次平の挑戦

次平、寄付金による無料診察制度を考える。

 

次平は京に滞在していた。

次平は京に戻り、中山と会い、帝の様子を聞いた。健やかにお過ごしとの話であった。中山は、密かに京二と連絡を取り、連絡を取って、食を通して健康維持に勤め、従来使用していた薬を徐々に減らしていた。 中山も今は禁裏の医官になっていた。次平は、参内して、まず近従に、幕府と各藩の医事方相談役になった事を報告した。 既に江戸の鉄平から、手紙が来た時にも相談していた事であったが、御上への報告をどうするのかと聞いた。

近従は、御上にはお伝えしているが、次平の口からもそれとなく、報告しておいた方がよいと言った。その後 御上が呼ばれるので、御上のご様子を伺い、お体に問題ない事を確認してから、幕府と各藩の医事方相談役になった事を申し上げた。御上は、汝にゆかりのある所なので、汝が相談を受ける事まで、朕は制限する積もりはないが、長い間京を離れないようにとの仰せであった。次平は、私はまだまだ修行中の身なすし、勉強のためには、各地の研究者を訪問したりする事がありますのでその時はご容赦下さいと申し上げた。「勉強か、医師の勉強は、いつまでも続くものかも知れない。」と言われた。

京に滞在し、各医院との連絡を取り、京の医院では、中山が禁裏の医官になったので、代わりの医師を京の医院の筆頭をさせた。次平は、各医院で医師を志す者たちに、できる限り門戸を開くように、連絡した。幕府や松江藩、福岡藩、長州藩などにも連絡を取り、医者のいない地方への巡回診察も進言していった。藩によっては費用を一部負担してくれる藩もあった。費用負担をしてくれなくても、認めてくれれば定期的に行うようにした。

各医院では、門戸を開いた、医学を志す人たちへの研修方法を調整し、1年から数年の研修の後、研修の結果が優秀であれば、医師見習いとなり、医師と共に診察なども行う事とし、そして研修の結果が認められると医師とするとのやり方などが固まっていった。若い医師たちも増えてきたので、医師が診療した後、別の医師も診るようにした。意見が異なれば、もっと多くの医者の診断もする事もしていった。次平は、大坂でも医院を作ったが、新しい医院はもうこれで終わりとするつもりであった。各医院では、長崎や江戸への留学は出来る限り認められるようにしていった。長崎からも各医院に派遣する医師もいた。

そうする内に、各医院は、十人を超える医院も出て、更に医師見習いは、その倍程度抱える医院も出てきた。 次平は、病気は治療で直せる事もあるが、貧しさや色々な事情で困っている人を治療で直せない事は知っていた。ただ治療代で貧しい人をより貧しくする事は避けたいと思っていた。

基本的に診察代や薬代は、自由診療であった。次平の医院では、次平が有名で禁裏や各藩の高官と親密な事もあり、かなりの富裕層が来院していた。貧しい人への診察も行った。

鉄平とお香の旅

鉄平は、京までの道中にお香と色々な話をしていた。お香は人の話を聞くのがうまかった。駕籠屋に乗れば、駕籠屋の家族構成や奥さんの性格や時によると、夜の生活まで面白可笑しく、時々休みを入れた茶店などで相づちを入れながら聞いていた。駕籠屋を雇いながら歩くよりも時間が掛かる事もあった。鉄平は、色々な手紙を読み、連絡役と話をしていた。そのため、鉄平も今までそれほど丹念に呼んでなかった各店からの連絡もよく読む様になった。

宿や土産物屋などでも、お香は色々と話を聞いていた。寝る前に、その日聞いた事を纏めていた。鉄平が我慢出来ず、いたずらする事もあった。鉄平「あんな雑談まとめてどうするんだ。」お香「私は人の話を聞いて、暮らしを立ててきた。一人の話は雑談でも、数がふえれば、情報になるんだよ。 それにそんなに頑張ると心の病にさらないかい。」

お香は駕籠に時々乗ったが、やがて鉄平は、「お香は駕籠屋の話を聞くために、駕籠に乗っていると気づいた」やたら休憩したし、駕籠屋に周囲の説明を聞いていた。駕籠屋への駄賃ははずんでいたが、駕籠屋は色々と話がうまいご新造さんだといって帰った。鉄平は、「お香 お前そんなに喋っていない気がしたが」と言うと、「人は話始めると、一方的に喋っていても、会話しているような気がするものなのさ」とお香はいった。鉄平も、話し合っている気がしたが、自分だけ喋っているような気もした

鉄平は色々と遊んでいたが、お香は更に床上手で、夜の生活は充実しており、お香は鉄平の身体を案して自分から色々と動くようになっていた。鉄平はお香の過去を知りたいと思った事もあったが、お香は自分の過去には触れなかったし、お互いに過去に触れる事は避けるべきだと悟った。ある晩鉄平が冗談で、「京に入るまで持つかな」と言ったため、お香は鉄平のために、色々と食べ物や精力剤まで買い込んできた。次平は「俺は薬屋なんだぜ。食べ物については、萩の京二に聞いてみるし、第一冗談だよ。」と言い返した。お香はそれでも納得せずに、鉄平に言った。「京で中山先生の診察を受けるまで、御預けだよ。それまで、あんたとは別に寝るから。」 それでもやけぽっくりで、毎日のように会えなかった時間を補った二人にとっては、「今夜だけは特別だよ。」と言う日は多かった。

京に入る前には、お香は鉄平のしている事はすべて聞いてしまっていた。東海道の宿場や道中の産物やどんな物が売れているとか、どういう事が話題になっているとか様々な事についてもお香は知っていた。

鉄平とお香は、京の鉄平の出店で暫く休んでから、中山が自宅に在宅している事を確かめて会いにいった。
鉄平「中山先生 お久しぶりです。先生もご出世されて、今やお公家さんですね。 これは私の家内のお香です。」お香「お香です。宜しくお願いします。」
中山「鉄平さん お久しぶりです。何か次平先生に変わった事でもありましたか?貴方がお香さんですか?随分お綺麗な方ですね。それに取っても艶っぽい。」
鉄平「次平先生は相変わらずです。もうすぐ京に帰ってこられると思います。いやお香に、昔私が心の病で苦しんでいて、次平先生に助けられた事を話したら、今はどうか、診て貰えと言われましてと言われまして、お伺いしました。」
中山「「それはそれはお熱い事です。私なんかより、次平先生が来られるなら、次平先生に診て貰えばいいのに。何か具体的な症状でもありました。」
お香「胸が苦しいと言っていた事がありまして」
とお香は、真剣な表情でいった。中山は鉄平を診察した。
中山「特に心配はありません。しかし何事もほどほどに。」
お香「本当に大丈夫なんですね」
と念をおしていた。
鉄平「あのお方は今はすっかりお元気ですか?」
中山はお香に見ていたが、鉄平はこれは大丈夫と言った。
中山「もうすっかり良くなられた。私も最近は10日間隔でお会いしても又来たのかと言われています。」
鉄平「それはよかった。それを聞いて安心しました。」
中山「鉄平さんは、次平先生の京のお屋敷には行かれた事がないのですね。一度行って見ませんか。私は次平先生に時々覗くように言われているのです。」

鉄平夫婦と中山は、次平の屋敷に言った。屋敷は整然と手入れされ、広くて品のいい屋敷であった。中山は家令を呼び、「次平先生の親友に当たる鉄平殿とその奥方です。まだここのお屋敷に来られた事がないので、お連れした。」と言った。家令は「殿下からはお手紙を頂きました。もうすぐご令室様と一緒に京にお戻りとの連絡がありました。鉄平様が奥方様をつれて京に上がるので、もし来られたら、粗相のないようにとのご注意が御座いました。お上がり下さい。」と言って、三人を奥に通した。お香は部屋に通されて、家令が下がると、「私が奥方様か」と鉄平に言った。鉄平は「次平先生は大変に偉い先生なんだよ」と言った。抹茶と和菓子を女中が持ってきた後、家令が来て言った。「鉄平様、京にお屋敷があると伺っていますが、本日は当屋敷でおくつろぎ下さい。」と言った。鉄平は固辞していたが、結局泊まる事になり、中山はさっさと用事があるからと言って帰ってしまい、お香と二人で食事をして、その晩は泊まる事になった。風呂もゆったりとした広い風呂であった。寝室に入ると、お香は言った。
お香「あんた 私を驚かせたね。私 本当に心配してたんだから、それに我慢してたし。今晩はその償いをして貰うよ。中山先生もいる事だし」
鉄平「冗談だといったろ」
お香「身体の事は冗談抜きだよ。こんなお屋敷に泊まる事はめったにないし、今晩は私があんたを犯してやる。 あんた明日もう一度中山先生に診て貰えば」

お香は、自分の寝間着をはぎ取り、鉄平に襲いかかった。お香は手練手管を使って、鉄平を責め、お香は鉄平の上に乗り、自分から激しく動きだした。暫くすると鉄平も応戦した。二人は激しく動いていたが、やがて動きは止まった。鉄平が内庭に面した障子が開いている事に気づき、お香からはなれようとするとお香は言った。「いや 今晩は裸で抱き合っていたいの。離れないで。」と言った。鉄平は「だって障子が開いているのだぜ。」「いいの。このままで。離れたらあんたを殺すよ。」と言って鉄平に抱きついて眠り始めた。鉄平も覚悟してお香を抱いてそのまま眠ってしまった。朝方二人は朝日が射し込んでくる中、もう一度激しく動き、しばらくじっとしていた。ようやく二人は寝間着などを整え始めた。障子はその時閉められてた。お香は、「わたしの事を下品な女と思われていいの。下品なんだもの。繕っても仕方ないし。あんた私の事を嫌いになっても、もう遅いよ。私を捨てたら、あんた殺して私も死ぬ。」と静かに言った。鉄平は、「もう離すものか。俺の最後を見て貰いたい。」と言った。お香は、「死ぬ時は一緒だよ。私はあんたの最後は見ないよ。」と言い返した。「お互い長生きしないといけないね」と鉄平は言った。

家令は、朝食の時に「奥方様は今朝は一段とお美しい」と声をかけていたが、お香は平然と「お世辞がお上手ですね」と言っていた。 鉄平とお香は、その日以来、お互いが離れ堅いものになっていると思い、鉄平はどんな場所でもお香を連れ歩くようになっていった。

鉄平は鴻池のご隠居と会う前に、源三と話をした。お香を紹介して、大坂店の現状を聞いた。この時点では次平の大坂医院はなかったが、次平の各医院での評判は伝わっていた。そのため良く効く薬が安く、現金決済では更に割り引いてくれると言う事で、大坂店は繁盛していた。料理店は、高級店はそれなりにやっていっていたが、格安店もいままでにない発想だった事もあり、繁盛していると言う。人入れ屋も協力してくれる所ができて、仕事を斡旋していると言った。話を聞いていたお香は突然言った。

お香「むしろ 人入れ屋とは別の店が、色々な経験や才能を持っている人を直接雇い、その店が短期間で処理を必要とする仕事を請け負う方が良いのじゃない。職を求めている人は安定するし、仕事を提供する方も頼みやすいのかもしれない。」
源三「直接雇うと、その人たちへの支払いや職について責任が生じます。」
お香「だからこそ、人を雇う事に躊躇しているのじゃない。短期間とは云え、仕事がなくなれば直ぐに切りにくい。少しだけの期間なので、相場より少し高い金額で請け負うの。帳簿付けなら働いている人は、例えば越後屋だろうと越前屋だろうと同じでしょう。そういう仕事を見付け、そんな経験を持つ人たちを集めるの。そうすれば単に斡旋しているだけよりも真剣に仕事をみつける事ができるし、働く人も継続的な収入が得られると思うのだけれども。ご免なさい、素人が口出して。」
源三「人入れ屋にも検討させます。どうも大変な奥方ですね。物産問屋は利益出してやってますが、わたしには、よくわかりません。旦那は長崎、福岡、萩、松江の物産を売れと云われていました。長崎はそれなりに売れていますが、ついでに置いた江戸や京の物産の方がよく売れているようです。カラクリ人形や細工物も引き合いはあるようです。」
鉄平「言い出したものの俺にもよく分からない。お香に現地を見て色々と考えて貰おうと思っている。」
お香「私は髪結いだった女だよ。まったくわからないよ。ただ大坂で売ろうとすると、大坂に来ている諸国の人とか大坂では知られている物産が売れるのじゃないかと思うけど。売れるのと売りたい商品は大体一致する事は少ない気がする。得意先の意向なんかも大事な気がするけど。」
鉄平「大坂店での余剰金 千両はまだ当分必要ないのか?」
源三「報告していましたが、現在余剰金は千八百両になってます。これは四千両の出資金に対する利益分配金が予定通りだと約八百両になりますので、これは引いてあります。今年鴻池に払う分配金は四百両になると思います。 旦那が後二百両出して貰えれれば、鴻池に二千四百両払えば、その後はすべて我々の利益になりますが」
鉄平「鴻池との協力は今後物産問屋を江戸でも出す事を考えれば、重要だし、何も分かっていない我々が、大坂で物産問屋をなんとかやっているのは、鴻池のおかげと思う。鴻池との協力はこれまで通りとする。余剰金の内八百両については、出来れば俺と薬種問屋の利益計上金として別途鴻池に運用を頼もうと思っていると伝えた。すると余剰金は千両になる。それで問題ないのか?」
源三「今の状態では運用には五百両も入りません。」
鉄平「それでは百両は店の者に分配してやれ。お前も取れ。新たな百両は店のものの出資金とするように鴻池のご隠居と話をしよう。俺個人の出資金はどの程度になっている?」
源三「各店の出資金の中には、旦那個人への各店からの分配金が約八百両程度入っていると思います」
鉄平「鴻池が難色を示したら、おれの出資金を減らして、店で働いている者の出資金としてくれ。そして薬種問屋だけでなく、物産問屋、料理屋そして人入れ屋でも同様の処置を取ってくれ、今年度の4店合計の利益総額の4分の一を店の者に渡せ、半分は現金で半分は出資金で、すべて現金で欲しいという者については俺個人の分配金で買い取ってやれ。但し今年の出資金に対する利益分配金についても参考に提示してやれ。店内部での分配はそれぞれの番頭に任せるが、番頭と丁稚の受け取り額は3倍以内にしてくれ。」 源三「そんな数字を明らかにしてもいいのですか。」
鉄平「江戸の店では既にやっている。これから各店でもやっていこうと思っている。」
源三「そんな事していたら、旦那の店じゃなくなっていきますよ。まあ江戸は、今の忠助が大きくした店なので、仕方ないかもしれませんが、他の店は旦那が手塩にかけてきた店じゃないですか」
鉄平「そんな事はない。他の店だって、俺がすべてやってきたのじゃない。お前を始め、みんなの力でやってきたんだ。」
源三「お香さんもそれでいいんですか?旦那の店じゃなくなってしまいますよ。旦那とお香さんの子どもに残さなくていいですか?」
お香「鉄平の事業についてはよく聞いてきた。それでも本当の所はまだ実態として知ったわけじゃない。まだ子どもは影も形もないけど、もし出来たとしても子どもは子どもの夢を追いかければいい。親は手助けすればいいので、親の夢を追いかけさせるべきじゃない。事業はそれを知り、運営できる人がやればいいと私は思っている。 それに私は鉄平と一緒になり、一緒の夢を追いかけるれど、鉄平の事業と一緒になったのじゃない。 私の亭主は鉄平で、鉄平の事業じゃない。」、
源三「鉄平さんは、いい奥さんを見付けました。分かりました。そのように手配しておきます。」

鉄平とお香、鴻池の隠居と会う!

