の人間ばなれした天才ぶりには、やや警戒していたが、神太朗の孫でもある神幸と珠子の結婚には喜んでいた。松本幸之助も、独自の情報ネットワークを持っていた。神幸の女癖はちゃんと、知っていた。それでも一応整理しようとしている事も知っていた。リスポンスは早いと云うか、普通の情報網だった。神幸はどうしようもないが、珠子の子を松本電産に入れてなどと取らぬタヌキの皮算用もしていた。冶部一族と繋がりが出来る事にもなり、早速冶部の里に来て、神一とは簡単に挨拶して、神太朗には丁寧に挨拶した。なかなか会えないと言われる香奈にも会った。松本幸之助は、世間的には初老であって、相当な歳でやっと出来た珠子を可愛がり、松本家は、大資産家ではあったのに、珠子の行く末を案じて、香奈をはじめ、冶部の超高齢の長老たちも出席できるジブホームホテルでわざわざ結婚式を挙げた。香奈に頼んで、神一の家に近い、豪華高層マンションに、5LDKの大きな部屋を自分たちの部屋として借りたり、ジブシティーにも松本電産のサテライトオフィスを作り、会長室を作ったりした。奥さんの淳子も連れて、よく遊びにきた。段々元気になった。淳子が特に気に入った。香奈の家の近くのマンションは豪華なマンションの上に、レストラン直属で、ニコニコサービスが、ハウスクリーニングしていた。ほとんど何でもあるジブシティーにも香奈専用のケープルで簡単に行けた。水も美味しかった。それに居るだけで、元気になった。ただ淳子には不満があった。関西の家には、大きな洋蘭用の温室を持っていた。カトレアの栽培に凝っていた。それが気がかりだった。

淳子「ここは快適なんですけど、私のカトレアが気がかりで、そんなに、ここに居る事ができないのよ。あそこに家を建てられないの。まだ少し空いているみたいですよ。」
幸之助「そんなに、無理を言ってはいけないよ。ここは冶部の里だし、冶部一族以外の人は住んでいないんだよ。仙人の里とも言われているんだよ。ジブシティーのサテライトオフィスも、部屋を探すのは、大変だったのだよ。権利を譲ってもらうのに、大きなお金が要ったよ。大変なんだよ、今ジブシティーにオフィスを持つのは。ジプシティーのマンションの空き室なんてもう絶対に手に入らないよ、プレミアムがついてね、それでも予約待ちなんだよ。ここは冶部の里の奥座敷なんだからね。珠子の親だから、ここのマンションも香奈さんから、ジブトラストの来客用に取っていた部屋の中で、一番大きな部屋を貸してもらっているぐらいだよ。有村さんも、そうみたいだよ。高杉さんは、加代子さんの家にいるみたいだね。朝、食堂で会って吃驚したよ。まだまだ元気なんだね。有村さんは、昔お世話になったし、高杉さんも不動産事業では、伝説的な人だよ。」
淳子「話をずらせて、ここのマンションは快適だし、部屋数もこの程度でもいいけどね。ここに温室を作りたいわ。あの山の端に大きな温室でも作れないかしら。ここは、日当たりも湿度も丁度いいわよ。きっといい温室になるわ。頼んでみてよ。」
幸之助「そんな事を言っても難しいよ。ここのべランダで簡単な温室を作ったらいいじゃないの。」
淳子「私のカトレアは、みんな適切な温度域や湿度もみんな違うのよ、それを計算して、色々と配置しているのよ。温室は広いほど栽培は簡単なのよ。」
幸之助「そんな事を言ってもなあ、今度、神太朗さんにでも頼んでみるか。」

ジブ植物園が出来た

幸之助は、なかなか動こうとしないので、淳子は、朝食堂で会った、瑠璃に頼んでみた。元々、香奈オフィスの山だったのと聞いたからだった。知らない事は恐ろしい事だった。ハゲタカに、蘭の温室を頼んでいた。瑠璃は、きょとんとしていたが、あの山の中腹より下はは、もう香奈ファイナンシャル不動産の所有地になっていると説明した。それを偶々、遺伝子研究センターの植物部門と快適農作物研究所のグループの責任者たちが聞いた。二つの部門の研究者連絡会議が、昨夜、香奈の家の隣の会議室で開催されていた。聖子は、経費が安くつく、この会議室を多用し、研究者たちも、ここではのんびりと会議でき、飯も上手いので、ジブホームホテルや快適農作物研究所日本で会議するよりも、ここの会議室を喜んだ。一応、聖子に対するプライベートな意見具申会と云う事になっていた。聖子は、ここでも一応、飯代はタダだったし、ここのレストランの朝飯は物凄く上手かった。この日の朝は、ここでも、自分が金を出している振りをして、朝飯を食っていた。会議がおそくなったと言って、高層マンションに泊まっていた植物関係の研究者は、淳子の話を真剣に聞いた。今まで、基本的な農作物や果実などが多かった、花などは、あんまり、研究していなかった。淳子の話を真剣に聞いた。淳子は、こんな大きな花が咲いてね。中には素敵な匂いがする花もあってねと熱心に言った。聖子も聞いていた、聖子は花より団子、団子より金と云う人だったが、花も銭になるとは知っていた、安いよでも、花を売っていた、仏事に使う花は結構売れた。ナントカ花壇と云う会社は、くそ高い花を売って、金を儲けていた。そんな花を入れれば、もっと高く売れると思った。瑠璃も突然思った。あの話題のレアメタルも医療用品として高く売れるのはいいが、医療用品には、純度が高いものが求められ、精製カスと云うか、不純物が多く含まれてカスみたいなものも出来ていた、その分の価格は、きっちり、医療用品のレアメタルでは、上乗せして、値段を上げていたが、勿体ないと思い、保管していた。瑠璃は、そんな不純物が多く含まれるカスを、花の肥料に使えないのと言った。瑠璃は香奈には弱かったが、聖子は恐れ知らずの金儲けの人だった。遺伝子研究センターの研究者の意見も誇大に強調したり、松本幸之助の奥さんが蘭が好きだと強調して、ここに蘭を研究する植物園を作ろうと香奈に言った。香奈も松本幸之助には敬意を持っていたので、香奈ファイナンシャル不動産が保有し、遺伝子研究センターと快適農作物研究所が運営するジブ植物園を作り、聖子の作った牧場の山の麓から中腹にかけて作る事になった。聖子は、姫子に優しく言って建設を急がせた。姫子は脅されたと思うほど優しく頼んだので、あっと云う間に出来た。淳子専用のカトレアの大きな温室もあったが、ファレノプシスやバンダ、デンファレ、ナンダカンダと色々な蘭の栽培も研究した。遺伝子研究センターや快適農作物研究所の研究者たちが研究し、瑠璃が言ったあの話題のレアメタルのカスで作った肥料も研究した。遺伝子研究センターの植物グループは、遺伝子組替えなども含めて、研究した。それが見る見る大きな花が咲いた。淳子も関西の自分の温室から、自分の蘭をここに持ってきた。淳子は、日本でも有数のカトレアの栽培者でもあった。ちゃんと世話役の人もいた。その人は、こっそりと遺伝子研究センターの外部研究者となり、学術センターの社宅に住んだ、淳子のカトレアは、信じられない程、デッカイ花が咲き、真っ赤なカトレア、ブルーのカトレア、レインボーのカトレアの花が咲いた。何十輪の花が、一挙に咲いたカトレアもあった。ナントカ賞も取った。聖子も瑠璃も、当然、金儲けの種にした。瑠璃は、製薬の子会社の肥料会社に、洋蘭用の成長促進剤を作らせ、そのカスを結構高値で売った。聖子は、安いよスーパーで、快適農作物研究所の実験農場で栽培した洋蘭の切り花や鉢植えを売った。それが売れて、二人とも結構儲けた。淳子も自慢して、敷地内の人には、見せた。香奈や恵たちも見た。

リトルチャは胡蝶蘭が好き!

意外な事に猫たちは、蘭の花が好きだった。カトレアよりもファレノプシスが好きだった。それもいい匂いがする品種が好きだった。食べてみたいと思う程であった。さすがにチャタロウは植物園の展示品に触れるなと言ったが、リトルチャは、我々が買えば、食べようと見ようと勝手だと言って、買った。切花ではなく、鉢植えの花が多かった。リトルチャも、そんな花に囲まれるのが好きだった。猫たちの部屋には、ファレノプシスの鉢植えがならんだ。かじったり、食べたりする猫たちもいたが、リトルチャは、かまわず定期的に買った。猫たちが、かじったり、食べたりした花は、ジブ植物園が回収する事になった。胡蝶蘭レンタルサービスみたいな契約を結んだ。もっと意外な事に、大きなお不動さんやもう一つのお不動さんも、胡蝶蘭が好きだった。お供えするように胡蝶蘭を置いた。

快適農作物研究所は習性からか、大きい花や何輪も同時に咲く事に拘った。それが金になると思う聖子の考え方にも一致した。遺伝子研究センターは、珍しい花に拘った。ブルーや真っ黒の花も作った。真っ黒は不人気だったが、仏事用としては売れた。ただ蘭としては形のいいものや花として綺麗なものを、蘭の専門家だった淳子の蘭の世話役が色々と助言した。リトルチャは大きく、匂いもよく、一杯咲くファレノプシス、胡蝶蘭が好きだった。お不動さんたちも猫たちに好みを言った。白地に暖かいオレンジ色や赤系統の筋が入り、大きな花が一杯咲く胡蝶蘭が好きだった。遺伝子研究センターの研究所に通っている猫にも言った。猫スペシャルの胡蝶蘭が出来た。一般的な胡蝶蘭ではあったが、花も大きく、多輪の品種で、匂いも柔らかかった。しかも咲く時期の調整も出来た。温室調整なんぞの従来の手法を超える品種改良が進んだ。聖子もいつでも売れる花を求めた。そんな花は、安いよルートで、いつでも、切花にしたり、鉢植えでも売れた。リトルチャも、一応安いよルートで購入して、ジブ植物園が管理する契約にした。リトルチャは契約に煩い猫だった。猫の部屋は二十輪を超える花が咲いた大きな胡蝶蘭の鉢が並んでいた。香奈も猫の部屋を覗いて、それを見た。香奈は、花が大きく、パープルに少しオレンジの線の入っているバンダの花が好きだった。カトレアは大きく、数輪咲いている花が好きだった。遺伝子研究センターは、早速そんな花を作った。香奈の部屋は、お不動さんの絵も一杯あったので、そんなには置けなかった。それでも猫の部屋や香奈の部屋は蘭の匂いで充満した。恵が遊びに来て、その変容に驚いた。猫のおしっこの臭いどころか花の匂いで充満していた。


「香奈さんも花が好きだったの?」
香奈「リトルチャは、胡蝶蘭が好きなのよ、一杯花が咲いているのが、好きなのよ。猫の部屋を見ていると私も欲しくなってね。遺伝子研究センターに、こんな花が良いといったら、作ってくれたのよ。バンダとか言うらしいわ。カトレアも一杯咲いているよりも、より大きな花が数輪咲いているのが良いわ。匂いも良いでしょう。」
「でもこんな花が直ぐにできるなら、保養施設からも訪問できる植物園も作ってみようよ。好きな人もいるかもしれないし、みんなにも好評なら、財団の施設においてもいいかなと思ったのよ。」
香奈「それはいい考えかもしれないわよ。遺伝子研究センターや快適農作物研究所の連中にも良い刺激になるわ。真っ黒の花も珍しいといって作る奴らだからね。」
「でもあれは、聖子ちゃんが売って、そこそこ売れているといっていたわよ。」
香奈「仏事に使えるとか言っていたわね。聖子ちゃんは、金になれば、それでいいのよ。」
「聖子ちゃんもいい歳なのに、性格は変わらないね。一般展示用の植物園も作ろうよ。」
香奈「いいわよ、私から、遺伝子研究センターに言っておくわよ。みんなの意見を聞くのもいい事だよ。」
香奈の一言は、ジブトラストに取っては、絶対命令のようだった。直ぐに一般展示用の植物園も出来た。


淳子「見てよ。ここでは、こんな大きな花が咲いたわ。私のカトレアは、世界でも有名になったわ。私は、ここのマンションで暮らす事に決めたわ。貴方は、仕事があるから、都心や関西でも行く必要もあるけど、珠子もここにいるし、私はここにいるわ。俊子さんや正子さんとも仲良くなったわ。悦子さんや綾子さんは、カトレアやファレノプシスの花をホテルに置くらしいよ。冶部ホテルは、お客さんの好き嫌いもあるから、お客さんの好みを考えて慎重にすると言っていたけど、嫌いな人はそんなにいないのにね。」
幸之助「そんな事はないよ、あの花の匂いが嫌いと言う人もいるよ、流石に冶部ホテルだよ。人それぞれだよ。一輪挿し程度の花がいいと言う人もいるし、大きな花がいいと言う人もいるよ。ジブホテルは、お客の好みに合わせて、ホテルの部屋まで、選択してくれる程のホテルなんだよ。お酒もビールの銘柄も、おつまみまで気を使ってくれるホテルなんだよ。冶部ホテルがある都市では、私は、冶部ホテルにいつも泊まっているよ。私もほとんどは、ここにいる事にするよ。車なら、東京へは十分通えるしね。香奈さんは、レストランの会議室が空いていれば、会議室を使ってもいいと言ってくれたし、ジブホームホテルやニコニコホテルの会議室も使えるし、そんなに出歩く事もないよ。重役たちもここに来ると元気になるといっているしね。関西の家は、私の作った松本財団に貸す事にしたよ、蔵や屋敷の管理する人もいるからね。淳子の温室も無くなったし、あそこに寮を建てて、松本政経寮にするよ。私も珠子の子供が大きくなっている所が見たいよ。ここでは私なんか、若造なんだよ、神太朗さんでも、ここではジブの次世代と言われているよ。淳子の蘭も、ここの人たちに掛かれば、金儲けの種になったね。転んでも金を掴む人と云われている聖子さんは大した人だよ。安売りで有名な安いよスーパーでは、蘭の鉢植えや切花の安売りも始めているらしいね。」
淳子「私はこの間、珠子と一緒に、ジブシティーの安いよスーパーに行ってみたけど、もう単なる安売りスーパーじゃないのよ。貴方は古いから、先入観が強すぎるのよ。何でもおいているのよ。お花の売り場も楽しいのよ。お客さんも一杯きていたわよ。この間、貴方が遅く帰ってきて、夜食として、食べたものは、安いよブランドの冷凍製品なのよ。お元気レストランの監修のちょっと豪華な夜食シリーズなのよ、そんなに安いとは思わなかったけどね、珠子が買うから一緒に買ってみたのよ。一緒に食べたメロンやイチゴは、タイムバーゲンで買ったの。あんなに安いメロンがあるとは思わなかったわ。珠子と一緒に買ったのよ。」
幸之助「神一さんの家ではお手伝いさんがいるのじゃないの。必要なものはお手伝いさんが、揃えてくれる筈じゃないの?」
淳子「冶部の里は、女の人もみんな働いている所なのよ。知加子さんも、友人の加代子さん、聡美さんもみんな働いているのよ。確かにお手伝いさんは必要なものを、ジブサービスに連絡して、みんな揃えてくれるけどね。珠子は、ここでは珍しい専業主婦なのよ。何人もいないのよ、専業主婦は。神一さんの娘の神純さんも、必死になって勉強しているしね。神一さんの家では、久しぶりの主婦なのよ。珠子も関西人だから、何か自分も役に立つ所を見せたいのよ。みんな、あのメロンを美味しそうに食べたと言っていたわよ。」
幸之助「それはそうだろうね。みんな、働いているとか云うレベルを超えているよ、知加子さんはいつもノーベル賞に受賞するかどうか話題になる程の人だし、加代子さんは、アメリカを支配するとか云われている有数の運用会社のオーナーみたいな人だし、聡美さんは、ヨーロッパの多様な企業のオーナーみたい人だしね。確かにメロンやイチゴの値段なぞ気にもしないだろうね。」
淳子「珠子も大変なのよ。恵さんや香奈さんの所には、専業主婦みたいな人もいるけど、肩書きはそれぞれ、会社の役員なのよ。単なる主婦はそんなにいないのよ。舞子さんは、家にいる事も多いけど、大学の先生だし、神之助さん関係の会社の役員もしているしね。珠子も何かしたいらしいけど、お腹が大きいでしょう。神子さんや神代さんは、のんびり出来るのも今のなのよ。もう直ぐ忙しくなるわよ。今はじっとしているのが仕事なのよと言ってくれているらしいわよ。」
幸之助「珠子も、松本電産の財産管理会社の役員でもしておけば、良かったね。株は持たすようにしたけど、実際に仕事をさせるなんて事は考えた事もなかったよ。冶部一族は、日本でも有数の資産家なのに、そう言われれば、女の人も男の人もみんな働いている一族だね。みどりさんも財団の仕事もあるし、岡崎交易の役員でもあるしね。」
淳子「今ごろ言っても遅いわよ。珠子も、カミカミ傘下の企業の役員になる予定らしいよ、神一さんからは、それとなく言われているらしいわ。出産して落ち着いてから考えてくれと。リストも見せられたらしいわ。ジブ関連でもカミカミ関連でもいいからとも言われているらしいよ。神幸さんが国会議員である間は、こんな企業、落選したら、こんな企業とも言われているらしいわ。」
幸之助「さすがだね、冶部一族は。珠子にお金を上げて、それで自分たちの管理会社なんかの株を買わせていくんだろうね。でも神幸君は選挙には強い人みたいだよ。事業を始めて、神幸君が大臣でもなれば厄介だよ。」
淳子「神一さんは、直ぐに落選すると思っているみたいなの。神幸さんとの今後の生活も考えて、名義人程度の役員の積もりで神一さんは、言っていると思うけど、珠子は、自分でもなんとか出来る仕事がしたいと考えているのよ。優花さんみたいに自分でも出来る仕事を持っておきたいと考えているかもしれないね。」
幸之助「今度、神一さんにも言ってみるよ。松本電産の財産管理会社でも株主だけでなく、珠子を非常勤の役員にするように相談するよ。」
淳子「神一さんは、非常勤の役員ではなく、ある程度の報酬を出せる所にしようと考えているみたいなの。だから、ちゃんと通えて、少しは実際に勤務できる所を考えているみたいだよ。近くにあって、今は結構収入もあるジブ総合研究所の理事とか、カミカミファイナンシャルの事務局とかの役員にして、都心に本社があって、ジブやカミカミの影響力が強い、冶部食品の役員とか岡崎交易の役員とかの仕事をしたらと勧めているらしいわ。でも珠子は、単なる名義人じゃなしに、自分でもなにか本当にできる会社を選びたいと考えているのよ。少しは社会を見ようと思って、ジブシティーに行くのよ。安いよ食品の冷凍品は、冶部食品で作っているから、買ってみようと思ったみたいなのよ。冶部食品に興味があるみたいなの。」
幸之助「あの夜食は美味しかったよ。レストランの夜食と思ったよ。メロンも高級メロンだったし、イチゴも美味しかったよ。」
淳子「メロンとイチゴは、珠子が大家族だからと言って、一杯買おうとしたら、お一人様、二個まで言われて、私も買ったの。あんなに安いから、私は、珠子に全部上げる積もりだったけど、そんなには要らないと言われて、一個ずつ持って帰ったの。少し食べたら、とても美味しかったのよ。貴方にも夜食の時に、つけたのよ。なんであんなに安く出来るのかね。安いよはゲリラ的に、タイムバーゲンをするらしいわ。あっと云う間に、行列が出来たわよ。偶々近くにいたから、私たちも買えた位なの。」
幸之助「安いよは、客寄せのために、突然バーゲンをする店だからね。フルーツは有名だよ。自分の農園で作っているだけに、冗談みたいな値段をつけるのだよ。家電業界でも、安いよの値段交渉は大変なんだよ。いくら現金一括でもそんなに安くは出来ないよ。でも競争だし、問屋の一部で、資金繰りに苦しいと、現金一括払いの誘惑に負けて、売る所もあって大変なんだよ。他の小売店の影響もあって、いつも泣かされているよ。冷凍食品は、高級品の冶部食品の冷凍品も売っているらしいね。」
淳子「ここのレストランは朝早いのよ。朝六時から食べる人もいるのよ。大体晩の九時には終わってるわよ。ジブの夜勤の人へのお弁当を配達の人に渡して、終わりなのよ。香奈さんの生活リズムに併せたプライベートレストランみたいなものなのよ。」
幸之助「まあ、香奈さんは特別な人だからね。あのレストランは、世界の幻の最高峰のレストランと言われているよ。外部の人があのレストランで予約する事も食事する事も基本的には出来ないからね。あのレストランのコックさんは、高給で誘われるらしいけど、あのレストランも高給だし、最高品質の食材が、実験農場から入るし、自由に腕を振るえるし、大体コスト計算なんてする必要もないしね。みんな、なかなかここを離れたくないらしい。これからは、香奈さんみたいな人は、もう出ないだろうね。大企業の利益よりも、大きな個人所得がある人なんだよ、桁が違うんだよ。香奈さんが財団にする寄付でさえ、ちょっとした企業の所得よりも多いんだよ。珠子でさえ、神幸君の配偶者として、ジブトラストやカミカミの株主になり、相当な配当を貰ってるんだよ。あれでも最低単位の出資らしい。珠子がみどりさんに、出資する金を借りたといったから、私が出すと言ったけど、まだ見習期間中なので、みんなそうしているからと言われたらしい。知加子さんもそうしてきたと言われたらしい。冶部の伝統は、祖母が孫の配偶者の監督をして、お金を貸して、高い配当を渡して、その後の変化を観察する責任があるらしいよ。珠子も貰ったお金は、借りたお金の返済分や税金分を除いて、ほとんどカミカミへの出資や管理会社への出資に回したらしい。みんなそうしているらしい。香奈さんは、ジブトラストからの報酬や配当は莫大だけど、それだけじゃないんだよ。大手スイス資本のスイスカナコインや香奈ハイテクも香奈さんの会社だし、猫たちに任せていると冗談みたいに言ってるリトルキャット系列は、金融部門も企業部門も、世界的な企業群だよ。金融部門では、松本電産でも資金の移動には使っているらしい。大きな銀行もこっそりと使っているらしいよ。スイスカナコインでは長い間、香奈さん自身は報酬も取らなかったけどね。役員報酬のバランスもあるからと言って、貰うようになったらしい。配当もそれぞれ今は出しているし、それだけでも膨大みたいだよ。リトルキャット系列のハイテク関連の会社群は、アジアでは、圧倒的な会社群なんだよ。アメリカでも強いしね。ハイテクでは、世界標準になっている素材が増えているんだよ。松本電産もリトルキャット系列と取引をしているし、合弁会社を作る相談もしているんだよ。それで打ち合わせのために、あの都市に行く事になったよ。向こうから来るといったけどね、一度リトルキャット九州の工場もみてみたいので、僕が担当重役をつれて、行って来るよ。冶部ホテルがあるから、部屋を取ってくれといったら、満室なんだよ。一ヶ月前ぐらいに予約しないと、取れないらしい。仕方がないので、エレガントホテルに予約してもらったよ。エレガントホテルも、予約は取りにくいホテルだけど、リトルキャット九州が所有するホテルなので、何室かはいつも押さえているらしい。でも冶部ホテルの普通の部屋はなかなかキャンセルは出ないけど、特別室は、たまには出ると言って、リトルキャット九州の人が、毎日、問い合わせしてみると言っていたよ。キャンセル待ちは、特別室では受け付けないらしい。そんな事すると、キャンセル待ちがたまってしまうから、大変になるらしいね。」
淳子「神幸さんの選挙区でしょう。私もどんな町かも見てみたいわ。珠子も一度行きたいと言っていたけど、今は飛行機にも乗らない方がいいと言われているのよ。でも不便な所にあるんでしょ。」
幸之助「そんな事はないよ。国内便なら、空港も近くにあるよ。近くといっても、車で40分程度かかるらしい。空港シャトルバスもでているらしいけど、リトルキャット九州の人が迎えにきてくれるよ。」
淳子「じゃ私もついていくわ。私はホテルにいて、町をゆっくりみてみたいわ。」

松本幸之助夫妻、九州のあの都市に行く

たまたま、幸之助夫妻が行った時に、当日キャンセルが起きた。どこかの国の偉いさんが、近くの国に行く用事があり、予約して、楽しみにしていたが、その国で大変な事故が起こり、わざわざ日本に寄って、浮世絵を見ている場合ではなくなった。直ぐに帰らなければいけなくなった。あくまで、このホテルに行くと言っていた偉いさんもついに諦めたのが、当日の朝だった。幸之助夫妻に同行した重役は、予定通り、エレガントホテルに泊まったが、幸之助夫妻は、冶部ホテル福岡の別館の特別室に泊まった。
淳子「凄い部屋なのね、特別室は。ワンフロワー貸切なのね。この絵はナントカ言う人の描いた浮世絵なんでしょう。居間に置いてある絵や茶碗も凄いわよ。それに凝った家具も素敵だね。」
幸之助「そうみたいだね。ここの部屋は、三ヶ月前でないと、予約は、取れないらしい。値段も凄いけどね。まあ今回は、泊まれて良かったよ。リトルキャット九州の人が、キャンセルが出た直後に、聞いたので、なんとか取れたと言っていたよ。眺望もいいね。お風呂も貸切なんだよ。この家具も特別品で、加代子さんの会社が保有している高級家具製造会社の特注品なんだよ。食事は食堂に運んでくれるらしい。大変な陶器に盛ってくれるらしいよ。使ってこそ、価値が判ると言っていたよ。何千万の陶器なんだよ。破損すると大変だから、いいと言ったんだけど。」
淳子「そんな陶器なんかに盛って貰わなくてもいいわよ。緊張するわよ。」
幸之助「今、僕達が使っている茶碗も何千万する茶碗だよ。美術館に並べてもおかしくない一品なんだよ。」
淳子「怖いのね、この部屋は。うかうか使えないね。」
幸之助「この特別室においてある絵や陶器なんかは、全部あわせると、億どころか、軽く10億を超えるだろうね。仮に100億出したとしてもこんなものは集まらないよ。こんな名品は集めるには、タイミングもあるんだよ。普通の部屋は、鑑賞するだけで、現代の陶芸家の作品を使うけど、この特別室だけは、江戸時代の名品を使っていい事になっているんだよ。」
淳子「でも破損すると大変だし、私たちも現代の陶芸家の作品を使いましょうよ。」
幸之助「そうだね。もう一度頼んでみるよ。」

幸之助「食事に使う陶器類は、ナンタラと言う、人間国宝の現代の陶芸家の作品に替えてもらったよ。でも形だけは、その名品にも少し盛ると言っていた。最初の抹茶だけは、みんなこの茶碗で飲むらしいよ。もう直ぐ持ってくるよ。」
そのナンタラといわれる陶芸家が、全身全霊を込めた作品が、食事に使われる事になり、茶碗も持ってきた。
淳子「本当にあの茶碗で飲んだお抹茶は美味しかったわ。貴方があんな事言うから、怖くなったけど、このナンタラと言う人の茶碗で飲むと味が落ちるみたいだね。」
幸之助「そうだろう。それが陶器の怖さなんだよ。このナンタラといわれる人の作品も、一点で、恐らく何十万円はするだろうし、その人の最高傑作なんだろうけどね。ここの部屋では、本物の凄さがよく判るよ。もうすぐ、担当重役も来るから、一緒に食べよう。彼にもその違いが判るといいんだけどね。彼にも最初は、この名品の茶碗で飲んでもらうよ。」
淳子「この部屋は、凄い部屋なのね。誰が作ったの。」
幸之助「この部屋は、本当は加代子さん専用の部屋にする積もりだったらしいよ。でも加代子さんは、まだ来た事がないらしい。」
淳子「加代子さんは、こんな趣味があったの。」
幸之助「いや、香奈さんに聞くと、香奈さん出入りの美術商が最初に集め、その後江戸時代の美術品の専門家が、一般客室の美術品やロビーに置いてある仏像なんかを集めたといっていたよ。使った金も莫大だけど、よく集めたものだよ。もう、今では、いくら金を出しても、こんな名品は到底集まらないよ。ここのホテルはある意味、奇跡のホテルなんだよ。江戸時代の美術品を集めた美術館でもあるんだよ。リトルキャット九州の人は、ボスに言われて、この部屋に僕を泊めたかったらしいね。それで頑張ったみたいだよ。ここの部屋が人気があるのは、そんな事を判るからかもしれないね。リトルキャット九州の言う、ボスとは誰なんだろうね。」
淳子「でもそのボスと言われる人と、貴方は話をしなくてもいいの?」
幸之助「実は、もうほとんど決まっているようなもんなんだよ。色々と大変だっんだよ。ここまで来るのは、後は形式的な打ち合わせだけなんだよ。相手のリトルキャット九州の人も社長なんだし、経営執行は任されていて、何の問題もないんだけど、松本電産の本社に来ると言ったけど。ただ僕が、リトルキャット九州の工場を一度、みておきたかったので、ここに来たんだよ。明日は、淳子は、ゆっくりこの町をみていれば、いいよ。明日の最終便で帰る予定だよ。この部屋は、どこかの国の大統領が明日の夕方に到着するから、この部屋に泊まる事は出来ないんだよ。昼過ぎには、警備の人たちが、この部屋を調査するらしいから、この部屋を使えるのは、明日の午前中までだよ。」
淳子「この部屋で、連泊して、ゆっくりしてから、帰ると思っていたのに。」
幸之助「そんな無理を言っては、いけないよ。ここの部屋の、宿泊料は凄いけど、泊まれる事自体、大変なんだよ。本当は、どこかの大統領の警備の人は、今日は空けて、明日の朝から調査したいと言っていたのを無理に泊めてもらったんだよ。エレガントホテルで明日は泊まって、翌日の朝、帰ってもいいよ。あのホテルも高級ホテルだよ。金ピカのホテルらしいね。」
淳子「綾子さんが、自慢していたホテルだね、折角だから、そのホテルにも泊まってみましょう。」

幸之助に言われて、食事を同席する事になった、担当重役が来て、最初にあの名品の茶碗で、美味しそうに抹茶を飲み、次に同じ抹茶を、ナンタラと言う陶芸家の茶碗で飲み、同じ抹茶なのに、味が違う事に驚いた。江戸時代の名品があっちこっちと置かれている部屋で、飯を食い、眺望にも感動して、帰った。

淳子は、ホテルのロビーの愛染明王さんにお参りもして、ゆっくりと町を散歩して、色々な場所に行った。たいした荷物もなかったが、エレガントホテルの人が、荷物は取りに来たので、淳子は、この町を散歩して、お元気レストランで、昼飯を食べて、直接エレガントホテルに行った。金で眩しいほどのホテルだった。エレガントスパで、マッサージなどを受けて、部屋に帰り、幸之助も帰ってきた。

淳子「どうだったの。リトルキャット九州の工場は。」
幸之助「大変な、ハイテク工場だよ。あんな工場ははじめて見たよ。凄いね、リトルキャット九州は。通信機器の大手になった会社の独占的な販売権も持っているし、先進的な技術を持つ幾つかの会社の独占的な販売権も持っていた。リトルキャット物産と言う広範囲な営業ルートを持つ会社まであるんだよ。一挙に契約までは考えてなかったけど、色々と話をしてみて、松本電産とも家電分野で、共同で開発を進め、家電製品を作る合弁会社の契約をする事になったよ。リトルキャットの人たちは、ちゃんと想定していたみたいだよ。色々なプランまで、見せられたよ。一般用の家電は松本電産が独占的に販売して、産業用とか業務用だけをリトルキャット系列で販売する事まで譲歩してきたよ。営業力で定評のあるリトルキャットだから、独自のブランドにして、営業ルート毎に整理して、販売する方向で調整が進んでいたんだよ。松本電産のブランド力を評価して、一般用の家電は、すべて松本電産に任せると言ってくれたよ。通信機器やハイテク関係の製品と一緒に販売できる、特殊な産業用製品と業務用製品だけを独自のブランドにして、リトルキャットが販売したいと言ってきたよ。製造会社の出資比率も松本電産が5割以上出資する事も認めてくれた。ここまで譲歩してもらって、僕が、みんなと相談するとも言えないので、大筋で合意したんだよ。リトルキャット関連や国内香奈の事務局が出資している企業が、この町の周辺に工業団地を作る計画があるから、それと共同する形で工場を作る事になるだろうね。ただジブトラストとして松本電産に出資する事を認めて欲しい。松本電産として、認められる範囲でいい、増資を割り当ててもらう形でもいいので、それは神太朗さんと今後話をして欲しいと言われたよ。これからの家電は、大きく変わるだろうし、家電業界も変わるだろうね。この町はどうだった。」
淳子「この町は、色々な面をもっている町なのね。冶部ホテルの周辺は、落ち着いたゾーンなのに、農村みたいな所もあるし、カジノ街みたいな所もあるし、このエレガントホテルの周辺は、未来都市みたいな雰囲気なのね。エレガントスパは、アジアの高級リゾートみたいな感じだったよ。リゾートホテルの方が落ち着いた感じなのね。ここは、金ピカすぎね。豪華といえば豪華なんだけど。神幸さんのポスターは色々な所に貼っていたわよ。」
幸之助「担当重役も言っていたよ。最初についた時は、会社の出張で泊まるようなホテルじゃないと思ったらしいね。冶部ホテルは、凄いホテルなのに、ゆったりしていると思ったらしい。確かにここは、金ピカすぎるよ。最初に冶部ホテルに泊まったせいもあるかもしれないけどね。でもここは、アジアでは有名なホテルなんだよ。日本の人は、向こうのリゾートホテルに泊まる人が多いらしい。お金も少し安いし、落ち着いているしね。」
淳子「冶部ホテル周辺のニコニコホテルの方が、お金も安くて、もっとゆったりしているわよ。町並みも落ち着いていたわ。家族づれも大勢いたわ。私はあそこのホテルにした方が良かったわ。」
幸之助「そういう人の方が多いかもしれないね、ニコニコホテルは数も増やしたのに、好調だし、ビジネス客もほとんどはあのホテルに泊まるらしい、あのホテルもそんなに空いていないんだよ。今回は急だったからね。」
淳子「冶部ホテルに泊まってから、このホテルにくると、金ピカもなんだか、色褪せるね、底が浅い感じがするね。貴方が冶部ホテルがいいと言うのは、よく判るわ。」
幸之助「お元気レストランには、淳子が昼行くと言っていたから、夕食は、このホテルのレストランにしようね。世界各地の料理ができるらしいよ。このホテルは、海外の人の方がよく泊まるホテルなんだよ。」
淳子「マンションの隣のレストランが、美味しいというのが、よく判ったわ。みんな美味しいとは思うけど、やっぱり、あのレストランは最高だね。朝はとくに違うわ。デザートのケーキが食べたくなったわ。」
幸之助「あのレストランは、世界の最高クラスのレストランなんだよ。シェフも最高だしね。デザートシェフは、有名な人なんだよ。香奈さんは、特別な人と言っただろう。もうあんな人はでないよ。香奈さんが作った香奈オフィスは、もう世界一とも言われている資源メジャーだし、香奈ハイテクの大株主でもあるんだよ。香奈さんの一言で軽く世界的な企業も傘下に入れる人なんだよ。世界の鉄鋼、食品産業、製薬業界そしてハイテク素材産業は、広い意味では、みんなジブ系列だらけだよ。ジブ、カミカミそして香奈が現地法人も絡めて、ほとんどの世界の大きな会社には、出資しているんだよ。ややこしいんだよ、それぞれが単独で持っていたり、ジブとカミカミが共同で持っていたいたり、香奈とジブが共同保有している企業なんかもあってね。みんなは、もう話題にもしないよ。みんなジブの資本が入っているだけに、企業としては別なんだよ。どこの企業が優位になるかと争っているほどだよ。」
淳子「家電業界では、そんな事はないじゃないの。ジブ系列なんて聞いた事はないわ。」
幸之助「家電業界は、今までは不思議とジブの人たちは関心がないのだよ。今回の松本電産とリトルキャツト九州との合弁会社は、その意味でも画期的な事なんだよ。神太朗さんとリトルキャットのボスもそういう意味でも話しあっていたと思うよ。あれだけ譲歩してきたのは、二人の話し合いの結果だと僕は思っているよ。婉曲的に言っていたけど、新しい合弁会社を作る金を、ジブとして増資してもいいと言っているようだね。」
淳子「松本電産には、そんなお金もないの。」
幸之助「そんな事はないよ。その程度の金は持っているよ。ただ、色々と他にもお金は必要だしね。最新鋭の工場だから、相当お金も掛かるのも事実なんだよ。銀行なんかに金を借りる事はないよ、そんな金はジブが出すよと言っているみたいだね。松本電産だから、ジブの名前にしたけど、リトルキャットは、新しい工場を自分達の出資で作らせていく会社みたいだね。あれで、リトルキャットは系列企業を増やしてきたんだろうね。よく考えているよ。」
淳子「どういう事なの。」
幸之助「つまりね。出資を受けて、新しい工場をまったく、お金を出さずに建てて、その利益だけをその会社が手に入れる事が出来るんだよ。出来た製品はそっくり、リトルキャットが買ってくれるんだよ。経営なんかには、口を出さないし、利益の中からある程度の配当を払うだけでいいんだよ。リトルキャットの協力工場網がこうして出来たみたいだよ。」
淳子「それで儲かるの。」
幸之助「会社を作って、工場を新しく作ると、もっとお金も必要だし、色々と大変だけど、既にある会社なら、そんなにお金も掛からないでしょう。人の手配なんかも全然違うしね。それに技術力を基本的に持っている会社で経営陣もしっかりしている会社を選んでいるから、運営も楽だし、新しい技術も導入しやすい。自分たちの仕様にした工場をそっくり借りるみたいなものだから、それなりに秘密も守りやすいしね。リトルキャットの協力工場網の一般的な作り方みたいだね。そんな協力工場から、もっとリトルキャットから増資を貰って、傘下に入ろうとする企業も出てくるんだよ。リトルキャットは成長しているしね。仕事も回ってくるし、技術も教えてくれるしね。ただそんな会社を選択する必要はあるけどね。こうしてリトルキャット傘下の企業が増えていく事になる訳だよ。実は松本電産への増資をジブトラストに任せたのも、アジアのジブトラストとリトルキャットの合弁企業での出資割合の調整とも絡んでいるような気がするよ。恐らくあの鉄鋼会社ではないかと思っているんだけどね。珠子の事だけで、リトルキャットがジブトラストに美味しい所だけ渡す会社ではないよ。アジアでのやり方を見ていると、なかなか、思慮遠謀に富んでいる会社なんだよ。お金で無理やり買収みたいな事をしないけど、色々と考えている会社なんだよ。ジブトラストとしても色々と業界を研究して、成長する企業に出資していきたいと考えているから、それに乗ったと云う訳だよ。調査力もあって、金があるリトルキャットだから出来る事かもしれないけどね。」
淳子「リトルキャットは、そんなにお金を持っているの。」
幸之助「持っているらしいね。リトルキャット九州に投資した金額でも膨大な金額だけど、すべて自己資金で用意したらしい。アジアやアメリカへの投資もすべて自己資金らしい。それが、次々と高収益な企業になっていっているからね。食品関係は、そんなに高収益とは言えないみたいだけどね。リトルキャットは、農業や漁業、食品関係にはなぜか拘る企業なんだよ。リトルキャットプロダクツと言う会社も持っているし、この町でも農園から漁業関係まで手を回しているよ。アジアでは、ハイテク関係で相当の企業の株式を相当保有しているよ。配当収入だけでも相当なものだよ。株式を過半数以上保有している企業群には、かなりの金をプールさせているみたいだしね。私の使っている調査会社でも、リトルキャットの自由に使える金は、何兆クラスと見ているよ。それも実業グループだけの事だよ。金融グループは、まったく分からない程持っているらしい。今話題のコネコソフトやコネコ通信も金融グループのメンバーなんだよ。独立性も高いらしいけどね。今回の家電製品にも、リトルチャット系列のコネコソフト、コネコ通信そして香奈特別基金の通信機器メーカーの技術も大分取り入れられる事になりそうだよ。もうテレビも単なるテレビじゃなくなるんだよ。FAXでもあり、パソコンでもあり、電話でもあり、家中の家電製品のコントロールもできるようになるだろうね。」
淳子「コネコソフトやコネコ通信も、リトルキャット系列なの。ジブの出資は、多少は入っているかもしれないけど、まったく別の会社じゃないの。コネコソフトとコネコ通信は上場するとか言われているわよ。コネコ通信の携帯は、この頃凄く増えているわよ。」
幸之助「みんな、そう思っているらしいね。調査するまでは、僕もそう思っていたよ。みんなもそう思っていたんじゃないの。運営する人は、一見すると、ジブと何の関係もない人だし、自由に活動しているみたいだからね。ジブ系列のごきげんソフトやジブテレコムは、ジブ専用のシステムや通信網を維持する会社だと言う姿勢が鮮明で、外部へのマーケティングなんかは、ほとんどしない会社だし、ジブ傘下の企業とみんな思っているよ。しかし、昔は少しは、外部への売り込みもしていたんだよ。それがジブが拡大していくのに応じて、ジブ専用みたいな会社に変わっていったんだよ。今でも昔からの顧客の中には、ジブ関係ではない企業もあるし、昔からのソフトの改良版なんかも少しは出しているみたいだよ。それでもジブのシステムの秘密とか、通信確保なんかを強く意識するようになって、変わっていったのに対して、コネコソフトやコネコ通信は、あの経営者が、自由に外部への展開を続けていって、大きくなった会社だからね。それでも不思議なんだよ。あの人は、そんなにシステムに詳しいとは思えないのに、どんな難しい注文にも答えるし、革新的な処理速度を持つシステムを提案していったんだよ。ウチの開発に言わせると、研究所の所長もそれほど革新的な技術力は持っていないのに不思議だと言っていたよ。よほど外にでるのが嫌いな優秀な技術陣が内部にいるんだろうね。
今回の上場の話は、無理やりと言う程ではないが、かなり強い働きかけを受けているみたいだよ。政府も絡んでいるみたいだよ、陽太さんが総理を辞めて、成長路線を展開する筈が、陽太さんの福祉強調のグループの勢いが前よりも強くなって、福祉への予算削減なんかはまったく出来ない状況になって、成長促進税制も強く取れない。陽太さんの二番煎じみたいに思われたくない今の政府に取って、コネコソフトとコネコ通信は、久しぶりに出た、ジブが大きな影響力を持たずに、大きくなった企業みたいに見えたんだよ。ジブ関係の企業では大きくなった会社も多いし、ブランド品展開のリトルキャットは大きくなったけど、あれは不動総合が運営しているし、不動と陽太さんとの関係はみんなが知っているからね。ジブ以外で大きくなったコネコソフトとコネコ通信の今回の上場で、日本の成長路線も成功したと見せたいとの思いが強いみたいなんだよ。
コネコ通信ではジブの傘下のジブテレコムも出資しているけど、ジブテレコムは、国内の主要都市間に回線網を持つし、自前で通信衛星まで持つ会社だから、回線リセールを受けている通信関係の会社には、みんな出資しているから、そんなに気にしなかったけど、調べてみると、この二つの会社は、結局は、香奈国内の子会社の子会社のその又子会社群が、ほとんど出資している会社だったんだよ。会社の名前もまったく違うし、運営も香奈国内の関係者でもなかったので、良く判らなかったみたいだね、業界筋でも知らないし、政府でも知らなかったみたいだね。日本の成長を印象づける意味もある上に、コネコソフトの基本ソフトが世界中で使われて、コネコ通信の通信技術が各国の通信メーカーにパテントを供与しているので、二つの会社を上場させ、海外の資本も受け入れさせると、こっそり約束してしまったみたいだね。
普通は上場させると言えば、みんな喜ぶもんだけど、この二つの会社は、香奈国内の関係会社と言うよりも、リトルキャット系列の金融グループが出資している会社と判ってたんだよ。金融グループは傘下の会社も多いからね、コネコソフトやコネコ通信は、金融グループや実業グループのシステムや通信網の維持もしているし、金も一杯あって、資金を集める必要もないと言って、上場するようにとの呼びかけにも否定的だったんだよ。税金対策で苦労しているのに、わざわざ、税金払うためみたいな上場なんかはしたくないと言っていたんだよ。」
淳子「でも、私の友達でも、上場はほぼ決定だと思って、一般公募がいつかと心待ちにしている人が多いわよ。コネコソフトは、ナンタラと言うアメリカの会社を超える、世界一のソフト会社になりそうだし、コネコ通信も、次世代の通信標準を作る会社になると言っていたわよ。」
幸之助「色々な背景もあって、上場したくないと言えば、それで終わりとは言えなくなったんだよ。それに基本システムや通信の会社だからと云う錦の御旗みたいなものを振りかざして、強く上場を勧める一方で、上場した時に出る上場利益は、起業した人や出資していた企業の保護を強く打ち出して、通常の所得とは別にした安い税率にしたり、企業では、新規投資をしたりすれば、その新規投資した金額を幾らかの比率で税金の控除する事もして、更に配当分離課税も復活させたりして、企業の分社化を進め、取引を活性化させ、投資を促進し、起業しようとする人たちも応援して、経済を活性化させる法案を準備中なんだよ。それが通れば、上場する事になるだろうね。これは、神幸君が進言したらしいよ。裏で陽太さんの意向も少しあるみたいだよ。今回の松本電産の合弁会社の設立計画も実は、それを意識したものでもあるんだ。
ただジブグループの利益は、今や配当の形で貰う利益が多いからね。ジブグループからの税金は、もはや十兆に近づいているんだよ。香奈さんやジブの人たちからの個人の税収も考えるともっと多いからしれない。当座は、あまり税収が激減すると困るので、そのラインの設定も必要でね。ジブの首脳たちと財務省筋との話合いが続いているんだよ。竹花さんが仲介して、密かに香奈さんにも会っているみたいだよ。
僕がこっそり聞いた話では、配当分離課税を導入して、税率は思い切って下げ、税金が減っても、ジブ、カミカミそして香奈国内では、今の税金分程度の金を、5年間程度は、税金に加えて、政府への寄付金として渡して、無料診察制度維持のお金や再チャレンジ基金を維持させる事になりそうだよ。配当分離課税の税率を下げても、これらの制度を維持していく。政府への寄付は、無期限有効の税金の控除とする代わりに、その控除を実際に申請するのは、前もって相談して欲しいと云う形で落ち着くみたいだね。香奈さんなどの高額所得者も同様にして、その控除は相続税の時にも使用してもいいと言ったみたいだよ。これが、政府の切り札みたいだったね。香奈さんは、興味を示したみたいらしいよ。無利子国債も相当ジブグループは持っているし、これ以上ジブの金に頼るのも問題だけど、税金の前払いの形で寄付を受けるなら、そんなに問題でもないし、やっぱり配当への課税は二重課税で、企業からの配当を増えれば、トータルでの税収は少し増える計算ではあるんだよ。個人への分配を増やして、日本の所得を底あげして、税収を上げていけば、問題ないだろうと言う事になったみたいだよ。
研究開発促進の減税と、法人が配当に回す利益の分は法人税の控除も複雑な計算をして法人税率を下げて、投資促進減税やベンチャー企業投資研究減税なども織り込んこんだ法案の準備が出来ているんだよ、そして、株式を保有している個人や法人への配当比率の向上も図り、投資する意欲も高め、日本をより成長路線に乗せるとか云うスローガンも出来ているんだよ。与野党の間でもほぼ大筋で合意しているみたいだよ。陽太さんも、竹花さんに詳しく説明も受けて、承諾したとか言われているよ。
ただコネコソフトとコネコ通信が、今の会社そのものが、上場するかは実は微妙なんだよ。金の問題だけでなく、コネコソフトとコネコ通信は、リトルキャット系列のシステムと通信網の維持もしているし、ジブ総合研究所と大学院大学などののシステムと通信網の維持もしている。 リトルキャット系列のシステムと通信網は、極秘にしたいし、ジブ総合研究所と大学院大学や恵さんの財団と不動財団のシステムと通信網の維持は、大赤字で維持していたらしい。不動の基金が増えていて、寄付も出来ないから、そのように処理していて、恵さんの財団も同様に処理していたみたいだね。あまり内情を明らかにも出来ないから、ジブ総合研究所の情報処理室を、リトルキャット情報処理研究所として分離、独立させる。そこにリトルキャットの系列企業が大幅に出資して、リトルキャット系列のシステムと通信網の維持そしてジブ総合研究所、大学院大学、恵さんの財団、不動財団のシステムと通信と維持を担当する研究所を作り、コネコソフトとコネコ通信にも出資させ、コネコソフトとコネコ通信は、そのお金で、コネコソフトとコネコ通信の新しい総合研究所をリトルキャット情報処理研究所の側に建ててるなどの事もして、更に研究所を補強して、上場すると云う形で落ち着きそうだよ。ジブ総合研究所の情報処理室は、多くの新しいソフトの開発で有名にはなったけれども、内部は関係者以外、入った事もないし、コネコソフトやコネコ通信の研究所も実は、この情報処理室を間借りしているみたいな形だったから、みんなは、どっちがどの研究所かなんてわからない。上場するから、研究所を新しく分離しましたと言えばすむだけだよ。よく考えたスキームだよ。
コネコソフトとコネコ通信の中核となる企業割り当ての話は、既にジブ関係の企業に連絡が回っているらしい。海外のジブ傘下の企業にもある程度は持たすらしい。ジブ関係だけでは、目立つので、財界の団体にもそれなりの割り当てがあってね。松本電産にも話はあったんだよ。松本電産も少し、株を持つ事になるだろうね。でも国際公約みたいになったから、一般公募もしないといけないから、上場すると恐ろしい高値がつくだろうね。割り当て増資と一般公募の価格の差があまりあるのも問題でね。コネコソフトとコネコ通信の体制が決まり次第、割り当ての金額の算定が始まるんだよ。」
淳子「ジブやリトルキャットは、凄いお金が入ってくるのね。」
幸之助「今のままでは、単に払う税金を増やすだけになるから、元々金がある、ジブやリトルキャットには、何のメリットもないからね。あの法案の通過待ちみたいなんだよ。」
淳子「でも、リトルキャットと言っても、結局は、お金はジブから出ているじゃないの」
幸之助「いや、それはないと思うよ。リトルキャットは、国内香奈ファイナンシャルの事務局直系だよ。ジブとは、資金系列が違うんだよ。国内香奈が持っているお金は、凄い金額だよ。何兆ではなく、何十兆以上だよ。それも現金で持っていると言う意味だよ。資産価値なんて計算もできないよ、香奈オフィスだけでも、世界を合わせたら、何兆も利益があるんだよ。香奈ハイテクもほとんどの株は国内香奈が保有しているし、機械や資源開発などの一族の会社の株も相当持っているし、もう一つの大きな銀行も半数近く持っているんだよ、香奈海外は、香奈国内の子会社なんだよ。それぞれにお金を持っているんだよ。保有株式なんて、数が多すぎて分からないと思うね、その他にも財産管理会社までもっているんだよ。配当だけで兆に届くだろうね。色々と経費を出して、押さえているみたいだけどね。ここの町の基盤整理もしている九州新開発も、国内香奈の財産管理会社が多くの株式を保有しているんだよ。冶部ビルも出資しているし、地方自治体もほんの少し出資しているけどね、過半数の株は、国内香奈の財産管理会社が保有しているんだよ。それでも、リチルキャットのお金は、国内香奈の事務局の管理しているお金とは、別のラインで動いていると思われるんだよ。神太朗さんともよく話しているし、アジアではジブとリトルキャットとの合弁企業なんかもあるし、実業グループの活動は、結構ジブの神太朗さんと協力しているみたいだけど、資金と活動とは違うみたいだね。ジブが長期的に株式を保有してくれるのは、嬉しいけど、ジブの子会社みたいになるのもいやだしね。神太朗さんとじっくり相談するよ。」
淳子「複雑なのね。」
幸之助「国内香奈の資金の流れは、恐らく何系統もあるだろうね。リトルキャット系列でも実業グループと金融グループとリトルキャット貴金属グループなどに分かれていると思うよ。初めはリトルキャット運用会社だけだったのが、それぞれに別会社を作って、みんなそれぞれ大きくなって、独自に資金を動かして、資金の流れが違うみたいなんだよ。正人さんが管理している香奈特別基金も独特の運営をしているしね。そこに本来の国内香奈、香奈オーバーシーズもあるんだよ。」
淳子「リトルキャットと言うと、カバンとかファション製品を売るブランドショップと初めは思っていたのに、全然違うのね。ここのリトルキャット直営店は、豪華なお店だよ。」
幸之助「あれは、実は不動との合弁企業なんだよ。業界筋では有名だよ。海外では快適との合弁企業まで、あるんだよ。ここのリトルキャットは、冶部ビルの福岡が運営しているみたいだね。世間で知られているリトルキャットは、ほとんどが、合弁企業で、運営は不動だったり、快適だったり、ジブの海外法人などが主体となっているんだよ。イチコプロダクツが販売している食料も、リトルキャットプロダクツのものが結構多いんだよ、あれはイチコプロダクツが運営しているみたいだしね。リトルキャット九州だけが、リトルキャット運用会社直轄なんだよ。リトルキャット九州の傘下に、国内だけでなく海外に色々と会社があるんだよ。それはみんな名前が違う会社なんだよ、リトルキャット物産ぐらいだろうね、リトルキャットの名前を付けているのは。」
淳子「不思議な組織なんだね。」
幸之助「そうだよ。リトルキャットだけでなく、ジブグループは不思議な組織なんだよ。ジブの名前も、ジブ関係の人もいない組織が、ジブグループの株式保有率が多かったり、ジブと近いと思われる組織でのジブグループの保有率が比較的低かったりするんだよ。商会なんて、一族の会社と言われているけど、株式保有率はそんなに高くないんだよ。カミカミが筆頭株主ではあるけど、ジブグループでは過半数どころ、30%も持っていないだろうね。機械や鉄鋼も良く似たもんだよ。岡崎交易は、ジブとカミカミで過半数を超えているのに、ジブの関係者も少ないし、名前も別だろう。快適製鉄と言いながら、カミカミが筆頭株主だったりする組織なんだよ。ジブが一番大きいけど、カミカミも香奈もそれぞれ大きく、鉄鋼業界や食品、製薬そして貿易などでは、それぞれ複数の大きな会社を持っているし、銀行だって、一族の銀行は、ジブとカミカミが、そしてもう一つの大きな銀行は香奈ファイナンシャルが筆頭株主だよ。一族の銀行は神一さんが頭取をしているけどね。もう一つの大きな銀行は、香奈さんの孫の正人さんが頭取を辞めて、単に取締役になって監視しているだけみたいだよ。 香奈ファイナンシャルは、経営陣の自主性を尊重する組織なんだよ。経営権を握ろうとはしないみたいだね。この頃は国内香奈の事務局が出資している会社が増えてきたね。一般の人はほとんど知らないだろう。運営は香奈さんと関係のある人ではないし、会社の名前も別々の名前だからね。」
淳子「でも、アメリカでは、ジブ傘下の企業が多いと聞くわよ。神太朗さんが、最終判断出来る決定権を持つと聞いたわよ。」
幸之助「あれは誤解だね。確かにかなりの影響力を持つし、経営トップを替える力もあるだろう。人員整理を含む組織改革を計画した経営陣に、神太朗さんがジブ傘下の企業では人員整理と云う選択肢はないと警告していたのに、意見を聞かない経営陣を、臨時株主総会を開いて、計画に賛成していた取締役たちを一掃させた事があったのが過大に伝わったみたいだね。神太朗さんも怒ると怖い人なんだね。僕も元気な内は、人員整理はしないつもりだよ。しかし、経営そのものは、経営陣に任せているみたいだよ。確かに、香奈国内よりも強い影響力をもって、経営に関与しているとは思うけどね。神太朗さんが直接、役員になっている会社は、思っているほど、多くはないんだよ。以前に、神太朗さんに、松本電産の非常勤役員になって貰おうと頼んだら、神太朗さんは、過去に経緯のある企業しか役員にはならないと言われたよ。一つ受けるとどの会社の役員になぜならないと言われ、対応が出来ないと言っていたよ。冶部食品は、神太朗さんが作ったような会社だし、ごきげんソフトは、ジブトラストのシステム管理をしている会社でもあるし、証券会社は長い間、社長をしていた会社だから、役員をしていると言っていたよ。その時に岡崎交易の話も出てね、奥さんの父君だった人との約束らしいね。初めて知ったよ。何処がジブ系列かは、普通の人にはなかなかわからないんだよ。ジブもカミカミも香奈もみんな、それぞれ世界各国で、それぞれの現地法人を持ち、又それぞれに独立しているような組織なんだよ。資本関係も微妙でね。香奈さんは、ジブトラストの資本を巧みに分散させているんだよ。香奈ファイナンシャル自体も資本関係は複雑でね。香奈の孫やひ孫が出資しているマリアホープも絡んでいてね。香奈さん個人の保有率と香奈ファミリーの保有率も年々変わっているし、香奈ファミリー以外の人も出資しているよ。私の使っている調査会社もよく判らないとこぼしているよ。独立しながら、協力もしている会社もあるし、よく判らない組織なんだよ。一族の会社と呼ばれる、鉄鋼や化学、商会そしてホテルなどの会社の他に、ジブ直系、カミカミ直系、香奈直系そして香奈オフィスや快適も一杯企業群を持っていてね。関心の深い業界には、複数のルートで出資して、みんな、程度の差があれ、ジブ系列みたいになる業界もあるけど、関心のない業界もあってね。そうした業界の株式は単に売買するだけで、みんな何もしないのだよ。そうした業界は、日本、アメリカ、ヨーロッパそしてアジアとアフリカで微妙に違っていてね。有村さんは、松本電産が海外の合弁会社を作る時には、ジブの資本、正しくは、ジブ本体、ジブ海外法人、それに快適現地法人なんかを入るように調整して、商売がやりやすいようにしてくれたよ。お陰でみんな大きくなったよ。その時は、日本の松本電産本体には、出資したいとも言わなかったよ。こちらから頼んで、少し持って貰ったけど、儀礼的なもんだよ。新宿オフィス保有として、ほんの少しだよ。本体は、他の家電会社も同じように、安くなると保有率は増やすけど、高くなると、直ぐに売っていたよ。ジブもそうした業界を持っていたいらしい。自由に株式売買もできる業界がないと儲けが少ないといっていたよ。」
淳子「それが、本格的に出資したいといってきたのね。」
幸之助「ジブも少し変わってきたのだろうね。株式を売買して、利益を出すよりも、企業を育てて、貰う配当を増やしていこうと変わってきたみたいだね。以前から少しはそんな所もあって、ジブ傘下の企業も少しづつ増えてきたけどね。この頃は、はっきりと傘下の企業を増やすよりは、有望な企業を選択して、出資する方向が鮮明になってきたよ。ほとんどの案件は、国内では神二郎さんが、海外ではジブ海外法人が決めていて、大きい案件の決定や方向性の調整などを神太朗さんがしているみたいだね、まあ、香奈さんが承諾すれば、どんな案件でも即決だよ。中国への投資なんか、中国のかなりの上の人が来て、香奈さんと面談して、何千億の投資が、数分で決まると言われているよ。それだけに香奈さんに会うのは、大変なんだよ。」
淳子「香奈さんは、朝、食堂で時々会うけど、きさくに冗談ばっかり言っている人だよ。百歳を超えている人には見えないよ、私と比べても若くみえる人だし、元気そのものだよ。」
幸之助「日本の総理大臣は、長い間、香奈さんとは面会しなかったらしいね。陽太さんの時からの伝統と言ってね。今は、関係ないから、会いたいと言っても、香奈さんはもう歳だしと言って、神太朗さんや神子さんたちが会っているらしいよ。今回の上場の話も結局、竹花さんに仲介を頼んだ位だからね。香奈さんはジブの最高責任者でもあるけど、香奈ファイナンシャルの最高責任者であり、香奈オフィスとスイスカナコインの最高責任者でもあり、香奈ハイテクにも強い影響力を持つ人なんだよ。あんな人は、今後はとても出ないだろう。昔からの知り合いの中国やアメリカやEUのもの凄く偉い人たちが来日した時には、密かに会っているらしいけどね。中国は、特別らしいね。香奈ルートは、どこまで深いかは誰も判らないらしいよ。なにしろ、今はトップの人が、お付きの秘書で会った時から、香奈さんが、知っている人だからね。香奈さんは、有望な人は直ぐに判ると言われているよ。みんな黙っているから判らないけど、誰と会ったかが、話題になる程の人なんだよ。秘書がスケジュール管理して、うるさいらしい。」
淳子「でも貴方も時々、話しているじゃないの?」
幸之助「あれは、私たちは、ジブの里のゲストだし、珠子の親だからね、身内の人扱いなんだよ。この間、香奈さんから言われたよ。人間は、百歳超えてからが、本当の勝負だよ。私もそうだったのよ。神太朗君もこれからだよ。松本さんは、まだまだだよ。これから一波乱も二波乱もあるもんだよ。と言われたよ。確かに香奈さんは、百歳超えて、急激にジブトラストをここまで大きくした人なんだよ。」
淳子「そんなもんなの。」
幸之助「確にそうみたいだよ。元々注目されていた投資会社ではあるが、香奈さんが百歳過ぎてから、世界の各地で、子会社が大きくなり、一族の銀行を買収したりして、更に大きくなっていったたんだよ。もう一つの大きな銀行や世界的にも大きくなった証券会社の買収そしてジブシティーやジブ総合研究所、ジブ大学院大学なんかを作る事も香奈さんが決定したんだよ。アメリカを買収すると言われたほど多くの企業を傘下に入れたのも香奈さんの判断だったと言われているよ。」
淳子「敷地内に住んでみると、歳なんかわからなくなるのよ。俊子さんとみどりさんなんて、姉妹みたいな感じがするのよ。俊子さんは、聖子ちゃんと気安くよんでいるし、若く見える聖子さんも、もういい歳なんだね。」
幸之助「聖子さんなんて、怖い人なんだよ。世界中で商習慣を破壊して行った人なんだよ。快適グループの総帥だよ。快適傘下の企業は数えられないほどあるんだよ。日本では安いよスーパーしかそんなに知られていないけど、アジアと南アメリカでは巨大なグループなんだよ。アフリカは、カミカミとも協力して、巨大な重工業グループも作っている人なんだよ。快適製鉄は、もはや世界最大の鉄鋼会社なんだよ。」
淳子「一族の会社と呼ばれる日本の鉄鋼とか中国の鉄鋼が一番大きいのじゃないの。」
幸之助「それは、利益なんかを考えているからだろう。生産量は世界最大なんだよ。快適製鉄、快適化学そして快適機械は、もはや世界最大の生産量を誇る会社なんだよ。利益率はそんなに高いとは言えないけどね。基本的な資材では、もはや対抗できる会社はないだろうね。なにしろ、投下資本も莫大だし、あの価格では、他の会社はもう作る事も出来ないよ。基本に忠実に、高品質を安価に効率よく、製造する事に徹している会社なんだよ。高付加価値なんて概念は、ないんだよ、それは一族の会社や関係会社に任せているんだよ。世間では軽くみているけど、やっぱり、それが産業の基本かもしれないね。利益は大きく変動しているけどね。」
淳子「でも儲からないとあまり、意味ないんじゃないの。」
幸之助「私も付加価値をつけて、利益を上げてと思っていたけどね。この間、太朗さんに会って話をしたんだよ。神太朗さんの父君にあたる人なんだけど、利益だけを求めるのが、会社ではない、基本材を安価で、良質にして、どんどん供給するのが、産業の基本だと言っていたよ。アフリカの発展のために、作った会社がアフリカ快適ホールディングだ。それをするためのアフリカ快適ホールディングだと言っていたよ。利益は少ない時は確かにあるけどね。基本材は、景気動向で販売単価が変動するから、そんなに利益が出ない時もある。景気循環はあるもんだ、それはそれで仕方ない。企業の社会的責任は、製品の安定的な供給だと言われていたよ。まさしく大きくなった企業の原点みたいな考え方だよ。それはそうかもしれないね。」
淳子「転んでも金を掴む、聖子さんらしくないのね。」
幸之助「あれも単なる造語だよ。商機を掴むのが上手いと云う事は確かなんだよ。アフリカはカミカミの資本比率が一番大きいから、独特の方針で特別なんだけどね。快適は、色々なグループからなる会社なんだよ。アジアやインドの快適は、リトルキャットのブランド品も作る会社なんだけど、家族主義どころか博愛主義と云うか、独特の雰囲気を持った会社群なんだよ。ウチの社員がアジア快適の本社を訪問して、驚いた位だよ。「会社は利益を求めるための組織ではない。会社は働く場所を提供し、人を愛し、社会に役立つ製品を作るための組織である。利益は会社が存続するのに必要なだけだ」と云うのが社是なんだよ。冶部一族を大きくした、明治時代の純子さんの言った言葉だそうだ。みんな口ではそんな事を言うけど、本当に実践している会社群なんだよ。静寂な空間の会社で、寺か修道院に入ったかと思ったと言っていたよ。あんな会社がまだあるんだね。時代錯誤みたいな建前だけど、ビジネスは、驚く程最新の経営手法なんだけどね。アジアとインドの快適を率いる辺郎さんは、時代錯誤の建前主義者とか本当の意味での経営者とか評価は、両極端に分かれるよ。会ったウチの社員はみんな感激していたよ。アジアとインドでは、辺郎さんの信者みたいな人が一杯いるよ。アジアの快適には、大切な財産があるんだよ、それは、快適信仰だよ。有村さんは、アジアとインドでは、快適の名前を合弁会社につけるように言ったんだよ、出資比率は協議している比率でいいし、過半数よこせとは言わないけど、快適の名前は一番初めにつけるように言ったんだよ。そうすれば、売りやすいと言ったんだよ。辺郎さんは、各国の現状を分析して、必要な家電製品を細かく調査して、細かい改良点を出して、製品も国によって、少し仕様を変えさせられたけど、それは、結局成功したよ。消費者信用指数とか信頼度指数は、快適が圧倒的なんだよ、辺郎さんは、利益はそこそこだけど、消費者への信用は圧倒的とも言えるものを築いているんだね。政府や自治体にも、強い影響力があってね。橋や道路、井戸や発電機なんかも寄贈しているしね。アジアの快適の利益の一定比率で、公共事業みたいな事をするから、アジアやインドの快適の利益が変動すると、総公共事業の予算が変動しているから、政府からもっと利益を出して欲しいとか言われるらしいよ。政府や地方自治体の人の着ている服は、制服なんかを含めて、ほとんどが快適製だよ。有村さんの助言に従ってよかったよ。その代わりに、みんなが買いやすいように、製品の価格も下げさせられたけどね。一方、南アメリカは、重工業も手がける、高収益企業群で、エクセレントカンパニーそのものだよ。会議も恐ろしく、早いスピードで進むのだよ。雑談なんて出来ないらしい。やたらとマーケティングが発展して、何がどの程度売れ、その効率的な生産工場の設備投資はどの程度か、時系列的にどんな予想がされるとか、内容も濃いらしい。部外秘の資料も一杯あって、ウチの社員は帰ってきたら、一服してゆっくり討議の結果を整理するらしい、ここは天国だよ、いくら月給が高くてもあそこでは、頭も体も持たないと言っているらしいよ、南アメリカを率いる羽郎さんが、達成した企業収益は、莫大だし、エクセレントリーダーみたいな人だよ、聖子さんのお気に入りでもある。ウチの合弁会社の利益率も高いよ。羽郎さんは、今必要とすると云う視点ではなく、潜在的な需要も考慮して、最も利益が最大となる、製品展開を考える人なんだよ。快適への配当とか営業協力費もきっちり取られたよ。合弁会社の名前などはまったく拘らないけどね。なにしろ、パンツもオレンジも宝石や金も石油製品も牛乳などの食品も、アッと云う間に、南アメリカでトップブランドになり、儲けている人だからね。会社の名前も快適に拘らず、ジブの名前を出している会社も多いしね。欧米では、案外普通の会社で、かなりの利益を上げ、時代の流れや各国の状況に敏感に反応して、売れ筋を見つけていく、服飾を中心とした会社群で、今では安価な服よりは、機能性素材とファションの会社になっているらしいよ。まあこれが海外での快適の一般的な評価なんだろうね。それ以外にも鉱山や農園、軽工業、貿易会社そして研究所まであるんだよ。快適は色々なタイプの複合企業群なんだよ。アジアではそれぞれの国の事情に合わせた家電を作り、販売して、多様なニーズを掴み、逆に、南アメリカでは、集中的に生産する事で、幾つかの家電では、高収益のトップブランドになったよ。」
淳子「話を聞いていると、みんな全然、違う企業じゃないの。聖子さんが、強烈なリーダーシップを発揮して、世界中で儲けているわけでもないのね。」
幸之助「聖子さんは、ほとんど海外に行かないらしい、むしろ、各国の状況と運営する人たちの考えに任せて、異なる企業群を育ているのが、凄いと思うね。しかし、あれほど企業風土が違う会社群をまとめられる人が、聖子さん以外にはいないと言うのも事実だろう。企業の幾つかのモデルみたいな企業群だからね。香奈さんもそういわれながら、多様なジブトラストをまとめていったから、簡単には言えないけどね。それに、辺郎さんや羽郎さんのやり方は、両極端のようでもあり、結局は案外似ているかもしれないね。今、必要なものを安価に提供するのか、将来の事も考えて、量産できる製品を作って社会に貢献していくかの違いかも知れないと、ふと思うようになったよ。グランドリトルキャット製品を、アジアやインドの快適が製造してから、アジアの快適も、実用一点張りから少し変わってきたし、南アメリカの羽郎さんも、リトルキャットフーズと協力してから、効率的運営、高収益追求だけでなく、消費者に喜びとか楽しみを与える製品も必要なんだとか思い出したような気がするよ。聖子さんも、香奈さんみたいに、元気で長生きして、みんなをまとめていけば、案外それなりにまとまるようになるのかもしれないね、権限委譲は、ジブの伝統かもしれないね。それぞれの組織にかなりの権限委譲がされているよ。リトルキャット系列の企業でも、こっちは、許可を求める事も、向こうは平気でそんな事は現場で判断できますよ。ボスからも認められていますと言っているらしいよ。そのくせ、リトルキャット九州から、松本電産の本社に何がネックなんですかねと聞かれて、本社が知らず、アタフタする事があるらしい。松本電産は、報告や連絡網が完備しているつもりだったけど、リトルキャット系列は権限委譲と連絡が進んでいるんだよ。責任逃れみたいな本社への許可申請は必要ないけど、連絡はきっちりする組織なんだよ。でもリトルキャット系列の最終判断は誰がしているのかね。ボスと言うのは、正人さんなのかね。リトルキャットもよく判らない組織だね。流石に社長のあの老人が決めているとは、少し判っている人は誰も思わないけど、正人さんは、リトルキャット運用会社の実質的な責任者と言われているけど、役員ですらないんだよ。ご子息の正一さんが役員ではあるが、名義上の役員である事はみんな知っているよ。正人さんも肩書きは、もう一つの大きな銀行とジブ上海の取締役、香奈オーバーシーズと香奈ファイナンシャルの事務局長だけなんだよ。父君の政則さんが長らく名義上の事務局長で、正人さんは手伝いとかパートとか自称していたんだよ。もう一つの大きな銀行の頭取も辞めても、しばらくそうしていたけど、香奈オーバーシーズの通常の決済は、事務局長名義にするようになって、正人さんが事務局長になり、香奈ファイナンシャルもそうなったらしい。ここは、名義上の役員とか実質的な責任者とかが、複雑なんだよ。一族の銀行を辞めた陽一さんも、ジブのアルバイトとかパートとか言っていた時もあったしね。パートさんが、突然副会長になったよ。」
淳子「リトルキャットは、実業部門はチャタロウと云う猫が、金融部門ではリトルチャと云う猫が総括して、貴金属は何匹かの猫たちが合議して決め、猫たちの最高決定会議が最終的にすべてを承認していると敷地内のみんなは、言っているわよ。」
幸之助「本当かね。香奈さんもそう言っているけどね。」
淳子「私は見たのよ。白い小さい猫が、何匹かの猫を引き連れて、二階の会議室で会議していたわよ。あの猫がチャタロウだろうね。リトルキャット九州の最高会議だとか書いていたわ。人間たちはみんな白い猫が席につくまで立っていたわ。外国人みたいな人も大勢いたわ。にゃーにゃーとその猫が言って、みんなが座ったのよ。凄い会議なのよ。一人一人に端末があって、みんなイヤーホーンをつけて、マイクをつけて喋っていたよ。最新のハイテク機器が使われていたみたいだよ。カフェテリアでは、みんなコーヒーや紅茶を飲んで、ケーキを食べていたけど、静かにしていたわよ。」
幸之助「あの会議室は、それが問題だよ。ジブの最高会議の時ぐらいだよ、会議専用になるのは。自動翻訳装置も完備しているけど、ジブホームホテルやニコニコホテルの会議室の方がやりやすいよ。ここは冶部の里の奥座敷みたいなもんだからね。金融グループの会議は見たのかい。」
淳子「よくわからないわ。二十輪を超える胡蝶蘭を運んで、ついたてを立てた時があったけど、あれが金融グループの最高会議かもしれないわ。会議の案内は出ていないけど、黒塗りの車も来ていたわ。人も見かけないし、話声も全然聞かなかったわ。リトルチャは胡蝶蘭が好きらしいね。チャタロウは、広い空間が好きだけど、リトルチャは狭い空間が好きみたいだと言っていたわ。」
幸之助「どんな法律事務所や会計事務所が絡んでいるかは、みんな知りたがっているんだよ。金融グループの最高会議のメンバーすらよく分からないんだよ、金融グループの傘下の会社すら詳細には判っていないんだよ。あの銀行の頭取が最高幹部らしいとは分かっているけどね。それ以外のメンバーはよくわからないんだよ。」
淳子「みんな、会議室のある二階は、見ないようにしているわよ。確かに、あの会議室なんかを見ていると、あのレストランは、関係者以外は立ち入り出来ないと云うのがよく判るわ。」
幸之助「香奈さんは海外要人と会う時は、こっそり高層マンションの部屋で話をしているらしいよ。来客用とか言われる部屋は一杯あるけど、何室かは、まったく隔離されたような部屋だと噂があるよ。そこが秘密の会議室なんだろうね。」
淳子「そう言えば、そんな部屋があるらしいね。出入り口がどこかわからないし、他の部屋からは全く行けない部屋があるみたいなの。香奈さんの家からも、直接あのマンションにいけるようにしているらしいよ。」

