後編
(1)
「で、カカシの野郎とはうまくいってんのか。」
イルカは耳を疑った。アスマ先生までそんなことを。
「何ですか、藪から棒に。話したいことって、まさかそんなことじゃないですよね?」
ジロリとイルカが冷たい一瞥を投げかける。まいったな、と呟いてアスマが天を仰ぐ。
まいったのはこっちだ、とイルカは思った。何で皆、俺とカカシ先生のことばかり。
いつも通り受付所で仕事をしていると、アスマが入って来た。報告書を提出しに来たのかと思っていたら、「ちょっといいか?」とイルカに顎をしゃくって見せた。イルカが驚いていると何か大事な話があるという。何のことかと、不安で胸をどきどきさせながら人目につかない裏庭までついて来たら、開口一番アレだ。なんだか小馬鹿にされているようで腹立たしく、アスマが上忍にもかかわらず、イルカは憤怒の色を隠せずにいた。
しかし、アスマはそんなイルカの様子に構うことなく、単刀直入に言った。
「カカシが長期任務に志願したぞ。受理されれば少なくとも3年は帰って来ねえ。お前、知ってたか?」
は?とイルカは首をかしげた。長期任務?志願?なんだそれは。
初めて聞く言葉の礫に打ちのめされ、イルカの頭がガンガンする。3年。3年って言ったか?少なくとも3年って。
その様子を見て、「やっぱり、言ってねえのか。」と独り言のようにアスマが呟いた。
「アスマ、先生....」
それは本当ですかと訊こうとして声にならない。それでも訊こうとして気力を振り絞って口を開くと、漏れてきたのは言の葉ではなく嗚咽だった。やばい、俺、泣いてる...!?イルカは慌てて手で口を塞いだ。口を塞いだ手が頬を伝ってきた暖かいもので濡れる。
なんだこれは、涙が。アスマ先生の前で。泣き止まなくちゃ。カカシ先生が。志願したって。涙が。どうしよう。
イルカの頭の中は混乱して滅茶苦茶だった。何一つ考えがまとまらず、ただ茫然と立ち尽くす。
その時意外にも、クッとアスマが笑った。「なんだ、両思いじゃねぇか!」
両思い?両思いなんて今更、何を言っているのだ、この人は。
ぼんやりとした瞳でアスマを見遣ると、アスマが小さく、めんどくせぇとこぼして、燻らしていた煙草を投げ捨て足で火を消した。この場から立ち去るつもりなのだ。そんな、まだ訊きたいことが、とイルカが縋ろうとすると、アスマは翻した背中越しに言った。
「問題ねえだろ?お前、自分の気持ちはちゃんと伝えたほうがいいぜ。」あいつは馬鹿だからな、そう加えて肩をすくめた。
自分の気持ち?
自分の気持ちって.....
イルカは泣くのも忘れ、難しい宿題を出された子供のように、アスマの言葉の意味を解こうと必死だった。
その日イルカは残業なんてやってられるか、とばかりに終業と同時に職場を後にした。
一生懸命家路を急ぐ。はやくはやく。もっとはやく。逸る心に追いつかない身体がもどかしかった。
「カカシ先生!」家に辿り着くと、イルカはそう叫ぶようにして、玄関のドアノブをガチャガチャとまわした。鍵がかかっている。カカシはまだ帰ってきていないのだろうか。「カカシ先生!」と尚も執拗にノブを回したり、呼び鈴を押したりしたが中からは何の反応もない。イルカはポケットから家の鍵を取り出すと、乱暴にドアを開けた。そこにカカシの姿がないのを確認すると、脱力したように、イルカはその場にヘナヘナと腰を落とした。
長期任務に志願して、受理されたら少なくとも3年。
アスマの言葉がぐるぐる頭の中で回る。カカシ先生カカシ先生。まるで呪文のようにイルカは何度も呟いた。と、その時。
「はあ〜い、」と気の抜けた返事が頭上から降って来た。
カカシだった。
「今日は早かったんですねえ。どうしたんですか、そんなところに座り込んで。」具合が悪いんですか。
心配そうに覗き込むカカシをイルカはゆっくりと見上げた。
自分の気持ち。
昨日俺は自分の出来ることを精一杯頑張ろうって決めた。
ぐい、と覗きこむカカシの顔を引き寄せて、イルカは唇を重ねた。驚いて反射的にカカシが頭を後ろに引いた。
カカシのいつもは眠たげな眼が、大きく見開いていた。イルカ先生、と掠れた声で呟く。
自分の気持ち。ちゃんと伝えたほうがいいぜ。アスマの顔が浮かんだ。
「俺、ずっとカカシ先生とキスしたいって思ってました。」だから、キスしました。それが、自分の気持ち。
カカシが呆けた顔をしている。
「ど、どうして?」何故かひどくうろたえているようだ。
「どうしてって...」今度はイルカがビックリした。そんなの決まってる。何を今更。
「カカシ先生が好きだからです。」決まってるでしょう、と続けようとしたが、その後は言葉にならなかった。カカシの唇がイルカの口を塞いだからだ。すぐに差し込まれてきたカカシの舌がイルカの舌を絡め取る。激しく口腔を弄られ、イルカはくぐもった声を上げた。
自分が望んだこととはいえ、激しすぎる口付けにイルカは腰が引けてしまった。それにまだ肝心の事を聞いていなかった。
「ま、まってください、俺、まだ訊きたいことが。カカシ先生、長期任務に志願、したって....」
あ〜、あれね!カカシはイルカの髪にうっとりと口付けながら、どうでもよさげに答えた。
「やっぱりやめます。あ〜よかった、受理される前で!」
「はあ!?」あまりに簡単な返事にイルカも間の抜けた声を上げる。
「つらかったんです、イルカ先生のそばにいるのが。」
「はあ.....」何を言って。
「無理矢理付き合ってもらって。それでも一番近くにいられるのならそれでいい、と思ったんですけど。」
最初はそれでもいいと思ってた。イルカが自分のことを好きじゃなくても。
でも、傍に居れば居るほど、もっと貪欲にイルカを欲した。きっとこんなのイルカは望んでいない。
一度触れたら抑えがきかなくなると思った。きっとイルカを滅茶苦茶にしてしまう。そして永遠にイルカを失うのだ。それを恐れていた。
「だからね、あんたから離れようと思ったんですよ...」カカシの指が愛しげにイルカの輪郭をなぞる。
「馬鹿ですね」イルカが憮然として言った。本当になんて人騒がせな。俺がどんな気持ちでいたと思ってるんだ。
「ごめんね?だって、イルカ先生、一言も好きって言ってくれないから。」
え。そうだっけ。そう言われてみれば。言っていなかったことに気付く。そうか。そうだったんだ。
「ねえ、イルカ先生。」カカシがイルカを抱きしめて、その耳元で囁いた。
「もっと触れてもいいですか?」
答えなんて、決まっている。
次へ
戻る