翌日の予定が、鴻池の隠居の都合で、5日程延びた。お香は物産問屋に行き、帳簿を見たり売れ行き動向を調査し得意先への挨拶などを行っていた。ここでもお香は聞き上手ぶりを発揮して、大坂の商人たちにも好評だった。物産問屋の番頭には売れ筋商品については色々と関連製品を置いてみる、各地の物産については、各地の紹介などの検討してみる事を指示し、東海道の物産などの話もしていたし、カラクリ人形については数台光次から購入して、店において、お客様に見せ、細工物なんかの要望があれば、光次に伝えて出来るかどうか聞くように指示していた。鉄平は薬種問屋で帳簿を見たり、得意先への挨拶をしていた。鉄平は、お香を連れて、鴻池の隠居にあった。お香を紹介した。

鴻池の隠居「息子から連絡があって、会うのを楽しみにしていた。息子は綺麗でしっかりしている人だと言っていたが、綺麗だけじゃない艶っぽい。仲がいいんだね。本当に鉄平さん以上になれる人かもしれない。 鴻池への配慮漏れ聞いてますよ。」
鉄平「ご隠居に隠し立てはしても仕方ない。」
と言って源三との話を言った。当然源三の意見は言わず、結論だけを言った。
鴻池の隠居「店の者への配慮はよく分かるが、私として理解しにくいとしか言えない。ただ店の者への出資金を増していく事は、鴻池の出資比率が下がる事にも繋がるので受けにくいが、鉄平さん個人の出資比率を下げる事も本当はしてほしくない。そこで店の者への出資金と同額を鴻池でもない鉄平さんでもない得意先に出資させるようにして欲しい。それも上限を合計千両として欲しい。つまり本年度並の成長が続いたとしても後5年間に限ると言う事にして欲しい。つまり鉄平さん個人の出資は約800両、鉄平の各店の出資が千二百両この中で結局鉄平の持ち分はよくわからないが約7割程度の八百両併せて千六百両、後の四百両も鉄平さんの影響が強い。今年と同様の事を各店でやるとすると、段々鉄平個人の比率は減るが、それでも鉄平の影響は強い。一方鴻池は二千両の出資それに店の者が五百両で、得意先が五百両となる。みんな 鴻池よりも鉄平さんの方が影響力が強いと思われる。しかし単独では鴻池が多い。鴻池は余程の事がないと口は出さない。鉄平が頑張って居られる限り、口は出さない。息子もそう思っている。念書を出してもいい。これでどうだろう。」
鉄平「それで結構です。念書なんか結構です。ただ私の個人比率は減っていきますよ。」
鴻池の隠居「色々と話はきいています。各店で、鉄平さんの個人比率が半分以下になる事は避けて欲しい。江戸店では6割程度まで落ちているようです。如何に店の者への配慮といっても、鴻池として鉄平さんを見込んで出資している。出資相手が万が一にも突然変更する事は避けたい。それは各地の得意先も同様だと思いますよ。鉄平さんはひょとして時代の先端で、やがてみんなそうなるのかもしれない。ただあまり先をいっては、みんながついていけない。」
鉄平「私はみんなの店にしたいと思い、そのように考えてました。得意先や協力して頂いている人は、やはり五割を切ると不安に感じるのでしょうか?」
鴻池の隠居「わたしなどは6割切ったら不安ですよ。鴻池など子どもが代々繋いでいますが、やはり分家などにも少しは分配しています。親戚がいつも同じ考えとは限りません。鉄平さんはまだお若いし、お香さんもしっかりしておられる。しかし一時喜んでも逆にあまり進むと、店のものも、得意先も不安に思うようになります。今の時代はそうだと思いますよ。鉄平の江戸店は特異な店で、それが急成長の原動力かもしれません。でも今が限界だと思います。 忠助さんも出資金を追加しないし、最近は鉄平さん名義で、出資金の回収していると聞いてます。」
鉄平「たしかに私の出資金は少し増えてますが、単に出資金が必要となる人が増えているだけだと思っていました。出資金の返還は私の利益分配金は特に必要としない限り各店に預けて、出資金の返還を求められれば返す事にしています。」
鴻池の隠居「店を止めたり、薬屋や医者を止められる人には交渉して、年途中であっても予定している利益分配金を付けて返還すると言っていると聞いてます。かなり詳細な報告も出しているので 年々 鉄平さんの比率が減っている事に不安を感じている人がいて、最近戻ってきた。やはり鉄平さんは江戸の店を続けていくのだ、江戸にも始めてきたと安心されていると聞いてます。」
鉄平「分かりました。限度を決めてやっていく事にして、それ以上は店の者への分配は現金にする事にします。ご隠居の話は参考になります。余剰金八百両の運用は鴻池さんにお任せします。」
鴻池の隠居「お任せ下さい。大坂店以上の運用は正直難しいですが、負けないようにやるつもりです。 お香さん 退屈じゃないですか?」
お香「たった数日で正確な数字を掴む情報力と時代を読む事の確かさは参考になります。鉄平から物産問屋について任せると言われていますが、まだ方針も決まらなくて」、
鴻池の隠居「いえいえ見事な指図されていると聞いてます。江戸での物産問屋については、私の方でも試案を考えおきましょう。長崎まで行かれると聞いておりますがも帰りには又寄って下さい。鉄平さんも息子とはカラクリ人形の話で盛り上がったようですが、物産問屋でお客様にみせれば、大評判になりますよ。カラクリ人形では商売になりにくいですが、細工物は案外これから伸びるような気がします。お香さんの指示には感心しました。既にあるものだけじゃなくて、必要とされるものを作っていく。これからはそんなやり方が必要なんでしょうね。新婚さんでしょうが、今晩は私どもと一緒に食事しましょう。」

鴻池の隠居の話

鴻池の隠居は、鉄平とお香をつれて屋形船に乗せて、食事をしながら、大坂を川から見せた。
鴻池の隠居「鉄平さん、お香さん 大坂も川から見ると又違って見えるでしょう。違う角度からものを見る事は大切な事かもしれませんよ。」、
お香「私は大坂 始めてで、また数日間しかいのせんが、川から見ると大坂は綺麗な町ですね。」、
鴻池の隠居「町もそうですが、人も遠くから見ると綺麗だったり、純粋そうに見えたりしますが、近くによるとその人の本音というか醜い所が見えます。わたしなどそうかも知れません。いつも計算してます。次平先生は本当に純粋な方で、近くによればよるほど純粋だと実感できる。善意で人を見て、献身的に治療して、理解あるお大名や尊い方のご信頼を得た。それは単に名医だからというだけではなく、人を直そうとする先生の考え方の純粋性が共感を呼んだと私は思う。本当に純粋な人は人を感動させます。鉄平さんはそんな次平先生を支えようとし、その純粋性が伝染している。商人にとっては損なんですが、駆け引きされないと、こちらとしても正直に言うしかない。」、
鉄平「そんな 私は純粋とはいえませんよ。 鴻池のご隠居相手に駆け引きしても敵わないから、正直にいっているだけです。」、
隠居「人を助けるという次平先生を支えようとしている内に、相当、次平先生の影響を受けたように思います。まあそんな所が私を引きつけた。お香さんは、人の話を分析し、理解して、対応されようとしている。次平先生も鉄平さんも自分の純粋性を他の人に影響を与えてやってこられた。そこに人の話を良く聞こうとする人が加わった。これは凄い事ですよ。」、
お香「そんな誉めすぎです。私は元々髪結いの女ですので、人の話を聞くのも商売の一つです。」、
隠居「私はお香さんに期待してますよ。これは私の直感です。私は留守をする事も多いのですが、河内屋という者がいます。そのものに連絡して頂ければ、私に連絡するようにいっておきます。何でも相談してください。」

鉄平は、その後源三に、鴻池との会談結果によって、いくつか修正したいと言った。源三は店で働くものに出資金を出す事には抵抗があったので、その限度を決めて行う事には、賛成した。あくまで鉄平の店である事を明確にして、店のものや得意先にも出資金を持って貰い、利益を還元する事は歓迎されるだろう。各店にも伝えておきます。旦那 もう少し大坂にいて下さい。物産問屋の番頭の理平も、お香さんに色々相談したいと言ってます。

鉄平とお香は結局それからも半月ほど大坂にいた。物産問屋の番頭の理平は鴻池の紹介で来た人間で、お香については、髪結いの女か、旦那の金目当ての女かと内心では軽く見ていたが、次平から物産問屋についてはお香にすべて任せるといわれ、渋々従っていたが、色々な対応を見て驚き、色々と話をする内にすっかり心服してしまった。鴻池のご隠居が言われるように、これからはこの物産問屋が大きくなるような予感がしてきた。またあるものを売るだけでなく、売れるものを作っていくというやり方を少しつづ入れていけば、いままでの問屋ではない何かが生まれる可能性を感じていた。

鉄平、次平の診察を受ける!

鉄平とお香は、一旦 京に戻った。松江へ行くのも京周りが便利だし、それになりより次平がおゆきをつれて戻ってきていた。鉄平は、次平に会って色々な話をするのにもお香を立ち会わせた。お香は熱心に聞いていた。そして 話がとぎれた時に、次平に対して鉄平の身体をもう一度診てくれるよう頼んだ。次平は中山や家令から色々と話を聞いていた。次平はそういえば鉄平は近すぎて、ちゃんと診ていない事もあり、時間をかけて診察した。内心 おゆきも、中山にでも診察してもらおうと思っていた。その間おゆきとお香は話をしていた。おゆきは、お香をうらやましがった。

おゆき「お香さんはいいですね。いつも、仕事の時も、鉄平さんの側にいられて、私は先生が診察していたりすると、引っ込まなければならない。」
お香「何もずっと鉄平の側にいる訳じゃないですよ。私も鉄平から任された仕事をやりはじめたので、鉄平と離れている時間も増えてきますよ。」
おゆき「お香さんと鉄平さんがこの屋敷に泊まったときの話は、家令や用人なんかが噂しているので、これからそんな話をしたら、出ていったもらいますと言っておきました。お香さんは凄いですね。」
お香「いや私は単に下品なんです。繕っても仕方がないのです。」
おゆき「お香さんと鉄平さんは、いつもそうしているんですか? つまり・・・」
お香「生まれたままで抱き合う事ですか?」
おゆき「そうです。わたしもしてみたいのですか、先生には言えなくて」
お香「鉄平も忙しく、私も色々と勉強しなくてはならない事も多く、京や大坂では、お互い疲れてそんなには出来ないのです。おゆきさんはお公家さんの娘でしょう、私のような下品な女とは違います。」
おゆき「私は、漁師の娘ですよ。それに好きな人と生まれたままで抱き合って寝る事が下品じゃないですよ。 ただ障子は閉めた方が。」
お香「そうですよね。ただあの時は私とても興奮していたし、繕って上品そうに振る舞って暮らしを続けて行くのが、とってもイヤな気がしたです。私は下品なんだよと大声で言ってみたい気がしていたのです。今から考えると恥ずかしいです。」
おゆき「それは私もそうですよ。元々漁師の娘ですもの。ただ先生の事もあるので、我慢しているのです。私は羨ましい。」
お香「いや私は鉄平から嫌われたら鉄平殺して私も死ぬと言っているです。だからもう私の事嫌いになっても遅い。もう手遅れと言ってるです。」
おゆき「それは私もそうですが、私には、先生を殺すとは言えない。ますます羨ましい。そこまではっきり言えるお香さんは凄い。鉄平とお香さんの話をして先生にお願いしてみよう。」

鉄平の身体は問題なかった。ただ昔とは言え、心の病をしていたので、十分な管理と定期的な検診は言うまでもなかった。次平は、鉄平とお香にその旨を伝えた。お香は熱心に質問していた。こんな事やあんな事は大丈夫ですかと細々と聞いた。次平は、鉄平は今何をしてはいけないと言う事はありません。ただ何事も度をこさないように言った。

お香「生まれたままで抱き合って寝てもいいですか?」、
鉄平「おいおい」
次平は、まじめに「一晩中その行為をし続けるという事は、心臓にとっていい事ではありません。適切な休養を取ってください。単に抱き合って眠るだけなら問題はありませんが過度にならないように休養を取って下さい。そうだ。お香さんも診ておこう。」お香が診察している時に、鉄平は下がった。おゆきは、近くにいた人を下がらさせて、「お香さん どこか具合がわるいですか」と尋ねた。
鉄平は、笑いながら言った。

鉄平「私の身体は悪い事はない。身体の管理や定期的検診を受けて下さいと言われたまではよかったのに、お香の奴 一晩中裸で抱き合って寝てもいいですかと恥ずかしい事を臆面もなく聞いていた。こっちが恥ずかしくなる。次平先生はまじめに、十分な休養を取って下さい。一晩中行為を続ける事は、心臓によくありません。休養を取りながらなら 裸で抱き合って寝ても、特に問題ありません。お香の身体も診ておこうといって見て貰っている」
おゆき「女にとっては大切な事なんです。お香さんは本当に凄い人ですね。」 
次平は、お香と話をしながら、鉄平とおゆきが話をしている所に入ってきた。 次平「お香さんは健康そのものです。お香さんに鉄平さんの心の病について話をしていたが、どんな異状と聞かれたから、色々と話をしていました。お香さんは、毎晩鉄平さんの心の音を聞いていたいと言われていたので、それは良い事だと言っておきました。」
鉄平「そんな事まで話していたんですか。」
次平「それに身近にいる人が、その人の健康に注意する事は大切で良いことなんです。」
おゆき「わたしも先生の心の音聞きたいし、私の心の音を聞いて欲しい。」
次平「・・・・」
お香「そうですよ。次平先生もそういわれたでしょう。」

お香は、その晩 鉄平と裸で抱き合っていたが鉄平の心の音を聞いていたし、鉄平にも自分の心の音を聞いてもらったりしていたが、やがて鉄平が、お香の身体をいじり始めたりすると、お香も色々とやり返した。お香は鉄平のものを口に含む事が好きだったし、身体の色々な場面をなでてたり、舌でなめ回すのも好きだった。お香は上になったり、下になったり色々と動きまわっていた。やがてお香と鉄平は裸のまま抱き合って眠っていた。お香は目を覚まし、鉄平の心の音を聞いて、もう一度裸のまま抱き合っていた。お香にはそれが至福の時だった。

お香と鉄平は、松江と旅立った。旅の道中、お香はおゆきに手紙を送った。
お香「私は、道中 よく鉄平とは生まれたままの姿で抱き合っているの。寝間着は、畳んだまま返す事も珍しくないの。私はきっと下品な女と思われているかもしれない。でもいいの。私は今とても幸せです。おゆきさん、次平先生と生まれた姿で抱き合っても貰えたの」
おゆきからの手紙
「この間、ようやく 先生に生まれた姿で抱いた貰いました。私も先生の心の鼓動や身体の温もりを感じなから眠る事が出来ました。とても幸せでした。でも稀なんです。夜中でも使いがきて、出かける事もありますし、夕方から出かけられる事もあります。私 お香さんが羨ましいです。」
お香からの返事
「私も毎日と言うわけでもないの。鉄平には飛脚などがよく届くし、連絡役の人と遅くまで話している事もあるし。次平先生は命に関わるお仕事ですから、鉄平とは違います。でもおゆきさん よかったですね。」

鉄平とお香は松江に到着した。

松江では鉄平はかなり大きい屋敷を手に入れていた。城代の中山から盗み出した金は千両以上がそっくり残っていた。お香には、何もかも話した。

松江の薬種問屋は繁盛していたが、江戸や大坂に比べると数段小さかった。医院は今は次平の管理に任せており、この地方では大きかった。ただ元々貧しい人のために作った医院なので、薬種問屋から色々な名目で資金提供されて、成り立っていた。お香は、鉄平に連れられて、人入れ屋や料理店なども見ていた。何か仕事を作り出さないと、貧しい人はいつまでも貧しいとの思いが伝わってきた。鉄平が個人としてやらせていた松江の産物の研究や光次からの依頼に対応する鉄工所なものも見てまわった。お香は松江では口数は少なく、何か考えているようであった。鉄平が薬種問屋に行くと、口入れ屋などで何か聞いていた。