日本成長促進法案が可決

例の法案は、新規投資を呼び込み、日本の成長を促進するとかをうたい文句として、信じられない速さで法案が成立した。配当分離課税が復活し、投資促進減税、ベンチャー企業促進税制などの成長するために投資した時には、それぞれの法人所得に控除枠ができ、 企業も配当を出せば、幾らか減税される事になった。配当による所得は減税したものの、配当に出せば、受け取った人はやっぱり税金を払うが、配当を出せばその法人の税金は、出した配当額に応じて、幾らか税金が安くなった。儲けたお金は配当に出して、みんなの所得を上げようとした。やっぱり配当課税は一種の二重課税を維持していたので、税収も上がると云う計算だった。創業者優遇税制は、会社が上場した時には、今まで株を持っていた人や企業が、その株を売った時の所得は分離課税として、通常所得課税より相当下げた。いい会社には、上場してもらい、多くの人がその株式を持てるようにとの目的だった。今までの雇用促進税制、そして社会福祉法人への寄付控除は維持された。これは、雇用している人への報酬およびその人数に応じて、所得控除が異なり、人を雇用している人数が多いほど、所得控除額が増え、税金が下がり、報酬を払っている金額が高い程、税金控除額が増え、税金も下がった。ただ報酬額はモデルケースを用意して、経営陣がごっそり貰い、従業員が安い報酬では、この控除額は増えなかった。社会福祉法人寄付特別控除は、利益の一定範囲を寄付すれば、その分は所得から控除された。すべての控除を引いた後の法人所得でその額が高くなると、冗談のように高くなる、累進型の法人課税率の体系は維持された。これは陽太や竹花の爺さんの作った税制のままだった。そして、他国との二重税についても、日本で得られた所得については、日本で課税する。他国から利子、配当等で得られた所得も他国で課税されていようといまいと、それは所得とする事も陽太や竹花の爺さんは断固として守りぬいていた。他国で安い製品を作って、日本で売買して儲けようとしても、日本で雇用している人が少なく、雇用している人の報酬も少ない時は、やっぱりごっそり税金を取った。不関税障壁とかなんとかいわれても、日本は、健康で文化的な生活を国民に保障している国なのだ、そして国民に健康で文化的な生活を保障できるのは、税収しかないと陽太は、この点では、どんな国の要求も跳ね除けていた。それも維持された。 極端に言えば、人もそんなに雇わず、配当もせず、さして投資もせず、寄付もしない法人では、冗談のような高い法人税のままだった。これは外国の企業でも日本で活動する企業には、内外国の区別なしに適用していた。外国の企業でも日本での雇用を増やしている企業には減税した。これはアメリカのポチのような世界機関でも認めざるを得なかった。こうした点も維持されていた。 ただ投資促進のための減税には、証券優遇税制もついていた。これは、長期間保有している人の含み益については所得としないから、当然課税せず、売買した時の売買差益も長期間、1年以上保有していた時は、配当分離課税に比べると高い税率ではあるが、通常の所得税率よりはずっと低い分離課税を適応すると云うものであった。これは株式投資を促進し、そして長期間保有してくれる人たちを優遇しようとする目的であった。ただ短期間で売買する人たちまで優遇する必要はないとしていた。投資は優遇するが、投機目的の活動は優遇する必要はないと考えていた。これが、ごきげん党主流派の限界だった。成長重視のごきげん党主流派とは云え、陽太の福祉第一主義の旗の下に一時的でも集まった人たちだった。投資と投機はやはり別物との考えが強くあった。投資と投機は紙一つの差しかないとは思わなかった。短期間で売買する人たち、つまりヘッジファンド、ディトレーダーなどの短期トレーダーたちにとっては、今までの税率そのままなのに、増税のような気がしていた。短期間しか保有しない時は、証券優遇税制での適用はなく、ごっそりと税金を取られる今まで通りの通常所得とみなされていた。それでも陽太や竹花の爺さんたちが取っていた税制よりは、ずっと投資を優遇しようとする税制に変わった。

そして、コネコソフトとコネコ通信は、上場した。それも新しく、株式保有比率の分散化の規定が緩い特別なハイテクを中心とした新しい銘柄を集めた特別銘柄として、上場された。みんなの想像を越えて、高値をつけた。ジブ系列のジブテレコムも少し保有株を売らされ、あのおっさんの通信機器メーカーも保有株はそれなりに売らされ、リトルチャの子会社の子会社の関係会社は、相当保有したものの、やはり大分売らされ、リトルキャット情報処理研究所も保有株は、少し売らされた。それぞれ、それなりの利益が入った。一応、創業者相当の規定で税率は緩和されたものの、やっぱりごっそり税金を取られる筈だった。リトルチャの配下は優秀だった、入ってきた金で新しいリトルキャット通信を、ジプテレコム、あのおっさんの会社そして株を売らされた関係会社、リトルキャット情報処理研究所がそれぞれ出資して、作った。そしてもう一つの通信衛星を打ち上げた。金はそれだけでは足らず、リトルチャの例の銀行から借りた。そうすれば、新しい会社は赤字スタートなので、新規投資の免除枠以外に、ベンチャー企業優遇税制なんぞも使い、税金は下がった。リトルキャット通信は、コネコ通信への回線リセールもして、コネコ通信の回線網は更に拡充していく事になった。

ジブの関係企業は割り当て価格は高くなったものの、それぞれに分散して少量ずつ保有して、ほとんどはじっと保有していた。ジブ以外の企業や海外の法人も多少保有したが、それぞれコネコソフトのシステムを利用したり、コネコ通信からパテントを供与して貰っていた企業なので、ほとんどじっと保有していた。一般公募の株式は、それほど数が多くなく、応募が殺到して、抽選でようやく当たった人たちなので、ほとんどは売らなかった。初値は高値がついた。一般公募の株はそれほど多くない上に、将来上がると思った人が多く、浮動株はそんなになかった。結局、株は上がり続けた。やたら一株当りの価格は高くなった。株なので、それなりに上がったり、下がったりしながら、上がり続けた。運営を任された法律ゴロみたいな奴らもそれなりに、株式も保有していた。流石に保有する株式は、想像を超えて上がったものの、売るような事はしなかった。業績も好調だったので、社会的責任などとほざいて、配当を高くした。

コネコソフトやコネコ通信は、幾つかの会社が、寄り集まったような会社だった。法律ゴロみたいな奴を中心に、利にさとい、頭の切れた連中が管理、経理、営業に集まり、盛んに儲け口を探し、無口な不動マンション出身者を中心に、フィールドワークをして、実際のシステム維持の仕事をコツコツとした。そこそこの技術開発力をもった連中が、研究所に集まった。営業は盛んに難しい仕事を見つけてきた、それが利益が大きいからだった。そしてそんな仕事をこなしてきたから、コネコソフトとコネコ通信が大きくなっていた。そんな事は管理や営業のトップたちは、十分知って、猫たちの技術開発力には、万全の信頼を持っていた。お飾りに作った研究所の人間たちで太刀打ちできないほど難しかった。研究所のトップは、猫たちが集まるリトルキャット情報処理研究所にこっそり行って、相談した。研究所のトップといっても猫たちへの連絡役にすぎなかった。ただあの法律ゴロみたいな奴らよりは、技術には詳しいので、色々な依頼は、法律ゴロみたいな奴が言うよりは、スムーズに頼めた。忽ちの内に、そんな仕事も出来た。ただ、いつも猫たちに、頭を下げて頼むのは、結構、外部から優秀と言われていたコネコソフトやコネコ通信の研究所のトップにとって、面白い仕事ではなかった。ラッセルタロウは、親に似て職人肌の猫だったので、何も言わなかったが、ビットやマクロは、歳も若く、こんな事も出来ないのと言った表情もした。それにリトルチャの手前、リトルキャット情報処理研究所の技術開発費は安くなかった。先進的な技術開発だったので、当然と言えば当然だった。コネコソフトとコネコ通信の研究所はいわば、飾りのようなものとして、法律ゴロみたいな奴たちの管理グループは考えていた。当然難しい仕事とか、大掛かりなシステムの検討とかは、リトルキャット情報処理研究所に頼む事になっていたし、普通の仕事や研究についても、リトルキャット情報処理研究所の審査を受け、承認も取る事になっており、コネコソフトとコネコ通信の社内規定でも、そうなっていた。リトルキャット情報処理研究所に、一定の金が入るようにとのリトルチャの考えもあった。ただ簡単な仕事は、勿論の事、普通の仕事や研究は、自分たちでもちゃんとしたいと思うのも人情だった。生意気なビットとマクロも少しは世の中の事も判り、いい仕事や研究をしていると、ちゃんと理解して、凄いですねと人間達を誉める程度の芸もできるようになった。ただプログラムは、大幅に書き換えられている事が、始めは多かった。猫たちは、機械語でプログラムを組んだ。人間達は、ネコネコCで組んだ。ネコネコCは、幾つかの機械語命令をモジュール化した言語だった。ネコネコCで組んだプログラムは、幾つかの重複があった。ラッセルタロウはネコネコCなんて考えなかった。もっとすっきりしたプログラムを組んだ。ビットは、それを基にネコネコCを更に綿密にしていった。いつまでもラッセルタロウやビットたちが全部のプログラムを監査できるとは限らなかった。ネコネコCは、猫たちの考えを人間達に変換させ、プログラムの作成能力を高めるためのものでもあった。ただこんなやり取りが続いている内に、ネコネコCは、より体系だった言語になり、研究所の人間たちのプログラム能力も高くなった。それに学術ゾーンは、この拡大敷地内にあった。人間達も少しは賢くなった。コネコソフトとコネコ通信の成績は、ドンドンと伸びた。リトルチャの影響力の強い会社なので、報酬は、利益比例だった。幹部たちの報酬の利益比例の割合は高かった。ただ上場企業でもあり、世間にアピールするために、配当と役員達の報酬とは、ある程度の相関関係を持つようにしていた。会社の利益が上がり、株主に渡す配当も上げるので、役員報酬も上げると言えば、みんな納得した。法律ゴロみたいな奴も幹部たちも、多少株を持っていたし、報酬も上げたかった。内部保留も増えてきたしと言って、配当も高くして、自分たちの報酬も上げた。リトルチャも、配当が高くなっていく事は、自分たちの会社への収入が増えて、小細工も出来やすくなるので、歓迎した。コネコソフトとコネコ通信は高配当銘柄と言われるようになっていった。

結局、株価はもっと高くなり、値動きの振幅も当然大きくなった。リトルキャット系列の企業で、香奈国内の企業ではあるが、子会社の子会社の関係会社と言う事になり、利害関係会社として、香奈国内は名目上外れて、自由に売買できた。そんな値動きのする会社を、ココは見逃さなかった。買ったり、売ったりした。ただやっぱり孫たちの会社だったので、どうしても買いが多く、売るのは控えめになるのは、相場猫のココでもやむを得なかった。それでなくても、ココの運用枠は多かった。それに話題だけでなく、コネコソフトとコネコ通信の業績は好調だった。浮動株は、もっと少なくなり、株価も、もっと上がり、振幅も、もっと大きくなった。ジプトラストも利害関係会社から外れていた。神子もこんな値動きのある株は、見逃さなかった。神子も資金は豊富だった。買ったり、売ったりした。神子は予測の名人でもあった。結局は上がる株と思った。当然買う量は多く、売る量は少なかった。浮動株は、もっと少なくなり、業績は、もっと上がり、株価も、もっと上がり、振幅も、もっと大きくなった。ナンダカンダとしている内に、ジブトラストと香奈国内の保有株は増え、株価も恐ろしく高くなり、一株何百万もする株になった。

ビットとマクロは、8ビットや16ビットの昔のコンピューターならいざ知らず、複雑になった今のコンピューターで機械語が簡単に使える大天才だったが、やはり男、いやオスだった。いくら脳細胞が高度に発達した猫と言っても、夜遊びもするようになり、女の子、いやメス猫と付き合うようになった。付き合ったメス猫が悪かった。手練手管に長けたメス猫ではなく、恐ろしく頭の良いメス猫だった。ビットもマクロもパッパラパーみたいなメス猫には、興味を待たず、頭のよさそうなメス猫に惹かれた。ビットが惹かれたメス猫のサラは、言語学者の人に飼われていた猫だった。飼主が本を読んだり、著書を書いている時もじっとみていた。この言語学者は、頭が良く、有名な大学の教授だったが、敷地外の人なので、やはりある程度の歳になると、亡くなった。子供たちは、頭が悪く、サラには、そんなノータリンたちを飼主と認められず、家を出た。そしてビットと出会い、香奈の家に来た。そして分岐状の水やリング状の水を飲み、忽ち、もっと賢くなった。そんなビットとサラの間にも子供たち、いや子猫たちが出来た。ビットタロウとビットハナコが出来た。この子猫たちとサラは、分岐状とリング状の水が溢れるように多い、牛乳を飲んだ。そして子猫たちはすくすく育った。ビットタロウは、オタクのようなコンビューターが好きな猫ではなかった。やたら弁がたった、人付き合いも猫付き合いもこなした。リトルチャはビットタロウの賢さに驚き、リトルチャチームの次世代を任せられる猫と期待して、まだ子猫だったビットタロウを経済学基礎研究所に勉強に行かせる事にして、ピットとサラに口説いた、サラはまだ幼いビットタロウを案じて、一緒に経済学基礎研究所に行った。行った研究室も悪かった。経済学なのか、数学なのか判らない死語みたいになった計量経済学の研究室だった。あらゆる経済の現象が、数学の方程式を解く事で解明できるとほざいていたおっさんの研究室だった。おっさんは、数学科を優秀な成績で卒業して、もう一度経済学を勉強した変り種として知られていた。おっさんの理論は、みんなに馬鹿にされた。結構偉いのに、大学には居られず、気の毒に思った知加子が引き取り、経済学基礎研究所で、一人で研究していた。経済学で数学的な解析の重要性は知られていたが、今や数式を解く事で、経済事象を説明できると思う人はいなかった。このおっさんは、元々数学では天才と言われていた。サラは、このおっさんの怪しげな経済学の理論には、ついていけないものを感じたが、数学については、非常に興味があり、一生懸命に勉強した。このおっさんは変わり者だったので、猫だからと馬鹿にせず、直ぐにサラの才能に気づいた。数学のナンタラ関数論と言うものに、二人いや一人と一匹で取組んで、このおっさんは、元々優れていた数学の世界に、戻っていった。経済学基礎研究所なのに、このおっさんの研究室は、数学研究室みたいなものになった。怪しげなおっさんの理論とは別に、やはり経済学では、数学的な解析は必要だったし、このおっさんが怪しげな理論を振り回さなくなったので、他の経済学の研究者も、このおっさんとサラの数学的な解析能力を頼りにした。サラの数学的な解析能力は、ビットも刺激を受け、ビットのプログラムは更に精緻になった。元々処理速度が速いプログラムだったが、そこに数学的な要素も加わり、すべてのメモリーをフルに使えるわうになった。これは通信では特に有効だった。通信では、ある程度無駄というか、空白のような部分も一緒に送信していたが、フルに情報を伝達できるようになった。通信機器のあのおっさんも刺激を受け、更に通信では革命的にも言える。コンパクトで大量な通信ができるようになった。コネコ通信だけでなく、あのおっさんの会社まで、それを利用して、リトルキャット系列での通信機器の販売まで好調になった。

一方、ビットタロウは、このおっさんの怪しげな経済理論に興味を持った。このおっさんの理論では、ややショートカットしすぎた部分があり、近似値を使いすぎて、結論が少しずれていた。それが怪しげな理論としか評価されない原因でもあった。あのおっさんが、今や数学に興味が移っても、ビットタロウは、この理論の修正を一人で、いや一匹で行った。そして、この理論を商品相場や債券相場に応用してみた。ビットタロウは、この理論を香奈に得意げに話し、その摩訶不思議な理論に興味を持った香奈は、元々プログラムでの投資には興味のあった事もあり、ビットタロウ専用のパソコンを用意して、香奈国内で、特別にビットタロウ運用枠を与え、やらせてみた。ビットタロウの取引は、一種のシステマチック取引、つまりコンピューターの計算による自動取引だった。それがそこそこ儲かった。香奈はビットタロウが稼いだお金なので、儲けた利益は、香奈特別基金にもまわすように、正人に言った。正人はココのチームの運用利益と同様に処理した。つまり、儲けた金額の5パーセントを香奈特別基金に運用手数料として渡し、経費や税金などを引いて、純利益相当の50パーセントをビットタロウの運用枠拡大とした。それでも香奈はビットタロウにもご褒美がいると思い、何が欲しいとビットタロウに聞いた。香奈は、ビットタロウに鯛の活作りやヒラメの刺身などをあげるつもりだった。香奈の家の猫たちは、儲けていたので、週に2回は、鯛の活造りとかお刺身とか、カニの身だったりする特別メニューが出ていた。それにジブシティーのリトルキャット運用会社での猫たちの部屋ではいつでも猫ビッフェも用意されていた。ただ猫ビッフェは離れていたので、人見知りのする猫とか内気な猫など、行けない猫たちもいた。ビットタロウは、香奈にお願いした。香奈の家の離れにも猫ビッフェが欲しい。みんなと一緒に食べたいと言った。香奈は感心して、正人に庭に猫たちの猫ビッフェを作らせた。設備の金、維持する金なんぞは香奈の頭にはなかった。香奈にとっては取るにたらない金だったし、香奈の家の庭は広かった。料理は香奈の家の隣のレストランから運ばせた。そしてこれが、やがて猫たちのレストランのようになった。それにお手伝いさんにも結構好評だった。あっちこっちと餌を置く必要もなくなり、掃除も簡単になった。猫トイレも自動トイレとなりあっちこっちに置いているので、掃除の手間も簡単だった。この猫ビッフェは、猫たちにとってもは、大好評だった。猫たちの中には、内気な猫とか先を争って食べる事が出来ない猫もいた。いつも補充されている猫ブッフェはそうした猫たちにとっては大変便利だった。いつも自由に食べる事ができた。ビットタロウがお願いした事だったので、ビットタロウの人気が上がり、ビットタロウ、ありがとうと言う猫たちもいた。そんな騒ぎをリトルチャがみていた。リトルチャは食べたければ、自分で勝手に注文して食べる猫だったが、そうした気配りの出来る猫も高く評価していた。ただリトルチャは実力主義なので、単に気配りの出来る良い猫だけではなく、ビットタロウの研究がどれほどのものか試してみたくなった。

リトルチャは、もうそんなに投機などはしないようになり、商品相場も貴金属勘定の猫たちに一任していた。貴金属勘定の猫たちは、リトルキャット貴金属グループを組織し、運営していた。毛利貴金属の真理の影響からか、保有する金や銀そしてプラチナなどの保有リスクを考慮しながらの商品相場にほぼ限定されていた。昔のリトルチャのように、儲かる事にはなんでも手を出す事はなかった。リトルチャが組織して作り上げた商品相場などの運用チームの会社での全取引の一部でしかなかった。リトルチャの運用チームは、それぞれの会社で、独自に取引の子天才たちが運用していた状態だった。ビットタロウは、香奈からの自分の運用枠を与えてもらい、自由にビットタロウ理論に基づき、研究を行い、その実践として運用していた。ビットタロウの運用実績が好調だったので、猫軍団としてもビットタロウの理論をリトルチャの個人的な運用枠の中で、従来の運用チームとは別枠でやらせてみた。ビットタロウの理論では、色々な前提条件が揃えば、ある商品がやたらと急騰したり、急落する時期が、前もってわかると言うものだった。ビットタロウは、二つの財布からお金を一種の運用委託みたいな状態で運用していた。驚く事に勝率は高く、儲けていた。

ビットタロウの運用は儲かったものの、あくまでビットタロウの研究の実践と云う点が強かった。利益が出れば、さっとと自動的に引き上げた。リトルチャのように驚異的に儲ける最後の瞬間まで、利益を搾り取ると云う貪欲さには欠けていた。投機は大きく動かして、最後の最後で大きな利益が得られるものだった。リトルチャは、元々投機猫だったので、興味を持って、この理論を使って、従来のリトルチャの仕掛けを組み合わせて、更に精巧な仕掛けを考えた。リトルチャは、取引参加者をペテンのような心理的な詐欺みたいな雰囲気にして、つまり価格が乱高下させ、疑心暗鬼の状態にして、狼狽売りや買いを誘い込み、ストップロスなどの過度の行き過ぎた価格にして大儲けをすると云うものだった。それは修正して、心理的な要素も残しながら、安値で仕込み、ビットタロウの理論の上がる直前に、リトルチャ独特の荒業で、値段を乱高下させた。リトルチャ直属の商品相場のチームが、新しく組織されて大儲けをした。神之助も、リトルチャと話をして、ビットタロウ理論を知った。神之助は、元々数学科の出身で、商品相場が、神之助の原点と言えた。為替と債券のプロみたいになったが、本来は商品相場が神之助の原点だった。神之助もビットタロウの考え方を取り入れて、神之助独自の仕掛けを考えた。リトルチャの仕掛けとの距離間も取った。リトルチャはヨーロッパ、スイスを中心にして、神之助は日本、アジアそしてアメリカを中心として、それぞれの仕掛けを考えた。リトルチャは、研究は大切でも相場は生き物だと知っていた。リトルチャは、ビットタロウに研究だけでなく、リトルチャの投機の秘術を教えるために、リトルチャ直属の商品相場などの特別運用チームのサブリーダーにした。そして、リトルチャの相場秘術を教えられて、ビットタロウのシステム取引のプログラムは改良され、儲けは何倍にもなった。ロスカットの設定も数段に複雑なものになった。ビットタロウは、香奈とリトルチャからの運用委託をあくまで、自分のシステム運用で行っていたが、リトルチャの特別運用チームは、システム売買でなく、複雑な取引をしていた。リトルチャの運用チームは、いわば投機筋のプロ集団だった。普段はチンタラと取引していてもチャンスとみれば、襲い掛かるように儲けた。投機の儲けは、最後の瞬間で何倍にも膨れ上がるものだった。神之助は、神之助チームの商品相場チームに担当させた。リトルチャや神之助たちが、商品相場で大儲けしている事は、加代子の会社の責任者も知った。加代子の会社は、実業にシフトして、先物やデリバティブ中心の取引をしていた。加代子の会社の責任者も、取引の天才だったが、先物系ではなく、株式取引の天才だった。株ゴロとも言えた。商品相場にもそれなりの関心もあったし、知識もあった。 加代子は、株先物が原点みたいな人だったので、取引は減ったとは言え、のんびりと先物取引が出来たが、加代子の会社の責任者は、やたらと制約も多く、取引も制限されていた。もうチンタラと、少しつづ調整売買をする程度の事しか出来ず、実業の事も勉強もしたが、やっぱり、山師は山師だったので、実業での出番は少なく、実業の会社での名目的な役員なんかは、他の幹部にまかせていた。要するに暇だった。加代子の会社は、莫大な配当が入り、加代子の会社の責任者だったので、利益比例として、報酬もそこそこ貰っていたが、山師の出番はなかった。そんな時に、リトルチャと神之助チームが商品相場で再び活発になった事を知り、そこに参加する事にした。加代子の会社の責任者も、商品相場のチームを率いて、ビットタロウの理論を勉強して、神之助とリトルチャの仕掛けに参加する事にした。こうして三つのグループが商品相場に本格的に復帰した。資金的には、昔のように大きな資金は使わず、個人の運用枠の中で余裕資金を使う、限定的なものであったが、それだけに大儲けできる場面を探して、仕掛け出した。個人の運用枠と言ってもそれなりに巨大なものだった。それぞれ実業のチームとも関係もあって、なんでもかんでも荒らしまわる事もできなかった。それでも、大儲けするので、利益が利益を呼んで、商品相場での儲けは急増した。ビットタロウの理論は、債券市場にも向かっていた。債券では為替の問題もあった。神之助もリトルチャも今やそれが本職みたいなものだった。加代子の会社の責任者は、為替には素人みたいなものだったが、加代子のアメリカの会社では、債券の独自のチームも作っていた。為替は荒らしまわる事もしないものの、債券でも、これらの三つのチームは、共同戦線を組み、時々ビットタロウの理論に基づき、時々大儲けした。ビットタロウは、自分の理論に基づく運用を香奈国内の香奈特別枠とリトルチャの特別運用枠の中で自分の理論に基づいて、システム運用をしていた。ビットタロウは、自分の研究成果をそんなに誰にも話さなかった。儲かる理論を売って金にするよりは、自分で儲ける方がずっと良かった。リトルチャや神之助そして加代子のアメリカの会社の責任者は、この理論に自分たちの経験を加味し、それぞれ独自の理論と仕掛けを考え出した。ビットタロウも、リトルチャの特別運用チームのサブリーダーでもあり、その運用も参考にして、摩訶不思議な理論を更に精緻にしていた。今回の仕掛けは、昔みたいな正規軍の経済戦争みたいなものではなかった。いわばゲリラみたいな戦いだった。少人数でも出来た、神元も、商品相場や債券で、神元の直轄チームを率いて、参戦してきた。従来の大儲けとは違うものの、それなりの儲けをするようになった。とても実業中心で、大人しいジブではなくなってしまっていた。

リトルチャは投機猫ではあったが、大きくなった金融グループの維持や運営も必要だった。リトルチャとチャタロウは大きな方針を決め、細部については、担当に任せると云う点では同様だが、少し違う点もあった。チャタロウの実業グループの最高会議には、かなりの人が出て、経営情報を共有化して、仕事を進めていた。要所要所で、それぞれの担当はチャタロウに報告していたが、いわばグループとして動いていた。チャタロウの子供たちもそれに参加していた。それにリトルキャット九州の社長とリトルキャット企画調査チームのリーダーが事実上のダブルトップとなり、世界の情報は企画調査チームのリーダーに集約され、日本の情報はリトルキャット九州の社長に集約されて、チャタロウとその配下の猫たちを集めて、最高意思決定会議なんぞも開かれていた。その会議の議題には、それぞれの組織で調整していたのが、実態と言えた。ダブルトップの二人はチャタロウチームでの人間としての最高地位でもあった。企画調査チームのリーダーは、秘書室長のように、いつもチャタロウの意思や意向を確認していたし、実際の経営執行はリトルキャット九州の社長が、責任をもって執行していた。経営情報の公開も広く行っていたが、意思決定もダブルトップの意見を聞き、配下の猫にも意見を求め、チャタロウが判断するスタイルであった。広く議論するものの決断は早くできるようにしていた。一方リトルチャの金融グループの最高会議は少数だけを集めたトップ会議であり、担当と云うよりも幾つかの組織を束ねるトップたちが、集まって金融グループとしての方針を決めていた。更にそれぞれのトップは側近の人を連れて、リトルチャと個別に相談していた。いわば初期のジブトラストのようでもあった。それぞれの組織は独立しており、それぞれの組織毎に成績が明らかになり、その成績により、その組織の経営陣そして働いている人たちの報酬も決まっていた。経営情報の一元化よりも、機密を守り、それぞれのグループの独立性を高くする事をリトルチャは重んじていた。それぞれのトップは独自に幾つかの子会社を作り、更にその子会社が子会社を作り、更にその子会社が出資して、ある企業を使うなどの複雑な事もしていた。

これには少し訳があった。リトルチャは、実際に経営している人に少しだが、ナンタラオプションとして株式を与えた。それは子会社を作る時でも同じだった。そんなに多量の株式ではなく、数パーセントではあったが、会社を作れば作る程、株式が自分のものになり、それに利益は分散させているものの、建前としては税引き後利益の半分を配当にまわすと云う高配当の会社でもあった。リトルチャの管理する運用子会社群は、建前としては、リトルキャット運用会社のあくまでも子会社だった。利益の半分は、リトルキャット運用会社に渡すのが、正人との約束だった。チャタロウチームの会社は、正人との約束では、まったく独立したリトルキャット基金の会社であって、全て猫たちの采配に委ねられていたのとは、基本的には異なっていた。ただ、投資したり、資金融通すれば、やはりその分は利益から引くと言った経理操作も当然していたので、実際の配当は20~30パーセントに落としていたが、それでも高配当と言えた。人件費などの経費も当然、利益から引いていた。そのため、報酬は利益比例で高くなる会社でもあった。一つの仕事に一つの会社を作り、儲けれれば、経営している人には、当然、結構金が入ってきた。こうしてリトルチャの金融グループの子会社は、その数が自然と増えていったのであった。

リトルチャの腹心の部下と言えた例の銀行の頭取を中心とする金融グループの中核部門はもっと複雑だった。多くのリトルチャの金融グループでは、トップは小さい会社を組織して、 その会社が子会社として大きな子会社群を持つと云う、一緒のトップダウン方式の組織だった。経営陣は一つの小さい、司令塔みたいな会社を組織して、その経営陣の一人一人が、ある仕事をするために一つの会社を作り、その経営を執行しているような形がリトルチャの金融グループだった。つまり指揮命令系統がはっきりしていた。しかし例の銀行の頭取を中心とする金融グループの中核では、トップは例の銀行の頭取で、親会社とも云える名目的な国内のダミー会社は、例の銀行の頭取の子分だった人たちが最高幹部となって運営していた。この国内のダミー会社には、名目的な親会社と言えた海外の投資ファンド群が出資していた。この海外の投資ファンドは、実は海外におけるリトルチャの金融グループの幹部たちの母体でもあった。この海外の投資ファンドには、リトルチャの海外の運用子会社が出資していた。海外の運用子会社には、国内のダミー会社の経営陣が現地の人を含めて経営していた。複雑な襷がけのような組織であった。

国内のダミー会社と言いながら、この会社が世界各地の金融グループを調整し、コントロールしていた。ただ世界各地の金融グループも投資ファンド、外国為替会社だけでなく、銀行や証券などの金融会社への影響力が強くなり、そうした銀行や会社も大きくなり、世界の各地域でそれぞれの組織が出来ていた。例の銀行も地銀とは言えない規模と資金力を持つようになっていたが、海外の組織の方がずっと大きくなっていた。あの頭取が影に隠れた国内の親会社のトップならば、リトルチャのナンバーツーとして、そうした調整は可能だった。チャタロウチームのリトルキャット九州の社長みたいに、グループの総括補佐が出来た。しかし、あの頭取は、例の銀行を完全に掌握していて、地銀とは云え大きな資金力を持つ銀行のドンとして、名声も得て、今の立場に満足していた。銀行の株式も少しだが持っていた。銀行も金があり、銀行などの他の金融機関に金を融通するなどの事もしており、地銀の中では飛びぬけた銀行となり、都銀クラスの銀行となり、彼も今や銀行金融では有名なボスとか言われていた。そうなると、あの頭取が例の銀行だけでなく、他の組織まで色々と指図する事も立場上出来なくなった。海外の運用子会社の社長でもなくなっていた。確かに海外の銀行などと協力はしていたが、指図みたいな事はできなかった。大きくなった組織間では完全に利益が一致する事はないのが、普通だった。まして世界各地ではローカル通貨での利益で、各組織の評価が決まった。更にこの中核組織が幾つかのグループに分かれ、それがそれぞれリトルチャと金融担当の猫たちと話をしてそれぞれのグループとしての方針を決めていた。リトルチャは大勢でナンダカンダと話をする事は嫌う猫だったので、世界の各地域をまとめ、アメリカ大陸、アジア、ヨーロッパそしてそれ以外の地域を総括する人を決め、それ以外にも運用グループ全体を総括する人、例の銀行の頭取、そして国内のダミー会社の代表を集め、最高会議のメンバーとした。例の銀行の頭取以外は、世間にも知られず、影みたいな存在だった。ただ少人数の会議とは云え、各トップの総括している部分は広かったし、各地の事情もあり、最高会議の意見集約でも色々と大変だった。リトルチャの最終判断で最高幹部会の意思となった。ただリトルチャはそれぞれの組織毎で色々と状況にあわせて、例外的な処置を取った。リトルチャは、全ての組織の報告を聞いて、それぞれの組織にあわせて、適切と思われる判断をして、その執行や方法は、それぞれの組織に任せた。そして各組織は、更に子会社を作り、その又子会社がプロジェクト毎とか地域毎とかに分けて、更に子会社を作り、ナンダカンダと各グループ毎に膨張していた。この調整は大変だった。国内のダミー会社のトップは、海外の運用子会社の社長もいくつか兼務しており、報酬も凄かったが、あくまでリトルチャの秘書室長みたいな存在でもあった。チャタロウチームの企画調査チームのリーダーとは違い、それほどの決定権はなかった。チャタロウは、ある程度の事は、リトルキャット九州の社長と企画調査チームのリーダーに任せた。チャタロウの子猫たちにも、それぞれの調整は任せていた。多少の判断ミスも、厳しく問い詰める事はしなかった。リトルチャにはそれが出来なかった。細かい業務の執行などは流石に任せたものの、大きな決定などは、すべて自分でした。例の銀行の頭取も他の組織の事には、そんなに踏み込んだ判断はしなかった。チャタロウのリトルキャット九州の社長は全体を見て判断したが、リトルチャの例の銀行の頭取は、やはり他の組織を全て見る事も出来なかったし、何しろ金融の世界なので、利益背反の事もあった。やっぱり、リトルチャが全体を見て判断するしかなかった。国内のダミー会社のリーダーは、リトルチャにお伺いして、リトルチャの決定や意向に従い、その調整をするだけだった。リトルチャは、各組織の執行状況は各組織に任せ、細かい事はすべて任せていた。各地域の組織のトップはリトルチャに言われ、チャタロウチームの傘下の会社や協力会社に出資したり、資金援助もしてきた。それが結構利益になった。味をしめた各組織はチャタロウチーム以外の会社にも出資したり、資金援助などをしていた。リトルチャは、細かい金には拘らず、その場で、問題にければ、なんとなく認めてしまう猫でもあった。利益隠しとは言わないまでも、計上利益も減らせた。配下の猫たちや国内のダミー会社のトップは、違う組織でも同様の会社に出資したり、資金援助している事は知っていた。ただリトルチャは怖い猫だったので、リトルチャには言わず、さりげなく各組織のトップたちに少しは教えてあげた。それが出資している企業間での協力関係を築くのに役立った事もあった。しかし、該当していない組織ではまったく、違う組織の執行状況なんぞは、基本的には分からなかった。コネコソフトやコネコ通信はリトルチャが特に指示して出資させた会社なので、出資比率は高かったし、猫たちを大事にしろと注文をつけたので、特別な子会社と言えた。配下の猫たちや国内のダミー会社のトップもそんな事は誰にでも分かると思い、他の組織には何も言わなかった。そのため、リトルチャの金融グループの子会社のその又子会社群が出資していた会社であったが、その子会社が属していたその組織の代表とリトルチャ周辺以外では誰も知らなかった程である。例の銀行も大きくなったが、日本相手のビジネスよりも、世界相手のビジネスがずっと儲かった。世界のリトルチャの金融グループは大きくなっていた。それに単なる金融グループとは言えない程、多様な会社に出資もしていた。事実上支配しているような会社まで持っていた。単なる金貸しや金の決済ルートに留まっている訳ではなかった。金融資本主義とは言えないものの、金を援助したり、出資するとそれなりに便宜も図ってもらえたり、利益になる事もあるのが、世の中だった。そうして、あの頭取以外にもそれぞれの地域、そして担当別に人を育て、お互いに協力しながらも独立して、運営している組織を作っていた。それを調整していたのが、国内のダミー会社のトップとリトルチャと配下の金融担当の猫だった。リトルチャたちが使う金は、国内のダミー会社が経費として負担していた。それはチャタロウたちも、必要な金は、企画調査チームの経費として処理させていたので、同じと言えたが、リトルチャはドーンと使うので、国内のダミー会社のトップは、それなりに苦労した。しかしリトルチャはそんな小さい金なんぞ気にもしなかった。リトルチャは、猫たちには、教育を重視していた。リトルチャは、配下の金融担当の猫を育てるのに、香奈の家の猫たちから有望な猫を見つけ、教育を受けさしていた。その猫たちが金融チームを組織していた。人も猫も育てなければいけなかった。リトルチャ本来の運用か投機かは不明だが、そうした運用グループも独自に幾つかの国で独自に活動していた。そうした大きな金融グループの運営をしていたリトルチャなので、多忙だった。リトルチャは怖い猫だった。リトルチャへの反論は基本的に認めなかった。いわば独裁的に色々な事を自分の判断で決済した。大きくなったリトルチャの金融グループの多様な事柄を判断するのは大変だった。多少の判断ミスを大目に見て、多くの最高幹部たちの人間たちや子猫たちに任せるチャタロウよりは時間も精力も使った。以前のように投機だけしていれば、いい時代ではなかった。リトルチャは、そうした運用グループから選抜したチームをビットタロウに任せ、色々とアドバイスをしていたが、やっぱり、リトルチャ自身が投機している訳ではなかった。実際に運用を指揮しているビットタロウは、やや学術的に流れる傾向もあった。リトルチャの相場秘術を授けられ、精鋭部隊で運用していてもリトルチャが投機する訳には儲けられていなかった。 ビットタロウは、自分でシステマチック取引を行うプログラムを研究しながら、リトルチャの特別運用チームに情報や取引の指針を示し、その指針に基づき、特別運用チームが、自動取引ではなく、従来型の取引をしていた。ビットタロウはリトルチャの相場秘術を教えられたとは云え、投機猫ではなかった。ビットタロウは投資の研究をしていたので、継続的な利益を重視していた。ドーンと不定期に大きく儲けるのではなく、コンスタントに勝率の高い取引を目指していた。一つのプログラムだけでなく、それを補完する複数のプログラムを走らせ、より勝率が高く、収益率の高い取引になるように改良していた。そしてその研究に基づき、リトルチャの特別運用チームにも指針を出していた。取引は投機ではなく、ビジネスだとビットタロウは思い、安定した勝率と利益が重要だと思う猫であった。リトルチャは、投機の神様みたいな猫だったくせに、意外な事にそれでも自分が陣頭指揮を取って、もっと大きく儲けようとはしなかった。リトルチャの相場秘術は教えられても、やはり、リトルチャの投機の取引感覚は天分ともいえるものだった。そうした取引感覚は、教えられるものではなかった。リトルチャは、ビットタロウのように研究しながら、色々とリスクも考えて運用していく時代になってきているのかもしれないと思い、ビットタロウの成長を期待していた。 ビットタロウは自分の研究の実践として、運用していた。しかし気配りの出来る猫でもあった。リトルキャット運用会社、香奈特別基金そしてスイスカナコインで運用していた先輩猫たちにも気を使い、その経験を尊重し、色々と相場の事を教えてもらう振りをする気配りの出来る猫だった。研究は研究にすぎない、実際の相場での経験も貴重だと思っていた。それにリトルキャットの従来の運用子会社たちの人間たちにも、フランクに色々と話をしてもらう猫だった。リトルチャは、独断的な猫で自分の思うように取引もし、国際金融ネットワークも組織したが、やはり相場猫で、相場での運用で、リトルチャは、金を儲けていた。相場での運用は決して軽視してはいなかった。リトルチャは、ビットタロウが、新しく運用チームの猫たちも人間たちもまとめられる猫になると期待もしていた。

チャタロウとリトルチャの間では、有望な猫たちの争奪戦みたいな事が増えていた。ココもチャも超高齢猫であるが、元気だったし、チャタロウもリトルチャも元気だった。しかし猫としては、十分高齢猫と言えた。二匹の猫も今まで築いてきたものを任せられる猫たちを育てて、猫軍団の未来をより強固にする事の重要性は認識していた。チャタロウは自分たちの子供たちを中心にして、秘書みたいな事をさせていたが、自分の子供たちを過大評価はしていなかった。それなりに頭は良く、素直な猫たちだったが、物足りない点もあると知っていた。人間で言えば資産家のボンみたいに育ち、暖かい家庭そして、綺麗で頭のいい配偶猫を貰い、何不自由なく暮らしていて、本当の危機に対応する事が出来ないのではないかと危惧していた。自分の子猫以外の猫たちでも実業に関心のある猫たちを誘い込んでいた。チビ助の三人の子猫たちは、チビタロウ、チビハナコそしてチビジュニアと言われ、段々その天才ぶりが、猫たちの間で話題になっていた。企業分析研究所で勉強していたチビタロウは、チャタロウのチャタロウチームに入り、チャタロウの子供たちの間でも、その英才ぶりが認めていた。チビ助はリトルチャの孫だったので、リトルチャは少し慌てた。金融に興味のありそうなチビジュニアを、国際金融ネットワークの勉強をさせ、リトルチャの国際金融ルートの組織や体制をより強固なものにする事を目指していた。チビハナコは、それこそ天才猫で、リトルホワイトにも可愛がられて、心理学を勉強していたが、猫のくせに、社会福祉研究所の仕事に興味を持ち、猫にとっての福祉とはなにか、そして香奈の家の猫たちそして広く猫族にとっての本当の幸せとは何かなんかを深く考えるようになった。猫にとっての幸福とは何だろうとも言っていた。とても実利的な事をする猫ではなかったので、リトルチャも諦めていた。それは兎も角、リトルチャは自分の作った金融ネットワークの運営に忙しかった。以前のように投機だけを考えている訳にはいかなかった。

加代子のアメリカの会社の責任者は、老練な株屋であり、山師でもあるが、やっぱり金を大きく儲け、個人としての資産もあり、カヨコファイナンシャルも大きな資産を持つ会社でもあった。投機は、やはりリスクのある事であると骨身に染みていた。無理して取引する事はなく、慎重だった。それぞれの商品相場や債券チームを指揮し、色々なケースを考えながらの運用だった。儲けが完全に見込まれる時に運用して、それなりに慎重なものだった。

ところが、神之助は、投機の神様みたいな人だったし、それが本職みたいなものだった。それに神之助は明確な実業関係の組織は持たなかった。神之助グループは実業の会社と言っても、どこなく運用もする商品相場のブローカーみたいな会社が多かった。金融センターも保有する通貨の選択や債券を売ったり、買ったりして稼いでいるグループだった。実業なんかでの制約は少ない組織だった。神元は根っからの相場師だった。神之助は、神元の実業グループの事も考えて、神元をそれなく使い、運用していった。神之助は、神元に相場だけでなく、広く世間を知りなさいと文句を言うが、賢く実業を取り入れている神帥よりも神元が可愛かった。神之助は超高齢者が元気な冶部の里ではまだ若い方だったので、神之助の相場秘術を教えたいと思うまでの歳ではないものの、やはり神元は教えやすい、そして使いやすい存在だった。ビットタロウの理論や研究は複雑な数字を使うとは云え、神之助にとっては、将来の需給も考えて、適正と云える価格から大きく外れているものに注目している理論だと、あっさり思っていた。確かにそんなものは、ちょっとした切っ掛けで勢いを持って、適正な価格に戻ろうとするだろう、それは神之助もそう思った。そんなものを探し出すのが、大変な作業でもある事も知っていた。ビットタロウの研究結果を時々聞き、自分のチームで、ジブの研究センターそして経済学基礎研究所の基本的な分析を加え、更に独自の検討をして、それぞれ分担を決め、時々大暴れして、大儲けをするようになった。

神元を入れて、この四つのグループは、ゲリラ的に大儲けをするだけだったが、少しづつ変わった。神之助は、今や為替や債券の世界では大物だった。神之助は元々投機性の強い人だったので、独自に時々大掛かりな仕掛けもするようになった。神之助直轄の神之助グループだけで運用するのではなく、自分直轄のオーバーシーズから預かっている金やジブトラストの金融センターの金まで使いだした。リトルチャは、ビットタロウの育成の点が強かったし、大きくなった金融グループの調整にも力を使い、投機いや運用はビットタロウに任せる事が多かった。加代子の会社の責任者は、やはり自分の得意分野からは少し外れるので、慎重だった。しかし神之助は投機の心を刺激され、ビットタロウ理論を参考にしながら、段々と大きな勝負をするようになっていった。自分たちのグループをフルに使い、大儲けをした。金融センターやオーバーシーズの運用は神之助の担当だった。神之助が預かる金融センターやオーバーシーズの金は莫大だった。大掛かりな債券相場の変動にも、時々関わり出した。ナントカ危機まで作り出して、神も驚く儲けをするようになっていった。各地の金融センターやオーバーシーズは、複雑な運用子会社まで持っていた。 神之助グループの利益は膨れ上がり、ジブの金融センター、そして運用委託されていたお金も含めて、オーバーシーズの利益も膨大になっていった。

それに刺激された神子は先物と株式取引の責任者である筈が、いわゆるデリバティブは色々と複雑になり、昔なら単なる商品相場だったのに、CFDとかナントカという指数を扱うデリバティブも広がり、所謂ジブトラストでの役割分担も境界が曖昧になってきた。神子グループは、そうした儲けの大きい変動する相場を見逃す事はなかった。神子は予測の名人でもあった。ビットタロウ理論はよく分からなかったが、神之助が大暴れすれば、今度は適正と思われる価格から反対方向に大きくずれてしまう、それも勢いをもって適正と思われる価格に戻る事もあると予測できた。人が苦労して、相場を作り上げたものを利用しようと思った。おとなしく調整売買や株式保有リスクに考えた先物だけをしている筈もなかった。神之助グループの荒稼ぎに刺激され、所謂デリバティブにも幅広く進出して儲けだしていた。神子の配下の人たちは、神子の影響を受けた頭の切れた連中だった。それにそんな奴らも株式を持つ、神子の個人会社と云うよりも神子チームの会社が、神子の管理下にあった、ジブ本体そして、各国のジブ管理会社と絡み合いながら、取引をしていた。利益が出れば、そんな連中も儲ける事ができた。神子は合理的な人だった。人は利益に釣られて、利益を求めて行動する事が 神子の予測の大前提だった。人参を目の前にぶら下げて、そういう連中を使うのが、神子だった。神子チームは儲け、ジブも当然儲けた。神子はジブトラストの社長でもあった。


