中編



カカシの告白は衝撃的だった。頭がクラクラする。

「お、れのこと、す、好きって....」どういう意味です?

イルカが混乱する気持ちを宥めて、やっとのことでそう尋ねると、

「こういう意味ですよ。」とカカシが顔を寄せて、イルカの鼻先にチュッと軽く口付けた。

予想をはるかに越えた事態に、イルカが目を見開いたまま固まっていると、カカシの右手がイルカの顎に添えられた。
カカシの親指の腹がゆっくりとイルカの唇をなぞる。

あ、やばい。

イルカがようやく正気に戻った時にはカカシの唇が重なっていた。そうっと触れるかのように。ほんの一瞬。
カカシはイルカが抵抗するより早く身体を離すと、「スミマセン、つい。イルカ先生があんまり可愛いから。あの、怒ってます?」とかなんとか言い訳した。

イルカは茫然自失の状態でそれを聞いていた。


可愛い、ってなんだよ。

怒ってるかって。怒ってる、というか。

それどころじゃないだろ。

今。俺。カカシ先生と。カカシ先生と。キ、ス...を。


「〜〜〜〜ッ!」イルカの顔が瞬時に茹蛸のように赤くなった。カカシに何か言ってやろうと思うのだが、何を言ったらいいのか分からない。
ああ〜、うう〜、などと意味不明な唸り声をあげていると、カカシが真剣な表情で「俺は本気ですから。イルカ先生、俺とオツキアイしてください。駄目ですか。」と詰め寄る。イルカは駄目だろ、と思った。男同士だし、第一そんな目でカカシを見たことは一度もなかった。

「だ、駄目....」駄目です、つきあえません、と断りを口にしようとする度毎に、

「駄目ですか?」
「どうしても、駄目ですか?」
「よ〜く考えてみても、駄目ですか?」
「お試し程度でも、駄目ですか?」

と、カカシに悉く遮られてしまい、終わりまで続けられない。イルカはほとほと困り果ててしまった。どうしたらこの窮地から抜け出せるのかと考えあぐねていると、カカシが眉尻を下げて、困ったように笑った。

「そんなに俺のこと、嫌い、ですか?」

その時になって初めて、あ、この人は本当に俺のことが好きなんだ、とイルカは感じた。カカシの困ったような笑顔が胸に突き刺さる。
笑顔にカカシの心が透けて見えた。イルカは居たたまれなくなって思わず俯いた。

全く。なんて顔するんだ。どうして俺なんだ。全く。

イルカは心の中で自分の性分を呪った。

「.....嫌い、じゃないです.....。」

カカシがはっとした。その眼差しに、僅かばかりの期待の色が浮かぶ。
イルカは大きく溜息をつくと、観念したかのように言った。

「おつきあい、しましょう。俺達。」






情にほだされ、不本意な形で始まった交際は、意外にもイルカを幸せな気持ちにした。
つきあいだしてからすぐに、カカシはイルカの家に入り浸るようになった。始めのうちは了承を得てから家に上がっていたカカシだったが、そのうち勝手に上がりこむようになった。イルカが家に帰ると、勝手に入ったカカシが寝転がってテレビを見ていたりする。そんなどうでもいいことがイルカをたまらなく幸せな気持ちにさせるのだ。今までは。残業で疲れた身体を引き摺るように、夜も更けて真っ暗になった家路を歩く。途中、灯りの燈る家から聞こえる嬌声や、漏れ漂うおいしそうな匂いが、イルカの疲れの色を一層濃いものにした。誰も待っていない部屋。イルカが帰らなければ灯りが燈ることもなく、ましてや夕餉の匂いが迎えてくれる筈もなかった。イルカは両親を失ったあの日から、「ただいま」と言ったことのない自分に気付く。そして自分を出迎える、「おかえりなさい」の言葉を聞いた事がないことも。

それが、今は。

暗い道の先にポツリと灯りが燈っている。とても、暖かな灯り。それがイルカの家だ。
扉を開けると、「おかえりなさい、イルカ先生。」と銀髪の男が嬉しげに出迎える。
時には焦げたカレーの匂いがしたりする。カカシは料理の経験があまりない(器用なのに)。カレーが唯一まともに作れる料理なのだ。
失敗しちゃったんですけど、と照れくさそうにカカシが笑う。
イルカはいつもなんだか泣きたいような、嬉しいような、不思議な気持ちで胸が一杯になってしまう。
そしてようやく言うのだ。
「カカシ先生、ただいま帰りました。」カレー、いっしょに食べましょう。

何より、カカシはイルカに優しいのだ。
ある日二人で商店街を歩いていた時、暖簾を下ろしている和菓子屋の前を通りかかった。
「あ、ここ、舟入堂の芋羊羹、有名なんですよ!いつも開店前からすっごい行列で、開店して30分で売り切れちゃうそうです。食べたいけど、まだ食べたことがないんです。」1回早起きして並んだんですけど、俺まで回ってこなくて。イルカはその時の悔しさを思い出して、ついうっかりそんなくだらないことをカカシに力説してしまった。その時カカシは「ふ〜ん、イルカ先生は芋羊羹が好きなんですね〜!」と聞き流している風だった。イルカも特に気にしていなかった。
なのに。次の日、カカシは早くから受付所にやって来た。その芋羊羹を携えて。
おお、あれは舟入堂の芋羊羹!と周りもどよめく。

「か、カカシ先生....?」まさか、並んだんですか?そう訊こうとするのに口は音もなくパクパクするだけだ。

「イルカ先生が食べたいって、言ってたから。」はやく渡したくて待ちきれませんでした〜。そう言って頭をガシガシ掻く。その表情があまりに嬉しそうで、イルカはお礼も満足に言えなかった。自分も嬉しかったのに。嬉しすぎて。


不本意だったのに。
情にほだされただけだったのに。
イルカは自分の気持ちの変化に戸惑いさえ感じた。


イルカは恋をしていた。


そして、その恋はすでに成就しているというのに、イルカの気持ちはいまひとつ冴えなかった。
カカシが自分のことをとても好きでいてくれているのも分かる。
今は自分もカカシのことが心から好きだ。

それなのに。

カカシがイルカに触れてこないのだ。この3ヶ月間1度も。
告白の時にドサクサ紛れにされた、あのキスだけだ。
イルカの家に寝泊りしているのに、キスどころか手さえも握っていない。布団は別々だ。
始めのうちはそんなカカシの態度にほっとしていたイルカだったが、こんなに好きになってしまった今となっては、カカシのそんな振るまいが恋人としておかしい、といぶかしむようになっていた。キスくらい、するんじゃないだろうか、普通。
キスどころか、普通はSEXくらいいっていないとおかしい話なのだが、イルカは恋愛経験が乏しく純情なのだ。

俺から、キス....してみるとか?

自分で考えておきながら、うっ、無理無理っと赤くなって頭を振る。でも、他にいい考えが浮かばない。

や、やっぱり、頑張るしかない!

イルカは自分なりに精一杯、やれることをやろうと決心した。



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