お香「あの千両、私に頂戴。 あの金は使ってしまいたいの。」
鉄平「それはいいけど、何に使う?」、
お香「色々と考えているの。長崎、福岡、萩、松江、大坂と江戸 この6カ所で、物を作るの。松江は既に出来ている。小さな店でいいし、同時に立ち上げるのも無理なら少しつづ。裁縫や手仕事をやる店と鉄工所などの細工物を作る所そして短期間の仕事を請け負う店をつくるの。そして大坂や江戸の店で売るの。具体的な計画は鴻池のご隠居に相談してみる。あんたの人入屋と協力している人入れ屋に言って、各地で、どんな経験や知識を持っている人が現在仕事を探しているかを調査させて頂戴。」

鉄平は、細かく分けては何もできない。松江は基礎があるから薬種問屋での余剰金で処理できるだろう。萩は三之助がなんとかするだろうと思い、福岡に千両送り、残りの残金三百両ほどは、これはお前が持って自由に使えと言って渡した。又薬種問屋の各店に、小さな店で小間物などを売れる店と鉄工所や鍛冶屋などを売り物を探してくれるように依頼した。そして光次にも手紙を出して、光次自身でもカラクリ人形や細工物を作る場所を探すように依頼した。お香から依頼のあった口入れ屋での動向について調査を依頼した。

お香は鴻池のご隠居に手紙を出してまだ試案ですがと言って、お香の計画を話した。そしてまだ試みなので、小さい店から始めたい事なのでとも付け加えた。そして大坂の店には、現在の売り上げ動向と産地別の売り上げ動向などを調査するように指示した。

三之助に会う。

萩では三之助と京二と会って、お香を紹介した。三之助に、お香は松江で思いついた事を話した。三之助は幾つか質問をした。お香はそれに答えていた。三之助は、何でそんな事を思いついたのですかと問いかけた。お香は鉄平の思いと道中での色々な出来事を纏めたものを参考にして考えたと応えた。三之助は、お香の情報力に驚いて、お香が各宿場や道中の事を纏めているとも聞いて、その纏めた手帳を見たがった。殿様の評判や物の値段、町の様子、特産品やそこにいる金持ちと何をして儲けたかどうかその噂、どんな暮らしをしているか、それでも困る時はどんな内職しているか、女中の給料など、何でも細かく書いていた。鉄平は、変な事は書いていないか冷や汗をかいていた。三之助は、お香に集めた情報に印を付けて区別するように進めた。色々と話を聞く事はまず大切だが、確定的な事実と単なる噂とは区別する事。また自分の目で見た事は、物事の一部に過ぎない事を知って、全体はどうかと考える。別の人の意見を聞く事など、情報の重要度に応じて印を付けてもいいなどの情報整理の方法などを勧めた。その上で三之助は、「今日は良いことを聞いた。お香さん、長州藩でも色々と検討します。藩としてやる事には、異存はありませんね。」と聞いた。お香は「鉄平が暮らしで困る人や貧しい人に対して寄与できる事がないかという思いから、考え出した事です。私は鉄平の側にいてば、それでいいんです。お金を儲けるために思いついた事ではありません。誰かがやるべき事なんです。」と答えた。

萩の屋敷に帰り、鉄平が変な事書いていないかと思い、冷や汗をかいたと言うと、お香「なんの話 今変な事したくなったの? そんな事言うから私したくなってきた。変な事は私の身体と心に書いてるだけなの。今日はあんたの店の離れだし、明日はゆっくりする筈だね」

鉄平は「そんな事言うなら、今日はおれが犯してやる。」と言ってお香を裸にして、様々にいたずらした。お香も応戦して、鉄平を裸にしたり、色々と手管を使って対抗した。二人とも応戦しあい、鉄平が上になっていたり、お香が上になって激しく動いたりしていた。又裸のまま、抱き合って眠っていた。お香は目が覚めると、鉄平のものを含みんだり、舌で鉄平の身体をなめていたが、鉄平が目をさますと、鉄平のものを自分の身体に入れて、鉄平が放出するまで激しく動いていた。朝日が射し込む中で、鉄平に自分の裸身を見て貰いながらお香は幸福だった。鉄平のものを舌でなめ回してきれいに掃除して、鉄平の鼓動を聞きながら、抱きついてまた眠っていた。鉄平は、今度は先に目を覚ましたが、お香が目を覚ました時には、裸で抱き合っていないと怒るので、お香を抱きながら、お香の鼓動が伝わってくるのを楽しんでいた。しばらくして、お香に接吻して、「お香 もう昼前だよ」といって起こした。お香は起きて、鉄平のものに軽く接吻して、ご苦労さんと言って起きあがり、鉄平に自分の裸身を見せた。お香は鉄平に綺麗だよと言われて、微笑みながら、着物を着けていった。鉄平も下帯や着物を着けていった。寝間着は畳んだまま、何も触っていなかったが、鉄平もお香も気にしなかった。

鉄平は、前日 明日はゆっくりとしたいので、昼まで寝室にこないように言っていたし、裸で寝るとの噂もあって、誰も近づかなかったし、近づけなかった。鉄平とお香はゆっくりと朝食を取った。こんなにゆっくりとした日は久しぶりであった。今日は、夕方 京二が昔の助手であった三郎の料理屋へ招待してくれる事になっていた。それまで鉄平とお香は手紙などを読んだり、書いたりしていた。お香は、又松江から考えて来た事を色々と考えていた。三郎の料理は素晴らしかったし、京二は長州藩で、巡回診察や食の指導等について話していた。お香は長州の産物や産業について質問していた。

萩から下関へ向かいながらも、お香はその場でも色々と聞いていた。下関では、おゆきの生家である。時次郎の家に行った。時次郎は、おゆきから手紙を出していた事もあり歓待してくれた。今や時次郎は大網元であった、屋敷は広い屋敷に移っていた。

鉄平とお香、福岡に到着

福岡の店に着くと、店は大変繁盛していた。次平の医院も大きくなり、医師志望の青年のための研修所なども立てており、藩から依頼されて、巡回診察なども御殿医と同行して行っているようであった。色々と鉄平の各店からの報告やお香宛の物産問屋の番頭や鴻池の隠居からの手紙などが届いていた。お香関係の手紙はお香に渡した。鉄平は自分の手紙を読むのに忙しかった。自分の仕事について考え、返事などを書いたり、お香を店の物に紹介したり、鉄平は薬種問屋の番頭とともに、得意先への挨拶などで忙しかった。お香は色々と手紙を読み返したり、返事を書いたりしていた。そんなある日、城代家老の夏木などからも声が掛かり、城中に言って挨拶した。

ここでお香は、まだ試案の段階ですがと断りながらも、裁縫などの手仕事をする店を作り、その多くは裁縫などの内職として職のない人にやって貰う。最終の仕上げだけを作業場で専門の職人をおく、店で販売する一方で、大坂や江戸で販売する。裁縫や繕いものなどの仕事を請け負う一方、帳簿付けなど特殊な仕事を請け負う組織をして、職を確保する。一方鉄工所などでは、カラクリ人形とは言わないもののの細工物を作る。これもうまくいけば細工などは、賃仕事として、仕事を作り出せるのでないかとの計画を考えていると話した。

福岡では、そのような事をするためには、どんな手続きがいるでしょうと質問した。夏木は大変驚いて、それは大変結構ですし、仕事をつくれるし、今後福岡の産物として売る事ができる。しかし商売として成り立つでしょうかと答えた。お香は直ぐには商売として成り立つと言い切れません。色々と試算しています。できれば数年で赤字でなくなると良いと思っています。鉄平からは、貧しい人や困った人が病気になった時の手助けをしてきたが、病気が直っても貧しい人や困った人がそのままではいけない。金ではなく、仕事として提供できる物を検討しろと言われています。大坂で物産問屋を始めましたので、大坂での販売動向をもっと調査して、少しつづ始めていきたいと思っていますと言った。

夏木は、応えた。鉄平さんの所で、小さな店とか鉄工所なんかを探しているという話は入っています。この事なんですね。福岡藩としても出来るだけ協力します。私宛でも良いですが、福岡藩としてもどのように協力できるか考える事にします。大元を呼んでくれと言って、まだ青年のエリートといった武士を紹介した。大元に、お香の計画を話した。大元は家老職の家ではあったが、まだ若輩で、取りあえず普請奉行となっていた。そのため夏木は大元を呼んだ。始め怪訝な顔をしていたが、計画の概要を聞くと、我々は注文するだけなんですが、仕事を通してより豊かにするための事業ですか、それは素晴らしい事ですが、貴方のような綺麗な奥方が道楽で出来る事でしょうか?城代の夏木が取りなそうとしていると、お香は言った。「仰るとおり、私はこの間まで、江戸で髪結いの女をしていました。鉄平から夢を聞かされ、一緒に追いかけてくれと言われています。任された大坂の物産問屋では福岡の産物も販売しています。ただ既にあるものではなく、少しでも大坂や江戸で売れる物を、仕事を作り出しながら、やっていきたいのです。色々な方面には協力を呼びかけ計画を話しています。ただやってみて直ぐに駄目だから止めるのではなく、少なくとも数年は我慢してやっていきたいのです。鉄平からは、資産の一部を投入する事の了解を得ています。」

大元はお香の書いた計画書などを子細に見ていた。「これは、お香さんが作られたものですか?」お香「その計画は私の言った考え方に基づいて、さる方に話していくつか修正してもらったものです。正直にお話します。物産問屋での販売動向では、実は福岡の産物はそれ程売れているものではないのです。しかし一番売れている長崎では、既に色々と検討した結果、大坂の物産問屋が、裁縫などの作業所の確保や細工物の鉄工所などは直営でやりたいといっているし、長崎店もこれに出資したいと言ってます。松江は既に始めているので、松江店として出資していきたいといってます。江戸は物産問屋の開設と共に、去る大店と一括して検討していく事になりました。藩の協力が得られやすいのは、福岡と長州藩です。私は長州藩のさるお方に話しました。長州藩では私の考えとは同じではありませんが、藩として対応したい、お香さんの物産問屋の協力がいるが、藩としてできる事は藩としてやりたい、又協力を求める事もあるが、藩としての結論が出てから相談したいとの返事がきました。とすると、福岡でどうすべきかと検討しているので御座います。」、大元「さる大店というのはどこの誰ですか?」そこで夏木が、たまりかねて大元を呼んで、色々と話をしていた。大元は、「時々 えっと」とか言い、吃驚していた。「失礼しました。私は前後の事情がわからないもので、福岡藩でも藩として出来る事や協力していく事を検討させて貰います。 ご返事はお香さんにすれば、いいのですか?」お香「鉄平の福岡店に渡して頂けると、私の手元に届くようになっております。」、大元「鉄平さんもそれでいいのですか?」鉄平「お香に任しています。私とお香は一心同体です。」

その後、鉄平とお香は長崎に行った。長崎ではお香の言ったとおり、色々と準備が進んでおり、「大坂の物産問屋直営では長崎店の面子が立たないので、出資比率を半々にして貰いたい。人についても任せて欲しい。直接雇用する事について長崎の人入れ屋が検討していた案をもってきます。これは人入れ屋の番頭の利介が明日にも持ってきます。」と鉄平の長崎店の番頭がお香に頼んだ。お香「私は出来ればいいので、理平には私から連絡しておきます。」

鉄平にとっては、事業の発祥の地であり、お香は物珍しく、開放的な土地柄で、気持ちよく過ごしていた。長崎店は、組織的にも充実しており、薬草園管理も熱心に行っていたが、実は、原末を江戸店や大坂店への店舗間販売をしていた。鉄平とお香は帳簿等を見ながら、「商売としては、やっぱり江戸と大坂なんだ」と話をしていた。10日間滞在していると、次平の長崎医院の石部から使いがあった。鉄平が行くと石部は「次平先生から長崎に来ると言われたのですが、奥方が懐妊されたので、暫く延期との連絡が来ました。」と言った。鉄平「それは目出度い事です。」、石部「鉄平さんも同じ頃に結婚されましたわね。」、鉄平「次平先生とおゆきさんは、ずっと一緒にいたので、私と同じじゃないよ。」、石部「鉄平さんとお香さんとは結婚して取れ位たちますか?」、鉄平「そろそろ10カ月頃かな」、石部「お香さんは、長崎で出産しても問題ないですか?」、鉄平「どこで出産しても問題はない。でも商売的には江戸かな。」、石部「明日 お香さんに病院に来て貰ってください。検診したいと思います。」 鉄平は屋敷に帰るとお香に「おゆきさんに子どもができたそうだ。あと半年たてば、次平もお父さんになる。石部がお前もそろそろかもしれないから、明日医院に来いと言っていた。」と言った。お香「でもまだ1年も立ってないのに」

お香は翌日帰ると、鉄平に「まだ出来てない。もっと頑張れと石部先生と言ってた。あんたも頑張ってね。」数日後 石部は鉄平に言った。「お香さんにはまだ妊娠の兆しは見られません。しかしお香さんは至って健康で出産しやすい体質です。 もし江戸で出産するおつもりなら江戸に行かれた方がいいです。お香さんは船酔いされますか?」鉄平「長い船旅はしらないが、下関からの船では平気だった。」石部「3日後大坂行きの船があります。長崎医院の医師が大坂に行きます。大きな船です。鉄平さんなら何とでもすると回船屋は言ってます。歩いていくより速く大坂に着きます。それで大坂に行かれたたらどうですか?」鉄平「大坂には帰ってほうがいいかもしれない。それでは手配を頼みます。」

帰ると、鉄平はお香に「そろそろ大坂に戻ろう。お前も鴻池のご隠居に相談しないといけないだろ。長崎の医者が大坂に船で行く。医者と一緒なら都合がいい。空きがあるそうだ。」、お香「それもそうね。」

鉄平とお香は大坂に帰った。届いていた手紙などを整理して、返事などを纏めた。鉄平は大坂の薬種問屋に行き、お香は物産問屋に行く日が続いた。鉄平とお香は、鴻池に呼ばれた。隠居、当主も帰っており、とともに会った。隠居「物産問屋を江戸に出す事はどうなりました。鴻池の調査では二千両もあれば十分だろうと言う事です。江戸での事なので、鴻池としては出資の比率には拘らないが、出資はしたい。尚、運用を任されていた八百両が千両になっている。お香さんの話で大坂については鴻池として出資も考えておりますがその他の地域では、お貸しする事にしたい。」、鉄平「出資の比率は2割でもいいのですか」隠居「鴻池は大坂以外ではあまり出資という形よりは、お貸しする事が多かった。今回は鉄平が相手だから出資するので、鉄平さんの所で資金の手当てが出来るなら、2割でも結構です。」、鉄平「それでは2割でお願いします。」、隠居「人の方の問題はないですか?協力はできます。番頭格でなくても、手代は1人鴻池の人間を入れてください。」、鉄平「江戸の店からの返事では、5、6人程度確保できたようです。お香からも大坂の店からも数人江戸に行きたいと言っているものもいます。はじめから大きくする事は考えていません。中程度の適当な物件が手当できるようで、早速手配させます。物産問屋はすべてお香に任せる事になります。」