「配当分離課税も復活して、配当収入なら、課税率も下がって、冶部ビル本体の払う税金も減ったのよ。少し冶部ビル子会社での配当も上げたのよ。税金がその方が安くなるらしいのよ。寄付での税金控除も維持されて、財団への寄付も依然として、好調なの。ジブや香奈国内なんかの税金も減ったでしょう。」
香奈「私もそう思っていたのよ。ジブの収入も配当が増えて安定していたと思ったのよ。だから、税金の減る分は、無料診察制度と再チャレンジ基金維持のために、税金の前払いみたいな寄付もする事にしていたのよ、竹花さんも無料診察制度は維持したいからと言って、頼み込んできたのよ。ところが、神之助君が、また商品相場や債券市場で稼ぎだしたよ、ビットタロウ理論と云うものかあってね。摩訶不思議な理論だけど、説得性があるのよ。面白がって、少し香奈国内で、私の運用枠から特別に渡して、ビットタロウにやらせてみたのよ。確かに儲けているのよ。リトルチャがそれを知って、色々と手を加えて、リトルチャの経験を加味して、突然何倍も儲けだしたのよ、リトルチャや神之助君は、本職みたいなものだから、自分でアレンジして勝負しているのよ。それを知った、加代子ちゃんの会社の責任者は、加代子ちゃんの会社が実業中心になって、暇だから、急いで来日して、リトルチャやビットタロウに色々と聞いて、自分たちも研究しているのよ。ビットタロウは、私やリトルチャの個人的な運用枠の中で運用して、神之助君と加代子ちゃんの会社の責任者だけに、こっそりと教えていただけなのに、神元君も神之助君に聞いてね、参戦してきたのよ。各地の金融センターやオーバーシーズも凄く儲けるのよ。金融センターやオーバーシーズからの配当はそれなりに調整しているけど、それでも凄い儲けなのよ。おまけに神子ちゃんが、神之助君に対抗心をもってね、神子チームの利益も上がったのよ。確かに、配当からの収入では、税率は下がったけどね。頼みもしないに、今になって、税金も少し安くなるといって、みんな配当を増やすので、配当からの利益も増えたのよ。大分、配当からの利益での税率は下がったけど、ごっそり利益が増えてね。払う税金は、そんなに大きく下がらなかったわ。期待していた程ではないのよ。もっとごっそり減ると期待していたのに。税金先払いで、将来の税金負担を減らそうとも思っていたのに、期待とは違ったわ。でもこの頃、上場して欲しいと言われる事が増えたらしいわ。投資環境を整備すると言って、例の特別銘柄とやらを増強したいとか言っているらしい。正人に上場の話が持ち込まれるらしいわ。香奈オフィスや香奈ハイテクまで上場しろとは言わないけど、子会社を作って上場して欲しいとか、香奈特別基金で出資している企業程度は上場して欲しいといわれていると言っていたわ。」
「そうなのよ。小夜さんは、冶部ビルにも上場の話が持ち込まれたといっていたわ。冶部ビルそのものは、無理でも、冶部ビル東京は、冶部ビルのシンポルみたいな会社だから、どうしても上場して欲しいとか言われているらしいのよ。九州新開発は、日本の都市再生のモデルだから、ぜひに言われているといっていたわ。毛利ビルが抵抗しているらしいけどね、」
香奈「正人からもそんな話は聞いたわ。そんなになんでもかんでも上場できない。あれは毛利家の土地を保有している会社だと正人が強く言ったらしいのよ。コネコソフトとコネコ通信は嫌がっているものを上場させただろうと言ったら、あの会社は、香奈国内の会社としては区分しなかったし、香奈国内も利害関係法人とはしなかったでしょう。売買でも相当儲けて、香奈国内としても、あれから株式の保有もしているみたいですね。みんなも有望な会社の株は保有したいのですよ。リトルキャット情報処理研究所を作り、うまく企業分割したでしょう。九州新開発は、不動産開発の会社として上場して欲しいので、毛利家の土地は、上手に別の会社に移行すればいいのでしょう、正人さんは、それ位の整理はできるでしょうと逆襲されたと言っていたわ。ココが買っているみたいなのよ。神子ちゃんまで買って、調整売買して少し儲けたらしいのよ。奈津美と調整しているわよ。香奈オフィスと毛利不動産と毛利ビルが共同出資して、毛利九州観光を作っていたのよ。あの周辺の土地を買っていたみたいなの。例の山を中心とした、以前に毛利不動産が持っていた土地を、九州新開発から買戻し、九州新開発は、その金で、新しい工業団地用の土地を購入して、規模を拡大してから、上場する計画らしいよ。毛利不動産や毛利ビルは、上場益も入るけど、既に新規投資枠で、会社を作っていたから、税金の控除も受けられるらしい。香奈オフィスは儲けすぎているから、少しは税金が減らさないといけないとか言って、そんな会社を作っていたので、その会社に買わせるらしいの。単に土地だけ保有すると新規投資とはみなされないから、鉱山以外の山を観光ハイウェイや観光設備なんかも作っていたらしいのよ。優花ちゃんの会社のあのおっさんが入れ知恵らしいね。奈津美も例の鉱山のボーリング調査ももっと広範囲にしたいし、それでは目立つしと、それに乗ったみたいなの。先にボーリング調査をしてから、観光とレジャー施設の計画を進めるらしいわ。観光とレジャー設備なんかは、赤字覚悟であのおっさんに運営を任せるらしいわ。何が観光なんだか、紛らわしい名前をつけるものだよ。瑠璃は笑っていたよ。こっそり鉱山の業務もしっかり、会社の定款に入れているんだよ。新規投資枠は、上場、非上場を問わないから、毛利九州観光は、非上場とするらしい。」
「小夜さんは、冶部ビルは財産管理会社でもあるから、上場なんかは、あくまでも拒否するといっているわ。製薬も断ったと言ってるしね。全くのゼロ回答でも今後色々と問題も起きるし、九州新開発は、自治体も上場を望んでいるらしいから、毛利ビルの上場計画に賛成せざるを得ないらしい。今、小夜さんは、冶部ビル福岡を主体として、冶部ビルの新しい会社として、九州第二開発を作っているのよ。その新しい工業団地には、九州第二開発も協力して、一部の土地も出して、隣接して新しい商業施設も作りたいと言っているわ。工場群だけではつまらないと言っているのよ。リトルキャット九州は、住宅ゾーンも作るらしいしね。 働いてくれる人たちの住宅を確保すると言っているわ。小夜さんは、やっぱり商業ゾーンもいると考えているのよ。単に上場益を貰うだけでは、やっぱり税金もごっそり取られるから、新規投資すれば、税金もそんなに取られないらしい。税理士が言っていたらしいよ。」
香奈「香奈特別基金の出資している会社とか、松本電産との合弁会社なんかの工業団地になる予定なんだよ。正人も配当課税の税率も下がったけど、香奈特別基金の出資している会社の配当が増えてね。新工場は香奈特別基金が新しい会社を作って建設して、それぞれの会社に貸す事にしたらしい。新規投資枠も使えるとか言っていたよ。九州ジブ交通も、鉄道網を延長したり、バスの路線を作るらしいね。あの町も広がっていくね。」

奈津美の観光事業参入は、まったくのカムフラージュであった。優花の会社のあのおっさんは、もっと規模の大きなレジャーランドを作りたいとほざいていた事は事実だったが、あの話題のレアメタルが、ここの山で採れたので、いくつかのライバル企業がこのあたりの山を買って、早速調べた。あの話題のレアメタルの純度は低く、いくら高い価格で売れていても、採掘費用や精錬費用なんぞを考えると、赤字になると言って、撤退した。その撤退した山が欲しかった。奈津美は自分が動くと、話題になるので、観光事業をする振りをして、毛利不動産にこれらの山をそこそこの値段で買わせた。奈津美の目的は、あの話題のレアメタルではなく、別のレアメタルだった。夢野の研究も進み、発電機の準備も進んでいた。夢野が、とりあえず発表したいと言うのを押さえ、未来エネルギーシステムとしての当座の準備をするまで、待って欲しいと頼みこんでいた。夢野も研究結果を精査する事も必要だったので、それに応じた。その間に、毛利不動産に、観光のためとか言って、付近の山を買わせていた。金は、香奈オーバーシーズから借りさせた。奈津美は正人に因果を含めて説得した。そして毛利ビルにも出資させ、香奈オフィスがドーンと多く出資して、観光事業をする会社、毛利九州観光を作っていた。毛利不動産の買っていた山は、この会社が買った。毛利不動産は、香奈オーバーシーズに借りた金も払い、そこそこの利益を貰った。そんな時の上場話であり、九州新開発から、あの山も結構な値段で、この会社が買った。年間にある程度の金を払っていたので、残りの期間の通算分を追加したので、結構高い金になった。細々と山奥で採掘を続けているからと理由をつけ、鉱山事業も会社の定款に入れた。九州新開発も上場の問題もあるが、新しい工業団地用の土地など新しい土地を購入する金も要ったし、基盤整備をするための金も要った。小夜は新規の商業施設を作る口実として、上場益が出て、税金をごっそり取られるといって、恵を口説いて、九州第二開発を冶部ビル福岡を主体として、設立した。冶部ビル福岡は、まだ上場益も入っていないので、金は冶部ビル本体を中心とする冶部ビル全体が新しく、冶部ビルの福岡に増資したり、融通していた。

毛利九州観光は、観光基礎計画と称して、このあたりのボーリング調査を始め、あちらこちらで、今話題のレアメタルそして、別のあのレアメタルを見つけていた。ここらでは、今話題のレアメタルは、かなり深い所でしか純度が高くないのを知っていたのは、香奈オフィスだけだった。地表近くは、あの別のレアメタルの方が多く、しかもあの別のレアメタルは、話題のレアメタル検出を妨害する事すらあった。それもみんなは判らなかった。このあたりの山奥のあちらこちらで、採掘をロボット中心で始めていた。観光事業なんかはも特にする必要すらなかったのだが、採掘した鉱物を運ぶには、道があった方が便利だった。観光道路と称して、道も作った。あのおっさんには、採掘の邪魔にならない、山の端っこで、レジーランドやレストハウス、キャンプ場、テニスコート、運動場、体育館、人工の池、ボートなんぞの施設、ちょこと歩く自然遊歩道、つまり何処にでもあるような観光施設やまるで地方自治体が作るような施設などを造っていった。奈津美は、あのおっさんたちが提案する設備を作らせ、運営を任せた。あのおっさんはカジノのようなアミューズメント施設を作って、自分もこっそり、リトルキャット九州の影に隠れるように出資して、大分儲けていた。一応運営に責任を取りたいと、ほざいて、自分の金を少しだしていた。リトルキャット九州も、そんな建前に感心して、それを認めていた。アミューズメント施設は大儲けして、配当も高くだした。おっさんもそこそこ儲けた。奈津美にもそんな事をほざいたが、奈津美にとっては、観光事業は、所詮飾りだったので、それは認めなかった、そして観光会社なのに、奈津美の息子を社長にして、あのおっさんを役員にもしなかった。役員は香奈オフィスがほとんどで毛利ビルが一人という奈津美の意向が絶対と云う布陣で固めた。毛利家の山もあるからと言う理由だった。ただ観光事業部は、あのおっさんたちに全面的に任せると言った。結構な大掛かりな設備も認め、観光事業部は一種の独立採算みたいなものにして、初期投資は別にして、運営で利益がでれば、この利益比例で、観光事業部に渡す事にした。奈津美は当分赤字を辛抱して、その累積赤字を理由にして、やがては観光事業部などは廃止するつもりだった。観光事業部には会社全体の収益などは見せない事にしていた。奈津美にとっては、観光事業などは金のかかる隠れ蓑みたいなものと考えていた。

あのおっさんは、本当は、本格的なカジノみたいな施設を作って、又儲けようと考えていた。そして初期投資も香奈オフィスと言うか毛利九州観光に出させて、リスクも減らしてと勝手な事も考えていた。しかし、あのアミューズメント施設は、実は問題にもなっていた。あのアミューズメント施設が大きく儲けていると言う事は、損している奴が多いと言う事でもあった。アジアの金持ちたちは、一種の憂さ晴らしみたいなものだったが、金がそんなにない奴でも、小銭をかき集め、一攫千金を目指して、あのアミューズメント施設で賭け、いや遊び、そんな小銭を吸い取られていった。不動マンションの腑抜けのような奴らも、小遣い銭みたいなバイトの金をアミューズミント施設と云うかカジノのような施設で、金を使い、多くは金を失い、ごく少数は大儲けをして、グランドリトルキャット製品を手に入れ、叩き売って、金を手にしていた。グランドリトルキャット製品は、直営店だけで、定価販売していたので、安売り店では、かなり高く買ってくれた。半値とか6掛け程度の金ではあったが、転売も簡単だった。グランドリトルキャット製品は、徹底したアフターサービスをしていた。この九州の店で販売した製品のかなりの数が、怪しげな店で、つまり、安売りディスカウントで、叩き売られた製品が再販売されていた。買った人の多くは、安売りの店からとは云え、ようやく買ったグランドリトルキャット製品で新品同様なので、アフターサービスの申し込みをした。グランドリトルキャット製品は、ほつれとか、少しの傷もタダで修復する製品だった。購入お礼の手紙も、アジア快適が出した。直ぐに叩きうる奴はそんな申し込みもしなかったが、漸く買った人は、アフターサービスの申込書もついていたので、正直に連絡した。アジア快適のアフターサービスの責任者は、購入経路に直営店ではなく、怪しげな店があり、アフターサービスの申込書の製品コード番号から、九州の直営店で販売した製品である事を辺郎に知らせた。製造の責任者の辺郎からリトルキャットに連絡は入り、神二郎や正人も知るようになり、陽太も知っていた。辺郎は、こんな売り方は困ると強く言った。グランドリトルキャットを販売している直営店たちも、困惑していた。定価でしか売らない製品が、安売りディスカウントで少量とは言え、販売されているのは問題だった。正人は本当に忙しかったので、こんな事は知らない筈だった。不動マンションには、猫の世話もして、猫ハウスの猫たちと親しくなる奴もいた。再生して、一緒に暮らそうと猫と約束している奴もいた。博打みたいなカジノ施設で、再生のために貯めておく筈の金を、一攫千金の夢を見て、全部失う奴らが出た。せっかく見つけたコネコソフトや不動関係の定職にも身が入らなくなった。海が見えるペット可能マンションの敷金に予定していた金もなくなり、仲良く一緒に暮らす事を夢見ていた猫は、がっかりした。又少しづつ、お金を貯め、コネコソフトや不動関係の仕事も基本からやり直して勉強しなくてはならなかった。猫は、コネコネットでぼやいた。香奈の家の猫たちはそれを読み、正人に言っていた。例のカジノみたいな施設のやり方も判った。正人は、それでもパチンコ屋みたいな景品交換みたいな手法なので、騒ぐのも大人気ないと黙っていた。しかし、優花は激怒した。竹花の爺さんは、問題になると拙いと思った。お元気レストランの役員会には、陽太も優花も竹花の爺さんも出ていた、竹花の爺さんはそれとなく、あのおっさんに注意した。激怒していた筈の優花も、もっとさりげなく注意した、優花はやっぱり政治家だった。陽太は、政治家そのものだったので、朗らかな顔で、室内のアミューズメント施設もいいけど、室外で健康的なスポーツを楽しむのも、いいですねとか回りくどく、言った。神二郎は、政治家ではなかったので、強く注意した。九州のあの店で販売するグランドリトルキャット製品は、普通の直営店の製品とは異なる、特別な製品にするとまで言っていた。

そしてそれは実行された。あの都市の九州の直営店で販売されていたグランドリトルキャット製品は、一般の直営店と少し違う特注品に切り替わった。治部ビルの福岡の責任者はなんでも利用して儲ける人だったので、一般のグランドリトルキャット製品はしっとりとした製品だったのに、いかにもグランドリトルキャットだと云う事を強調している製品にして、リトルキャットのロゴも金や銀で作ったものを組み込んでいたが、それも少し大きくしてもらって、値段も少し上げ、利益率も高くして、あの都市の直営店はかえって有名になり、より儲かったのは意外だった。

あのおっさんは、例のカジノみたいな施設が問題になっていると何故か判った。あのおっさんは、頭は切れたおっさんだった。頭の切り替えも早かった。今はカジノみたいな施設を作るのは拙いと思った。そんな教科書みたいなレジャー施設は儲かる筈もない、自治体の体育館やキャップ場みたいな施設で、利益なんぞ出た事もない。しかし、赤字が出ても、奈津美と云うか、香奈オフィスが、かぶるとか言われた、思い切り健康的な施設にした。あのおっさんのレジャー施設チームにも変わり者たちもいたし、ナンダカンダと正論をぶって、そんな健康的な娯楽設備が必要だと、たわけた事を言う奴らもいた。そんな奴らに、現実を知らせ、陽太そして優花、竹花の爺さんにも実業の厳しさを教えてやるいい機会だと思った。そんな変わり者たちを集めて、今度のレジャー施設の計画を練らせて、優花、陽太、竹花の爺さんも納得して、こんな施設が出来ていた。奈津美は、思い切り普通の観光施設や自治体の設備みたいなものなので、言い訳も出来ると思い、それを認めていた、ただ香奈オフィスには、話題のレアメタルが高値で売れて、膨大な金が入り、税金も膨大になるので、節税のためにも投資は必要になり、そんな施設も当然大掛かりな投資をして、本格的な施設になっていた。驚く事に、本格的な施設になると、それなりに利用する人も結構いて、運営する人の給料とか運営費程度の収入は入ってきた。大掛かりな投資を回収できる金が入ったとは言いがたいが、香奈オフィスは金を借りて投資したものではないので、少しつづ、初期投資に使った金は少しつづ、穴埋めできていた。累積赤字がどんどん溜まっていく状況ではなかった。

あの話題のレアメタルを使った薬が、スイスカナコインの医学研究所とフランス安部製薬のチームが最初に発売して、世界中で話題になった。スイスカナコインの医学研究所は、発売をフランス安部製薬に任せ、開発と製造だけを行っていた。次々と薬を出した。ドンドン薬が売れた。この薬のジブ連絡会議でパテントの調整も行い、世界中で発売した。ジブ関係の製薬会社も色々な分野で薬を売り出した。ジブ関係以外の製薬会社も負けじと、薬を出した。あの話題のレアメタルの価格は益々上がり、香奈オフィスに莫大な金が入ってきた。レアメタルも採掘していた毛利九州観光には、精錬費用や分別費用を超える金が入ってきた。夢野も、話題のレアメタルとは別に、高エネルギーを持つ、別のレアメタルも存在し、次世代のエネルギー源になる可能性があると学会発表し、色々と詳細な研究も報告した。特許とか色々な対策は既に取っていた。現に既に、拡大敷地内と、九州の片田舎で実用化もしているとも付け加えた。世界中、大騒ぎになった。別のレアメタルも香奈オフィスが、既に相当保有しており、九州の片田舎でも、採掘しているらしいとの解説記事も出た。奈津美は色々と忙しく、毛利九州観光も、あの話題のレアメタルの金だけで、莫大な金が入ってきた。

あのおっさんの指摘するように、そんな健康的な室外の娯楽では、カジノみたいな施設とは違い、ドンドンと儲ける事は出来なかった。しかし違っている事もあった。設備に使った莫大な投資金額を借りた事にすると、その利息を含めて、償却できる程儲かる事は流石に出来なかった。香奈オフィスは、そんな設備投資は、自己資金で投資していた。投資金額に比較すると、細かいものの、単年度では少し黒字になっていた。それにあの町の有名な観光スポットにもなった。奈津美のあの別のレアメタルを採掘するための隠れ蓑みたいな観光設備は、あの町の有名な場所になった。今度は香奈オフィスの利益を分散させた筈の毛利九州観光自体までもが、レアメタルが大いに儲け、やたらと黒字になった。本来の観光事業は、大きな赤字でもなく、設備投資を借りた事にすれば赤字だが、運営費と収入を比較すれば、黒字と云う微妙な範囲だった。初期投資もボツボツだが、回収していた。奈津美は切り替えが早い女だったので、毛利九州観光は、短期的な儲けよりも、地域の人たちにも役に立つ、健康的な観光事業の将来のモデルケースとかほざいた。レアメタルの採掘は、偶然の探索の結果とか言った。

あのおっさんも頭の切り替えが早いおっさんだった。結構な数の客が来ていた。今は、細かい利益だったが、商売の事を考えて、別の施設を作れば、もう少し銭が取れると思った。エレガントホテルの運営を任されていた綾子たちのチームも、冶部ホテル福岡の別館が人気になり、金ピカのエレガントホテルもそれなりに儲かっていたものの、金ピカすぎて、底が浅いなんて言う奴もいる事も知っていた。あのおっさんと綾子の現地チームは協力して計画を練った。鉱山とは関係のない山の端っこに、山荘みたいなホテルを建てて、展望できるお元気レストランも建てる計画を立てた。敷地内のジブ植物園の分園みたいな設備も作る計画だった。入園料みたいなものは取らなかった。別に善意でもなかった。香奈の家の隣のレストランのケーキやデザートは有名だった。お元気レストランの調理の奴らにも勉強に行かせていた。ここで花を見ながら、美味しいケーキやデザートを食い、美味しいコーヒーや紅茶の飲める喫茶店のようなものを作る計画だった。自然の中で上手いものを食べて、花をみるのが、究極の贅沢とか言って儲けようと思っていた。貧乏人相手の商売は利が薄く、金持ちから金を儲ける事にした。しかし、あのおっさんや綾子たちの現地チームもこんな事は初めてなので、香奈オフィスというか、毛利九州観光に資本を出させ、その運営料を取り、利益が出れば、一定範囲の銭を貰う事にした。リスクは取らず、金だけ貰おうとする魂胆だった。

奈津美は、そんなセコイ投資の金などは、気にしなかった。何しろ莫大な金が入ってきていた、資源ビジネスの連中からは、レアメタルが取れる事を知って、回りの山も買ったのに、違いないと言う声も聞かれていた。あのおっさんや綾子たちのチームの計画をもっと大掛かりなものにして、ボーリング調査の結果、レアメタルもそんなになかった、大規模な投資をしないと、税金にごっそり取られるので、外れの山そのものを新しい観光場所にする事にした、従来の観光設備とは、近接している場所でもあった。ただ奈津美は、用心深かった。おのおっさんや綾子の現地チームの今度の第二次計画は、銭を巻き上げようと言う魂胆が見え見えだった。そんな事は誰にも判ると奈津美は思った。奈津美はハゲタカ、ボッタクリの瑠璃とは違うものの、資源やエネルギーの商売は、実業としてはやっぱり山師のようなものだった。利益率が高くないと、やっていけない。そんなに何でもかんでも、鉱山をほったら、レアメタルが出たり、貴金属が出たり、油田をほったら、油が噴出すものではなかった。それをより確率の高いものにするための資源探査ロボットだった。それが成功して、香奈オフィスの利益率が上がって、より高い確率で、レアメタルが出たり、貴金属が出たり、原油が出たりしていたが、百発百中ではなかった。いやむしろ、金をかけて、調査しても何も出ない事も多かったのだ。資源開発はリスクの多い商売なのだ。奈津美からみれば、あのおっさんや綾子の現地チームの計画では、儲かったとしても、大した利益率とは思えなかった。大した金も入ってこないくせに、金儲けをしようとする意図が見え見えのあのおっさんや綾子の現地チームの計画では、レアメタルの莫大な金儲けの隠れ蓑としては、適切なものではないと奈津美は考えた。極端な大赤字では困るものの、香奈オフィスとして、長い目でみた観光事業と言うものにしたかった。税金も安くなるし、香奈オフィスの信用も高くなると計算していた。奈津美は、心と体を休めるホテル事業を展開していたニコニコホテルの福岡にも協力を求める事にした。ニコニコホテルのあの町での評判は良かった。利益率はグーンと下がるが、心と体を休める事業として、毛利九州観光の観光事業を展開する形にしたかった。香奈オフィスの観光事業は、鉱山の隠れ蓑とは言われない程度の大幅で、当分そんなに利益が出ないが、みんなの役に立つ観光事業にしたかった。あの都市のニコニコホテルは、リトルキャット九州が成長して、ビジネス客も多くなり、普通のビジネスホテルみたいにもなって、満室が多くなっていた。本当の心と体を休める宿泊設備を作る事を郊外で作る事も必要だと考えていたので、奈津美の呼びかけにも応じた、美味しいケーキやデザートを出す、植物園の分園みたいな喫茶店をエレガントホテルやお元気レストランが計画していた事も知った。ただ香奈の家の隣のレストランは、コストなんかを考えない究極のデザートやケーキだった。そのまま真似をしたら、豪華なランチ以上の価格の値段になる事は、計算するまでもなく判っていた。ニコニコホテルのコックたちにも香奈の家の隣のレストランのデザートシェフにも勉強に行かされた。もっと安く、出来るだけ美味しいデザートを作る事を目標とした。ジフ植物園の分園構想は評価したものの、高い、いや希少の洋蘭では栽培条件も難しいだろう。もっと栽培条件が簡単な洋蘭にしたり、観葉植物みたいなものを加えて、花と緑に囲まれた、ニコニコホテルのレストランにして、コーヒーや紅茶と、ケーキやデザートも出すホテルレストランにしようと思った。お元気レストランから勉強にきたコックは、出来るだけ、香奈の家の隣のレストランと同じようなケーキやデザートにするように勉強した。デザートシェフは、優秀なコックだった。秘密にしたいレシピもあったが、この人はオープンに何でも教えて上げた。レシピだけ教えるのは、面白い事ではなかったが、それでも教えて上げた。当然そんなに熱心ではなかった。お元気レストランのコックたちもそれなりの腕だったので、似たようなものは作れた。しかし、所詮、技術の程度が違った。似たようなものではあるが、やっぱり味は少し劣った。それでも同じレシピで作るので、コストは同じだった。一方、ニコニコホテルから勉強に来たコックは、出来るだけ安くしようとした。味の違いはあっても、似たような風味にして、安く出来る事を考えて、そのデザートシェフに、ここは、こんなものに替えては、いけないでしょうかとか聞いた。デザートシェフは正直な人だったので、そんな事は考えた事もなかったと正直に言った。デザートシェフも興味を覚えて、一緒に作った。安いものに替えても大した差もなかった事もあるし、やっぱり違う事もあった。デザートシェフも色々と勉強できた。何を使っても、高品質のケーキやデザートを作れと言われれば、安いものは最初から除外していた。逆に、最高級と云われた原料ではなく、違う原料の方が美味しく出来る事すらあった。デザートシェフも研究に熱が入った。ニコニコホテルから勉強に来ていた人は、香奈の家のレストランと同じものを作る事はしなかった。それではやっばり高くなってしまう。違うものではあるが、出来るだけ同じような風味と言うか味が似たようケーキやデザートを安い値段で作る事にした。それに九州では、リトルキャット系の農園から取れる農作物もあった。それは安く入手する事もできそうだった。ニコニコホテルのコックたちの作ったケーキやデザートは、香奈の家の隣のレストランのケーキやデザートとは、違うものの、そこそこ美味しいケーキやデザートになった。デザートシェフも色々と勉強になって、香奈の家の隣のレストランのケーキやデザートは更に美味しくなった。

ニコニコホテルは、エンジェルホープジャパン九州病院にも協力を求めた。エンジェルホープジャパン九州病院も、既存の病院は満員だったので、第二病院を作るような考えで、病院を作る事にした。エンジェルホープジャパン財団も、ガクッと減った基金もそこそこ戻ってきていたので、その要請に応じる事にした。カヨコジャパンが寄付しようとしたら、基金が超えてしまうので中止したと云う事もあった。ドーンと大きな、設備が整った第二病院を作った。 カヨコジャパンは今度はその金を寄付してくれた。毛利九州観光の観光事業とは違う医療法人なので、独自に近くに土地を買って、病院を作る事にした。何しろ金のあるカヨコジャパンが補填してくれる約束なので、大きな土地も買い、池や公園のようなものを作り、エンジェルスターやバワースターの薬草も植えた。エンジェルホープ病院では、そんな施設を持つのが、標準でもあった。

毛利九州観光の第二次計画は、あのおっさんや綾子の現場チームの構想よりも大きくなり、ニコニコホテルを単に入れようとした奈津美の構想より、カヨコジャパンの金を使うエンジェルホープジャパン九州病院が入った事で更に大きくなった。医療機関も入った心と体を休めるリゾートとなり、山荘のようなコテージを持つエレガントホテル、展望が出来るお元気レストラン、植物園みたいな喫茶店で、敷地内の幻の最高のレストランと同じレシピが売り物のケーキやデザートを出す喫茶店に加えて、リーズナブルな価格のニコニコホテルと、花と緑に囲まれたホテルレストランで、安くてそこそこ美味しいデザートやケーキを出すレストランが出来ていた。九州ジブ交通はアクセスも便利にした。鉄道も延長したし、山頂に上がるケーブルも作った。バスも増やした。何も善意でもなかった。リトルキャット九州がリトルキャット九州不動産と云う子会社を作って、その会社が住宅ゾーンを開発し、香奈特別基金の出資している企業群は、香奈特別基金が香奈九州不動産と云う新しい会社を作って、その会社が工業団地を作り、リトルキャットと松本電産との合弁企業も、その工業団地の一角に入る予定だった。リトルキャット九州が、九州ジブ交通には新しい設備投資の金額は増資として出した。小夜も九州第二開発として当然便乗して、小さい商業ゾーンも作っていた。その中に、聖子の安いよスーパーにも声をかけて、店も出す計画だった。

益々、この観光施設は有名になり、エレガントホテルも隠れ家ホテルとして有名になり、お元気レストランも有名になり、植物園みたいな喫茶店も有名になった。ただみんなの予想とは違った事もあった。ニコニコホテルが多くの客を集め、レストランには、食事時以外に、ケーキやデザートを食うために客が来た。世の中には、金持ち以外の人の方が多かった。エンジェルホープ九州第二病院も患者が押し寄せた。

実は、猫ハウスや不動マンションもこの近くに、第二設備を作っていた。猫たちは増えていた。不動マンションの住人は、リトルキャット九州で働き口を見つけたり、香奈特別基金、リトルキャット系列の企業そしてコネコソフトやコネコ通信などの優先的な求人もあり、不動マンションを出ていく人もいたが、猫たちは、やっぱり猫ハウスにいた。飼い猫として貰われて行く猫や不動マンションで猫の世話をしているうちに猫と友達になり、再生して猫と一緒に出て行く人もいたが、やっぱり多くの猫は猫ハウスにいて、猫たちは増えていた。香奈の家の猫たちは、大学院大学や研究所でその能力を磨いていたが、地方ではネットでの通信教育位しかなかった。中央の有名大学と地方の学校みたいな差はあった。それでも中には英才も出て、猫ハウスで色々な仕事をする猫もいたが、香奈の家の猫たちの活躍に比べると地味だったし、金があっても、猫だけでは出前も頼んでも、受け取れないし、デリバリーヘルスなども頼めなかった。買い物もできない。やっぱり、猫ハウスの世話をする人も必要だった。九州を中心とする広い地域から、不動マンションに集まって住んだ。ここでは、賃仕事みたいなバイトの仕事は不動マンションが探してくれた。神幸は、ナンダカンダと言ってもコネが効いた国会議員だった。それにアダルトビデオの男優募集のバイトとは違った。大義名分のある求職斡旋でもあった。リトルキャット系列を中心にして、この都市の周辺には、ジブ関係の企業が集まり、そうした企業では相当の無理が効いた。香奈の家の猫たちは、水の大切さを知っていたので、近くに泉を探し、泉の近くにエンジェルスターとパワースターを植えて、この猫ハウスに簡単な簡易水道を引こうとした。陽太は、猫ハウスだけでなく、不動マンションにも入れるようにした。ナンダカンダと騒いでいる内に、この泉から湧き出す水は増え、このあたり一体に、水道を供給できるようになってしまった。水道管を引き込んで、供給を貰う筈だったのに、あの工業団地や住宅ゾーンが出来るまでは、この辺り一体に供給してもまだ余るので、以前の市内にも逆に供給する程だった。奈津美たちの調査では、この山には、レアメタルはない筈だった。調査はいつも完璧ではなかった。猫たちが探した泉の下には、話題のレアメタルも、別のレアメタルもあったのだ、奈津美も今度はバタバタと調査していて、泉の下は、調査していなかった。


「香奈オフィスは、本当に観光事業も始めたんだね。冶部ビル福岡は感心していたよ、莫大な投資をして、あの町の名所みたいなものになりそうだよ。心と体を休める観光事業なんだね。莫大な投資金額に比較すると、直ぐに儲ける事業ではないけど、小さい利益を追わず、長い目で見ているんだね。みんな感心しているよ。小夜さんも近くに商業ゾーンを作っているよ。」
香奈「そう言われると、返す言葉もないよ。あれは、実は奈津美の隠れ蓑みたいなものだったんだよ。奈津美からこっそり聞いたよ。鉱山を確保するための口実だったんだよ。夢野先生の学会発表前に、付近の山を確保するための口実なんだよ。瑠璃は、健康的な観光事業なんて、鼻で笑っていたよ。私も不思議な事をするなと思っていたよ。でも奈津美は、安く山を手に入れるのには、必要な投資だし、税金も下げられると言うから、仕方なしに認めたんだよ。それに香奈オフィスが、突然大儲けしだして、税金を減らす事も本当に必要になり、優花ちゃんの会社のあのおっさんも、儲かる筈がないと思いながらも、陽太君や優花ちゃんの手前、そんな観光事業が必要という人たちに任せたみたいだね。奈津美も意外だったみたいだけど、そんなに赤字も出ず、そこそこの利益もでたらしいね。あのおっさんも頭の切り替えが早く、綾子ちゃんのエレガントホテルも抱き込んで、第二次計画を作ったんだよ。奈津美も頭の切り替えが早く、あのおっさんが又カジノみたいな施設を作らないように、ニコニコホテルも抱き込んで、心と体を休める施設にしようとしたみたいだね。セコイ銭を稼いで、ナンダカンダといわれたくないと思ったらしい。ニコニコホテルは、エンジェルホープ病院を口説いて、病院を作らせたのよ。九州新開発の造成した場所に、リトルキャット九州や香奈特別基金まで、工業団地を近くに作るらしいね。奈津美は、今では、今後の観光事業の将来性を考えるために、始めた事業なんて言っているけどね。」
「まあ、動機がどうであれ、いい事だよ。九州の財団の連中も色々と利用を計画しているよ。陽太君も不動マンションの奴らに、あの施設で運動して、気分転換するように言っているよ。あの町の人たちにもいい場所になるよ。」

毛利九州観光の第二次計画は、大掛かりなものになり、大きな観光施設ができ、周辺には、工場団地、商業施設、住宅ゾーンまで、次々と建設されていった。ところが、もう一つ、予想外の事があった。突然オークションで、愛染明王さんの仏像が出品され、香奈出入りの美術商が、加代子のために、さっと落札した。吹っかけたような高い最低落札価格、そして短いオークション期間、説明資料も不足しているし、専門家の鑑定結果なんぞもなかった。ただ事前にこの美術品が実際に見れるようにはした、珍しいやり方だった。こんなやり方で、落札価格が上がる筈もなかった。後で判った事だったが、この美術品は、結構貴重な仏像でいいものだった。ある金持ちが緊急に金が要る事が出来て、焦ってこんなやり方にした。吹っかけたような値段も、この金持ちが緊急にいる金だった。みんなが、この仏師は、ナンタラかもしれないけど、もっと鑑定する必要があるとか言っている間に、あっと云う間に落札していた。最低落札価格は吹っかけたような値段だったが、そんな事は気にしなかった。本当にいいものだと、あの美術商のおっさんは思った。美術商のおっさんは専門家もつれて、その美術品を見に行き、いきなり気に入った。さっさとその高い最低落札価格以上の値段を提示して、あの金持ちは直ぐにも金が欲しいので、直ぐにオークションは終了した。あの美術商のおっさんは、加代子なら高く買ってくれると思った。加代子はそんな事を頼んではいなかった。香奈出入りの美術商は、香奈にはお不動さん、加代子には愛染明王さんと勝手に決めていた。神元や神之助は、大元帥明王さんの美術品でいいものであれば、値段関係なく買ってくれた。大元帥明王さんの美術品でいいものは滅多に出なかったし、愛染明王さんの美術品もそんなには出なかった。加代子も自分の別荘みたいなホテルの愛染明王さんが話題になっている事は知っていた。そのおっさんは、加代子に愛染明王さんのいい仏像が見つかりましたと早速、連絡して、仏像の写真も見せた。加代子は、あのおっさんの高い口銭が入った、結構高い値段だったが、何故か気に入り、直ぐに買うと言った。

今回のニコニコホテルは、香奈オフィスがほとんど出資していた毛利九州観光の所有するホテルで、ニコニコホテルは単に運営を任されていたホテルだった。当然、その仏像はカヨコジャパンの所有する冶部ホテル福岡別館に送付され、ロビーにお祭りするはずだった。ニコニコホテルの福岡では、自分たちが運営を任したホテルが冶部ホテルになっている事は、頼んだ事でもあり、悔やんではいなかった。一定の金も入ってきていた。高い浮世絵や江戸時代の美術品にもそんなに興味もなかった。ただ愛染明王さんが冶部ホテルのロビーに置かれ、ロビーが愛染明王さんのお寺みたいになり、ニコニコホテルの客もお参りに入っている事は残念に思っていた。ニコニコホテルや冶部ホテル福岡別館の一角は愛染明王さんが置かれているロビーを中心に一定の円を持って広がっていった。ニコニコホテル福岡は、悦子に頼んで、毛利九州観光が作ったホテルとは別に、新しいホテルをニコニコホテル愛染明王さんホテルとしてつくりたいと加代子に言ってもらった。加代子が、ニコニコホテル福岡に預けた金は、一度ゴッソリと減ったものの、また貯まっていた。その金で、愛染明王さんをロビーに置いて、御祭りするホテルにして、ニコニコホテル愛染明王さんホテルを作りたいと言った。加代子は既に預けていた金の事は忘れていたが、そのホテルの構想はなぜか気に入った。又値段を気にしないで、いいホテルを作ってね。資金は、カヨコジャパンの連中と話してね、と言った。悦子は預かっているお金の事と思っていた。加代子は、愛染明王さんの仏像も一体ではさみしいので、あの美術商のおっさんにも、愛染明王さんの美術品はもう手に入らないのと言った。冶部ホテル福岡別館には数体の愛染明王さんの仏像と掛け軸があった。愛染明王さんホテルなのに、一体ではやはりさみしいと思った。そんなにいいものは出ないのに決まっていると言いたかった美術商だったが、加代子は最高の客になりそうな人だったので、探してみますと言った。ニコニコホテルは愛染明王さんをホテルのロビーに置き、お供えを置き、みんなが利用できる温泉まで引き、病院に診察に来る人も休める広いロビーを持つホテルを作る事にした。また広い立派な部屋を作って、冶部ホテルにされては、計画も狂うので、今度は、よりリーズナブルな価格を重視したニコニコホテルの仕様の客室にして、リーズナブルなホテルに徹する予定だった。

ここでも予想外の事だったが、いきなり、かなりの数の愛染明王さんの仏像や掛け軸が、オークションに出た。前に高値で落札されたのに、触発されて、出品されていた。中には、インチキのものもあった。香奈出入りの美術商は、そんな事は百も知っていたおっさんだった。 専門家を連れて、みんな見に行った。気に入ったいいものはいきなり高値をつけた。ナンタラと言う仏師が彫ったとか、何時代のものとは、気にしなかった。あっと云う間に、愛染明王さんの仏像や掛け軸が集まった。買ってくれと言う人まで出た。海外に流失した仏像まで集まった。以前に買った時は偶然だったが、今度は愛染明王さんに拘って集めた。何しろ金の事など拘らない加代子の依頼だった。当然、金は莫大になったが、今度は、買えるものはすべて買ったといってもいいような状態だった。加代子は金には拘らず買い、その仏像や美術品をニコニコホテルに送ってもらった。ニコニコホテル愛染明王さんホテルは、計画を変更して、ホテルのロビーどころか、一階や二階にも置ける程の愛染明王さんが集まった。愛染明王さんの美術館みたいなものではなく、本当に、愛染明王さんの美術館になりそうなので、三階は、愛染明王さんホールにして、愛染明王さんホテルカヨコ記念美術館として、ホテルは隣に建て、ホテルの客はいつでも拝観できる計画に変更した。専門の美術館の職員も置き、入館者に詳しい説明をする予定だった。あの美術商も、ウンチク話は得意だったので、やたら詳しく説明してくれる事になっていた。

そんな計画にも又もや、修正が出た。カヨコジャパンは、神之助と神子に金を預け、つまり、運用委託して、その上がり、いや利益をエンジェルホープジャパン財団に寄付するために、作った会社の筈だった。加代子が、ニコニコホテルに、この町でホテルを作って貰って、運用補助のために預けた金は、カヨコジャパンの金だった。今回の愛染明王さんの美術品は、加代子は個人で買ったつもりだったが、莫大な金だったので、一応カヨコジャパンに金を出させていた。加代子の個人としての金は、多くの金は、アメリカの加代子の会社に預かってもらっていた。加代子のアメリカの会社の責任者は、そんな事はプロみたいな人と相談して、加代子の個人会社みたいなものを作り、そこに貯めていた。日本で、神三郎に管理を任せていた金も莫大だったが、理由を言う必要もあった。勿体無いとかナンダカンダと言われる事もあった。カヨコジャパンなら、すぐに簡単に金が出せたので、当座はそうしておいた。カヨコジャパンは、金も持っていたし、大きな資本を持つ会社だったが、所詮、加代子の個人的な財産管理会社でもあり、エンジェルホープジャパン財団の運営もする会社だった。アメリカのカヨコファイナンシャルが全ての株式を持ち、そのカヨコファイナンシャルは、加代子がほとんどの株式を持ち、神三郎も多少の株式を持ち、幹部たちもホンの少し持つ会社だった。加代子の指示は、絶対だった。カヨコジャパンはやたらと収入があった。神之助がビットタロウの理論に触発され、やたらと金を儲けて、神之助の運用委託から莫大な金が入り、それと競うように神子も儲けて、あの都市のニコニコホテルでもそれなりに儲け、ニコニコホテルが運営責任を持つ冶部ホテル福岡別館からのカヨコジャパンへの利益は、それなりと言う程度ではなく、儲けていた。今回の配当収入による税率の変更には、該当しない利益も多かった。今までは、運営による利益も配当による利益も同じ税率での課税だったし、それにごっそり利益がでるとも考えていなかった。むしろ、赤字が出ると考えて、節税効果を考えて、直接運営の形にしていた。今の体系を配当として貰えるような形に変更する必要があった。ドーンと税金が依然として取られる筈だった。

カヨコジャパンは、弁護士とか税理士とかが運営しているが、やっぱり加代子の個人的な財産管理会社だった。アメリカの加代子の会社の責任者は、節税すれぱ、その分の金がある程度の比率で、経営陣にも入ってくる約束もしていた。エンジェルホープジャパン財団には、大きな病院を作らせ、ドーンと寄付していた。それでも税金が高い。美術館を建設して、寄付する事も結構税金が下がるが、もっと効率的な税金対策は、宗教法人だと思った。何しろ何でも税負担がかからないのが、宗教法人だったし、その宗教法人への寄贈とか寄付にも、信仰の自由を保障する建前からも、所得の範囲ではあるが、税金控除になっていたのだった。加代子が買っていた美術品もカヨコジャパンとして買った事になっていた。加代子から、その金は、アメリカの加代子の財産管理会社から送らせるとの話も断り、美術館ではなく、愛染明王さんを敬う、加代子教とか言う宗教団体を作る計画にした。美術館を作るよりも、税金が下がった。愛染明王さんホテルカヨコ記念美術館ではなく、加代子教のお寺にした。そして今回増設するニコニコホテルも、加代子教の宿泊設備として、運営料はニコニコホテル福岡に払うものの、金は取らない設備にする事にした。こうした一連の加代子教創立の金は、莫大だった。当座の運営費なんぞも出していたので、莫大な金になった。カヨコジャパンは、ドーンと加代子教に寄付する事にしたし、仏像や掛け軸も寄贈する事にした。宗教法人への寄付は、社会福祉法人への寄付とは別枠だった。莫大な神之助からの利益を中心とした今年の利益は、エンジェルホープジャパン病院への寄付、加代子教の一連の施設に使う事で、ごっそり減った。社会福祉法人への寄付は、利益の中で定められた範囲でしか出来なかったが、宗教法人に対しての寄付とか寄贈は、そうした制限もなかった。カヨコジャパンの払う税金は極端に減った。慌てて出来た加代子教だったが、お寺の拝観料も取らず、宿泊設備の宿泊料なんかも取らなかった。それは、加代子教の宗教活動と言う事になった。何しろ加代子教は、愛染明王さんにご縁を求め、心と体を休め、充実した心と体になって、社会に奉仕していこうという社会福祉団体みたいな宗教団体だった。エンジェルホープジャパン九州第二病院の診察とも連絡を取る事になっていた。遠くから診察を受けに来た人には、このホテルで休んで貰う事にもしていた。病院の休憩室や宿泊設備みたいなホテルでもあった。加代子教の教祖の筈の加代子も知らない内に、宗教法人の構想が進んでいた。美術館の職員になる予定の人は、加代子教の僧侶に変更された。する仕事は同じだった。愛染明王さんのお経はあったが、加代子教独自の経典さえもなかった。愛染明王さんへの信仰が出来た背景を理解してもらって、みんなにそのご縁を受けてもらう事だったので、同じと言えば同じだった。設立趣意書を書く奴は、誰も反対できないような綺麗事を並べ、当座の運営に必要な金は準備している。みんなからは、お気持ちだけを頂くが、決して強制的な対価ではない。運営に必要な金額にはなる筈もない。だから宗教法人にする必要があるとかを強調した。加代子は説明を聞いて笑ったが、神三郎は宗教法人と言うのは、理解できなかったが、それでも病院に診察にくる人が、ゆったり出来る施設である事は判った。待合室で長い間待つのではなく、そうした設備でのんびり出来るのはいい事だし、遠くから診察を受けにくる人にも、宿泊設備を使う事ができた。ニコニコホテルは、リーズナブルの価格とは言え、金は取られた。今度は、お金のない人からは、お金は取らない。愛染明王さん基金みたいなもので、遠くからお参りにくる人の補助と言う形を取り、病院から申請があれば、診察にくる人の交通費援助まですると言われた。エンジェルホープジャパン九州第二病院には、電話相談室まで作り、症状を聞き、交通費がなければ金を送る事まで出来るようになった。神三郎が反対する理由はなかった。

加代子教は、信じられない程の速さで認められ、加代子教のお寺と加代子教の宿泊設備が出来た。九州近郊では、多くの人がエンジェルホープ九州病院に行っていた。何も近くの人だけではなかった。医療費がただでも、行くのには、交通費も宿泊料もかかった。それを援助しようとする宗教団体を断る人はいなかった。カヨコジャパンの運営者たちが、特に善意の人ではなかった。カヨコジャパンの収益構造を、運営利益から配当利益に転換するのには、時間がかかった。あまり焦って転換すると節税対策が見え見えになってしまう。それでなくても、目をつけられているカヨコジャパンだった。裁判沙汰になったら、余計金がかかる。みんなが予想もつかない発想が、加代子教だった。加代子教の運営費は余裕を持たしたが、それでも当分は寄付していかないといけない事と思っていた。当分はこのやり方でしのいで、やっぱり運営できませんとか言って、宿泊設備をホテルに戻し、加代子教のお寺も、美術品を宝物館に入れて、拝観料を取ればいいと思った。その間に、カヨコジャパンの収益を配当から貰えるように、じっくりと転換していくつもりだった。カヨコジャパンのズル賢い連中は、節税効果に連動して、報酬も結構貰っていた。

そんな計画だったが、それもやっぱり計画は計画だった。交通費補助と言うのも、神三郎や加代子を説得し、宗教法人の許可を取るための、いわば飾りだった。ナンダカンダと本人確認の手続きとか色々な手続きが必要な事にして、金を出さない積もりだった。ズル賢い連中は、そんな金はドブに金を捨てるようなものだと知っていた。詐欺師に餌をやるようなものだとも考えていた。電話相談で過大な症状を訴え、交通費や宿泊料が要ると言って、ネコババする奴も出てくる。補助する金額もドンドン増える。しかし神三郎は、電話相談した人には簡単に援助するように求めた。

そんな時に加代子のアメリカの会社の責任者が、ビットタロウに話を聞きに来たり、神之助やリトルチャと連絡を取ると称して、盛んに来日して、加代子の家に泊まるようになった。奥さんまで連れてきた。奥さんは、グランドリトルキャット製品が欲しかったし、洋蘭も好きで、敷地内に来たかった。加代子の広い家は、高層階にみんな住み、二階や三階は来客用の広い部屋がある不思議な家だった。来客用の部屋は広かった。普通のホテルのスイートルームみたいなものだった。高杉夫妻まで、加代子の家に一緒に住んでいた。敷地内では飯は旨いし、やたらと元気になり、頭も冴えた。掃除や家事はニコニコサービスがしてくれた。奥さんは気に入った。ビットタロウ理論に基づき、時々勝負していたアメリカの会社の責任者ではあるが、そんなに毎日のように勝負はしなかったし、今はネットもあったので、敷地内から指示もだせた。アメリカの加代子の会社の責任者は、広大な屋敷がアメリカにあるのに、敷地内の加代子の家に居候みたいな形で住む事が多くなった。加代子のアメリカの会社でも、エンジェルホープ病院が中小都市に展開して、その不動産開発を手がけていた時でもあり、不動産チームが来日したり、商品相場チームや債券チームまで来日したりしていた。そんな打ち合わせも結構あった。アメリカの会社の責任者と言っても、カヨコジャパンは形の上ではカヨコファイナンシャルの子会社なので、カヨコジャパンの役員でもあった。カヨコジャパンにも時々行った。カヨコジャパンのズル賢い連中は、アメリカの加代子の会社の責任者なら、自分達の危惧を判ってくれると思って、神三郎を説得してくれるように頼んだ。ところがアメリカの会社の責任者に取っては、そんな金で文句を言う連中の神経を疑った。一緒に住む事が多くなって、加代子は神三郎の言う事は尊重してなんでも聞く人だと、肌で実感していた。アメリカの会社の責任者は簡単に言った。神三郎さんの言った通りにしなよ。赤字になったら、その時に考えればいい。大した金額じゃないんだろ。神三郎さんの言う通りにして大きな赤字が出れば、カヨコファイナイシャルがドーンと出資してやるよ。セコイ事を言って、加代子さんのご機嫌を損なうと、お前達の地位も危ないよ。元々、カヨコジャパンは神三郎さんの病院を作り、補助するために出来た組織だよ。私でさえ、加代子さんの言う通りに、こんな莫大な金を出して、カヨコジャパンを作ったんだよ。あの時の加代子さんは怖かったよ。加代子さんの金銭感覚は、普通の人には違うんだよ。物凄く金を儲けるから、セコイ金を惜しむ奴には冷たいよ。そんな金を惜しんで、首になっても、私は、かばってやる事なんてしないよ。加代子さんは本当は怖い人なんだよ。ボーとしているようで、大胆な事も平気でする人なんだよ。会社をバラバラにして、資産を叩きうる事まで、本当にしようとする人なんだよ。出資しているアメリカの会社の経営陣は、みんな骨身に染みて知っているよと忠告した。ズル賢い連中も高給のカヨコジャパンの役員の地位は大切だった。神三郎の言った通りにする事にした。

ところが世の中にはズル賢い連中だけがいる訳でもなかった。確かに交通費や宿泊料の送金を受けて、こない奴もいたが、元気になって、財団に仕事の斡旋を受けたりして、ボツボツではあるが、お賽銭として返す人もした。ある詐欺師集団が、交通費を騙し取ろうとして、過大な症状を訴え、交通費と宿泊料を貰ったまではいいが、本当にその症状になり、病院に担ぎ込まれたという噂も流れた。加代子教のお寺の賽銭は結構あった。お気持ちだけと言われた宿泊設備の客も、やっぱりそこそこ出した。宿泊設備も温泉を引いたり、例の安くて美味しいケーキやデザートを出し、美味しいコーヒーや紅茶も出した。金に困っている人も多かったが、そんなに困っていない人もやはりいた。ズルして出さない人もやはりいたが、それでも出す人もいた。お寺にお参りにきて、ズルしてケーキやデザートを食って、コーヒーや紅茶まで飲んで帰る人は、やっぱりそんなにはいなかった。愛染明王さんは変幻自在、融通無碍に助けてくれるが、怒ったら怖い仏様とも説明を受けていた。病院に来る交通費や宿泊料の援助申請も結構あった。お寺の宿泊施設のような設備ではなく、従来のニコニコホテルに泊まる人もいた。ズル賢いカヨコジャパンの経営陣には、予想もしなかった事が起きた。加代子教に、お賽銭どころか、寄付がきた。カヨコジャパンだけしか、そんな怪しげな宗教法人に寄付するような奴などいないと思っていたが、それが外れた。カヨコジャパンは、ドーンと大きな基金を加代子教に持たし、それでも足りない分は寄付していくつもりだった。初年度は、その計画通り進んでいたが、ボツボツ寄付やお賽銭が、あつまり出した。二年目、カヨコジャパンが予定通り、ドーンと寄付したら、加代子教の愛染明王さん基金は、当初の基金より増えてしまった。いくら宗教法人といっても、やはりドンドン基金が増えていると、宗教法人とは言いながら、一体組織のようなカヨコジャパンから、寄付を続けるのは、節税行為みたいに思われると思い、加代子教の基金の状況を見ながら、寄付する事になった。それに、カヨコジャパンのホテル部門として、子会社としてカヨコジャパンホテルシステムを作って、運営ではなく、配当として貰えるようにした。加代子がニコニコホテル福岡にドーンと預けていたお金も、使い方を全て任せると言ったやり方があまりにも昔風だったので、このカヨコジャパンホテルシステムのお金を、ニコニコホテル福岡に委託しているお金として、ニコニコホテル福岡がホテルを作ったり、ニコニコサービスを展開する時の出資金として預ける事にした。加代子教の宿泊設備の建設費や当座の運営費は、カヨコジャパンが新しく準備していた。それが宗教法人設立には必要だった。結局かなりの金額は、ニコニコホテル福岡に預けたままになった。


「愛染明王さんを敬う加代子教が出来たらしいよ。恵教の信者の人たちでも話題になっているよ。社会福祉型の宗教法人でね、している事は、社会福祉なんだけど、上手に宗教法人になったみたいだね。税金が全然違うんだよ。ホテルも宗教法人の宿泊所にしてね。非営利行為とか言う形にしてしまったよ。病院に診察にくる人や家族の人に宿泊設備を提供しているけど、信者がお参りしやすいようにする事が建前なんだよ。料金の替わりに、お賽銭をお気持ちだけ出して欲しいとか言っているらしい。もう一つのニコニコホテルの料金は、ちゃんと決まっているから、多くの人は、その金額をお賽銭にしているらしい。よく考えたものだよ。ウチの財団の法律ゴロみたいな奴らも感心していたよ。でもみんなには、役にたっているみたいだよ。お金のない人が病院に来ても、ただで泊まって、飯も食える事からね。お金のない人には、交通費まで出す事もあるらしい。」
香奈「あれは、究極の節税対策なんだよ。神之助君がやたらと儲け出した時に、愛染明王さんのいい仏像を、美術商のおっさんが結構な値段で手に入れて、加代子ちゃんに紹介したんだよ。加代子ちゃんは直ぐに買って、もっとないのとか聞いたらしい。高値で売れるからといって、ドーンと出てきたら、いいものはみんな加代子ちゃんが買ってね。一杯集まったから、美術館にしようと思っていたらしいけど、カヨコジャパンの奴らが、節税対策を必死になって考えて、加代子教になったらしい。恵の財団の法律ゴロみたいな奴らは、所詮、一定の月給がでる役人の発想だろ。カヨコジャパンの奴らは本当のプロだよ。考えて節税してナンボの奴らなんだよ。やる事が違うのよ。神三郎君の手前、病院に来る人も、お参りにくる信者だとか言って、サービスしているらしいよ。美術商のおっさんも言っていたよ。愛染明王さん関係の目ぼしいものは当分でないだろう。あそこまで集まるとは思わなかったと言っていたよ。すべてさらったみたいなもんだと言っていたわ。加代子ちゃんは、やる時はとことんやる人だよ。考えている金額の桁が違う人だからね。」
「香奈さんも、お不動さんでは同じではないの。」
香奈「私は、ぼつぼつ集めていたよ。お不動さんから声が聞えてくるような気がする時だけに買っていったんだよ。真理さんのお地蔵さんも同じだと思うよ。まあ本当に欲しい時には少し強引な事を、あのおっさんも商売だから、していたみたいだけどね。神之助君たちの大元帥明王さんは、珍しい仏様だからね。神之助君たちが、何かいいものは出ないのかといつも言っているけど、そんなには出ないらしいよ。大元帥明王さんが教えてくれる事の方が多いらしい。愛染明王さんも珍しい仏様だけど、まだ大元帥明王さんよりは多かったと云う事だろうね。」
「まあ、動機がどうであれ、いい事だよ。財団の奴らも言っているよ。加代子教は医療中心の活動だけど、九州の財団も医療以外の事で協力もしているし、医療では協力を求めたりしているよ。あの都市では財団の地域病院の代わりみたいになって、財団の活動もやり易くなったらしいよ。」

ニコニコホテル福岡は、この都市のホテルは満員続きで、運営費補助なんかは必要でもなかった。悦子と相談して、新規法人を作ると税金も安くなるので、全九州にそれぞれ子会社を作り、ホテル展開をしたり、ニコニコサービスの展開を行う事を考えた。あの都市での成功例を聞いて、色々な都市から、ウチでも心と体を休める宿泊設備を作って、エンジェルホープ九州病院の診療所でもいいから、作って欲しいと頼まれていた。病院とも連絡を取りながら、少しつづ展開する事を考え出した。

しかし、問題もあった。 ニコニコホテルは、そんなに資金は豊かなホテルチェーンではなかった。儲けはそんなに馬鹿にしたものではなかったが、採算ラインの客室稼働率は、冶部ホテル、エレガントホテルよりも高かった。冶部ホテルは高級ホテルなのに、実際の客室稼働率は高く、やたらと儲けていたが、同じ客室稼働率でもニコニコホテルはエコノミーホテルに徹して、採算ラインとの差はそんなに大きいものではなかった。その上、ニコニコホテルは、初期投資を押さえるために、家賃を払う事が多かった。毛利ビルが作ったビルを借りて、ホテルを営業する事が多かった。確かに初期投資は押さえられたが、反面、利益はもっと薄くなった。悦子はソフトサービスの充実に努め、投下資本を押さえ、人的資本の充実に努めた。要するに、雇用している人は多かった。ニコニコサービスは成長したが、その反面、雇用している人は増えた。固定経費の多い組織でもあった。悦子はニコニコホテルの資本は、土地やコンクリートではなく、人だと思う人だった。確かにサービスも充実して、ニコニコサービスは伸びていた。ホテルのスタッフも充実していた。悦子は人を大事にした。コツコツと貯めた利益は、たとえ何かあっても、雇用している人の月給を長期間払いつづけるだけの金を準備金を持っている事にしていた。働いている人にも、ニコニコサービスやニコニコホテルの株を少しでも持ってもらい、利益は、配当、内部保留、働いている人への還元に分ける、冶部一族伝統のやり方もしていた。内部保留の金も雇用している人への月給を何かあっても払いつづけられるように、雇用準備金といった形で貯めた。そうすると、自由に使える金は大した事はなかった。しかも悦子は借金してまでも、ホテル展開する気持ちもなかった。開業当初は、ジブからは無利子で金を借りていたが、それさえ嫌っていた。ある程度経つと、その借金は新しい増資としたり、一部は返済して、その後は、コツコツと利益を積み重ねていた。利益は薄く、固定費というか人件費も多く、家賃まで必要だった。そして借金を嫌っていては、ホテル展開などは広がる筈もなかった。それに、大きな初期投資が必要ではないソフトサービス、つまりニコニコサービスに悦子の関心は向かっていた。そしてニコニコサービスでも小さい利益を積み重ねていた。堅実といえば堅実だったが、ホテルは、ドンドンと広がってはいなかった。あの都市では複数のホテルを運営したが、カヨコジャパン、毛利九州観光、加代子教の所有するホテルだった。そんなホテル展開も可能となるには、エコノミーホテルなのに、ニコニコホテルは、雇用している人が多く、人の遣り繰りがついた事もその原因でもあった。勿論新規雇用もしたが、中核となるスタッフは、既存のニコニコホテルから、派遣してもらっていた。既存のニコニコホテルに人が豊富だった。逆にいえば、固定費の高いホテルチェーンがニコニコホテルだった。

