『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「爺ちゃんの話を聞いて、僕が理解したことを整理してみるね。
まず、人間は必ず、特定の時代の特定の社会の中に生まれる。そして、その社会には、その社会に
固有の文化が存在しており、その社会の人々は、それを自明の現実として、自覚的にも無自覚的にも
内面化しており、その社会に生まれた子供は、親などから、その社会の文化を学習して、その社会の
人間となっていく。だから、本来の自分とか、真の自己とかいうものが最初からあるわけではないと思
う。宿命的に、自分の家族などからその時代のその社会の文化を吸収することによって、自己形成が
始まるんだ。そのことを自覚し、全面的に受け入れ、そこから自己形成していくしかないんだと思う。そ
して、その文化は、基礎的な部分はあまり変わらないけれども、社会と人間との相互作用によって、歴
史的に形成されていく。
そうして形成された日本文化が、戦後の東西冷戦の国際状況の中で、経済成長に有利に働いたとい
うことだと思う。
その経済成長を促した日本文化の要点は、外来の文化に対する好奇心とそれを受け入れ自分のも
のにしようとする向上心、江戸時代までに形成された正直・勤勉などの経済倫理、働くということを極め
ようとする職人魂、戦後は、企業が共同体的な組織となり、伝統的な和の精神が企業活動のエネルギ
ーになったことなどだと思う。
戦前・戦中に、太平洋戦争へと流されていった、出来上がってしまった空気の支配に弱い国民性が、
戦後は経済成長に向かって頑張るという空気に乗ることにより、国民が皆、頑張って働いたから、あん
なにも経済成長ができたんだと思う。
それから、爺ちゃんは、日本の歴史で、鎌倉時代が重要だと言っていたよね。封建制の世の中で、各
大名、江戸時代の各藩が、それぞれ藩経営をしてきたことが、資本主義経済を形成していく上での訓練
になったということかな。あと、平仮名・片仮名の発明も大きいよね。江戸時代には、藩校で武士たちが
学習し、寺子屋などで庶民も学習し、明治の頃の日本の教育水準は欧米と比較しても、高かったことが
挙げられると思う。
もう一つ大事なことは、その人の世界観・アイデンティティを根本から変えるような、何らかの遭遇とい
う原体験によって、その人のクレドーが形成されて、新しい世界観・アイデンティティが形成され、それに
よって、社会が変動していく可能性もある、ということかな。
僕にとって原体験とは、今まで、爺ちゃんから文化社会学のエッセンスについて、話を聞いたことだと
思う。そして、その原体験によって形成された僕のクレドー《思想の核となる信念》は『文化社会学の考
え方こそ21世紀を生きるための哲学である』ということだと思う。爺ちゃんがパウロについて、彼の原体
験・クレドー、その時代の社会との相関関係を書いているので、僕は、ルターの原体験・クレドー、その
時代の社会との相関関係を調べて書いてみようと思っているよ。
何かわくわくするね。爺ちゃんが言っているように、大自然から奇跡的に与えられたこの命を、喜びを
持って、一日一日、生ききるということが大切なんだと思う。
僕が理解したことは、そんなところかな。」
「戦後の高度経済成長期に、有利に働いた伝統的な日本文化が、今後の国際状況においても有利に
働くとは限らない。これからは、翔太たち若い人たちが、自分たちの文化をできるだけ自覚的なものに
し、心優しい文化など、良い面は伸ばし、抑えた方がいい面は抑え、日本社会に、そして、国際社会に
貢献していってくれることを願っているよ。」
〔 完 〕
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