お香が松江で思いついた計画は、動き出しつつあった。 まず松江は、元々鉄平がやり始めていたので、一部の修正があるだけで済んだ。別途お香と松江店から多少の金を出す事になった。人入れ屋は、何でも屋を作り、何でも屋は、経験や才能を持った人に低賃金を払う、別途仕事があれば上乗せして支払う事とした。人の斡旋ではなく、仕事を取ってくるようにした。織物や裁縫などは、作業場を鉄平の屋敷の半分を一部改造してつくる。数人の職人や織子を人入れ屋を通して雇い、物産問屋での要望に応える。修繕や繕い物などは何でも屋が注文を取ってくる。鉄工所はカラクリ人形などが好きな人と細かい細工ものなどを行う。

長州藩ではお香の考えに修正したものを藩営としてやり始める事になった。物産問屋として出来上がった物を買う事だけで終わった。福岡藩では大元が作業所や鉄工所などの目星をつけてきたものを、鉄平が送金したもので、購入した。ただ藩で必要な物を注文したり、修繕を依頼してくれた。鉄工所などでもまず藩がかなり注文してくれるので、立ち上がりは順調だった。ただ規模は一番大きくなったので、鉄平が送金していた金額は、ほとんど残らなかった。

長崎では、すべて鉄平の長崎店と大坂の物産問屋とが折半して作った。かなりの量を大坂店で販売していたので、その補修や大坂店からの要望による関連商品の作成が主体だった。

江戸の物産問屋は、お香が七百両だした形とし、残りを薬種問屋の江戸店が出した。大坂店グループの余剰金は、鴻池を除いた鉄平の各店へ返した。江戸店の出資が大きかったので、江戸店としての新たな出資はしなくて済んだ。江戸の鉄工所は光次自身が今までの作業所を改築し、光次自身が負担した。光次はカラクリ人形の仕組みなどは教えなかった。
松江、福岡、長崎の各鉄工所には、光次のカラクリ人形が送られ、その仕組みを解明する所から始めた。

お香は、結局百両程度の手持ちになり、松江に隠していた金はなくなり、破格の値で貸したお香の髪結いのお金も、ほとんどこれで消えた。鉄平は大坂での個人出資の物産問屋については、すべてお香名義に変更していった。

結局大坂では、お香の計画はあまり実現しなかった。物産問屋の下部組織として細工物の製造所が出来ただけだった。鉄平やお香は出資比率の折半した組織は、決断しにくい事を痛感した。商売ベースではお香の計画案では不安が大きかった。商売として見れば、物産問屋の大坂店は繁盛していた。

鉄平とお香は、江戸の物産問屋の開業を控えて、江戸に帰ろうとしていたが、お香の妊娠が判ると、江戸へ帰るのは、数年先になった。

物産問屋は主なしの番頭だけでの開始を余儀なくされたが、お香はこまめに指示したり、連絡が入っていた。薬種問屋の番頭の忠助も時々覗いていたので、管理はされていた。薬種問屋のような成長はなかったものの、少しつづ大きくなっていた。その反面 大坂の物産問屋は繁盛していった。

福岡での事業は、その後大元から修正すべき点などがお香に寄せられ、お香はそれに答えて、色々な反論をした。大元は至って真面目で有能な人だったので、それに答えて、詳細な点まで説明し、有能で熱心な人たちを紹介した。お香は又色々な点をその人たちに質問していた。色々な手紙が頻繁に交換された。お香は思っていた。次平先生や私の鉄平は、自分の理想を語り、他人に影響を与えた。私は鉄平とともに歩いて行く事を決めたが、私は元々そんな理想を持っていた訳ではない、鉄平の意見に共鳴したに過ぎない。鉄平の夢と色々な人の夢を結びつける事しか出来ない。人は元々有能な人程、自分の夢を持っているだろう。又自分の夢を語れない人は、どんな有能でも言われた事しかやらないだろう。私が有能な人に語れる事は、鉄平の夢だけだろう。夢を語れる人に、その人の夢を話すようにさせよう。そうすれば、その人は、自分の夢の実現に努力するだろう。私の役割は鉄平の夢と結びつける夢を持っている人を捜し出し、その人に夢を語らせる事だろうと思っていた。ただ夢は夢で、実現できるかどうかは、営業的な検討も必要だろう。

お香は夢を語れる人に、詳細にその夢を語るように、手紙を交換していた。身重になって動けなくなると、より手紙の交換は増えた。その結果 福岡事業は、複数の人の夢を採用し、試作品が出来ると大坂の物産問屋の人に共に、興味を示した人に説明するようになった。又 福岡藩で必要な物資も製造する事になっていった。お香にとっては、鉄平が言った、多くの人に職を与える事が重要であった。仕事を福岡で、より多くの人に提供出来ればよかった。そして継続的に続けられるには、利益を出す必要があった。特に利益が優先するものではなかったが、赤字続きではやがて継続できない事と思っていた。営業的な視点については、大坂の理平や時によっては鴻池のご隠居までに、相談していた。

お香は、本当の所、仕事の細部まで、よく分かってはいなかったが、多くの人の意見を聞き、それを整理する事に努めた。そして始めた福岡の事業は、大きくなり、細工物を作る部門と鉄工所の部門に別れていた。織物や縫製部門も拡大していった。
ただ小規模な松江はそのまま細々とやっていたし、長崎は細工物専門のような工場になっていた。光次のカラクリ人形は興味が薄れると、忘れられてきたが、光次は新しい細工物に挑戦しつづけており、鉄平とお香に時々送ってきた。
裁縫や繕い物などの部分は、松江や長崎そして限定的だったが、萩でも行われており、ある程度内職として、提供する事が出来た。

内職や手仕事の斡旋は人入れ屋でもやっていたので、何でも屋は、一部の人への単なる賃金支給のようになっていた。仕事そのものは少なく、多くの人の雇用は出来なかった。そして結局は、仕事を斡旋することになった。それ以外の人はそれぞれ少しつづ、お香や鉄平の店や作業場で働くようになり、何でも屋は解消していった。ただ人入れ屋は、前払い金を払う様になった。

お恵と名付けられた生まれた女の子も3才になり、鉄平とお香はお恵を連れて、江戸に帰ろうとする時には、お香の計画は整理されていった。お香は、鉄平がしていたように利益の半分だけを出資比率に応じて分配し、出資金の2割を目途に店の者に分けていったが、各事業の収益に差があったので、成長する事業はより成長したが、停滞している事業はやはり停滞が続いた。

お香は江戸へ行く前に、お恵とともに、次平の大坂医院で診察を受けた。お恵が旅をするのに、可能かどうかなどを聞く為であった。その時、お香は又に妊娠していると言われた。旅なんてとんでもないと言われたのは、お香の方だった。お香はもう30才に近づいていたし、今回は注意してくださいとも言われた。お香は大坂に滞在する事になった。鉄平が俺が代わりに行ってやろうかと言ったが、お香は鉄平には、側にいて欲しかった。

お香は、動ける内は、物産問屋の大坂店には、頻繁に言っていた。長時間は無理だったが顔を見せる事は続けた。帳簿なども頻繁に見て、あれこれと番頭の理平に指示していた。

薬種問屋の大坂は繁盛していたし、次平が大坂でも医院を引き継いだのを手伝ったりしていた。番頭の源三が頑張っていたし、任せた事にはあまり指図ないように努めていたので、時間には少し余裕が出ていた。 次平のいる京にはよく行っていた。京の薬種問屋出店も次平の医院も元々禁裏御用のために作られたもので、その経緯を知っている人には敷居が高く感じられるのか、大繁盛と言う訳にはいかなかった。鉄平の薬種問屋は、高貴薬や珍しい薬などが数多く置いてある店となったし、次平の医院は難しい病気や他の医院では手におけない病人などが来るようになっていた。

お香と鉄平は、今までの事業を整理する事にした。

お香は、鉄平が家にいる時に、鉄平に言った。
お香「私の考えは甘かったかもしれない。鴻池のご隠居も、考えは分かるが商売としてはどうでしょうと言っていた通り、何で屋は結局失敗したし、裁縫と織物などは、松江と長崎はこじんまりとして、内職の斡旋などもそんなに多くの人に役に立っているとは言えない。福岡は鉄工部門や細工物、裁縫など大きくなって、人を沢山雇えるようになったけど、それは最初批判的だった大元様が応援して、助言してくれたおかげだし、その上鉄工部門、細工物そして織物なども熱心な人が来てくれたおかげだと思うの。大坂の物産問屋も私の指示一つだせば、理平が十やってくれている感じだし。江戸では、大坂のやり方通りにやってるがそんなに儲かると言うほどではない。江戸には行きたいと思うけど、私は動けないし。」
鉄平「そんな事はないよ。お前はよくやっているよ。俺はお前と理平の話しているのを聞いていてもよく分からない。源三なんかこのままでは物産問屋の方が大きくなりそうですねと言っている。何でも屋では、結局失敗したけど、金を配ったと思えばいいよ。」
お香「何でも屋ではだいぶ損をした。」
鉄平「俺もこの所、帳簿や報告をよくみているけど、料理屋なんかは儲かってはなく、損しているかもしれない。本来の目的では、はずれるけど、板前などが腕を振るえる場所も必要だろうと軽くはじめた高級店だけが繁盛していて、全体の収益を支えている。もっとも次平の医院からの指図で入れている食事なんか赤字だと料理店の番頭は、こぼしているけど、今更止められないし。人入れ屋なんか元々そんなに儲かっていない。」、
お香「色々整理してみようよ。失敗した事には原因があるよ。成功した理由は案外わかりにくいけど、失敗した事の方が分かりやすい気がする。」、
鉄平「そうだな。薬種問屋もいつまでの儲けを続けられるものでもないし、それに薬種問屋は次平の評判に支えられていると痛感している。大坂は鴻池の力もあるし、薬に混ぜ物を入れて商売して稼ごうとする悪質な薬種問屋はほとんど消えた。これからは難しくなるぜ。」

低収益や赤字の部門などは整理した方がいいのに決まっているが、本来の人を助けるためにはじめたので、整理したくないし、それに困る人も出てくる。整理の方法として、それぞれがやっている事業をまとめて、その事業の収益構造を、お互いに質問するして考える事にした。鉄平もお香も負けず嫌いだったので、やりこめられないように、それぞれの事業の番頭に資料を提出するようにいった。源三や理平は、各店は旦那たちは何をする気なんかと各店の番頭は不安がっていますよとそれぞれ言ってきた。鉄平とお香はそれぞれ説明し、今までただ前を見て頑張ってきたが、色々と整理して、直すべき所は直していきたい。番頭たちに伝えてほしい。それぞれ今後どうしたいという意見があれば、この機会に言って欲しいと。源三と理平は、「旦那やお香さんの指示は的確で、お店は繁盛してますよ。鴻池の旦那やご隠居も驚いています。忠助の江戸店もいまや江戸一とも言われてますし、お香さんが行った事のない江戸の物産問屋も、時折届くお香さんの指示に吃驚して番頭以下店の者も頑張って、成長していると思います。この4店だけで、他の店が多少の赤字になったとしても吹き飛ばせますよ。それに長崎や福岡は手堅くやってます。」 鉄平とお香は言った。「それが油断だ。困ってからではもう遅い。お香がそんなに動けないので、今ゆっくりと成功や失敗の原因や要素を見直していきたい。お香が動き回れば、ゆっくり考える時間もなくなる。」

色々な資料が届くと鉄平とお香はそれぞれに説明しだした。特にお香は身重にも拘わらず質問は厳しかった。数日間では答えきれない事もあって、各店へ質問をもう一度出して、20日後にもう一度やり直す事になった。今度は驚いた事に各店から番頭や手代などが直接持ってきて、同席させて欲しいと言ってきた。思わず鉄平グループの幹部会になってしまった。資料は極秘処理扱いとしたが、鴻池には流れる事は予想された。禁裏御用のための京店は除外していたし、黒田公関係、毛利公関係については、鉄平とお香は話し合って、お城関係は鉄平の直接管理分として対象から外した。お香のやっている福岡の事業もお城御用として、お香の直接管理分として、資料と討議から除外した。

昼夜通して討議したと言うことではなく、お香の体調をみながらだったので、時間を制限して5日間行った。後から考えるとこれは冷静になる時間もあってよかった。
自分の店や事業場の討議が終わると帰ってもいいと言っていたが、結局誰も帰らなかった。

最後の日 鉄平の薬種問屋は好調である事は確認されたが、次平の名前が相当寄与している事や大坂店では鴻池の関与が信用に箔を付けている事を再認識した。そこで鉄平はそれがなかった時の影響を聞いた。各店毎に、影響は違っていたがかなり厳しいという事であった。そこで鉄平は次平の医院に対して、病人の病状に応じた薬の処方例などの薬の臨床例などを提供してもらい、それに対価を払い、各地の薬屋や医者に対して説明するとともに、次平だけでない各地で有名だったり、高名な医者に対しても積極的に対応して、薬を紹介すると共に、薬や各種の情報を聞くようにする事などを指示し、意見を求めたが異論も出なかった。薬草園は各地の問屋で色々と開発していたが、管理が不足気味の所もあった。江戸や大坂で農学者等を雇い、次平の医院に相談料を払い、協力しながら管理してもらう等の事を決めた。

料理屋や口入れ屋については赤字であったり、ほとんど儲かっていなかった。今後どうするかという相談になった時に、お香はいった。「各地の薬種問屋の管理ではなく、私がやっていきたい」大坂と江戸の番頭は黙っていた。前日にお香から計画を聞かされていたからである。
鉄平「赤字とか、ほとんど儲かっていない事業だよ。それでもいいのか?」
お香「次平先生やお前さんの夢なので、赤字だから止めるという事はできない事は分かっています。だから2年間だけ薬種問屋の利益総額の1割を次平先生に対する協力費として頂戴。その中でやっていかなければいけないと思うの。それに薬種問屋のある場所だけにあるのも変でしょう。各地の物産についての情報も入るし、やり方次第では赤字は解消すると思うの。」
お香の事業についても討議されていたが、収益にはかなり差が見られた。松江や長崎、そして萩でもかなり停滞していた。
お香「元々利益をだすためにやった事じゃないし、赤字でなけれはいいと思うの。今は利益が上がっているのは、福岡の事業と大坂と江戸の物産問屋だけといってもいい。その三カ所では単独で会計をまとめ、利益の半分は出資金への利益分配として、薬種問屋と同様に2割は店の者への還元する事にします。他の事業は料理屋と人入れ屋とその他と三分割して、利益が上がれば出資金の半分は出資者へ還元するのは同じだけれども、3割を店の者に還元します。 三分割した所には、私名義で得た利益計上金が、二千両たまっている。それぞれ六百両を出資するから、利益の上がる方法や新しい出店など考え欲しい。細かく分けたら、何にも出来ないから、一つづつ確実に計算して頂戴。」
鉄平「俺も四百両つづ出すよ。千両で考えた方がいいいよ。」
お香「なにか異論があれば、言ってください」
薬種問屋の番頭たちは、お荷物がなくなった事にほっとしていた。
料理店の番頭「今している事は、そのままでいいのでしょうか? 各医院に対して安く料理や病人向けの食事を提供している事が赤字になる原因ですが。」、
お香「そのために作ったので、それがなければ存在する理由がなくなると思うの。むしろその事で得た経験や知識をどうやって利用するか考える方がいいと思うの。だから利益還元比率を上げたの。儲けるためじゃないけど、損を続けていたら、働いている人のやる気もなくなるでしょうし、やがてやっていけなくなる。協力金は2年間だけよ。でも料理店をやっている人には、どうしたらいいか分かる筈と思う。単に儲けるだけの商売ではない料理屋を存続させる方法が。」
人入れ屋の番頭「私どもでも、医院から紹介されると、前渡し金を払ったりしています。そのままいなくなる事もあります。これをなくせば、利益は改善できると思います。」
お香「今やっている事をやめれば、単なる人入れ屋じゃないの。鉄平はそんなために作ったと思うの。料理屋さんの番頭さんにも言ったけど、みんな損だとか赤字だと言うけど、何の為にやっているかを考え欲しいの。むしろその事で得た事を生かしてどうするかを考えて欲しい。他の人たちではやっていない事だから、逆の意味では誰もしらない経験ですよ。」
松江や萩と長崎の織物や鉄工所の人たちはひそひそ話をしていたが、代表として長崎の時造が言った。
長崎の時造「われわれは一番小さい集団です。福岡は単独で大きいけど、除外されてます。一体何をやればいいのでしょうか。千両もあれば両替屋でも預け、運用した方がいいと思います。」、
「実は一番期待しているのです。福岡は、藩の協力もあった事もあったけれども、熱心な人を招いた事が成功した結果だと思うの。福岡では50人を超える人に働いてもらっているし、より多くの人に内職をお願いしている。それなりの資本を投入しないと中途半端なものになると思うの。大坂の番頭である理平さんや江戸の番頭である市蔵さんに相談して、それぞれの地域の拡充してもいいし、思い切って江戸の近くでもいいと思うの。私の夢じゃなくてみんなの夢を形にしてください。私は1年程度は旅は無理だけれども相談がまとまったら、私たちで相談して決めましょう。そのために分けたのだから。販売先は特に私たちの物産問屋に限定する必要もないので、自由に検討して下さい。一番利益還元が得られやすいと思うけれども」