冶部ホテルの人件費はもっと高く、ベルボーイでも高給な人も多かった。それぞれの仕事にはそれぞれの報酬体系があり、何もマネージャーが飛び切り高く、パートやアルバイトを数多く雇い、人件費圧縮をしているホテルではなかった。それぞれの仕事に誇りを持てるような報酬をだしていた。それぞれの仕事は、名人のような人たちが担当して、高級ホテルに恥じないサービスをしていた。そうしたサービスが前提で、客室稼働率も低く設定していたのが、冶部ホテルだった。冶部ホテルは、各地の冶部ホテルの不動産もほとんど、持っており、借金もしなかった。冶部ホームホテルなどのような経緯のあるホテルだけが、運営料をもらって運営していたし、名古屋冶部ホテルでは地代を、マチコジブ記念不動産に払っていたが、例外といえた。運営といってもその運営料は、俊子が考える冶部ホテルとしてのサービスを維持できる水準の金を取った。決して半端な金でもなかった。そしてそれを超える利益から一定の利益報酬比例の金も取った。結果として、冶部ホテルの利益も凄かった。俊子は、冶部本家の中興の祖ともいえる亡き洋之助の直弟子みたい人だったので、働いている人には、報酬なんぞはケチらずだしたが、冶部ホテル内では、多様な形で、子会社化しており、簡単に冶部ホテルと云っても、子会社が積み木のように積み重なり、その金を出資している管理会社群なども入り乱れていた。今回の配当課税を下げた効果は冶部ホテルでは、多いに享受していた。ただ冶部ホテルは、ある程度の数になった時点で、ホテルの数を増やさなくなった。これは、もう高級ホテルがそんなに数を増やしても、潜在的な顧客数が限定されていると思った俊子の判断だった。これは、ホテル内部でのポストが限定されると言う事にも繋がった。ホテルに入社したら、ほとんどそのまま入社した時の同じ職場で、同じ仕事をする事になると言う事でもあった。俊子は、それぞれの仕事でも、報酬体系を決めて、同じ仕事をしているようでも、報酬を上げて行く体系を取って、それぞれの仕事に誇りを持ってもらえるようにした。冶部ホテルそのものは、洋之助の流れを組む一族の財産管理会社でもあったので、ナンタラオプションと言って、働いている人に株式を与える事はできないので、報酬を高くした、それでもかなり高い地位になると流石にほんの少しだけ、冶部ホテルの子会社の株を買ってもらう事はした。それにも子会社は必要だったし、冶部ホテル内部では、一つ一つの仕事が全て一つの子会社みたいになり、子会社の乱立みたいな事もしていた。ある程度経験を積むと、それぞれの子会社では、なんとか待遇にもした。熟練のベルボーイは、若手のフロントなんぞよりも高給だったし、タントカ待遇の結構偉いさんでもあったので、ベルボーイなんぞと、フロントが気安くは呼ばないようにした。熟練のベルボーイは、多くの古くからの顧客の嗜好や癖なども頭に入っており、古くからの顧客とは友達みたいな間柄でもあった。それは客室サービス、レストラン、バンケットなどの分野にも言えた。それぞれの部門で、最高のサービスをして行けば、それなりの待遇と、冶部ホテルの利益に比例して、報酬を上げていた。頭デッカチみたいな組織ではあったが、最高のサービスを維持し更に発展させ、みんなの工夫を生かして、ホテルを充実させていくのが、俊子のやり方だった。これが成功して、冶部ホテルはみんな名人級の人が各部門にいて、誇りを持って仕事をし、冶部ホテルの名声は更に高くなり、みんなの報酬も高水準で、冶部ホテルの利益も高水準だった。

悦子は、冶部ホテルの役員でもあったので、そんな冶部ホテルの仕組みも良く知っていた。それは理想ではあったがエコノミーホテルでは、やはり人件費も押さえなければならなかった。冶部ホテルみたいな報酬を出す事も出来なかった。エレガントホテルは、実力主義で、それぞれのホテルのゼネラルマネジャーの権限を高め、利益比例の金を出し、ホテル運営のかなりの権限を与えていた。海外のホテルも多かったので、そんな人事体系も必要だった。いくつかの子会社のような各ホテルが切磋琢磨して儲けていた。利益が上がらないゼネラルマネージャーは、当然首になった、利益が上がれば、報酬も増えた、各ホテルの従業員の報酬の基準はあるものの、有能な人は、違うホテルに転職したりする事もある世界でもあった。冶部ホテルのような人事体系も取れず、エレガントホテルみたいな実力主義でもないホテルが、ニコニコホテルだった。悦子は、働いている人への還元も重視していたが、そんな金、金と云う利益目標もなかった。よく言えば日本的でもあったし、はっきりしない会社でもあった。金はそこそこあっても、人を多く雇用しているので、準備金も多く必要だった。もし何かあったら、雇用している人の月給すら払えなくなるのでは話にならない。ニコニコホテルには、大きな投資は押さえていた。ニコニコホテルは、人への投資はして行ったが、冶部ホテルのように各部門を独立させたり、ナントカ待遇にして、高給を出して行ける程の利益もなかった。ただニコニコホテルなりに利益に応じて、働いている人の報酬を上げていっていた。ニコニコサービスは、それでもサービス拠点が少しつづ増え、ナントカ支店、ナントカ営業所などと言ってポストも増えて、地位もそれなりに上げたり、ナントカ待遇も作っていった。ただホテルは数も増えなくなっていた。家族的な会社だったし、辞める人も少なかった。ポストは限定的であった。報酬も悦子は、会社の利益に応じて上げてはいったが、冶部ホテルみたいな高給とはいえなかった。

それがあの都市では、始めは加代子の依頼でホテルを作り、毛利九州観光のホテル、最後には加代子教の宿泊設備まで、運営する事になった。ニコニコホテルの福岡が担当していたが、ホテルが増えるにつれて、ニコニコホテルの各ホテルにも応援を頼んだ。つまりニコニコホテルの各職場では、ナンタラマネージャーと言ったポストが、ホテルの数だけ増えた。従来のように辞めていった人の穴埋めとか、退職した人の穴埋めではなかった。ましてナントカ待遇でもなかった。みんな自分の工夫で、それぞれのホテルやレストランなどを運営できた。ニコニコホテルでは、活気付いていた。あの都市のホテルは好調で、ニコニコホテルの福岡には利益も入っていたが、それ以外のホテルでも、当然応援に行った人の後任に新しい人がつき、それぞれの工夫に応じて、自分の職場を運営していっていた。悦子は、ボンクラでもなかったので、ニコニコホテルが元気になった事は判っていた。

あの都市でニコニコホテルの運営していたホテルでは、今までのみんなに使いやすいホテルにすると言うだけではなく、「心と体を休めるホテル」という建前がはっきりしていた。それは、働いている人に取っても、働き甲斐がある事だった。地位や働き甲斐もでき、報酬もそこそこなら、みんな元気になるのは当然だった。それにニコニコサービスの連中にとっても、母船みたいなニコニコホテルが地域にあるのとないのとでは、やっぱり違った。悦子は、よく考えて、今のニコニコホテルで、人の遣り繰りがつく範囲で、カヨコジャパンホテルシステムズと合弁で、心と体を休めるホテルをコツコツ作って行こうと考えた。ただニコニコホテルには、そんな自由に使えるお金がフンダンにある訳でもないので、カヨコジャパンホテルシステムズから預かっている今のお金を多く出資してもらう形にして、ホテルを作る事にしようと思い、加代子に一応了承を求めた。加代子は、カヨコジャパンホテルシステムズの事は、節税対策のために、カヨコジャパンの連中がややこしく言っていたので知っていたが、そんなに詳しく知ろうとは思わなかった。そもそもドーンと運営補助としてお金を預けた事すらもう覚えていなかった。ホテルは既に建って、運営もされていた。そこで加代子にはそれで終わった事だと思っていた。全身全霊で相場に打ち込む前の話だった。あの時に加代子が動かした金は天文学的な金だった。加代子が預けた金は、大金ではあるが、お仕事で加代子が扱う金とは何桁も小さい金だった。悦子の言っていた「心と体を休めるホテル」にして、神三郎の病院や恵の財団と協力しながら、事業を進める事には理解を示した。神三郎もそんな事には、喜ぶと思った。既に預けていた金を使う事とは思わなかった。カヨコジャパンに余っている金、つまり利益相当分の金を全部新しく、そのホテル事業に出資しろと言った。

カヨコジャパンの連中は、驚いた。加代子教を作ったり、病院をドーンと作り、画期的な節税工作をして、利益もガクッと減らし、税金も下げたが、翌年には、神之助や神子に預けた、運用委託していた金からの利益が依然としてドーンと出ていたし、まだ神之助や神子との話はそんなに進んでいなかった。何しろ無理に預かっているようなものだので、そんなややこしい事を言うなら、みんな返すと言う事を言いかねない二人であった。加代子教への寄付もそんなにもうそんなに出来ないし、エンジェルホープジャパン病院にも寄付できない時であった。新規投資枠での控除は、利益の一定範囲だけだった。ドーンと一気に投資しても全額控除してもらえる訳でもなかった。それでも加代子が直接命令した事に反論すると、やっぱり怖いので、悦子に相談した。悦子は今度のホテル事業も、拠点を整理し、神三郎のエンジェルホープ病院や恵の財団とも調整して、人の遣り繰りもみながら、事業計画を立てると説明した。今度は合弁会社とするので、その準備もいるので、みんな一斉に開業するなんてとても出来ないといった。カヨコジャパンの連中は、今年、控除が可能だと推定される金額をカヨコジャパンとして別に出資し、カヨコホテルシステムズも税金の控除可能な範囲で出資し、新しいホテルの会社を、カヨコジャパンとして手続きを代行する。ニコニコホテルからの出資は出来る範囲でかまわない、我々が思うのは、それぞれのニコニコホテルの利益の中で税金の控除限度内で、ニコニコサービスの新しい事業に出資する必要があるなら、それを引いた金額がいいと思うと言った。運営や建築なんぞの実務的な事は全て任せる。合弁会社でも今まで通り、運営料をニコニコホテルが取る形でいい。加代子さんに説明するのに、何か形が欲しい。その代わりにぜび一つのホテルだけは、早急に作って欲しいと言った。

悦子はカヨコジャパンの連中がなぜ急ぐのだろうと思いながらも、ニコニコホテル福岡の連中にその旨を伝えた。ニコニコホテル福岡の連中は、ナンダカンダと計画を既に立てていた。まだ悦子には相談せずに、色々とエンジェルホープ病院や恵の財団の九州地域本部まで話をしていた。ホテルの一階には広いロビーを作り、花と緑のあふれた空間にして、レストランや喫茶店もおき、みんながゆっくり出来る空間を作り、二階には、エンジェルホープ病院の診療所みたいな相談室や財団の相談室を作り、地方自治体の協力も得て、地域健康センターみたいなものも入り、広い庭には池を作り、エンジェルスターやパワースターも植え、ゆっくり散歩できるようにして、三階と四階には各種の会議場をおき、地域の人も入れる広い屋上浴場もつくり、その間にリーズナブルな客室を作る。ウチに作ってくれと言う地方自治体とまで交渉していた。その地域健康センターみたいな構想に感心した、ある地方自治体は、偶然あった広い地方自治体の用地まで安く提供するといっていた。

カヨコジャパンは、大急ぎでその計画を進めて貰う事にして、新しいホテルの会社を作った。ただカヨコジャパンのズル賢い連中には、そんなホテルが儲かるとは、とても思えなかった。レストランも単価は安そうだし、自治体に貸すと言ったその広い空間も大した金は取れない。会議室だって、そんなに需要もなさそうだった。客室もそんな田舎では大した客もこないので、需要もない筈だった。九州のあの都市は、リトルキャット系列の企業も大きな工場を作り、不動も工業団地を作っていた。それに観光施設もあった。ビジネス客も増えたし、観光事業もどんどん進んでいた。そんな都市だから、複数のホテルも儲かる事もできた。あの都市とは、まったく違う筈だと思った。収益見通しがまったく立たないような気がした。そんな冷静な判断もしていたが、加代子対策を優先した。ただエンジェルホープ財団としては、金もあったし、病院を運営するエンジェルホープ財団とカヨコジャパンは一体みたいなものだったので、診療所みたいな相談室を広く取って、家賃も相当払う事にした。当分利益も出そうにないので、準備金も多くした。神之助や神子の稼ぎは大きかったので、そんな金は十分出せた。連中としては、最悪、エンジェルホープ九州病院の分院にする事まで考えていた。そんな事を考えているとは、まったく知らん顔をして、 加代子には、ホテル開業には、準備もいるし、今後とも出資を続けて行くので、今年度はこのホテルだけ出資して、建設すると報告した。加代子はホテルの事は判らないので、それを認めた。ただそのホテルには、愛染明王さんをお祭りしたいと言った。あの美術商のおっさんにも頼んでみるけど、入手できなかったら、加代子教のお寺から、仏像を運んでねともいった。

カヨコジャパンの連中には、何の関係も損得もなかったので、美術館みたいな加代子教のお寺に、連絡した。お寺では、どの仏像にしようかと考えていた。お寺の愛染明王さんには、直ぐに判った。お寺の愛染明王さんたちは、みんな仲良く、お供えのものを食べて、みんなで話したり、お茶を飲んだりしていた。夜には、こっそりみんなでスポーツもしていた。みんなと離れたくないと思った。みんなで相談して、もっと仲間を集めようと相談した。やっぱり一人では寂しいので、仏像と掛け軸程度の愛染明王さんを探す事にした。今度は、その地域の代表みたいなものになるので、その地域に関心がある愛染明王さんがいいと思った。早速応募者がいた。愛染明王さんの世界では、加代子教は愛染明王さんを大事にしてくれる事で有名だった。その地域に関心のある愛染明王さんもいた。あのおっさんに、愛染明王さんの仏像と美術品を頼むと、もう当分出ない筈の愛染明王さんの仏像と掛け軸が何故か直ぐに手に入った。結構高い値段だったが、加代子は直ぐに買うと言った。カヨコジャパンの連中は、加代子から話を聞くと、加代子に媚びを売ろうして、ナンダカンダとも言わず、直ぐにカヨコジャパンとして購入して、そのホテルに御祭りする事にした。

結局、そのホテルにはエンジェルホープ九州病院の診療所みたいなものと加代子教の支部みたいなものが出来、加代子教の支部は愛染明王さん基金の受け付けデスクみたいなものになった。エンジェルホープ九州病院の診療所で診察してもらって、本院や第二病院に行く必要がある人には、交通費などを援助する事になった。医療相談以外の事は手に余ったので、恵の財団に相談した。地域健康センターみたいなものとも相談して、ナンダカンダと公的福祉の事も相談した。

地方自治体の支部みたいなものでもあり、医療機関のようなものでもあり、恵の財団支部みたいなものでもあるホテルが出来た。しかしカヨコジャパンの連中の予測した通り、今度はホテルとしてはそんなに繁盛したとは言えなかった。やっぱりホテルとしての営業としては、客も少なく、会議室を使う人も少なかった。しかし医療機関としては、遠いエンジェルポープ九州病院の出先機関のような診療所で、 直ぐに大きな病院にも連絡を取ってもらえるし、金がなければ、交通費や宿泊料まで出してくれる診療所みたいなものだった。当然直ぐにお客と言うか、患者が来た。愛染明王さんも加代子教がそこそこ有名になっており、交通費や宿泊料を援助するのは、加代子教の宗教活動の一環でもあり、やはりお客と言うかお参りする人が増えた。レストランは、喫茶店みたいなものとしては繁盛した、安くて美味しいケーキやデザートが食えた。そして喫茶店みたいな使われ方だけでなく、地域の代表的なレストランにもなった。そうすると、会議室は結婚式やナンダカンダと催し物などにもボツボツと使われ出した。客室はそんなに埋まらなかった。ホテルとしては、それなりに家賃も貰い、レストランも結構使われていたが、赤字だった。会議室が使われ出すとその赤字も微妙に変化してきた。いわゆるバンケットの収入が結構客室収入を上回るのが、ホテル業界でもあった。ニコニコホテルのバンケットの利益率はさして高いものでもなかったが、すこしつづ黒字に近づいてきた。もっとも投資金額を回収できるなんぞと言うレベルではなかったが、カヨコジャパンの連中が思った程の大赤字ではなかった。そしてその田舎には、さしたる産業もなく、さしたる観光名所もなく、人口もそんなに大きくなかったので、客室が満員になる事なんかはないと思われたが、大きな赤字が出なければ、カヨコジャパンのズル賢い連中としては、それでよかった。節税対策のつもりで、あの都市に加代子のいいなりにホテルを複数建てたり、加代子教まで作ったが、節税対策のつもりだった。あの都市のホテル事業が思わぬ儲けをして、それが狂ったが、それらのホテルの黒字の範囲であれば、カヨコジャパンの連中にとっては都合が良かった。そして、一年毎に少しつづ、ホテルを増やしていく従来の方針を持続する事にした。元々カヨコジャパンの経営陣の報酬は利益比例ではなく、節税比例による利益体系だった。カヨコジャパンは、加代子の資産を預かり、その資産を神子や神之助に運用委託して、その利益がその収入なので、いかに節税したかで、報酬を貰う連中だった。利益よりは、節税の効果を出して、ナンボの連中だった。

レストランではそれなりに繁盛していたので、食べ残しなども出た。それを狙って、野良猫たちも寄ってきた。ニコニコホテルの連中も、猫ハウスの事を知っていたので、リトルキャット財団に連絡した。リトルキャット財団は、リトルキャット運用会社が運用だけでなく、チャタロウの実業グループ、リトルチャの金融グループ、貴金属勘定のチームなども儲けていた。法的には、やっぱりこれらのグループも、リトルキャット運用会社の子会社であった。リトルキャット基金が独立しているといっても、それは、正人と猫たちとの間の取り決めで、やっぱり子会社だった。それぞれは、配当を出せば、税金も安くなるので、リトルキャット運用会社にはそこそこ配当を出した、海外の子会社は、海外の税制だったので、内部保留を高めたりしていたが、国内ではやっぱり配当を出した方が税金は安くなった。それぞれのグループが儲けていたので、リトルキャット財団には金が貯まっていた。コネコネットや通信教育のためのインフラ整備、各地の猫ハウスの維持などに金は使ったが、入ってくる金は多かった。各地で猫ハウスを作っていたものの、地域猫、いや野良猫は自由な暮らしをしていて気ままな暮らしをしていた。ここが猫ハウスと言ってもなかなか信用もしなかった。喧嘩しないように、餌も一杯あちらこちらに置いたりしても、それでも喧嘩する猫たちもいたり、餌を食って、さっさと自分のねぐらに帰る猫たちもいたり、猫たちのおしっこに悩むご近所のいざこざもあったりして、猫たちが猫トイレを覚え、分岐状の水やリング状の水を一杯飲んで、賢くなり、猫ハウスが猫ハウスとして完全に猫たちの信用を得るのは時間がかかっていた。猫たちは、香奈の家の猫たちと違って、あんまり水を飲まなかったのも、原因だった。ナンダカンダと各地の猫ハウスは苦労していた。香奈の家は別格として、北九州では広い土地を猫牧場にしたし、九州でも広い土地を猫ハウスにして、猫たちものんびりしていたが、猫たちが多くいるのは、北日本の猫牧場と九州の猫ハウスと言えた。地域猫の保護の人たちとも協力をしていたが、地域猫保護の人たちが猫の不妊手術などを言い出して、リトルキャット財団とは完全に相容れない点もあった、少子化に悩む香奈の家の猫たちには、不妊手術は、猫族にとってジェノサイド計画にも思えた。

香奈の家の猫たちは、誰も死なないので、増えてはいたが、実は子供、いや子猫たちの数が減っていた。香奈の家の離れには、猫離れが何軒も建ち、猫ビッフェまで完備していたが、子猫の姿はあまり見かけなかった。庭はまたまだ、大きく空いていたのに、猫離れの新設の計画はなかった。猫離れはドーンと大きなものを作っており、まだまだ十分なスペースがあった。猫は小さくなって寝るので、そんなに大きなスペースは必要なかった。ココやチャは配偶猫と死に別れて、子供、いや子猫たちも少なかった。リトルチャは、五人、いや五匹、チャタロウは、六匹の子猫がいたが、そんな子猫たちを持つ猫は少なかった。生まれてくる時も多い時でも精々二匹程度になり、二回も出産する事は稀になった。まったく生まれない事も多かった。配偶猫も外部からつれてくる事も減ってきた。香奈の家の猫たち同士で結婚したりする事も、ラッセルタロウとプーチンハナコの結婚以来増えてきた。直系以外のいとこなら、結婚しても問題ない事になった。つまり、チャ系統とココ系統の間の結婚は、当然認められた。ココ系統やチャ系統同士でも、条件により認められた。外から配偶猫を連れてくる事もガクッと減ったので、外部からの猫の流入も減った。たまに生まれる子猫たちは、何故か、飛び切り、更に頭の良い猫が生まれていた。外部の猫では、余程、頭のいい猫でないと、香奈の家の猫たちと話も合わなかった。そして相手が結局見つからない猫たちもいた。これは、猫の脳が高度に発達してきて、性衝動がガクンと減り、人間では子宮膜への受精卵の定着率を上げる効果をリング状の水は持つが、猫ではすべて脳細胞の発達に使われて、その効果は低かったし、異性を求める衝動も減ってきた事も原因だった。それに周りはみんな親戚みたいになり、友達以上の関係は出来にくかった。仲が良くても、友達以上、恋人未満の関係も増えた。猫たちは、大学院大学とかジブ総合研究所で、更に高度の学問や技術を研究するので、更に脳細胞が刺激され、リング状の水の効果は脳細胞の充実に使われ、性衝動、つまり異性を求める衝動は更に減少していった。結婚よりは勉強しようとする猫もいて、猫たちの婚姻率自体も低下は著しかった。それでも結婚する猫もいたが、結婚しても子猫が生まれないメス猫も多くいた。頭も良く、大学院大学やジブ総合研究所で活躍していても、珍しく子猫が生まれて、子猫と寛ぎ、親子で牧場を散歩したり、植物園なんかを見に行く親子づれの猫たちを横目にみると、寂しい気分になっていた。そうした不妊に悩むメス猫もいた。リトルチャは人間相手に心理的なケアーをしていたが、猫たち相手でも心理ケアーをする事が必要になっていた。ジブ総合研究所でも猫たちは、香奈の家の猫たちの不妊問題について、解明しようと躍起になっていた。そんな香奈の家の猫たちにとっては、不妊手術をさせる事が猫の保護とどう結びつくのか不信に思っていた。

結局、猫ハウスは、不動マンションの近くに広い庭を持った家を探して、猫たちがのんびりできる家を持つようにして、猫たちが、それを完全に信用するまで時間がかかっていた。リトルキャット財団は、水を多く飲んで、目覚めた猫たちを中心に世話していたので、使う金は思った程増えなかった。一方、入る金はドンドンと貯まっていたのか、現状だった。それにリトルキャット運用会社だけでなく、香奈特別基金が援助した会社も寄付してくれるようになった。基金が益々、ドンドンと貯まり、基金上限を超える恐れが出てきた。寄付はみんなから少しつづ貰った方がいいので、リトルキャット運用会社でさえ、利益の10パーセントの寄付も出来ず、調整して出し、猫の世話をしてくれる不動財団に回していたが、不動財団は、利益が急増していた不動ファナンシャルと香奈国内から寄付を貰い、今や世界の大企業を抱えていたカミカミやその大企業からも寄付を貰い、不動財団も基金の上限を超える恐れがあり、リトルキャット運用会社は、基金上限のない恵の財団に寄付を回す程だった。リトルキャット財団は、早速、大きな庭を持った広大な猫ハウスを建て、世話担当の不動マンションまで近くに建てた。何しろ田舎だったので、そんな土地も簡単に手配出来た、猫ハウスと言いながら、猫牧場みたいな広さだった。そんな田舎でも潰れた奴もいたり、自閉症みたいな引きこもりもいた。そんな奴らを集めた、再生のための不動マンションはそれなりに人が集まった。宿も出来、飯も食えた。猫のお便所の掃除を我慢してすれば、賃仕事のパート代も貰えた。

猫ハウスと不動マンションでは、レアメタルを組み込んだ浄水機も完備したし、ネット接続したバソコンもあった。猫たちは急速に賢くなり、人間の文字も読めるようになり、猫通信教育を受けたり、コネコネットで各地の猫たちとも交信していた。不動マンションで世話をしてもらっていた人間とも親しくなった。そうした猫たちの中には、その地方での地場産業や名物なども詳しかった。猫たちが賢くなるよりは、不動マンションの人間の方が再生のスピードは遅いので、猫たちが主導的に作業が進められ、地場産業などについても調べさせられた。猫たちにとっても田舎が発展する事は望ましいので、香奈の家の猫たちに、そうした資料も添えて、なんか地場産業を育てる事は出来ないのと聞いた。コネコネット担当の猫たちは、香奈特別基金で、小さい企業を育てている事は知っていた。中央中心の援助だけではなしに、地方再生が日本の成長には欠かせないとか、政治家みたいな事を、正人に言った。正人は香奈特別基金がやたらと大きくなり、配当税率が下がったにも拘らず、やたらと利益が増えていたので、それにのった。ただ正人も敷地外にも滅多に出ない人なので、香奈特別基金の総括事務センターみたいになった組織の支所を、その新しいホテルの一室に作り、九州出身の人に故郷の近くで働かないかと誘った。そのホテルのある田舎には香奈特別基金の支社みたいなものが出来て、地場産業と相談して、出資したり、香奈オーバーシーズから融資したりして、チャタロウのリトルキャット物産とも連絡を取ったりして、地場産業を大きくする事にした。新しい技術などは、ジブ総合研究所に依頼研究などを頼む、香奈特別基金独特の活動をしていった。やがてそうした地場産業は伸び、チャタロウチームの会社の協力会社になったり、それ自体、独自の活動をする所も出てきた。ニコニコホテルが運営したホテルもやがて、その地域の拠点ホテルみたいになり、黒字も少しづつ大きくなっていった。そうしたホテルが、年に一つとか多い時には二つとか、ボツボツと九州一体に出来て行った。

もう一つ、エンジェルホープ病院にも影響ある事があった。神三郎は、唯我独尊とは言えないものの、関係学会そして医師会などとは、まったく協力していなかった。自分達だけの考えで進めていた。九州の新しいホテルが切っ掛けで、出来た猫ハウスに来た猫の中に、町の開業医の奥さんから、時々餌を貰っていた猫がいた。奥さんは、ウチの旦那は色々と地域の人を熱心に診察していたのに、あのホテルでは、加代子教の支部が色々と援助しているが、エンジェルホープジャパン九州病院の推薦がないとそれをくれないので、診察にくる人が減ったと、その猫にぼやいていた。その猫は猫ハウスで、水を飲み、賢くなって、ネットも出来るようになり、今まで世話を受けていた奥さんや旦那の医者の事を考えて、コネコネットに投稿した。熱心で親切なお医者さんもいる。そうしたお医者さんも巻き込んでこそ、本当の医療だ、エンジェルホープジャパン病院で、すべての患者の面倒を見れる訳でもない。ぜひエンジェルホープジャパン病院と加代子教には、そうした体制を取って欲しいと言う内容だった。システムを担当していた香奈の家の猫は、その内容に感心して、正人を通して、神三郎に連絡してもらった。神三郎は、真剣にその意見を受け止めた。その通りだと思った。各地の熱心な開業医そして病院も巻き込まないと、本当の医療は出来ないとも思った。それでも神三郎は現実主義者でもあった、学会内部での渦巻く派閥主義、名門校と呼ばれる学校のボスが仕切っていた大病院に悩まされて、闘ってきた神三郎であった。ジブシティーのエンジェルホープジャパン病院では、協力してくれる病院や医者たちも根気よく説得する事にしたが、九州では既に多くの土地で、診療所があった。とりあえず九州で、各地の医者たちに呼びかけて、加代子教からの援助を受けられる申請書もかける医者や病院を増やす事にした。今まで加代子教の援助が受けられるのは、エンジェルホープジャパン九州病院の医師の申請がある場合に限られていた。それを拡大して、協力網を増やし、加代子教の援助だけでなく、色々な病気などの症例や知見のネットワーク作りも始める事になった。カヨコジャパンは案外あっさりと金を出した。早速、その投稿をした猫にも、その方針は伝えられ、その猫は、猫語翻訳機を持たした不動マンションの奴らを従え、あの開業医と奥さんに、説明をした。猫が喋るのに驚いた開業医ではあったが、その猫が言った事には感心した。不動マンションの奴らもエンジェルホープジャパン九州病院との連絡の使い走りのバイトの仕事もした。そうして、医者でもないのに、医療問題の専門家みたいになっていく奴らまで出てきた。それは先の話として、その開業医は、自分たちの知り合いも巻き込んで、エンジェルホープジャパン九州病院を中核とした医療ネットワークを作り出した。

実は、カヨコジャパンの経営陣では、神三郎の提案した事で、加代子教の運営が破綻するとの恐れも抱いていたが、加代子が怖く、黙って承認した。それには訳があった。エンジェルホープジャパン九州病院の医者がそんな申請をして、交通費などを補助して、やっとそれが収まったのに、その申請をだせる医者を増やせば、大変な金額になると思った。とても節税目的の加代子教の趣旨を超える大変革になると思っていた。 世間を知らない神三郎も流石に大きなお金が要ると思い、加代子に援助を頼み、自分がまさかの時 のために管理している加代子の金を使う事まで相談していた。神三郎は加代子から預かっているお金は、加代子と子供たちの今後のために大事に貯金していた。そんな金なので、加代子にこのお金を使ってもいいかと聞いた。神三郎がそんな事を言うのは、初めてだった。偶然、居候していたアメリカの会社の責任者も聞いていた。加代子は、アメリカの会社で動かせるお金を使うから、心配しないでと言った。加代子は、ボーとしたいつも加代子ではなく、今度は本当に真剣な表情になり、アメリカの会社の責任者にどの程度のお金が出せるの、調べてカヨコジャパンと調整してねと頼んでいた。

加代子のアメリカの会社の責任者は、アメリカの広大な屋敷に帰らず、加代子の家の居候みたいになっていた。アメリカの会社の責任者は、流石にアメリカの会社の運営状況を確認するために、アメリカに、時々戻った。しかし奥さんは、加代子の家にすっかり居座ってしまっていた。アメリカの会社の責任者と奥さんの間には、子供が出来なかった。奥さんは富豪夫人でもあったので、アメリカでは多くの使用人に囲まれた生活をしていた。何不自由ない生活だったが、やはり寂しいものだった。加代子の家にはやたらと子供たちがいた。神三郎はエンジェルホープジャパン病院の仕事に打ち込んでいた。加代子はやっぱり夜勤族だった。加代子は昼には寝ていた。昼間は、加代子のアメリカの会社の責任者の奥さんは、高杉の奥さんと一緒に子供たちの世話をするようになっていた。 世話と言っても、お手伝いさんが家事をしてくれたので、子供の送り迎えとか子供たちと一緒にお昼を食べたり、一緒に遊んだり、遊園地や観光にいったり、敷地内を散歩したり、一緒に植物園に花を見に行ったりする程度だったが、加代子の会社の責任者の奥さんは、加代子の家の住人のような気になった。スィートルームみたいな部屋でも一人でじっとしていると退屈だったが、加代子の家には大きい子供から幼い子供までいる大家族だった。高杉の奥さんだけでは手に余った。加代子のアメリカの会社の責任者の奥さんは、高杉の奥さんに一緒に加代子の家の主婦みたいな気になって、一緒に子供たちと遊んでいた。アメリカの会社の責任者がアメリカに帰る時にも、多くは加代子の家にいるようになった。加代子のアメリカの会社の責任者も、日本にいる事が多くなっていた。

アメリカの会社の責任者は、こんな真剣な加代子の頼みは、カヨコジャパンを作った時以来だったので、アメリカの会社の財務を見たり、加代子のアメリカの財産管理会社の財務を見たり、直ぐに動かせる金はどれだけあるかと調査していた。アメリカの金融センターに預けている金まで、その状況を調べたりと大忙しだった。ただカヨコジャパンの財務の実態を知らなければ始まらないと思い、カヨコジャパンの資産状況や加代子教の実態を調べるために、カヨコジャパンの経営陣と話をした。アメリカの加代子の会社の責任者は、どれ位の援助規模になり、カヨコジャパンとしてもどれほどの赤字が予想されるのかを聞いた。カヨコジャパンとしての資金規模は、神之助や神子に預けていた8兆相当を取り崩すと拙いし、エンジェルホープジャパン財団にも2兆相当の基金を維持しておく必要があると考えていた。加代子の会社の責任者もアメリカでは自分の財団を作り、エンジェルホープ病院の患者相手に色々な援助をしていた。ただ株屋だったし、援助も限定的ではあったが、子供のいない自分たちに出来る事を細々としていたつもりだった。神三郎の言うような大掛かりな仕組みは流石に考えなかったが、聞いてみるとなる程と思った事でもあった。それでも出来るかな、いや、今や大資本となったカヨコファイナンシャルなら出来るかもしれないなどと色々とも思っていた。カヨコジャパンの連中は、今年の利益から予想される援助相当を加代子教へ寄付をしても、赤字とはならないし、神之助や神子に運用委託しているお金は、元本はそのままだし、エンジェルホープ財団には二兆以上の基金があり、それ以外にも内部保留も相当残るが、こんなやり方を続けて行くと、寄付は雪だるまのように増えていく恐れがあると言った。何しろ、神之助からの運用委託からの利益は凄かった。それに神子からも相当の金が利益として入ってきていた。この運用委託からの収入は凄かったのだった。基金として数兆円相当の金が必要と思い、ナンダカンダと金の準備とかアメリカからの送金の方法まで考えていた、加代子の会社の責任者は、愕然とした。じゃ、今はなんの問題もないじゃないのか、今後お金が足りなくなったら、カヨコファイナンシャルから大幅な増資をするよ。今度の加代子さんは、本当に真剣だったよ。そんな金も必要ないなら、グダグダ言うなよ、首になるかもしれないよ。赤字が出れば、僕に言え、出資とか増資をするからね。お前達の報酬も節税効果とか言って、報酬を上げているんだろ。黙って直ぐに、神三郎さんの言ったようにしなと忠告していた。

カヨコジャパンの連中も、愛染明王さん基金が、ごっそり減った時には、いくら加代子でも世間の実態がわかるだろうと思っていた。確かに連中の思った通り、一気に愛染明王さん基金がごっそり減った。加代子は平気で、ごっそり減った分は、カヨコジャパンとして寄付しなさいと軽く言った。偶然にもカヨコジャパンは、その寄付をする程度の稼ぎは十分あった。神之助の運用は巨額な運用利益を出し続けていた。それに神子も負けじと儲けていた。カヨコジャパンの経営陣の高給も払い、組織の運営も出来ていた。ただ、連中はズル賢く、冷静だったので、神之助や神子の稼ぎも、いつまでもこんな信じられない儲けの水準を保つ事を期待する事は出来ず、こんな事をしていると、いずれは、雪だるまのように寄付が膨らんでいき、完全に赤字になるぞと言いたかったが、加代子のアメリカの会社の責任者の脅しもあり、黙って従っていた。それに節税効果もあって、連中の報酬は節税効果によって上がる建前なので、少し上がっていた。それも黙っていた理由でもあった。

ただそんな事は数年間続き、カヨコジャパンは膨大な寄付をし続けていた。何しろ神之助への運用委託は高水準の利益を維持していたし、神子もやたらと儲け続けていた。ただ、ある程度経つと、愛染明王さん基金の減少は緩やかになり、やがて少しづつ増えていった。加代子教へのお賽銭や寄付は、増えていた。加代子教は、こうしたお賽銭や一般からの寄付を集めて、宿泊施設であったニコニコホテルへは基本的な運営料と利用客数に応じた付加的な運営料の追加、はっきり言えば、一定の利益還元みたいなものをニコニコホテルに渡していた。それに加代子教そのもの運営費を引いたものを、愛染明王さん基金に積み立てていた。支払う金は膨大だったが、入ってくる金が増えていった。愛染明王さん基金は、年間に必要な額の二倍程度の金を一応基準にしていた。これを下回るとカヨコジャパンは寄付していた。ついにカヨコジャパンからの寄付は減っていった。確かに累積すると、カヨコジャパンのつぎ込んだ金は膨大だったが、毎年の寄付するお金は、減っていた、加代子教の愛染明王さん基金は増えていき、やがては、カヨコジャパンからの寄付はしなくてもすむようになり、その後も愛染明王さん基金は、少しつづではあるが、増えていった。勿論、カヨコジャパンのつぎ込んだ膨大な金に比べれば、遥かに少ないものではあったが、基準としていた額よりは、愛染明王さん基金は少しつづあるが増えていた。つまり年間では支払う金額よりも、お賽銭や一般からの寄付が多くなった。金の事は兎も角、エンジェルホープジャパン九州病院は、各地の診療所以外にも、各地の病院そして開業医たちとの大きなネットワークが出来ていった。加代子教は、名前こそ宗教法人みたいだったが、医療費はタダになっても、病気すると、色々と金は要った。交通費や宿泊料と言った名目以外にも、栄養費とか言った生活支援金まで出し、そうした活動をする社会福祉団体のように思われていた。宗教法人では、おかしいと思う奴も当然いたが、援助を受けた多くの人がいて、助かっているので、そうした声はかき消された。まだそうしたネットワークは九州以外ではそれ程進んでいなかったが、エンジェルホープジャパン九州病院は、九州では大きな医療グループを組織していた。恵の財団の九州の地域病院とも協力していたし、ニコニコサービスとも協力していた。九州では有名と言うか、支配的なグループとなっていった。これはもう少し先の話であった。

話は少しさかのぼるが、あの都市以外に初めに、ニコニコホテルに愛染明王さんを御祭りするホテルが建って以来、次々とホテルは建っていった。カヨコジャパンも、節税対策みたいな出資は、惜しまなかった。何故か、ホテルの開業計画を立てると、愛染明王さんの仏像とか掛け軸が、見つかり、そうしたホテルに御祭りされたのも不思議な事だった。九州一体に、カヨコジャパンとカヨコホテルシステムズそしてニコニコホテルの福岡を中心にして、ニコニコホテルの各支店が、少しだけ出資したホテルが次々と出来ていった。ニコニコホテルが運営してたが、従来のニコニコホテルと区別するために、こうしたホテルは、ニコニコホテル愛染明王さんホテルチェーンと呼ばれるようになった。

カヨコジャパンのホテル事業の子会社化が進んでいき、少しつづ利益も入ってきた。一方カヨコジャパンとしては、最も利益が大きかったのは、神之助と神子に預けていた運用委託だった。カヨコジャパンは加代子教への寄付も減りだして、ホテルの運営もそれぞれ落ちついてきたので、二人への運用委託を調整しようと思っていると、神之助と神子の方が先に動いていた。

もっとも大きな利益が出ていた神之助の運用も、神之助が配当と運用との間で、税率が極端に違う事に腹を立て、リヒテンシュタインとケイマンなどの税率の安い国に新しく、それぞれオーバーシーズ運用会社を作り、運用を分散化した。神之助に運用委託していた各オーバーシーズなども、リヒテンシュタインやケイマンなどの税率が安い国に子会社を作り、そこが運用を委託する方法に変更していた。神子の運用は、ファンド規制も厳しくなったので、ジブ以外の金は一度返し、リヒテンシュタインやケイマンなどに各運用子会社を作り、その運用子会社が実際に運用すると云う方法に変更されていた。今や世界中で運用できるデリバティブが増えていた。日経先物は、アメリカやシンガポールで一種の株価指数みたいなものとして、行われていたのが、ヨーロッパにも波及して、ほぼ24時間、売買されていた。アメリカやヨーロッパなどの大きな国の株価指数も先物指数となって、世界中で売買されていた。カヨコジャパンやリトルキャット運用会社はそうした海外運用子会社を早速作っていった。神子たちは、まず自分たちの神子グループの運用を、海外の運用子会社が運用して、配当を貰う形に変更していた。勿論、投資アドバイス料とか言って、運用手数料みたいな金は取った。冶部一族に取っては、無料診察制度の維持は一種の呪文みたいなものだったが、香奈は、無料診察制度を維持し、そのために必要な金は政府への寄付というか税金の前払いみたいなもので保証すると約束していた。つまりどんな節税対策を取っても、無料診察制度は維持されると考えた。もう遠慮も要らなかった。神子と神之助は異例ではあったが、協力して節税に努めた。それぞれのグループから初めて、ジワリジワリとジブ本体の運用にもその動きを強めていた。これは何もジブだけの動きではなかった。普通のヘッジファンドには、無料診察制度の維持は呪文ではなかった。配当課税率を下げ、ヘッジファンドみたいなものに対する課税強化は、こうした動きを強める事になった。今まではどんな利益も同じ課税率が設定されていた。陽太にとっては、どんな所得も所得だった。経営による通常所得だろうと配当所得だろうと金は金だった。一部の所得に、安い税率を適用しようとする発想はなかった。金には印なんぞにないと考えていた。みんな一律に課税されているとそれほど文句も出ないが、課税率に差があると、人間は、少しでも課税率の低い方に動く習性がある動物であった。等しからざるを不満に思うのは、かなり根の深い心理であった。控除も、社会福祉法人への寄付などの少数の特例だったが、新規投資控除とかベンチャー企業投資控除とか色々と増え、それを商売にする人もいた。これは日本の成長や投資を促す政策であり、投資も増えて成果も出ていたが、そうした節税技術の成長をもっと促す政策であり、節税技術は格段に進歩していった。

神之助は、密かに話をしていた日銀や財務省の偉いさんには、はっきり言っていた、こんな政策を取ると、いわば投機筋に喧嘩を売っているみたいだよ。世界中の投機筋と喧嘩する、そんな覚悟を持っているならいいけどね。僕も儲けをある程度我慢して、協力していた事もあったけど、今後は自由にやらせてもらうよ。金は世界を回っているんだよ。日本以外にもマーケットはあるよと脅していた。日銀や財務省の偉いさんは、まあ急には変更できませんが、神之助さんも運用を分散化させるでしょう。それは結構です。色々と便宜も図ります。今まで通り、色々とご配慮ください。その内になんとかしますと宥めていた。

投資と投機は、いわば紙一重の差でもあり、ナンダカンダとの対策も、国としても考え出していた時期でもあった。カヨコジャパンの経営陣は、老練な弁護士とか税理士たちであり、十分に税金は減っていた。変に無理な寄付をして、問題になる事は拙いと判断した。調子に乗って、節税対策をするのは、下の下のやり方であり、それは素人のやる事で、本当のプロはさり気なく、自然な方法で節税する事だと知っていたカヨコジャパンの運営者たちであった。エンジェルホープジャパン病院は、九州もジブシティーも大儲けとは違うものの、なんとか黒字路線で安定化していた。カヨコジャパンのホテル事業は、むしろ少し赤字でもよかった。カヨコジャパンの経営陣に取っては、今は恵の財団に大人しく、計算しながら、寄付していく時期だと思っていた。開業して暫く赤字で少しづつ黒字になって、又新しくホテルを作る。それは、カヨコジャパンの節税を意味し、つまり自分たちの報酬が上がる事を意味した。経営陣には好都合だった。

カヨコジャパンは、加代子にとっては単なる財産管理会社だった。アメリカの会社の責任者が作った時に、財産保全と効率的に資金を保有できるために作った会社だったので、節税できたら、一定の高額の報酬に加えて、節税分の一定比率を成功報酬として、経営陣に渡す会社だった。実業で利益を出して行く会社でもないとアメリカの加代子の会社の責任者も思っていた。アメリカの会社では、利益が上がれば、利益比例で報酬を幹部たちに分けていたが、そんな利益を求める会社ではなく、エンジェルホープ財団の事務もして、加代子の金の金庫番みたいな会社の積もりだった。加代子には、カヨコジャパンのホテル事業は、頭の中では抜けていた。大きな赤字が出れば、流石の加代子も考えたし、カヨコジャパンの経営陣も考えたかもしれないが、赤字とも黒字とも言えない状態にして、節税対策みたいな出資を続けて行った。加代子教は、宗教団体と言うよりは、、医療に関係する諸雑費を補助する社会福祉活動を行う団体とみんな思い、お賽銭も、ホテルの宿泊料とかレストランの食事代みたいな発想で、みんな出していた。加代子教は利益と云うかお賽銭や寄付が増えてきたが、宗教法人に一度なってしまうと、宗教法人への寄付は出来ても、宗教法人から配当と云った形での利益配分も出来ず、色々との経費負担をさせる事が可能となる程度であった。加代子教とは言いながら、運営の細々とした事務処理や金勘定などの財務は、カヨコジャパンですべて受け持っていた。加代子教の僧侶は美術の専門家でもあったし、各地の相談員はエンジェルホープ九州病院からの心理カウンセラーとか恵の財団から出向してもらった人だったので、銭勘定はカヨコジャパンが担当していた、これはエンジェルホープ病院でも同様だった。カヨコジャパンは、そうした銭勘定をするための組織でもあった。しかし、カヨコジャパン自身が利益を出ていたので、経費負担は、カヨコジャパンがする事も多く、宗教法人の特典をカヨコジャパンが使う事はあまりなかった。カヨコジャパンのズル賢い連中も、単に経理処理する程度で、そんなに関心もなくなっていった。カヨコジャパンのホテル事業は、利益率の高い冶部ホテル福岡別館、利益率がソコソコのあの都市のビジネスホテルみたいな複数のニコニコホテル、そして地方自治体の施設も入り エンジェルホープ病院の診療所みたいなものも入り、地域再生の拠点みたいな施設とも言われ、利益はソコソコ上げるが、それ以上に拡大し、投資が必要となるニコニコホテル愛染明王さんホテルチェーンであった。カヨコジャパンホテルシステズは、常に投資しているので、大きく儲ける事は出来なかったが、地域では重要と言われた愛染明王さんホテルチェーンを抱えるホテル事業となっていった。全く別系列の加代子教の宿泊設備といいながらソコソコの利益のあるホテルは加代子教の収入源となった。愛染明王さんホテルチェーンは、九州各地のニコニコサービスの母船みたいなものになった。

カヨコジャパンホテルシステムズが、ニコニコホテルに預けていたこの金は、運営補助の金として処理していたが、利益のあるホテルに運営補助などを置いておくのは、隠し金みたいに思われるとカヨコジャパンの経営陣は思った。そして、この金は公共性の高いサービス事業に投資すれば、税金控除も得られた。悦子と相談して、ニコニコサービスの拡張に使用され、カヨコジャパンホテルシステムズが大幅に出資した九州ニコニコサービスが出来ていた。運営はやっぱり、ニコニコサービスが担当した。九州では九州ニコニコサービスが、ハウスクリーニング、オフィスクリーニング、財団と組んだ介護サービスを展開して、圧倒的にこれらのサービスを支配していくようになるのは、更にもう少し先の話であった。ただカヨコジャパンは、大きな病院となったエンジェルホープジャパン病院とこうしたホテル事業そしてニコニコサービスにも出資していた企業になり、異色の企業群と言われていった。カヨコジャパンの経営陣は、実務にはほとんど関与していなかった、なんなる銭勘定だけをし、税務処理をする連中だった。しかし、こうした評判はきっちり利用していた。カヨコジャパンは、公的なサービスも展開している企業と言われていた。実は海外の運用子会社での運用による配当と云った収入が遥かに多かったにも拘らず、運用関係の利益についてはみんな追求すらできない雰囲気になった。あの経営陣の節税の方法は極めて老練だったので、税金は、いつも安かった。

奈津美の毛利九州観光の第二計画は、やたらと規模が拡大した。第三次、第四次計画まであったようなものだった。毛利九州観光が計画したものだけではなく、冶部ビル系列の九州第二開発の作った商業施設、加代子の金を使った加代子教の巨大な複合施設、リトルキャット九州の作った住宅ゾーンやそれに鉄道やバス、モノレール、エンジェルホープ九州第二病院まで含んだ巨大なあの都市の副都心になっていった。それに香奈特別基金や松本電産とリトルキャット九州の合弁企業の工場がある工業団地まで、近くに出来ていた。

奈津美の隠れ蓑のような観光事業は、毛利九州観光が全てに関係したものではなかったが、観光事業と云うよりは、大きな町が出来たようになってしまった。誰も奈津美の隠れ蓑事業とは言わなくなった。単に観光設備ではなかった。この町の大きな公園でもあり、病院でもあり、運動設備でもあり、美術館のようなお寺でもあり、宿泊施設でもあった。そして近くには住宅ゾーン、商業施設、工場まで出来ていた。こうした大きな町を支えた企業として、あの都市では香奈オフィスの評判が高くなっていった。

ビットハナコは、ビットの後にくっついているような女の子だった。ビットの天才的なプログラミングを見て育った。ビットは、アナログとまでは言わないものの、キーボードでプログラムを打ち込むタイプなので、どうしてもグラフィックのセンスには欠けていた。プログラムも幾つかのショートカットキーみたいな抜け道も用意したが、いわば、緊急な場合に限定していた。ビットハナコは、それをもっと増やして欲しいとビットタロウに言った。ビットハナコは、お絵かきのように、パソコンをいじった。ビットタロウのプログラムにやたらとショートカットキーみたいな部分が増えた。幾つかの場所をクリックするだけで、色々な処理が出来た。大量のデータを一挙に処理するだけでなく、カスタマーナイズされたプログラムになった。ビットハナコは、猫の手ロボも使わず、マウスを使ったり、爪を軽く立てて、起用にパソコンをいじった。プログラムも書けるようになった。幾つかの決まりきった操作はサブルーチンにして、巧みにプログラムを作った。それを見ていたビットは、今まで一連のプログラムだったものを決まりきった操作を、プーチンハナコと相談して、ネコネコCの命令文に加えた。ネコネコCは、処理速度を落とす事なく、更に構文としても完成度をました。まだプログラマーフレンドリーの言語とはいえなかったが、ビット以外のプログラマーでも、それなりのプログラムが組めるようになった。不動マンションや各地の猫ハウスにいた、ビット以外のプログラマーにとっては、難しいプログラムは、みんなビットに頼んでいたのが、自分たちでもそれなりにプログラムを組みやすくなった。ここで、コネコソフトのプログラミングの能力が格段に上がった。それだけではなかった。ビットハナコは、タッチバネル式のキーボードだけでなく、タッチパネル式のブィスフレー上でのバソコンの処理を可能するプログラムを作った。今までも、それなりにタッチパネルでの操作は出来ていた。拡大とか移動とか音楽再生とかの指示は、タッチバネルを触る事で可能だった。それを多くの処理をタッチパネルで出来るようにした。本格的な、ブィスプレーだけのバソコンが出来た。香奈特別基金の液晶ディスプレー製造会社も協力したし、ロボット工学研究所も協力して、幾つも特許を取った。それはコネコ通信の画期的なハンディーバソコンのような携帯になった。ビットハナコは、ユーザーフレンドリーというよりは、自分のためにそれを作った。コネコ通信は画期的な成長をした。そのプログラムを作ったコネコソフトも成長した。

マクロが好きになったのは、ある有名な老人の弁護士に飼われていたケイコと言う女の子だった。ケイコはやたらと法律に詳しかった。もっとも猫なので、そんなに活用する事もできなかった。その弁護士が家で勉強している時に、一緒に勉強する程度だった。それなりにケイコに取っては、知的好奇心も満足させられて、その弁護士も高齢とは云え、頭が切れて、色々な大きな会社の顧問弁護士もして、民事では有名な弁護士だった。金も儲けて、ケイコも高級カリカリも貰い、刺身まで食い、その弁護士とクラシック音楽を一緒に聴く、落ち着いた日々を送っていた。その弁護士もやはり、敷地外に住んでいて、ポックリ、死んでしまった。この弁護士はかなりの歳で子供が出来、子供たちを甘やかした。子供たちは、ノータリンだった。派手派手姉ちゃんや喧しい音楽と言うよりは、騒音に近いナンタラロックが好きな息子だった。ケイコは呆れて、家を出て、マクロと出会い、香奈の家に来た。マクロジュニアとマクロタロウそしてマクロハナコを産んだ。

マクロは、コンピューターのシステム全体の安定性を担当していた。天才的なプログラムを作るラッセルタロウやビットたちのプログラムを理解できて、安定性を助言できる猫はマクロ以外にはいなかった。マクロジュニアは、もっと凄く、システムそれ自体を考えた。いくら高速のプログラムでも安定性が悪いと、システムとしては良いとは言えないと考えていた。そうして、コネコソフトのシステムは、より安定なものになっていった。マクロタロウは、技術や取引なんぞと言う、実利的な事は考えず、経済思想史などと言う訳の判らないものを研究した。経済学基礎研究所にも、そんな研究室もあった。理論経済ではなく、もっと経済学に流れる根幹の考え方を整理する学問だった。ただマクロタロウの哲学的とも言える洞察は、理論経済の猫たちや取引などの実利的な事をしている猫たちにも、それなりに影響を与える事にはなった。マクロハナコはもっと実用と言うか、ケイコに近く、法律と経済の接点のような商法が好きだった。リトルチャは、へ理屈が好きだったので、リトルチャの法律チームの会合に、マクロハナコを同席させた。マクロハナコは、変な弁護士よりも、法律に詳しくなった。リトルチャは、法律とか契約とかに詳しい猫だったが、それはやっぱりアマチュアのようなものだったが、マクロハナコは、猫軍団の顧問弁護士みたいな存在となり、人間の、いや本当の顧問弁護士たちと協力して、猫軍団に欠かせない一員となっていった。

幸之助の関西の屋敷は、広大な家だったのに、幸之助も淳子も、ほとんど、この敷地内のマンションにいるようになった。神一は、真剣に、神幸に厳しく言っていた。珠子さんと、この家で暮らしなさい。選挙に珠子さんを利用してはいけない。また尻軽女と付き合うと、今度こそ、放り出すぞ。陽太は馬鹿じゃない。昔からアイツはそうだった。朗らかそうで、何も知らない顔で、融通無碍の振りをしているけど、ちゃんと知っているし、色々と複雑な計算をしている奴なんだよ。総理を長い間していた陽太が、福祉命と云う単純な思考をしていると思うなよ。確かに福祉は大切にしてきたし、それは今後も変わらないだろう。経済成長も考えて、総理の座を譲ったのだし、今のごきげん党主流派とは云え、昔は、みんな陽太の子分だった奴だぞ。アイツはそんなに甘い男ではない。どんな人と、どこで、何の話をしているか判らない奴だぞ。コロコロと態度を変えるのも止めろ、限度を超すと突然変わるよ。女癖が本当にバレると、ごきげん党どころか、冶部一族から見放されるぞ、冶部一族は身びいきだけど、怒ると怖いぞと脅した。神幸は頭の回転は速く、自分の損得は判る男だったので、神一に従う振りをした。

珠子は、知加子の友人だった加代子や聡美と仲良くなると共に、幸之助の言いつけに従い、神太朗の家にもしきりに顔を出した。神太朗は、旧洋之助の家の離れに住んでいた。本宅は、洋太郎と俊子そして、太朗と正子、二郎と聖子、そして、冶部一族の本丸とも言えた紡績の社長の清太郎たちが住んでいた。珠子は、神太朗の妻のみどりにも可愛がれたが、本宅にも当然、顔を出した。洋太郎と俊子は、もう超超高齢者だったので、家にいる事が多かった、太朗と二郎も暇な事が多く、家にいた。正子も歳なので、家にいる時間は増えていた。聖子はジブシティーの安いよスバーの上に、快適と安いよの会長室も作り、頑張っていたが、やっばり家にいる時間が増えた。何か用事があれば、ジブホームホテルや香奈の家の隣の会議室にグループの幹部を呼んで会議した。

聖子は、空いていけば、香奈の家の隣の会議室を使った。香奈の家の会議室は基本的に無料だった。飯や飲み物もタダだった。香奈の家の隣の会議室の経費は、基本的に香奈がすべて持っていた。ナンダカンダと複雑な経理処理をして、香奈ファイナンシャル不動産の株主、つまりここで住んでいる人たちやジブトラスト関係の会議もするので、ジブトラストにも一定の負担もあったが、聖子はここに住まず、旧敷地内の住人だっだ。そんな人たちは香奈のゲストになり、使う経費は、やっぱり香奈の負担となった。ジブホームホテルは、ジブの組織ではあったが、やっぱりホテルなので、聖子の安いよや快適充てに、会議の部屋代とか飲食物の請求はした。聖子は当然、香奈の家の隣の会議室をよく使った。役員会とか公的な会議は流石にジブホームホテルやニコニコホテルを使ったが、そんな公的な会議以外では、香奈の家の隣の会議室を使うようにした。それに香奈の家の隣のレストランの飯は美味しかった。ケーキやデザートは絶品と言えた。聖子の好きな牛乳も美味しかった。タダで美味しいものが食えた。聖子は、快適や安いよでは、会長の個人的な支出として、経理処理させた。会議は、聖子のブライベートな相談と云う形にして、会長の報酬は上げた。みんな、当然と思った。そのため、聖子もここにいる時間が増えていた。

正確には、冶部本家は、功一の系統ではあったが、今や洋之助の系統が冶部本家のようになり、冶部本家のこうした高齢者たちに、珠子は可愛がれられた。別に家を作った神子や神代も時には、俊子や正子に会いに来て、珠子とも仲良くなった。こうした連中には、国会議員なんぞは特に大した地位でもなかった。何しろ陽太は総理大臣をしていた。神幸なんぞより、珠子の評判が、上がった。実質的に冶部本家のゴットマザーと云えた俊子が、特に珠子を可愛がった。益々、神幸には、プレッシャーを感じていた。結婚後も、こっそりと付き合っていた玄人筋の女とも直ぐに別れていた。それに珠子は、なかなか良い女でもあった。珠子は結婚後直ぐに妊娠した。神一は、情報ネットワークも持っていたが、リスポンスは遅いネットワークだった。間違いがないように何回も確認した。神一は怖い人だったので、未確認情報を報告するのは出来ず、何回も確認するネットワークだった。神一は、神幸の女癖が、まだ続いている事と思っていた。もう切れた事はまだ判らなかった。神一は、神幸には愛想をつかした。神太朗や本宅の連中にバレルと大変だったので、知らん振りをしていた。洋太郎は、こんな事には激怒する人になっていた。俊子も怒るだろう。正子は、こんな事には、元々厳しい人だった。聖子は、もっと激しい人だった。清太郎は、修身、いや道徳にはうるさい人だった。神太朗は理想主義者だった。神幸をかばってくれそうな人はいなかった。神一は、神幸を手元においてしっかり監視する事にした。