大体の議論が出た後、鉄平は言った。「薬種問屋のみなさんは、むしろこれからが大変だと思う。利益を出している集団とみんな思っているようだが、今はそうでもこれからもそうあり続ける方がむしろ難しい。気を引き締めてください。」大坂の料理屋は、食事の準備をさせます。遠慮なく言ってくださいと声をかけていたが、薬種問屋の番頭だけが参加し、それ以外の人は、みんな厳しい顔で、それぞれ足早に帰っていった。

料理店は、京から東海道の間で、料理店を数軒購入し、次平の医院がない地方でも病人向けの料理を配達できるようになった。料理店集団でも一定の利益を上げる事ができた。

人入れ屋も従来寸断されていた地方にも人入れ屋を作れたし、大坂や江戸にも拠点を作る事ができた。またそこでの求人情報や諸国の情報も、物産問屋に提供してなにがしかの情報量を貰っていた。また才能や経験があっても困っている人には、就職準備金を与えたので、有能な人が多くあつまった。そのため そんな高額ではなかったが、利益を得る事が出来た。

織物や手作業と鉄工の集団はお香と相談して、少額を各地の拡充費に使用して、比較的大きな鉄工所を江戸郊外につくる事にした。江戸の市蔵が、江戸の熱心な人たちを紹介し、その人たちの夢をお香が採用して、細工物、鉄材や工作機器などを作りはじめた。
その人たちは、自分の作り出した試作品を熱心に説いてまわり、説明する事を嫌がらなかった。江戸近郊だったので、江戸ではその製品が販売できるのに、時間が掛からなかった。
福岡よりは時間は掛からなず、利益が上がってきた。そして松江、萩、長崎と併せて福岡の事業と会計を合体した。利益配分の比率は、当座2割5分とした。みんな手取りとしては増えてきていたので、特に不満はなかった。

お香は、臨月に近づいていたが、それでも色々な手紙には目を通して、大坂の理助と相談したり、料理屋の番頭の康三などとも相談して返事を書き、江戸の市蔵にも色々と聞いていた。 お香は今度は男の子を産んだ。さすがに数日間はじっとしていたが、又手紙を読み、人を呼ぶ事が多くなった。自分の乳を与える事には拘っていたが、鉄平は子守と乳母を雇い、女の子と男の子には、目を細めていた。

次平は各医院のあり方について悩んでいた。京の医院では禁裏の手前、公に患者を診察する事はできず、京の筆頭からの依頼があれば診察する程度であった。鉄平が旅立った後、大坂でも高名な医師が引退する事になり、その医院を任された。数名の医師を集めて始めた医院だったが、おゆきもつれて行く事があった。大坂は鉄平の薬種問屋の店もあり、薬の入手も便利であった。それに京と大坂は船なら1日の距離なので、京にも直ぐに戻れた。
やがておゆきが又、妊娠している事がわかり、次平も京を離れにくくなっていた。

次平、寄付だけでの医療を考える!

各医院からは、難しい病気では、次平に相談する手紙が良く来ていた。診察代がなくて来院せず、又は医者に往診を頼まない患者もいるようで、次平はある考えを各医院に示した。「今でも自由診療で、診察代や薬代などは、決めていないが、診察代や入院代そのものをなくす事として、代わりに寄付を募る。一度でも額の有無に拘わらず、寄付をすれば、医院での診察代や薬代は勿論、入院しても診療代は、請求しない事とした。極論すれば、1文でも寄付すれば、本人はもとより、家族も診察しても診察代は請求しない。医師を名指しで、診察を求める事は、禁止せず、かなりの寄付を続けている人に限る。」等を各医院で検討する事を提案した。各医院では色々な意見がでた。「病状を過大に訴え、薬を無料で受け取る人が出てくる。今まで薬礼を貰っている人との公正を欠く。病院が貧乏人の長屋になり兼ねない。寄付金額の下限を作らないと1文の寄付しかしない人が続出し、一分や一両それ以上の寄付をしてくれる人との公平を欠く。金持ちの多い町では寄付も集まるだろうが、小さい町では寄付もあつまらない。理想論すぎるし、医院の運営が寄付に左右されて治療が安定して継続できなくなる。医療は安定して継続出来ないと役に立たない」などの反対意見と、「今でも困っている人には、無料で診察している事もあるのではないか。 一文なしで倒れた病人を見過ごすのか? 一部の不心得の者がいる事を指摘して、本当に困っている人を見過ごす事が公平と言えるのか?本当に困っている人のために考える事が、例え一部の不心得の者がいるという理由で実現しない事があっていいものだろうか? それに医師の治療と金勘定は本来違う筈だ。それを色々な理由をつけて金に支配されていいものだろうか? 本当に困っている病人や家族にとって、一文あればすべての治療が受けられるのは心強いのではないか? 実際寄付金の額はそれなりに安定してくるではないか」等の意見もあった。各医院とも纏められず、両論を併記してきた。色々な考えがあり次平としてまだ結論は下せなかった。鉄平の事業のまとめがなされ、次平の医院は、鉄平の薬種問屋の出資者にいつの間にか成っているため、ある程度の資金が入っていたが、臨床例や薬の効能例などをまとめると一定の資金を提供してくれ、薬草園での視察でも資金を提供してくれる事になり、各医院の経営が安定してくる。そこで2年間は、取りあえず寄付金だけでやってみようと思った。

懸念されていた事も散見されていたが、次平は構わなかった。もともと次平の医院では、医師個人の判断もあったが、薬は病状の変化で頻繁に変更していたし、回復してくれば、薬の頻度は下げてくるようにしていたし、研修中の学生や医師見習いも看護人となって、病人の世話をするようにしていた。入院も病状に応じて行っていたし、安い長屋なども口入れ屋とも協力して、貧しくとも職や住まいを求めている人には斡旋するようにしていた。

医師を名指しで、診察を求める事は、禁止しなかったが、かなりの寄付を続けている人と限ったが、かなりの寄付として記載して金額を指定しなかったため、逆に富裕層の寄付は増えた。寄付をしてくれる人の健康管理は、医師見習いや学生などが行うようにしたが、富裕層には医師が行うようにした。

あるエピソード

寄付は高額の物から、少額のものまで広範囲にあった。1文の寄付はそんなにはなかった。ある日、ある医院では、門が開くのを待って、1文の寄付を持ってきた。係員は名前と住所を聞いたが、病人がいますかと聞くように尋ねるようになっていたが、1文の寄付と思い、聞かなかった。翌日も少女が朝早くから1文持って、寄付の通帳を握りしめていた。今度は係員は「病人がいますか」と言った。少女はおどおどしていたが、係員が「何方か調子が良くないのですか」と優しく言った。安心した少女は「母が寝ているんです。」と言った。係員は医師見習いを呼んで、お母さんがお悪いそうだ。見てきて貰えますかと頼んだ。医師見習いは少女と一緒に、長屋の長屋に行った。寝ている女の人は風邪をこじらせて、余病もあるようで、かなり悪いようであった。「なんでもっと早く言わなかったですか?」と言いながら、ちょっと待ってください。先生を呼んできます。直ぐに医師とその医師見習いが飛んできた。医師は医師見習いから多少聞いていて、女の人を診察すると、解熱剤とか安静剤等の当座の薬を丸薬にしたものを飲ませた。その後医師見習いに色々な薬の名前を上げて用意してくるように言った。その女の人は、薬が効いてきたのか、眠り始めた。医師は、その少女にその症状の経過を聞いていた。「なぜもっと早く来なかったですか」と言うと、その少女は「お金がなくて、私がシジミを捕って売っているですが、とてもお医者様を頼めないと思っていたんです。でも1文でも診てくれると聞いて行ったのですが、さすがにいいだせなくて、今日も少しだけお金が入ったので持っていったです。」

医師は、「当分持ってこなくてもいい。お金が稼げるのは、貴方だけなんですか」と聞いた。「母が着物の直しなどをしていたのですが、寝込んでしまいました。そこで私がシジミ取って売っているです。私も裁縫は少しは出来るんですが、誰も頼んでくれないのです。」と少女は言った。
医師は、薬を持って帰ってきた医師見習いに、「大丈夫とは思うが、数時間は眠っていると思う。まだ熱が下がっていないようなら、丸薬を飲ませ、熱が下がっていたら、あの薬を煎じて飲ませてやって下さい。今日は当分ついていて下さい。昼と夕食は運ばせるよう手配しておきます。何かあったら直ぐに呼んでください。」と医師見習いに言い、少女には、「おみちさんでしたね。ここは貴方とおかあさんの二人暮らしなんですね。 貴方は好き嫌いありませんね。昼食と夕食は運ばせますので、お母さんの側にいてあげてください。」と言って帰った。おちみは残された医師見習いに「私の家 本当にお金ないんです。払えないんです。」と言った。医師見習いは言った。「一文でもいいと言ってましたよ。おちみさん 今はあなたがお母さんの側にいる事が治療なんです。 お母さんの着替えを用意してください。多分お母さんは汗を出して目をさますと思いますから。」

数時間経つと、母親の道代は眠りから醒めた。寝間着は汗で寝れていた。医師見習いは、私外に出てますから、お母さんの寝間着を代えてください。出来れば布団の上の敷物も買えてください。」と言って外に出た。外で暫く待っている内に、料理屋の出前が、「二人分の弁当と一膳を持ってやってきた。医師見習いは中に声をかけた。「入ってもいいですか」中から「どうぞお入り下さい」との声があった。医師見習いは、出前から弁当と一膳を受け取り。道代を診た。熱は下がっているようであった。おみちに、これがお母さん用の食事ですといって膳を出した。そこにはおかゆと卵の厚焼きと豆腐料理などが乗っていた。おみちが母に食べさせている間に、薬を煎じていた。煎じ薬を飲み、再び道代が眠ると、医師見習いはおみちに私たちも食べましょうと言って、弁当を差し出した。おみちはお茶がないですと恥ずかしそうに言って、白湯を出した。二人で弁当を食べ終わった後、口入れ屋の手代と名乗る男が現れた。医師に聞いたと行って、おみちにどんな裁縫が出来るか等などを聞いていた。明日頼み物を持ってきます。これは手間賃の一部ですと言って、残りは出来上がったら、お支払いします。と言って帰った。

おみちは受け取ったお金を渡そうとしたが、医師見習いは言った。「お母さんが回復して、再び収入が入ったら、無理をせずに寄付してください。 今はお母さんが回復するためにお金を使ってください。」

おみちは洗濯などをしていた。夕食も料理屋が料理を盛ってきて、再び医師見習いは煎じ薬を飲ませた。そして暫くすると再び医師が現れた。熱が下がった道代を診察して、「熱も下がったし、これで問題ないと思う。女所帯に夜間若い男を置いておく訳にはいかない。 君はおちみさんに薬の煎じ方を教えて、様子を見て帰りなさい。」そして医師見習いは道代の様子が安定しているのを見届けて、次平先生の言っていたのはこういう事だったのかと思いながら、帰っていった。

薬目的と思われる者もいたが、本当に医師が来ると芝居は続けにくく、謝る人もいた。 結局1文の寄付はそんなにはなかった。長屋毎とか、店単位で寄付をする例はあったが、それは一分とか一両単位である。そして「具合の悪い人はいませんか」と聞く事の重要性が各医院に配布される事になった。時折親密になった富裕の町人からこっそりお金をもらっている医師も出てきたが、余程の事でなければ黙っていた。目に余れば自分で開業する事を進めた。

鉄平からは多額の寄付金を貰った。そしてこう言ってきた。「これからも協力は惜しみまん。但し注意してください。初年度はまず問題ないでしょう。翌年もまあ赤字にはならないでしょう。問題は人がしてもらう事が当たり前と思い出してからでしょう。むしろ3年目以降が問題でしょう。お香もそういっているし、私もそう思う。寄付してくれた人の予防や定期的な検診をした方がむしろ最終的な出費は少なくなると思います。薬代も掛からないし、早く治り安い。」と言っていた。その通り結構寄付は集まった。初年度は、赤字にはならず、逆にかなりの余剰金が余った。富裕層が寄付を競い合う事もあったので次平は各医院には、寄付を受けた人や店には、訪問して様子をみるようにとの連絡をしていたが、店によっては寄付というより、店で働く者の健康管理や検診名目で請求してくれないかとの依頼もあり、相手先の依頼があれば健康管理や定期検診名目で、一定の金額を請求してもいいとした。その上、各医院で出来る事は検討するようにした。

次平は診察の質を向上させる事にも努めた。次平は、各医院には、医学書や臨床例と投薬歴などを患者名を伏せて分かるようにしていた。これは幸三の飛脚屋によって定期的に行われた。

医師達の報酬もそれなりに経験や役割に応じて上げていったし、何より研究や研鑽の時間を取るようにした。各医院に勤めた医師が、自分で開業する事や親の医院を継ぐ事についても積極的に認めた。

希望すれば、各地での診断例についても知見を利用できる事も認めるようにした。医院内に比べると制限されていたが、飛脚などで意見を求められると色々な意見を送り返した。利用する医師たちは、その結果を医学的に詳細な報告を求められた。やがて多様な医師たちが育っていった。藩政や幕府の役人や他の職業へ転じる人たちもいたが、けっして反対しなかった。

暮らしの困る人には、鉄平の口入れ屋や協力する口入れ屋を紹介していった。鉄平の料理屋で作った各病気に適する料理を紹介したり、病気の予防なども幕府や各藩に進言し行った。

松江公の言う高度な医療を行ったり、行える医師を育てる事は大切だと思っていたが、すべての医師が高度な医療を行えるわけでもなかった。高度な医術を行える人が、普通の病人を診る事で研究や研鑽する時間がないのもおかしいと思っていた。ただ目の前に、病人がいればどんな病人でも治療するのが医師だとも思っていた。高名な医師だからと言って、普通の病気の人を診察しないのも、おかしいと思っていた。次平にとってもどうすればいいのか結論は出なかった。

これは、次平の名前と鉄平の各事業との協力で維持されている事もあったし、医院が置かれている場所が城下の町や江戸、京、大坂に限られて、寄付も集めやすい事もあったし、医師たちの養成を行っているので、医師不足で困る事がない事や多くの協力者がいる事など様々な要因がある事は次平も知っていた。これからどのように続けられるかが挑戦だと思っていた。そのため、各医院をこれ以上の増やす事はしなかった。寄付でまかなう治療は、これからも色々な問題がありそうだが、お金を気にしない医療を追求してみようと次平は思っていた。

鉄平一家、江戸に行く

お香は2番目の子が2才になると、子守は大きくなっていたので、移動が無理だったので、大坂の物産問屋に残って貰い、乳母は江戸に行く事に同意したので、一緒に来て貰って、江戸に、鉄平と共にいった。江戸の物産問屋では、話を聞くと、江戸は江戸のやり方があると言って、色々と不満を持っていた。お香は、改めた方がいい事は、その場で変更を認めた。基本的には、長崎、福岡、萩、松江と大坂の産物を主力であったが、得意先の意向を聞きながら、半数までは売れるものを入れる事にしていった。また久しぶりに会った光次から届いていた色々な細工物は新たに作った江戸近郊の事業場と福岡からの細工や工作器などを、別の出店を作り、展示したり、販売を行うようにした。

鴻池から返却された髪結いは結構大きいものであったが、今まで働いていた人たちにそのままやってもらっていた。さほど収益は上がっていなかったが、一部は働いている人たちに分配し、残りのお金は改築準備金として取って置いた。その事が明らかになると破格の値段だった事も鮮明になり、鴻池の当主の吉二郎が江戸に来た時に相談したが、もうその分貰ってますと言って受け取らなかった。お香はそれでは鴻池さんとして運用してくださいと言って、五百両を渡した。鴻池の当主はお香さんの事業に運用した方が、利益は大きいと言いながらも、受け取った。

時々は鉄平とお香は、裸で抱き合っていたが、子どもが寝室に入ってくる恐れがあるので段々と減っていった。お香にとってはそれが何より寂しかった。

おゆきからお香に手紙が来た。「私は子どもが出来たのは嬉しいが、以前に比べて先生と一緒に行く機会が減ってしまった。先生は一緒に長崎を見せてやると言ってくれていたのに、いつになるか分からない。それに先生は時折江戸や大坂、時には福岡まで行っている。お仕事とは分かっているのですが何だか寂しくて。鉄平さんはお香さんの側にいるのが羨ましい。」お香はおゆきに返事を出した。「鉄平も時折旅に出ます。私も必要な時は子守と乳母に任せて、旅にでます。 子どもはかわいいし、私も鉄平といつも一緒にいたいですが、そうもいきません。次平先生のお仕事は命に関わる事ですので、鉄平や私とは比べようもありません。でも又ゆっくりお話できる機会があると期待しています。」

帝、崩御!

そして月日が流れた。帝が崩御された。次平は色々と薬を差し上げていたが、回復の兆しも見えていたのに、突然の崩御であった。次平は、近従に屋敷の返納と官位の返上を相談した。近従は、そんな例はないし、先帝は「次平のおかげで、助かった。」と仰っておれたし、今は静かに先帝を偲んでほしい。それに新しい帝はお若い。これは私の独り言と思って欲しいが、京を離れた方がよい。と言われた。中山は禁裏の医官の中ですっかりなじんでいたので、そのまま勤めていた。次平は暫く、京に滞在していた。新しい御上とはそれほど深い関係でもなかった。京の医院への寄付は減ってきたし、京の医院へ来る公家や富裕層も減ってきていた。鉄平の京の出店でも禁裏御用は減っていた。元々小規模で続ける事は出来た。医師志望の青年の親からの寄付が増えていた。特に強制したものではなかったが、相場通りの寄付が増えていった。学生に対して、賃金は払っていないし、医師見習いには小遣い銭程度だったので、どうしても富裕層の子弟が多くなるのは、否めない事実だった。鉄平の店の利益も減っていると思われたが、特殊な薬や高貴薬が多く、大きな影響は受けていないようであった。

鉄平、薬種問屋の利益率低下

鉄平の薬種問屋全体の利益の低下は否めない事実であった。次平の診察代無料化の影響もなくはなかったが、鉄平には薬種問屋そのものの利益が取りにくくなっていると感じていた。薬屋の出資金の返還請求もすこしつづ増えてきているようであった。鉄平の薬種問屋は、お香の物産問屋、料理店集団、口入れ屋集団に出資しているのでその利益計上金が上がっていたので分かりにくくなっていたが、利益が減っているのは明らかであった。

次平から南蛮の薬の話も聞いていたので、効能のある薬をご禁制だからと言う理由で使えない日がそんなに続くとは思えなかった。鉄平には時代の波が近づきつつある予感はあった。「自分は早すぎるのかも知れない。今は情報を集め、薬の研究をさせるしかない」と源三や忠助には話していた。薬の研究は江戸と長崎で進められ、薬草園の管理は、長崎に集約し、大坂の源三には鴻池との連絡を取り、業界の動向を探らせていた。江戸では万一の時に備えて、農学者には薬草園を転換する場合を想定した研究を行わせていた。鉄平は、今はそれしか出来ないと思っていた。

鉄平、隠れ家を準備

鉄平は密かに、お香だけには話していたが、貯まっていた自分宛の利益分配金で、江戸郊外にお香名義で、大きな林がついた屋敷と広い農園を買っていた。遠くからは、農園と林しか見えない。この屋敷には、管理人夫婦を置いていた。少し高価な古美術品数点と鉄瓶と陶器などを買って、行李に入れ 五百両の小判を入れて置いた。この行李を大切に保管するように管理人に言っておいた。農園は江戸店の農学者の実験農場とした。

古い付き合い長崎店の番頭に、長崎の海が見晴らせる屋敷を頼み、おゆき名義で購入していた。これは密かにお香に相談し、お香からおゆきの内諾を取っていた。管理人夫婦を置いて管理していた。少し高価な古美術品数点と鉄瓶と陶器を買って、行李に入れ 五百両の小判を入れて置き、管理人に管理させるように頼んで置いた。

これらの手配が済むと、残った自分宛の利益分配金は鴻池以外の両替商に運用を任せるものと、江戸の店の番頭の忠助に保管を依頼するものに分けた。物産問屋も、本当の物産問屋としても成長していた。大坂店では鴻池との出資比率の問題から保留金は、一部だけを運用金として備蓄し、それ以外は、物産問屋としての拡充する事にした。鉄平名義分をお香名義へ転換される事には、鴻池も反対しなかったので、今や鉄平個人名義はなく、お香名義に替わっていた。お香は物産問屋での利益分配金は、鴻池への運用委託が限度額になると、その多くを事業部門に投資するようになっていた。江戸店は、鴻池も出資比率が減少しても1割を確保してくれればいいという意向を示したので、鴻池の出資比率が1割になるまでお香の出資比率を増やしていった。それは事業部門の窓口の店を作る事に使用していた。これ以上の出資は避け、お香の利益分配金の多くは、江戸事業や福岡事業などの事業部門に集めた。

事業部門では、江戸の薬種問屋から一部出資してもらっていたが、これはお香が返してお香名義とした。お香は、事業部門の9割を出資している形となった。お香は受け取った利益分配金は、出資金総額の2割まで備蓄させ、それ以外は出資金を増やし、内部保留金は人件費の年間総額になるまで使わず、それ以上は投資させた。事業部門への投資総額は、多い時には、年間二千両を超していた。投資しない時は、事業部門としてお香名義で両替商に運用を依頼していた。

料理屋と人入れ屋はそれほど利益は高くなかったが、それでも少しつづ利益は増えていくようであった。利益が上がりにくいので、内部保留金とお香宛の利益分配金の範囲内での投資に押さえ、大規模の投資はしなかった。

鴻池も資金の融通には応じてくれたし、他の両替商も融通してくれたが、支払い利子は運用金額の範囲内で、原材料の購入時などの時などで時々使用していた。

この時点では、お香と鉄平が受け取る利益分配金はほとんど差がなくなっていたが、お香自身はまったく受け取らず、事業部門に利益分配金の多くを集めていた。一方、鉄平は利益分配金を一度整理した後は500両つづ受け取り、残りの多くは江戸に集めて保管させていた。鉄平の店も店の留保として受け取る利益は薬の研究等に使用するだけで、残りは貯めていた。

鉄平とお香と子ども達は、薬種問屋の奥の屋敷に住んでいた。お香はあまり着物に拘らなかったが、物産問屋の市蔵は、お店の顔なんですからと言って、時々呉服屋を呼んでいた。子どもは寺子屋や適当な学者の家に通わせていた。お香は離れた所にある物産問屋に行く事が多かったし、江戸郊外の江戸事業の拠点に行く事もあった。

鉄平の購入した郊外の屋敷は広くて、管理人夫婦が掃除してくれていたし、子ども部屋もひろく、子どもものんびりしているし、鉄平と一緒にゆっくりできるのは、嬉しかった。ここに来ると、お香は物産問屋や色々な事業の事は忘れる事にした。鉄平にも薬種問屋とか薬の事を忘れるようにいった。野菜や色々なもの、時には魚なども持ってこさせて、お香は二人の子の母になり、鉄平の女房になり、鉄平の女になる事にした。はじめ お香が食事の準備をしていると、二人の子 鉄一とお恵も珍しそうに見ており、やがて鉄平まて来て、手助けをしていた。何回かすると、鉄平はカラクリ人形なども持ち込んで色々と操作したり、分解して修繕したりするようになり、鉄一はそれを手伝いながら話をしている事が増えていった。お香とお恵は、台所で食事の準備をしながら話をしたりしていた。お香は、ここで鉄平と裸で寝ている事を子どもたちに隠さなかったし、夜には、鉄平は、お前達の父ではなく、私の男になり、私もお前たちの母ではなく、鉄平の女になる事を隠さなかったので、お香とお恵は男の話を遠慮なくしていた。

お恵 「小間物屋の渡は男前でちょっと気になるの。でもひ弱な気もして。」
お香 「それはわからないよ。つきあってみなくては。」 
お恵「でもこの間 穀物問屋の源一を振ったら、つきまとわれても、別れるのに苦労したの」 
お香 「やった後の始末ちゃんと教えたようにやっているの。」
お恵「源一とやった時にちゃんしたよ、あいつ一回すると、お恵、お恵と横柄な態度に変わっていったの、こんな奴だったんだと思ったら、自分が情けなくなったの。今は、医師見習いの一平さんといい感じなんだけど。」
お香 「一平さんって知らないれど、この間お前が連れ込んできた人という男の子。でやったの?」
お恵 「連れ込んだはないでしょう。 この間、した言うより、無理矢理させたかもしれない。もじもじしているから接吻したの。抱き合っていると、一平さんの股間が膨れてきたの。そして一平さんの手を私の着物の中に入れたの。わたしの胸の音を聞いてよ。と言ってる内にやったの。でも、あの人じっれたいのよね。」
そして又ある日、
お香「今はまだ一平さんと会ってるの」
お恵「時々会ってる。優しいだけどじっれたいの。もうすぐ医師と上がるための試験があると言ってた。頑張ってといってこの間またやったの。」
お香「よくやってるね。」
お恵「そうでもないよ。大体話をして別れ際に軽く接吻するだけだったり、軽く抱いてくれて終わりという事が多いの。」
お香「それが普通じゃないの」
お恵「でも 私は、この頃会えば私やりたくなるの。やっぱりお母さんの娘よね。」
お香 「でも只、 やりたいだけの娘じゃいけないよ。」
お恵「一平さん 心の病に関心があるといって、何か色々いってたので、書き留めておいて、番頭の忠助さんに心の病の薬の事聞いたり、この間店に来た田宮という先生にも聞いたりして、一平さんに話をしているの。私は自身は、よく分からないけど。」
お香「お前も少しは勉強してるのね。」
お恵「やりたいから来てとも言えないでしょう。」
そして又ある日、
お恵「一平さん 医師にもうすぐなれそうと言ってた。でもあの人は、私が接吻したり、抱きついたり、一平さんの手を着物の中に入れないと、なかなかやろうとしないの。だからあんまりやってないの。もっと積極的にやって欲しいの。」
お香「忠助や手代も、お恵が最近男の子連れ込んでいるといってたけど、お前は色々な男の子連れ込むの?」
お恵「馬鹿にしないで、私は同時に複数の子と付き合う事はしないわよ。ここ半年は一平さんとしか付き合ってないわ。お母さんはしてたの。」
お香「お父さんはその子見たことあるの」
お恵「会った事ある。」
お香「この間の子なら、お父さんは感心してたよ。お恵も少しは男を見る目がある。あの子は次平先生の若い時の匂いがするって。そうあの子なの。」そして続けていった。
お香「お前にも言ってなかったけど、私とお父さんは若い時ずっとしてたの。」
お恵 「今でもしてるじゃないの。」
お香「少し聞いてよ。でも色々あって4年か5年間別れたの。別れた当座はそう思わなかったけど、次第に私の心に穴が開いてきた。この間それこそ色々な男と付き合ったの。同時に複数の男と付き合った事もあった。一杯やって、床技には詳しくなったけど、心の穴は埋まらなかった。だから又やってた。そうしている時、お父さんと再会したの。もうお父さんは偉くなっていて、大変な人と付き合っていて、私でやっていけるか悩んだけど、ついていく事にしたの。心の穴に痛むよりはましと思って頑張った。突然偉い人と付き合うのは、つらかったけど、私は頑張ったの。もしお父さんと一緒にならなかったら、お前も鉄一も出来なかったし、床技だけの夜の女になっていたかも知れない。」
お恵「そんな話 始めて聞いた。」
お香「男の人は変わっていくわ。お父さんは次平先生と出会って変わったというか成長していた。私はそのままだった。突然成長している昔の相手に出会って、私は辛かったが、頑張ってついていったの。心の穴はいつしか消えていった。お前も一平さんとの事を真剣に考えた方がいいよ。」
お恵「次平先生というとこの間来た偉い先生でしょ。一平さんは神様のように言ってる。でも気さくなおじさんという感じだったわ。一平さんが次平先生のようになるとはとても思えないわよ。一平さんは優秀だそうで、私にも優しいけど、とてもそんな偉い先生にはなると思えないわ。別れても私の心に穴は開かないと思うけど。」
お香「それはわからないよ。お前の心は。お前の方でやりたくなって、やったと言ったじゅない。身体は正直だよ。心は後で疼いてくるよ。私は突然変わった昔の男に苦労してついていった。別れなければ、分からない。心に穴が出来るどうかなんて分からない。好きな男が成長すれば、お前も成長する。そんな男もいるのだよ。お前は私の娘。いい男に出会って成長していくかも知れないし、やってばかりいて枕や布団のように、夜だけの女になるかも知れない。お前次第だよ。」
お恵「夜だけの女、それはいやだよ。好きな人とするのは好きだけど、私も自分の夢を追いかけたい。一平さんの事どこまで好きかはわからない。よく考えて見るよ。お母さんはいつまでも綺麗なのは、どうしてなの?胸なんかもそんなにたれてないし、お腹も出てないし、肌もきれいだし。」
お香「お前とは滅多に風呂に一緒に入らないのに。 こら お前みているね。人の寝間を覗くな。」
お恵「だって障子あけて裸で寝てるからだよ。お父さんもまたまだ良い身体しているね。」
お香「鉄平は私の男。お前のお父さんであってもお前の男じゃない。私は、裸を鉄平に見せるの好きだし、鉄平の裸みるのも好きなの。朝日の中で、鉄平にすべて見せて、鉄平のものをくわえたり、なめたり、繋がるるの好きなの。今度覗くと、お金貰うよ。」
お恵「そんな事。若い娘に言う事じゃないよ。口に中にくわえるのって平気なの?でも単に口の中にくわえているだけなの?顔を上下させているれど。おとうさんは喜んでいるけど、男の人みんな好きなの?最後に飲んだりしているけど、大丈夫なの?美味しいの?」
お香「呆れた。お前は、そんな事まで覗いているの。あれは唇でゆっくりあれをこすっているの。口の中では、舌で舐めているし、単にくわえているのじゅないの。時々は棒の裏や先端を優しく舐めたりしているの。そしてその下の袋を舐める事もある。男の人が出すのはあの袋で出来るのだよ。口の中で大きくなっていく感じが私は好きなの。口の中で、鉄平は元気といってるみたいなの。それで嬉しくてなめたりしているの。私は好きだからやっているけど、男も好きじゃないの。それに平気と思わない人には出来ないでしょ。私は鉄平の出したもの飲むの平気だし、好きだよ。汚くないよ。あれがあるから、お前も鉄一も出来たのじゃないか。私は、あれで頑張れる。でもお前がいきなりやって嫌われてもしらないよ。」
お恵「それはそうだね。試してみたい気もするけど、一平さんにしたらもう会ってくれないかもしれないね。お母さんよく平気でやれるね。今ではお香様とも呼ばれているのに。お父さんは吃驚してなかったの。」
お香「私は元々品がないけど、心が穴があいた間、段々もっと下品な女になっていた。私でも、お父さんのものを口にくわえ出したのは、結婚してからだった。私の事嫌いになってももう遅いといってね。お前はまだ早いかもしれないね。それと一平さんに前の男の子たちの事は話していないだろうね。」
お恵「男の子たちといっても数人だけど、話した事ないわ。」
お香 「私は、過去の男たちの事も特に話していない。私にはもう幻の男たちだし、枕や布団しか思えない。聞かれたら、話すつもりだったけど、お父さんは聞かなかったし、私もお父さんの過去の女は聞かない。お父さんというより鉄平という方が良いわね。今鉄平は私の男であり、私の命なの。鉄平は私のすべてなの。一日中でも舐めていたいし、繋がっていたいの。私は鉄平の鼓動や身体の温もりを感じていたいの。鉄平に嫌われたらあんた殺して私も死ぬと言ってるの。鉄平には、私の体をすべて隠さず見せていいし、私も見せたいの。そして鉄平に負けないように努力しているの。私は江戸事業をやっているけど、話をする人はみんな才能もある熱心な人よ。そんな人の夢を引き出して、少しでも理解しようと勉強しているの。頑張れるのは、鉄平が好きだから。男を成長させ、自分も成長していかないと、いい男も離れるよ。姿形は飽きるのも早いよ。」
お恵「そうなんだ。私は、まだ一平さんを命がけで好きという訳でもないけど。なぜか、別れると直ぐに会いたくなるのよね。そして会えばやりたくなっているの。医師に上がってたら、相談したいと言われているの。お母さんも会ってくれない。」
お香「それは、進展しているじゃないの。私も会いたいけど、お前の男だし、決まってからでいいわ。これから会うのは、家でしなさいよ。」
お恵「それでもいいの?」
お香「物産問屋の方でもいいけど。薬種問屋の方が一平さんも来やすいでしょう。薬を勉強している人もいるし、色々な本もみれるし。お父さんは何も言わないと思うわ。鉄一は、そんな時は物産問屋の方にでも用事つくってやればいいの。男も、女で変わるかもしれないが、女は男で変わるの。少なくとも私は変わった。男は女の甲斐性だよ。綺麗とか姿がいいのではなく、お前も何か勉強してさ、話ができるようになればいいじゅない。単にやりたいだけの女じゃ駄目だよ。次平先生の奥さんのおゆきさんは次平の側にいて、細々とした面倒をみて、次平先生が仕事しやすいように、配慮している。私にはとても出来ない。だから、私なりに鉄平を支えるために頑張ってきた。お前も、いい奥さんで、細々とした面倒を出来るような女でもないし、やりたい時はやりたいと言うような女だ。お前はお前なりに頑張ればいい。」
お恵「私もこれでも心の病気の薬には結構詳しくなってるの。ただ私は他にも何か勉強したいと思ってるの。お母さんみたいに。一平さんとはもっとやりたいけど、単にやりたいだけの女じゅなくて、もっと別の何かを持っている女になりたいの。少し蘭語も読めるように、勉強し始めたのだけど、難しいわ。」