神幸は、家にいれば厳しく監視された。アダルトビデオすら自由に見られず、ラベルも外して保管したり、何回もヘッドホーンでみたら、こっそり捨てるなどの苦労もした。無修正ものもわざわざノーラベルにして、同じものを何回もみたりと不便だった。選挙区だったあの九州の都市には足しげく通った。あの九州の都市には、神幸は家を持っており、掃除などの人も頼まず、塵や埃が舞っている中ではあるが、アダルトビデオぐらいはゆっくり見られた。昼間は、不動マンションの住民の相談や、選挙区の人の相談にもコマメに応じた。チャタロウたちのリトルキャット九州はあの都市に本社があり、盛んにチャタロウに報告していた。チャタロウは、香奈のお気に入りで、香奈に相談している事は、神幸も知っていた。神幸は、芸は出来る人間だった。みんなの相談に親身になって対応する演技をした。神幸の演技は天才的だった。あの都市は人口も増え、そんな演技に騙されて、何故か、神幸の人気も上がった。中央政界では、コウモリ神幸とは言われていたが、選挙区では圧倒的な支持を得た。

下半身は別の人格と言った人もいるが、神幸は、この町の繁華街をウロウロしていた。こんな店には、あんまり、客がこないだろうと思って、キャバクラみたいな店に入った。ほとんど服をきていないみたいな姉ちゃんと冗談を言いながら、のんびりしていた神幸ではあったが、やはり、他にも客がいた、この地方の資産家の馬鹿息子で、大学はそこそこの名門校だったが、女を引っ掛ける事しかできない男だった。変に政治には詳しく、神幸を知っていた。

資産家の馬鹿息子「冶部神幸さんじゃないですか。こんな店に来て、話題になりますよ。福祉命みたいな事を言って、こんなキャバクラで遊んでいると。ここのキャバクラは、金さえ出すとしゃぶってくれる店で有名なんですよ。」
神幸「大きな声で言わないでよ、みんな知らないのに。君はいかにも、金持ちの馬鹿息子みたいだね。」
資産家の馬鹿息子「言いにくい事をはっきり言ってくれますね。親からは、ちゃんとした仕事に就けといつも言われてますよ。」
神幸「口封じとは言わないけど、不動マンションでみんなの世話をしないか。福祉で働いていると、親も誤魔化せるよ。」
資産家の馬鹿息子「猫の世話と、腑抜けのような奴らの世話なんて、御免ですよ。」
神幸「君は、知恵が回らないね。そんな仕事をしながら、政治家になるんだよ、今度、この町も市になって、市長選挙も行われる事は知っているだろう。僕が応援するから、出てみないか?」
資産家の馬鹿息子「僕は貴方も言った通り、評判は悪いですよ。親はそこそこ評判はいいけどね。とてもそんな絵に描いたようには行きませんよ。」
神幸「だから、福祉で働けと言ったんだよ。僕は、ここの不動マンションの責任者だよ。ここに介護施設や乳幼児施設も作るんだよ。そんな福祉施設で働いている姿をみんなに見せるんだよ。芝居だよ。芝居と思えば我慢できるだろう。不動マンションの人も口説いて、みんなで社会福祉をしているように見せるんだよ。市長選挙も、もう少し先だしね。選挙は、僕も結構、上手いんだよ。当選はしなくても、そこそこ票を取れば、親にも格好はつくだろう。」
資産家の馬鹿息子「でも、今の町長は、あの野党連合の実力者の国家老と言われている人ですよ。あの人には、敵いませんよ。」
神幸「そんな事はないよ。あの人の支持基盤は、そんなに磐石でもないよ。あの実力者にも僕は勝ったでしょう。ジブ関係で働いている人は、結構多いんだよ。選挙対策は、僕がするから、熱心に福祉に取り組んでいる姿をみんなに見せるんだよ。あの町長は、野党連合の有力者の地元でのまとめ役みたいな人だけどね。あの野党連合の有力者は、無料診察制度の廃止論者でもあるんだよ。無料診察制度の重要性を訴え、福祉の仕事をして、福祉の大切さを、実感して、心を入れ替えて、みんなに尽くしたいというんだよ。政治は、一種の芝居なんだよ。」
資産家の馬鹿息子「芝居は得意ですよ。親から金をせびる時には、いつもしてますからね。」
神幸「ここではなんだから、僕の家で、後の話をしよう。」
資産家の馬鹿息子「ここの神幸さんの家なんて、埃が舞ってるような家でしょう。僕の家にしましょう。僕の嫁さんは、清潔好きで、幼稚園の園長をしてるんです。嫁さんは、冶部恵さんの大ファンで、恵教の信者なんですよ。敷地内の恵教の幹部会にも見学に行く事もあるんですよ、まあ幼稚園は、僕の親父の作った幼稚園ですけどね。」
神幸「その人は、人前で話をしたり、人の相談に乗ったりするのが、嫌いじゃないの。」
資産家の馬鹿息子「全く、逆ですよ。いつもナンダカンダと人の相談にのってますよ。」
神幸「じゃ決まりだね。政治家の嫁さんは、徹底的に使うかまったく表にださないかのどちらかなんだよ。表にでる人の方が圧倒的に有利だよ。君は、僕の福祉が大切と云う演説に感激して、不動マンションで働きたいと、僕に声をかけたと云う事にするんだよ、キャバクラで会ったのではないんだよ。わかったね。僕が君の奥さんやご両親に会うよ、酒もほとんど飲んでいないから、顔にも出てないだろう。」
資産家の馬鹿息子「まあ、それはそうですが、そんなに上手くいきますかね。」

神幸の演技は、名人級で、この馬鹿息子の嫁さんは、コロっと騙された。感激したこの嫁さんは、馬鹿息子の親に早速報告し、とんで来たこの両親も騙された。名人、神幸の指導を受け、この馬鹿息子の演技は上達した。神幸は、恵も騙し、この嫁さんの運営した、小さな幼稚園は、財団の協力の下に、大きな託児所や保育園を含む幼稚園に拡大し、介護施設まで、この嫁さんが運営する事になった。馬鹿息子の嫁さんは、冶部産婦人科小児科病院にもいって、協力を頼んだ。エンジェルホープ九州病院には、第二病院を含めて産婦人科や小児科が出来、恵はすっかりのってしまった。財団の子会社みたいなこの市独特の小さい財団が出来、この馬鹿息子も不動マンションのいい加減な奴らと、案外気が合い、猫のおトイレの掃除がしたくない奴らと一緒に、社会福祉の真似事をするようになった。

そうして、この馬鹿息子の演技も上達して、みんなもコロっと騙された。元々この馬鹿息子の家は、この地方では名門だった。みんなを騙した馬鹿息子は、みんなから、勧められた振りをして、市長選挙に、ごきげん党推薦で立候補した。陽太も応援したし、神幸も応援した。この馬鹿息子は、神幸に直接指導を受け、福祉を大切にしながら、成長する社会を訴えた。この町は既に発展しており、成長し続ける都市だった。この町は九州新開発のホンの少しとは言え、株主でもあり、配当も山のように入っていた。その成長の土台となったジブ系列とも云える神幸と共に、福祉を訴え、無料診察制度の維持も訴えた。楽勝を意識していた、現町長は、無料診察制度はバラマキ福祉で、高い税金が日本の成長を阻害している。小さい政府にして税金を安くしようと言った。これは成長している場所では違和感があった。選挙が進むにつれ、この馬鹿息子への支持は拡大し、危機感を持った、現町長も、無料診察制度廃止云々は、何も言わなくなり、今までの実績を強調した。神幸は、ジブ系列の企業もコマメに訪問して、この馬鹿息子への支持を訴えた。この馬鹿息子の嫁さんも、一生懸命に選挙を手伝った。この嫁さんは、広範囲に福祉を進めており、元々人気があったし、演説も上手いと云うより、訥々としながらも、実感があった。どっちが候補者か分からない程だった。つまり二人の候補者がいるような選挙だった。馬鹿息子の親も応援した。名門の結束も案外馬鹿にしたものでもなかった、ナントナント、この馬鹿息子は、市長になってしまった。

地方自治体の運営は、本当はそんなに楽なものではなかった。町、いや市になったこの自治体の幹部は優秀だったし、基盤設備は九州新開発が多くの設備を整えてしまっていた。それと調整すればよかった。配当も入ってきたし、税金も一杯入ってきた。馬鹿息子の嫁さんは、色々な福祉の充実を計画した。ジブ系列企業も寄付をして、この地方自治体と二人三脚で、公的福祉を充実させていった。ナンダカンダとこの都市は発展し、貰う税金も更に増え、この都市独自の財団も寄付が増え、おまけに神三郎のエンジェルホープ九州病院は、ここに病院を二つも持ち、この都市の市民病院みたいな病院にもなり、元々作っていた、相談室や診療所みたいなものを増やして行き、医療の充実に協力した。

この馬鹿息子の嫁さんが、実質的に、この都市の福祉を担当し、社会基盤の整理は、市役所の幹部たちが、九州新開発と協議して進め、この馬鹿息子は、人を上手に使う、名市長と呼ばれるようになり、神幸の国家老みたいになった。この馬鹿息子は、人を上手に使うと云うよりは、何もしなかった。少なくともみんなの邪魔をする事はしなかった。二人は、切磋琢磨して、演技を磨いた。

市長となった馬鹿息子「神幸さんが、紡績製の高級スーツを着て、田圃に入ったのはわざとらしい演技でしたね、長靴くらい用意してもよかったですよ。」
神幸「あれは、あれでよかったんだよ。思わず駆け寄った感じがするだろう。君こそ、僕が演説している間、影に隠れてタバコを吸っていただろう。あれはまずいよ。もっと緊張してくれないと困るよ。」
市長となった馬鹿息子「僕はもう市長になりましたら、いいですよ。」
神幸「当選してすぐに、もう、次の選挙が始まっているんだよ。君の奥さんはよくやっているよ。恵おばさんも評価しているよ。奥さんの運営している施設にはさりげなく、顔を出すんだよ。僕もそうしているよ。」

ただ二人にも、欠点はあった。演技がうますぎて、演技なのか、本心なのか、二人にも判らなくなってしまった。ただこの都市は成長し、どんどん拡大した。そしてこの周辺の町は、神幸一派が完全に支配するようになり、福祉を大切にしながらも、発展している都市と地域になっていった。神幸は、単に選挙に強いだけでなく、中央でもその実績が認められつつあった。色々とこっそり法案も作っていた。政策通の議員と言われ、竹花の爺さんと財務大臣との間の使い走りみたいな事もして、何も知らない人からは、影の財務大臣とか、色々な法案を考える人とも言われていた。ごきげん党主流派も、福祉を大切にしながら、発展しているモデルケースとして、大きく取り上げていた。神幸は女癖は悪かったが、日本を成長する社会にしたいとは本当に思っていた。福祉についての思い込みは陽太とは違っていた。ただ神幸は便宜のように福祉を尊重する振りをしていた。ただその振りも名人級になり、成長と福祉が、神幸の中で入り混じってきた。

陽太はそれも知っていたが、福祉を犠牲にする形で成長政策を進める事がないようと色々と考えて、工作していた。陽太にとっては、福祉が目的で、成長が手段だった。成長そのものを目的化して、本来の福祉が切り捨てられるのは我慢できなかった。陽太は、知加子たちと話をして、所得の低い人たちでの消費性向はきわめて高い事を知っていた。福祉に金を使うと云う事は、潜在的な消費の底上げになると信じていた。社会福祉の充実は、本当は成長の土台なのだ、 安心して生活でき、病気になってもお金がいらないからこそ、普段の生活でお金が使えると思っていた。将来不安のある社会で、消費は伸びるとは考えられないと思っていた。しかし、福祉を手厚くしただけで、日本が成長していくわけではない。適切な成長戦略もやっぱり必要なのだ。確かに成長しないと福祉も手厚くできない、福祉は天から降ってこない。ジブトラストの奇跡の成長で、陽太は税収を確保して、福祉を推進した。しかし、奇跡は永遠には続かない、ジブも永遠に奇跡の膨張を続けると云う保障もない、ジブだけでなく、日本そのものが成長しないといけない。そういう成長戦略について、陽太は優れているとは自分自身を評価していなかった。陽太は金があれば、どうしてもその金で福祉を手厚くし、成長を促進する事は出来にくいと冷静に自分を見ていた。だから政権を譲った。それでも成長の名の下に、福祉が忘れられ、置きざりにならないように、監視していくのが、自分の役割だと思っていた。陽太は資産家のボンに生まれ、金の苦労などはした事もないし、何に金が要るとか、そんな事には実感もなかった。他の冶部一族のみんなに違って、金を儲けるよりも、ただ政治家になりたかった。そして、便宜として福祉を訴えて政治家になり、いつの間にか、福祉を推進する事に力を傾注し、陽太のライフワークにもなってしまった。陽太自身は、はっきりとした富裕層の家系なので、逆に富裕層そしてごっそり稼ぐ法人への課税をする事にそんなに拘りもなかった。金があれば、寄付したり、雇用を増やしたり、税金をごっそり払うのが、当然とも思っていた。ジブトラストの人たちも、初代冶部治平の目指していた、すべての国民に対する無料診察精度の確立はやはり、ジブ一族にとっては、一種の呪文みたいなものであった。冶部一族の財産管理会社だった、ジブトラストとしては、苦々しく思いながらも、無料診察制度の維持と言われると、わざわざ海外から高い配当を送金させ、税金を払ってきた。それに恵が財団を作り、お母さんとこの世に生まれてきたい赤ちゃんのために、組織を作っていった時も、香奈はジブトラスト発足以前の運用会社時代から寄付して、世界の富を支配するジブトラストと云われるようになっても 利益の一定比率を寄付し続けた。ジブが奇跡の成長を遂げていくと、寄付する金が膨らんでいくつれて、恵の財団も単にお母さん支援だけでなく、公的福祉全般に広がっていった。元々、高邁な理想を持ってした事でもないが、それが何故か定着してしまった。陽太は、それはそれで良いと思っていた。真似はやがて、その人の地になる事もあるのだ。陽太は神幸にそんな事を期待していたのかもしれない。

神幸は権力闘争では、持って生まれた素地があった。ナンダカンダと言いながら、権力に擦り寄り、いつの間にか権力構造の中にいる。そんな男だった。神一がそうだった。どんな所でも神一は、権力を上手く、自分のものにする天分があった。神一は 人間ばなれした天才だったが、人を人とも思わない態度が透けて見えてしまう。それが欠点だと思っていた。そんな態度は、政治家としては致命的な欠点だった。神幸は、けっして、神一ほどの天才ではない。しかし、演技かもしれないが、人を見下すような態度を取らない。演技はやがて、その人の地にもなる。政治家は選挙に強く、権力闘争にも強くないと、本来の役割を果たす事ができない。政治家は、評論家とは違うのだ。いくら正しい事を言っても、何も実現しない。それに、神幸にナンダカンダと問題はあったが、やはり頭は良かった。神幸の成長戦略もそれなりに評価していた。陽太はそれを買っていた。磨けば、光る奴かもしれない。政治家個人が、聖人君子であるよりも、結局何が出来るかが問題なのだ。結果としてみんなを幸せにすればいいのだ。成長していく社会にする事自体は、決して目的ではない、成長していく事で、みんなが幸せになる事が、目的なのだ。神幸は、変わり身が早い。陽太が絶えずプレッシャーをかけて行けば、それに正直に反応する奴だ、でもそれが神幸自身を変えていく。そして、もっと多くの同士を、日本の各地で作る必要もあった。草の根から、福祉を切り捨てない社会を作っていかなくてはならない。陽太は天才的な訴求方法をして、ごきげん党を大きくした、しかし、地方知識は貧弱だった。それを陽太は気にしていた。陽太は不動財団本部で、再チャレンジできる社会を推進していた。それも大事な事と思っていていたが、福祉を切り捨てる事を許さない社会勢力を草の根から、確立していく事も必要だと陽太はそう思っていた。政治家は選挙に通って、初めて政治家になる。単なる兄ちゃんやおっさんではなくなる。陽太は自分の選挙のノウハウを若い人たちに教えていた。勿論福祉への陽太の思い込みも話したが、教えるのは、選挙にいかに勝つかだった。そうした奴らが不動財団を運営し、不動マンションを運営した。当然、そうした奴らは便宜的に、社会福祉を重視して活動をした。そうした演技が、政治家になりたい奴らの地になる事を陽太は期待していた。そのためには、国会議員と云う立場でもなく、自由な立場で、そうした運動を展開していこうと考えてもいた。陽太は、国会議員さんでもないが、やはり政治家であった。

愛染明王さんホテルチェーンが展開していた九州の都市では、猫ハウスが出来て、それを世話するために不動マンションが出来、更にそれを神幸一派が利用して、きっちりと活動して、それぞれ勢力を強めて行った。神幸は、何でも利用して、自分の権力地盤を固める人だった。神幸には、そういう感覚的な、政治力と云うか、権力欲と云う天性の力があった。この都市が政令都市になり、選挙区も複数になり、この馬鹿息子の嫁さんが市長になり、この馬鹿息子も神幸の側近として国会議員となり、九州が、神幸帝国とか揶揄されていくような大きな勢力になるのは もっと先の話であった。

ジブシティーを含む、広大な拡大敷地内は、いわば大きなジブトラストの私有地とも言えた。あらゆる設備が揃っていたし、一応町みたいなものであったが、それでも私有地だった。冶部の里は、大きくなったが、外部の人との接触窓口は、ジブホームホテルとジブホームレストラン、そして美術館程度であって、それ以外は、大きなジブの家の座敷のようなものだった。ジブシティーは、外部と接触している町だったが、ほとんどがジブの所有地で、すべてジブグループの所有地でもあった。地方自治なんぞと言う事は、みんな意識していなかった。なんでもジブトラストが用意した。オール電化で、電気や水道そして下水道などの基礎的な料金もジブシティー株式会社が一括管理していた。家賃はみんな込みでの家賃だった。ネットも使い放題だったし、ジブシティー内の移動もすべて無料だった。エンジェルホープ病院は、まったく金を取らない病院だった。その上、恵の財団はあらゆる事に相談にのった。陽太の不動マンションは、つぶれた奴に宿を提供し、飯を食わせ、バイトや再就職を世話していた。ここの不動マンションはいつも定員オーバーだった。全国各地に不動マンションが出来ていたが、ここは特別だった。ジブシティーに住むのは、もはや天文学的な難しさがあった。マンションは常に満員だったし、空室なんぞは、プレミアムがついた。事務所も権利料は、冗談みたいに高かった。ジブシティーや冶部の里も一応、行政区分で言えば、ある地方自治体に属していたが、独立王国みたいな雰囲気があった。多くの農産物を含めて、自給自足しているような場所でもあった。 しかし、この九州の片田舎だった都市は、ジブ関係の人は、うじゃうじゃしていたし、大きな土地も持っていたが、全体からみれば、やはり一部だった。リトルキャットを含めた、ジブグループと外部の人との混成の都市と言えた。そして、この町で、これからジブと外部の人とが協力して、混沌としながらも、発展し、更に九州一体に広がっていく事になった。それが神幸とこの馬鹿息子たちの神幸一派を押し上げ、そして神幸は陽太親衛隊の幹部とか云われ、神幸の側近たちを集めて神幸グループとか言われ出して、次期総理の有力候補との声も聞かれ出す時が来るなんて、みんな想像も出来なかった。
神幸は、この九州の都市の様子は、時々神一や知加子そして珠子にも話した。神一は、神幸をほとんど信用していなかった。適当に聴いていた。神一は、神幸が選挙に負ければ、カミカミ事務局かカミカミ傘下の企業の名前だけの閑職を与え、不動財団で働かせると脅していた。


「神幸君の選挙区で、市長選挙があってね。神幸君が応援している人が当選したよ。その奥さんは恵教の信者で、幼稚園を運営していたみたいだけど、福祉全般に興味があるみたいなんだよ。陽太君も神幸君も勧めるから、財団も地域財団を作って、総括的な地域福祉をしていくテストケースとして、地域財団を作って、その人に任せてみたら、うまくやっているのよ。」
香奈「若い時の恵みたいな女の子と、恵が会っていたと真理さんが言っていたけど、あの子なのね。それは、いい事だよ。それぞれに、権限委譲して、現場に任せるのは、企業では当たり前の事だよ。」
「そんなに似てないと思うけどね、ガッツはありそうだね。今、ウチの財団にあんなタイプは案外、少ないのよ。冶部産婦人科小児科病院にも話をつけて、エンジェルホープ九州病院に産婦人科と小児科を作るようにしてしまったよ。行動力があるよ。それは、そうかもしれないね。今後も地域財団で包括的な福祉を進める事も検討していくように言っているのよ。今後は、市役所との二人三脚で進めると言ってからね。他の都市では難しいと思うよ。あの町は、結構いい町になっていくと思うよ。行った事もないけどね。」
香奈「私も行った事もないけどね。でも松本さんも淳子さんも、いい町だと言っていたよ。リトルキャット九州の工場も立派な工場だと感心していたよ。九州新開発もレアメタルからの収入はなくなったけど、色々と配当や土地代なんかが入り、好調らしいね。」

神一の娘の神純は、頭も賢く、ガッツもありそうな子だったので、神一は密かに期待していた。冶部一族は、基本的には、女系ファミリーだった。純子や香奈と云った一族の女が、冶部一族を大きくした。名前も純子の再来を期待して、名づけていた。神純は、まだ法学部の大学生なのに、神二郎の不動財団と不動総合企画に興味があるようだった。不動総合企画は、企業の設立を助けたり、うまくいけば、若くして、男とか女とかの関係なしに、直ぐに新しい企業の中枢に入る事ができる会社になっていた。グランドリトルキャットのバックも密かに買っていた。最近やたらと人気が出て競争率が高かった。神二郎の不動総合企画に推薦してくれと神一に頼んでいた。神一は、ご近所なんだから、自分で話しろと言っていた。神純はガッツがあったので、本当に神二郎に頼んでいた。神二郎は、ガッツのあった神純に、今までの不動総合にない力を感じ、色々と宿題を与え、神純はそれを勉強していた。神一はそんな事も知らなかった。

神一は、なぜか忘れていた。冶部の娘だけでなく、冶部一族では、奥さんとなった人が、会社を大きくして、冶部一族がそれで大きくなった事を忘れていた。俊子も有希もそして正子も聖子も悦子も、もっと若い人では加代子も聡美も沙織も姫子もそうだった。財産継承のような単なる奥さんもいたが、多くの人が、それぞれ、会社を大きくした事を忘れていた。珠子はまだ、何にもしていない単なる奥さんだった。それも妊娠していた。ただ色んな事を本宅の高齢者たちは珠子に話した。父親の幸之助は、じっくりとみんなの意見をよく聞きなさいと珠子に言っていた。神一は、まだそんな事には気付いていなかった。

神一は、元々自分の子供を銀行に入れようとは思っていなかったが、正直がっかりした。まだまだ先は長いと思いながら、銀行内の意識改革を始めていた。有望な人をジブ経済研究所に派遣したり、海外の大学院に出したりしていた。神一は、人間ばなれした天才だったが、人を育てる事は天才でもなかったし、そんな方法もなかった。自分の家に経営管理室の若手の部下を呼んで、自由に意見を言ってもらうようにしたが、みんな緊張して、ガチガチになっていた。知加子も同時に、家に経済基礎研究所の若手の研究者を呼んで、話を聞いていた。そこにはなぜか白い猫もいた。にゃーにゃーと言っているだけだったが、みんな感心していた。経営管理室の若手も話が弾まないので、一緒に話をする事になった。知加子が猫語翻訳機を持ってきた。そこで経営管理室の若手も経済の話だったので、それなりに話に加わった。猫の言っていた事は、経済学とも数学とも宗教学とも社会学とも云えるものだった。あっちこっちと話が飛んだ。やたらと複雑な話だった。経済基礎研究所の若手は盛んに意見を言った。猫は盛んに答えた。神一は流石に話は判り、話に加わった。経営管理室の若手は、ほとんど判らず唖然とした。猫は、猫研究担当の会議の準備をしなくてはいけないと言って帰っていった。


経営管理室の若手A「頭取、あの猫はなんですか?本当にあの猫が言っているんですか?」
神一「あの猫はまだ子猫なんだよ。まだ勉強中らしいね。」
知加子「でも最近どんどん伸びているようだわ。リトルチャに、金融の勉強の前に経済の基礎を勉強しなさいと言われたらしいわ。もうすぐ、企業分析研究所にも勉強に行くと言っていたわ。理論経済学も面白いと思うのにね。リトルチャに金融の研究担当になりなさいと言ったらしいわ。」
神一「まあ、リトルチャは厳しいからね。一通り勉強してから、初めて研究担当になるらしいよ。企業分析研究所にも金融の研究室が出来たらしい。みんなは、判らなかったの。勉強不足だね。リトルチャチームの金融担当にはなれないね。」
経営管理室の若手B「そんなハイレペルなんですか?」
経済基礎研究所の若手研究者A「まあ、人間で言うと、若手の助教授クラスの経済レベルを持ってから、企業分析や経済分析をするらしいね。あの猫はまだまだ勉強中らしい。猫にも新しく金融担当が出来たので、その研究担当になるらしい。金融チームの会議に出られるのは、まだまだ先らしい。猫の世界は厳しいね。」
経済基礎研究所の若手B「猫の世界はハイレベルだよ。理論経済担当のチーフ猫は、ウチの室長と時々話をしにくるよ。僕達とは、レベルが違う猫みたいだよ。猫研究担当の理論経済のボスらしい。知加子先生とも時々話をしているらしいですね。」
知加子「あの猫は凄いわよ。経済基礎研究所の室長会議にも出てくるわよ。人間なら教授か室長だものね。国際的な賞を取ってもおかしくないのよ。この間は、基礎研究所の室長会議の共著として発表したのよ。猫の名前では出せないから、基礎研究所として出したのよ。」
神一「ウチの銀行はまだ甘いよ。君たちももっと勉強してね。もうすぐ料理が届くから、みんなで食べよう。」

神一は、後継者どころか、一族の銀行内部の人を育成するところから始まっていた。神太朗に言われた通り、役員の中には優れた人がうじゃうじゃいる筈だった。その人たちの意見を引き出すようにしなくてはならなかった。そして若手を育てていく事も必要だった。神一は危機感もあったが、少しづつ手ごたえも感じていた。神一には、後継者が冶部一族でなければならないとも思わなかったし、娘の旦那を銀行の幹部にしたいとも思わなかった。神帥の息子が、一人、一族の銀行に入っていた。なかなか優秀だった。神一は、混乱している時に、若くしてむりやり頭取になったが、今はそんな時代ではなかった。一族であろうとなかろうと、みんなを指導していけるかは、まだまだ不明だった。優秀な人でないと、とても勤まらない。一族が後を継ぐ、それもそんな時代ではなかった。

神二郎の危機感

神二郎は、バンバン儲けているジブトラストの中で、利益がほとんど見込めないような企業に出資したり、困った企業に出資してきた。不動ファイナンシャルとして沙織が稼いだ金も、ドンドンと出資してきた。不動総合企画も赤字がでても、企業の再生に取り組んできた。それが途中から、出資している企業が大きくなり、不動総合企画も多くの会社を傘下に治め、大きな企業グループになった。リトルキャットを、リトルキャット運用会社と共同出資したのは、大成功した。リトルキャットは大きなブランドになった。不動グループの代表的なブランドとなった。不動財団は、陽太が理事長になり、多くの人を再生させた。そんな人たちは、不動総合企画でも働いてもらったし、不動傘下の企業でも働いてもらった。つぶれた企業も数多く再生した、神二郎の新宿も、Aチームは、国際的な企業に出資して、海外進出を助け、海外企業が日本へ進出するのを助けていた。Bチームも数多くの企業に出資して、みんなとは言えないまでも多くの企業は大きくなった。善作は、今や夢を現実にするファンドマネージャーと言われ、多くの起業を手伝い、企業の変身を手助けした。株屋なので、当然そうした会社の株式は、新宿名義やカミカミ名義で持った。やたらと大きくなった企業は、出資額の何倍もの配当をくれた。切った張ったの株式取引は、Aチーム以外しなかったが、貰う配当は、山のように多くなった。Aチームには、証券会社に移籍した人たちも少しづつ戻ってきた。神子のお告げの有難さを再確認して、ジブに戻った人たちは、元々取引適性も高く、神子のチームと協力して、一層儲けた。ジブの一員として、出資している企業に要請されて、役員になった人もいた。不動ファイナンシャルもやたらと配当を貰っていた。不動産管理チームも、ジブシティーの建設で成功して、あの私鉄の都心ターミナル付近の再開発も成功した。小夜のジブタウン東京と組んだ発想は、大成功して、東京での大きな名所になった。不動グループは、リトルキャットと競争して、ハイテク業界にも入り、国内でも有数のハイテクグループも持った。新宿のオフィスには、山のような来客が続き、Aチーム、Bチームの区別も不明瞭になった。もう一つの大きな銀行や一族の銀行とも協力関係が出来た。神二郎にとっては、わが世の春とも言える状態だった。神二郎は、今や影響力のあるリーダーと言えた。成功体験のど真ん中にいると言える状態だった。危機感などとは遠い状態だった筈が、神二郎は危機感があった。神二郎は、企業の栄枯盛衰を見ていた。企業は絶えず、再生していく必要があった。成功体験が、人も企業もスポイルしていく。みんな浮かれすぎと、神二郎は思っていた。苦しい時を一緒に耐えた不動総合の連中も、入りたい企業のナンバーワンとか言われ、みんな鼻高々だった。困っている人と一緒に考え、再生に努力していく筈が、不動総合に全て任せるのが、再生の成功方程式なんぞと言い出していた。一つ一つみんな異なるものを、みんなで努力して解決していくべきものなのに、成功体験に酔っている。このままでは、まずい。なんとかしなければと神二郎は、一人危機感を持っていた。

神二郎には、子供が五人いた。女の子が二人、男の子が三人いた。苦しい時代に育った子もいれば、やたらと儲け出した時代に育った子もいた。不動総合に入り、神二郎を助けようとしていた子供もいれば、まだ法学部の学生のくせに、世界中の滝をみたいと言って、ウロウロ、世界を放浪する子もいた。やはり血筋なのか、医者になりたい子もいて、医学部で勉強中だった。女の子は、みんな沙織に似て、綺麗な女の子に育った。一人の女の子の神花は、沙織が反対するのも押し切り、高校を卒業すると直ぐに芸能界に入り、モデルのような女優のような事をしていた。なかなか人気で、歌も歌い出した。もう一人の女の子の神恵は、経済学部のまだ学生だったが、この子は金融に興味があった。日銀か大きな銀行に入りたいと言っていた。日銀の試験は難しいから、落ちたら、一族の銀行なら、入れるわね、神一伯父さんに頼んでよと神二郎に言った。そんな事は自分で頼みなさい。日銀と民間の銀行のどっちでもいいなんて、何を考えているのと言っていた。神恵は、でも正人おじさんは、日銀でも偉いさんになり、民間の銀行でも頭取になったのでしょう、もう一つの大きな銀行でもいいからねとか反論していた。神恵は、なかなか弁が立ったし、偉くなりたかった。神恵は、正人や正一にも日銀の試験の傾向も聞き、もう一つの大きな銀行の入行についても頼んでいた。神一にもそれとなく頼んでいた。神一は、そんなに親切に教えなかったが、正人は神恵には優しく教えた。正人は言った。男女平等とは言うものの、日銀で女の人で理事になった人は、ほとんどいない。経済学者で有名になって、知加子ちゃん程度に有名になれば、別のルートでもっと偉い人になれるけど、日銀内部で偉くなるのは、物凄く大変だよ。もう一つの大きな銀行でも難しいけど、所詮、民間会社だからね、僕が元気な間はそれなりのポストにつける程度はなんとかするよ。多少時間はかかるけどね。その程度の力はあるよ。後は君の力次第だよ。競争は厳しいよ。その気になったら、言ってねと助言してくれた。神恵はそれを聞いて、もう一つの大きな銀行に入る事にしていた。

正人は、温厚な性格ではあったが、単におっせいや親切心だけで動く人でもなかった。正人は金融屋でもあった。温厚な顔をしながら、冷静に損得を判断する、そんな連中の中で生きてきた。もう一つの大きな銀行の役員会に、正人は影響力はあったが、実際の管理組織の内部が良く判らなかった。正人は気になっていた、この頃もう一つの大きな銀行を退職する人が増えていた。リトルチャの例の銀行が大きくなったり、チャタロウのチームが拡大して、そうした人は役にたった。香奈国内が、小さい会社に支援する時にも、助かった。正人が直接管理するリトルキャットでも、人手は要った。みんな、それなりに優秀だった。リトルキャット系列ではそれで助かった。急膨張する組織では人材がネックになる事が多いのに、優秀な人材が飛び込んできてくれたようなものだった。しかしもう一つの大きな銀行にとっては、大きな損失の筈だった。正人は、納得しないものを感じていた。人が出て行く組織は、何か欠点があるのではないかと思った。頭取にもそれなりに言ったが、正人さんの所が高給を出すからですよと簡単に言った。もう一つの大きな銀行は、大銀行だった。そんな事で動く奴は、そんなに多くない。銀行なんて組織は、人が財産なのに、優秀な奴がいつも溢れている時代が、いつまでも続くと思っている頭取には少しガッカリした。人事部や総務部などの管理組織に、何か問題があるのではないかと思っていた。一族の銀行は、神一が躍起になって、内部改革を進めていた。神一ワンマンの銀行と、もう一つの銀行はまだ軽く見ていた。正人は冷静だった。神一個人は、天才だったし、神一の今の態度が続けば、いずれ、追い抜かされると思っていた。神恵は、なかなか弁の立つ女の子だったし、冷静に状況も見れる女の子でもあった。香奈の家系では、今は金融筋に興味を持っている子はなかった。スパイとは云えないものの、総務や人事などの管理組織の内部に送り込めば、なにか役に立つのではないかとも思っていた。直ぐには無理だが、少し時間があれば、そんな管理部門では、それなりに待遇を与える事は、正人には出来た。正人は、いつも状況を判断して、悪化した時の対応を考える癖はあった。正人は今は、単なる資産家のボンではなかった。それにもう一つの大きな銀行にもそれなりの愛着はあった。

しかしこれは正人の考えすぎかもしれなかった。リトルキャット系列は今や話題の企業集団と言われ、急成長しているので、才能や能力があれば、すぐに会社の重要なボストにもつけ、権限委譲も進み、高給でもあった。もう一つの大きな銀行の退職者も大勢いたし、正人に頼めば、すぐに入れた。もう一つの大きな銀行に極めて近い組織とも思われ、香奈国内は、資金も潤沢な組織だった。そんな事は銀行屋なら、直ぐに計算できた。報酬につられて、サラ金や問題のある企業に入る訳でもなかった。もう一つの大きな銀行で、窮屈に働くよりもいいと思う人が増えていただけかもしれなかった。正人と神恵の約束なんては、神二郎は知らなかった。

神二郎の一番上の息子の神芳は、大人しい男の子だった。いるかいないか判らないような男の子であったが、いるだけで、みんなを暖かくするような人だった。神幸みたいに女にもてず、まだ女も知らないような男の子でもあった。そんな男が、女には一番危ない男とは神二郎は思っていなかった。不動総合に入っていたが、ボン、ボンと可愛がられていた。神二郎は、管理ではなく、遠い九州の不動連絡事務所に配置して、不動工業団地の面倒を見る仕事をさせた。九州では、赤字ではなく、そこそこ利益も出ていたが、リトルキャット九州の勢いに負けて、下請けのような仕事をもらったり、本来の製品も、ついでに一緒に売ってもらうなどの心理的には、苦しい状況だった。神二郎は、チャタロウの能力を高く評価していた、実際のリトルキャット九州の状況を見て来いといって、神芳を一人で送り出していた。こうして、女に一番危ない神芳は、あの町で一人暮らしをして働く事になった。

危機感なんぞまったくない人もいた。 神三郎は、危機感なんぞとは縁遠かった。ひたすら医療一筋だった。浮世絵が好きとか江戸時代の美術品が好きとは、加代子に聞かれて思わず言った言葉だった。和風が好きで、江戸時代の美術品は、なんとなく好きではあったが、それよりも医療一筋で、勉強や研究に取り組んでいた。子供は八人もいたし、まだ幼い子もいた。加代子の世話をしたいと言って、カヨコファイナンシャルに入るために、経済学部に入り、英語を勉強している子もいた。医者になりたいと言って、勉強している子もいた。まだしぶとく元気な高杉の話を聞いて、不動産開発の仕事をしたいと言う子もいた。 みんな、まだまだこれからだった。加代子は、危機感なんぞはまったくなかった。元々加代子の取引は教えられるものでもなく、天性のようなものだった。だれが何になりたいのかは、自分の意思だった。高杉は神三郎と相談して、神一や神二郎の子供たちと同様に、子供たちにカヨコファイナンシャル、カミカミそしてジブなどの一家の管理会社への出資をさせるように工作していたが、二人も冶部一族としては、まだ若く、これからといってもいい状態だった。 恵の危機感 神太朗の孫たちでものんびりした奴が多かったが、恵の家系はそれが一世代早かった。冶部ビルなのに、小夜の下の経営陣には、名前だけの役員が冶部一族で、実際に運営する人は、恵教の信者だったり、小夜の側近だった人だった。それに冶部ビルも、小さいビルでもなかった。テナントもデッカイ会社だったり、大きな店だったりした。名前だけの役員では、とても運営できなくなっていた。恵がじっくりと、冶部ビルの全体の業績を見てみると、凄く大きなビル運営会社になっていた。菊子は、まだ若いと云ってももう歳だし、それに菊子金属や冶部金属の経営もあった。菊子が継げないと、冶部ビルの後を継いでいける冶部一族がいなくなる。 恵たちの系統は、本当に過去の遺産を頼りの年金暮らしの系統になりかねないと、恵は、懸念していた。 鉄鋼と冶部金属の合併話の浮上 ついに冶部金属と世界のなんたらと云われていた鉄鋼との間で、合併して世界でも有数の鉄鋼会社にする計画が持ちあがっていた。表面的には、冶部金属の赤川の経営手腕を鉄鋼の経営陣が評価し、冶部一族が認めてくれれば、菊子が会長、赤川が社長となり、副会長や副社長を鉄鋼出身にして、合併を進めたいと言われていた。大きな鉄鋼が会長も社長も冶部金属側に渡すと云う異例の申し入れだった。冶部金属の会長だった聖子は、取締役相談役の座が用意され、聖子もアフリカの快適鉄鋼との協力関係を維持してくれるならと満更でもなかった。 そうなると、菊子金属、キクコドイツメタルと快適製鉄との協力も進みやすく、販売量、生産量そして技術、利益の点で、日本どころか世界でも有数の鉄鋼会社になる筈だった。菊子は、旦那の健が単なる平取締役なので、旦那の健を会長にと渋っていた。菊子金属は菊太郎がそこそこ成長して、任せられる程度になっていたので、菊子金属は問題なかったが、旦那よりも上の地位は、困る。赤川さんが社長になるなら、鉄鋼が会長の座を取り、健を会長か少なくとも副会長にと渋っていた。菊子は、それよりは家族会社である冶部ビルで小夜の手伝いをしたいと思っていた。しかし、世界の情勢は厳しく、単に一族だからと云って、菊子ではなく、菊子の旦那の健が名目的な経営トップになる状況ではなかった。菊子は菊子金属そのものだった。菊子金属そのものも取り込む必要があった。 この背景には猫事業も少し絡んでいた。 猫たちの九州事業でのハイテク素材の原料は、元々菊子金属のテストプラントで作ってもらっていた特殊金属だった。ここに、高度集積型回路のシリコンを組み込んで、最終的にハイテク素材になっていた。猫たちの九州事業での製造量ではとても足りなくなり、猫たちは、地域とも国とも云えないところで、第二工場を作る羽目になり、小さい材料の加工品メーカーを買収していた。 菊子金属は、テストプラントでの製造から、この供給を冶部金属に移行させた。テストプラントでの製造は変則的すぎたし、必要量も増えていた。冶部金属は、やたら難しい特殊金属だったので、初めは、難色を示していたが、特殊金属が売り物の冶部金属なので、仕方なしに苦労して製造して、九州事業と第二工場に原料を供給していた。それでもどんどん猫のハイテク素材の販売が伸びてきた。九州での工場は、増産に次ぐ、増産をしていた。不動工業団地の不動系列の企業にも仕事を回した。九州での工場の拡張計画と第二工場の拡張計画とがあった。チャタロウは、これ以上、一国で集中的に製造する事は危険だと思い、規模の小さい第二工場を拡張する事にした。 冶部金属は、いつまでもこの第二工場に供給する事を嫌った。やたらと難しい特殊な金属だった。菊子金属では簡単に製造できたが、一般鋼板も多少作り、規模も大きくなった冶部金属では、製造ラインからみれば、ほとんど限界への挑戦みたいな製品だった。今更、冶部金属では出来ませんと菊子金属に言うのはプライドが許さなかった。九州の工場で使用する程度はなんとか作るといった。そうなると第二工場で製造する原料がなくなるので、会社を探した。 地域とも国とも云えないところにも、小さい鉄鋼会社があった。ジブトラストのダミー会社が買収して、ほとんどの株式を持っていた。猫資本がアジアに進出してきて、危機感をもった神太朗が快適製鉄の事も考えて買収していた。一般鋼板だけを作っている会社だった。製造会社とは、名前ばかりで、神太朗は単なる販売拠点のように考えていた。実際、快適製鉄の鋼板を輸入して、販売していた。チャタロウは、神太朗に頼み、特殊金属を作って欲しいと言った。メッタヤタラと難しい特殊金属だったので、現場は到底、無理と言った。屋台でフランス料理が作れる筈がないと言った。神太朗も難色を示した。チャタロウは、考えて、新しい特殊金属用の製造ラインを作り、その新設の製造ラインの設備代は、猫資金ですべて持つと言って、押し切った。 かなり大規模の投資をこの会社にした。チャタロウは菊子にも頼み、菊子金属のテストプラントの同様の特殊なラインを作ってもらった。菊子金属もメッタヤタラ難しい特殊金属だったので、この特殊金属専用のラインを設計して、プラント設計代とパテント代まで取った。チャタロウチームが作っていたハイテク素材の製品の単価は、思い切り高かった。原料代がいくら掛かろうとそんな事は気にしない程だった。安定供給できる事が最低条件だった。こうして、ジブトラスト、正確にはダミー資本の小さい鉄鋼会社に、猫資金がかなり大幅に出資した形となった。製造ラインの立ち上げは、菊子金属がパテント代程度は、操業が順調に行くまで指導してくれた。この小さな鉄鋼会社も、マニュアルを見ながらの操業だったが、菊子金属も丁寧に教えてくれた。作った特殊金属は、全量、猫資金の加工品メーカーが買い取った。鉄鋼会社には損はなかった。設備投資はすべて、猫資金が出して、利益もほどほど渡しくれた。出来た製品は猫企業の部品メーカーがそっくり買い取るので、むしろ大幅な利益になった。ジブのダミー資本が出資している会社にもそこそこ利益が入っていた。 こうして漸くアジアの第二工場も大幅に拡張する事ができた。九州での工場と同程度の生産数量が確保できた。営業は安心して、どんどん売った。又どんどんと売上が伸びてきた。アメリカでの販売が増えてきた。アメリカでの工場を作り、今度は、キクコドイツメタルがあっさりと、この特殊金属を作ってくれる事になった。キクコドイツメタルはやはり、技術力は高かった。易々とつくってくれた。世界三工場システムになり、製品の品質の競争も始まり、製品品質も安定化してきた。ヨーロッパでの販売が増えれば、今度は未来テクノの子会社に頼めばいいと思っていた。ヨーロッパでは、現に小賢しい、利益に敏感な大介の未来テクノが販売代理店として、販売を担当していた。 ヨーロッパでの販売量を見ながら、大介はリトルキャット九州と連絡を取り、密かにヨーロッパ工場の建設計画も進めていた。ヨーロッパでは、リトルキャット九州と未来テクノの合弁会社を作り、ここでも製造できるように考えていた。製造の立ち上がりは、リトルキャット九州に援助して貰い、パテント代と得られた利益の一定部分を渡し、配当も少し渡すものの、大介は、もっと儲ける事ができた、コバンザメに徹した大介が考えるような事であった、ヨーロッパでの販売に力が入った。ヨーロッパでの販売も伸びてきて、工場も作り出していた。チャタロウはヨーロッパは、想定外だったし、チャタロウチームのヨーロッパでの組織作りは、アジアやアメリカに比較して遅れていたので、大介の提案に乗った。それに未来テクノの技術陣からは、少しは、製品の改良型も提案されていた。これも研究班と技術班の猫たちが協議して、面白いと言って、更に改良を加え、テスト的に、次世代型の改良品にしようと話し合っていた。 問題は、アジアの第二工場に原料を供給していた鉄鋼会社だった。この難しい特殊金属を製造していた事に自信を持ち出した。初めは到底、無理といった会社なのに、今までのラインでもできる特殊金属を菊子金属に相談した。菊子金属も金属加工の添加剤の総合メーカーなので、何を作りたいのかと聞いて、可能な範囲での添加剤を販売した。この鉄鋼会社は、色々と試して、製造ラインにも工夫をした。ついに特殊鋼板を製造する会社に変わった。普通の一般鋼板は、もう全て、快適製鉄から輸入して、販売し、自社では、特殊鋼板を作りだしていた。それがドンドンと売れ出した。中国本土からも引き合いがきた。それが少しづつ伸びてきた。そして、ついには中国国内で作れと言われた。中国の大きな鉄鋼会社がその製造を担当すると言われた。菊子金属から買っていた添加剤と添加量を言えば、この会社のノウハウはなくなってしまう。製造ラインも多少改良しているとは云え、技術的に丸裸になるのに等しい。それは渋っていた。しかしこの特殊鋼板の需要は、中国でも伸びてきた。この鉄鋼会社は、これ以上の技術公開を迫られれば、中国本土への輸出を断念する決意までしていた。そうすると、中国も困った。 ジブトラストは、中国に大幅な出資をした。 ジブトラストのダミー資本だったが、中国のタヌキには、ジブトラストだったと直ぐに判った。中国の偉いさんが敷地内に来て、香奈と話をした。香奈は、みんなノウハウを取るのは厚かましいと言った。小さい鉄鋼会社と軽くみて、無茶を言わないでとも言った。 ナンダカンダと交渉が続き、最後には、何事もなかったように、香奈と中国の偉いさんが、仲良く冗談を言いながら、この鉄鋼会社が少し出資して、ジブトラストが金を足すと云うか巨大な資本を出資して、中国の大きな鉄鋼会社は、より大きくなり、その半分はジブトラストグループの出資となった。小さい鉄鋼会社が形の上では、中国の大きな鉄鋼会社の親分衆の一員になり、多額のパテント代も貰うように香奈はしてくれた。ジブトラストではジブ上海銀行とジブ中国に続いて、久しぶりの対等出資であった。 これは中国にとっても大きな出来事だった。ジブが相変わらず、中国にコミットしていく姿勢を明らかにする事に意味があった。中国の偉いさんは、香奈と冗談だけを言うために、わざわざ日本に来る訳でもなかった。香奈は冗談のようでも、タヌキには判るように、問題点を指摘したり、中国のタヌキも冗談を言いながら返答していた。中国の偉いさんは、ジブトラストに大幅な出資をさせる事を優先していた。ジブトラストが、中国の鉄鋼会社に大幅出資との記事が、世界中を駆け巡った。ジブトラストは、この頃、中国に及び腰との見解を覆すものだった。 香奈は中国のしぶとさに、感心して、鉄鋼会社には、足がかりを持つ事を決意した。結局は伸びる国であると思っていた。中国の偉いさんや香奈の間では、例の特殊鋼板は、些細な事であった。中国は、猫企業のハイテク素材は、機密の塊である事は認めて、猫企業の製品をそのまま中国が輸入する事は認めた。中国国内で販売する特殊鋼板は、中国の大きな鉄鋼会社で作る事に決まった。菊子金属からの添加剤も買ったし、今までのデータもそれなりに判った。この会社はやたらと技術水準が上がってきた。元々中国国内の需要を満たす、大きな鉄鋼会社だったが、製造能力もより大きくなった。香奈とその偉いさんの話では、この鉄鋼会社は、中国国内での使用に限定する事になっていた。海外に輸出する事はしない筈だった。現に、日本の鉄鋼の鋼板や快適製鉄の鋼板も使い、冶部金属からも特殊金属はまだ輸入していた。まだまだ中国での需要をすべて供給する事は出来なかった。香奈も出資する時に、一族の会社の鉄鋼や快適製鉄、冶部金属への影響を考え、中国国内使用に限定するとの制限をつけた。 中国の需要は伸び、この会社もやたらと大きくなっていた。猫資金も入った元々小さい鉄鋼会社には、パテント代が山のように入り、少しの配当も貰った。それが今回のこの会社へのご褒美だった。香奈は、その程度の工作はちゃんとした。中国の偉いさんも譲歩した。香奈は、神太朗に言った。常に新しい事を考えていかないと駄目だよ。あの会社にもそう言って、また新しい事を考える資金だと考える事だね。企業からの配当は年金じゃないよ。パテント代なんて、あっと云う間にくれなくなるよ。子猫たちのハイテク素材は伸びているから、今の内に考えるように、あの会社に言ってねと伝えていた。 チャタロウは、もう一つのラインも本格的に改造して、人に真似の出来ない特殊金属を作る転機だと思い、チャタロウチームに説得工作を頼んでいた。菊子金属からも資本も貰い、キクコドイツメタルのような本格的な特殊金属を作る会社になるチャンスだよと口説いていた。そうすれば、猫企業のハイテク素材の大きな原料メーカーになると考えていた。 チャタロウは、この会社へのジブトラストの出資をリトルキャットが、全面的にはいえないものの、ある程度肩代わりして、チャタロウの実業グループの一角に入れ、菊子金属の協力も得て、大きな素材メーカーに育てていく機会を密かに狙っていた。ハイテク素材もそれなりに商品サイクル、商品としての寿命があった。チャタロウは、次のハイテク素材の準備もし、次の次の研究もさせていた。今売れている商品がずっと売れつづける事はなかった。シリコンサイクルと呼ばれる波もあった。チャタロウは、配下の猫たちやチャタロウチームの人間たちに通常業務はほとんど任せ、大きな方針だけに関与し、いつもチャタロウチームとしての基本構想や次を考えていた。 中国の大きな鉄鋼会社の販売は、まだ中国国内に限定されていたが、それでも鉄鋼には脅威であった。そんな約束は、この鉄鋼会社の生産設備が増強され、中国国内の需要を上回れば、今後どうなるかは不明だった。現に中国は、ODAは別とかいって、アフリカの一部の国に鋼板を無償供与していた、約束は所詮約束だった。中国のこの鉄鋼会社も特殊鋼板の加工のために、菊子金属の添加剤を使用していた。一般鋼板も特殊鋼板も作れる会社に変わっていこうとしていた。 一方、快適製鉄の考え方は、極めてシンプルだった。メッタヤタラ難しい特殊鋼板は、キクコドイツメタルや冶部金属に任せ、一般鋼板を品質を上げながら、安価に提供する事に徹していた。あれもこれも製造する事よりも、利益率が低くても、一般鋼板そのものは、産業の基盤だった。アフリカに良質な鋼板を大量に製造して、安価に提供する事が一番の目標だった。特殊鋼板は、冶部金属に、特殊金属はキクコドイツメタルと分業して、販売していた。これは太朗以来のアフリカ快適ホールディングの一貫した考え方だった。製造設備の近代化、そして量産化、品質の向上を目指していた。ヨーロッパやアメリカにもこうして販売量を増やしていた。 ついに、一般鋼板では、快適製鉄の生産量が世界で一番大きくなった。利益率は高くないので、利益は変動していたが、製品価格はリーズナブルな価格に徹して、市場占有率が高いからといっても、簡単に値上げせず、製品の価格も製造コストや経済状況を考慮して、決めていたので、もはや、対抗できる会社はなくなっていた。キクコドイツメタルと冶部金属と連携して、より効率的な安価な鉄鋼材料を供給する事に徹していた。 日本の鉄鋼は、実は、一般鋼板は快適製鉄からの供給も受けていた。特殊金属とはいえないものの、利益率の高い薄板鋼板とか特殊鋼板が既に主力となっていた。中国の大きな鉄鋼会社は、日本の鉄鋼に近づきつつあった。一般鋼板のような利益率の低い製品は、快適製鉄にまかせ、特殊鋼板に向かう流れを感じていた。今、冶部金属を取り込み、菊子金属にも影響のある赤川と菊子を取り込むと、冶部金属だけでなく、快適製鉄、菊子金属、ドイツキクコメタルとの協力関係は自動的にできた。冶部金属の特殊金属のノウハウは何も添加剤だけではなく、製造ラインそのものにも秘密があった。将棋では敵の打ちたい所に駒を置かなければならない。 逆に冶部金属と菊子金属が中国の鉄鋼会社と連携されれば、世界のナンタラと言われた鉄鋼も一挙に苦しくなった。ここは、中国の鉄鋼会社より先んじる必要があった。会長や社長の座の問題とか冶部一族がドーダコーダと云う問題ではなかった。まして健の家庭内の面子なんてと云うレベルの問題ではなかった。中国が動く前に、冶部金属と菊子自身を取り込んでおく必要があった。 赤川は鉄鋼業界では既に長老と言えた。赤川は、もはや大きな方針だけを決めて、実際の会社の運営は部下たちに任せていた。それは鉄鋼業界では有名な話だった。それに、普通の感覚ではもう引退が見えていた。つまり副社長と言っても実は社長のようなものだった。まして会長はほとんど名目的なものだと考えていた。鉄鋼と冶部金属の合併話の裏側には、こういう事があった。 ジブトラストは、世界の大きな鉄鋼会社に程度の差はあれ、出資していた。香奈は、個人としては、一族の会社が大きくなる事は、期待していたが、ジブトラストとしてみれば、どっちに転んでも、それなりの利益があるようにするのは大切だった。ジプトラストは、あくまで資本であった。あっちこっちと保険をかけておく事は必要な事だった。合併話は、資本の問題ではなく、個々の企業の経営の問題であった。

聖子は快適の今後を考えていた。

聖子は、快適自身の問題もあった。聖子は冶部一族がドーダコーダよりも、大きくした快適を分裂させる事なく、緩やかに結合していけるようにする事を考えていた。個々の快適は比較的、若い人が率いていたが、やっぱり今は、聖子がまとめるしかなかった。聖子は今や快適・安いよグループの象徴とも言えた。聖子は、快適・安いよグループは、聖子ファイナンシャルを中心とする、緩い共同体に移行していくするしかないとも考えていたが、その方法を考える必要があった。昔みたいに利益目標を出して、その利益を追求させるやり方では、大きくなった快適グループでは、もはや適切なものではないと、聖子も理解していた。

日本の安いよスーパーは、名前こそスーパーとは言いながら、日本では大きな小売販売網にはなったが、アジアとインドの快適や南アメリカの快適は、総合企業体として、世界でも有名なグループだった。 アジアの辺朗は、利益はそんなに大きくないが、日常生活で使用する、所謂普及品を服飾、農作物、食品、生活雑貨そして家電製品に至るまで、合弁企業を作り、インドとアジアの各国で展開していた。低価格で販売しているので、利益率そのものは低いが、売り上げは多かった。そしてグランドリトルキャット製品と言う世界最高とも言えたブランド品も作り出していた。これは利益率が高かった。顧客対策として過剰なサービスもするが、そのサービスで世界の富裕層を、強くひきつけていた。聖子は案外、辺朗を評価していた。売り上げをあげてこそ、利益が生まれる素地が出来る。聖子は、元々安売りで儲けて、高級品も売るようになってきた。辺朗の方法は、聖子のやり方だといえなくもない。 一方、羽朗は、高収益の企業体を作っていた。聖子は、高収益を出し続ける羽朗は、お気に入りだった。確かによく儲けている。重工業から宝石、貴金属、オレンジなどの農作物、牛乳などの食品、そしてシャツやパンツまでも売り、高収益の複合企業体を作っていた。ジブ関係の企業とも手を組み、出資比率にも拘る事なく、営業協力費とか経営指導料とか言って、金を貰っていた。それも聖子のやってきた方法であった。 欧米の快適は、服飾、ファッションの会社になっていた。売り上げ動向によって、売る製品を巧みに変化させていた。元々快適は、服飾から始まった。それもやっぱり聖子が始めた事だった。結局各地の快適は、聖子のしてきた方法をそれぞれの解釈で大きく育ていた。 聖子はその時々で、金儲けになると思えば、何でも手を出した。その方法は時代によって変わって、色々な側面を持っていた。その色々な側面を各地の快適は、運営している人たちの方針で強調していただけかもしれなかった。

アフリカの快適グループは重工業では、世界的な大きな企業になっていた。カミカミが筆頭株主だったし、聖子ファイナンシャルの経営コンサルみたいな連中には、意見すらいえない雰囲気でもあった。折角世界シェアが高いのだから、もっと利益を出すように製品価格を上げたらとかおずおずと言っても、良質で安価な製品を供給するのが、企業の社会的責任とか言って、相手にもしてくれなかった。太朗の方針がアフリカの快適グループの重工業グループの大きな方針、精神になっていた。快適鉱山は、名前こそ快適だけど、香奈オフィスに運営を任せて、香奈オフィスの子会社みたいになっていた。快適交易は快適製品の輸出入を担当する会社だったが、もう商社みたいになって、取り扱い商品は、快適以外の商品も増えていた、それに運営は和美たちに任せていた。実際の貿易実務は、ジブトレーデングが世界中に商品を動かしていた。ナンダカンダと利益の一部は吸い取ってはいたが、聖子ファイナンシャルの経営コンサルみたいな連中では、実際の運営などは出来ない事は明らかだった。聖子ファイナンシャルの連中も、こうした会社では、利益目標は設定できず、単に業務成績を聞き、各社からの予測を調査するだけに終わっていた。

ありとあらゆる業態に広がった快適では、それらの企業の経営情報を解析するだけでも大変だった。企業分析研究所への依頼研究費は高かった。聖子ファイナンシャルと云う、ジブの企業分析研究所に先駆けて、快適の経営情報を監視する機関を持っているだけに、そこに今後の方向性について頼むのは、何か勿体ないような気もした。それに、快適と安いよの株式を最も多く保有しているのは、実はジブトラストだった。ジブトラストが勝手に基本的な企業分析などをして、報告書をくれた。その報告書では、特に問題があるようにも思えなかった。リトルキャットブランドは、各地の快適がまとまるきっかけではあったが、まだ弱かった。今は聖子の存在が必要だった。聖子は自分が元気な内に、もっとまとまる方法がないかと考えていた。冶部金属の会長職に時間を割ける状態ではなかった。

冶部ビルでは、もっと深刻だった。

菊子が、もし冶部ビルを全面に経営できず、今のように、単に役員として意見を言う程度とすると、冶部一族で、とりあえず小夜や直美の次を継ぐ人すらいない現状だった。小夜たちも元気と云っても、もう100歳に近づいていた。あっちこっちと動ける事はできなくなっていた。福岡の現状もよく聞いてみると、ジブタウン福岡は大きくなり、あの町のショッピング街も繁盛していたが、小夜でさえ見にも行かず、福岡の責任者に任せて、詳しく知らなかった、直美は元々冶部ビル本体で管理部門を専門にしていた。ジブタウン東京は、小夜の思惑通り、もっと大きなビル街になっていた。孫やひ孫たちの冶部一族はジブタウン東京の役員にも名前を連ねていたが、誰も見に行かず、何も詳しく知ろうともしていなかった。