台所に水を飲みにきて、話を聞いて唖然とし鉄平は、
鉄平「お恵 お前まだ16じゃないか。他ではそんな話をしてはいけないよ」
お恵「16はもう一人前の女なの。もうすぐ17になるわ。私の裸みせようか?おかあさん構わない?」
お香「見せるだけなら」
鉄平「冗談じゃない。お前達そんな話いつもしてるの?」
お恵「私だってその位分かっている。ここの家の中だけよ。ここではお母さんは、女としての本音を、私に話してくれている。ここの家の中ではみんな自由に、話していいの。ここは私たち4人だけの隠れ家なの。」
お恵は、お香そっくりの口調で言っていた。それでも たまには、鉄一がお香の手伝いをしながら話をしたり、お恵が鉄一と話をする事もあった。お恵と鉄平が楽しく話していると、お香はお恵に、「鉄平は私の男なの。お恵にはお前の男がいるだろ。」と言うと、お恵はやり返した。「今は私のお父さんなの、お母さんの男になるのはもう少し後。少しの辛抱も出来ないの」と言い返したりしていた。鉄平も呆れて、二人の顔を見ていた。鉄一は鉄平に言った。
鉄一「お母さんも姉貴も、綺麗で姿もいいし、身体もきれいだ。他の娘もみてもつい比べてしまう。」
鉄平「こら お前 覗いているな。お恵の裸も覗いたか?お母さんいや俺にとってはお香という方がよい。お香は苦労して手に入れた俺の女だ。お香がいるから、今の俺がいる。お恵はお香そっくりだ。奔放だが、頭もよくて、勉強もしている。忠助にも何か聞いていたし、薬の勉強させている青年にも質問しているし、本も読んでる。姿や顔だけで判断してはいけない。お前はもっと勉強しろ。顔や姿でなく心が見えるように。そして心の綺麗な女を手に入れろ。自分がその女にふさわしい男にならないと難しいぞ。本当にいい女は、夢を待たない腑抜けには惚れてくれないぞ。」
鉄一「ここの家では、親父たちは障子も閉めずに、朝でも平気で、裸で抱き合っている。姉貴はよく本も読むし、人の話も良く聞いている。けど、俺の前でも平気で着物着替ようとする。俺は慌てて、障子を閉めたりしているけど、姉貴の裸は、それでも見えてしまうよ。お淑やかとは程遠いし、俺の事を男と思ってないみたいだ。どんな大店の息子でも、男前と評判の男でも平気で振って、俺からしたら平凡な医師見習いとよく会ってるみたいだ、俺は何か、物産問屋へ用事に言いつけられて、暫くかえってくるなと言われて、追い出される事もあるよ。」

お香は、自分の作る料理はそんなに美味しい筈はないと思ったが、鉄平や鉄一もお恵もこれは味付けが変にいいながら結構食べていた。お香もやり合っていた。鉄一もお恵も大きくなり、お香は自由に育てていた。食事中は、みんなで話をしていた。食事の片づけもみんなでして、手よりも口が動いていた。お香は物産問屋に遅くまでいる事も多いし、鉄平も忠助と帳簿や手紙を見て、遅くまで話をしている事もあって、普段はなかなか親子一緒に食事する事も少なかった。ここではみんな好き勝手な事を自由に言い合って、親子というより、4人の友達として話をしていた。一応10日に一回としていたが、4人ともここの家にくるのが待ち遠しかった。 鉄平とお香が、大坂、長崎、福岡の話をすると、子どもたちも一緒に行きたいと言っていた。ゆがて、お恵は、「もう寝ます。明日の朝は私がご飯を作り、鉄一と一緒に食べておきます。明日の昼までには、ちゃんと着物きておいてね。 管理人夫婦も昼すぎには来ます。お父さんも鉄平旦那だし、お母さんはお香様にならないと。」お香「仕方ないね。」忠助や市蔵もここには連絡する事を避けていし、江戸事業の責任者も市蔵から言われていた。

鉄平とお香は夜から、翌日の昼間まで、ゆっくりと裸で抱き合っていた。もう二人とも若くないので、やはり若い時のような激しい事は出来なかったが、やはりこの時は一番充実した気持ちになった。
鉄平の心の音を聞きながら、この人は、長崎にも次平先生の家を作り、お金を隠している。おゆきさんにはまだ黙っているべきだろうか?ここの屋敷にもお金を隠している。鉄平は薬種問屋そのものに悲観的になってみたいだ、私たちの挑戦が負けると思っているのだろうか?私と共にこの郊外に行くのも喜んでいるし、物産問屋にもよく遊びにくる。しかし私たちの挑戦は続けなければいけないのだ。この江戸事業場で作った鉄材や時計などの細工物なども好調だし、物産問屋にも色々と引き合いも多いし、光次さんの作った細工物も面白しい。次平先生さんの子どもの功一さんは、学者肌だが、才能があるようだ。江戸事業場でも、熱心な人たちを雇って検討させているし、拡張する準備もさせている。まだまだ私達の挑戦は続くのだ。私たちの夢は、もはやみんなの夢なのだ。
鉄平とこうしていると私の夢は既に実現したような気になるのはなぜだろう。鉄平が旅に出歩く事が減り、私の側にいる事は良いことだ。鉄平にはもう少しゆっくりさせよう。旅に出歩かれるよりは、ずっと良い。もう私の夢は実現しているのかもしれない。

お香は、鉄平の物を口に含んで、元気になるように思いながらしゃぶっていると、口の中で、またまだ鉄平は元気だと言っているように口の中が一杯になった。嬉しくなってゆっくりと大きくなった鉄平のものをゆっくり舐めていた。私だってまだまだ綺麗でしょうと鉄平に自分の裸身を見せながら、鉄平のものを自分の中に入れながら、動いていた。やがて激しく動き、自分の中に放出される温もりを感じていた。そのまま鉄平の胸に抱きつき、鉄平の心の音を聞いて、暫くそのまま鉄平に抱きついていた。その後 お香は、ご苦労さんというように鉄平のものを優しく舐めていた。舐めている内に、気怠い疲れと充実感がお香を包んだ。お香は鉄平に抱きつき、鉄平の鼓動を、身体の温かさを、自分の身体で感じていた。充実感に包まれて、寝てしまっていた。鉄平は苦労していた。お香は離れると怒るのだ、苦労しながら布団を被った。お香の鼓動と身体の温もりが心地よかった。俺は、次平も俺もやがて、いつかは負けるような気がして、逃げ場所を作った。でもお香は頑張ってくれている。お香がいなかったら、どうなっていただろうか? お香はみんなの夢を結びつけ夢を大きくしている。みんなの夢になれば挑戦が続ける事ができるのだろうか?お恵はお香に良く似てきた。あいつの夢はなんだろう。一平という青年は出会った頃の次平の雰囲気があった。しかしあの青年がお恵で満足するだろうか? お恵も男次第で化けるかもしれない。鉄一はまだ頼りない。次平たちはもう長崎についただろうか?俺達の挑戦はいつまで続くのだろうか?などと考えている内に眠りについていた。

次平、長崎までの長い旅に出る!

次平はおゆきと三人の子どもたちをつれて、故郷の松江に行こうと思った。長男の功一は、もう17才で、算学やカラクリ物が好きだった。もう通っていた塾で代講するほどで、直ぐと言われても色々と準備がなどと愚図っていたが、長崎で暫く滞在すると聞くとさっさと準備してしまった。お香から送ってきたカラクリ人形もすっかり分解して、お香さんに、色々と改良点などを書いて送ったりしていた。お香は色々と逆に聞いていたり、驚いた事に大坂の理平が人を連れて質問に来た事もあった。神社に算学の額が掛かると熱中して、部屋に閉じこもって考えて、答えを額に掛けていた。蘭語なども好きなようで、これからは蘭語だけでは駄目かもしれないなどと言って、次平とも何か話していた。おゆきは何にも分からなかった。お香はおゆきに「功一さんは、これから大変な人になるかもしれない」と言ってきたが、おゆきにはよく分からなかった。長女のみどりは14才になっていたが、おゆきと同じで、父上が好きで、父上の側にいるためには、医術を勉強すればいいと思ったいるのか、単に次平の側にいて、いつも話を聞いていたので、次平が行くと言えば、そのまま付いていくのが当然という風に準備していた。次男の洋介は頑健な子どもだったが、木刀を振り回していた。次平はこの洋介に剣術を教えていた。おゆきは、次平にこんな所もあるのかと思ったが、次平は剣術指南の次男という事を忘れていた。おゆきには、次平はいつもお医者様であり、先生でもあった。

松江に行くと、すっかり年置いた父と貫禄が出てきた兄と兄の家族に紹介した。父は功一には賢そうな子だといったが、洋介が気に入っているようだ。次平の若い時とそっくりだといって、剣術を教えたりしていた。みどりはおゆきを小さくしたようで、父は小さいおゆきさんとも言っていた。家族揃って墓参りをしていた。
暫く松江にいた次平は、松江の病院に行く前に、こっそり原家の墓に参り、早苗の菩提を弔った。松江の医院は元々貧しい人のために、鉄平が作った医院であり、完全寄付制とした時に大きな影響を受けるのではないかと懸念していたが、逆に寄付は少しつづ増えていっていた。富裕層は少ないものの、より多くの人が寄付していた。鉄平からも従来の薬種問屋は利益がすこしつづ減少すると聞かされていた。それは次平の医院にも響くであろうと思っていた。御殿医を止めた経緯もあり、いままで藩からは寄付を貰ってなかった。松江藩の城中にも挨拶に行った。松江公は不在であったが、城代家老は今も原家であった。複雑な思いで挨拶した。原家は、松江の医院への寄付を申し出て、郡部の巡回診察をしてくれるように依頼した。次平は承諾し、松江の医院に対して、協力して行うようにと申し渡した。松江の医院は、医師5名程度で、城下に賜った屋敷には、数人の学生や医師見習いたちが住んで、松江の医院から医師が授業にいっていた。ここで次平は今までの医師の事前診察の後、診察して、事前診察した医師と討議していた。数日間診察していた。次平は実家に泊まっていた。

萩にも立ち寄っていた。三之助と京二には久しぶりに会った。二人とももう立派な武士であった。二人に、城に連れて行かれた。毛利公は不在であったが、城代家老と話をした。毛利公は、次平の寄付による医療に感銘して、定期的な寄付をしてくれていた。三之助や京二の働きによるものであろう。萩の医院はさながら医学館のようであった。学生や医師見習いは多く、私費はもとより、藩命による学生もいるようである。次平は、数日間医師たちの事前診察の後に診察して、その後医師達と診察結果について討議していた。時間がとれた時は、おゆきと三人の子ども達をつれて萩を散策した。萩はきれいな町であった。おゆきもこどもたちも喜んでいた。功一が特にこの町が気に入ったようで、何度も一人で散歩していた。神社の算学の額も掛かっていて、書き写してたりしていた。

三之助は、お香さんに感心していた。「お香さんの計画を参考にして、長州でも色々民生安定の方策を取っていたが、やはり藩営よりもお香さんに任せるべきものもあった。お香さんも今でも、物産品の開発などをやってくれているが、藩との競合を避け、始めに小規模すぎた事もあって福岡のように大きくなっていない。全面的に任せた方が良かったかもしれない。」京二はもう医者でも料理人でもなく、行政に関与しているようだった。京二には今の仕事が向いているのかもしれない。病気を治す事も決して簡単ではないが、病気にならないようにするのも簡単ではない。京二にも、長州の人にもこれで良かったのだ。