恵は危機感を感じていた。このままでは、本当に、過去の遺産を頼りに、みんな年金暮らしのような一家になると感じていた。恵は、冶部一族を大きくした純子の長男である洋一の系統を背負ってきた。バンバンと儲けている香奈や一族の他の系統とは違い、義母である真智子の資産を守り続けてきた。真智子が父の洋一から受けついた資産を次男の嫁と云う立場であるが、実質的にこの系統を切り盛りしてきた。確かに土地や株式などの資産はじっと保有してきた。しかし、和子の流れを組む香奈や洋之助の流れを組む俊子たちと違い、大きな企業を作る事はしなかった。決して、受け継いだ資産を減らさないように、危険は冒さないようにしてきた積もりだった。しかし、それが、恵たちの系統で、新しく起業する人が少なくなった原因でもあった。菊子は例外だった。苦労しらずのお嬢さんだったせいで、安易に菊子金属を作り、香奈の支援を受けたものの、苦労して菊子金属そして冶部金属に展開させて、大きな企業体にまで押し上げた。しかし、恵の系統では、菊子以外には、そんな苦労をする人はいなかった。過去の資産を頼りに、年金暮らしのように、ただ過去の遺産からのアガリを貰えば、余裕のある生活が出来た。

そんな、系統の中で、小夜は冶部ビルを大きく展開させた。恵は、義母の真智子から受け継いだ三つのビルを守り続けた。そして名古屋にも進出していった。しかし小夜は、大阪そして福岡に商業ビルを作り、更に東京にジブタウンを言う多くのビル群を保有する冶部ビル東京を整備していった。そして、大阪そして福岡にもジブタウンを展開した。単にビルの管理だけでなく、かなりの直営店舗を持つ、大きなビル運営会社にまで押し上げた。

ジブトレーディングと云う貿易会社や、ヤングカジュアル専門チェーンを作った満たちもいた。料理店チェーンの新吾たちもいた。確かに、冶部一族の他の系統のように華々しい展開はないものの、地道に企業を展開していった時代もあった。しかし、それからは、もう誰も起業なぞはしなかった。元々ジブトラストでの真智子の出資金は一番多かった。香奈が成長していくジブトラストで、資金ショートや税金分負担のために、責任上増資していったので、香奈がいつしか一番多く出資するようになったが、真智子の出資分を分散させて保有していた恵たちの系統の出資は多かった。正子たちの系統の神がかりの運用と香奈の運営で、奇跡の成長を遂げていったジブトラストから、ジブトラストの発展にほとんど何の関与もしなかった系統ではあるが、莫大な利益をあげていたジブトラストからの配当は多かった系統でもあった。つまり、黙っていても、莫大な配当をもらえた、そして元々保有していた一族の会社の株式もあった。誰も危険を冒す必要もなかった。一族の会社には、それなりのコネも効いたし、元々医者になる人も多かった。黙っていても金は入り、エリートずらもできた。恵は、自分の責任だと思い、過去の資産を自然に受け継いでいけるように、自分たちの系統の財産管理会社への出資を、半ば強制的に、子供たちそして孫たちに押し付けてきた。子供たちでは、ジブトラストからの配当はほとんど、財産管理会社への出資と変わった。それはある程度成功した。冶部ビルは、いわば財産管理会社の側面もあり、資金がたまってきた、小夜は、この資金を有効に使い、冶部ビルを大きくしていったのだった。

その恵のスキームは、崩れだした。財産管理会社からの配当やジブトラストからの配当もそっくり、出資していく事で、資産継承をスムーズに行う事を目的としていたが、孫たち以降は、ジブトラストや財産会社群からの配当をほとんど全部、恵たちの管理会社に出資する事をせずに、半分程度しか出資しなくなった。恵は怒って、財産管理会社からの配当を減らした。それが財産管理会社の内部保留を益々多くなって、孫たち以降の出資意欲は益々なくなった。元気で頑固な恵が怖いために、渋々半分出資しているだけになった。半分とは云え、莫大な金が黙っていても手に入った。過去の資産そして一族の会社群の株式も、財産管理会社で大量に保有している系統ではあった。医者の多い系統のために、恵は、マチコジブ記念病院を創設した。そして、孫たち以降の医者たちの勤務先を確保した。義母の名前の下に、系統が頑張るようにとの意図もあった。ただ。孫たちは、優秀な医者を他から集めだした。マチコジブ記念病院は有名な内科の病院になった。ただ、恵の意図とは別に、恵の孫たちは、理事とかに納まり、優秀な医者の確保とか、病院経営をしだしていた。自分たちが頑張らなくても、優秀な医者を集めた方が、より楽だし、医師の免許があれば、理事とかの病院経営もそれなりに有利に出来た。

恵たちの系統は、資産総額としては、香奈などの和子の系統、洋太郎そして俊子、有希、聖子、正子などの自分たちで大きくしていった洋之助の系統とは、大きく引き離されていたが、自分たちは、アクセクせずに、一番金に余裕のある系統でもあった。

小夜や菊子のように、自然発生的に、一族の中に優秀な人が出てくる事は、もうなかった。菊子の負担を軽くして、どのように人を育てていくかを小夜たちと話していた。それぞれのビル群を率いていた人はみんな優秀だった。そしてその人たちの下には、もっと優秀な人がいた。企業としては、小夜はキチンと人を育てていた。しかし恵には、そこに冶部一族の名前がない事が寂しかった。指導するどころか邪魔しない程度の人を、冶部一族の中で育てていく必要があった。とても引退どころの話ではなかった。

香奈はそんな危機感はなかった。

香奈の家系も似たようなものだったが、香奈はそんなに危機感を感じていなかった。香奈の姓は大岩だったし、瑠璃は須坂、奈津美は河野だった。勝は毛利だった。ナニナニ一族と云ってもそんなに実感もなかった。亡き和子が言っていたように、資本と経営は別なのだと思っていた。一族や血縁など関係なしに、経営の才能を持っている人を起用していくのが正しいと思っていた。恵にもそう言った。資本グループの中に、常に経営ができる人がいるのは、むしろ例外と思っていた。資本は経営を監視し、冷静な判断ができる人を一族の中で育てるのが、重要なのだとも言っていた。そのための判断材料を提供してもらうために、企業分析研究所を作っていた。それでも香奈自身、正人、奈津美そして切人以外ではパットとした孫もひ孫もいないのは、少し気にはなった。ひ孫たちも品行方正はいいもの、器は小さいと思っていた。子供たちは、うじゃうじゃと多かったし、機会が与えれば、伸びる可能性があると信じていた。香奈からみれば、単なる経理屋と見えた孫の正人も高齢になってから、単なる経理屋でなく、グループ総括として色々な配慮もできる人になっていた。今は超高齢者が元気すぎるだけだと思っていた。敷地内では、歳を取る毎に、みんな大きくなってくる不思議な空間でもあった。人間は百歳を超えてから、重要な局面を迎えると思っていた。自分であっちこっちと動けなくなり、人に動いてもらうようになって、初めて見えてくる事もあるし、想定していない成功も得る事ができるかもしれない。香奈はそんな可能性を信じていた。

香奈は、ジブトラスト傘下の企業の人事でも神太朗に言った。一族やジブトラストの関係者とかは関係なしに、その人の能力を重要視しなくてはいけないよ。一族の会社でもそうしているんだからね。企業分析研究所もそのために作ったのだからねと言っていた。しかし、ジプトラスト自体に、冶部一族が残るかは判らなかった。それは神太朗世代やその後の世代が考える事だと香奈は思っていた。切った、張ったの運用の比重は、もう十分に少なくしてきた積もりだった。

香奈と恵がノーベル平和賞を貰った。

突然の報道が、世界を駆け巡った。ナント香奈と恵がノーベル平和賞をもらった。正しくは、香奈とジブスイス財団、恵と恵の財団による共同受賞であった。ジブスイス財団は、ヨーロッパでは、ジブ関係財団の先駆的な財団であり、ヨーロッパでのジブ関係財団の取りまとめみたいな財団で、注目されていた財団であった。香奈は名目的な財団の理事長だった。ただ、なんと言っても、株屋の親玉みたいな印象が強く、その点が難点とされ、それにジブスイス財団では、具体的な仕事もしていない、スイスに長い間来た事もない、と云うまともな反対意見もあった。ジブスイス財団だけの受賞にしようとする意見も強かった。恵の財団は、世界的にも有名な財団だったし、恵が中心となって活動していた財団だったが、所詮、極東のはなれ小島の財団だと言われていた。ヨーロッパの人たちは、日本をその程度にしか思っていなかった。実は、ジブスイス財団が、香奈の意向で出来た財団だと強く言った。それに、各国の偉いさんたちの意向、財団の学校を出た英才たちが、ヨーロッパに散らばり、その人たちは、今や一線で活躍していた事も、選考委員たちにも影響を与えていた。財団としての実績では、恵の財団が極東のはなれ小島の財団ではあるとは云え、群を抜いていた。恵は、この財団の象徴とも言える人だった。ナンダカンダとの討議もあったが、香奈を受賞させたい人たちがやたら増え、香奈だけでは目立つ、みんなの共同受賞にしてしまおうと云う意見が、反対意見を押し切った。

香奈はヨーロッパに最も近く、中国にも近い筈の人だった。アメリカにはそれとなく距離をおいていたとみんな思っていた。それがアメリカの再生にかかわり、アメリカが勢いを盛り返してきた。経済の変調を感ずいて、中国にもそれとなく距離をおき始めたとおもったら、又中国にコミットをしだした。そうなるとヨーロッパとの距離が今度は一番遠くなると感じた人もいた。ジブグループは、ヨーロッパに対して、かなりの投資はしているものの、最近、新しい新規投資は減少していた。ヨーロッパとジブグループ、香奈ファイナンシャルとの関係を強調したい人たちもいた。ヨーロッパはその頃、何回目かの欧州危機が訪れ、新規投資、救済投資が必要と言われていた。ジブトラストから金を引き出す事が必要だった。そんな人たちが工作して、香奈に恩を売ろうとしていたのだった。金も地位もある人は、最後に名誉を欲しがるものだ、香奈もそうだと思っていた。ノーベル賞は、それぞれ選考委員が異なり、知加子も同時にノーベル経済学賞を取り、夢野も物理学賞を取った。知加子はいつも候補として有力だったが、陽太との距離が近すぎて、その点が難点だったが、陽太が総理を辞めていたので、知加子を推す人たちの意見が反対意見を押しきった。あの話題のレアメタルが、本当に薬になり、安部製薬をはじめとして、ジブ関係の製薬会社が一斉に世界で、発売していた。みんな歳を取らず、頭も冴え、元気になっていった。先駆的な研究をした夢野が評価された。あのレアメタルを作った発電機と、蓄電機を組み合わせた、革新的な発電機も、発売されていた事も評価された。一挙に四人も受賞した。

ココが危険な状態になった。

香奈と恵が、ノーベル賞を受けたとの報道がされ、色々な人がジブトラストにお祝いの電話をかけたり、お祝い物が届いていたが、その日は、香奈は、深刻な声で、朝一番に、今日は行かない、面談もお詫びを言ってキャンセルするようにとの連絡がジブトラストに入っていた。いつも冗談が多い、香奈なのに、深刻な声だったので、管理の部長は理由も聞けなかった。その後のノーベル章受賞の報道がされていた。香奈の知り合いの偉いおっさんたちは、香奈に連絡を取ろうとしたが、香奈はジブトラストに不在と言われた。香奈は自宅の電話は限られた人にしか知らせていないし、携帯なんぞも持たない人だった。香奈に直接お祝いの電話をかけてくるのは、恐ろしく偉い人たちなので、そのままにしておく訳にもいかず、香奈と相談したいと思った。大体ノーベル賞は報道される前に本人は知っている筈だった。香奈は前日まで何も言わなかった。香奈の意向を聞かなくては返事や対応も出来ない。ただ香奈は、ジブトラストでは神様みたいな人だった。いつも気楽に冗談を言うが、香奈の意向を無視した判断は出来ない。しかし、香奈の深刻な声を覚えていた管理の部長は、怖くて、香奈に直接電話も出来ず、恵に連絡を取った。恵は香奈に何でも言える人だった。恵は、今は本部のようになっていたジブシティーの財団の事務所にいて、みんなからのお祝いの電話や、訪問客の対応に追われていた。忙しい恵に、電話をかけてもらった。恵からの電話にも香奈は出ずに、代わりに正人が電話に出た。実はココが昨日の晩から、弱っていて、医師からはもう危ないと言われている。香奈は、ココの側につきっきりで電話にも出れないと言う返事だった。ジブトラストの管理の連中は困った。香奈とココの関係はよく知っていた。しかし飼い猫が病気だから、香奈がジブトラストを休んでいるとも言えなかったし、お祝いをくれた人にもお礼や返事をする必要があった。神太朗と相談して、香奈は喜んでいるが、高齢でもあり、体調を少し崩しているので、大事を取って、暫く静養していると返事した。

ココは、その前の晩から、水をいつものように、コップの水を飲もうとしてもコップを倒すほど、腰がフラフラしていた。死期を感じたココは、朝には、三匹の子猫たちに別れを告げていた。チャもびっくりして、香奈に伝えた。驚いた香奈は、医者を呼び、ココのお腹をさすり、ココもゴロゴロと甘えて、香奈に最後の別れを告げていた。そんな時の恵の電話であった。

ココには、三人の子供、いや子猫がいた。二人は女の子で、ラッセルやプーチンの嫁さんだった。一人はココタロウと言われている男の子だった。女の子や男の子と言っても、ココにとっての子供というだけで、もう孫もいればひ孫もいる子供ではあった。ココタロウは大人しい猫だったが、奥さん猫のクリスは、ハキハキした、アメリカンショートヘアーの女の子であった。クリスは、やたらと賢くなり、薬に興味があり、遺伝子工学研究所の薬理学教室で研究をしていた。子供、いや子猫も三匹生まれ、一匹は、貴金属勘定の宝石担当をして、一匹は、ココタロウを助けて、リトルキャット運用会社と香奈国内の株式先物を担当していた。もう一匹のココイチロウは、遺伝子工学研究所で研究して、遺伝子組替えのエキスパートになっていた。ココは、ココタロウを可愛がっていた。しかもココタロウは、母子家庭で育ち、ココタロウはココに何にも言えない男の子であった。ココとクリスの間は、嫁姑の関係で、仲がいいとは言えなかった。ココは頑固で強気な性格で、金も自由に使えた。クリスは頭がよくて、ハキハキしていた。一発触発のような状態であった。チャのとりなしで、ココタロウとクリスは、庭の猫はなれに住んでいた。ココタロウは、ココの最後の言葉に涙ぐんでいた。

クリスは、画期的な発明をしていた。話題のレアメタルは、分岐状の水とリング状の水を発生させ、しかもこのリング状の水は、ある程度は、自己増殖していく事が知られていた。これは、夢野の研究で判った事であった。つまり、レアメタルのエネルギーを水にエネルギー移転させる事が知られていた。レアメタルのエネルギーを色々な方面に転移させ、色々な薬の官能基の薬理作用を増幅させる事で、新薬が出来ていた。クリスは、ロポット工学研究所との間で協議して、話題のレアメタルとあのレアメタルのマイクロパウダーを作り、そこに、患者から遺伝子を抜き取り、加える事で、修復酵素の作用を大幅に増強させる薬を作っていた。いわば、体内にある異物的な病原菌やがん組織などに対し、体内で抗体を作り、しかも体内で、長い間、分岐状の水やリング状の水に似た薬理作用を発生させる薬を開発していた。一つ一つの病気に対しての薬ではなく、その人独特の病気などに対応したオーダーメイドの万能薬みたいなものであった。レアメタルなどのマイクロパウダーは、体内で簡単に排泄されず、体内に持続できる工夫もされていた。体内のある部分に親和性をもった細かいエマルジョンみたいなもので吸着して、「長時間」、マイクロパウダーとなったレアメタルが、その活性を維持するように設計されていた。これは、製薬との研究陣との共同作業で作ったものであった。製薬の極秘の最新薬でもあった。レアメタルのマイクロパウダーそのものが、毒性がない事は確認されたし、いくつかの動物実験では効果は確認されていた。安全性もほとんどはクリアーしていたが、完全とは言えなかった。しかもまだ、薬としての申請もしておらず、その上「長期間」がどの程度の期間なのかも分かっていなかった。

クリスは悩んでいた。色々な葛藤もあった。涙ぐむココタロウを見て、香奈に打ち明けた。
クリス「香奈さん、私が作っている薬が、お義母さんの病気に効くかどうかは判らないのですが、その人の遺伝子を加えて、ほとんどの病気に効く万能薬と思います。でも私とお義母さんとの間ですから、とてもそんな薬は飲んでくれそうもないのです。」
香奈「ココの病気は、癌みたいなのよ、ココは超高齢なので、癌もゆっくり進行していっていたみたいなの。もう末期と言われているのよ。もう明日まで持つかどうかも判らないのよ。クリスの考えている薬には、ココの遺伝子もいるんでしょう。間に合わないわよ。」
クリス「お義母さんやチャおじさんなどのウチの猫たちの遺伝子は、こっそり抜き取っています。香奈さんや恵さんたちの遺伝子も貰っています。ココイチロウに言って、こっそり食器から検査しました。香奈さんや恵さんたち、超高齢者の遺伝子には、非常に興味もあったので、とりあえず、薬としては、出来てます。超高齢者の人たちの遺伝子は、自己修復酵素の発生がしやすいように、変更されている事も判りました。それが研究の発端でもあったんです。これは、製薬の人たちにも内緒で進めてきました。製薬は、安全性の確認が出来ないとか言ってますが、基本的には、そんな安全性を確認するような必要性すらない薬だと私は思います。」
香奈「それなら、ココに飲ましてみよう。もう手遅れかもしれないけどね。」

しかしココは頑固だった。クリスの作った薬などは飲まないと言った。
ココ「私は、もう猫としては、信じられない程長生きしました。孫にも孫まで出来ています。もうこれで十分です。クリスには冷たくしたけど、意地悪で言っているんではないですよ。遺伝子が作用して、効果があるんでしょう。今の私には効かないですよ。もし、私がそれを飲んでもやっぱり死んだら、ココタロウとの仲も微妙になるかもしれません。」
香奈「私の薬も出来ているそうだから、私も飲んでみるわ。ココも飲んでみなよ。クリスにもありがとうといってやりなよ。ココタロウもそう言うわよ。折角作った薬なんだから、飲まないで死んだら、みんなに悔いが残るわよ。」

そんな所に恵が来た。香奈も恵も、超高齢者であった。怖いものはなかった。恵も勢いで飲むと言った。チャも話を聞いて、僕も飲んでみるといった。ココタロウもクリス自身も飲むと言った。猫としては高齢と云えた二十歳以上の猫も、みんな飲んだ。みんなで、牛乳に入れて飲んだ。ココもみんなの好意を無視する事は出来なかった。ココは、もう水さえも飲みにくそうだったが、無理して飲んでいた。

香奈はココのお腹を、長い間さすってあげた。香奈の手の効果か薬の効き目か判らないものの、ココは腰のふらつきが止まり、元気になった。翌日にはココは元気になり、ココは、一週間、毎日のように薬の入った牛乳を飲んだ。以前のココに戻っただけではなく、前よりも元気になった。驚いた医者がもう一度診ると、ココの癌組織は、綺麗になくなっていた。これは恐らく、クリスの薬の効果ではなかっただろう。確かに癌組織を直したのは、クリスの薬かもしれないが、そんなに早く劇的に効く筈もなかった。ココが全面的に信用していた香奈の手の効果が、一種のプラシーボのようになり、一時的に回復した所に、クリスの薬が劇的な効果をもたらしたと考えた方が理解しやすかった。それでも、ココは元気になった。

クリスの発明は、実は医療用途ではなく、エネルギー分野にも応用できた。

クリスの発明は、まだ開発中で、まだ秘密だった、製薬は、まだまだ研究していった。実はこの薬は、体の自己修復を促進させ、体内の各内臓の機能を維持するだけでなく、脳細胞を広範囲に若返らせ、より活性化させる効果が強いと言う事が判ってきた。不老不死の妙薬と言うよりは、体内の内臓の機能は、その人のベストの状態を維持しながら、脳細胞の再生が進んで、増強されていく効果がある事が判ってきた。安全性も確認された。しかし、あまりにも万能薬すぎたので、他の薬が売れなくなる可能性もあった。外傷性の薬以外の薬は売れなくなる事もあり、製薬は、慎重に特許とか薬としての申請時期を探っていた。ジブ系列の他の製薬会社は、まだこんな事は知らない筈だと思っていた。実は、レアメタルのマイクロパウダー化の技術は、何も薬だけに限定して効果があるものではなかった。夢野が協力研究者みたいになっていた猫のプーチンから聞いて、興味を持ち、自分も奥さんもクリスの作った薬を飲み、その効果を確認するのは、そんなに時間はかからなかった。

夢野は、それと同時に、ロボット工学の連中とも協議して、自分の発電機の改良に取り組み始めていた。発電機の能力は、レアメタルをマイクロパウダーしただけで、その発電能力は一挙に以前の百倍に達した。レアメタルのマイクロパウダーの状態を調整する事で、瞬間的に発生させる発電能力も変化した。一世代前のエンジェルストーンやキクコメタルでも応用できるかもしれない。夢野やプーチンの頭は、更に冴えてきた。夢野とプーチンたちは、夢中で研究を進めていた。夢野は、功名に走る人ではなかったが、知りえた事は、みんなに知らせ、更に色々な意見を聞く事で、科学は進歩すると信じている人だった。エネルギー革命だと言われている夢野の発電機が、更に格段に進歩する。徹も入れて色々と相談した。徹も夢中になった。徹彦は、そんな話を聞いて、特許だの実用新案だのと色々と考えていた。各国の特許申請の準備まで調整していた。前の夢野の発明の興奮が残り、発売していた発電機が飛ぶように売れている段階で、忙しい時期ではあったが、未来エネルギーシステムが一体となって、この夢野の研究と同時進行の形で、このプロジェットが進行していた。未来エネルギーシステムの超高齢者たちも、みんなクリスの薬を飲み、元気一杯で頭も冴えていた。この大きなプロジェットを進めていた。蓄電機を研究していた連中も、クリスの薬で使われていたエマルジョンみたいなものが、蓄電機で応用できる事が判ってきた。みんな張り切っていた。

製薬の妖怪といわれた友恵も、クリスの薬を早い段階で試し、その効果を自分で確認した。クリス周辺の超高齢者たちが、ドンドン若くなっている事も判った。夢野が盛んに研究に打ち込んでいるのも知った。前の愚を冒す事はなかった。各国で、特許とか薬の申請に一挙に踏み切った。製薬関係のジブ連絡会議にも、仁義を切って、ほんの少し前に話した。ショックを受けた各製薬会社は、製薬のパテントを貰う事だけでなく、色々な改良をするように研究陣にハッパをかけた。あの話題のレアメタルを使った薬の開発で一歩先行していた形のスイスカナコインの医学研究所やフランス安部製薬には、ショックは大きかった。ココの話も聞いたが、ココの場合には劇的に効果があったとは云え、病気はそれぞれ異なるものと考えていた。少し手を加えれば、それこそ劇的に各疾患に効果のある薬が作れる事も判ってきた。一人一人でのオーダーメイドの薬は理論的には、万能でも、みんなから遺伝子を集め、遺伝子解析に時間もかかった。個々の疾患用の薬も必要だと思い直した。やがて、製薬関係のジブ連絡会議は、それこれパテントの整理とか新薬の申請の話が入り乱れた。夢野の学会発表前に一族の会社である製薬と製薬関係のジブ連絡会議に出ていた製薬関係の各会社では、それぞれの薬の発売時期や各会社での分担とかが、調整できるようになった。


「私は、この頃、ますます元気になったわ。体も若い頃に戻ったような気がするのよ。」
香奈「私もそうだよ。頭も冴えているんだよ。ココも元気になったよ。頑固な所は治らないけどね。ちゃんとありがとうとお礼を言いなよと言っても、クリスにぶっきら棒にありがとうと言うんだよ。でもクリスは喜んでいたよ。今まで、ココにありがとうと言われた事がないみたいなんだよ。」
「そう言えば、私も小夜さんにありがとうと言った事はないわ。」
香奈「それはいけないよ。小夜さんは、冶部ビルをこんなに大きくした人だよ。恵も気をつけないといけないよ。高杉や不動産管理チームの奴らも小夜さんにも一目を置いているんだよ。」
「私も小夜さんの経営手腕に、認めているけどね。しかし、なかなか息子の嫁さんにありがとうとは言えないのよ。注意しなければいけないね。でも香奈さんも智恵子さんにありがとうなんて言った事はないでしょう。」
香奈「そんな事は大昔から言っているよ。口の言い方がなっていない徹彦がなんとか、それなりになったのはも智恵子さんのお陰だよ。しかり方も難しいけど、誉め方も難しいもんだよ。」
「香奈さんは、普段から冗談が多い人だから、すっと言えるからね。智恵子さんにも、徹彦君の悪口を言う振りをして言える人だからね。でも普通の人はなかなか言えないものだよ。」
香奈「だからこそ、小夜さんには、効き目があるんだよ。恵もいつも小夜さんに、ガミガミ言うだけじゃいけないんだよ。小夜さんみたいな人は、なかなかいないんだよ。」
「そうだね。よく考えてみるよ。香奈さんは、ココの病気の事もあったけど、ノーベル賞なんか喜んでいないのね。」
香奈「私はいいと言ったんだよ。色々な奴が工作したんだよ。今になって、色々な奴が私が工作しましたと言って来るんだよ。なんで私が平和賞なのよ。恵は、財団で頑張ってきたからね。貰う価値はあるよ。返上しようとも思ったんだよ。ジブスイス財団の奴らが、ぜひにと言うから返上するのも、大人気ないから、受けるけどね。ジブトラストの管理の奴らもお祝い品も貰って、私も喜んでいると勝手に言ってしまったらしい。ジブスイス財団の奴らに、代理で出てもらうよ。歳だからといえばすむしね。夢野先生も行かないみたいな事を言っていたよ。歳だからといったら向こうも納得したらしいよ、それよりもクリスの薬とロボット工学研究所の作ったマイクロパウダーの話をプーチンから聞いて、夢野先生と奥さんもクリスに薬を作ってもらって、効果を実感したらしい。でもあれはエネルギーにでも使えるといって、ロポット工学研究所とも共同して、発電機を改良させる事が先と言っていたよ。研究者は過去の研究に対する賞より、今の自分の研究が大切とか言って、息子が代理で受け取ってくるらしい。」
「財団の奴らは、浮かれているのよ、私は裏の事情を色々と聞いたわよ。あれは、ジブスイス財団の単独受賞にほぼ決まっていたのよ。それを香奈さんにも受賞させたい人たちが工作して、私やウチの財団も受けるようにしたらしいね。財団の幹部たちにも言ったのよ。ノーベル賞は励みにはなっても、世界の財団だと浮かれすぎてはいけないよ。極東のはなれ小島でもいいわよ。私たちは、日本人なんだから、日本でコツコツと活動する事が必要なんだよと言ったよ。財団の奴らが受け取りに行くらしいから、私も歳だから海外にはいけないからと言って、代理で受け取ってもらうわ。」
香奈「知加子ちゃんは行って、福祉経済学をみんなに認めてもらうと張り切っていたわよ。知加子ちゃんは、反対論者が、政治に近すぎるとクダクダ言っていたのよ。陽太君もなんか動いていたみたいだよ。陽太君のネットワークも世界中にあるらしいわ。福祉の重要性をみんなに認めてもらう事が必要と思ったみたいなのよ。」

香奈への来客は、急に増えてきた。

香奈への来客の制限はしていたが、会いたいと言ってくる人は、みんな恐ろしく偉い人たちだったので、管理の人も大変になった。ココの病気の時に、香奈が体調を少し崩しているとか言ったので、香奈の体調を自分で確認しようと思ったのだ。それに面談と言うより、香奈へのお見舞いと称していた。香奈は、益々元気で、外観的にはより若く見えた、頭の回転も更に速くなっていた。香奈は、飼い猫が病気だったので、少し休んでいただけで、元気だよと本当の事を言ったが、みんな冗談と思い、笑っていた。そして、こんな偉い人たちとの意見交換がやたらと進んだ。もうジブトラストは、単なる運用会社を超える存在になっていた。

持っている金は、国家レベルを超えていた。元々莫大な金を持っていたのに、更に、神之助がやたらと増やしていた。近年の神之助は、まさしく鬼のようにも儲けていた。独立した神之助グループ、そしてジブ本体の神之助チーム、そして各地の金融センター、各オーバーシーズ、更に運用委託されていた金を使い、信じられないような金額に膨れ上がった。特に運用を世界各地に分散させてからは、資金効率も良くなり、世界各地で更に神も恐れぬ程、儲けていた。金融センターは、更に法人税率に低い国に運用子会社を作り、そこが運用元にするなどの節税工作もしていた。金は世界各地に分散させていただけに、その数字は、明確にはされなかった。全体を知るのは、神之助と香奈だけと言ってもよかった。ジブとして計上させていた、本体の神之助チームの儲けや金融センターの儲けは、流石にジブの最高幹部たちは知っていた。しかし、金融センターはジブの財布だったし、ジブにとっては特別会計みたいなものであった。ジブとしての利益が少ないなら、いざしらず、わざわざ利益を多くして、税金をごっそり払う事をする積もりはなかった。そこは全体を見ながら、運用子会社からの配当をどうするかを決めるのが、香奈の判断で、神之助はそれに従っていた。ジブトラスト以外の人、つまり他人に、自分の財布の中身をわざわざ言う必要もなかった。特別会計みたいになると、不明確になるものだった。それにその下に運用子会社まで、各国に作っていたので、益々不明確になっていた。

ここで、ジブトラストの役割分担をもう一度整理してみよう。香奈は、神太朗を副会長にして、ジブの実業分野を任せ、ジブの海外法人まで、総括させた。中国は取引中心だからと言って神子に任せた。取引は、神子そして神之助に任せようと香奈は思い、神太朗も同意していた。神子は、取引関係を総括するが、神之助の商品相場、為替そして債権には口を出さないと云うルールが暗黙の内に、出来ていた。香奈は、神子と神之助が取引を安心して出来るように、それぞれの取引には、口を出さないようにしてきた、香奈でさえ、神子と神之助から報告を受けるが、余程の事でない限り、口は出さなかった。当然香奈以外の人は、それを守った。その後、会長代理にもなった神太朗でさえ、それは守っていた。そうする事で、三人の位置関係を保っていた。

香奈は化け物みたいな長生きで、頭も冴えているが、やはり人間なので、いつか死ぬ。その場合は、やはり神太朗が、やがてジブの全てを総括していく事になると、みんな思った。神子も神之助も当然そう思った。その時は、神子や神之助は、神太朗の部下になってしまう。神之助は、神子の部下にさえ、なってしまう。取引の天才だった二人には、面白い事ではなかった。今は、香奈がいるので、役職は別にして、三人はいわば、並列みたいな関係ではあるが、香奈がいないと役職通りの指揮系統が出来ると考えるのが普通だった。 香奈は、神子と神之助のそうした不安もやはり知っていた。そのため、二人のグループには、それぞれの運用子会社を作り、その運用子会社に、神子や神之助の個人的な財産管理会社を出資させる事にしていた。勿論ジブトラストも相応の出資もして、ジブトラストの運用子会社とはするが、そうした運用子会社では、神子や神之助たちの個人的な財産管理会社の出資比率を大きくする事を認めてきた。運用手数料も少しはこっそりと上げていたが、実はそれよりも運用子会社に運用委託みたいな形での運用を黙認した事が大きかった。何回かの運用委託を繰り返せば、かなりの利益移転もできた。これは、ジブトラストにとっては利益の圧縮を意味するが、二人にそこそこの利益を維持するならば、少なくともジブトラストの資産を減らさない形なら、ある程度は神子や神之助たちの運用子会社への利益移転を黙認するよと言う事でもあった。香奈は、ジブトラストがバラバラになる事を恐れてはいたが、それぞれに独立しながらも協力していくには、この方法しかないのではないかと思っていた。つまり今のジブトラストの資産は、ジブトラストのものとしてそのまま残す。それを分割するような事を避け、つまりバラバラにする事は避けるが、取引をしていた神子と神之助たちには、取引による運用利益の相当部分をそれぞれの二人の個人的な財産管理会社が出資した運用子会社の利益とするようにしていた。

そのため、神之助の商品相場、為替そして債権関係の取引は、ジブトラスト内の神之助チームと神之助の個人会社が出資した運用子会社群が一体のようになって、取引していたのが実情だった。勿論神子の取引も似たようなものだった。神太朗も薄々は知っていたが、黙っていた。そうする事でジブトラストとして、柔らかい共同体として、運営していきたいと思っていた。神太朗は、ジブ本流、カミカミ本流とも言える立場だったので、神太朗や妻のみどりとの財産管理会社は勿論あったが、この会社は、カミカミやジブトラストの出資そして、神太朗と経緯のある、冶部食品、岡崎交易そして証券会社などの神太朗自身の旗本みたいな企業の株式を持っているだけだった。ジブの出資も香奈や恵、俊子と云った創設期の大量に保有していたメンバーは別として、特別出資の形を取って、ジブを大きくしたメンバーの中では正子に次いで多かった。香奈もジブの跡目を継ぐのは神太朗と思っていた。正子もカミカミの跡目はやはり神太朗と思っていたので、やはり神太朗の出資を少し多くしていた。いわば、ジブもカミカミも基本的には、やがては神太朗が継ぐとみんなが思い、神太朗もそう感じていた。だから、神太朗グループみたいな会社群を作る必要もなかった。ジブもカミカミも、香奈のような超超高齢者やもはや超高齢者の正子が死ぬと、そっくり自分が引き継ぐ事になるからであった。ジブやカミカミの次世代はやはり、神太朗が総括するのが、自然であった。

そしてこの神太朗の財産管理会社には、神一などの子供たちも出資させていたが、神二郎には不動ファイナンシャルがあり、神三郎にはカヨコファイナンシャルがついていたので、神一の出資をずっと多くしていた。これは、冶部本家筋の長男筋として考えでもあった。神太朗にもやはり、そうした古い意識もやはりあった。しかし、カミカミは、正子が元気な内は、やはり正子の管理会社であった。善作が実務を担当して、正子を補佐していたので、神太朗がカミカミの運営に口を出す事はなかった。神一が、神幸の妻の珠子をカミカミ事務局の役員待遇にして、カミカミに送り込もうとしていた事は知っていたが、神子の息子の陽太そして、神之助の義理の息子である善作に加えて、神太朗系の珠子を加える事に異論はなかった。そうすれば、カミカミの運営に、正子の三人の子供たちの全ての系列が運営に参加していけると神一は思っていた。やはり、神一は神一で、そんな事には抜かりはなかった。

兎も角、ジブトラストの金融センターは、このようにして、神之助の個人会社や神之助も出資している神之助グループが入り混じって出資していた運用子会社群を持ち、こうした運用子会社群にも運用利益を運用手数料として、貯めておくようになっていた。それが、特別会計のような金融センターの内情であった。そのため、金融センターとしての利益も膨大だったが、運用子会社群に保留していた利益はもっと膨大で、それは、神之助の個人的な財産会社の資産が膨大になっていると云う事でもあった。

実は神子も似たようなものであったが、神子は社長であり、ジブの海外法人と問えども、当然、神之助の係る取引以外の全ての取引は、やはり神子の指揮下でもあった。ただ、実業ベースでの出資などは神太朗が管轄し、ジプトラスト傘下の会社そして、ジブの影響力の強い会社が、神太朗直属になっていた。ジブ海外法人での取引関係はそんなにはなかったが、ジブカミなどの各運用子会社の取引部門の母体でもあり、人も兼任のような形であった。そしてジブカミ、加代子たちは、それぞれの資本となっていたファイナンシャルでも取引していたが、やはりジフトラストが多く出資している各トラストと同額運用が義務づけられていた。これらの取引関係を調整していたのが、ジブ海外法人の取引管理部門であり、それが独立した会社になり、その会社群は、やはり神子の管轄下でもあった。取引ではなく、実業ベースに絡む出資は、やはり神太朗が直接管轄していた。ただヨーロッパには、ジブカミ系列の会社や切人系列の会社もあり、より複雑ではあった。実業ベースであっても、従来からジブカミが多く保有していた会社は、経営陣には、切人系列や毛利貴金属だったりする事もあり、ヨーロッパでの実業ベースは、神太朗がすべて管轄しているとは言えなかった。ヨーロッパでは、ジブは昔からかなりの会社の株式を保有していた事もあり、かなり入り組んでいた。それぞれのグループがそれなりに勢力を持っていたのが、実態だった。ジブトラストグループとしては、どこが主導権を取るとは云えず、それぞれが自分の守備範囲を守り続けていた。それが、ジブトラストとして新規な投資が出来にくい原因の一つであったのかもしれなかった。

話を元に戻すと、ジブトラストとしての儲けも膨大だったが、金融センターは、その運用子会社も含めて、膨大な金を儲け、膨大な金を各国の運用子会社に保留させていた。勿論、金融センターとは云え、ジブの子会社なので、利益の一部は、配当としてジブに渡していた。ただ、その会計の中身は不透明と言うしかなかった。計上利益が本当の利益なのか、子会社に金をどれほど保留しているのかすらも不明だった。神之助が香奈には説明したよと言えば、それ以上誰も聞かないのが、ジブだった。そして、その配当も桁違いに凄いものであったので、それはそれですんでいた。神子も社長なので、ジブ海外法人の通常業務、ジブ傘下の企業、そして極めてジブの影響の強い企業、いわばジブの旗本みたいな企業以外の企業の株式は、神子の担当だった。その取引には、神子の個人会社が入った運用子会社が入り込んでいた。ジブの取引でも、神之助が担当する、商品相場、為替そして債権以外の取引業務は、神子の担当であった。世界に広がったジブの多くの取引は、神子の担当と言えた。系列運用会社での運用も、ジブの資本が入っている各トラストは、やはり神子の管轄でもあった。そして、この取引による利益の相当部分には、神子の資本が入った運用子会社が絡み、その運用子会社からの配当として、ジブの海外法人などが、利益計上をしていた。神太朗と神子の仕事の担当の方が重複したり、曖昧な事が多く、調整もしていたが、神之助の取引は、まったく独立しているような取引でもあったので、益々神之助の管轄下は、独立しているような雰囲気があった。 それに、桁違いの金を兎も角、ジブに配当として渡し、ジブ本体の神之助チームの稼ぎも凄かった。ジブの普通の役員、つまり世界各地のジブ海外法人の責任者、各地の運用子会社、つまりジブカミとかカヨコトラストとか責任者と言えども、金融センター全体の単年度収支そしてジブへの配当額程度しか判らないシステムになっていた。金融センターの子会社の収益は当然、別会社であり、そこからの配当益しか記載されていないものではあったが、一応金融センター全体の収支はわかった。しかし各地の責任者クラスは、近くの各地域の金融センターの収支や決算資料などはそれなりにわかっていた。金融センターはジブの財布で、ジブの秘密だった。ジブとしての税務申告は、確かに正確にしたが、各地の金融センターや各オーバーシーズは、基本的には別会社で、その配当だけを報告すればよかった。上場企業でもないし、連結決算などにする必要もなかった。各オーバーシーズは、それぞれ独立した組織だったし、そこに運用子会社まで持って、各地で運用している事は、ジブの役員クラスは、みんなそれなりに知っていた。秘密をペラペラと喋る役員はいなかった。しかし、各地の運用子会社そしてジブ海外法人の幹部となると、やはり少しは漏らす奴もいた。そんな奴の知っていた情報は断片的なものだった。しかし、噂は噂を呼ぶものだった。ジブの持っている金は膨大な金額だとみんな信じていた。それ以上の金を金融センターの運用子会社に貯めており、しかも法人税率の低い国の運用子会社にかなり偏在させているとまでは、知らなかった。それを知るのは、神之助と香奈だけだった。

各オーバーシーズが預けていた金は、それこれ、各オーバーシーズの金だった。ジブオーバーシーズは、ジブ本体と各地の海外ジブそして各地のジブ系列の運用会社との共同出資している会社だった。いわば、これもジブ全体の別財布のようなものであった。ジブオーバーシーズは、運用しない金を貯めておく筈の組織であったが、実態は、ジブオーバーシーズの金は現金と株式にわかれ、株式は神子に運用委託され、調整売買そして普通の売買までしていた。その運用は神子のチームが担当、つまり神子の個人会社とジブトラストが出資した運用子会社も入り組んで担当していた。当然、運用利益の一定部分は、運用手数料として、神子のチームに入っていった。現金は、神之助が預かり、神之助直轄の金融センターみたいになっていた。カミカミオーバーシーズも同様に現金と株式に別れ、同様の取り扱いがされていた。ただカミカミの海外現地法人と云っても、所詮形だけの組織であり、実態はカミカミの国内資産と海外資産程度の区別であった。そして、カミカミオーバーシーズのみならず、カミカミファイナンシャルは、今や完全に正子の個人的な財産管理会社としての色合いが強くなり、正子と実務を預かる善作程度が詳しく知っていたのに過ぎなかった。神子は、陽太がそれなりにカミカミの運営に少しは参加してくれる事を密かに望んでいたのにもかかわらず、陽太は、銭勘定には元々疎く、カミカミでの実務にはまったく関心を示さず、判子も善作に預けていた程なので、事務局長なのに、何にも知らなかった。単に報酬を貰い、時々来客に会ったりする程度の完全な名目的の事務局長だった。神太朗と神子そして神之助も、今では、カミカミには距離を置いていた。香奈オーバーシーズは、少し特殊だった。その金はほぼ半分に二分され、神之助に運用委託された金と正人が仕切っていた、金貸し、いやノンバンクとしての香奈オーバーシーズとしての資金とに分かれていた。本来香奈オーバーシーズは、香奈海外と香奈国内が共同出資していた会社であったが、香奈は香奈海外を切人の運営に完全に任せ、香奈国内と香奈オーバーシーズは、正人に完全に任せるようにしていた。香奈国内が香奈海外に多く出資していたが、その株式の半分を海外に財産管理会社を作り、リトルキャット運用会社にもほんの少し出資させ、運営を切人に任せていた。これは、切人に香奈海外を任せるのと、同じ意味でもあった。その代わりに切人の香奈海外は、香奈オーバーシーズの運営を全て、正人に任せる事になっていた。

グタグタと細かく説明したが、三つのオーバーシーズの金は、神之助に運用委託した金そして神子に運用委託した金そして香奈オーバーシーズだけではあるが、正人の金貸し、いやノンバンクの資金になっていた。そして神之助は、その金を運用させて、巨額の利益を上げ、その運用利益の中で相当部分の金が運用手数料として、自分の運用子会社を含む神之助チームの運用子会社に流れこんでいた。神子も神之助とは比較すると遥かに少ないものの、それでも相当の金を神子のチーム、そして神子の個人的な運用会社に運用手数料の形で入っていた。勿論、各オーバーシーズにも巨額の利益が入っていたが、各オーバーシーズは、ほとんどの金は神之助と神子には運用委託したままで、特にその利益を貰う事もなかった。利益として顕在化させない限り、所詮含み益に過ぎなかった。税金なんぞの問題もあった。こうした会計処理とか運用手数料の取り扱いは、香奈と正子の二人がそれを承諾すれば良かった。正人は香奈には何にも言えないし、香奈の決めた事に切人が異論を言う筈もなかった。切人は、香奈だけに頭が上がらなかった。香奈は、香奈海外の運営を切人に全面的に任せ、香奈海外の株式の半分を移行させて作った財産管理会社の運営も切人に任せていた。切人は、マリアホープの株式と香奈国内の株式の半分を基に、実権を持って運営できていた。切人は極めて合理的な人であり、香奈の決めた事に逆らって、これを危うくする恐れのある事をするような人ではなかった。カミカミは、今や単なる正子の財産管理組織であり、神太朗も特に知ろうとも思わなかった。

やっと、本題に戻るが、ヨーロッパの偉いさんが、香奈に恩義を売ろうとしたのも、それなりの目論見もあった。あっさり言えば、ジブの金が目当てだった。噂では、膨大な金をジブが持っている。そしてジブとしての投資判断は香奈なら、即決で出来る。当然、やたらと見舞いににきた。

そして、最近、ジブとしての新規投資が減っていたヨーロッパへの新規投資そして救済投資の話が進んだ。ジブトラストとしては、海外のジブ法人で、多くの企業に出資しているし、傘下の企業では非上場にしてしまった会社もあった。ジブには金があり、上場して資金の融通を簡単にする必要はなかった。聡美と神元の会社では、結構大きな会社を買収みたいにして非上場にしてしまっていた。上場のまま、売れなくなって保有している会社もあった。そんな各社にも資金で困れば、金を出し、増資する事も可能だった。切人も、株式を多く保有している企業では、上場していると、ナンダカンダと情報提供しろとうるさいので、切人系の中核企業は非上場にしてしまっていた。切人は、周囲からアーダコーダといわれる事が嫌いな人だった。勿論、ジブとして保有している上場企業の株式もあった。その会社が上場を望み、ジブが大した株式を保有していないなどはそうだった。相場で儲けたジブのくせに、上場する事にはそんなに乗り気ではなかった。香奈特別基金は、まったくジブトラストグループとしての例外中の例外と言えた。正人が節税対策などで、やたらと株式を持ち、従来の経営陣の意向に任せたためだった。香奈は基本的には、任せた人のやる事には、口出ししなかった。相談は受けるが、そんな事にイチイチ口出ししないのが、香奈流だった。

その頃は、何回目かのEUの危機の真っ最中だった。いつもEUは、小さい国の危機が、他の国に波及し、拡大しやすい体質があった。これは、主にドイツの我侭に起因する危機だった。元々、ヨーロッパでのドイツの経済力は、飛びぬけていた。通貨統合するからには、ドイツが全面的にバックアップすれば、それで終わりの話なのに、他の国の浪費の後始末に、ドイツ国民の税金を使えるかと言っていた。それなら、通貨統合なんぞせずに、ドイツはマルクで通せばいいとは、誰も言えなかった。それはユーロの崩壊を意味したからだった。しかし、ドイツは、そのユーロなる通貨を作り、拡大したヨーロッパを大きなドイツみたいなものにして、儲けていた。それにユーロが安くなると、ドイツ自身は、ヨーロッパ以外への輸出の時には、有利だと云う事もあった。いつも、単なる風邪みたいな軽い病気を、肺炎の手前まで悪化させ、ドイツ自身に被害がくるようになって、渋々色々なゴタクをさんざん言ってからでないと救済しない変な国だった。日本を例にとると、東京で支払った税金を地方のために使うのに、文句を言うようなものだった。東京を支えていた人も企業も地方から吸い上げていたし、さすがの東京もそんな事はあまり言わなかった。ドイツはヨーロッパで儲けていて、統一ヨーロッパなどと綺麗事をいいながら、他のヨーロッパの国のために金を出すのは惜しむ国だった。それに欧州中央銀行なる銀行は、遠い昔のインフレをドーダコーダといい、リセッションの防止、景気浮揚、各国の信用問題などのために対応を取らない変な中央銀行だった。それは各国政府の責任とか言った。通貨発行権は、インフレ防止のためとしか考えていない中央銀行だった。IMFとか世界銀行といった組織はあったが、所詮アメリカのポチみたいな存在だった。欧州で解決が出来る筈と逃げた。大体、債務問題が浮上して、リセッションがドーダコーダと言っている時に、財政再建と称して、国民負担を増やし、政府系支出を減らしていては、景気が上向く筈がない。景気が下がり、消費は更に落ち込み、更に税収が減り、財政状況は更に悪化すると云うスパイラルに入っていた。そのため、事態はいつも相当悪化してから、みんなで慌てて、なんとか処理して、また浮上するといったサイクルを繰り返していた。

ヨーロッパの再生

兎も角、その頃のユーロは安くなっていた。株価も安くなっていた。各国の偉いさんは、それぞれの国にジブとしての新規投資、救済投資を望んでいた。信用不安に陥った大きな企業や金融機関に投資をこっそり頼まれた事もあった。単に、果物篭をもって、見舞いにくるような人たちでもなかった。それぞれに目論見があった。香奈も頼まれたら、ホイホイと金を出す人でもなかった。企業分析研究所は、やたらと香奈から課題を渡され、その調査結果を香奈に渡した。香奈は、アメリカをはじめとする世界各国でのジブ傘下の企業、快適などのジブが資本参加している企業、そしてジブトラスト系列の運用会社が保有している企業との協力関係などを考慮して、新しいジブネットワークを考えた。正子とも相談した。そして神太朗、神子そして神之助とも話した。香奈の判断に異を唱える人などは、ジブにはいなかった。結局、その安いユーロそして安い株価ベースで、幾つかの大きな企業や信用不安を起こしてしまった幾つかの金融機関を支配下においた。支配下とはいえないまでも、相当な数の大きい会社や中堅程度の会社に、大幅に資本増強そして新規事業の展開のためと称して、出資していった。アメリカでジブが傘下に多くの企業を取り込んだのは、加代子騒動で、加代子が強引に株式を買ってしまったので、香奈は、折角いい会社の株式が安い値段で手に入ったからと言って、それを契機に、ジブに取り込んだようなものであった。しかし、今回は各国の偉いさんの秘密の要望で、幾つかの便宜も払ってもらいながら、ジブとしての再編成を行う事ができた。香奈は、大タヌキであっので、新規投資や救済投資する代わりに、様々な優遇処置、安い株価にして買うとか議決権を普通の株より高めにするとか、逆に議決権なしの株式にして、配当を高めにして、配当の執行状況によっては、普通株への転換が出来るとかの優遇処置を求めていた。それを各国の偉いさんとは、秘密裏に認めていた。それがいかなるものであるかは、ほとんどの人は知らなかった。

ジブトラストグループからの新規投資、救済投資は、その安いユーロで安い株価ベースで、ヨーロッパ全域で行われた。ジブトラストが保有していた、ユーロだけでなく、円、ドルまでユーロに換えて、ドーンと投資を行った。はじめにドイツが大幅な救済をしていれば、もっと少なくすんだのに、今となっては、そのドイツにも被害は飛び火していた。膨大な資金の投入が必要になっていた。その膨大な資金をジブが負担したのだった。基本的には、ヨーロッパ全域での金融機関への大幅な出資であった。これは金融システムの安定化と言われていた。その上、各国の経済体制を支えていた幾つかの中核企業への出資も行われていた。これらの出資は、実は色々な株式での様々な優遇処置を取った株式だったので、投資金額に比較すると、ジブは相当の支配力を持つ事になっていた。香奈は、単に金だけ出すのではなく、経営に一定の支配力を持てる優遇処置を基本的に求めていた。これは明らかにされた事もあるが、秘密裏に合意していただけの事もあった。しかし、ドイツは、元々経済力もあり、こんな不平等な出資はそんなに求めなかった。それでも、やはりドイツの偉いさんも、幾つかの金融機関への大幅な投資を頼んでいた。やはり金融システムの安定化は必要だった。流石に、経済体制を支えていた中核企業を、実質的にジブに売り渡すような、救済投資は求めなかった。しかし、元々ドイツでは、ジブトラストはかなりの投資を既にしていた。キクコドイツメタルは、ジブトラスト、カミカミそして菊子金属の出資だったし、香奈オフィスは、機械販売会社まで持っていたし、機械の大きな海外子会社はドイツにあった。神元の貴金属会社もドイツにもあった。それ以外にもジブトラスト傘下の会社はあった。香奈は、ユーロが安くなり、株式がドーンと下がった時に、ジブドイツに命じて、色々なジブ海外子会社の名義で、香奈の重視する重工業そして資源エネルギー株に、下値で拾うような買い方をし続けて、かなりの株式を保有していた。これらの株は、株屋的には景気敏感銘柄とか言われ、上がる時はやたら上がるし、下がる時もやたらと下がる株式でもあった。当然安く買ってドーンと保有していた。ドイツはこれ以上、ジブの支配が強くなるような事は求めなかったといってもよかった。多くの企業をジブが実質的に完全に保有してしまう事になる事を恐れた。それでもジブはドイツでかなりの企業の株式保有率を高めていた。香奈は、母の和子の影響もあり、ドイツの企業への関心は高かった。ドイツの偉いさんも、それは十分知って、ジブの株式保有を現状程度に留めるように、香奈に要望し、香奈も既存の株式保有をそのまま認め、かなりの便宜を図るように求めて、幾つかの金融機関の救済投資をしていた、そうしたタヌキ同士での了解はあった。ドイツでは経済体制を支えていた中核企業を売り渡すような救済投資はされず、ジブが保有していた株式の調整程度の救済投資だけに終わった。しかし、多くのヨーロッパの国では、ドイツのような経済力の強い国はそうなかった。かなり経済が痛んでいた。経済体制を支える中核企業の幾つかを事実上、売り渡すような救済投資を受け入れるしかなかったのが、現実だった。香奈は、決してこのような企業や金融機関には、高圧的な支配はしないと約束していた。ジブトラストの支配は、それぞれの国にあった経営体制を取り、ジブトラストから派遣する役員は、既存の経営陣ともよく相談して進めると約束していた。各国の偉いさんも、その香奈の言葉を信じるしか、この欧州危機を解決する方法はないと思っていた。それにジブトラストの実業グループを率いる神太朗のジブトラストマネジメントは、その会社のある地域そして国に共に繁栄する事を目指している事は、世界的にも有名だった。それを信じる事にした。表面的には、ジブトラストグループの株式保有率は過半数となる事はないものの、ジブトラストグループの影響力はそれ以上であり、ほぼ支配していると言ってもいい程の優遇処置を、香奈は投資の見返りとして獲得していた。こうした秘密裏の交渉が、ジブの秘密の会議室で繰り広げられていた。香奈は、単なる善意だけで、欧州危機解決のために、神之助たちが必死になって稼いで貯めた膨大な金を新規投資や救済投資に回す人ではなかった。ノーベル賞受賞の見返りなんぞなんか考える人では、さらさらなかった。香奈の頭は益々冴えていた。

香奈は、ジブトラストとしての今後の体制も考えて、こうした企業に新規投資、救済投資をしていた。香奈の判断は、こうだった。ジブトラストを中心に、そして現地ジブ海外法人も少し出資させ、神之助や神子が増やした各オーバーシーズの金も少し入れて、各国の幾つかの中核企業に救済投資する。当然神太朗がこうした企業を、海外ジブ方法人を通して、監督する。中核の金融機関は二つに分け、同様の出資割合で、証券会社は神太朗に総括させ、ジブトラストの従来保有していた証券会社ネットワークを拡充する。これをジブトラストの新しい旗本みたいな企業にした。金融機関で銀行への救済投資は、金額ベースでは、こうした新規投資そして救済投資の半分程度を占めたが、この金を金融センターそして、金融センターの各運用子会社が中心となって負担させ、各オーバーシーズの金も少し出資させた。金融センターが保有していた金が膨大であった事も原因だった。

中核企業とは云えないまでも、そこそこ大きい企業への新規投資などは、ジブトラスト、ジブトラストの海外法人も出資するが、神子のチームを中心に出資させる事にした。更にジブカミや切人たちにも幾らか出資させ、ジブトラスト、ジブ海外法人そして金融センターまでも出資させ、それぞれの関係企業を充実させた。こうしたジブ関係の企業群は、神太朗の直接監督する旗本みたいな、ジブ傘下企業そして、極めて影響力の強い企業グループ、そして神之助の金融センターグループ、神子の監督しているジブ海外法人の取引として大きな株を保有している企業群、ジブカミの企業群そして切人の企業グループなどに分かれた。これは従来からと大きく異なる事はなく、単にドーンと会社の数が増えただけとも言えた。しかし香奈は、出資比率に拘らず、ジブトラストグループが多少とも出資している企業群には、神太朗傘下の経営専門家を非常勤でもいいから、役員として受け入れるように求めた。これには、切人が猛反対した。一人でも入れば、結局、神太朗の経営理念を押し付けられる。それぞれの会社には、色々と経緯もある。神太朗だけの経営理念を強制して欲しくないと言った。香奈は、切人が多分そう言うとは思っていた。切人は他人からアーダコーダと言われるのを極度に嫌う人だった。そこで、次の提案をした。神太朗が進めていたジブトラストネットワークの会議に、要請があれば直ぐに出て、説明したり、又は協力するように言った。問題があれば、ジブの実業グループからの役員を受け入れる事を承諾するようにした。これは問題解決のためのジブトラストとしての緊急投資活動と位置づけられた。それ以外の時には各企業グループの独立性を保障し、単にジブネットワークへの協力だけを求めた。その程度ならと切人も渋々納得した。

これは、香奈が切人を使った芝居みたいなものであった。神之助と神子の反応をみるための提案でもあった。加代子は、元々神太朗の実業グループの経営専門家たちに依存していたので当然と言った反応だったし、聡美はその上切人グループや毛利貴金属にまで、運営を任せていたので、同様であった。神元は元々実業グループへの関心すらない人だった。神子と神之助は何にも言わなかったが、やはりイヤな表情をした。自分たちの運営に、神太朗の経営専門家グループからの指図は受けたくはなかった。切人はドライで、自分たちの運営方法を守りたい人だし、はっきりと自分の意見を言う人でもあった。香奈は、やっぱりそれぞれ独立しながらも、協力する体制程度にしておく方がいいと思った。基本的に、神太朗が実業分野でのリーダーである事をみんなが認識すれば、それで良かった。香奈は現実主義者でもあって、実業分野の運営方法を神太朗だけに頼るのも、リスクがあるような気もしていた。多様な運営方法も必要かもしれないとも思っていた。それをみんなが確認しておけばそれで良かった。香奈のタヌキ芸の一つであった。

しかし、香奈は知らなかった。雇用最優先の経営スタイルが取られ、神太朗のジブスタイルマネイジメントが話題になっていた時に、切人は、配下の幹部に聞いていた。ウチは、神太朗程の徹底した雇用最優先の方針は取っていないとは思うが、ホイホイとバッサリ首にしたり、契約社員やアルバイト、そしてパートに多く依存して、人件費圧縮のような事はしていないだろうね。幹部は言った。食品企業では、需要にバラツキがあり、抱える社員を増やすのは、経済合理性的には損ですから、そうした契約社員、パートとかアルバイトを利用して、人件費圧縮をするのが当然ですよ。今は不景気ですから、安い金で人が集まってきます、全体の人件費も圧縮出来るんです。それを利用しない方法はないです。当然そうした一時雇用は多いです。切人は言った。そんな事をしているといずれ、神太朗からナンヤカンヤと言われる原因になる。神太朗だけなら、怖くはないが、ゴッドマーザーである香奈が、神太朗の意見を尊重している。香奈からの指示では僕には逆らえない。正社員の比重を高め、一時雇用を減らし、正社員の教育をすすめ、熟練した社員による付加価値のある生産体制に変更していけ、いつでも首にできる事を前提とした一時雇用に頼るなと命令していた。幹部は言った。そのためには時間がかかりますよ。食品は、所謂手作業が多いし、付加価値をつけるといっても大変なんです。正社員化を進めると、全体として人件費は増加し、利益が減ります。切人は、怒った。それを考えるのが、お前の役目なんだよ。利益も減らさず、一時雇用を減らして、正社員化を進め、雇用も増やすようにナントカ考えろ。もし、神太朗系の人が役員なんかに来てみろ、大変な事になるかもしれない。お前は役員なんだから、お前こそ、いわば契約社員なんだよ。そんな事も考えない奴は神太朗からみれば、経営者ではないとか言われ、首になるぞと脅していた。しかし、そんなに簡単には転換できない事は明らかだった。切人には、時間が必要だった。神太朗も実は喜んでいた。神太朗の経営専門家グループは増えていたが、優秀な奴はそんなに湧いてくる訳ではなかった。やたらと増えたジブ傘下の企業に人を割り振るだけでも大変だった。それぞれの企業グループが責任を持って運営してくれて、ジブネットワークに協力してくれるだけで良かったのだ。

結局、その安いユーロで、その上安い株価で一挙に、ヨーロッパでの、ジブ傘下の企業、そしてジブ傘下とは云えないまでも株式を多く保有する会社が増えた。元々、ヨーロッパでは、聡美や神元のジブカミが各国で多様な会社を保有していたし、切人は、食品関係の企業を中心にして、株式を保有していた。元々ジブの海外法人が多く保有する会社もあった。このユーロが安くなっている時期を捉えて、今までの聡美や神元そして切人たちの保有する企業、そして従来のジブ傘下の企業を軸に、アメリカでのジブ傘下の企業も絡めて、香奈が独自の構想を練って、ジブトラスト全体を考えて、保有する企業ネットワークをほぼ完成させていた。これで、ジブトラストは、日本、アメリカ、中国を含むアジアそしてヨーロッパとそのネットワークが完成したと言えた。南アメリカは、快適の羽朗のグループが中心となって、重工業から農園にまで至る、複合企業グループにジブトラストの現地法人、一族の会社を含むジブ系列企業が資本参加する形で、ネットワークが既に出来あがりつつあった。アフリカは、ジブトラストも資本参加しているが、カミカミが主体となっている快適グループが、重工業を中心にそれぞれ世界的な大企業となって、協力会社を増やしていた。従来の快適の農園や軽工業を中心とした各国の数多くの快適企業群もそれなりに増えていた。その上、ジブトラストの新宿Aチームは、国際企業の海外展開、日本の企業が海外に進出したり、海外の企業が日本に進出したりする時、それを助け、円滑に進めるようにしていた。そしてジブ本体、ジブ海外法人、快適だったり、カミカミ系列の企業だったり、香奈系列の企業などを企業が成長しやすいように選んで、資本参加させてきた。そうした多くの企業は、完全なジブトラストグループとは言えなかった。しかし、ジブが関与する世界各地の企業は増えていた。

ジブグループ傘下のグローバルな企業グループの体制は、ほぼ完成したと言えた。それからのジブトラストは、もう過半数の株式を獲得する事には、拘らなかった。向こうから頼みにきた時や各国の偉いさんが、こっそり頼みにきた時は例外と言えた。これが本来のジブであった。悪く言えば、二束三文の掘り出し品みたいになった時だけ、安く買う、つまりたたき買うのが、ジプトラストだった。それに、過半数に近い程保有している会社は、もう多すぎる程でもあった。同じ業態にジブ系列が何社もあって、協力関係を構築するのは、大変だった。神太朗傘下の経営専門家のチームも無限ではなかった。それよりも多くの企業そして、優秀な外部の人たちを確保して、その協力を得ながら進めていく事が主流になった。

リトルチャとチャタロウはそれぞれ、このチャンスを生かしていた。

リトルチャも、その安いユーロで、ヨーロッパの金融機関の株式をかなり大量に買った。チャが以前から研究し、コツコツ買っていた、小さいが堅実な金融機関であった。チャは極めて堅実なタイプで、規模は小さいが堅実な運営をする会社そして金融機関に投資していた。しかし、大体こんな金融に由来する騒動の時には、堅実であろうとなかろうと、金融機関の株はミソもクソも一緒に下がるのが一般的だった。リトルチャの金融グループは、かなりの拠点をヨーロッパに築く事になった。これで、リトルチャの国際金融ネットワークは、従来のアメリカ大陸、アジアに加えてヨーロッパ大陸に大きな拠点が出来ていた。まだアフリカや中東では、十分とは云えないまでも、グローバルな金融ネットワークに近づいた。チャタロウチームもヨーロッパでの協力企業群をほぼ完成させていた。チャが研究して、コツコツ買っていた会社の株を買って、協力関係をより一層強くしていた。

ジブは、実業グループを拡大していくにつれ、運用での利益は減る会社だった。その度毎に、取引の天才といえた、神子、神之助そして加代子たちが、色々と新しい手を考えて、又信じられないような儲けをするようになっていた。しかし、加代子の会社も激変して、先物、デリバティブなんぞを中心として、細かく稼ぐ会社になった。細かい稼ぎといっても従来の大儲けと比較すればの話ではあったが、それでも運用金額そのものも減っていた。加代子の会社の責任者も、ビットタロウ理論を研究して商品相場や債券で、たまに大儲けするだけだった。従来の利益ベースとは比較にならなかった。加代子の会社ですら、運用利益よりも配当利益が遥かに多くなっていた。

神之助の激変

そんな中、一人で信じられないような儲け方をしていた、神之助グループであったが、今回のジブネットワークが完成して、各地の金融センターの傘下に、金融機関グループができてしまった。従来、日本でも大きな銀行に関与し、アメリカでも金融機関の株式を相当持っていながら、そんなに協力関係を持たず、単に株式を持っているだけのような神之助グループではあったが、今回は少し違った。何しろ、今回の欧州危機を増幅させ、ユーロの価格を乱高下させ、債券も乱高下させて、大儲けしていたのは、神之助グループだった。それに単に神之助グループだけの金を使ったのではなかった。何しろ、莫大な金を持っている、各地の金融センター、それにオーバーシーズ、運用委託されていた金をも使い、大儲けしていたのだった。今回のジブの欧州救済資金も、元を正せば、神之助が大儲けした金から出ているとも言えた。勿論、ジブの利益は、神之助の稼いだ金だけではなかったが、神之助グループがジブトラストとして稼いで貯めていた、ヨーロッパの金融センターの膨大な利益とジブトラストが欧州危機解決のために、新規投資、救済投資として、出資した金額とそんなに変わらないのが、不思議な事だった。信用不安を起こした大きな金融機関も、こうした債券の時価換算主義なるもので、自己資本が大きく減少していたのが、原因だった。そこにジブがドーンと出資し、過半数とは言えないものの、大きく株式を保有して、実質的にジブの支配下に入れてしまった。実は今回の欧州危機は、今までは、CDSとか訳のかわらないもので、何もなければ丸儲けと云う、濡れ手で泡みたいな金を儲けていたが、信用リスクをまともにかぶり、アメリカの金融機関のいくつかにも大きな評価損を与え、自分たちの金融機関の信用が落ち、慌ててジブのアメリカ金融センターに頼み込んでいた。ジブの金融センターは、神之助に連絡して、神之助が香奈と相談して、ヨーロッパと同様の条件を認めさせていた。アメリカのジブトラスト金融センターが救済と称して、大幅に出資や増資をしていた。その後、ジブが膨大な救済投資を欧州で実施したため、この信用リスクによる評価損は一挙になくなっていたが、もう既に、ナンダカンダと優遇処置をつけて、ジブの金融センターに出資してもらっていた後の事だった。

こうして、神之助の金融センターの傘下には、金融グループみたいなものが、出来ていたのだった。さすがに、株式保有率も過半数を超えるものでもなかったが、かなりの支配力を持ってしまった。それにそうした企業の多くは上場していたし、それぞれの国を代表するような大きな金融機関だった。ジブ以外の株主たちにも責任があった。それに今回、金融センターとして保有する事になった金融機関の運営は、香奈は、神太朗ではなく、神之助がするように言っていた。神太朗はもう一杯会社の面倒をみている。証券会社などは、やっぱり神太朗が色々と経緯もあり、既存の組織との協力関係もあるから、神太朗が面倒をみるけど、銀行などの金融機関は、神之助が面倒をみるように言っていた。元々神之助管理下の金融センターで儲けた金が多いのだから、神之助が監視するのは当然でしょうとも言った。神之助は、本来の銀行業務なんぞには、強い興味もなかったが、債券や為替は、神之助の本業だった。神之助は銀行業務に興味がないと言っても、もう一つの大きな銀行や一族の銀行そして、ジブ上海銀行の偉いさん、役員たちと長い間、付き合ってきた。多少の事は分かった。もう神之助も投機ばっかりしている訳にもいかなくなった。

神之助は、リトルチャと仲良かった。気が合うともいってもよかった。神之助は、ナンダカンダと色々な仕事が増えて大変だよと、リトルチャにこぼした。リトルチャは、言った。僕でさえ投機なんぞに時間はもう割けなくなった。運用は、もうビットタロウに任せているよ。アイツは、そんなに大儲けしないけど、みんなを良く纏めているよ。複雑な計算をして、勝率があげるとか、総合利益をそれなりに確保するが大事とか、言っているよ、みんなもそれで納得しているよ。そういう時代なんだよ。僕は国際金融ネットワークを纏めるだけで、精一杯だよ。チビジュニアがそれなりに成長して、補助してくれているよと言った。神之助指揮下の金融センター支配下の金融機関は、リトルチャの国際金融ネットワークの金融機関よりも、一つ一つとしては、ずっと大きい金融機関だった、それぞれの国の代表的な金融機関も入っていた。それにリトルチャの国際金融ネットワークは、リトルチャの資本が多い金融機関で、リトルチャの支配力は高かった。神之助支配下とは云え、株式保有率も低くかった。リトルチャの金融機関は、国際間の決済機能に重点をおいていたが、神之助支配下の金融機関は、本来の銀行業務や金融業務そのものの比重が高い、本格的な金融機関であった。

神之助は、リトルチャと話をして参考になりそうな事を早速実行する事にした。各金融機関と各地の金融センターとの協議をはじめさせて、各地の総括責任者を集めて、会議をさせた。各地の金融センターは為替や債券の運用もしていたが、それらのチームにベースに各地の金融機関の為替や債券のチームを入れて再編成させた、為替とか債券運用は、各地の金融センターが総括させる事にした。あまった金融センターの人を各地の金融機関に送り込み、本来の銀行業務とか金融業務などの監督をさせた。各金融機関は、元々優秀な人たちが運営していたので、基本的にはその人たちに任せていた、各地の金融センターからも、各金融機関にも役員として派遣させ、監督する事にしたのだった。そうした役員たちを集めて、全体としての方針を決めていた。神之助も、そんな仕事が増えた。運用と云うか投機と云うか分からないが、金融センターや神之助チームの運用は、子分たちに任せるしかなかった。そうなると、利益はガタンと減った。同じ人たちが運用している筈なのに、神之助が直接指示しないだけで、利益は比べようもないほど落ちたのは、不思議な事だった。もう神之助チームの運用利益は、信じられない額でもなくなった。神之助は、総括的な指示を出して、それなりに頑張っていたが、投機の神様といわれた神之助にとっては、情けないような利益になっていた。それでも普通の人からすれば、驚異的な儲けをしていたので、その支配下の各地の金融機関の運用は、驚異的な利益が出ていた。各地の金融センターも、それなりに各金融機関を監督していて、各地の金融機関での本業もそれなりに利益を出していた。金融センターでは、運用利益はガタンと減り、配当利益が少しつづ入っていた。神之助は、自分が細かく指示もだせないので、大きな方針を決めて、運用していたが、運用額そのものをガタンと減らした。長期的な意味での通貨選択は、神之助が決定していたが、細かく指示もできないので、スクエアーなポジション、つまり、各地のローカルな通貨で保管する事を基本とした。本来の神之助チームの商品相場チームは、神元の運用チームと合体させて、神元をサブリーダーみたいにして、運用させる事にした。まだしもその方が利益が出た。神之助のように信じられないような儲け方は出来ないものの、神元は普通の人とは違った。驚異的な儲けなんぞは、軽く超える儲けはできた。それでも、本来は運用しない筈のオーバーシーズなどの金を神元に預ける事は流石に出来ず、神之助チームだけの運用をさせた。神元はイケイケドンドンと運用するタイプで、過去に巨額損失を出した事もあった。その点はよく注意し、自分の子分たちにも注意した。そうして運用額も抑えた。ビットタロウ理論はよく出来ているので、参考にしろとも言った。 こうして各地の金融センターやオーバーシーズ、そして運用委託された金は、責任上、やはり自分で運用したが、大きな方針を決め、その方針で世界各地に金を分散させる事で通貨の分散をさせるものの、大きく儲ける事も出来なくなっていた。それでも、年に1割以上は儲けがあったが、5割どころ2割にもならない利益なので、神之助にとっては、情けない数字だった。神之助は2割程度の利益で少し儲けたと思い、儲けたと思うのは5割を超えて時だけだった。実際に1割程度の儲けでは、利益比例の運用手数料ではあったが、それ以外にも経費もかかり、実際には、資産は、何パーセントしか増えていなかった。神之助としては、もう運用しているような気分ではなく、損を出さないようにしているだけのような気分だった。こうして、マジックのように神之助が資産を運用によって増やす事はもうなくなってしまった。

ただ予想外の事が起きた。神之助が直接運用していた金は、確かに以前のように増えなくなったが、金融センターや神之助グループの子会社も関与している金融センターの運用子会社群そして各オーバーシーズから出資していた各地の金融機関から配当と言った名前の金が入ってきた。勿論まだ再建途中なので、それ程急速に増えていかなかったが、馬鹿にした金でもなかった。神之助が直接運用して得た金に追いつきそうになってきた。

神之助が運用委託を任されていた金は、以前のように、神も驚くような利益を出さなくなった。資産を海外の通貨で保有しているだけのようになった。無論、少しつづは増えたが、それは数パーセント台になっていた。運用委託している大きな組織は、 カヨコジャパンとリトルキャット運用会社であった。カヨコジャパンもリトルキャット運用会社も海外に運用子会社を作り、そこから神之助や神子に運用委託するように変わっていた。そして、この二つの会社は、神も驚く程儲けていた時の利益をわざわざ税金を払うために、日本に還流させてはいなかった。カヨコジャパンは、加代子教への寄付が莫大な金額になった時は、日本に還流させていたが、それも減ってきたので、各地の運用子会社に内部保留させていた。カヨコジャパンの連中は、常に支払う税金の事が頭にあった。金をそのまま持っていても芸がないので、保留している金額の三分の一程度は分散させて投資するようになっていた。ただ投資は一方ではリスクを伴うのは、よく知っていたが、連中は神之助と神子には、万全の信頼を持っていた。そのため、ジブトラスト傘下の会社そして、神之助グループの金融機関に分散させて、一緒に出資するようにして貰っていた。餅は餅屋だと安易に考えた。ただ加代子教やエンジェルホープ病院で、金が足らなくなった時に対応できるように、キャッシュでも持って置く事は忘れなかった。そして、カヨコジャパンとしての利益を大体のラインで維持させる事にしていた。

一方、リトルキャット運用会社は、実質的に正人が仕切っているので、そんな事はしなかった。正人は運用のリスクをよく知っていた金融屋でもあった。神之助は取引の天才だから、資産を増やせてたが、凡人では損をするだけだと思っていた。会社に出資して儲ける気もなかった。債券も怖い。世界の各地の運用子会社で、じっと金を抱いていた。香奈オフィスが金が必要になるかもしれないとも思った。しかし、香奈オフィスは、利益の処分に困っていた。鉱山や油田などの出物があれば購入してしていたが、金は各地で貯まる一方だった。奈津美は、本業以外の投資には興味のない人でもあった。大きな資源関係の出物をじっと待っていた。 しかし、正人は、国内の香奈特別基金として多くの会社に出資していた。そんな会社も少しは海外展開をした。そうした時には。その金を出資に回したり、もう一つの大きな銀行に頼まれて、海外で一緒に出資する事はあった。それはそれだった。 香奈特別基金として神之助に預けていた金は。いつしか10倍以上に膨れ上がっていたが、香奈オーバーシーズと一体のようになって、処理されていた。どちらにしても正人が管理していたが、これは香奈の指示だったので、そんな事に逆らう正人ではなかった。 香奈特別基金といっても広い意味ではやっぱり国内香奈ではあるので、知らない内に、香奈オーバーシーズの運用子会社に分割して出資し、それを神之助に運用委託するようになっていた。今回の金融機関への出資にも、香奈オーバーシーズと一緒に参加していた。

神之助は、神太朗とは違い、その人なりの天分を見つけ、それを引き出す技はなかった。それに雇用が大事とか言う、神太朗の方針も、そっくりそのまま受け入れた訳ではなかった。神之助は、いわば天才だった。神太朗はみんながそれぞれの能力をフルに発揮して、力を合わせてとか言うが、ゼロはいくら足してもゼロなのだとも思っていた。神之助は、大きく儲ける事にやはり、拘った。小さい損でクダグタ言っても始まらない。大きく儲けて、小さい損をカバーする。所謂減点主義などは取らなかった。結局大きく儲ければいいのだ。それが神之助の方針だった。バッサリと無能な奴らの首を切る事は、ジブ一族の伝統からさすがにしなかったが、優秀な奴には報酬をドンドンと渡して、つまり銭を目の前にぶら下げて、そういう奴らが思い切り稼げばいいと思った。各地の金融機関の役員たちにも、優秀な奴が何故かいた。そんな優秀な連中に、利益比例の報酬と云う、人参を目の前にぶら下げて、走らせた。会社の担当業務を任せ、成績に応じて、金を渡した。つまり、能力のある奴が利益を出して、その利益比例で、その人たちに報酬は出した。金は自分たちで稼ぐものだと言った。完全な能力主義として、それなりの権限委譲もした。そんなやり方が、何故か欧米では受け入れられた。ただ神太朗の運営方法も少しは参考にした。各金融機関にも、サポート体制を整えた。ジブ傘下の企業そしてジブに近い企業では、資金需要があれば、神太朗が判断して、ジブの金を増資したり、資金融通していた。神之助支配下の金融機関は、いわばジブ支配下ではない企業が相手となった。神之助は、そうした企業で、見込みのある会社に資金融通したり、金融機関から出資させて、それを伸ばして、儲けるようにいった。ヨーロッパでもヨーロッパ経済研究所を作り、細かく分析させて、それをサポートさせた。ジブ総合研究所、加代子たちのアメリカ研究所とも協議させ、ジブ総合研究所の技術系の研究所にも、依頼研究を出して、技術支援もさせた。神之助は、馬鹿は相手にはしなかった。それなりに、見込みのある奴を大きく伸ばし、利益に応じて、利益比例の報酬を渡し、つまり銭を分け、より大きな金を金融機関に貯めた。それに一族の銀行、もう一つの大きな銀行、ジブ上海そしてリトルチャの国際金融ルートとも、神之助なら、話は出来た。そしてそれなりの協力関係を作りあげた。これは、みんなにとって好都合で、みんなの成績が上がった。勿論、どこが有利とか不利とか、色々とタヌキ同士の化かしあいはあった。末端の金融屋の協力関係は、所詮そんなものだった。それでも協力する事は悪い事ではなかった。時価会計主義は、伸びる時には大きく業績が伸びるものでもあった。いつしか、神之助配下の金融機関は、思い切りデカクなり、いつしか神之助は、国際金融で大物と言われるようになっていった。神之助グループでも直接運用して得られた利益よりも配当として受け取る利益がずっと大きくなってしまった。神之助はジブの副社長ではあったが、ジブの金融センターの総括責任者であり、運用委託も含めた膨大な資金を持っていた各オーバーシーズの運用総括責任者でもあった。もはや神之助は、世界一の投機家とは言われず、国際金融界に君臨する王様とか言われるようになっていった。

神子も、世界各地のジブ海外法人で保有する株式がやたら増えた。ジブ傘下の企業やそれに近い密接な協力関係のある企業の株式は、神太朗の管理下に置かれるが、ジブとの協力関係がある程度あると云ったような会社は神子の担当となった。 神子は、経緯のない会社の株を長期保有する事はあまりしなかった。長期保有するのは、上がると思う株だけだった。神子の運用していた株式も現金化できる時にはさっさと現金に換えた。現金はもっていても損するリスクはない。常にキャッシュポジションを大事にしていた。ただ経緯のある株式では、ジブトラストとの関係の濃淡によって、神子お得意の調整売買もそれなりに神経を使った。神子の方から役員を出したいと言わないのに、なぜか、役員になってくれと言われる事があったのは、不思議な事だった。役員なんぞを出してしまうと、株式売却は何故か、しにくくなった。色々と注意も必要になった。先物やデリバティブはそんな事はあまり関係はないものの、神子はジブの社長でもあった。組織が大きくなるとるとそれなりに雑用も多かった。神子直属の神子チームも、あろう事か、ヨーロッパの会社とも協力関係を持つ実業の会社なども出来ていた。神子のチームは、それぞれに計算高い人だった。ジブトラストがヨーロッパの大きな企業と付き合う内に、自分たちで独立して、甘い汁を吸う事を考えた。それも神子の個人会社群から大きく出資して貰えた。神子は儲かると予測できた事には、金を出した。ジブトラストが多く保有しているからこそ、甘い汁が吸えるので、当然ジブトラストとしても出資した。基本的には、儲かる事はなんでも手を出したが、消費者と直接関係がある企業には、不思議と神子チームの人は興味を持ち、神子の個人会社から出資してもらって、独立する人たちがいた。神子チームでは、実業への転進をしても、小さい組織で苦労するよりも、ジブの資本が入っている大きい組織で、役員づらしたい人たちとジブと神子の個人会社から出資してもらって、小さい組織でも、自分が社長となって、ごっそり儲けたい人たちに分かれた。神子のチームは、それなりの取引適性を持つ、頭の切れた人しか必要ないので、実業に転進する奴の後任をなんでもかんでも手当てする事はしなかった。神子グループでも運用する人が少なくなり、運用も控えめになっていた。神子はジブトラストの社長ではあったが、神子チームの実業分野は、消費者に近い分野では、世界的なネットワークを持つ会社になっていった、そうした会社には、ジブトラストも当然出資していたし、時にはカミカミも出資していたが、大きく出資していたのが、神子の個人会社群であった。しかし、経営していた人たちの株式保有率も、結構高かった。神子の個人会社群は、分散して保有し、神子はそれなりに株式保有リスクを小さくしたい人なので、経営していた人たちに、そこそこの利益を取って、売っていく事を忘れなかった。神子は予測の天才でもあったが、予測はいつも当たらない事も知っていた。リスクは小さくした方が良いと思っていた。しかし、それが経営していた人たちのインセンチブをより高め、会社は更に大きくなる事までは、神子が計算していたかは分からなかった。

神子は、神子チームの会社であれ、ジプとして役員を送った会社であれ、基本的にはほとんど口出ししなかった。権限委譲とは違った。神子にとっては、結果が全てだった。業務成績や業界の動向などの報告を受ければ、それで神子は判った。受けなくてもある程度判る神子だった。イチイチ指示を出したりはしなかった。ただ、神太朗から、ナンヤカヤと言われるような事はするなと言っていた。神子は神太朗から指図を受けるのはイヤだった。神子は、超現実主義なので、神太朗の理想主義的な訓示を聞かされるのは、想像するだけで、苦痛だった。神太朗から、そもそも会社とはねとか言われるのは恐れていた。神子の支配下にいた人たちは、計算高く、銭勘定の得意な奴らでもあり、神子のそういう性格も、判り過ぎる位知っていた。神子のチームが役員を送り込んだ会社も神子チームの会社も、それぞれ独立していたようなものだった。ただ結果が全てなので、やはり頑張った。それにその人たちにも当然、頑張れば頑張るだけの銭は入ったし、好きなようにも運営できた。神子がこんなやり方にしたのは、神子の性格に起因する所も多いが、雑用も抱える大きな組織の社長でもあり、神子もナンダカンダと自分の個人会社の問題で、忙しかった。

神子の自分の個人的な財産管理会社群そのものの管理や整理そして統合の問題はこうであった。神子は、やたらと個人的な財産管理会社を多く持っていた。陽一もいれて、神子チームの会社の株式は分散さしていた。経済学研究所の下請けみたいな調査会社まで、様々な表向きの業務を割り振っていた、神子は、陽太に時期が来れば、これらの会社に出資させていって、資産移転をするつもりだった。陽太が総理大臣さんになってしまったので、わざわざ会社の数を増やし、分散化させて、目立ちなくしてから、工作する予定だった。陽太も直ぐに止めるだろう、何しろ日本の総理大臣が、1年以上続くのは稀なのだと予測していた。それが思いがけず、長期政権になり、そうした工作が出来なかった。仕方なしにもっと複雑な会社群にして、一つの財産管理会社が他の財産管理会社の株式を保有するなどの複雑な工作もしていた。そうして、陽太や優花に出資させ、めぐりまわって、陽太や優花の出資比率を上げていく積もりだった。しかし、神子の個人的な財産会社群に陽太や優花を出資させて、資産移転させる事は難航していた。陽太が大人しく、不動財団だけで活動していればいいものの、陽太はナンダカンダと政界に嘴を入れた。すると優花も注目されるので、そんなに大きな株式を出資させる事は出来なくなった。陽太は、口では福祉を大事にしているといいながら、こんな会社の株式を保有しているなどの下司のかんぐりみたいな、三流週刊誌の話題になっても困ると思っていた。

まったく忘れ去られたような人なら、誰も気にしないが、陽太はいまだに全国を飛び歩いて、不動財団の仕事と称して、陽太親衛隊の連中のパーティーなんぞで演説もしていた。福祉関係の予算の必要性を強く訴えていた。それが新聞でも取り上げられ、まだまだ忘れ去られた人でもなかった。まったく神子が多く出資している会社とは関係のない会社を陽太や優花のためにわざわざ作り、そこに陽太や優花を出資させ、その会社が更に神子の個人的な財産管理会社に出資させるような事をして、さりげなく少しつづ出資させるようにした。 それに、陽太や優花に、金を持たすと政治献金なんぞをする人たちなので、ジブやカミカミなどの配当の半分程度はやっぱり取り上げていた。半分取り上げていても、陽太は、少しは入る収入の一部を、陽太親衛隊の連中に少しつづ政治献金としていた。それに全国陽太会みたいな組織も作って、選挙のプロの連中を確保し、陽太親衛隊の選挙を指導するための金も要った。依然としてベタボレの優花も当然、金を出していた。この二人の個人の金はそんなに残らなかった。政治は金の要る仕事なのだ。他人の金を使うから、なんとかなるが、自分の金を使うと直ぐになくなるものだった。神子はそれを心配して、全部渡さなかったのだ。陽太や優花は、銭勘定には疎い人なので、ジブやカミカミなどに再出資した時に借りた金の返済だと思っていた。それはほとんど返済されていたが、うじゃうじゃいる陽太の子供たちに、神子からも金を出して、ジブやカミカミそして神子の個人会社に出資させていた。そうした金は、神子が陽太や優花に金を貸し、その金を更に子供たちに貸すなんぞの複雑な事をしていた。そして神子が金を貸しているので、返済されるまで、配当などはやっぱり相当程度を神子が預かるなんぞの小細工もしていた。そして子供たちが、配当を貰い、陽太や優花に金を返済し、そして陽太と優花が神子に金を返すという手続きが進んでいた。神子が陽太と優花に貸す金と二人が子供たちに貸す金は、配当状況を見ながら、神子がコントロールしていた。ナンダカンダといいながら、神子は、陽太と優花だけでなく、この二人のうじゃうじゃいる子供たちへも資産移転をしていた。うじゃうじゃいる子供たちの数は多く、そうした作業をしているので、陽太や優花の神子からの借金は減らなかった。 そうした作業も神子はしていたので、忙しかった。

陽太や優花の子供たちは、政治なんぞに興味を持つ奴は少なかった。子供たちは、政治家は儲からない家業だと身に沁みて感じていた。自分の懐を増やす人もたしかにいるが、陽太は金のない陽太親衛隊を抱えていた。そんなに奴らに金を配り、選挙のプロみたいな秘書を抱え、選挙のやり方を教えていれば、そんなに金が残る筈もなかった。冶部一族の他の大金持ちと比べようもなかった。かと言って、実業の才能もそんなになかった。取引適性なんぞは更になかった。陽太や優花も含めて、みんな基本的に銭勘定に疎かったので、みんな神子に任せていた。ボンクラとは言えないが、神子にとっては、金が儲けにくいとしか思えない、哲学とか文学、植物分類学とか基礎医学とか、果ては音楽なんぞに進出する奴もいた。そうした奴らの今後の面倒をみるためにも、そうした作業は必要だった。ただ一人、長男の神彦は、学術的な傾向は強いものの、経済学を勉強して、企業分析研究所で研究していた。陽一も結構頑張っているよと言っていた。神子は、神彦に期待していた。神子グループの会社の経営ができるとは思わなかった。神子自身もほとんど、神子グループの会社の運営は、元々計算高い奴らに任せていた。しかし、神彦ぱ、資本としての冷静な判断は期待できると思っていた。神代はもう十分資産があったので、神子の個人会社への出資も最低限度に抑えていた、神代と大介の子供たちへの資産移転などは、銭勘定の得意な二人のする事だった。大介は海外資産の移転方法などは、会社で顧問としている弁護士、会計士そして税理士たちと、こっそりと話をしている事は神子も知っていた。大介と神代たちの資産は、ほとんどは海外資産であった。それにヨーロッパには相続税のない国や株式譲渡なんかのハードルの低い国も実はあった。神子も、今回の欧州危機で、こっそり海外に財産管理会社をいくつか作って、その会社に神子チームの会社への出資をさせていた。陽太や優花の海外財産管理会社の設立を密かに考えていたので、それが判った。大介はそんな事には、抜け目のない奴だった。

相場師 神元

実業への傾斜が続いていたジブトラストで、神元は、最後の相場師になった。神元は、ジブカミとして、大きな会社 買収していた。ヨーロッパ全域をカバーしている大きな食品会社は、本来神元が中心となって買収していた。金は莫大だったので、聡美にも大幅な出資をしてもらったとは云え、神元のグループが中心として出資していた筈だった。そしてその関係の食品原料の供給会社、貴金属店チェーンを中心とした貴金属会社、そしてジブドイツ鉱山まで持っていた。神元も、もう実業傾斜してもいい筈だった。しかし、実業の事なんぞ頭になく、神之助の運用チームの事実上のトップになった。神之助の運用チームは、投機の神様みたいな神之助の相場秘術を教え込まれた、商品相場や債券、そして為替の取引の天才たちが集まるチームだった。債券や為替関係の人は、金融センターやジブトラスト金融センターと神之助の個人会社そしてその取引の天才たちも少し出資した、金融センターの運用子会社みたいなものに移っていった。こうした金融センターの運用子会社みたいな組織は、ジブ本体そしてジブ系列の運用子会社からも、更に出資を貰い、そして人も更に集約されて、ジブトラストの研究センターからも債権や為替の研究員を吸収しても更に大きな組織となっていくのであったが、それはもう少し後の話であった。金融センターは支配下の各金融機関の監視をするので、人が足りなくなっていた。神之助は、商品相場だけの運用チームをこの時分離独立させたようなものだった。神元は、元々そうした商品相場が得意だった。そうした神之助の商品相場の取引チームは、神之助と違い、人とは思えないような、大儲けは出来ないものの、やはり取引の天才たちだった。そうした連中を率いて、相場をする事は神元にとっては喜びだった。神元は、神之助ほど投機の神様みたいな人ではなかったが、神元は、相場師以外の職業についた事もない、生まれながらの相場師と言えた。常人ではなかった。神元は厳選された取引の天才みたいな連中と、近代的なビットタロウ理論を参考にして、相場に打ち込んだ。神之助は、用心して運用額は抑えようして、リスクは取った。商品相場を中心とした相場を行うための新しい会社を、ジブトラスト本体の神之助チームとジブカミが出資して作っていた。そうすれば、大損しても最悪、出資金だけの限定損失になり、ジブ本体やジブカミに大きな被害が出ないと考えていたのだった。 ただ、神之助の用心とは違い、この組織は結構な利益を上げた。神之助のように信じられないような儲け方は出来ないものの、やっぱり驚異的な儲けとは言えた。そして、名目的とは云え、やっぱり神之助がトップだった。ジブ系列の運用会社は、この組織に入る事を考えだした。 他のジブ系列の運用会社も、そこに出資し、それぞれの運用チームを統合したいと言い出すまで、それ程の時間はかからなかった。この組織の利益を配当として貰えれれば、結構儲かると思ったのだ。

結局、やがては、商品相場チーム関係の大きな子会社みたいなものが出来ていってしまった。その会社はそれぞれの国で、子会社も作ってジブトラストの商品相場関係のネットワークみたいなものになった。加代子のアメリカの会社は、大きく出資して、アメリカ法人みたいなものも出来た。加代子の会社の責任者は不慣れな商品相場をビットタロウ理論で研究するよりは、いっそ神之助の運用に任せた方が儲けが多いと思っていた。それにそのアメリカ法人には、今までの商品相場チームを移行さす事もできた。加代子の会社の責任者も結構忙しくなっていた。そんなに暇でもなかった。加代子のアメリカの会社が株を保有していた会社は、やたらとデカクなっていた。色々な報告を聞くだけでも時間がかかった。不動産管理チームもやたらと都市開発などを積極的に進めていた、やっばり、加代子の会社の責任者なので、その報告も受けた。それにも少しは時間が取られた。本来の屋敷があるアメリカと実際に住む事が多い日本に行ったり来たりする生活だった。加代子のアメリカの会社の責任者は、実は、加代子の家で暮らすのが、気に入っていた。加代子の家は一杯子供たちがいた。食事時は、ナンダカンダと一杯の人たちと話しながら飯を食うのは、楽しかった。それに飯も元々美味かった。敷地内はいるだけで元気になり、頭も冴えてくる場所でもあった。奥さんも日本にいる事が多くなって、自分の屋敷で一人で飯を食ったり、大きなレストランで、会社の奴らとビジネスランチとかビジネスディナーなんぞ食うより、遥かに美味かった。どんなに金を持っていても、一人で何部屋も同時には使えなかった。敷地内で奥さんとのんびり暮らし、加代子と打ち合わせをして、アメリカの会社の幹部と連絡を取り、時々アメリカに行って、直接運営状況をチェックする。それで十分ではないかと考えるようになった。加代子の子供たちとも、アメリカの会社の責任者も仲良くなっていた。加代子の子供たちの運動会にも見学に行くようになり、奥さんだけでなく、加代子のアメリカの会社の責任者も、やっぱり加代子の家の住人のような気がしていた。

香奈と猫たちの日々

香奈は、もはや金がドーダコーダと言う年齢は遥かに超えていたので、ジブトラストとしての今後の運営を考えていた。香奈は、世紀を超えて、色々な相場を見てきたし、金を儲けるのに夢中になるが、やっぱり今後のジブトラストの 事に一番関心があった。ジブトラストでは、無理のない時間で出てきて、みんなに相談にのったり、来客に会って色々と意見を聞いたりする程度であった。取引の儲けがドーダコーダと云うよりも、無理のない、リスクの少ない取引をみんなに求めていた。香奈は、ジブトラストでは、大抵の場合は午後3時とか4時頃には、ジブトラストから家に帰った。そして家で猫たちと遊んでいた。香奈は、猫チャンネルがあって、猫たちの言う事は大抵分かった。初めに、単にそんな事を言っているだろうと思う程度であったが、猫語翻訳機が出来て、香奈は、本当に猫たちの言っている事がはっきりと判ると確信した。それに怪しくなったら、猫語翻訳機を使えばよかった。チビ助は香奈と一緒にジブトラストに行き、ボディカードのような秘書のような猫になっていた。香奈だけのための資料整理とか、スケジュールの調整とかをするようになった。香奈のためだけの資料整理である内は、チビ助ものんびり出来た。香奈が来客と会っている時には、居眠りもできた。猫は睡眠時間が必要なのだ。それでも香奈に出す資料があまりにも要領よく纏められているので、猫チャンネルがあった、神太朗や神之助からの資料も依頼されるようになり、チビ助もやたらと忙しくなっていた。ジブ総合研究所からの報告は莫大な量になり、それぞれ整理する作業は大変だった。チビ助は香奈と一緒に家に帰ってくると、オトイレに行き、猫ビッフェで飯を食い、水を飲んで、香奈の側でガードする筈が、元気な香奈を見ていると、つい安心してウトウトしてしまうようになった。チビ助の奥さん猫は、チビ助と話しようと香奈の側に行って、チビ助と香奈に報告したり、相談したりしていた。

チビ助の奥さん猫は、香奈の家の猫軍団のまとめ役みたいな立場になっていた。どんな賢い猫も、儲けている猫もやっぱり香奈の家の猫だった。香奈の家の猫たちでは、内部のまとめ役みたいな猫はいなかった。ココは頑固な超高齢猫だったが、やっぱり自分で相場する事に夢中になった。ココの娘たちもそれぞれ相場猫だった。チャタロウの奥さん猫のステラは、香奈の家のメス猫の中では、珍しく研究や仕事を持たない、良妻賢母タイプの猫だったが、自分たちの系統だけを考えた。これは、チャタロウとは微妙な関係にあるリトルチャ系統に口を出さないように注意した事が発端だった。当然、ココ系統の猫にも口を出さなかった。リトルキャットの奥さん猫のテレサは、ロボット工学研究所で自分の研究に打ち込んでいた。ココの系統もそれぞれの自分の仕事に打ち込んでいたし、ココとクリスの仲はやはり緊張感があったので、仲を取り持とうとする馬鹿な猫はいず、どうしてもチビ助の奥さん猫が、みんなの要望の取りまとめ役にならざるを得なかった。 こうして、チビ助の奥さん猫が、なんとなく、取りまとめ役になってしまったのが、実態だった。化け猫みたいな先輩猫の要望を取りまとめるのは、気苦労のいる仕事でもあった。奥さん猫も疲れているので、チビ助がウトウトしてしまうので、釣られてウトウトしている有様だった。この二匹は少しは相談も連絡もしたが、香奈の近くで、直ぐにもたれあうように寝てしまうのが、普通だった。ココとチャは、香奈の声を聞くとお帰りなさいと言って、香奈の側でのんびりするが、ココもチャも色々とそれぞれのチームの相談にのったり、報告を受けたりする事が多かった。チャはスイスカナキャットを含むスイスカナコインの仕事から、リトルチャとチャタロウをはずして、自分で報告を受けるようになっていた。二匹の猫の仕事の比重を減らそうとした親心であった。ココは頑固に自分の流儀を守って運用していた。ココの香奈特別基金は、ココの支配が強烈なので、ココの最終的な許可が要った。 ココは、いつまで経っても相場猫だった。 化け猫みたいなココとチャであったが、色々な報告を受けるので、忙しかった。ココとチャには、若い猫たちが呼びにくる事も多かった。 それ以外の猫たちも香奈の声を聞くと、お話するために、香奈に声をかけたりして、香奈も気楽に応じて、猫たちと楽しく暮らしていた。

リトルチャとチャタロウは、それぞれ大きなグループを配下においていた。二匹は、初めは、猫の部屋で、オフィスみたいにそれぞれの配下と云うかグループの猫たちと仕事をしていたが、それぞれのグループでやはり利益背反の事もあり、離れて仕事をするようになった。

チャタロウは香奈の秘密の応接室の一つを貰い、そこがチャタロウチームのオフィスになった。秘密の会議室は、それぞれ独立したような構造だったので、丁度よかった。エレベーターとかドアに猫ボタンをつける改良工事もした。リトルチャは、神之助の秘密の会議室の一つを貰い、そこがリトルチャの金融グループの猫たちのオフィスになった。

チャタロウは、香奈のお気に入りの猫で、人情、そして猫情にも通じた猫だったが、香奈とお話する機会は減っていった。なんといってもチャタロウは、実業グループの総帥だった。最高幹部に任せる事も多いものの、やっぱのナンダカンダと打ち合わせや相談を受けて、最終判断はチャタロウがする事が多くなっていた。チャタロウは、チャタロウの実業グループでは、今や神格化された総帥、いや指導猫であった。チャタロウの承認があれば、実業グループで異を唱える人も猫もいず、スムーズに事が運べた。それにチャタロウは、神太朗とも色々と話をしているので、神太朗系列の企業との協力関係について、もっと広い見地からの意見も受ける事ができた。偉大すぎるリーダーは、かえって忙しくなるものだった。昔みたいに、香奈に相談したり、お話する機会は減っていた。昔みたいに、香奈に相談したり、お話する機会は減っていた。

リトルチャは、元々香奈とお話する事は少ない猫だったが、何しろ金融グループの偉大なドンであり、独裁者、いや独裁猫、リトルチャファシズムとも言われていたので、リトルチャの意向を確認する事が、金融グループの絶対的な条件であった。執行は、任せてくれるが、基本方針には、リトルチャの許可が要った。リトルチャは、当然もっと忙しく、香奈とお話する機会は、益々少なくなった。

実業グループの総帥とか金融グループのドンと言っても、香奈にとっては、チャタロウもリトルチャもやっぱり、香奈の飼い猫だった。昔みたいに、みんなでお話したいと思っていた。香奈にはそれが不満でもあった。猫はのんびり暮らすのが、いいと思っていた。

チャタロウには、オフィスに神太朗が時々来て、仕事の話をしていたが、それは猫と遊ぶと云うよりも、神太朗管轄の実業チームとチャタロウチームの企業との調整を行うためで、いわばビジネスマンとしての駆け引きもあった。リトルチャには、神之助が同じように来ていて、ナンダカンダと話もしていたが、二人とも金融屋みたいな感覚もあり、投機家同士の腹の探り合いもあり、とても猫とのんびりする雰囲気ではなかった。貴金属勘定の猫たちも真理の家に行ったりして、ナンダカンダと付き合いもあった。香奈のように猫と遊ぶ雰囲気ではなかった。

そんな香奈の家の猫たちの中で、ビットタロウは異色の猫だった。香奈の声を聞くと、お帰りなさい、ご苦労様でしたと言ったり、香奈と穏やかに話す猫だった。香奈もビットタロウを気に入っていた。ただ、リトルチャの運用チームのサブリーダーになって、運用の実質的な責任者になってくると微妙に態度が変わってきた。リトルチャが言うような大きな利益をあげるには、色々と我慢する必要があった。リトルチャのように大きく利益をあげるには、それなりに時間がかかった。それに実際にはソコソコ利益が取れる局面も我慢して、じっと待って、結局損をする事もあった。リトルチャはそんな事は気にせずに、大きく儲ければ直ぐに取り戻せると平気だったが、ビットタロウは、クヨクヨしていた。投機は、そんなに勝率は高くなくても、極端に言えば5割以下でもごっそり儲ける事ができた。ビットタロウは、勝率は7割を目指し、利益も投資資本の2割を目指し、損切も2割としていた。最終的には2割の利益があれば十分と計算していた。それがリトルチャは5割以上の利益を平気で稼いでいた。損切は2割なので、勝率が5割でも3割以上も利益があり、リトルチャの勝率はもっと高いので、やたらと儲けた。リトルチャの運用を意識して、ビットタロウは利益をあげようと無理をしていたので、ビットタロウの表情から穏やかさが消えてきた。気配り猫の優しさも消えていった。相場が気になり、ろくろく寝なくなった。表情も厳しくなり、香奈との話も段々減ってきた。香奈の姿を見ても、簡単ににゃーと言うだけになっていた。 香奈は、リトルチャに言った。ビットタロウは、リトルチャとは違うんだよ。実際の運用よりも研究だけに専念した方が、ビットタロウの研究も生きるし、その研究成果を参考にして、運用はやっぱり、株屋と云うか相場師みたいな奴らに任せた方がいいと言っていた。リトルチャは元々そんなに話もしないし、一人で独断的に取引するタイプで、香奈とも話は少なかったが、香奈からの指摘を真剣に受けとめた。それに、単にビットタロウの事を案じるよりも、やはり利益が少しつづ減っていたのが気になっていたのだった。

結局、リトルチャもドーンと出資した。ビットタロウは研究には優れていたが、やはり、投機の神様みたいなリトルチャではなく、所詮ビジネス感覚で相場をしていた。ここ一番で大きく儲ける事が出来なかった。ビットタロウのシステム取引の基本は大きく儲ける事ではなく、損失をいかに抑え、勝率を高め、結果として、利益を確保していくかが、システム設計の基本だった。損をしないように、勝率を高くするように、心がけるシステム投資を研究しているからかもしれなかった。リトルチャのようなハイリターンは取れなかった。リトルチャが、自分以外に本当に認めていたのは、神之助の運用だけといっても良かった。神之助は、リトルチャのようにハイリターンをする人だった。神元を指示して、もっと儲けられると思った。少なくともビットタロウよりは神元の方が儲けるだろうとも思った。ビットタロウは、やはり研究の猫なのだ、ビットタロウの研究も生かして、こうした運用会社が運用した方が、儲けられるし、ビットタロウの研究ももっと生かす事ができると考えた。リトルチャは、国際金融ネットワークを展開して、毎日コツコツ稼ぐ儲けも馬鹿にしたものではないと思うようにもなった。そこで、この商品相場での取引プラットホームに食い込めば、それなりに利益も出るとも思っていた。リトルチャ系列の運用会社も、債権と為替は、リトルチャの国際金融ネットワークとも相当関係するので、ある程度の独立性を持たし、金融センターとの合弁会社みたいな存在にした、ただ、商品相場は、完全にこの組織に吸収されたようになった。ただリトルチャはドーンと出資したし、運用している人たちもその組織の実権を握れるような子会社として、参加してきた。ジブ関係の色々な運用会社も、リトルチャのやり方を真似て、この組織に参加してきた、金だけでなく、人も集約された。そうした大きなネットワークは、神之助が名目的にはトップだったが、実質的には、神元が全体的に指揮した。神之助は全体を見て指示する程度だった。

もう一つ、ジブの体制で変化があった。ジブトラストは、取引の取り扱い業者を神太朗のいた証券会社をメインとしていた。勿論、いくらジブ傘下の証券会社といっても、それに一本化するような事はしなかったが、取り扱い手数料を多く、他の会社に渡すのもイヤだった。神太朗のいた証券会社がメインとなり、グローバルな取引ネットワークを作っていた。商品相場や為替、債権なども神太朗系の証券会社がコアとなっていた。神太朗は、証券会社と言えども、リスクの多い仕事は避けようとしていた。たとえ利益が今は高くても、何かあったら、大変な事になると思っていた。CDSなんぞの取り扱いも制限していた。商品相場は、元々リスクの高い相場でもあった。その分野は、本体の証券会社から切り離し、子会社にしたりしていた。それでも結局は証券会社からの出資が多いので、所詮一体みたいに見られかねないと危惧していた。この大きな資本が出来る時に、商品相場を取り扱う子会社をまったく完全に証券会社から切り離す事にした。勿論多少の資本は残すが、多くの資本は、この巨大なグローバル資本を構成しているジブトラスト及び各運用会社が、それぞれ出資とリスクを分散させて子会社を作り、更にリスクを細かく分散して出資して、商品相場を扱う会社としていった。神之助にも異議はなかった。神之助にとっては、リスクはそのまま利益につながる事を意味したし、神太朗からの拘束も少なくなると思っていた。神太朗の言うように無限のリスクをそのまま抱える事はしないものの、限定したリスクを持つ事まで怖がっていては、投機どころか運用も出来ない。金をじっと抱いていろと言うのと同じだった。この商品相場を取り扱う会社を、神帥を中心として、世界各地でネットワークを持たして、それぞれの会社を作らせていった。神帥は、実業シフトが強い人で、運用から運用の窓口みたいな会社へと比重を移し、そして完全な実業の会社へと、そのシフトを更に高めていた。ここで運用窓口みたいな会社を、神帥としても、それなりに出資して、更にリスクを限定的にする、こうした再編成は、神帥にとっても好都合だった。リスクはより限定されるし、今までの会社を母体としてもらえた。神帥は、こうした取り扱い窓口のネットワーク作りに協力していった。為替や債権を取り扱う業者は、それぞれの運用会社毎に色々な経緯もあり、それほど集約化は出来ないものの、それぞれ独立性も約束しながら、大きなネットワークになっていった。こうしたリスクの多い仕事は神太朗系の証券会社は、少しつづ手を引いて、こうした大きな資本に少しだけ参加するようになった。リスクなき利益はないので、神太朗系の証券会社の利益も減ったが、リスクそのものは、ガタンと減った。神太朗はそれは仕方ないと考えていた。ある程度の出資をして、限定的なリスクと、それでもこのグローバールなネットワークを利用した、口銭稼ぎに徹しようと思っていた。

リトルチャは、神之助と同じように考えていた。リスクを限定させる事には異議はなかったが、リスクを怖がっていては投資は出来ないと思っていた。リトルチャは、こうしたグローバルな取引ブラットホームを提供するネットワークに大きな資本を出す事にした。リトルチャは、こんなブラットホームを提供していけば、一定の口銭が確実に入ると期待していた。神之助を通じて、神帥に話をしてもらって、リトルチャ系列の運用子会社からの出資を多くしてもらった。それにビットタロウ理論を提供する強みもあった。 ビットタロウの多様なプログラムは正式に、銭、いや金を出して提供するようになった。これはストラジー提供料と称して、このグローバル資本から貰う事になった。つまり香奈特別基金の収入になった。投資システムは、ごきげんソフトが一括して面倒をみて、つまりピンハネして、実際のシステムは、リトルキャット情報処理研究所が設計して、システム維持はコネコソフトに任せた。従来の投資統一システムを改良して、商品相場システムに変え、ビットタロウストラジーによる、buy、sellそして今は様子見の信号のseeとか言った判断も表示した。ごきげんソフトは、ジブトラストの一つの部門みたいなものだったので、ここに金を落とすのは、ジブシステムとしてやはり必要な事だった。システム設計は、極秘中の極秘なので、リトルキャット情報処理研究所が担当した。実際のシステム維持は、動きやすい人間たちのコネコソフトが行う事にした。ビットタロウは、色々な状況を考慮して、損の少ない、利益が大きくなるように様々なプログラムを作っていた。プログラム取引で欠点といえたのは、ビッド、アスク、株式では買い板、売り板みたいな生の情報、そして刻々とかわる経済状況、毎日のように発表される色々な経済指標に直ちに対応できない事であった。大きな需給要因や罫線的な分析、経済の基礎的な情報などをベースに、単に価格だけの値動きでプログラムを組んでいた。そのため、こうしたシステム取引だけでなく、ビットタロウ研究とジブトラストの研究センターの研究成果も参考にして、それぞれの現地法人の取引の天才が秘術を尽くした従来型の取引をしていた。そして神元が実質的に全体を指揮した。こうして商品相場関係は、ジブトラストは、ジブトラスト系列の運用会社をはじめ、リトルチャの運用会社まで抱きこんで、大きな組織となり、ほぼ一元化されていった。

個々の貴金属会社が保有する貴金属の保有リスクを考えたり、食品会社のそれぞれの取り扱い品目に応じた先物ヘッジは勿論、それぞれの会社で行ってはいたが、概ね、この一元化された組織に任せる事になった。この組織は、神之助やリトルチャのような神をも恐れぬような儲け方はしなかった。しかし、そこそこと云うか、普通の人からみれば、驚異的な儲けと云うレベルを遥かに超える儲けを出していた。神之助が、運用リスクを抑えたつもりでも、ジブ系列そしてリトルチャの運用子会社まで巻き込んで、世界各地の支社みたいな子会社を持った巨大なグローバルな資本が出来ていった。この巨大なグローバル資本が協力しながら、運用しているので、相場支配力が高まり、この組織が、多くの相場を支配する事になった。この巨大資本は、反対方向の取引をしよう人たちを食いちぎって行った。何しろ資本力が違った。チマチマ10円程度の値動きではなく、一挙に100円以上動かす事も出来た。そして、もう一つ派生的な出来事が起きた。運用組織が集約したので、運用する人もそんなに必要ではなくなった。それにシステム取引の要素も取り入れたので、実際の運用に必要な人は、かなり減った。ジブの伝統で、人員整理なんぞはしなかったが、暇な人が増えた。一部の文句言い、いや能書きたれみたいな連中は、ジブトラストの研究センターではなく、商品相場特別研究チームとして細かく、商品相場を分析した。こうした商品相場特別研究チームは、基本的にはディラーみたいなものだったので、利益に応じた銭、つまり研究費用を取った。これは従来のジブトラストの研究センターのような基礎的な研究とは違い、極めて実戦的なものだった。ジブトラストの研究センターは、経済学研究所と違って、本当は実戦的な研究センターである筈だった。しかし株屋崩れの研究員も実戦感覚が薄れていた、それに、ジブトラストも実業比重が高まり、企業分析研究所が脚光を浴び、やたらと活躍していた。企業分析研究所に移った人もいた。それに社長だった神子の影響も受けていた。やっぱり株式そして先物に重点を置きだしていた。むしろ研究センターの商品相場担当は、基礎的なデータを出すだけに終わっていた。神之助は、この基礎的なデータとビットタロウの研究だけで、天才的な相場感覚で大儲けできていた。しかしもう神之助が直接指示する時間はなくなっていた。今は実戦的な情報も必要だった。この商品相場特別研究チームが、今までのジブトラストの研究センターの商品相場担当をむしろ吸収していった。この商品相場特別研究チームは、はっきりと儲けてナンボの研究チームだった。そうして商品相場特別研究チームは、生の相場感覚そして基礎的な情報をビットタロウにも提供した。勿論金は取った。ビットタロウもストラジー提供料をあげて、対応した。しかし、こうした生の相場感覚、基礎的な情報は、ビットタロウのシステムを更に改良させる事につながった。ビットタロウのストラジーは更に精度を増し、システム取引も更に精緻になり、勝率も利益も増えた。

そして、この巨大資本は、世界各地の快適農園、神帥のアメリカの食品会社、ジブカミのヨーロッパ全域に広がる食品会社、リトルキャット系列の農園、更にイチコプロダクツなどの大きな意味でのジブトラスト系列企業と調整していった。貴金属でもジブ直轄の貴金属会社、神帥と羽朗の貴金属会社、そして大きなジブカミの貴金属会社、更に一族の会社と言えた毛利貴金属、リトルキャット貴金属などと、この特別商品相場チームを介在させて、協議するようになっていった。特別商品相場チームは、いわばディラーのような研究員たちの集まりだった。こうした奴らが単なる使い走りでは終わらず、色々な情報をこうした需要と供給サイドから情報を取り、一方で情報を提供した。あっさり言えば、こうした需要と供給サイドとを密かに調整していた。この特別商品相場チームは、ナンタラ経済研究所と名前を変えて、別組織になった。色々な情報を集め、この巨大資本やビットタロウに情報を売るだけでなく、ジブ系列企業の売買の調整なども少しはするようになった。そうして、この巨大資本は面白いように儲けていった。資本力はデカイ上に、需要と供給の両サイドの細かい情報まで知り、情報も生かしたシステム運用で、24時間ミドルリスク、ミドルリターンと称して儲け、従来型の取引で大きく儲けていた。いわば、究極のインサイダー取引をしているような大きなネットワークだった。

しばらくは、面白い程儲かった。利益は利益を呼んでいた。この巨大なグローバルな資本は、ジブトラスト本体をはじめとする、ジブ関係の多くの資本が入れ乱れて出資していた。このような資本形態をとっている以上、利益は、それぞれの資本に配当と云った形で還元する事を基本としていたが、それぞれの運用会社は、税金も払っていた。利益還元すると当然税金が増える。含み益のような形で、この巨大な組織に置いておくと税金はこの巨大なグローバルな資本が払えばよかった、しかもこのグローバルな資本は活動拠点を世界に分散させていた。運用委託のような事もして、税率が低い国に利益を多く貯めるようにしていた。そのために税率の低い国があるのだった。その国にはナンダカンダと会社が出来、少ないとは云え、税金も払ってくれるし、人も雇ってくれていた。こんな節税対策は神元は判らない人だが、グローバルな資本のネットワーク作りには、神之助は、神帥を使って考えさせていた。神帥は、ナンダカンダと詳しく知っていた。ごっそりと儲けて、節税対策をしていても、配当として利益還元してしまうと、それぞれの運用会社で税金を払う必要もあった。ナンダカンダと調整して、運用手数料やこの組織の経費を引いた、残りの利益の半分程度を配当として出し、半分程度は運用枠拡大させると云う名目の元に、この巨大な資本の中に貯めていく事にした。当然運用額が拡大すると思うと、実はそうではなかった。神之助は全体を見ていただけだが、ドンドンと突っ込む神元の性格も知り、運用総額は実はかなり調整していた。なんといっても神之助が、この組織のトップだった。そして制限した運用額の中でも、運用する金を常に変動させていくようにいった。相場は、反対サイドを持っていないと、結局儲からない。相場は安く買って高く売る。つまり反対サイドが存在してこそ大きく儲けられるものだった。鶏は太らせてから食えば一杯食えるが、痩せた鶏やまだひよこを食っていても仕方ないと諭した。神元も少しはそれを判り、チマチマとしたシステム運用を基本としていく時期とか、ここは突っ込む時期とかの調整を世界各地のネットワークと相談して、運用するようになった。/p>

これには、極めて個人的な神元の事情も絡んでいた。聡美が運用よりも実業にシフトしたので、聡美の運用による利益が減った。実業で儲けるようになったとは云え、その利益は配当としてジブカミに入った。聡美個人への配分はそんなに多くしなかった。儲けた金は組織内で貯めておいた。聡美の周囲には、弁護士や税理士みたいな連中が増えていた。ジブカミもやたらと、ヨーロッパで複雑な子会社システムになっていた。税金にごっそり払うよりも組織として貯めておく方が結局は得だと言った、聡美の報酬は、長い目でみて、少しつづ上げていった方がいいと助言して、聡美も納得して、ジブカミとしての資金を貯めておく事にしていた。 一方、この巨大な商品相場を行う組織は、運用子会社といってもジブシステムの中の組織で、やっぱり実業よりは大きな比率で、ディラーたち、相場師たちに報酬としてお金を渡す必要があった。運用による利益は、ジブシステム上、直ぐに神元の報酬に反映された。グダグタ言ったが、二人の報酬と言うか月給は、運用利益が大きい時に当然、直ぐに多くなった。それが神元の方が圧倒的に多くなった。神元はそういう意味では模範的な納税者であった。聡美よりも収入を多くしたいとの思いが強かった。節税対策なんかは頭になかった。こうして、神元の世帯主としてのプライドが満たされた。神元も結構金はあったし、安月給でもなく、高額の報酬だったのに、聡美より低収入と云う事は神元のプライドを傷つける事であった。子供じみた気持ちだったが、やはりそれが大きな神元のインセンティブであった。それが満たされたので、気持ちに余裕が出来ていた。神之助の助言も素直に聞けた理由だった。

隠れジブ系列企業

話を戻すと、そんなゴタクを能書きたれて、研究するのも苦手という相場師もやはりいた。やっぱり、依然として金だけ貰って遊んでいるような人たちもいた。それぞれの商品に詳しい偉いさんが多かった。組織が集約させると、各国のトップに近い人とか中間管理職みたいな奴らがどうしても過剰になるものだった。そうした連中は相談して、遊んで金を貰っていてもつまらないので、今までの経験を生かして、それぞれの専門分野での実業関係の会社を考えていった。それは、ジブ本体やジブ海外法人、それぞれの運用会社なども、やはり出資する事になった。元々そうした組織の偉いさんだった。リトルチャの組織では各運用子会社などがやはり出資した。そんな相場師たちも高給取りなので、銭、いや金は相当もっているので、自分たちも出資をした。ただその人たちは、神之助系列の金融機関やリトルチャの金融機関からも出資して貰っていた。心理的にもそうした組織の方が近かった事も原因だった。みんな本質的には、株屋と言うより相場師なので、それなりの経営専門家や技術屋も必要だった。そんな奴らを探すのは大変だったので、結局ジブトラストに斡旋してもらい、ジブ総合研究所からパテント供与などを受ける事にした。そんな奴らは一から会社の業務を考えるのも面倒なので、ジブトラストから斡旋された経営専門家や技術屋たちと協議して、値段が安そうな、つまり今は低迷しているが、将来的には見込みのありそうな企業を探して、そうした企業と合弁する事を考えた。今回の香奈のジブトラストとしての新規投資や救済投資は、つまりは、各国の偉いさんの頼みに応じた出資だった。要するに、各国の既存経済体制の中核みたいな企業だった。新しい企業、既存体制に食い込めていない企業などは、当然そんな救済はされなかった。逆に言えば、将来伸びそうだが、現実には低迷している企業などは、今回の救済劇の蚊帳の外だった。そうした企業は、ジブに吸収されたくはないものの、ジブの資本とジブ総合研究所の技術が、低迷している会社の業績を浮上させるのに、役立つと考えた。案外すんなりと色々な合弁企業群が次々と出来た。それにあのグローバルな資本も実際の商品の流通にも手をだしてきた。ナンタラ経済研究所と組んで、口銭ビジネスにこうした企業群は関係した。商社機能も貿易関係の実務そして運送関係の会社もジブトラストそしてジブ一族の会社にはあった。こうしたピンハネみたいな事もやった。全体を調整して行うので、それなりにみんな儲け、ピンハネも目立たなくなった。こうしてジブ系列企業が一層膨張した。ただ、この新しいジブ系列企業は、従来のジブ系列企業とは異なり、完全にはジブ傘下とは言えない神之助系列の金融機関やリトルチャ系列の金融機関からも出資してもらっているし、従来の企業の資本関係も引きずっているので、世間からはジブ系列とはあまり考えられなかった。所謂、隠れジブ系列企業とか言われていた。