萩から長府へは山道を通るので、長州藩は警備の侍をだして送ってくれ、おゆきと子どもたちのために駕籠を用意してくれていた。長府でも殿様は不在であったが、城代の須佐と挨拶した。下関へは長府藩の警備がついた。おゆきの父である時次郎が首を長くして、娘と孫達の来るのを待っていた。実は時次郎は何回となく、京の次平の屋敷に来ていた。それでも大きくなった孫達を見て喜び、当分ゆっくりと滞在してくれるように言ってくれた。みどりを見ると、おゆきそっくりになってきたと行って可愛がった。みどりが次平の側にいつもいるのを見て、本当におゆきにそっくりだと言って、おゆきと笑っていた。功一は萩の算学の額の問題が難しいのか、部屋で考えていた。洋介は海岸で走り回っていた。時次郎は、洋介を目を細めて見ていた。1週間ゆっくりと過ごした。おゆきもゆったりしているようであった。時次郎はこれからどうされますかと聞いたので、しばらく長崎でもう一度勉強しようと思っていると次平は答えた。時次郎は福岡から長崎へは船でいかれたらどうですかと勧めた。

福岡につくと、田宮は福岡医院で待っていた。挨拶して、暫く殿様の様子などを話していたが、次平をさらうように城につれていった。黒田家は先君の道隆は隠居して、若君の黒田道直が後を継いでいた。「お殿様 お元気そうで、なりよりです。」道直「次平先生に助けられました。田宮は、いつも側にいて守ってくれています。 それにお殿様はやめて下さい。 先生は従四位なんですよ。」次平「いや 助けたのは、私ではなく、天命なんです。道直殿は天命によって、多くの民を救う運命だと思われます。ご自分だけの身体ではないのです。ご自愛下さい。」道直「過分なるお言葉を頂きました。心して努めます。」父上もお会いしたいと申しております。」道隆が現れ「道直殿 失礼しますよ。次平先生、長い間お会いしていませんが、相変わらずお若いですね。道直殿 次平先生をお借りしますよ」道直「お父上 私の悪口はご容赦ください。」

別室に案内して、道隆は言った。「次平先生は従四位なのに、あの時とまったく変わりませんね。道直はあの歳まで生きています。次平先生には感謝の言葉もありません。田宮に聞いてもよく分かりませんと言うばかりですが、道直は大丈夫しょうか。」次平「田宮から最近のご様子を聞いております。もう異常は感じられないようです。道直殿には申し上げましたが、これは天が生かしているとしか申し上げられません。てもご注意は必要です。」道隆「田宮にはいつも側にいてもらえるように、御殿医ではなく、家老格の用人になって貰っています。田宮は不満そうだが。 道直には少し早いが後を継いで貰ってたが、もう少し後でもよかったと思っています。」

福岡の医院に戻ると筆頭の福田から説明を受けた。
福田「医師志望の学生は藩命でくる事が多く、毎年多額の寄付を貰っています。郡部への巡回診察でも十分な報酬を頂いている。富裕な町人も一般の方も寄付してくれています。それに鉄平さんの薬種問屋だけでなく、お香さんの福岡事業も拡大していて、今は100人を超えてます。そして働いている人たちの分といって多額の寄付を頂いています。普通の店もそれを見て比べられるので、寄付をしてくれるようになりました。検診担当が二人、医師見習いをつれて検診に回ってます。診療にも十分な体制で望む事ができております。先生のお屋敷で、学生たちを教えています。」、
次平「私が診察した方がよい病人さんはおりますか?」
福田「今特に先生に診ていただくほどの病人はいません。ただ心の病の方がいらっしゃるので、診ていただければ私たちも勉強になります。先生どの程度滞在されますか?」、
次平「奥と子どもたちもまだ元気なようだ 1週間程度いる予定です。長崎へは船が早いかな。」、
福田「ここからならそれほど差はないようですが。奥様とお子さまには、山道よりも船がいいかもしれません。船は10日後に出ます。お疲れでしょうから暫くお休み下さい。3日後から何日か診察して頂けますか?私たちも勉強になります。」、
次平「私は宿にいてますので、何かあったら呼んでぐさい」、
福田「お屋敷は学校にしてしまいました。申し訳ありません。」、
次平「それは私からお願いした事です。」

翌日、福岡藩の家老の大元が宿を訪れた。

大元「次平先生には、始めてお目に掛かります。福岡藩の家老職を勤める大元と申します。お香さんからお手紙頂きまして」
次平「ご家老さんはお香さんをご存じなんですか?」
大元「普請奉行しておりました時にお香さんにお会いしまして、今福岡事業といっております計画の案をお聞きしまして、失礼な事を申し上げました。しかし今は織物縫製工場と鉄工作業場を抱え、100人を超す人が働いておりますし、福岡の産物も多数販売してもらっております。お香さんは季節毎に、ご丁寧な連絡を頂きます。次平先生にもしお時間がありましたら、お香さんの福岡事業を見て頂ければと思い、参上しました。実は、この事業には、私も多少お手伝いしました。私も自慢している事業でもあります。お香さんの福岡事業の責任者に案内させます。」
次平「これは楽しみです。そうだ。奥もお香さんとは友達なんです。つれていってもいいですか?」
大元「勿論構いません。いつが宜しいでしょうか?」
次平「明日でも結構です。」
大元「海岸付近なので、ここからは近くです、では明日の昼すぎにお伺いします。」
おゆきと話を聞いた功一が行くと言ったので、結局三人の子どもが全部付いていった。

大元が自慢するだけあって、大変立派な工場であった。大元は「しかしお香さんはすごい人ですね。十年たらずでこんな立派な工場を作り上げてしてしまうのですから。 私は始めてあった時に、こんな夢のような事は、お香さんのような綺麗な奥方が道楽でやる仕事じゃないと言ってしまいました。ここから福岡の産物や産業が育つと私は確信しています。」と言った。福岡事業の責任者が説明した後も、「お香さんの指示で、お香さんがこのように変えた等」とお香を誉めていた。福岡事業の責任者は、丁寧で親切に説明して、最初は、誇らしげな顔つきだったが、最後の方ではあまり口を利かなくなっていた。

次平は大元に聞いた。
次平「私たちが来て、お邪魔だったのでしょうか?」
大元「いや 私がお香さん、お香さんと気安く言い過ぎるからでしょう。連中にとっては、大切な人で、お香様とか旦那様とか言っています。他の人が気安くいうと気に入らないのてしょう。私が殿のご命令で他藩の人を案内しても、お香さんと気安い言葉を言いすぎるといつもそうなります。お香さんとは言い過ぎないようにしているのですが、お香さんの夢の原点とも言える次平先生に、お香さんの成果を見せたくて、つい言いすぎてしまいました。」

功一は珍しく目を輝かせて時折、質問したりしていた。おゆきは洋介が走り回らないように気をつけて、みどりは次平の側にじっと付いていた。次平は、思った。「ここでもお香さんは多くの人の夢を私たちの夢に結びつけているのだ。功一はこんな事が好きなのだ。」

福岡の医院では、次平が滞在していると聞いて、多くの病人がやってきていた。医師3人が事前に問診し、診断して、次平が診察した。あまり丁寧に診察するので時間が遅くなったが構わず診察した。明らかに軽い病気とか他の病気は筆頭の福田が私ではご不満でしょうがと言って診察した。福田も福岡では名医の評判が高く、病人は納得して帰った。次平は事前に診察した医師3人と診断結果について話あった。福田も同席して聞いていた。

みどりは、こっそり陰に隠れて聞いていた。こんな診察が5日間あった。事前診察する医師は福田が指名していた。

明日長崎行きの船に乗る前に、福田が挨拶に来た。「事前診察した医師には大変参考になったようです。長崎には長くご滞在でしょうか?」、次平「まだよく分かりませんが、出来れば1年は居たいと思っています。」、福田「それは石部さんも喜ぶでしょう。長崎に医師達を研修にいかせても宜しいですか?」次平「結構ですよ」

次平一家、長崎に到着

船旅にも、おゆきも子どもも大変喜んでいた。長崎に着くと、石部と鉄平の長崎店の番頭が待っていてくれた。福岡の福田から連絡を受けておりました。長旅ご苦労様です。数日ごゆっくりしてください。鉄平さんが港を見晴らせる屋敷を準備しておられます。そこでお休みくださいと言って屋敷まで案内してくれた。道中に、長崎の医院は問題ないかと聞くと、「先生が居なくなって、その上何人も抜けた時は大変でした。今は各地から医師も来るし、なんとかやってます。先生今度はゆっくり滞在されるとの事で喜んでおります。」

案内された屋敷は、長崎の港を見渡せる庭園もある広い屋敷であった。管理人によって掃除はされていた。料理店から食べきれないほどの料理も届いた。おゆきは、おいしいと言って食べているこどもたちを見ていた。次平の長子は、男の子で功一と言って、17才になっていた。次平に似て、頭がよいが、医術にはあまり関心がなく、算学やよくわからない難しい本を読んでいる。ただ身体はそんなに頑丈とは言えない。注意しないと本ばかり読んでいる。2番目の子は、もう15才になり、女の子だったのに、次平の側にいつもいたがる。医術が好きか次平が好きなだけか分からないが、次平の話を良く聞いている。自分の小さい時とそっくりだ、父上の側がいいといつも言っている。話では、お香さんの子どものお恵さんは、はきはきして思った事をそのまま言うそうだ。この子は、言葉つきまで、次平に似た口調で喋るし、なかなか思っている事も言わない。三番目の子の洋介は、11才になった。まだまだやんちゃで、この頃は木刀を振り回している。身体も頑健で病気した事もない。お腹が一杯になると、子どもたちは旅の疲れもあったのか早くに休んでいた。みどりだけはまだ次平の側にいたがっていたが、功一がもう寝ようと言うと何か言いかけたが言わず、ついていった。なんか私みたいとおゆきは思っていた。子どもが休むと、次平は庭を歩こうと言って、おゆきと一緒に長崎の港を見晴らせる庭園を歩いた。次平はおゆきに話かけた。

次平「この町で、自分の夢を追いかけ始めた。新しい医術を知って少しでも早く病気の人を直せるように、病気の人が心配なく治療が受けられるに、そしてお金も心配なく受けられるように、質の高い医療を受けられるように、夢を追いかけて挑戦してきた。鉄平さんは私の夢に共鳴して私を支えてくれ、良質で安くよく効く薬を提供してくれた、そして病気の人に合う食事を、食事の心配なく治療が受けられるように、そして病気が治った人が心配なく仕事がつけるようにと夢をつないでくれ、同じように挑戦してくれた。お前も私を支えてくれている。お香さんも鉄平さんと一緒に夢を追いかけてくれている。私は、自分の夢を他人に聞かせ、そして巻き込んできた。そして多くの人が支えてくれた。鉄平さんも同じように多くの人を巻き込み、夢を追いかけてくれている。 お香さんは少し違う。私や鉄平さんと一緒に夢に挑戦してくれているが、私たちは自分の夢を追いかけ、他人を巻き込んでいるが、お香さんは他人に夢を語らせながら、私たちの夢と結びつけて、夢を大きくしてくれた。だからもっと多くの人を巻き込んでいく事が出来た。」

おゆきは、先生がこんなに熱心に話す事を見たことがなかった。
おゆき「先生は挑戦し、夢を実現した。それをあの子たちが、継いでくれますよ。鉄平さんたちの子どもたちも、鉄平さんやお香さんの夢を継いでくれますよ」
次平「いや、まだ挑戦中ですし、いつか多分私たちの挑戦は負けるような気がしています。」とそして言いづけた
次平「今なんとか寄付で維持していけている。始めの数年は寄付が多く集まり、それを鉄平さんに相談すると、お香さんが色々な所で、色々な両替商に預けたり、色々と運用してくれている。各医院が足りなくなると、それで補充することにしました。江戸の医院では、はじめ大きな寄付が多く、余剰金が最も多かった。それが段々大きな寄付も減り、運用資産の利益から補填するようになりました。最近は、多くの人を巻き込むお香さんの事業が拡大してきて、その人たちが寄付してくれているので、補填する事も少なくなりました。長崎では厳しくなりつつある。最初から大きな寄付がない松江は、多くの人が少しつづ出してくれて、逆に持ち出す事が少ない。これは多くの人が支えてくれているからなのです。大坂では鴻池が多大の寄付をしてくれるし、鉄平さんやお香さんの関係者も寄付してくれるが、普通の人からの寄付はそんなに伸びてない。今はお殿様が支えてくれている萩や福岡も、永遠には続かない。今は私が巻き込んだ人と鉄平さんとお香さんが巻き込んでくれた人が中心に支えています。そしてはいつかやっていけなくなる気もしています。多くの人が、今よりももっと多くの人が、支え合う事が必要なんです。」
おゆき「そんな 先生は夢を実現し、鉄平さんもお香さんも私たちが見てきた通り、 多くの人に安い薬や食事を提供し、仕事を提供していますよ。」
次平「私は支えてくれる鉄平さんに出会い、おゆきに出会った。そして松江のお殿様、黒田のお殿様、毛利のお殿様そして先帝にも可愛がって貰えた。 そしてお香さんまで私たちの夢を追いかけてくれて、より多いの人を巻き込みながら支えてくれている。奇跡に近い事です。だから今は実現できるているのですが、限定的なものでしかありません。人は永遠には生きられない。私達も鉄平さん達もいつか死ぬ。私たちの夢が、多くの人の夢とならない限り、実現しつつげる事はできない。多くの人が支え合い続ける事は難しい事なんです。一部の人だけが寄付してくれるだけでは、無理なんです。多くの人が、もっと多くの人が支え合う事が出来なければこんな事はできない。私たちも、鉄平さんやお香さんも、今大きな寄付をしてくれる人もやがては、いなくなります。 それに私たちの子どもも鉄平さん達の子どもも、自分の夢を追いかけますよ。」
おゆき「悲しいですね」
次平「いやいつも挑戦しつづける事が大切なんです。 あの子たちに私の夢を語り、挑戦しつづけた事を話していきたいと思っています。そしてあの子たちも自分の夢に挑戦できるように育てよう。自分の夢に共鳴してくれる人を見付け、そして出来れば多くの人たちの夢を結びつけ大きな夢に出来るように、そしてそれに挑戦できるように。私は結局 あの子たちにお金や財産を残す事は出来そうもない。残せるのは、自分の夢に挑戦しつづけた事だけかもしれない。」
おゆき「しかし 私もお香さんも自分の夢は実現しましたよ。だって、今私は先生の側にいて、先生の心に触れているし、お香さんも今頃鉄平さんと生まれたままの姿で抱き合ってますよ。」と言って、次平の胸に飛び込んできた。
おゆきは、内心鉄平がこの屋敷を自分名義にしている理由が少し分かっていた。管理人が預かっていましたという行李の中にお金が入っていた事も知っていた。次平が先帝から賜った物を入れようとして気が付いた。鉄平からの手紙も入っていた。「次平先生には黙って、万一の時に使ってください。」と手紙だった。このお金は黙ってそのままにしておいた。みどりは先生の後を継いで、医者になるもしれないが、みんなを説得したりするのは難しいだろう。功一は学者になるか、それともお香さんの事業にも関心があるみたいだ。どちらにしてもあの子には似合いそうだ。先生の後を継ぐ気はなさそうだ。洋介が医者になればとも思ったが、まだまだ分からなかった。あのお金は、先生にも黙って、あの子たちの為に取っておこう。

次平は、おゆきを抱きながら、思っていた。

「心の病の外科的な手術も、より安全にやりたいと言う事は夢かもしれない。多くの人がお金を気にせずに、適切な医療を受けられ続ける事も夢かもしれない。しかし自分の夢を語り、挑戦していけば、たとえ自分の夢が、挑戦が、いつか負ける事があっても、だれかが、もっと大きな夢に挑戦していってくれると信じていた。


 次平の敗北  に続く
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