神元には、大きくなった実業グループがあった。食品企業などは、切人グループからの専門家が経営していたが、ジブカミからの役員を出していた。それに貴金属の会社もあった。完全に相場以外の事に興味を失った神元に比べ、聡美は知加子から経済学の事を色々聞いて、経営に興味を持っていた。聡美も神元もジブカミのダブルトップでもあった。実業関係は、神元系列も含めて、聡美がほとんど総括するようになった。神元はジブカミの運営から表面的には手を引き、単なる大株主になり、グローバルな巨大資本の運営に専念するようになった。聡美がジブカミの運営を一手に引き受けた。聡美は、スイスカナコインの大学院を出た、優秀な若手も雇いだして、ジブカミ独自の経営専門家集団も出来ていた。加代子のアメリカの会社と似たような対応をした。そうした経営専門家集団が、ジブカミの実業分野の経営を勉強した。切人たちの食品企業グループそして毛利貴金属によるドイツジブ貴金属、香奈オフィスによる資源関係の会社の運営そしてジブ海外法人から派遣された経営専門家たちの経営方針などを勉強していた。

聡美の直轄の先物チームは、スイスカナコインの証券研究所に金を出し、ジブトラストの研究センターからの報告、神子のお告げなどを参考にして、先物やデリバティブに取り組んでいた。それなりの成績は上げた。しかし、リズミカルな運用、阿修羅のような運用をしていた聡美が、実業チームの相談にのり、報告を受け、指示を出しているので、当然聡美自身が運用する時間は大きく減った。聡美自身が運用していないだけなのに、運用による利益は、ごっそり減った。聡美には、加代子のアメリカの会社の責任者みたいな大きな権限を持って、総括してくれる人はおらず、それぞれの幹部たちが手分けして、経営専門家たちと話し合いながら、経営を勉強していた。

ここで、聡美と神元がなぜ、会社を買収するようになったかを確認してみよう。神元は、相場で大きな損を出して、赤字が続くと相場担当から外させるジブのルールにおびえて、細かい利益を確実に取れそうな、食品とか貴金属店チェーンを買収して、それぞれの専門家に経営を任せて、少しでも確実な利益を出そうとしたためだった。貴金属会社の経営には、毛利貴金属を頼ったし、食品企業では、切人たちや今までジフの傘下になっていた企業の専門家がいるので、買収したのだった。神元には経営しようと言う気は更々なかった。安定的な収益を少しでも得れば、相場で大きな損を出さないようすればいいと思っただけだった。

一方、聡美は、大元帥明王さんから言われた銘柄を訳もなく、買っていただけだった。単に売買差益を得ようとしたものだった。大元帥明王さんは、大きな儲けが見込める時だけ、聡美に教えた。利益の一部をヨーロッパでの福祉団体を作り、そこに寄付する事も指示していた。儲けたら、社会に還元しないといけないとも諭した。聡美と神元は当然従った。そして、現地ジブ海外法人も金を出して、ヨーロッパのジブドイツ財団とかジブフランス財団とかが、出来ていった。こうした財団は、株屋たちが作ったが、当然、運営などは出来ず。社会福祉の専門家に任せ、そうした専門家たちは、先行した設立されていたジブスイス財団に、運営方法を細かく聞き、ジブスイス財団の支部みたいな形で運営していた。

話を戻すと、大元帥明王さんの指示した銘柄は、多様な産業の株式であった。売買差益が目的なので、売ろうとしたが、ナンダカンダとあって、売れなくなった会社が、聡美が保有していた会社だった。非上場にしてしまった会社もあった。ジブカミグループの会社の多くは、売れなくなった株式の会社なので、保有率もばらついていたし、聡美は、発行済み株式も知らず、やたらと買い占めて、意味もなく多く保有してしまった会社もあった。加代子のように、デフェンシブ銘柄を中心とした集団ではなかった。生活に密接している食品関係の企業は多かったが、鉱山、娯楽つまりレジャー産業、機械、自動車そして繊維などと言って多岐に亘っていた。人は単に食っているだけではなく、色々と生活を楽しむ必要があると思って、大元帥明王さんが意識したのかは分らなかった。兎も角、かなりの分野に亘って、そして尚且つ、株式保有率は多い所から少ない所まで、ばらついていた。その経営にも従来の経営陣だったり、ジブ現地法人だったり、切人系の企業だったり、多様な人に経営は任せていた。そのため、ジプカミの幹部たちは手分けして、経営学を勉強した若手をガイドみたいにして、経営を勉強していた。聡美はみんなの調整に乗り出して、報告を受けたり、思いがけない協力関係を築いていく事もしていた。

加代子のアメリカの会社では、それを加代子のアメリカの会社の責任者がしていた。しかしジブカミには、そんな人はいなかった。聡美自身がする必要があった。当然ジブカミの聡美のチームの運用による利益も大きく減った。反面、責任を持って、聡美が全体的に判断してくれるので、運用以外の利益、つまり配当による利益が増えていった。香奈が膨大な資金を投入して、ヨーロッパの金融は安定した。金融の安定がやはり、経済の安定を呼んだ。それに経済体制を支える中核企業への新規投資は波及効果を更に呼んだ。ジブカミ傘下の企業の利益も増えていた。景気はそこそこ良くなっていたのだった。

こうして、ジブトラストとしての運用は、ジブ系列も含めて本当に運用額も、運用利益もガタンと減っていた。世界最強と言われて、世界の富を独り占めするとも言われた、ジブトラストグループの運用も、本体そしてジブ系列の各運用会社は、本当に先物とデリバティブ、いくつかの調整売買などをするだけになった。商品相場はジブトラストの子会社が大きな巨大資本になったし、債券や為替は、各地の金融センターとジブ系列の運用子会社も出資した、その金融センターの運用子会社のグローバルな組織にほぼ一元化されていた。そんな大きなグローバルな資本になると、もはや敵はいなくなり、かえって儲けは少なくなるものだった。しかし、神之助は、全体を見ているとは云え、やっぱり取引では神様みたいな人だった。緩める所は緩めて、みんなに少しは餌をまき、絞り上げる時には絞り上げるように、金融センターの配下の幹部や神元に言った。そうすると利益はそこそこ上がったが、もはや信じられない程儲ける事なんては出来なかった。こうしたグローバルな組織から、ジブ本体やジブ系列の運用会社、リトルチャの運用子会社は、配当を貰っていた。ジブ本体はジブ系列の運用会社から更に配当を貰い、その取引システムを担当するごきげんソフトは、システム維持費を取っていた。

ジブトラストは、やはり大きな運用利益を出していたが、過去の信じられない儲けには、遠く及ばなかった。配当からの利益は、やっぱり信じられらない程大きな金額ではなかった。それでも実業分野からの配当は取引による運用利益のように一発勝負ではなかった。毎年くれるものだった。それにやたらと各業態に分散していた。この実業分野からの配当は、会社が成長すればグングンと増えていったが、各業態毎にやはり、ばらついた。それでもみんなが急激に落ち込む事はなかった。何かが良くて何かが悪いと云う事が多かった。それに世界各地に分散していたので、地域間でのばらつきはあったが、全体としては、それなりに安定したものだった。それにジブトラストには、所謂、経営専門家集団を多く抱えるようになっていた、それは各運用子会社でも同様だった。こうした今までのジブトラストのように、株屋や相場師たちの集団ではなくなっていった。

猫たちの運用

猫たちの運用も変わっていた。リトルチャ系列の運用子会社は、為替と債権のグループは、大きなグローバル資本にドーン出資して、人もそこに集約していった。商品 相場担当も同様だった。リトルキャット運用会社そしてスイスカナコイン、スイスカナキャットも同様だった。ではそうした運用していた猫たちはどうしたかと言うと、ビットタロウの研究チームに入っていた。ビットタロウの研究チームは、ストラジー提供料をそれぞれのグローバルな資本から貰っていた。ビットタロウは、複雑なシステム取引プログラムを複数作っていた、そうしたシステムは グローバルな資本に提供する前に、色々と実戦的なテストを必要としていた、既に提供したシステムを修正する事も必要だった。そして、単なるシステム取引で、どこが問題となるのかを猫たち独自の相場センスで実戦的に研究していた。香奈からの運用委託の金とかリトルチャからの運用委託の金とかも使った。そして、これには、ネットがあれば、特に人間たちの手助けもそんなに必要なかった、研究なので、大きな運用はしなかった。ただ猫たちの相場センスだけが必要だった。猫たちにとっても、人間たちに理解してもらうのには それなりに時間も精力も要った。

運用額は少ないものの、猫たちだけの相場センスを磨くだけの運用は気楽だった。ビットタロウの研究成果を見ながら、ビットタロウ理論に欠けている、生情報を中心に、相場をするようになった。ビットタロウの色々なプログラム、つまりストラジーのシステム運用も当然テストした。そして勝率はどうだとか、累積利益はドーダとか、最大損失はドーダ、色々な結果を出して、巨大な資本に提供していた。グローバルの巨大資本は、それぞれ子会社毎に、ストラジーを組み合わせて、システム運用しながら、従来型の取引をしていた。ビットタロウのチームは、いわば単なるストラジーだけの提供だけでなく、実戦的な運用テストを行うチームとなっていた。

そして、ビットタロウの研究そのものにも、新しい猫たちが参加してきた。猫たちは、大学院大学や研究所で、高度な研究をする内に、そうした相場を実際に行うよりも、分析したり、今後の動きを予測したりするアカデミックな方面に惹かれる猫たちが多くなった。ビットタロウは、プログラムのフロチャートを考えるのは得意でも、プログラムのコーディングなんかは得意とは言えなかった。コネコソフトの連中と話しながら、より快適に動くプログラムに変更していく猫たちもいた。スイスカナキャットを含むスイスカナコインそしてリトルキャット運用会社での運用は、基本的に、このジブトラスト系列の、商品相場、そして為替と債権の二つの巨大なグローバル資本に、人を移動して、金も出資して、その配当を貰うと同時に、このビットタロウ研究チームにも運用を委託するように変わっていった。香奈特別基金のココのチームは、正人だけでなく、ココも少しは株式を保有しており、株式の保有リスクを考えて、先物やデリバティブで運用して、色々な制限を考慮しながら調整売買する取引スタイルとなった。ただココも大きな巨大な商品相場と債権と為替をする資本に、香奈特別基金のココのチーフ猫の特別運用枠から出資し、更に少しはビットタロウ研究チームにも運用を委託していた。ココのチーフ猫としての運用枠は膨れ上がっていたので、十分な余裕はあった、それに単に金を儲けたいためでもなかった。この巨大なグローバル資本がどの程度儲けるのか、ビットタロウの研究がどんなものかをやはり、ココも確かめようと思っていた。こうして、猫たちの商品相場や債権などの運用は、基本的にはジブ系列の大きなグローバル資本に運用を任せ、猫たちは、ビットタロウ理論の実戦的な検証するチームのようになっていた。これは香奈の家の猫たちが、相場猫から、アナリストみたいな猫に変わっていく切っ掛けでもあった。

企業分析研究所で勉強して、チャタロウチームで、実業グループの企画立案に参加するとか、リトルチャの金融グループで、国際金融の組織作りや新しい計画を練る猫、色々な研究所で研究する猫、各地の猫ハウスの運営に参加していく猫などが増えていった。リトルチャは国際金融ルート全体を纏める事に、精力を使っていたし、チャタロウはチャタロウチームの実際の運営などは、配下の猫や人間たちに任せ、今後のチャタロウチームの方向を考えるようになっていた。貴金属勘定の猫たちも、貴金属保有リスクなどの先物は、商品相場の巨大なグローバルな資本にほとんど任せ、猫野たちとリトルキャット貴金属の新しい展開を考える事が多くなっていた。リトルキャット運用会社での運用もほとんど、先物やデリバティブが主体となり、それも先行きの動向を詳しく分析して、保有株式の保有リスクとの調整を取っていた。相場している感じではなくなり、株式のアナリストみたいな猫たちが、長期的な展望に立って、運用していた。株式投資や色々な調整売買でも企画・調査チームと話し合いながら、運用だか出資だがをするようになった。もはや取引ではなくビジネスと言っても良かった。

スイスカナキャットを含むスイスカナコインの連中も、同じように変わった。その上、スイスカナキャットでは、スイス総合企画に一緒に出資していった会社がやたらとあった。少しは上場した企業もあったし、出資していたスイスカナコイン医学研究所は、販売はフランス安部製薬に任せていたが、大きな製薬会社みたいなものだった。その医学研究所からの協力会社への出資も頼まれるなど、チャのチームはいわば大きな資本としてのビジネスを行う猫たちになり、スイスカナコインの実業分野との話し合いもする、大きな証券会社というか持株会社みたいなものになり、香奈の家の猫たちは今や、研究者やビジネスエリートの集団みたいな雰囲気になっていた。

ただ、ココは変わらなかった。ココの香奈特別基金の運用チームは、従来通りの運用をした。正確には、従来と異なり、長期保有株式も少しは持つようになり、少しは変わっていたが、基本的には従来の路線を堅持していた。株式の売買は制約もあるもの、株式売買そして先物などを、やっぱりココの決めた大きな方針の中で行っていた。ココがボロ株を研究して、一発倍増を狙って、株を買い、所謂ヘッジファンドみたいな事もやっぱりしていた。ココはいつまでたっても、やはり相場猫だった。香奈特別基金のココのチームもココの子猫たち、ココタロウ、ココジュンそしてココハナコまでは、少なくとも恐怖のココの方針を守り続けていた。それ以外の若い猫たちは、リトルキャット運用会社などで、ビジネスエリートみたいに、会議と研究に明け暮れる毎日だった。

ビットタロウは、気配りの出来る、いい猫だった。みんなに慕われていた。それに頭も良かった。複雑な計算も出来た。ただビットタロウにとって、取引はビジネスだった。勝負とは思っていなかった。それにリスクのある勝負をする必要はないと冷静に思っていた。そこそこ儲ければ、猫軍団の生活の維持費は出ると思っていた。ストラジー提供料も入っていた。何も今の資産を危険に犯すリスクのある事をする必要はないと思っていた。ビットタロウは、プログラムの天才ではないが、IT関係の知識には詳しかった。香奈の家の猫は、みんな専門的になりすぎていた。やたらとプログラムに詳しい猫もいたし、取引に詳しい猫、実業に詳しい猫、研究一筋のような猫もいた。ビットタロウは、みんなそこそこ判る、そして気配りの出来る猫だった。みんなに慕われ、そして重宝がられた。猫だけではなく、人付き合いもよかった。よく遊びにくる恵にも気を使った。


「ビットタロウ、こんばんわ。チビ助は寝ているのね。奥さん猫と仲良く寝ているのね。」
香奈「チビ助は、昼間頑張って仕事したから、疲れているのよ。今日は、凄い資料を作ったのよ。神太朗君や神之助君には、あまり、チビ助に仕事を頼まないでと言っているのに、チビ助は気がいいから、直ぐに受けてしまうのよ。ビットタロウがね、恵に、この間珠子さんから貰ったおつまみを出したら、きっとスイスカナコインから送ってきたワインと合うと思うと言っているよ。」
「本当によく気がつく猫なんだね。ビットタロウ、ありがとうね。私は欲しくなると言うから、気を使わないでね。こんなに気を使う猫は、初めてだね。でもほんとに、このワインとはよく合うね。」
香奈「ビットタロウは特別なんだよ。まさしく、みんなに慕われているよ。正人とか奈津美もびっくりしているよ。私は、猫はもっと自由に伸び伸び暮らさないといけないよとビットタロウに言っている程だよ。」
「ビットタロウ、向こうで少し休みなよ、ビットタロウも昼間頑張っていたんだろ。猫は、もっと気ままにのんびりするもんだよ。」 ビットタロウは、ごゆっくりと言いながら、猫の部屋に戻っていった。
「ビットタロウも、そろそろお嫁さんを貰わないといけないね。のんびり、寛げる家庭が必要だね。」
香奈「ビットタロウは、気配りが出来すぎて、なかなかもてないのよ。いい猫としかみられないのね。それに頭もいいし、釣りあう猫もそんなにいないしね。夜遊びもしないので、なかなか切っ掛けがないのよ。」
「でも、ビットタロウは、ビットタロウ理論で相当儲けたのでしょう。神之助君もそれで儲けたと言っていたわ。」
香奈「リトルチャが直接指揮していた時は、やたらと儲けていたよ。でもリトルチャが忙しく、ビットタロウが直接指揮するようになって、少しつづ、利益は下がっていったのよ、ビットタロウは、研究の猫だから、ここ一番の利益を取るのが、出来ないみたいなのね。無理をしているとビットタロウも辛そうだから、私は、リトルチャに言ったのよ。研究しているだけの方が、ビットタロウにあっていると言ったのよ。リトルチャもそれが判ったので、神之助君たちの大きな組織と一緒に運用するようにしたの。ビットタロウは、研究理論を提供するだけになったみたいよ。今は、研究主体で、運用は実戦的なテストになったから、ビットタロウも少しのんびりしているのよ。取引は、今まで運用していた猫が、ビットタロウ理論を参考にして、運用額も少なくして、自由に相場センスを磨くだけにしたみたいね。みんなこの頃、のんびりしているよ。にゃーにゃーと冗談も言っているよ。それでいいのよ。猫が必死になって相場する事はないわよ。リトルチャみたいな猫は、そんなにいないもんだよ。みんなリトルチャみたいでも困るしね。」
「でもリトルチャも、昔のピリピリした雰囲気は薄くなってきたね。昔はリトルチャがいるだけで、周りの空気が変わったみたいだったのにね。牧場近くを、若い猫たちと仲良く話しながら、散歩していたよ。神之助君も時々、色々な人たちと散歩しながら、話しているし、同じだね。」
香奈「いつでも、昔みたいな事は続かないのよ。神之助君もリトルチャもそれが判ったのは、いい事だよ。」

ココやチャは、人間で言えば百歳をとっくに超えたような猫だった。クリスの薬でやたら元気だったが、この二匹はやはり老眼だった。目の構造は物理的な問題でもあり、老眼が一挙には治らなかった。小さい文字は見にくかった。ココもチャも、いくら猫の目にやさしいディスプレーでも、モニターを見るのは昔から得意ではなかったし、パソコンもなかなか上手く使えなかった。経済新聞も目から離してみるなどの苦労をしていた。ビットタロウは、二人のパソコンでナンタラ経済新聞、ナンタラストリート日本版なんぞの経済サイトの有料会員を申し込んで、色々な記事の検索方法とか、文字を大きくさせるようにしたり、データベースにする方法なんぞを判りやすく説明して、プリンターに印刷する方法まで説明した。プリンターで印刷された紙も猫に取り出しやすくするなどの改良もした。ココに日経平均の研究データを渡したり、チャに為替予測の研究結果を見せたりもした。経済予測はビットタロウのお得意だった。香奈の家の猫の親分と云えた、ココとチャも、ビットタロウみたいな気配りの出来る猫は大変重宝していた。ココはビットタロウを可愛がったが、不満もあった。

ココはぼやいていた。
ココ「この頃の若い子は、面白くないね。ビットタロウは、なかなか気配りの出来る子でいい猫なんだけどね。でもなんでもっと自分で勝負しないだろうね。あれじゃ、口先だけのアナリストだよ。勝率とか最大利益とか言って、計算してばかりで、小さい利益で満足しているよ。あれだけ色々と詳しく調べ、色々と詳しく知っているのに、自分で勝負しようと思わないみたいだね。 この間、ココおばさんの参考になればとか言って、日経平均の今後の推移予想なんかを作って、持ってきたのよ。結構面白くて、私の運用枠で、ココタロウに先物をやらせてみたのよ。結構当たるのよ。ビットタロウに自分でもやってみたらと言ったら、先物はまだ勉強中ですからとか言うのよ。」
チャ「僕にも今後の為替予想とかの資料をくれたよ。ご参考になればとか言っていたよ。少し学術的で、色々な条件とか予想率なんぞが入り、見づらい書類だったけど、僕も少し考えて、長期的に色々な為替ペアーでやらせてみたよ。結構儲かったよ。ビットタロウはなんでも詳しいね。」
ココ「折角、リトルチャから色々と教えてもらって、色々と研究して、何でも判るくせに、自分で勝負せずに、ナントカ料を貰って満足しているよ。リトルチャが神之助さんの会社に運用を任せたのが、よく判るよ。実戦的なテストとか言っても、チマチマした勝負ばっかりで、そんなに利益が上がっていないのよ。少しだけ運用委託もしてみたけど、そんなに儲けていないのよ。やっぱり神之助さんの会社の方が余程、儲けるのよ。実際には、神元さんがしているみたいだけどね。軽く2割以上は配当としてくれるのよ。それなのに、ビットタロウは1割になるかならない程度の配当なの。ハイリターンは狙わず、ミドルリスク、ミドルリターンで、勝率を上げて、確実に利益を出すようにしていますとか言うのよ。あれは相場をしているのではないよ。まるで学者の研究みたいだよ。情けないね。大人しいココタロウの方が、よっぽど儲けているよ。」
チャ「まあ、そういう時代なのかもしれないよ。研究する事は悪い事ではないよ。どんなに研究しても負けることもあるしね。やっぱり相場はリスクがあるんだよ。」
ココ「相場は、負ける時もあるけど、やっぱり儲ける時は、しっかり儲けないといけないよ。トータルで儲けるのが、相場なんだよ。チマチマ儲けていても、大きな損をすれば、忽ち、赤字になるよ。ここの家の猫も勝負強さはなくなってしまったね。」
チャ「チャタロウも結構損した事もあって、慎重になっていったけど、今の若い子たちは、もっと慎重だね。やはり、それが実業感覚とか言うのかもしれないね。若い時のリトルチャの取引は凄かったけどね。あれよあれよと云う間に、元金の何倍も利益を出していたよ。もうあんな勝負強い猫は出てこないだろうね。でも、それはそれでいいのかもしれないよ。そんな勝負をする時代ではないよ。金も貯まったし、みんな頭はいいし、一生懸命勉強しているよ。実業の企画なんかでは、結構いいアイディアを出すらしいよ。チャタロウやリトルチャも感心していたよ。スイスカナコインでも、最近は、実業で儲けているよ。運用は、もう程々になったね。スイスカナキャットでも配当利益の方が多いんだよ。ジブもそうみたいらしいよ。ここの家の猫たちも変わったと言うことだろうね。」
ココ「品行方正はいいけど、みんな小利口な猫ばっかりになったね。パワーがないのよ。なんとなく、寂しいね。」

ジブトラストは、本当に実業分野での比重が高くなった。

取引の最強集団と言えた加代子の会社が激変し、最後まで頑張っていた神之助のグループまでも激変して、神子のグループまで、実業シフトしてしまった。ジブトラストの運用会社の側面は減り、それに大きな商品相場や債権そして為替の取引は、ジブ系列のグローバルな資本として完全に外部に切り離し、最悪でも限定的な損失に留めるようにした。もはやジブトラストグループは、猫たちの運用でも、保有する株式の保有リスクを、経済状況を研究しながら、先物やデリバティブでカバーしようとする運用に変わっていった。

こうした、ジブトラストの変化は、やっぱり香奈が狙っていたものだった。神太朗が実業向きとは誰でも分かっていた事だったが、神之助や加代子のような取引の神様みたいな連中も、神太朗とは違う意味で、それなりに実業でのセンスはあると思っていた。加代子は突然、多くの会社を実質的に保有して、神太朗が経営専門家を派遣して、それらの会社を成長させた。これは香奈の計算外の事ではあったが、今回の欧州救済は、実は神之助に大きな欧米の金融機関を運営させる事が目的でもあった。金融システムはやはり、経済の根幹であった。ジブが一族の銀行、そしてもう一つの大きな銀行の過半数の株式を持っても、その銀行から金をドンドンと借りて、ジブは大きくなったのではないが、実は金融機関を安定させる事が、経済を伸ばす早道だった。そして経済が伸びて、ジブが利益を上げていった事を、香奈はちゃんと知っていた。

ジプが急速に大きくなっていったのは、一族の銀行を支配下においてからであった。配当も雀の涙なのに、ジブの将来のエースと目された神一を派遣したり、香奈の孫である正人を、もう一つの大きな銀行に派遣したりして、ジブは、大きな銀行の株を保有しつづけていた。リトルチャの国際金融ルートも香奈は高く評価していた。神之助は、ジブの大きな金融センター群を上手く運営していた、投機などに走らずとも、その金融センターを通して、各地の金融機関を運営してくれるものと信じていた。神之助は債権のプロでもあった。こうした金融機関を安定させ、ヨーロッパ経済を安定させる。それが未来のジブの成長に役立つと期待していた。神子のグループも、香奈がそれ程重視していなかった、消費者に近い分野での企業を日本、アメリカなどで展開していた。ジブ自身の株式保有はそんなに多くはないものの、そうした企業で優秀な経営陣に大きな株式を持たせ、会社が大きくなれば、やっぱりジブも儲かっていた。ジブが株式を多く保有するのは、実はやっぱりリスクのある事であった。

それなりにリスクを取りながら、それなりに配当を貰う。そうした事も必要だと思っていた。そんな神子の配下の人たちは、計算高いけれども、優秀な経営能力、経済予測能力があった。神太朗が抱える経営専門家グループと神太朗自身による運営方針を、香奈は高く評価していた。しかし、やっぱり神太朗には、理想主義的な面が強い事も、やはり事実だった。神子のグループは、極めて現実的に予測し、運営するタイプの人が多かった。そうした人たちを、ジブ傘下とはいえないものの、かなり支配力をもった各国の企業群に配置しておく事も必要だと思っていた。それが所謂、本当にリスクを取るという事だとも思っていた。猫たちの実業への方向転換は、香奈には予想外の事だったが、ジブトラストとしての完全な実業シフト、そしてリスクの多い商品相場チームを完全に子会社化して、損失リスクを限定的なものとする事などは、従来から香奈が考えていた事でもあった。ただ大きなグローバルな資本となり、従来のようにリスクの大きな、そして儲けの大きい商品相場ではなくなり、世界的な一種の購買システムのようになり、極めて安定化してしまった事は、香奈の計算外でもあった。

取引の才能が遺伝する事は稀だった。ドンドンと儲けた相場師の子供が、やはりドンドンと儲ける相場師になる事は、稀だった。香奈は、相場は好きだった。しかし、相場の怖さも知っていた。将来のジブトラストのためには、実業シフトにする事が必要なのだと思っていた。香奈は、単なる超超高齢者ではなかったのだ。

その超超高齢者だった筈の香奈と恵は、外観的にも若くなった。元々元気な二人であったが、日に日に若くなっているような感じだった。徹はまだまだやりたい事が山のようにあった。今度のエネルギー革命は自分の手で完成したかった。未来エネルギーシステムの超高齢者たちが飲んで、みんな日に日に若く元気になった。敷地内の超高齢者たちは、クリスの作った薬を密かにみんな飲んだ。みんなもっと元気で頭も冴えてきた。超高齢者が、元気になり、高齢者よりも若く見えた。高齢者たちも、クリスに頼んで、薬を作ってもらい、こっそり飲んだ。香奈が牛乳に入れて、飲んだと聞いて、みんな、牛乳で飲んだ。敷地内では、みんな若くなり、年齢も不詳みたいになった。祖父や祖母と孫のどちらが年上か判らないようになった。みんな兄弟みたいに見えた。それでもやっぱり百歳を超えた人は、そんなに敷地外には出なかった。やっぱり敷地は特別な魔法のような空間だとの意識が残っていた。それに拡大敷地内ではなんでも出来た。仙人の里と冗談のように言われていたが、本当に仙人の里になった。敷地内の牛乳は、分岐状の水もリング状の水も溢れる程高い牛乳だった。そんな牛乳で飲めば、効果は倍増すると言う事が判るのも、もう少し先の事だった。

クリスの作った薬に副作用がある事が判明

ただ、クリスの作った薬には、ある種の副作用がある事もその後わかった。それは今まで、リング状の水は、性衝動を高め、子宮を保護し、受精卵の子宮への定着を高める効果があった。ただクリスの作った薬で、体内にレアメタルが定着すると、その効果は、脳細胞の再生、つまりほとんど脳機能の充実に集中的に使われ、子宮の保護とか受精卵の定着促進とかいった作用はなくなってしまった。男性でも精子の数を増やし、あれが反り返る効果はなくなってしまっていた。つまり、若い世代では、こうした薬を飲むと、妊娠しにくくなるとまでは言えないものの、性衝動は抑えられ、精力抜群になる効果も当然なくなった。ただ、その反面、リング状の水の脳細胞への活性化の効果はより強く、分岐状の水の体内の諸内臓器官への保護、そして体内での修復酵素の活性化は予想を超えるものになっていった。はっきり言えば、仙人みたいな人にはなるが、仙人には子供が出来にくいと同じだった。子沢山の仙人はあまり想像できない。ある程度の年齢を超えると、クリスの薬は万能薬みたいなものにはなるが、妊娠可能な年齢では、使用が控えられ、従来型のそれぞれの疾患に対応し、体内にレアメタルそのものを定着させる事なく、薬理効果を増幅させたそれぞれの薬が使われる事になった。

これは、不妊問題で悩む、香奈の家の猫たちが、遺伝子研究所の薬理研究室と遺伝子研究センターとの合同研究で判明した。製薬も 急いで、この情報を薬の注意情報に入れた。人間では、一般的には50歳以上が、この薬の対象年齢と考えられるとの意見も付け加えた。又、レアメタルの体内での定着期間も、動物実験でしか分からないが、少なくとも50年以上保持され、人によっては、100年を超える可能性もあるので、若く妊娠を望む人はその事に留意して欲しいとも付け加えられた。これで、フランス安部製薬やスイスカナコインの開発した薬が、息を吹き返してきた。加代子が買収したアメリカの製薬会社もいくつかの慢性疾患や先天性疾患用の薬を作っていたので、それも再び売れ出した。不思議な事に不妊の可能性があり、性衝動が抑えられる薬は、いい歳のくせに敬遠する人がいた。それに各種疾患用の薬も、なかなか効能があった。製薬は、アメリカやヨーロッパの協力製薬会社の薬の国内パテントを持って、国内で発売していたので、トータルでの売り上げや利益は返って上がった。クリスの作った薬は万能薬で、いくら高くしたとしても、一回服用すれば、それで終わりのような薬だった。大抵は用心のために二回服用したが、それでも需要はそんなに伸びなかったのに、各疾患用の薬は、体内で薬理効果が なくなる前には服用しないといけない薬だったので、持続的な需要があった。製薬がクリスと共に作った薬は、ある程度の年齢を超えるとそれでも使用された、効果は、抜群だった。体内の内臓器官だけでなく、見た目も若くなり、頭も冴えてくる薬だった。

ただ製薬がこれを発表した時には、敷地内の人間たちも猫たちも、超超高齢者や高齢者が、見た目にも若くなり、元気に頭も冴えていたので、比較的若い世代でも羨ましがって、こっそりと飲んでしまった人や猫たちもいた。実は、ビットタロウも相場の指揮を任され、睡眠時間が減って、元気がなくなった時に、クリスに頼んで、飲んでしまっていた。体も元気になり、頭もより冴えたが、元々少なかった異性への興味は更に減っていた。香奈の家の猫たちは、文字通り、スペシャルな猫たちになっていた。既にクリスの作った薬を飲んでしまった若い人たちで妊娠を望む人たちや猫たちのための薬が、猫たちを中心として考えられていた。 そして、この研究はまだまだ続いていた。

ココの快気祝い

ココは、益々元気になった。そして益々頑固にもなった。そんな元気になったココをお祝いするになった。ココが管理する香奈国内の香奈特別基金のココのチームで計画していたが、チャは、チャタロウとリトルチャを呼び、我々のグループで、計画しようと言った。香奈の家の猫軍団としては、ココのグループのお祝いにして我々が参加する形ではなく、猫軍団として、一体となっている形で、お祝いしたいと言った。チャタロウとリトルチャも同意した。チャタロウの実業グループでも香奈の家の猫たちだけでなく、チャタロウの実業グループ全体の何周年とか言った形でお祝いをするようにして、ココの快気祝いを記念した製品を作ろうとした。香奈特別基金が飛躍した切っ掛けとなった、通信機器のあのおっさんの会社やコネコ通信とも相談して、新しい画期的な携帯電話をココモデルとして、売り出して、ココ専用として猫語翻訳機も内臓した製品を作った。これは衛星携帯でもあった。ジブテレコムとリトルキャット通信は自前の通信衛星を複数持っていた。そんな通信衛星の空チャンネルをフルに利用した。コネコソフトも独自のシステムを作っていた。国内での通信設備なんか必要ではなかった。ネットも出来、電話も出来る、週刊誌のような大きさの携帯電話だった。一般の人間用としては、猫語翻訳機能は当然なかった。この製品は、色々とサイズを変えて発売して、やがてヒットするが、その一号機をココに送る事にした。

リトルチャは、そんな邪魔くさい事は苦手だったが、貴金属勘定の猫たちと相談して、黄金のココと題した、ココを少し小さくした、純金の猫の像を作った。実物大にするととても重たかったので、小さくした。これもやがて、リトルキャットの直営店では、長寿、招福のゴールドキャットとして色々なサイズにして、発売していった。猫野たちは、あの貴金属会社ではなく、単なる財産管理会社として作ったリトルキャット貴金属を、単なる財産管理会社ではなく、貴金属細工チームの会社とし、あの貴金属会社に納めたり、毛利貴金属の特注品を加工したりするようになり、リトルキャット貴金属は業務専門の細工品を作る会社にもなって、猫たちの宝石を貴金属会社に納める会社のようにもなっていた。猫野たちは、純金の彫刻品とか注文に応じて、銀や銅を入れたり、宝石を入れたりするようになった。ゴールドココやゴールドチャの純金の猫の像や香奈に渡したお不動さんの像にも、目として宝石が組み込まれていた。ゴールドココの像には銅を少し入れて、より鮮明にして、ゴールドチャの像には、銀を入れて、輝きをました。お不動さんの仏像には、部分によって銀や銅を組み合わせて、その色合いの差を利用して、仏像らしさを出していた。成金趣味だけとはいえない芸術品のような仏像だった。しかもゴールドココとゴールドチャの像の目には、猫目石を入れて、目の色をココやチャの目の色のようにしていた。お不動さんの仏像には、何とダイヤを入れていた。猫野の快心の作品だった。このお不動さんの仏像はやがて、ジブ美術館で、不動明王特別展が開催される時には、一緒に展示され、話題になった。それは兎も角、この時の快気祝いでは、ゴールドココとココ専用の携帯電話の目録を手渡すのは、クリスという粋な演出もした。ココも照れくさそうな顔をしていたが素直に喜んだ。みんなで鯛の活け作りなどを食べて、楽しい食事会になった。香奈もそれを見ていて喜んだ。

チャタロウチームからの贈り物は、世間にはないものだったが、単価そのものは安かったので、経理操作は簡単だった。ところがリトルチャからの贈り物は、やたらと高価なものだった。リトルチャの国内のダミー会社のトップは、その経理操作について、弁護士や経理士たちと相談していた。そして香奈特別基金を預かる正人そしてスイスカナキャット、スイスカナコイン日本事務所の管理もする奈津美と相談して、リトルキャット貴金属が実際の経費を含めて、ほとんど利益が出ない価格でリトルチャの国内ダミー会社に売り、リトルチャの国内ダミー会社が、ほとんど利益の出ない価格で、香奈国内やスイスカナコイン日本事務所に売っていた。各組織がそれぞれと利益移転や利益供与なんぞと指摘される事を避けていた。香奈国内は、ココの像は香奈特別基金として保有し、お不動さんの像は香奈国内本体として保有するようにした。チャの像はスイスカナコイン日本事務所の保有とした。そんな経理操作は、国内のダミー会社のトップと正人、奈津美たちが、ごそごそと協議して、各組織が大きな負担が出ないように経理操作していた。そんな事は香奈もココもチゃも知らなかった。


「香奈さんは、携帯電話なんか持たないと言っていたのに、神太朗君に聞くと、この頃新しい携帯電話を持っているらしいね。でも私にも電話番号を教えてくれないの。」
香奈「あれは、ウチの猫たちとの専用携帯電話なんだよ。猫語翻訳機能も内臓しているのよ。ココとかチャとかが、かけてくるのよ。」
「いつも一緒にいるし、隣の部屋じゃないの。」
香奈「話しずらい時のための電話なんだよ。部屋に置いているから、本当は携帯でもないのよ。ココが見やすいように大きくしたから、本みたいになったよ、いつも机の上に置いているのよ。最初はココからだったよ。今度は本当にありがとうと言っていたわよ。面白くてジブトラストにも一回持っていたから、神太朗君が見たのかもしれないね。クリスにも新しい携帯電話を渡して、ありがとうと言っていたらしいよ。携帯電話もいいもんだね。今は週刊誌大だけど、手帳サイズにしたりと、色々なサイズにするみたいだよ。ネットも出来るみたいだよ。ネットは大きい画面の方がいいけどね。持ち運びが簡単な、もう少し小さいサイズの携帯電話を作るらしいから、恵にも渡すよ。」
「それは、楽しみにしているよ。」
香奈の携帯電話は、徹、 瑠璃、徹彦、奈津美、正人といった香奈ファミリーと恵とか神太朗、神子、神之助やジブの幹部の限られた人だけに、その電話番号が知らされていくようになった。香奈から携帯の電話番号が知らされる人は極く限られた人だったし、香奈が携帯を持っている事すら知らない人がほとんどだった。

敷地内では一時大騒ぎだったが、その興奮も収まってきた時に、加代子とエンジェルホープ財団、マリアとマリア財団、ジブ総合研究所の研究者たちが、続々と受賞をしていった。エンジェルホープ財団はアメリカの医療を変えていったし、マリア財団は、アフリカの希望を育てていっていた。財団そのものは、それぞれ評価されていたが、加代子やマリアは所詮株屋と見られていたが、香奈が受賞したので、ハードルが下がった。加代子やマリアの稼ぎが、財団を支えたのはやはり事実だった。ダイナマイトを発明した人を記念して作った賞がノーベル賞でもあった。そういう意味で結果からみれば、そんなに変な事でもないとも言えた。ジブ総合研究所の研究者たちは、英才の猫たちと仲良かった。そうした英才の猫たちは、ジブ総合研究所の研究所に散らばり、そうした研究者と共同して、研究していた。

敷地内では、ノーベル賞の受賞者たちがゴロゴロしている場所となった。特にジブ総合研究所は、世界でも指折りの研究所とみんなにも評価されるようになった。ジブ総合研究所は、実は株式会社組織であって、研究ベンチャーみたいな組織を子会社にしており、ジブ大学院大学と密接に関係しているものの、勝のロボット工学研究所、徹の未来エネルギーシステム、ジブトラスト内の組織でもあった遺伝子研究センターなどの第二研究所のようでもあった。当然これらの会社の技術水準は上がっていた。香奈国内の事務局はやたらと依頼研究を出していたので、香奈国内の傘下とも言えた香奈特別基金の保有している会社の技術水準も高くなっていた。香奈特別基金が多く株式を保有する会社は、次々と上場していき、特別銘柄は、香奈国内が多く株式を保有している会社がやたら多かった。香奈銘柄とも揶揄された。香奈特別基金は、一種の技術開発センターのような会社群を抱える大きな企業グループになって、香奈国内の事務局は、そうした企業グループの総括的な合同管理センターとなっていた。もう一つの大きな銀行の退職者たちの止まり木みたいな組織ではなく、それ自体大きな企業総括グループみたいになった、冶部ホームホテルの一室の相談室はそのままだったが、傘下のグループ企業群の事務処理を担当する事務センターをジブタウン東京に構えていた。正人は香奈の家の二階に香奈国内の事務局と香奈オーバーシーズの事務局を依然として置いて、事実上の最終判断をしていたが、そんなに大きな場所でもなく、中枢だけを集めていた。香奈オフィスの社長室、香奈は滅多に行かないものの、副会長の瑠璃が頑張る会長室や徹や勝たちが陣取る香奈ハイテクのグループ総括室、そして、スイスカナコインの日本事務所まで、香奈の家の二階に陣取り、いかに広い家でも、香奈国内だけが大きなスペースを取る事は出来なかった。香奈の家の二階は、香奈ファイナンシャルの奥座敷とか中枢と呼ばれるようになった。ロボット工学研究所は、先進的な技術で製品を出して、世界を圧倒し、未来エネルギーシステムは、世界のエネルギーを支配するとも言われる大きな会社になっていた。ただ勝も徹も超高齢者なので、外部には出なかった。香奈特別基金が多く株式を保有する会社が国内の子会社みたいになり、コバンザメの大介たちが、カミヨエンジニアリングを通して、株式保有をしていたアメリカやヨーロッパの会社が海外の子会社のようになっていた。チャタロウチームの会社群とも合弁会社を作ったり、協力もしていた。コバンザメの大介も香奈ハイテクの製品を未来テクノを通じて、世界に広めて、コバンザメも大きなコバンザメになっていた。

ジブトラストは、依然として大きな組織で、世界中の実業分野の会社が大きく伸びいていて、ますます大きくなっていたが、香奈国内が急速に大きくなっていた。成長戦略は少しは効果も上げ、日本もそれなりに成長していた。一応成長戦略はそれなりの成果をあげていた。カミカミは、大きなグループではあったが、神子のグループ、神之助の金融センターそして善作のカミカミ事務局に分散していた。カミカミ直系と云うかカミカミが多量に株を保有していた企業は、世界的な企業になっていた企業や有名な企業が多かった。それぞれが、業界でも屈指の経営陣とか言われており、カミカミ事務局は、それぞれの経営陣からの報告を受けるだけで、無言の大株主でもあった。陽太は、完全な名目的な事務局長だったが、それなりに顔を効いた。傘下の企業は、カミカミ事務局長の陽太にも挨拶にいったが、実務を預かる善作にも挨拶にいったし、神太朗や今までの経緯もあった太朗や正子にも挨拶にいく程度の分別は持っていた。陽太は朗らかな表情で、不動財団への寄付についてお礼を言って、不動財団の運動について話すだけだったし、実務を預かる善作も何にも言わなかった。善作は自分の判断で出資していた企業と詳しく面談していた。珠子は出産後暫くして、カミカミ事務局の役員待遇となったが、またまだ勉強中であった。ただ冶部食品の役員にもなって、美味しい食品を作ろうと考えていた。ナンダカンダと試作品を作らせ、みんなの意見を聞いていた。

世界的にみれば、アメリカの加代子、神帥、ヨーロッパの聡美と神元などに分散していた。神太朗はジブ傘下の実業分野を率いて、神二郎の不動グループそして新宿オフィスも大きくなっていた。みんな、ジブトラスト系列の大きなグループでもあったが、それぞれ独立していたようなものだった。それぞれ大きなグループではあったが、絡み合いながらも、益々分散傾向も強かった。香奈自身としては、緩やかな結合を持った組織にしていた積もりではあったが、香奈以外では、最早、まとめる人がいないとも言われていた。

カミカミと比べれればまとまっている香奈ファイナンシャルではあったが、スイスカナコイングループは、もはやヨーロッパを代表する企業グループと言われる程大きくなっていた。スイス総合企画は、スイスの企業を中心に支援していたが、スイスは結構輸出で食っている国なのだ。金融サービスも盛んでもあるが、一般的な製造業も馬鹿にしたものではなかった。スイスの企業は他のヨーロッパとの付き合いが多かった。スイス総合企画は、そうした関係企業の要請でヨーロッパ全体の企業に支援、つまり出資していく事になった。スイスカナコインは、それ程上場などには、拘らなかった。資金供給をスイス総合企画がしていたので、企業もそれほど上場したいと思う会社はなかった。それでも幾つかの企業は、会社としての立場を強くしたいと考えてやはり上場し、スイス総合企画やスイスカナキャットには、上場益がごっそりと入り、更に資金供給のための資金は豊富になった。スイスカナキャットは、将来の猫軍団の資産を貯める会社なので、チャは、配当以外の利益は、再投資する事に同意した。そうした金はスイス総合企画に預けていた。逆説的に言えば、幾つかの企業が上場する度に、スイス総合企画の資金が豊富になり、スイス総合企画傘下の会社の資金需要を完全に手当てできるようになり、資金需要を簡単にする目的での上場理由はなくなり、上場したい企業は減っていった。スイスカナコイングループは、結局、非上場の会社が多く、スイス総合企画やスイスカナキャットの保有する株式は増える事はあるが、ほとんど減らないので、やたらと配当が入っていた。

香奈オフィスは、上場企業の資源開発を傘下の企業のようにした、世界一の資源メジャーとなり、あの話題のレアメタルそして、もう一つのレアメタルを独占的とは言わないまでも、それに近い程、大きなシェアを持っていた。利益は莫大だったが、医療とエネルギー分野に大きな影響力を持ち、夢野の研究所にも莫大な技術指導料を払っていたが、その反面、夢野の広範囲な開発研究の結果を自由に使える立場でもあった。奈津美は儲けた金を、配当率を上げて、税金を払うために日本に集める事をするような人ではなかった。それぞれの子会社の経営陣に株式を持たしていたので、配当率は変えなかったものの、儲けた金のある程度は、それぞれの国で明日の利益のために投資をさせたり、安くなった掘り出し物を買うために内部保留させていた。そして香奈オフィスの各国の子会社自身もデカクなり、子会社も持ち、それぞれ膨大な内部留保を貯め込み、鉱山や油田なんぞと資産も増えていた。そして、この海外の香奈オフィスの子会社の株式は、ほとんどは、日本の香奈オフィス本体そして創業者としてやっぱり個人名義で保有して欲しいといわれていた香奈が、個人名義で少し所有していた。そしてほんの一部をスイスカナキャットや香奈オフィスの現地子会社の経営陣に分けていた。香奈オフィス本体の株式は、本来香奈が創立した会社なので、香奈が全部保有していたが、多くの株式は国内香奈、つまり香奈ファイナンシャルに移行させ、瑠璃や徹彦の子供、奈津美や正人に言った孫たちにも、上手く資産移転させていた。奈津美には少し多くしていた。それ以降のひ孫たちには、国内香奈の株式を保有させるようにしていた。香奈は大きく減ったとは言え、依然として、香奈オフィスの個人筆頭株主ではあった。

あの話題のレアメタルや、別のレアメタルを単に保有しているだけでなく、その開発技術の特許なんぞの知的ノウハウまで持っていた香奈オフィスは、世界の医療とエネルギーを握る企業グループとまで言われるようになっていた。切人の海外はヨーロッパの食品産業の細々とした分野にまで手を出して、その影響力はアメリカや日本にも及んでいた。関係会社も複雑だった。正人の国内香奈は、大きな技術開発センターとも云える会社群と幾つかの大きな会社、多くの中程度の企業、もっと多くの小さい企業そして正規軍とも言えるもう一つの大きな銀行に強い影響力があるとも言われていた。香奈ハイテクは、もう大きな企業と言えた。そこに猫たちのリトルキャットグループが絡んでいた。香奈はイチイチ指導なんぞはしていないものの、まとまっているような香奈グループも香奈がいる事を前提としているグループであった。香奈の存在が強みでもあり、弱みでもあった。依然として、香奈亡き後の展開は判らなかった。

恵も似たようなものであった。財団も大きくなり、問題点を恵が整理しようとする度に、それぞれのグループが対立して、恵の決断にみんなが納得していた。神幸の側近みたいな存在になったあの馬鹿息子の嫁さんは、小さい恵と言われ、九州のあの片田舎の地域財団をまとめ上げ、九州一帯の総括的な福祉を行う地域財団のモデルケースになっていた。総括的な福祉の重要性 も判り、財団も地域本部から、それぞれ地域財団みたいなものも作りだした。そうすると、総括的な社会福祉も当然進んだが、各グループだけの対立ではなく、そこに地域対立のようなものも出来ていた。議論は複雑に絡みあった。議論は活発になったが、それをまとめるのは、恵しかいないとも言われていた。その上、あの馬鹿息子の嫁さんは、馬鹿息子を追い出し、いや国会議員にして、片田舎どころか今や大きな都市となった市長になって、公的な福祉と財団の仕事を文字通り、二人三脚で進め、大きな成果を挙げていった。それに刺激を受け、地域財団の責任者もそれぞれ地方都市の市長になりだした。あの馬鹿息子の嫁さんは、恵教革新派のホープとなっていた。単なる社会奉仕団体みたいな恵教革新派は、地方自治体の組織を使う事が社会奉仕活動をより効率的にできると気づいた。意外な事に、保守派も協力した。政治に革新派が進出すれば、教団と政治団体はそれなりに分離独立するので、革新派の幹部が政治団体へ移行していく事は、恵教の教団内部での保守派の立場が強くなる事を意味した。

恵教の革新派は組織を整え、地方自治体の議員さんになりだした。ナンタラネットワークとか言っていた。ごきげん党は、地方自治体の議員はそんなに多くなく、陽太の人気と選挙戦術に頼った、風頼みの政党だったが、ナンタラネットワークとの協力関係も深めた。不動財団本部は政党みたいな一面もあったが、その傾向は段々強くなり、不動財団本部の職員たちは機会があれば、国会議員さんになったり、そこまでいかなくても地方自治体の議員さんになる人がやたらと増えてきた。ナンタラネットワークとも、本来良く似た性質なので、協力関係が出来た。ごきげん党の地方組織は、陽太の不動財団本部そして恵教の革新派のナンタラネットワークの影響が強くなった。恵の財団では、地域財団と公的福祉とが二人三脚みたいに進みだした。益々、公的福祉と財団の区別はつかなくなった。財団本部そのものが公的福祉全体に関与する事が増え、財団の仕事はより複雑になった。ジブ総合研究所の社会福祉研究所も元々公的福祉にも強い関係があり、今では民間の研究所と思う人はいなかった。経費もやたらとかかってきたが、ジブ総合研究所の技術部門がやたらと儲けて、その赤字を補っていた。複雑に入り組んだ財団をまとめるのは、恵しかいないと言われていた。

恵教、恵の財団そして冶部ビル

ここで、恵教、恵の財団そして冶部ビルの事を整理してみよう。元々恵教は、ハデハデ洋服を売っていた、冶部ビルのお店にくる、若い女の子の相談に、恵がのり、そしてその若い女の子たちの生活改善にまで、乗り出して出来た、親睦団体だった。その若い女の子たちの雇用を、冶部ビルのお店を拡張して採用したり、財団でも採用して、財団も人的な供給を受けてきた。

恵の財団は、元々、人工中絶で生まれる前に消えていく小さい命を救い、この世に出たい小さい命を育てていこうとする、小さな運動から始まっていた。その運動には、中絶をした経験のある、香奈の義妹の真理が、僅かな寄付をしていた。それを知った香奈が、この運動に参加した。そして恵も参加してきた。 まだ元気だった、香奈の父親が、コネを効かして、財団法人にした。小さい命は救えても、その命を育て、お母さんも援助していくには、お母さんが働ける場所そして、子供たちの面倒を見てくれる場所がいった。そうして、母と子のための住居、職業斡旋、乳幼児施設の運営と財団の仕事は広がっていった。

香奈は、一族の資産管理会社であるジブトラストの資産を保全する責任があった。神がかりの正子が登場して、ジブトラストの資産は膨れ上がった。税務対策や資金ショートの問題も出てきたので、香奈は責任上、増資して、香奈オフィスの相場関係部門もジブトラストに吸収させ、ジブトラストを安定化させる事に仕事の中心が移っていった。財団の仕事は、恵が担当するようになった。香奈は、そうした財団を恒久的に援助するための会社を作っていった。それは仲の良かった俊子に頼んで、赤ちゃんスキ不動産と云う会社だった。この不動産会社がビルを作り、その利益の一部を財団に渡すとのシステムだった。何も大層な事を目的とはしていなかった。赤字になると思われた乳幼児施設の赤字補填と母と子ための住居の確保が目的でもあった。こうした財団の運営を少しでも補助していくシステムを作っていた。ただ、このピルは増えていき。ジブ直営のビルも出来て、こうしたビルの不動産管理はやがて、大きくなっていた、ジブトラストの不動産管理チームが、一族の会社の不動産管理を含めた全ての不動産管理を引き継いでいくようになった。

ジブトラストも一定の利益は、恵の財団に寄付していた。ジブが、神がかりの正子だけでなく、本当に取引の神様みたいな連中が、続いて、奇跡の成長をしていった。当然寄付する金は膨大になった。

一方、恵教は、恵が女の子の相談に乗っている内に、女の子は、女の人に、そしておばさんになっていった。相談した人は、相談される人にもなり、恵教は大きくなった。それでも、冶部ビルの一室を相談室にしていただけだった。恵教が宗教性を帯びてくるのは、この時期に、恵が、絶頂感は女を浄化するみたいな事を言って、女の子たちの悩みを、性の悩みを含めて全ての悩みを分け隔てなく聞くための、いわば、便法にすぎなかったが、それが勝手に広がった。中には、学のある奴もいて、天台本覚論なども持ち出して、宗教性を帯びてきた。危険な新興宗教とも言われていた。恵は、この恵教を通して、所謂不良少女たちに教育を受けさし、まともな職業につけ、普通の家庭を持てるようにしたかった。 財団でも、人が必要だった。金はジブから貰っても、金に手足は生えない。保育士や看護士の学校の学費を援助し、財団で働いてもらった。冶部ビルでも働いてもらった。古くから冶部ビルで働いている人たちに、恵教の信者が多いのは、そうした経緯でもあった。

財団には、初めから、産婦人科病院と小児病院が密接に関係していた。有希の娘がシングルマザーになりそうになった。有希は金にあかせて、産婦人科医の神野を口説いて、娘の面倒を見てもらい、そして病院まで作った。元々 あった冶部小児病院にも連絡を取った。そうして、冶部産科婦人科小児病院が出来るようになった。有希は、この病院には寄付を続け、有希の身内もそれに準じた。財団からも診察料を補助した。この病院は、無料診察制度みたいなものを財団からの依頼として、財団が援助している人たちの医療を初めていた。そして、いつの間にか、ほとんどの医療活動を寄付性にしていくようになった。 この病院と財団とは、二人三脚で、運動を進めていた。

ジブトラストは、一族の財産管理会社なのに、遺伝子研究センターを持つのは、初期の頃に、妊娠中絶を減らすためには、遺伝性の疾患の研究が必要だと言う、神野の意見に、香奈がよく考えずに、賛同したためであった。正子が、まだ幼かった、神子や神之助の霊力の影響を受け、爆発的に利益が膨らんでいった時期でもあった。莫大な費用もみんな、気にしなかった。神子と神之助の霊力からの防御が、みんなの関心事であった。香奈は、銭勘定の得意な株屋をお世話係りにしたのも間違っていた。そうした株屋は、純然たる学術センターの筈が、美味しい肉を作るための畜産関係の遺伝子操作を初めにしたので、ジブトラストの関係会社であった、イチコプロダクツと共に、畜産業で成果を上げてから、製薬と協力して、人間の遺伝子研究に進んでいった。畜産や植物関係の研究室もやはりあって、それが聖子の銭勘定と共に、快適農作物研究所とともに、植物それも農作物の研究を進めていた。なんでもかんでも、銭勘定にリンクさせてしまうのもジブトラストだった。

話を戻して、恵が、恵教と財団に精力を使うので、冶部ビルは、息子の嫁だった小夜に任せる事になった。東京と名古屋では、恵教の信者がビル運営そして、お店を牛耳っていた。小夜は、仕事に慣れてきても、こうした連中は扱いにくかった。小夜は、一族の財産管理会社に金がある事を知り、ジブにも出資してもらい、大阪と福岡に商業ビルを作っていった。大阪と福岡では、冶部ビルの運営は、小夜の配下が中心となって進めた。そしてこれは、成功した。そして、恵教の本山みたいな東京も苦労して、ジブタウン東京と言う大きなビル群にして、冶部ビルを大きくした。

恵教は、恵が財団の仕事を進めていく内に、微妙に変化してきた。女の子の相談、そして自立、乳幼児の世話、乳幼児施設の拡充などから、一般的な福祉に、財団は少しつづ変わってきた。奇跡の成長を続けていたジブからの寄付が膨れ上がっていた。株屋からの寄付なので、慎重に一般的な福祉にかかわり合ってきたが、ジブの奇跡の成長は止まらなかった。一般の福祉にも関わるようになった、恵は、社会福祉に、恵教の信者を狩り出す事を考えた。それが社会奉仕は、その人の内面を高めるとか言う理屈を考えた。そうして、恵教は、絶頂感が魂の浄化をすると言った危険な新興宗教から、男を大きくする事は女の甲斐性、健全な家庭生活を築く事が必要、そして最後には社会奉仕をさせて頂く事は、その人の内面を高める事にまで、変化してきた。そしてこの変化は、危険な新興宗教から、広範囲な社会奉仕をする大きな宗教団体に広がっていった。不良少女たちの更生を援助していた団体が、良家の子女風の女の子たちにも、その入り口を広げたようなものだった。

恵自身の言った事は、お告げ集になって、恵教を支配していたが、恵自身が少しつづ変わっていたので、お告げ集自体に幅があった。それが恵教の保守派そして革新派が生まれた原因でもあった。ただ恵がいつまでたっても元気なので、そうした対立は、表面化する事はなかった。恵教は、幹部たちの強い要望で、宗教法人になった。恵の死後を見据えた動きだった。

恵教の革新派が、社会福祉の実現のために、地方自治体への積極的な参加をするための政治団体を作る事は、保守派が恵教をほとんど支配し、革新派が政治団体を支配する、一種の住み分けをする事を促進する事になった。

恵の中で、渾然一体となっていた、恵教、財団そして冶部ビルは、こうして、それぞれ大きくなっていく過程で、もはや独立した存在になった。恵教は政治団体を持つ大きな宗教団体になった。財団も大きくなって、人的な供給を恵教に頼る必要もなかった。全国に散らばる乳幼児施設の斡旋にした関係から、役人も人材交流とか言って、財団内部に入り込んできた。財団も社会福祉学部まで持つ大学を運営していた。冶部ビルも、大きなビル運営会社そして直営店を運営する商業的なビル管理会社になっていた。

冶部ビルは、独自に成長していった。

冶部ビルは、恵と小夜が、一族の中で見込みのありそうな人たちを特訓していた。小夜は、恵にほとんど全面的に任せてもらって、大きくなったので、恵は、各冶部ビル子会社毎に、一族のそれぞれの人を担当させ、実際に経営している人たちの仕事振りを勉強するようにさせていた。恵は、小夜と各子会社との話合いにも一族のそれぞれを同席させ、勉強するように命じた。各子会社は、恵への窓口が出来たと解釈した。小夜も、恵に遠慮して、こっそりと計画を進める必要もなくなった。恵もここまで冶部ビルや直営店が大きくなったのは、小夜のおかげだと小夜に言った。勝気な小夜もその言葉を聞いて思わず涙ぐんだ。小夜もクリスの薬も飲み、益々元気に、頭も冴えてきた。小夜は、元々商売には強かった。それに貸しビル業みたいなものよりも、直営店や直属のレストラン街など、自分で町並みを創造していく事が必要だと思っていた。九州第二開発の商業ゾーンは成功していた。小夜は、自分の意見をはっきりと言うようになった。冶部ビルの活動は、ビルをデッカクするよりも各テナントの充実、直営店の営業などに積極的になった。恵は今まで小夜から、時々聞く程度であったが、小夜も盛んに意見をいい、各冶部ビル子会社の責任者も意見を言った。恵への窓口みたいな一族の奴らも、恵への使い走りみたいな役だけでもなく、そろりそろりと意見を言うようになった。恵も頑固だったので、盛んに議論した。恵も忙しくなり、活気が出てきた。

やっぱり香奈も恵も引退できなくなった。それに益々若くなり、元気で頭も冴えていた。香奈と恵は、もう超超高齢者とも云える歳だったが、二人の重要性も決して小さくなってはいなかった。二人の組織の中の司令塔としての役割は一層大きなものとなっていった。